シーザーが飛んで来た時には、もはや屋敷は完全に火に包まれてどうしようもなくなっていました。今から輝く息を吐いたところでほとんど無意味でしょう。
シーザーの頭の中には色んな考えがひしめき合っていました――犯人は誰なのか、そいつの目的は何なのか、ここに避難させた自責の念、今まで必死に築き上げた努力の結晶が無残にも消え去ってゆく虚無感、どうして自分たちはこんなにも辛い目に遭わなければならないのか――そして何よりドラキーや村人がどうなってしまったのか。
シーザーが何も守れなかった無力感に打ちひしがれ、呆然と炎のダンスを眺めていたときです。周囲の茂みから音がしました。
とっさに振り向くと、そこにはももんじゃがいました。ももんじゃが合図を送ると、茂みの中からワラワラと村人たちが出てきました。
――よかった!
どうやら神様は全てを奪い去ったわけではないようです。甚大な被害を受けましたが、まだ村人が生きている限りこの村の精神は死んではいません。
「もう大丈夫だよ」
半分はシーザー自身に言い聞かせていました。
「一体何があったんだね?」
月光と炎に妖しく照らされた村人は、シーザーを見つめたまま何も答えませんでした。
「ああ、すまない、私が守ってやれなかったばかりに……」
きっと村人はあまりのショックに呆然自棄になっているのでしょう。シーザーはこのときはそう考えていました。
「頼む、なんでもいいから知っていることを話してくれないか? 私も何が起こったのか知りたいんだ」
村人は相変わらず無言のままシーザーを見つめていました。いや、見つめているというより睨んでいるという感じでした。シーザーは今まで村人にこんな目で見られたことがないのでとても戸惑いました。
「一体何があったんだね……?」
「ファッキンドラゴン」
「え?」
「お前はクソッタレなファッキンドラゴンなんだよ、今すぐ死ね」
「な……」
ももんじゃが一体何を言っているのか、シーザーには全く理解できません。
「私の戦略ミスで屋敷に戦力を残していかなかったせいでこんなことになったのは、確かに私にも落ち度はある、謝ろう。とにかく、今、ここで何があったんだ?」
「てめえの落ち度はそれだけじゃないぜ。というよりそれ以前の問題さ」
一体何が問題なのか、シーザーにはいくら考えてもさっぱり分かりませんでした。
「この屋敷を襲ったのはな、あのドラキーなんだよ」
ももんじゃの言ったあまりの内容に、シーザーは度を失いました。
「ドラキーは魔王軍のスパイだったんだよ。ドラゴラムで変身して屋敷を襲いやがった。トリシーが必死に庇ってくれたから、俺たちは何とか逃げることができた。でも犠牲者だってたくさん出たさ。全部お前が一番信用していたドラキーのせいでな!」
「それは……本当なのか……?」
あまりに現実離れした内容に、シーザーはももんじゃの言うことがすぐには信じられませんでした。ドラキーは昨日今日知った仲ではないのです。ドラキーが奴隷の頃から知っていたのです。そしてシーザーの理念に共感して、まっ先に村へ参加したいと言ってくれたのもドラキーなのです。そんなドラキーが……一体なぜなのでしょう?
「ヘッ、おい、聞いたか、みんな。本当か、だってよ。俺たちが死にそうな目にあった、ていうのにまだ自分のお気に入りの方が気になるんだな」
「待ってくれ、私はそういう意味で言ったのではない。君たちを疑いたくはない。ただ、ドラキーをよく知っている私にはどうしてもそれが本当だと、すぐには信じられないんだ。だから、もっと詳しく話してくれないか?」
「これ以上何を詳しく話せばいいのか分かんねえよ。ただな、あいつは俺たちに金庫を渡すように要求してきたよ。きっと中の金が欲しかったんだろうな。他にも、もう魔王軍に寝返ったとかなんとか、よくわかんねえこと言ってたぜ。俺たちが断ると、激しい炎を吐いて屋敷ごと焼き払いやがった」
「そ……そんな……」
「お前は人を見る目がないんだ。ただのお人好しドラゴンなんだよ! だからドラキーにも騙されるのさ。せっかく強いのにそれを生かすことなく、ただ偽善者ごっこしてるだけのクソ野郎さ!」
そうだ! そうだ!
