それからモグラの棟梁に指示して、気絶したドラキーを縄で縛り上げてから地下通路を通じてバーベキュー会場に運び込んだ。あそこならどれだけ泣き喚こうが、外部に音が漏れる心配はない。バカ騒ぎをしても大丈夫なように、モグラたちが丹精込めて作ってあるからだ。
シーザーも、結局は他人の動かし方を知らない。
利害で動かす。理想だけでは人間もモンスターも生きていけない、ということだ。
――それがどうして分からないかな。
ポポロはイスに座って夕日を眺めながら、そう思った。収穫祭にはいささか早かったが、もう十分待っただろう。そのうちドラキーがいつまでたっても帰ってこないのを心配して、シーザーが村人を集めて捜索を開始することだろう。むろん、その中に真の村人は少なく、ほとんどはすでにポポロの忠実な飼い犬なのだが。
そんなこともシーザーは知らないだろうなあ……そう感慨深く考えていた。
ポポロでも、最後にこの村をぶち壊してしまうのは少しもったいないような気がした。できればこの村をなるべく残しておいて、集まった中から好きなモンスターをスカウトする、という風にできればベストなのだが、なかなかそんな都合よくいくわけもない。
それから、ポポロの思考はグレイトドラゴンの新しい名前を考えたり、今回新たに仲間にしたモンスターでどういう風に不思議のダンジョンを攻略していくか、という方向に発展していった。
ようやく日が沈んだ。暗くなったのでランプに火を灯そうとしたときだった。
またしてもノック。
扉を開けると、そこにはすでに忠実な番犬・キメラの姿があった。
「もしかしてやっと?」
ポポロはそう言った。
「ああ、ようやくですぜ。本当にシーザーは鈍感な奴でさぁ」
互いの笑い声が、薄闇の中で混じりあった。
「それで集合場所は?」
「屋敷の前の広場でさ。全員、直ちに集合とのこと、よろしくお願いまっせ」
「分かった、準備を終えたらすぐに行くよ」
「ところで、本当にこの作戦で大丈夫なんでっか?」
ポポロのシーザー洗脳作戦のことだった。すでにモグラの棟梁を通じて、全ての忠犬に作戦は指示してある。
「大丈夫さ。きっと、いや、必ずうまくいくから」
うまくいかなければ困る。
「うまくいったら全員で屋敷の前へ集合して、今までにない収穫祭をやるからね。そのためにとびっきりの肉を仕入れておいたから、楽しみにしていてよ」
「ああ、ホンマにみんな楽しみにしてまっせ。それじゃあ、ワイはこれから他にも伝令に行かなあきまへんので、ここらへんで失礼しまっさ」
キメラはバタバタとどこかへ飛んでいった。
ついに収穫祭が始まろうとしていた。
それもとびっきり盛大なやつが。
完全に日が暮れてあたりに夜の帳が降りた頃です。屋敷の前に集まったモンスターたちは、みな一様に沈痛な面持ちをしていました。それもそのはずです、村の最古参にして、村を陰ながら支えてきたドラキーが行方不明になったのですから。なるべく本人の事情を考慮して、志願して集まってもらいました。それでも、結局はほぼ全員が集まったのです。ドラキーのためなら、仕事など放り出してみんな駆けつけてくれたのでした。シーザーはその様子を見て、不幸中ながら少し頼もしい気持ちになりました。村のみんなで団結すれば、きっとドラキーも見つかるに違いありません。
「よし、全員集まったかい?」
シーザーのその言葉を聞いて、居並ぶモンスター全員が頷きました。ランプや薪の明かりによって、赤く照らされています。
「もうすでに話は聞いているだろうが、ドラキーが行方不明になった。何でも、屋敷の者の証言によれば昼過ぎに屋敷を出て行ったきりだそうだ。何か他にドラキーの動向を知る者は、遠慮なくここで述べてくれ。情報がないと、捜索もできないからね」
さっそくスラ吉とトリシーが一歩前へ歩み出ました。スラ吉が言います。
「そういえば今日の昼過ぎ、突然僕のところへやって来ました。別段、変わった様子もなく、僕とトリシーさんと三人で何気ない話をしていたんですが……」
