吹き飛んだ衝撃で体の節々が痛んだが、今はそんなことにかまっている場合ではなかった。一歩一歩、悠然とバーサーカーが近づいてくる。エリミネーターの斧を握りしめながら。瞳の中には、バーサーカー特有の、あの狂気じみた光はなかった。純粋なオリハルコンのように澄みきっていて――底のほうには殺意だけが――降り積もった粉雪みたいに静かに沈殿していた。
ポポロは、少なくともクリフトよりは不思議のダンジョンに潜った経験があるし、モンスターのことなら今回のメンバーの中で一番詳しいだろう。しかし、このような目だけはどんなモンスターであれ――いや、人間であれ――見たことがなかった。少なくとも、野生のモンスターの中では。人に飼いならされたモンスターならこんな目をしたやつを見たことがあった。ただ、そいつと主人の人間は、互いに並々ならない信頼関係にあった。互いに命を預けているというやつだ。そいつも、似ているのは澄みきった目だけで、その奥の光まで似ているわけではなかった。
いま目の前にいるバーサーカーには信頼とかいうチャチな毒消し草みたいな感情はない。ただ、それとは対極の――孤独。
ポポロがどんなに手を尽くして洗脳しようとしても、こいつは絶対に仲間にならないだろう。普通はどんなモンスターでも群れたいという本能がある。はぐれメタルなどでも、心の奥底には必ずそういう感情がある。ポポロをはじめとしたモンスター使いは、そういう魔物の深層心理をうまく掴んで手なづける。
ところがこいつにはそれがない。
魔物じゃないから?
今のポポロにはこの疑問に対する答えは見つけられそうになかった。それよりも一刻も早く対処すべき問題があった。
肺の中に粉塵がまだ入っていたのか、ポポロは三回ほど大きく咳き込んだ。
バーサーカーはそれを眺めながら、ゆっくりと瓦礫の丘を乗り越えてやってくる。ポポロの前で、いったん斧を握りなおした。
このとき、ポポロはトルネコからもらった拳銃を取り出そうと思ったが、慣れてないのでやめておいた。
バーサーカーはしばらく目の前の非力な人間を殺していいものかどうか悩んでいるようだったが、すぐに決断が下された。ゆっくりと斧を頭上に持ち上げる。
タイミングはバッチリかな。ポポロはそう思いながら、さっとカバンの中からモンスターの壺を取り出し、頼れる“本当のともだち”を解き放った。
突如何もなかったはずの空間に巨大な物体が出現したのを感じ取ったバーサーカーは、気配のした方を見た。そこには不気味に光る玉がひとつ――ギガンテスの目だった。
バーサーカーが身構える間もなく、ギガンテスの振りかぶったこん棒は通路の一部を吹き飛ばしながら目標に直撃した。
バーサーカーはその生涯で最大の加速度を味わいながら、そのまま行き止まりの壁まで吹っ飛んで激突し、めり込み、突き抜けた。
ギガンテスの攻撃でもうもうと立ちこめる粉塵に、またもや咳き込んだポポロだったが、それがおさまると言った。
「チョロいやつだったね」
軽くハイタッチ。とはいえかなりの身長差があるため、ギガンテスが屈みこんで、ポポロの方がジャンプしてやっと届くくらいだったが。こうやってモンスターの孤独な心を慰めてやるのも魔物使いとしての仕事だ。
それにしても、あのバーサーカーはいったいなんだったんだろう? このダンジョンにいること自体がよく分からないし、それにあの目――おかしいと思ったのも気のせいだったのだろうか。ただ突然壁を突き破ってあらわれたことに気が動転し、ありもしないものを見ただけなのだろうか?