ももんじゃに同調する歓声が、一斉に上がりました。
「てめえには何も守れねえ! てめえの本当の強さってやつを信じた結果がこれだ! てめえの言うことなんて全部嘘っぱちのバッタもんだったんだよ。そのことにいい加減に気づけよ、このファッキンドラゴンめ!」
ファッキンドラゴン! ファッキンドラゴン! ファッキンドラゴン!
ももんじゃに続いていたずらモグラ他のモンスターたちも一斉にそう言い立てた。
それから先もももんじゃの“お説教”は立板に水を流すように流暢に行われた。それは緩急をつけて周囲の群衆を巧みに操りながら行われ、ももんじゃの才能にポポロも感心したくらいだった。事前に原稿を用意しておいたのならともかく、完全な即興演説なのだ。きっと、普段から不満があったに違いない。あっても当然だろう。ここは事実上、シーザーの専制君主国家なのだから。当然えこひいきもそれとなく行われる。表面上どれだけ平等などと謳ったところで、結局本心の嫌悪や軽蔑は完全に隠しきれるものではない。
例えば買い出し制度などそうだろう。仮に二匹のモンスターが同じものを頼んで、たまたまそれが一つだけ買えたとしよう。それはどちらに渡すのかというと、結局はシーザーのお気に入りが優先される。絶対ではないが、そんなケースはポポロが村に来てからの短い期間の間にもよくあったことだ。手に入れられなかったモンスターは不満に思うだろうが、それは「君の方が村に来た期間が短いから」というような、どうとでもいい理由を作り上げればいいだけだ。
ももんじゃの演説には当然嘘が含まれていたが、そういう意味ではそれ以上の真実が含まれていた。
これは、紛れもない村人の本心なのだ。シーザーはそれを聞いて今、何を思っているのだろう。ポポロには分かるような気がした。というのも、ポポロもネネに商店街の惨状を話したときに、同じように説教されたからだ。
――まあ、ポポロは優しいのね。でも覚えておきなさい、商売というのは戦争なのよ。金をやりとりするか、命をやり取りするかの違いはあるけどね。そして最後に強い者だけが生き残るの。そうやって人間も社会も前へ進んでいくのよ。
――でも、あの人たち、店がなくなっちゃったら仕事がなくなって死んじゃうかもしれないよ?
――大丈夫、人間、命さえあれば何かやって生きていけるわ。
――父さんがまだ店を持つ前に世話になった店もあるんだよ? それも潰したっていいの?
――まあ、なんてことを言うの。まるで私が悪者みたいじゃない。私はね、ポポロやあの役立たずの豚のために一生懸命商売に打ち込んだわ。豚がそこらへんから仕入れてきた鋼の剣や鎧とかを、定価より高値で売りさばいて儲けを出していたの。朝から早起きしてお弁当も作りながらね。そして寝る間を惜しんで商売の本を読んで、自分の才能を磨き続けたわ。確かに、お店を持つまでは豚も頑張ったわね。でも豚の頑張りは所詮そこまでなの。私が店を大きくした。それで、あの豚が世話になった店の店主は、私より努力したと思う?
――うんうん。母さんは誰にも負けないよ。
――そうよ。でも逆に言うと、もしかしたら私たちだって一歩間違えばあの店主みたいになっていた、っていうことなのよ。私たちが新しい店を買った瞬間から、戦争はすでに始まっていたの。戦争にみんなが納得いく結末なんてないわ。でも一つだけ言えるのは、昔の店が消えた替わりに、私たちの経営する、新しくて品揃えも値段も申し分ない店が出来たってことなの。これが進歩なのよ。私たちのおかげで、買い手はよりいい武器を安く買えるようになったし、経済も発展した。ポポロは店一件と全体の経済と、どちらが大切だと思う?
