マッド・トルネコ   作:トラネコ

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25.ダンジョン50階層にて6

 あれほど急かしていたのに、突然アリーナの背中が止まった。

「どうした――

 ブライがそうたずねようとした瞬間、アリーナは強烈な蹴りでブライを弾き飛ばした。ブライは今までやっとこさ歩いてきた通路を逆に吹っ飛んでいって、壁に激突して止まった。一瞬、意識が遠くなりかけたが、何とか意志の力で踏ん張った。なぜ突然アリーナが? 混乱の罠を踏んだのだろうか? それとも惑わしガスでブライを敵と見間違えた? 答えはアリーナが握っていた、通路の壁から突き出た剣だった。

「ごめんね、じいじ。でもああしなきゃ、じいじ多分死ぬと思ったから」

 要するに、自分はまたしてもアリーナに命を救われたようだ。ただし、今回は蹴られた胴体と、壁に激突した背中からジワジワとやってくる鈍痛というおまけ付きだったが。鈍痛はタンスの角に小指をぶつけたような痛み、あれを腹と背中全体に広がったものと考えればそれほど間違いではないだろう。

 こういうときにクリフトがいれば――そう願ったが、いないものはいないでどうしようもない。とにかく、ブライは自分の体に鞭打って何とか立ち上がろうと思い、そこらへんに転がっていた杖を拾い上げようとしたが、それだけで全身の骨と筋肉が悲鳴の大合唱を奏でた。レミーラの効果が切れかけて、杖の先の光が点滅しはじめている。

 杖が点滅するたび、世界は死と再生を繰り返した。

 剣は相変わらず引っ込められることもないままだが、おそらく剣の持ち主とアリーナとの間で壮絶なちから比べが行われているのだろう。レミーラの杖がまたしても明滅したとき、アリーナの腕が変化していた。腕はさらなる力が加えられて全体が膨らんで丸太のようになっていた。常人なら剣を掴んで止めることすらできないだろうが、このアリーナはもはや常人ではなくなっていたので何の問題もない。アリーナはさらに壁に片足を当てて、そこから全身の力を込めた。

 明滅。

 背中の筋肉が何か別の生物のように盛り上がっていた。その光景は、勝手に畑に入り込んで巨大な根野菜を勝手に引っこ抜こうとする、いたずら好きな子供のように見えた。『大きなかぶ』のお爺さんは最初にアリーナ姫を呼べばいい。多分一人で引っこ抜いてくれるだろう。

 暗転。

 壁のヒカリゴケが動いた。最初はゆっくりした動きで幻覚とも思ったが、確かに動いている。

 光。

 壁がひび割れ、完全に盛り上がっていた。噴火寸前の活火山のように見えたそれは、やがてメキメキと音を立てて――噴火した。

 ヒカリゴケのついた岩をまき散らしながら姿を現したのは――

 暗転。

 「じいじ、ここは私が食い止めるから、早くあのももんじゃを追いかけて!」

 それから咆哮。アリーナではない。多分、あの剣で自分を殺そうとしたモンスター(おおよそ地獄の鎧あたりじゃろ)の咆哮だろう。それからまたしても壁を突き破る音。くぐもった戦闘音。肉と肉がぶつかり合うような音。

 光。

 照らし出されたのは何もない空間だった。アリーナも謎のモンスターもいない。通路の壁にぽっかり空いた穴だけが、何が起こったのかを物語っていた

 はやくあのももんじゃを追いかけて!

 アリーナの声が、おそらくブライの頭の中でだけ木霊した。体中の痛みを何とか抑えながら、ようやくブライは杖を拾い上げた。

 またしてもどこからともなく咆哮があがった。咆哮は迷宮の中を乱反射して、まるでダンジョン全体が声を上げているかのように聞こえた。

 本当に早く急がなくてはならんな。

 ブライは意を決すると、一歩ずつ引きずるようにして歩き出した。

 実際にあのももんじゃが出口を知っているのかどうかも分からない。ただ、姫のあれだけ必死の頼みを断れるほど、ブライはアリーナを見放していたわけではなかった――そう、いつまでたってもアリーナは――ワシの大切な姫なんじゃ。

 ブライは歩き続けた。アリーナが消えていったと思われる壁の穴の中を照らしてみたが、そこにはもはや誰もいない。向こうの壁のあちこちには、激闘の跡を思わせるクレーターが出来ているだけ。

