最初は状況がよく飲み込めなかった。自分は薄暗い迷宮の中にいたはずで、それがひらけた明るい場所にいる。最初はとうとう地獄にでも落ちたのかと思ったが、全身の痛みがそれを否定していた。
立ち上がって見ると、老人が倒れていた。壁に描かれた赤い文様から察するに、衝突して死んでしまったに違いない。ただ、そのおかげで自分はまだ戦える。あのまま壁に叩きつけられた場合、自分ならやわな人間の老人と違って死にはしなかったと思うが、それでも重傷を負うことは免れ得なかっただろう。
死んだと思った老人の死体が少し動いたように見えた。
それは幸運にもクッションで吸収されたとはいえ、衝撃を喰らった後遺症の幻覚かと思ったが、地面を掻く様な音も聞こえる。
老人の下から、何かが這い出してきた。
ももんじゃだった。
人間に捕らわれていたのだろうか? 人間の中にはモンスター使いと呼ばれる、モンスターを飼い慣らして使役する職業もあるらしい。この老人自体に戦闘能力はあるように見えないから、もしかしたら噂のモンスター爺さんなのかもしれない。
バーサーカーが見つめていると、ももんじゃが爪を立ててこちらを威嚇していた。
別に放っておいてもどうでもいい敵だったが、そこまで人間になついているのは、何となく気に食わなかった。ましてやそれが“あの商人”の仲間ならなおさらだ。それに人間側のモンスターを倒すと、無条件でレベルが上がる。ここはちょっとでも強くなっておきたい。
一歩近づいて、足を上げた。バーサーカーの影がももんじゃの顔を覆ったところで、思いっきり踏みつけた。
トルネコはタイミングを見計らって場所替えの杖を振った。あのももんじゃらしきモンスターが具体的に何なのかわからなかったが、バーサーカーが殺そうとしていることから察するとポポロの連れてきたモンスターだろう。だとしてもこの状況でなぜももんじゃを解き放ったのか、そしてそいつをなぜブライが持っていたのかは謎ではあるが。
杖選択では少し迷った。むしろライフルで撃ち殺してしまうのもひとつの手だが、この距離を一撃で仕留める自信はトルネコにはなかった。
とにかく、早くしないとバーサーカーはまたモンスターを殺してレベルアップしてしまう。あれ以上強くなってしまうと手のつけようがなくなる。それにバーサーカーを倒すことは、トルネコたちの目的ではない。もちろん、倒せるに越したことはない。後の探索が楽になるのだから。
ただ、仲間も何人かやられているような状況では、倒しにかかるのはいくらなんでもリスクが大きすぎる。下手をすれば生き残っているのはトルネコ一人、という状況かもしれないのだ。一応、世界樹の葉は何枚も用意してあるから、その状況からでもクリフトを復活させればすぐに態勢を立て直すことは可能だ。
それにしても、この世界樹の葉はまるでぼったくり価格だった。エルフの里直送で無農薬だって? 3時の紅茶を嗜むブルジョアの主婦にはウケそうなキャッチコピーだぜ。その値段のせいでネネの財布に寄付しているような感じもしたが、ここは冒険に必要と割り切って買っておいて良かった。
杖を振り終わってから、元いた場所を振り返って見てみた。そこでバーサーカーは地面から足を持ち上げており、そこに本来あるはずのももんじゃの潰れた死体がない状況を、一瞬理解できないでいた。
ようやく状況が飲み込めたのか、バーサーカーもハッとした表情をしてトルネコのほうへ振り返った。
てめえは肝心なところで“詰み”を逃したんだよ。
心の中でそう呟いた。多分、バーサーカーにも聞こえている――そんなことを考えながら、トルネコは階段に足をかけた。
バシルーラでワープする感覚。だが、バシルーラと違ってはるかに心地いい感覚だった。階段は冒険者のあいだでは「ファーストクラスのバシルーラ」と呼ばれている。
でもまあ、たとえエコノミークラスであっても地獄から抜け出せるなら十分ファーストクラスだぜ。
薄くなっていった周囲の世界が、完全に光に飲み込まれてゆく中、トルネコはあらためてそう実感した。
もはやヒカリゴケすら照らさなくなった漆黒の空間を、白い線が切り裂いた。その白線は徐々に太くなっていき、やがて女王の丸焼きの死骸を完全に照らし出すまで大きくなった。それから、その光の筋を何かが横切った。
天井に開けた穴から着地してきた、ライオネックだ。
入った瞬間、ライオネックは自分の侵入した場所が異様な空間であることを悟った。