「別におかしい様子はなかったと?」
「そうですね。少なくとも、話しているあいだはそんなことは全然感じませんでした。まあ、その日は珍しくかなりの長話になって遅くなってしまったようで、最後に別れた時には、早く屋敷に帰って残った仕事を片付けるって言っていました」
話を聞いていると、非常にドラキーらしいことでした。きっとアポロンの死による衝撃、動揺が、未だに収まっていなかったのでしょう。他の気の合う仲間と話をしに行ってそれを紛らわそうということでしょうか。
「そこで、何か変わった話題は出なかったかい?」
「変わった話題……?」
「そう。例えば、死後の話とか」
「ええ、少しだけですけど、そんな話をしました」
「それから俺の音楽談義の話になったんだ。音楽の着想が突然天から降って湧いてくるとかなんとか。ひょっとしたら、アポロンが俺に教えてくれているんじゃないかって言ったら、少し安心したような感じに見えたぜ。それからは全然別の話になっちまったけどな」
トリシーが言いました。
「少し前まで、様子がおかしかった。ドラキーは、一番アポロンの死に動揺していたんだよ。私もそれで何度か話をしたことがあるが、納得はしていなかった」
「そりゃ、納得できるような話じゃねえからなぁ」
トリシーが言うことは最もです。それだけに、嫌な予感がシーザーはしました。魔族の死因で多いのは、実は自殺なのです。戦乱の時代なので自殺の数は少ないでしょうが、平和なときに最も多いのは、自殺なのです。長い寿命に耐え切れず、死んでしまうのです。
まさか、あのドラキーが……シーザーはそう考えると、背筋が寒くなりました。
到底自殺を考えるほど思いつめていたとは考えられませんが、もしかしたらということもあります。
「ちょっと待ってください」
今度はポポロが言いました。
それで一同が耳を傾けます。
「さっきスラ吉さんは、話が終わってから屋敷に帰った、って言ってましたよね?」
「うん、そうだよ。でも、実際には屋敷に帰ってないみたいだけどね」
「多分、その後に僕のところに来たんだと思います」
一同が意外そうな顔をしました。シーザーも意外でした。なぜ、ドラキーはポポロのところへ行ったのでしょうか?
「何か、おかしい様子はなかったかね?」
「おかしい、ていうか、なんていうか、ちょっと疲れているような感じでした。僕はその時、モグラの棟梁と収穫祭の段取りを話し合っていたんですけど、なんだかとても疲れたような様子でした。本人は元気そうに振舞ってましたけど」
シーザーの嫌な予感は、その話を聞くとますます高まっていきました。
もしや……そう思うと、いてもたってもいられません。
「それはいつのことだね?」
「ええと……まだ夕暮れにはなってなかったと思います。でも、日はかなり傾いていました」
時間的にもスラ吉、ポポロの順番で回っていったのでしょう。
「それで、モグラの棟梁はここに集まってきているのかい?」
シーザーはポポロの言っていることを棟梁にもきいて確かめようと思いました。
「いえ、棟梁はアメフラシさんを看病しています。最近のアメフラシさん、少し体調が悪いようなので」
「そうか、分かった。まあ、何人かは村に残っておいてもらった方が安心できる。とにかくポポロ君の証言は、時間的にも矛盾がないな。それでは、この中で夕暮れ前後にドラキーの姿を見たものは他にいるかい?」
シーザーの問いかけに、みんなじっとしていました。それぞれが焚き火に煌々と照らされた、不気味な影のようです。
「ということは、ポポロ君を訪問したあと、何かあったということか……」
そこでスラ吉がワナワナと震えながら口を開きました。
「シーザーさん、落ち着いて聞いて欲しいんです……」
「どうしたんだい、急に」
「これから言うことには、真実と推測が含まれています。でも、落ち着いて聞いて欲しいんです」