 いや、それよりももんじゃだった。

 今更姫を心配しても始まるまい。姫は一度言い出すと周りの言うことを聞かなくなるから。それに、元々強かった姫が、あのモンスターに負けるわけがない……と信じたかった。

 今では、姫の戦闘力を何よりも信じたかった。神のご加護よりも。

 杖を再度かたむけて、自らが進むべき通路の先を照らすと、そこにはいつの間にかももんじゃが佇んでいた。その背後の壁には、さらに大きな黒い平面のももんじゃがユラユラと揺れていた。ヒカリゴケの付いた部分がちょうど目のように見えないこともない。

 しばらく我を忘れていると、ももんじゃは通路の先へと曲がっていき、巨大なももんじゃの影絵はダンジョンの闇と一体化して消えた。

 相変わらず全身が痛んだが、それを無視してブライは歩き始めた。

 

 

 このバーサーカーは強い――戦士としての直感でアリーナはそれを悟った。こいつが私のところに来てよかった。もし他の人のところに行ってたら、多分やられていただろうし。

 いや、ひょっとしてもう他の人のところに行ったのかも。さらにひょっとすると、クリフトはもう――そこまでアリーナが考えていたところに、バーサーカーの強烈な正拳が顔面に飛んできた。ガードしようとしたが、間に合わなかった。そのまま数メートル吹っ飛んで――

 

 

 ――くるりと宙返りして着地した。

「へえ、かなりやるじゃん」

 かなりやるじゃん、どころの騒ぎではない。自分の最高の力を込めて、最適な角度で、最強のインパクトで顔面に叩き込んだ正拳突きをくらったら、普通の人間、ここでいう普通とは種族として普通の人間であって、要するに屈強な男でも人間であるなら一撃で頚椎骨折は免れ得ない。今の自分が見ている光景はマヌーサか何かの幻覚か? さっきも神官のところでも妙な幻覚を見た――このことを思い出したとき、壁に映る神官の影がゾーマの形をしていたことも思い出しそうになって、必死に打ち消した――だが、拳に残っている手応えが「これは幻覚ではない」と訴えかけている。

「女の子を殴るなんて、あまり関心しないなぁ。それに今の威力、私じゃなきゃ死んでたよ?」

「ああ、最初から殺すつもりだったんだよ。ようやく気づいたか?」

 自分でもビックリした。あまり戦闘中にしゃべることはなかったはずだ。台詞はもっぱらゾーマの役割だった。自分は魔王劇場の脇役Cに徹するのが仕事であり、それが最もゾーマの望むことだったからそうした。昔はゾーマの部下にバラモスとかいうアホな、竜になりそこねたような顔をした奴がいたが、あいつは目立とうとしてしゃしゃり出てくるため、ゾーマからも内心は嫌われていた。まあ、アホについていくアホも多かったから、地上攻撃軍の先鋒に指名されたりもした。事実上の左遷だが、本人はアホなので勝手に名誉だと思って舞い上がっていた。案の定、勇者にかませ犬としてブチ殺されるまでは。

「うん、今気付いた」

 どうすればコイツを倒せる? 体はどう見ても女の子ではない。むしろバーサーカーより“いい体”をしているくらいだ。鍛え抜かれた筋肉に思わず嫉妬すら感じる。どんな肉体改造をすればこうなれるのか、こんな状況でなければぜひとも聞き出したいところだ。

「なんかうれしいよ。ようやく本気が出せるから」

 それは本気で言っているのか? 思わずそう言いかけたが、情けないので止めた。それにこの人間の少女の顔を無理やりくっつけたような化物は、くだらない嘘をつけるほど賢くないだろう。バラモスはそういう点では頭が回ったっけ。

 バーサーカーはさっきの戦闘で吹き飛んだはじゃの剣をちらりと見たが、それを使うことは諦めた。剣を素手で掴む相手に剣で攻撃しても無駄だ。

 バーサーカーはゆっくりと拳を握りなおした。

 要するに、これから本気の戦いが始まる、というわけだ。

 

 

 長いあいだ鉄の思考機械と化していたトルネコだったが、それももはや終わろうとしていた。もうすぐ鉄化の種の効果は切れるだろう。

 結論は出ていた。多少のリスクはある――いいや、多少なんてよく言うぜ、これは致命的リスクなんだよ――でもな、この迷路を解く究極の答えはもうこれしかねえよ――まだ議論は白熱していたが、何にせよもうアストロンは解けてしまうのだ。