――全体の経済。
――そうよ。誰もがそう答えるし、私もそう思うから、そう信じて頑張ってきた。古い男たちがやる古い商売なんて、もはや時代遅れでしかないのよ。
――でも、あの人たち、やっぱりかわいそうだよ。
――それはもしかして豚の言ってることなの?
――父さんもそう言ってる。でも、僕もやっぱりかわいそうだと思うんだ。もちろん、母さんの言ってることも正しいと思うけど……
――ポポロはまだ子供だから分からないのね。これだけはどれだけ言っても仕方ない話だわ。どちらが正しいか、私たち二人を見比べながらよく考えなさい。ポポロにはそれだけの時間が充分あるから……
それで選んだポポロの答えが、今、この状況だった。結局、ポポロにはネネの言っていることはただの大義名分にしか聞こえなかった。実際には自らの金――それも膨大すぎてもはや使い切れないような金額の金――をさらに増やすために全体経済に痛みを押し付けているだけではないのだろうか?
まあ、今はそんな経済学の話をしている場合ではない。
シーザーは完全にももんじゃの演説に打ち負かされていた。今、本丸は完全なる無防備な姿をポポロの目の前にさらけ出している。今ならちょっと指でつついてやるだけでシーザーの心は簡単に崩れ去るだろう。
ここまで作戦通りに進んだのは、戦略と事前の準備が良かったからだろう。思い切った先行投資もよかった。それに忘れてはならないのがももんじゃの弁舌の才能。人間でも人間でなくても、芸は身を助けるのだ。最も、こいつらは肝心の戦略がないので自らの身もすぐに滅ぼす結果になるだろうが。
ソロリと足音を立てないようにして、本丸に近づいていった。一歩ずつ、着実に。心拍が驚異的に早まっていったが、それになんとか耐えて一歩ずつ慎重に足を動かしていった。着実に距離を詰め、シーザーまであと数メートル。そのまま慎重に距離を詰める。
村のモンスターの中の何匹かは、ポポロの行動に気づいたようだ。目線をこちらに動かしている。
――何やってんだよ、クソザコどもが。
この目線の動きだけで気づかれる可能性は大いにある。ただ、今のシーザーは完全に茫然自失状態で、さらにももんじゃの演説に聞き入ってしまっている。
とにかく、ポポロはなるべく動揺しないようにしてシーザーへと近づいていった。
そしてついにシーザーのしっぽを掴んだ。
と同時に、その弱った心も鷲掴みにした。
シーザーはハッと目を覚ますと、そこにはもう誰もいませんでした。あれだけ盛大に燃え盛っていた屋敷もすでに冷たい死骸になっていました。周囲を見渡しましたが、村人たちもいなくなっていました。
明らかに様子がおかしい……
シーザーはとても不安になりました。もはや途中から罵倒になっていましたが、それでも見知った村人が急に消えたら不安になってしまいます。
しばらくは異様な光景に辺りを警戒していましたが、どうやら周囲には本当に誰もいないようでした。
シーザーはがっくりと肩を落としました。自分のやってきたことは、結局またしても失敗してしまったのです。これからは一体何をしていけばいいのでしょうか? みんなシーザーのやることを貶しますが、では結局何をやればいいのかは誰も教えてくれませんでした。そんな中、必死の想いで見出したこの村づくりだったのです。それも否定されました。それでこれから何をしろというのでしょうか?
何も分かりませんでした。
とにかく、シーザーは屋敷の燃え跡を調べてみることにしました。
自分の過ごしてきた時間が、灰になって横たわっていました。
――あの村の歴史書、結局完成させることはできなかったな……
うっすらとそう後悔しましたが、村を完成させることもできなかったのです。どちらにせよそれで良かったのかもしれません。
――村もいつか死んでしまうんじゃないんですか?