元々、このアリの巣穴に入り込んだには、近隣に住むモンスターからの苦情があるからだった。とはいえ、それはすでに苦情の域を超えてはいたが。モンスター農場で生産された農作物はすでに何回も壊滅的打撃を受け、その経済的被害だけでも尋常なものだった。だがそれではアイアンアントたちは飽き足らなかったのか、さらに村民のももんじゃまでさらっていった。ことここにいたり、ようやく村も重い腰を上げたが、なにせ、アイアンアントの巣は山全体に膨れ上がっており、その圧倒的蟻海戦術の前に逆に返り討ちにあってしまう。幸い住民側に死者こそ出なかったものの、もはやこのままでは生活すら危うい。
そこまで話を聞けば、魔勇者と自他共に認める自分が黙っていられるはずはなかった。俺が行って駆除してやる――そう言い終わらないうちにすっ飛んでいって、巣穴に入り込んでみたのだが――
今こうして眺めてみると、村民の言っていたのとまるで様子が違う。
アイアンアントの巣はもっと複雑に入り組んだ迷宮になっているはずだ。ところが、今はがらんどうで、冷たい空気が充満している。降り立ったところには、ひときわ巨大なアイアンアントの死骸。おそらく女王のだろう。触ってみると表面がパリパリと音を立てた。中々うまい焼き加減だ。ライオネック痛恨のギガデインでもこれほどこんがり焼くことは難しいだろう。焼け具合から見るにベギラゴンを使ったと思われたが、近くに散らばっている親衛隊の死骸を見ると、焼けたというより溶けたといったような、異様な死骸をさらしていた。
これを成し遂げた者は、きっと相当な魔法使いに違いない。そして性格も魔法と同じく歪んでいる。それには溶けて奇妙なオブジェと化した、親衛隊の頭部も賛同してくれているかのように感じた。
とりあえず、フロア中を歩き回ることにしてみた。調べれば何か手がかりがあるかもしれない。
そう考えて、魔勇者ネックは剣を抜いてレミーラを唱えた。剣が光を帯びて黒い空間を慎み深く切り取った。
しばらく歩いていくうちに、大きな血のシミを発見した。これは何なんだろう? どうみてもアイアンアントのものではない。同じようなシミは他にも何箇所か存在した。虫の体液では断じてない。モンスターか、人間の血……問題は、これがアイアンアントの巣を壊滅させた者の血なのだろうか? だとしたら、こいつは出血多量で死んでいるはずだ。それか、“襲撃者”は複数いた、ところが、アイアンアントとの激しい戦闘で何人かの死者、あるいはけが人が出た。これなら血の量には説明がつく。
空洞になったアイアンアントの巣を探索していると、ギガンテスの死体を発見した。こいつがひとりでやったのだろうか? 血の量については説明できるが、だがそれならこいつは今頃アリの餌になっているはずだし、それにアリの巣そのものを消し去る、ということにはまだ説明がつかない。
とはいえ、はじめて見つかった有効な手がかりだ。もっと近づいて調べてみたのだが、そこで信じられないことを発見した。
このギガンテスを、知っている。
まだ貧しいモンスター村に住んでいた頃、自分に武術を教えてくれた先生だ。間違いない。村では鍛治屋をやっていたが、時にそういったことも教えていたのだ。体の傷跡は記憶よりはるかに多くなっているが、それでもあのギガンテスだ。相当戦いに明け暮れたのだろう。
顔の方に回り込んで確認してみるが、そこには本来あるはずの目はなく、そこにもさらに暗い空洞が広がっているだけだった。このとき奇妙な好奇心で、空洞の眼窩を照らして覗き込もうとしたのだが――中に光を当てて覗き込んだと同時に、アイアンアントが一匹、突然顔を出した。あともう少しで大アゴに噛まれそうだった。アイアンアントはそのまま体も引きずり出すと、気持ちよかった寝床から一目散に逃げていった。
薄気味悪さで思わず後ずさってしまったが、そのおかげで眼窩から血涙のように流れ落ちた血の筋が、地面に線を引いてそのままある場所へ向かって伸びているのを発見することができた。このままなんの手がかりもなく探すより、この血痕を追いかけていった方が何かありそうだ。
とりあえず、ネックは気になった一本の血の筋をたどっていくことにした。今まで見てきた血痕は、どれも血の海のありかを示すものだったのに対し、これは少量の血がたどたどしく線を引くように繋がっている。
その地面の黒い線をたどっていくと、一本の剣が血の海に突き刺さっていた。さながら威厳のある死の塔。光の加減で、ただのはじゃの剣がこのときばかりは本当にそう見えた。
ネックが死の塔の頂上に手を置いたとき、何者かがネックに話しかけた。
「お前の本当に探しているものはここにはない」
暗闇からいきなり話しかけられたが、ネックはそれに全く驚かなかった。それはあたかも闇自身が発したかのように自然で当たり前、といった感じで響いたからだ。
こいつが“襲撃者”なのか?