たぶん、そうさ。現実はいつも下らなく、あっけないものさ。僕はただ、気が動転していたのと、洞窟の暗闇のせいでいつもと違うように見えただけ――
「さ、もういこうか」
ポポロはギガンテスを促すと、バーサーカーが吹っ飛んでいった方向とは逆の方へ足を向けた。できることならさっきのバーサーカーの死体を確かめたかった――でもどうやって確かめるの? あの一撃を喰らったんなら、もうなんの死体なのか分からないほどのミンチになっているはずじゃないか。だいたい、確かめてどうするつもりなんだよ――
自分にそう言い聞かせていたが、2,3歩進んだところではやくも耐えきれなくなって振り返ってしまった。
どうせ何もないに決まってる。この世には神も幽霊も天国も地獄も夢も希望も愛も勇気もないのさ。ただ無慈悲なだけの現実が素っ裸で転がっているだけさ。
だが、バーサーカーだけはそこにあった。わずかな光に照らされて悪霊(おに)のように見えたが、間違いなく現実の存在としてそこにあった。エリミネーターの斧までそのまま手に握られていた。
ポポロはあの一撃を喰らって生きている生物がいること自体に驚いたが、攻撃した本人のギガンテスはもっと驚いていた。いや、それどころか怯えすら感じている。ギガンテスの驚く表情を見て、ポポロの驚きはさらに倍加した。最強の部類のモンスターが、借金取りに追われる商人のように怯えている様子は、世界樹の花が咲くより珍しいかもしれない。
ポポロはトルネコからもらった拳銃を取り出そうとした。慣れてなくても仕方ない。ギガンテスに「待て」の合図を送り、カバンの中の鉄のグリップを握りしめた。だが、ギガンテスは恐怖に耐えきれなかった。あの痛恨の一撃が全く効かなかったのだ。焦ってしまうのも無理はなかった。
ギガンテスは、ポポロの制止も無視してこん棒をふりあげ、天井に拡張工事を施しながらまっすぐにバーサーカーへと振り下ろした。
ポポロの近くに、天井から削れた大きな岩の破片が落ちてきた。あれが当たっていれば脳みそが地面に飛び散り、ヒカリゴケの肥料かアイアンアントの餌になっていただろう。
当たらなかったのは幸運だったが、それと釣り合わせるかのように、ギガンテスの痛恨の一撃も当たってはいなかった。
――バランスシートは常にプラマイゼロなんだよ。資産ひく負債は常にゼロにしかならねえんだ――
父親がよくそう言っていたことが、なぜかこの場面で急に頭によみがえってきた。
いや、避けられていたほうがマシだったかもしれない。バーサーカーはギガンテスの振り下ろした巨大なこん棒を、片手で支えていた。つまり、さっきの痛恨の直撃も、コイツにとっては大したダメージにはなってないということだった。
バーサーカーはギガンテスのこん棒に両手をあてがい、それをはねのけた。ギガンテスの目が驚きに見開かれた。少なくとも、ポポロはこのギガンテスが単純なちから比べで負けるところなど見たことがなかったし、今の状況で見たくもなかった。いったんモンスターの壺に戻して、グレイトドラゴンと交代させようかと思った。しかしこの狭い通路内で灼熱の炎を吐いたら、ポポロの方がバーサーカーより先に蒸し焼きになってしまうだろう。
それに、バーサーカーとギガンテスの距離が近すぎる。バーサーカーは、あろうことかこん棒をはねのけた後、ギガンテスのふところへ飛び込んで逆に距離を縮めたからだ。確かに、こうすればこん棒での攻撃はできなくなる。
ギガンテスのかしこさは低いが、戦闘においては馬鹿ではない。持っていても無駄だと悟ると、すぐにこん棒を手放し、近づいてきたバーサーカーを掴み取ろうとした。
しかし、バーサーカーは予想よりはるかに速かった。ギガンテスには影すら掴ませず、そのまま股下をくぐり抜けざまに足を切りつけ背後に回った。ギガンテスの左足からしぼんだ風船みたいに力が抜けてゆき、ついに膝を地面につけた。そうすることによって、尻から頭部にかけて、登るのに最適な登山道が出来上がった。少々急ではあったがネクロゴンドの山道を登ったことのあるバーサーカーにとっては、軽いハイキングコースに過ぎない。