 アストロン解除後の一手はあれしかない。確かにリスクは伴うし、それは致命的にもなりうる。だが、リスクの綱渡りをせずにどうやって向こうにある人生にたどり着ける? どうせこのまま生きて帰ったところで、悲惨で残酷な人生しか残っていないというのに。

 とにかく、アストロンが解けたら――考えに考えた一手を実行する。あとの戦略はいくつかの状況を大まかに想定して考えてあるが、それはどうなるかわからない。

 ――だからいきなり50階からスタートなんて無謀だって言ったじゃない――

 レミの声が響いたが、「黙って水晶いじりでもやってろ、クソババア」と一喝して黙らせた。

 アストロンの解けようとする感触が伝わってくる。鉄の密度によって地面に縛り付けられていたのだが、今それからゆっくり解放されようとしていた。鳥が飛び立つ瞬間も、きっとこのような浮遊感を感じているのだろう。

 いつまでも安全な鉄の檻にとどまっているわけにはいかない。ああ、そうさ。俺はここを脱出して見せる。それでネネに見せつけてやるのさ、俺の全てを。俺の商才はお前には全くかなわなかったよ。でもな、商才以外の才能だって俺にはあるんだぜ?

 思えば、トルネコの人生はネネという迷宮の中をさまよい続けただけなのかもしれない。今回の冒険で果たしてその迷宮から出られるのだろうか?

 指の関節がじょじょに動かせるようになってきた。

 どうやら、すでに賽は投げられたようだった。

 

 

 手先、足先の感覚はもうすでに消えていた。頭に岩の破片を食らってここが現実か夢か――もしかしたら虚無なのかもしれない。ポポロはかろうじて残った意識でゆっくりとそれだけ考えることができた。それから壁のヒカリゴケが変化して様々な文様を描き出し、やがてそれは見たこともない星座へと変化した――と思うと、今度はさらに明るさを増して真っ青な空になった。そこに映ったのはかつての幸せな自分だった。トルネコとネネと一緒に釣りに行ったときの思い出。天井に映る自分が、釣った魚を入れた保存の壺を覗き込んだ。だが壺の中は真っ暗で何もなく、ひたすらその闇の中へと、落ちているのか上昇していっているのか分からないまま包まれていった。壺の中の暗闇は空気の色をした水のように感じた。体の末端部の感覚喪失が、どんどん体の中心部へ近づいてゆく。そして光が灯った。ひとつ、ふたつ。最初はヒカリゴケだと思ったが、そのうちいくつかは移動している。

 まだアイアンアントが生き残っていた。もはやどうでもいいと、宇宙の外側を考えるようにポポロはそう考えた。たぶん、こちらが死ぬまで待っているのだろう。

 さらに体の感覚が失われていった。

 それとともに、いかなる色も感情も、ポポロの精神から徐々に失われていった。

 

 

 カリカリカリ……音のする方へレミーラの光を投げかけると、ももんじゃが壁を必死に掻いて掘ろうとしているところだった。だが硬い岩を掘れるのはバーサーカーやアリンコ共など、一部のモンスターだけ。ももんじゃにその能力はなかった。

 ももんじゃが顔を上げてブライの方にその目を向けた。目では明らかに「この先に出口がある」と示唆していたが、もはやどうすることもできない。ブライだって壁を掘るのは無理だ。結局、このモンスターは出口など知らなかったのだ。いや、知ってはいた。大体の方向は。野生のカンというやつだろうか。ただし、肝心の迷宮の答えまで知っていたわけではなかった。

 カリカリカリ……

 それでもももんじゃは諦めないというかのように、また顔を伏せて壁を引っ掻きはじめた。

 きっとこいつも姫と同じような性格なんじゃろうな。ブライは何となくそう思った。そう、一度言いだしたら周囲が何を言っても止められない……

 それは魔王討伐までは美点だった。ところがそれ以降は――ひょっとしたらそのせいでこんなアリの巣穴で立ち往生しているのだろうか?