一瞬考えたが、もしそうだとしても襲撃者が声をかけてからこちらを攻撃してくるわけがない。周囲は真っ暗で、奇襲には絶好の機会だというのに。それに、声自体に敵意が感じられなかった。
「それより、おまえこそ一体何者なんだ? まさか、ここを襲撃して俺の代わりにアイアンアントを全滅させた者ではないだろ? それか、村に雇われた用心棒なのか?」
「どれも違うな。俺は、サントハイム王国のマスコットキャラに殺されかけた最古にして最大の魔王ゾーマの忠実な下僕だったものだ」
「なるほどな、ゾーマのしもべか」
サントハイムについては初めて聞く名前だった。ゾーマの名前は聞いたことはあるが、こいつが本当にそうだとは信じ難かった。それはもう、神話時代の大昔の話であるし、いくら高位魔族には永遠に近い寿命があるからといっても、大半のこういった話は埋蔵金程度の信ぴょう性しか持ち合わせていないからだ。ネックはかつて同じように「ゾーマ第一の部下だった」といつも自慢する魔物を知っているが、そいつの言動は愚か者のそれで、周囲の気を引くためとプライドのために嘘をついているとしか思えないものだった。
「俺にもゾーマの部下で一人知っているやつがいるぞ。確か――
「バラモス」
聞き取りにくかったが、確かにそう聞こえた。ネックの額にある三つめの目が驚きに見開かれる。
なぜその名前を知っているんだ?
その問いかけを読み取ったように、闇の中の声は言葉をついだ。
「俺の元同僚だ。けっこうアホなやつだろ? でもまさか、生きていたなんてな」
「いいや、生きているというか、亡者となって現世にしがみついている、といった感じだ。バラモスはゾンビなんだ」
そういうと、闇の中から乾いた笑い声が木霊した。ネックはレミーラの光を声のした方に収束させたが、闇の中の人はそれを避けているようだった。まだ、こちらに姿を見せる気はないようだ。襲撃者ではないらしいが、これだけの素早さを持っているならそうであったとしても十分おかしくない。
「バラモスらしい。最後までゾーマに認められなかった、かわいそうなやつさ。嘘ばかりでうんざりするだろうが、あいつの話だけでも聞いてやってくれ。あいつだって誰にも話を聞いてもらえないなんて寂しいだろうからな。そう思うだろ?」
「そうだな」
「ひょっとして、バラモスは自分が地上攻撃軍の先鋒で、魔王随一の部下だった、なんて言ってなかったか?」
「ああ、その通りだ。俺はその話を何回も聞かされた。当然嘘だと思っていたんだが、どうやら俺のほうが間違っていたらしいな」
またしても乾いた笑いが木霊した。今度はさっきより大きい。ネックはまた声のした方へ剣の光を向けるが、そこには壁に描かれた血の文様があるだけだった。
ひょっとして俺は何かの幻覚に飲み込まれてしまったのか?