バーサーカーはギガンテスが体勢を立て直す前に、一気呵成に背骨の上を跳躍して左腕を首に巻きつけた。そして右腕の斧を持ち上げ――振り下ろされるかと思った瞬間、ギガンテスの拳がバーサーカーを横殴りにした。ダメージは大したことはないが、衝撃で斧はどこかへ飛んでいった。
バーサーカーは拳の嵐を身に受けながらも、もう少し上に登ると今度は両足でギガンテスの首に巻きついた。そうやって体をしっかり固定してから――今度はギガンテスが拳の嵐を味わうことになった。
ギガンテスはポポロが今まで聞いたことのないような叫びをあげた。それは小動物が天敵を威嚇しているようにもきこえるし、戦場で敵軍を目の前にした兵団が発している叫びのようにもきこえた。
しかし、どちらにせよ、今まで数多の獲物をあの世へ送りこんできたギガンテスが、今度は自分がそうなるかもしれないと思っていることだけは容易に読み取れた。
ギガンテスは立ちあがって天井にバーサーカーをぶつけようとしたが、片足に全く力が入らないので天井スレスレのところで惜しくも届かなかった。だが、壁に倒れるときに斜めに倒れていったのが幸いして、バーサーカーを壁にぶつけることには成功した。半分壁にめり込みながらも――しかし全く意に介さない様子でバーサーカーは締め付ける足をゆるめる気配はなく、逆にギガンテスの頭を壁に打ちつけはじめた。ギガンテスも負けじと壁にめり込んだバーサーカーに向かって鉄拳弾雨を浴びせかけるが、いかんせん背後を取られているので本来のちからは発揮できない。やがて我慢できなくなったギガンテスが悪魔のような断末魔をあげながら――いや、たしかこいつは正真正銘の悪魔の仲間だったっけ――文字通り悪魔の断末魔を上げながら、右に左に体を壁に打ち付けはじめた。打ちつけるたびに、ダンジョン全体が揺れているような錯覚におちいった。
ポポロはこのときになってようやく拳銃をカバンから取り出して狙いを定めようとしたが、すぐにそれは死人にベホマをかけるくらい無駄な行為であると悟った。下手すれば、ギガンテスのほうに命中するかもしれない。いや、的の大きさからして十中八九そうなるだろう。
それでもポポロは麻薬常習者みたいに震える手をなんとか抑えつけようとしながら、狙いを定めた。
――モンスター使いがモンスターを見捨てられるわけがない――
モンスター使いの中には、雑魚モンスターを捨て駒にしている者もいる。だが、ポポロはそれが嫌いだった。せっかく自分が手間ひまかけて育てるのだから、強くして誰にでも自慢できるようにしたい。しかも今回連れてきたのはポポロの中でも特にお気に入りのモンスターなのだ。最悪ギガンデスに当たったとしても、いずれは世界樹の葉で復活させればいい。それも無理なら(こういうのを本当に最悪の状況、ていうんだろうね。父さんのよくいう糞づまり、てやつ)クリフトに頼めばザオリクでよみがえらせてくれるだろう。
さっきより一層激しくなった咆哮が、通路の壁に反射してポポロ全体を包み込んだ。
ギガンテスが苦しみにのけぞりながら、後頭部に手をやってバーサーカーを払い落そうとしている。ポポロはゆっくりと狙いをつけた。もしかしたら、今なら当てられるかもしれない。
「絶対動くな!」
思わず声に出てしまった。この状況で聞こえているとは思わないが、とにかく言わずにいれなかった。
だが聞こえたかどうかは知らないが、しばらくギガンテスの動きは止まった。おかげで、ぴったりと照準をあわせることができた。
急に動きが止まって何かを勘づいたバーサーカーが振り返った。
ピッタリだった。
バーサーカーがしまった、という表情をした。
ポポロはゆっくりと引き金を引いた。
しかし期待した発砲音は聞こえず、引き金は乾いた音を立て、途中で止まった。
ポポロは信じられなかった。いくら力をこめて引き絞っても駄目だった。
――撃鉄を上げるのを忘れるなんて!!