真面目なスラ吉がここまで切迫して言うのだから、何かあるのだろうと思い、とにかく黙って聞くことにしました。
「最近、僕の家からゴールドが盗まれたんです」
シーザーはかなりの衝撃を受けました。ちょっと不謹慎だと自分でも思いましたが、アポロンが死んだことよりも衝撃を受けました。生き物はいつか必ず死にます。それは
仕方のないことです。でも、この村で盗みがあったなんて……最も信じたくないことでした。
「最近、というのは正確でないかもしれません。僕が金庫の中身を見たのが最近なだけで、実際はもっと前に盗み出されたのかも……それは分かりませんが、とにかく、僕の金庫の中からゴールドが消えていたことだけは確かです……」
「いつ気づいたんだね?」
「2、3日前のことです」
「どうしてその時言わなかったんだ?!」
シーザーはもしかして自分が信用されていないのではないかと思い、少し語気が荒くなってしまいました。
「ごめんなさい……」
スラ吉は泣きながら懇願するように言いました。
「言おうと思ったけど……こんなことを言ったらみんなが楽しみにしていた収穫祭がなくなってしまうかもしれない――そう思って……僕があともうちょっとだけ黙っていれば、そのうち収穫祭も終わる。僕がちょっとだけ我慢すれば……そう思って、終わってから相談しようと思ってたんです」
シーザーはそれを聞いていたたまれない気持ちになりました。確かに、もし気づいたときにスラ吉がシーザーに告げていれば、収穫祭はなくなっていたでしょう。スラ吉の板挟みになった気持ちはよく分かりました。
「分かった。もう、過ぎたことを悔やんでもしょうがない」
「きっと、僕の金庫から金を盗み取った奴が、ドラキーさんを誘拐したんだ……僕が勝手に気を利かせたせいで、ドラキーさんをひどい目に合わせてしまって……」
それまで言うと、スラ吉は泣き崩れて、後は言葉になりませんでした。
他の村人たちも、ただ黙ってスラ吉を見守ることしかできません。全員、少なからず衝撃を受けているように見えました。
「そんな金を盗んだ奴、許せねえよ」
ネックが勇ましく言いました。
「多分、村の者じゃない。絶対外部の奴が侵入して盗んだんだ。この村のやつが盗みなんてするわけねえよ」
シーザーもそれだけを信じたいのは山々でしたが、今はドラキーを探すことが先決です。
「とにかく、今はドラキーを一刻も早く見つけ出さなくてはならない。わかっていると思うが、最悪な事態はどんなに手を尽くしても避けなければならない」
シーザーの言うことは村人全員が感じていることのようでした。
「とにかく、今までの情報を合わせてみるに、ドラキーは誘拐された可能性が高い。そしてその誘拐犯は、過去にスラ吉の金庫からゴールドも盗んでいる。あくまで推測でしかないし、最悪な考えだが、今はこの最悪を想定した上で捜索を開始する。
そこで、ここに集まってもらった者たちに、一つだけお願いがある。それはこの捜索に命の危険があるから頼むのだが、一部の者を除いて、捜索から降りて欲しい。これは君たちの安全のためなのだ。犯人はスラ吉の金を盗み、さらにドラキーを誘拐した。むろんこれも推測でしかないから、もしかしたらドラキーがふらっとどこかへ出かけて迷子になっただけ、というのもありうる。しかし、最悪の事態を想定してそれに備えておかなくてはいけない。万が一にもこれ以上の犠牲を出してはいけないんだ。残るものは、屋敷で防衛の準備をして欲しい。それで後顧の憂いなくこちらも探索できる。それにもし誘拐なら、犯人から何らかの要求があるはずだ。そのときのためにも、屋敷に誰かいた方がいいだろう。みんな、分かってくれたね?」
「分かりました」
とポポロが一段とハッキリした声で言いました。
「それをわかった上で、僕も捜索隊に参加します」
「ポポロ君、君のやる気はわかるが、あまりに危険なんだよ」
「大丈夫です、俺がしっかり守りますから」