「いいや、ある意味間違ってはいない。というか、あいつは誇張して話すタイプだからな。地上攻撃軍先鋒というのは本当だが、それは左遷されたからだ。先鋒という名の事実上の捨て石だ。決して魔王随一の部下ではなかった」
「まあ、昔話はあとでゆっくりバラモスとするといい。彼も旧友と会えて喜ぶだろう。それよりききたいことがあるから単刀直入にきく。ここにあったはずのアイアンアントの巣を壊滅させたのは、お前なのか?」
しばらく間があった。あまりに長く感じたので、ネックは今までの会話は全て自分ひとりで闇に語りかけていただけなのか、とも思ったくらいだ。
「いいや、違う」
「では、だれがやったのか知っているのか?」
今度はすぐに返答があった。まるでそう聞いてくれるのを待っていたかのように。
「知っている」
「では、もうひとつきかせて欲しい。ここに来る途中にギガンテスの死体があったが、あの人は今回の事件となんの関わりがあった?」
「あの人? 知り合いなのか?」
「俺の武術の師匠だった」
「どうやら、俺たちは互いに必要な情報を持っているようだな」
ネックの照らす光の中から、闇自身が形を持って生まれでた。やがてそれはネックに向かって近づくうちに、光に洗われて徐々に本来の姿を取り戻していった。
「確かに、そうみたいだな」
闇から彫り出されたひとりのバーサーカーに向かって、ネックはポツリと言った。
クリフトが目を覚ますと、目の前にトルネコの顔があった。
「よぉ、やっと目を覚ましたようだな。心配したんだぜ。気分はどうだ?」
頭がズキズキ痛んで、とてもではないがそれに答えられるような状況ではなかった。
「クソみたいな気分って感じだな。ちょっと待て、今俺が治してやるよ」
トルネコがどうやって治すのか、と疑問に思う暇もないうちに壺の中に手を押し込められた。壺の中には何やらよく分からない感触の物体があるようだったが、それを押すと額を中心とした頭の痛みが吸い込みのツボで吸い出されたのかと思うくらい、速やかに消えていった。
「回復のツボってやつだな。ギャハハハハ!」
くだらないオヤジギャグ未満でなぜここまで笑えるのか? ぼんやりした頭ではっきりそう思った。
「それで、怪我も治ったところで頼みがあるんだがよ」
トルネコがそれを言おうとしたときだった。
「わあーー! 無事だったんだね、クリフト!」
アリーナの強烈なハグが、クリフトを締め付け、またしても意識が朦朧となった。それに今、背骨から嫌な音も聞こえたような気がする。
「おいおい、感動の再会はまだもうちょっと後だぜ」
ようやくトルネコが話して止めてくれなかったら、そのまま天国へ吸い込まれていたかもしれない。
「まあ、とにかくよ、死んだ仲間を得意のザオリクでスパッと復活させてやってくれよ」
クリフトはその前に自分自身にそれとなくベホマをかけた。まず自分の治療が先だ。
「ほら、こっちの棺桶に死体は入ってるからよ。なんかよ、勇者時代にやってたことを思い出さねえか? あいつも全滅したときまっ先に教会でクリフトを生き返らせて他の仲間を復活させてただろ?」
「ああ」
「あいつ、いつも俺だけ最後に復活させてやがったよな」
条件反射でつい“ああ”、と言いかけたがそれはなんとか押しとどまった。かといってこんなときになんて返答すればいいのかどうかも分からない。ザオリクを何回も使うとMPがなくなるが、そうなると宿屋へ泊まって回復しなければならない。一回宿屋に泊まると、また復活させるのにMPを使うのがもったいなくなってしまう。そうなるとトルネコを復活させるのは臭ってきてからでいいや、というパーティー内の奇妙な多数決が無言のうちに行われ、決定される。それに宿屋も死人からは宿泊料を取らないから、さらにいっそうこのままでいいや、ということを助長する結果にもなる。もっとも、レベルが上がってMPも増えれば一気に全員復活させることができるので、そんなこともなくなったが。それでも勇者は容赦がない性格だったため、復活させるのは(復活役のクリフトを除いて)「役に立つ順」か「好きなキャラ順」になっていたのは確かだ。
とにかく、クリフトは肯定も否定もせずに、その続きを待つことにした。
「まあ、そんなことはどうでもいいことだけどな。実際、俺は大した特技もない落ちぶれた商人さ。とにかく、早くこいつらを復活させてくれや」
トルネコはズラリと並ぶ棺桶を指して言った。
「全部で4人……ですか……」
「そうさ。まさか初っ端からここまでやられるなんてな。レベルも女王アリを倒した時点でそれなりに上がってたから普通、即死はありえないHPだった。まさかその初っ端からアイツに会うなんてよ、ツイてなさすぎだぜ」
アイツ……辛うじて思い出した。あのときはもうひとりの自分、まともでない方の自分が表面に出ていたから、本来の人格の自分が覚えているはずはない。だが、あまりに強烈な経験だったため、もうひとり(頭文字をとってK、とだけまともなクリフトは呼んでいた。もちろん、キチガイ、狂人のKという意味もある)には手に負えなくなったのだろう。だから自分に人格交代した。長らく人格の交代は行われていないから、かなり珍しい。