 別に姫に責任転嫁をして批難しようというわけではなかった。たとえ姫に責任があったとしても、それをどうにかしてやるのが教育係のブライの仕事だ。

 まずはこのももんじゃをどうにかして壁から引き剥がして、それから迷宮の答えを探さなくてはならない。すぐそこにあるはずの出口が、ブライには遥か彼方にあるかのように感じられた。

 

 

 クリフトは血の海に膝まづきながら、ひたすら嘆きの壁に頭を打ち付けて自分専用の神へ祈りを捧げていた。その神は、今やクリフトの胸の前で組まれた手の中に収まっている。

 ゴツンッ……

 ゴツンッ……

 ゴツンッ……

 メトロノームのように定期的に響く鈍い音は、迷宮全体を利用した神へのモールス信号と化していた。まさに今、クリフトは救いを必要としていた。ここから脱出するための、全ての救済を。

 祈りが最高潮に達し、今までより大きく頭を仰け反らせた。そのまま頭を壁に打ち付ける――はずだったのだが、なぜだか壁を通り越してそのまま地面へと勢いよく倒れ込む形になった。想像以上の勢いがついていたこともあって、そのままクリフトは額を強打して気絶した。理由はわからなかった。だが、そもそもすでに重度のトランス状態にあったクリフトにとって理由などどうでもいいことでしかない。

そもそも、今までの人生に“理由”なんてあったのかよ……俺にとっての生きがいとかモチベーションなんてものは、ママのマンコの割れ目からザーメンと一緒に流れ出していったんだろうな……

 世を愚痴りながら、その意識はゆっくりと薄れていった。

 

 

 全力で戦ったにも関わらず、もはやバーサーカーは敗色濃厚なことを悟った。

 まず、力で負けていた。これまで力には自身があったし、ゾーマが死んで以降もレベル上げは怠っていない。戦士の得意分野である力のステータスはカンスト、つまり限界まで上がっているはずだ。だから、この世に自分以上の力を持つ存在などいないはずだ。だからさっきのギガンテスの攻撃も受け止めることができた。

 その力を、この小娘の顔をした化物は余裕で上回っている。剣を素手で掴んで引っこ抜くなど、尋常な握力ではない。

 桁違いとは言え、向こうが力だけ上回っているならまだ戦術でどうにかなりそうだったが、それも通路という地形のせいでどうにもなりそうにない。どうしても真っ向からの力勝負になってしまうのだ。穴を掘って逃げることも考えたが、かくれんぼでもない限り、そんなことを許すほど敵は待っていてくれないだろう。それにコイツは素早もひょっとしたら自分と同じかそれ以上かもしれないのだ。

 もはや全身の打撲傷で、体は悲鳴をあげていた。最後の一発。渾身の力を込めて拳を突き出す。こんな奴に負けてたまるか。

「ん~、今のはちょっと雑な攻撃だね~。ダメージを喰らって焦っちゃったのかな?」

 腕ががっちり掴まれているのに気づいたのはしばらくたってからだった。

「一体、てめーは何者なんだよ」

「サントハイム王国のマスコットキャラ、アリーナ王女だよ」

 聞いたことのない名前だった。サントハイムという国名すら初耳だったが、それが何か考える間もなく体勢を変えられ――

「じゃあ、今の攻撃をちょっと反省してみよっか」

 掴まれた腕が、建物が潰れる直前のような軋み音を立てた。痛みを感じる間すらなく、そのまま渾身の一本背負いで投げ飛ばされた。

 

 

 ももんじゃを持ち上げた瞬間、ブライは自分の目を疑った。そこにはまるでさも当然というかのように階段が鎮座していたからだ。どこまでも続くように見える階段――これが次の異世界へと通じる次元を超える道だ。

 誰か知らないが、おそらく大部屋の巻物を読んだのだろう。迷宮が攻略困難なら、もはや迷宮そのものを消しさればいい――こんなことを考えられる人物は限られてくる。多分ダンジョン慣れしているポポロかトルネコあたりがやりそうなことだ。ポポロも昔は巻物を読むことはできなかったが、最近では勉強して一通りは読めるようになったという話を、トルネコと将棋の対局中に聞いたことがある。

 やるなら最初からやってくれ、という思いは正直少しあった。しかしそんな感情は目の前の階段で吹っ飛んでいた。心なしか、ブライを見上げるももんじゃも嬉しそうに見える。

 ね、あったでしょ?

 ようやくこれで肥溜めから出られる――そう思って一歩を踏み出した――ところでブライの背中に衝撃が走り、そのまま階段の横を吹っ飛んでいって、壁にぶつかった。そのときに運悪く頭から壁に突っ込んだため、頭蓋骨は卵の殻にように一瞬でひしゃげ、中の脳みそ(一生かけて詰め込んだ魔法やその他学問の知識が入った高級品)は壁に飛び散って異世界の地図のような模様をどんな画家より素早く一瞬で描いた。

 

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