ネックが頼もしそうに言いました。
「人数はひとりでも多いほうがいいし、ポポロは頭がいいからきっと何か的確なアドバイスをくれると思うんです。ポポロも覚悟しているし、こんなときのために武術や魔法を学できたんです、今こそその成果を発揮してやりますよ」
もはやシーザーは何も言うことができませんでした。
悲劇が起こりましたが、そのおかげでネックの思わぬ成長ぶりを見ることができたのです。わずかですが、シーザーには慰めになりました。と同時に、自分を奮い立たせもしました。
「シーザーさん、僕も……!」
スラ吉は言いましたが、すぐにトリシーによって遮られました。
「スラ吉さん、俺が言うのもなんだが、あんたは少し休んだほうがいいと思うぜ。そんな消耗した状態じゃ、かえって足手まといだ。俺と一緒に屋敷に立てこもるんだ。それにアメフラシの面倒も、お前が見てやるのが一番いいだろ?」
普段は全く頼りにならないトリシーでしたが、このときばかりはトリシーの言い分が最もでした。
「……うん、分かったよ。僕はそうする」
「シーザーさん、というわけで、俺とスラ吉さんは屋敷に残るよ。なあに、俺だって一応はドラゴン族だ、炎や吹雪の耐性だけはあるから、いざって時は盾くらいにはなる。安心して捜索してくれ」
「ああ、それじゃあ、屋敷はトリシーに任せよう。よし、早速捜索を開始しよう。キメラはすぐに村の他のモンスターに今のことを言って、みんな屋敷に立てこもるように連絡してれ。ゴールドなど、貴重品だけ持って避難するように。武器防具は屋敷の中にあるから、立てこもったらトリシーの指揮に従ってくれ。
私はひとりで探索する。ギーガ、ネック、ポポロは3人ひと組になって捜索、キメラは連絡が終わったら、すぐに上空から怪しいことはないか偵察。あくまで偵察だから、身の危険を感じたらすぐに逃げること。もし何か発見したら、そのときは私かギーガ組へ連絡して欲しい。以上。何か疑問、質問はないかね?」
誰も、疑問の挟みようがありませんでした。
「それでは各自、身の安全だけは最大限注意を払うように! これより捜索を開始する!」
シーザーの号令一下、各自がそれぞれの持ち場へ奔走しました。
むろん、その最中に闇の中でほくそ笑むポポロの顔など、シーザーにも他のモンスターにも見えるわけがありませんでした。
屋敷に集まったモンスターたちは、めいめいに武器や防具を取って、早くも臨戦態勢を整えました。そうやって、キメラが集めてきた他の村人も屋敷の中へどんどん招き入れました。シーザーは貴重品だけ持って、と言いましたが、ほとんどの村人はゴールドなどとうの昔に使い果たしていたので、持って来ようもありません。
そうした中で、屋敷への籠城が始まりました。
最初は不安の中で始まった籠城ですが、そのうち慣れてくると、だんだん退屈になってきます。それにお腹も空いてきます。いつもはそろそろ寝る時間ですが、寝ずに捜索組を待たなくてはなりません。
最初にその口火を切ったのはイエッタでした。イエッタは食料庫の樽や壺を持ってくると、豪快に貪り始めたのです。
「うんめぇ~~! やっぱ腹減ってると何食ってもうんめぇよぉ~~」
最初は集団で咎めていたモンスターたちですが、イエッタのあまりの食いっぷりに自分たちも我慢できなくなってきました。すぐに輪になってイエッタと一緒に食料庫の食料を食べ始めました。そうなると、当然ながら屋敷の警備は手薄になります。
この屋敷を任されているトリシーは、すぐに異変に気づきました。警備にあたっているモンスターの数が急激に少なくなったからです。
「一体、どうしたっていうんだよ?!」
「そういえば、アメフラシさんもいないや」
さっきまでスラ吉が看病していたのですが、ちょっと目を離している間に、もういなくなっていました。まるで屋敷中が空っぽになってしまったようです。
これもまさか犯人の仕業か……!?