トルネコが棺桶のフタを開けてビックリした。中の死体はマーニャだろうか。ほとんど首がとれかけている。驚く暇もないくらい、トルネコは次々と棺桶のフタを開けていった。
ミネア――完全に首と胴が離れている。なぜかデジャブを感じた。
ライアン――肩から胸へ袈裟斬り。傷跡から判断するに、即死はしなかっただろう。相当の苦しみを味わいながら死んでいったのが容易に想像できて、またしても気分が悪くなった。
そして、ブライ。最近は教会の方針などで何かと意見の対立も多かった。本当に尊敬できる人間なのか、疑った時期もあった。だが、頭の半分が割れて中身がチラチラ露出している様子を見ると、暗闇の中で急に松明をなくしてしまったような不安感がこみ上げてきた。自分はこの人なしでまともな道へ戻れるのだろうか。やはり何があっても、自分にとって頼れる師だったのだ。
「ねえ、この人、本当に大丈夫なの?」
声をした方に振り返ると、見慣れない少年の姿があった。しばらく思い出すのに時間がかかったのだが、間違いなくポポロだ。トルネコの息子を見るのも久しぶりのことだから、時間がかかってしまった。
ポポロが明らかに非難の目を向けてきた。それは自分が呆然として、その間じっとポポロの顔を眺めていたことに対する不信感だろうか。その割には少しキツイ目つきのような気がした。
「まあ、見てろよ。クリフトの“死人もビックリマジックショー”、開幕だぜ」
そう言ってから、トルネコひとりの拍手がダンジョン中に響き渡る。その虚しい拍手の最中、ポポロのクリフトを眺める目つきがさらに厳しくなっていくように思えたが、これは自分の気にしすぎだろうか? それにこの状況、以前にも一度体験したことがあるような気がする。それとも勇者時代の経験とオーバラップしているだけなのだろうか……
クリフトはしばらくそんなことを考えていたが、拍手が止んでも肝心のマジックショーが始まらないのでトルネコが催促してきた。
「おいおい、何を悩んでるんだよ。それとも緊張してきたのか?」
「いや……」
ただ単にボーッとしていただけなので、言い訳を思いつくのにしばらくかかったが、思いついた言い訳はなかなかいい出来ばえだ。
「復活させる順番はどうするのかと思ってさ」
「順番?」
「そう。順番。勇者みたいにさ」
ここで免罪符を売る時に使用される渾身の笑顔(おばあちゃん、大丈夫ですよ、この免罪符さえあれば便秘みたいに溜まりたまった現世の罪もスッキリ爽やか!)をトルネコに見せた。トルネコは一瞬あっけに取られているように見えたが、それがクリフトにある懸念を巻き起こした。
ひょっとしたら、これはまずかったかもしれない。勇者がトルネコを最後に復活させていた、ということをあらためて思い出させたかも……
「ああ、そうだったな。適当にやってもらって構わないんだが、俺もたまには勇者待遇っていうのもいいかもしれねえ」
勇者に勝っているのは体脂肪率程度だろう。勇者は残虐性と悪知恵だけは群を抜いていた。おそらくトルネコでもかなうまい。魔法もある程度使いこなすし、知能という点においてもむしろトルネコを凌駕しているかもしれない。
ただ、そんなトルネコ、ネネに捨てられるまでは愛嬌のあったトルネコだったからこそ、本当に勇者待遇も“アリ”だと思えた。
ホント、俺もアンタもよくこんな神っていう売女のひり出したくっさい下痢グソ以下の世界で頑張ってこれたよな。
それに対して少しくらい報いてやってもいいはずだ。きっと神――この概念を思い出すとき頭の中に何か暗黒の想念が沸き起こったが、なにせ一瞬のことだったので無視した――もお許しになるだろう。
「それで、誰からにするんだい?」
クリフトが再度質問した。
「そうだな。やっぱ年功序列でライアンからにしてくれ。トルネコ軍団は古き良き雇用形態なんでな。ネネが聞いたら大笑いするぜ」
「別にもちろん反対するわけじゃないんだけど、年功序列ならブライさんが先になるんじゃないのかい?」
「そりゃ年齢じゃ確かに長者だが、トルネコ軍団はあくまで勤続年数による年功序列なんだ。ライアンは前の冒険の時から一緒だったから、一番勤務が長いんだよ」
「そういうことね」
「そういうこった」
だったらそうするしかない。
クリフトは気が進まないながらも、ライアンの棺桶へ近づいていった。やっぱり痛ましい傷跡は変わらない。
早く復活させて終わらせよう。そしてみんなで楽しい冒険へ出かけよう。そうさ、ワクワクするような冒険へ。
涙が出てきそうだった。ワクワクすることなんて今後一生ないだろうって分かりきっていたから。
とにかく、クリフトは柩の上に手をかざし、呪文を詠唱した。仲間がいれば、冒険も楽しくはならずとも、少しはマシになるはずだ。
――クリフトはザオリクを唱えた!