ドラキーの言葉が聞こえたように感じました。まさかこんなにも早く死んでしまうなんて思ってもみませんでした。それも言ったドラキー本人の手によって灰塵になってしまったのですから、皮肉としか言い様がありません。
しかし、どうしてもシーザーはあの時のドラキーの言うことが嘘や演技に思えませんでした。あれが演技なら天空にいるというマスタードラゴンでも簡単に騙せるでしょう。
書斎に行ってみました。当然、全ての本が黒焦げになっていて、その中に読めるものなどありませんでした。
残った場所も、全て同じです。最後に、金庫のある部屋を覗いてみました。ドラキーはいつもここで帳簿をつけていたものです。今となってはもう二度と帰ってこない時間です。ドラキーが騙していたのであれ、ああやってドラキーと過ごした時間は何よりもかけがえのない時間でした。違う種族のモンスターでも、心は通じ合える――今の魔界に生きていてそう思える、数少ない、あまりに少なすぎて頭がおかしくなりそうなくらい少ない時間でした。
シーザーは生きてきた時間のほとんどを、魔物の心の中にある、本当の魔物との戦いに費やしてきました。今、その戦いに完全に負けてしまいましたが、その戦ったことだけには何か意味があると、それだけは信じたいと思いました。そう、今まで誰も戦うことすら思い浮かばなかったのですから、それだけでも充分な戦果に思えました……
それでも――勝ちたかった。
切実にシーザーは思いました。
そのまま立ち去ろうと思いました。その時、何か物音がしたのです。注意深く耳をすませました。この空間の中に、自分以外の誰かがいるかもしれないのですから。
ガリガリ。
確かに聞こえました。音のする方向を探ってみると、どうやら金庫の中のようです。
一体なぜ金庫の中から?
当然そんな疑問が湧いてきましたが、とにかく開けてみたいという好奇心、そして何かこの状況を打開する手がかりになるかもしれないという期待も同時にありました。
シーザーは月光だけを頼りに何とか暗証番号を入力しました。入力している間も、中から催促するようにカリカリという何か引っ掻くような音が聞こえてきます。
大丈夫だ、すぐに開けてやるからな。
カチッ。
シーザーはゆっくりと金庫の扉を開けました。
「やったぜ! これでシーザーも俺たちの奴隷だな!」
ギャハハハハ!
モンスターたちが嬉しさのあまり猥雑に騒いでいた。きっと収穫祭のときもこれくらいの騒ぎなのだろう。残念ながらそれを見ることはできなかったが。
「シーザー、お手!」
ももんじゃにそう言われても、シーザーだったものはジロリと一瞬睨みつけただけで、身じろぎもしなかった。
「お手だって言ってるだろ! シーザー!」
「シーザーって名前じゃ反応しないよ。だってもうシーザーじゃないんだから」
いい加減、こいつらにはウンザリだ。こいつは今や僕の大切なグレイトドラゴンであって、お前らの奴隷なんかじゃないんだ。もうお前らの役は終わったんだよ。
「それもそうだな。じゃあ、なんか新しい名前を考えようぜ、なぁ、みんな!」
うんうん!