そう二人共そう考えました。そして屋敷を見回りました。
答えは簡単に見つかりました。
みんな、台所に集まってめいめいに食い散らかしていたのです。さすがのトリシーやスラ吉も、このときばかりはカンカンに怒りました。
「おい、お前ら! 一体何やってるんだ!」
突然、トリシーがあまりに大きな声でそう言ったので、一同はビックリして食べる手を止めました。大体、いま村のみんなが食い散らかしている食料は、収穫祭で振舞われる予定の、腕によりをかけた料理であるはずです。それをシーザーの許可もなく、勝手にくい散らかすなんて……しかもその中にはさっきまで病気で臥せっていたはずのアメフラシまでいます。
「なんでこんなことをやってるんだ? これは収穫祭で食べるやつじゃねえか」
半ば呆れ、半ば怒りでした。こんな体たらくなら、村の中で盗みを働いたというのも納得できるというものです。みんなバツが悪そうにしている中、ひとりイエッタだけがガツガツとかきこんでいました。
トリシーはノシノシと台所を横切って、イエッタの傍まで行くと、尻尾で料理を払い落としてしまいました。
「おいおい、どうしたんだよぉ、こんなもったいないことしてぇ」
「いい加減にしろよ、白豚野郎」
トリシーのあまりな怒りっぷりに、周囲のモンスターは息をするのもためらう心境でした。ただイエッタだけは、なぜトリシーがこんなに怒っているのか全く分からない、といった態度です。
「てめえ、今自分が食っているのが何か分かってんのか?」
イエッタは手についたソースを舐めてから、ゆっくり答えました。
「収穫祭で出される予定だった料理だろぉ。そんなくらい言われなくても分かってるよぉ。それより白豚野郎っていうのはオイラのことかいぃ?」
彼以外、一体誰がいるというのでしょう。
トリシーの、普段は竪琴を優雅に引く指が、全く同じ優雅さをもってクロスボウの引き金にかかりました。クロスボウには矢がつがえてあります。
「おいおいぃ、そいつを一体どうする気なんだよぉ~」
しかしイエッタには全く狼狽する素振りは見えません。クロスボウの照準はイエッタの頭に向けられていても、です。
「お前、俺に撃つ気がないと思っているんだろ……」
「そんなこと、できるわけねえよぉ。落ちこぼれのウーパールーパーによぉ~。へへへぇ~」
そう言いながら、イエッタの舌はベロベロと動いて、皿にへばりついていた残飯まで綺麗に舐め取ってしましました。それから、その皿を厨房の上に無造作に置きました。
「ああ、うまかったぁ。どうだい、トリシーも一緒によぉ。ちょっと早い収穫祭ってやつさぁ」
「お前は、ちょっとばかし知恵の足りないところはあるけど、正直でいい奴だと思っていたよ」
「急にどうしたんだよ、まるで葬式のときみたいな顔してさぁ。あの時みたいにオイラにも専用の音楽作ってくれよぉ」
トリシーの指が震えました。おそらく怒りによって。そこには村人を殺してしまうかもしれないという恐怖もあったのかもしれません。
「今すぐに謝れ。いや、俺にじゃない。この村の代表であるシーザーにだ。今ここで謝れ。それから、すぐにお前たちが散らかしたものを片付けるんだ!」
「腹いっぱいになったらやるよぉ」
「今すぐにやれ!」
トリシーの怒号のあと、あたりはシーンとなりました。
トリシーは怒りに冷静さを失っていましたが、スラ吉はこのときはこの場の誰よりも冷静でした。少し前にシーザーにゴールドを取られたことを告白して、気持ちも整理もついたからでしょう。また、激昂するトリシーに対して自分だけは冷静さを保っておかなくてはならない、と用心する気持ちが強く働いたこともあるでしょう。何しろ、一歩間違えればトリシーは村人を殺してしまいかねないのですから。