――ライアンは復活した!
棺桶から立ち上がるライアンを見て、トルネコはまたしても拍手を浴びせかけた。
「トルネコ軍団、軍団長さまのお帰りだぜ!」
ヒュー! パチパチパチ!
やったね、トルネコちゃん、仲間が増えたよ!
一体なんのネタだ? 自分の心の中で言っていて、自分で疑問に思った。
最も遠い世界からの帰還を祝って、二人は固い握手を交わし、肩を抱き合った。必ずしも目の保養になる光景ではないが、それなりに胸を打つものがあった。多分、教会の説教よりかは幾分感動的な光景だ。
「じゃあ、次は誰にするんだい?」
「そうだな。じゃあ、アンタが好きに選んでくれ。今度はアンタが勇者待遇だ」
「ではお言葉に甘えて」
クリフトはそそくさとブライの方へ歩み寄った。自らの師匠。後年は決していい師とは言い難かったが、それでも自分にとって大切な師だ。
またもや棺桶に手をかざした。
――クリフトはザオリクを唱えた!
――ブライは復活した!
「ブゥゥラボォォォォーーー! ヒューーーー!」
トルネコが歓声を上げて、拍手した。今度の拍手にはライアンとアリーナもいつの間にか加わっていた。まあ、社交辞令だろうが、それでもこれだけ持ち上げられると気分のいいものだ。勇者はやって当然といった態度で、あまり褒めてくれすらしなかった。ザオラルしか覚えてない頃に、3回連続でミスったときなんて明らかな批難の目を向けた。神がイカサマサイコロを振ったせいであって、クリフトのせいではないのは分かっているくせに……
まあ、昔話はもうウンザリだ。みんなもそうだろう?
残りの二人も適当に復活させて終わりにしよう。
クリフトはトルネコに言われた通り、ミネアの棺桶の上に手を掲げた。マーニャよりミネアの方がマシだと判断したのだろう。それはクリフトにもよく分かった。マーニャなんて魔法が使えなければただのギャンブル狂の売女に過ぎない。再就職(ていうかアイツ就職したことあったっけ? っま、どうでもいいや)するときには履歴書の「資格・特技」の欄に「売春(中出し最高!)、ギャンブル(スロットでスルのが得意です!)」とでも書いておけよ。俺の大切な……大切な……なんだこれは? 頭が痛くなってきた。こんなときに……こういう風に気分が悪くなってきたとき、俺はいつもどうしていた? 酒――最初は浴びるように飲んでいたが、その内効果がなくなってきた。飲み始めはいい。酒の味が分かるうちは、アルコールで気分が良くなっている時間だ。そのうち酒の味が曖昧になってくると、もうダメだ。だんだんと気分が悪くなっていって、飲む前より気分が落ち込んで死にたくなってくる。それか街中へ出て行ってザラキを連発したい気分か、どっちかだ。でもそんなことをできるわけがない。いいや、街中でザラキ連発はできないことはないが、あとあとザオリクで復活させるのが面倒だから嫌だ。となるとできることは限られてくる……
「おい、クリフト、一体どうしたんだよ? 気分が乗らなくなったのか?」
「いいや、何でもないさ、何でも……」
「どう見たって何でもありそうじゃねえか」
「クリフト、何か苦しそうだよ……」
アリーナが昔と同じ声で言った。昔と違ったアリーナと会った後。俺はどうした? 最後の希望もその希望自身によって打ち砕かれたとき、俺はどうした? あの後……城下町を一目散に逃げた後……カジノの裏側……怪しげな商人……白い……
クリフトの意識は禁断症状によって過去へと飛んでいった。そこではあの時たまたま出会った商人が立っていた。だが、今回の売人は格好はそのままで、顔だけトルネコの顔をしていた。
「よう、どうしたんだい?」