もぐらたちも一斉に首を縦に振った。
「僕は一応、グレ太にしようと思ってるんだ」
「グレ太! ギャハハハハ! いい名前じゃねえか。何の威厳も感じなくて奴隷にピッタリだぜ!」
てめえら、もう許さないからな。
ポポロは内心固く決心した。態度がよければ才能と忠義を見込んで使ってやろうとも思っていたが、この態度ではこれから“良き友人”でい続けることは難しいだろう。
「よう、グレ太、俺にチンチンしてくれよ! でっかいやつを見せておくれ!」
まわりのもぐらたちも、ももんじゃにつられてヤンやとはやし立てた。
「いつも地面を掘ってるからさ、俺にもケツを掘らしてくれよ、グレ太!」
「三回回ってワンと言え!」
しかし、何を言い立ててもグレ太は全く反応しなかった。グレ太はまるで面白くない動物でも眺めるような目線でももんじゃやもぐらたちを眺めていたが、やがてそれにも飽きてきたのか完全にそっぽを向いて大きなあくびを始めた。
「あ、こいつ、全然俺たちの言うことを聞きやがらねえ!」
当たり前だった。主人はポポロであり、ポポロ以外になつくようならポポロのコマとしてそもそも機能しない。
「おい、ポポロ、こいつ本当に俺たちの仲間になったのかよ?」
「うん、確かに僕たちの仲間さ」
「でも全然言うことを聞かねえじゃねえか」
「それは君たちが悪ふざけしすぎだからだよ。まあ、いいや。今からグレ太が本当に僕たちの仲間になったのか、その証拠を見せてあげるよ。ねえ、イエッタ、あいつを連れてきてよ」
そう言われてイエッタが持ってきたのは、麻の袋だった。
「そろそろ解放してあげて」
イエッタが紐をほどいて乱暴に逆さまに振ると、ボトリと何かが落ちる音がした。
ドラキーはいきなり逆さまにされたと思うと、気がついたときには冷たい地面にぶつかっていました。しばらくは冷たい地面の上を転がりながら、一体自分がどうなっているのか判断ができませんでした。
やがて体の自由が利くようになっていることに気づきました。
とにかく、地面から体を起こしました。まだスコップで殴られたあとがズキズキと痛みます。
「うぅ……ここは……?」
ドラキーには目の前で燃えているのが屋敷だとは、しばらくの間分かりませんでした。それはドラキーが見た頃には屋敷の炎はかなり弱くなってきており、屋敷もあらかた焼け尽くしたからです。今はただ、残り火がくすぶっているにすぎません。
ドラキーは目線を上げました。そこにはいつもと変わらない様子のシーザーがいました。
「あ、シーザーさん! 無事だったんですね!」
思わずシーザーに再会できた喜びの方が大きかったのでしょう。すでにドラキーはスコップで殴られた傷の痛みも忘れていました。
「シーザーさん、このポポロとかいう人間は、本当は悪い人間だったんです! 僕を……僕をスコップで殴って閉じ込めたんだ!」
ギャハハハ!
周囲のモンスターが一斉に大声で笑いました。しかしそれはドラキーには聞こえていません。
「ねえ、シーザーさん、ポポロをやっつけてよ! シーザーさん!」
必死に助けを求めました。しかし、シーザーはあまり興味のなさそうな目でこちらを見つめ返すばかりです。まるで何も知らない他人を見るような目つきでした。いえ、もっというなら、地面に這いつくばる死にかけの弱った虫を死ぬまで眺めている残酷な子供――ポポロのような――そっくりに見えました。
「シーザーさん、一体どうしたんですか? 何があったんですか?」
「悪いけど、シーザーはこの世から消えたよ。いや、まだ残っているのかもしれないけど、とにかくこいつは君の愛したシーザーじゃないんだよ。ちょっと――
そこでポポロはにやっと笑いました。その笑いのすぐ下には、どんな夜行性の目をも曇らせる、黒い闇がありました。
――君には悪いことをしたかもしれないけどね」
ギャハハハハ!
そこで初めてドラキーは周囲の村人たちの存在に気づきました。
彼らの唱和する笑い声だけが頭上の真っ暗な夜空でグルグルと回り続けました。
「許さない! シーザーさんに何をしたんだ!」
ドラキーは力の限り叫びました。自分でもこんな力がまだ残っていたのかと驚くほどでした。
「村を返せ! この悪魔め!」
まだまだ言えそうでしたが、ドラキーの言葉をシーザーの手が遮りました。シーザーはドラキーを以前と同じように優しくその手で掴んですくい上げました。
ああ、きっとシーザーさんに僕の言ったことが通じたんだ……! なんかちょっと様子がおかしいけど、シーザーさんがこんなこと許すもんか!