そんなスラ吉が冷静に周囲のモンスターを見渡してみると、予想していた様子とは違いました。きっと激昂したトリシーを見て、みんなちょっとは反省の色を見せてシュンとするのではないかと考えていたのですが、どうやらそんな雰囲気ではないようです。全員、怪しく目を光らせながらトリシーとイエッタを眺めているのです。
そこには悪意が満ちている――スラ吉はそう考えて、それを打ち消そうとしました。しかし気配で感じてしまうものは、どうやっても打ち消しようがありませんでした。
「早くやれって言ってるだろ!!」
トリシーが沈黙に耐え切れないように怒鳴りました。それはイエッタに向かって、というよりは静寂そのものへ向かって怒鳴っているように、スラ吉には見えました。
二人を眺める周囲のモンスターたちは、相変わらずの冷たい視線でこの騒動を見つめています。まるで筋書き通りの芝居を見るような目つきで。
「プププッ」とイエッタ。
「……ははっ」とモンスターたち。
やがて何回か忍び笑いが漏れましたが、それはだんだん忍び笑いから笑いの洪水になって、屋敷中に響き渡りました。それは夜の空気の中でさらに狂気的に響きました。
「ギャハハハハハハ!」
トリシーとスラ吉をのぞく、モンスターたちの大合唱です。
スラ吉はこの時点である予感を抱きました。ひょっとしたら、これは全て仕組まれていたのではないだろうか、と。
「何がおかしいんだよ、お前ら!」
「ギャハハハハ!」
トリシーの言ったこと自体が面白いとでも言いたいように、一層笑いの渦は激しくなりました。その渦の中に、トリシーは飲まれかけているように見えました。
そこで、スラ吉はトリシーに耳打ちしました。
(もうここは放っておいて戻ろう)
(……)
トリシーは答えませんでした。
その沈黙が、スラ吉の不安をかきたてました。彼もまたドラゴン族なのです。本来心の中に激しさを持つ魔族なのです。この場で冷静さを失って何をするか分かりませんでした。
ようやく、笑いの渦は収まりました。
「てめえら、いい加減にしろよ」
トリシーはボウガンを構え直しました。
イエッタはあの茫洋とした表情でしばらくトリシーを見つめていましたが、やがて薄笑いを浮かべると
「おいおいぃ、ボウガンはぁ」
そう言うとボウガンを手でつかみ、自らの眉間にピッタリと寄せました。
「ちゃんと狙わなきゃダメだぞぉ~」
スラ吉は驚きを隠せませんでした。何よりトリシーもガタガタ震えています。こうなってしまえば、本当に撃ってしまうしかないからです。向こうからのあからさまな挑発なのです。そして眉間に密着させてしまえば外しようもありません。その確実に村人の命を奪う状況にあらためて陥ると、トリシーの覚悟も揺らいできたようでした。
「俺に殺させるのか……?」
「何言ってんだよぉ。さっきまで本気でやる、みたいなこと言ってただろぉ? しっかりやってくれよ、みんな期待してるんだからさぁ」
トリシーは助けを求めるように周囲を見回しましたが、その目は本当に黒い期待に輝いていたのです。トリシーは愕然としました。
それはスラ吉も同様でした。もはや、本当に村人たちは狂ってしまったのだと、悲しい気持ちにもなりましたが、今はこの窮地をどうやって脱出するかが心配でした。
「さあ、早くやれよぉ。もう待ちくたびれたよぉ」
イエッタの間延びした催促です。
トリシーはしばらくガタガタ震えるボウガンを眉間に向けて構えていましたが、しばらくすると諦めてそれを下ろしました。