「気分が悪いんです……なんだかとても」
そう言うと、そこらへんにあった井戸――と思っていたのだが、実はミネアの分解済みフィギュアの入った棺桶――を覗き込むようにして座り込んだ。ほとんど倒れる寸前のような動きだったに違いない。
「どうしてなんだよ?」
「理由は……わかりません……」
ギャハハハハ! 売人がトルネコのような笑い声を上げた。
「わかるよ、それ。青春の悩みは原因不明の不治の病なんだよ。おとなしく年を取るしか治療法はねえ。でもな、その悩み、一つだけこの場でスッパリ解決できる方法があるかもしれねえぜ?」
「どうやって?」
顔を上げて売人の方を見やった。
「これさ」
売人は懐から透明なビニール袋に入った白い粉を取り出した。
ああ、これじゃん、これ。クリフトは懐かしい気持ちでいっぱいになった。久しぶりに昔の恋人と再開したような感じ。お前がいないと、やっぱり俺、ダメなんだわ。
「これ、欲しいんだろ? ん?」
ああ、そうだよ。早くその魔法の砂で人生をバラ色に塗りたくってくれ! 俺の栄光の人生! すばらしい冒険が待ってるあの世界へ!
「だよな。その力で俺たちも一緒に栄光へ導いてくれよ」
売人はクリフトに粉と吸引用の紙製ストローを渡した。
なんて気が利くやつなんだ。こりゃもう吸うしかねえわ。魔法の力でレッツ・プリキュアだぜ……
クリフト、いや、Kは喜び勇んで麻薬を吸引した。吸った瞬間の芳香で最高級のソレッタ産のものだと分かった。内部では吸引を押し止めようとする声がしたが、それはもはや虚しい努力でしかない。だんだんとその内部の声は井戸に沈んでいくように小さくなって、吸引した瞬間に完全に消え去った。
「おう、それで、気分はどうだい?」
「すっげえいい気分だぜ! 今世紀最大級のビッグウェーブが現在音速で北上中ぅううううううう!」
「そりゃすげえや」
いつの間にか売人は完全にトルネコになっていた。
「ところで、そのビッグウェーブにあやかって、こいつらをサクっと復活させてやってくんねえかね?」
「ヘイヘイヘイ! ホントにそんなことしちゃっていいの? 復活させるだけだから性格は以前のまま! 最悪な売女のままだぜ?」
「まあ、仕方ねえな」
「ああ! なんてこった! 俺の魔力じゃオッパイも大きくできねえ!」
「まあ、十分でかいと思うからそれでいいんじゃねえかな」
「アンタすげえ優しいぜ、優しさの塊、優しさ油田、優しさアラブ王だよ! マザーテレサのウンコくらいに崇高な香りがしてくるぜ!」
「そりゃどうも。俺みたいな奴がウンコ程度でもマザーテレサに近づけるなら望外の喜びってやつよ」
「マジで優しいよぉおおおおおお! こんなクズ、普通死んだらそのままほったらかしだぜ! それをそのままでいいから復活させようってんだから、マジでやさすぃいいいいいい! 正直に答えても俺は湖の妖精じゃないから金の斧も銀の斧ももらえないぜ?」
「別にかまわねえさ。俺は優しいから元の二人が復活してくれるだけでいいんだ。見返りを求めるなんて、人間ごときに許されることじゃねえ」
「スゲエエエエ!! 名言キタコレ! あんたマジでマザーテレサのウンコだぜ! 花壇にばらまけば幸せの花が満開全開ィィいいいいいいいい!」
「じゃあ、そろそろやってくれねえかな? 花壇にばらまいてやろうぜ。そんで幸せの花で埋め尽くしてやろうぜ」
「ああ、そろそろやってやるぜ! 見てな、俺の会心の魔力とオッサンの優しさのコラボレーション!」
――クリフトはザオリクと絶叫した!
――ミネアとマーニャは完全に復活した!
最後の復活の場面が大好きです。