今度はポポロが完全にしまった、という表情をした。
それを見たバーサーカーはニヤリと痛恨の笑みを浮かべた。
ギガンテスも、首を絞められ意識を保っているだけで限界だったが、ここでついに耐えきれなくなった。地底で抑えつけられていたマグマが勢いよく噴出するかのように、いきりたって暴れ出した。こうなれば、もうポポロの言うこと聞くことはないだろう。
ポポロは身の危険を感じて二、三歩後ろに下がった。もはや見境を失ったギガンテスは何をするかわからないからだ。かといって、完全に諦めたわけでもなかった。
ギガンテスは、しばらく無意味に手足を振りまわしていたが、ひときわ大きな咆哮をあげると残った渾身の力をこめて壁に激突した。
そのとき飛び散った破片の一部がポポロに降りそそぎ、さらにその中の一つがポポロの頭部へ見事に命中した。
ポポロが溶暗してゆく視界の中で見たのは、ギガンテスがついに壁を突き破って闇の中へ消えてゆくところだった。
そしてポポロの意識も、闇の中へと消え去っていった。おそらくヒカリゴケすら生えないだろう闇の中へと。
「今、なにか音がしなかったか?」
ライアンがそう言うものの、いくら耳を傾けても闇からは何も聞こえてこなかった。
「おいおい、俺のスカしっ屁がばれちまったか?」
ライアンはトルネコの軽口を無視して立ち上がると、通路の奥の闇へ目を凝らした。
一瞬、何も無視することはねえだろ、とも思ったが、ライアンがこういう言動を取るのは大抵異常を察知したとき、と相場が決まっている。普通の人間なら「ただの空耳」や「悪い予感」程度で済ませるところだ。だが性質(たち)の悪いことに、ライアンのそういう予感の的中率は100%を誇る。トルネコも自らのスカしっぺの臭いを気にしている場合ではなかった。これが悪臭ただようアリの墓場だというのにけっこう臭ってくるのが自分にとっては気になることだったし、体調が悪いのかと思ったりしたが、どうやらそういう話はここら辺でおしまいのようだ。
トルネコはスカしっぺを吸収した女王アリの死骸から立ちあがると、ライアンの近くまで移動した。
そのとき、はるかな通路の奥から悲痛な叫び声が聞こえた。
「トルネコ殿……」
「ああ、今のは俺にも聞こえたよ。人間か? それともモンスターか?」
「そこまでは判断がつきかねるな。できればモンスターであって欲しいが」
それから低い地鳴りのような音も聞こえてきた。やがて、最後に弱々しくなったかすかな悲鳴とも嗚咽ともとれるような声……そして静寂。
一体何が起こっているのか? 疑問に思った二人が互いに答えを求めて互いの顔に視線を移したとき、耳をつんざくような大音量のファンファーレが鳴り響いた。
ちゃららん、チャッラッラー!!!!!
ちゃららん、チャッラッラー!!!!!
ちゃららん、チャッラッラー!!!!!
――――
いつまでも続くかと思われるほど長く続いたが、それもピタッと止んだ。普段は景気のいい音楽にも関わらず、それはこのときの二人にとっては地獄の底から吹き鳴らされたもののように感じた。
俺たちの、じゃねえよな?
トルネコが視線で送ってきたが、それは考えなくても分かった。
ファンファーレというより、そら寒いサイレンのような響き。今すぐ、この場所から避難したいという切実な欲求がこみ上げてきたが、それは金銭的にも状況的にも叶わないことだった。
「来るぞ」
思わず口をついて言葉が出てきた。何が、とは言わなかったが、好みのお姉さんが裸で出てくるわけでないことだけは、トルネコには十分伝わっていた。
通路の奥から、だんだん大きくなる足音だけが近づいてくる。それは実際以上に大きくなり、やがてライアンたちの脳内ではダンジョン全体を震わせるような大きな音になっていた。
それから、ようやく闇の中から一人のバーサーカーが現れた。トレードマークの額の宝石はなかったが、完全にバーサーカーだ。さらにそいつは武器すらも持っていなかった。代わりにその手には人間の頭ほどもある大きな目玉が握られており(見た目から察するに鮮度は抜群のようだった)、そこから滴る血が地面に黒いシミを作っていた。
お前らのためにさ、地獄のお土産屋で買ってきてやったんだぜ、気に入ったかい?
バーサーカーの狂気じみた微笑みがそう言っていたが、当然ながらそんなお土産は本人と一緒に地獄へ送り返してやるつもりだった。
ライアン自身が、その復讐に燃えるバーサーカーによって地獄へ叩き落とされるまでは。