「おいおいぃ、どうしたんよぉ? 本気でやるんじゃなかったのかいぃ?」
「ああ、気が変わったんだ。済まねえな」
「いいやぁ、別にいいよぉ。気が変わったんなら、オイラたちと一緒に宴会しようよぉ~」
トリシーは力なく微笑みました。
「それは遠慮しとくよ。お前らだけで楽しんでおいてくれ」
そう言い終わらないうちに、トリシーはボウガンを振り上げました。
「ただし夢の中でな」
そしてイエッタの頭にふり下ろしました。ボウガンは、そのままイエッタの頭を直撃するかにスラ吉には思えました。普段のイエッタはトロくさく、機敏な動きなどできないから、きっとこのトリシーの攻撃を防げないだろう――しかし目の前の光景は完全にその予想を裏切っていました。まるでそう来るだろうと予知していたかのように、イエッタの毛深い両手はボウガンをがっしり捕まえていました。トリシーも必死に押し返そうとしますが、イエッタの方が単純な力では上なので、もはやどうしようもありません。
「へへっ、だから言っただろぉ、ちゃんと狙わなきゃダメだってぇ」
「クソッ!」
「トリシーさん……!!」
思わずスラ吉もそう言葉を漏らしてしまいました。
「スラ吉、お前は今すぐここを抜け出せ! そしてシーザーにこのことを報告するんだ。それから、容赦するな、とも伝えておいてくれ。こいつらはもう俺たちの知ってる奴らじゃなない……中身は別人だ」
「そんな……」
そう言っている間に、イエッタはあの真っ赤な蛇を口の間から伸ばして、トリシーの首に巻きつかせました。そして徐々にトリシーを締め上げていったのです。トリシーは両手が離せないので、もはやどうしようもありません。
「はや……ぐ……にげ……ぐえっ……」
スラ吉は逃げようか迷いました。しかし、トリシーを見捨てて逃げるなど、この時のスラ吉には到底できませんでした。
床に落ちたボウガンがひどく大きな音を立てました。トリシーの口が空気を求めてパクパク動いています。それを見たとき、スラ吉の体は勝手に動き出していました。
イエッタに必死に体当たりしたのです。しかしスラ吉の渾身の体当たりは、イエッタの分厚い脂肪と体毛に覆われた体に弾かれて全くダメージを与えることができません。それどころか、体当たりするたびに弾かれて地面に転がってしまう始末です。
その様子を見て、またしても周囲のモンスターたちの間から嘲笑の嵐が巻き起こりました。
「ハハハ! いいぞ、もっとやれ!」
「努力すれば夢はきっと叶う! その調子で頑張れ! ギャハハハハハ!」
「ヒューヒュー、お熱い友情だねーー! そのまま灼熱の炎だ!」
「ギャハハハハ! ギャハハハハ! アホらしいぜ、全く!」
もはや周囲の景色もかすんできました。それは自然と流れ出た悔し涙のせいでもありました。疲れて視点が定まらなくなってきたからでもありました。そしてこの異様な状況で、もはや周囲の情報を整理できないからでもありました。何回も床に叩きつけられて、意識が朦朧としてきたのもありました。
それでも、スラ吉は体が動く限り体当たりを続けました。すでにトリシーは完全に動かなくなっていました。それでも、体当たりを続けました。
そして最後の体当たりをしました。案の定、弾かれて床に転がりました。
もう、スラ吉は立ち上がることもできません。
最後に薄れゆく意識がとらえたのは、周囲から湧き上がるより一層大きな嘲笑だけでした。
負けるもんか……
スラ吉のまぶたがゆっくりと落ちました。
それでも僕は……――
スラ吉、もはや死んだ方がマシなんじゃね説