ドラキーはこれから死んでしまうというのに、まだそんなことを考えていました。
シーザーが金庫を開けると、中から光が漏れ出していました。ゴールドの輝きかと思いましたが、反射ではなく金庫の中から光が発せられているのです。
そっと金庫の中から発光しているものを引っ張り出しました。
それはドラキーの形をしたちょうちんでした。
なぜ金庫の中に……?
シーザーは疑問に思いました。
疑問に思いつつ、ちょうちんを持ち上げようとした時です。
村を返せ! この悪魔め!
どこからともなくそんな声がしてきました。
確かに、自分は悪魔かもしれない――シーザーは何となくそう思いました。そしていったんそう思うと、それはだんだんと確固たるものに思えてきました。そして今までの自分がバカらしく思えてきました。理想だのなんだの言って、結局犠牲者を増やしただけです。
もう消えてしまいたい――
切実にそう思いました。
そう考えながら、ドラキーの形をしたちょうちんを両手で包んで持ち上げました。それから、両手でドラキーの翼の部分をつまんで――
アホドラキーもようやく自分の死期を悟ったようだった。もちろん、死期を悟ったところで簡単に受け入れられるはずもない。見ていて滑稽なほどの命乞いが始まった。
「シーザーさん! 目を覚ましてよ! シーザーさん……!」
グレ太は両手でドラキーの両翼をつまんで中空に持ち上げていた。ドラキーは空中で磔刑にされたような感じになっていた。
「オラ! もっと真面目に命乞いしろや!」
下のモンスターたちがドラキーをはやし立てる。ドラキーにはもはや何も聞こえていなかった。泣いてシーザーだったものに懇願している。
「どうして……! どうしてこんなことするの?! 僕と一緒に理想の国を作る約束だったじゃないか!」
「天国で作ってろ! ギャハハハ!」
「なんだか同じようなことしか言わないから、もう次で終わりにしようか。さあ、ドラキーさん、人生の最後を締めくくって何か一言」
ポポロはそう宣告した。
しばらくドラキーは泣きじゃくっていただけだった。涙が月光に光り、ドラキーの体に銀色の筋を一瞬だけ描いた。屋敷の炎すら今ではほとんど沈黙して、夜という魔物全体がドラキーの言うことに耳を傾けているかのようだった。
「シーザーさん……今分かりました、どんな力でも魔力でも、あなたの理想を壊すことはできないんです……あなたの中の本当に大切なものは、誰も傷つけることなんてできないんだ……あなたの夢も、あなたの高潔な心も、そしてあなた自身も……全部僕たちの希望だった……シーザーさんがいなかったら、もっと前に死んでいたよ……僕たちはシーザーさんから本当の強さを教えてもらったんだ……ありがとう……僕の大好きなシーザーさん……」
こんなくだらない物を壊すだけなのに、どうして涙がこんなに溢れてくるのでしょうか。シーザーにはさっぱり分かりませんでした。
グレ太が両手にほんの少し力を入れて引っ張ると、目の前の黒くて脆弱な生き物(黒いせいで闇の中で見にくい。本当に鬱陶しい生物だ)から絹を裂くような音がした。同時に、黒い生物の羽の根元が縦に裂けて、もっと黒い体液が月光の下に吹き出し、きらめいた。それはその生物の本質を凝縮した黒い宝石だった。
――なんて綺麗なんだ……
グレ太はそれを見て思わずウットリとした。自分が今まで本当に求めていたモノがそこにあった。それは今まで“アイツ”に押さえつけられていたせいで全然発散できなかったが、今や新しい主人がグレ太を開放してくれたから、これからは何も心配はいらない。
黒い生物の羽はほとんど裂けてしまっていたが、まだ僅かに裂けていない部分が残っていて、辛うじて地面に落ちないように体重を支えているらしかった。
もっと黒い宝石がみたい!
あまりに切実な欲求だったので、グレ太はそのままさらに力を込めた。本当は弱っていく様子を観察したかったのだが、黒い生物は“シーザー”とかいうわけの分からない単語をつぶやくばかりで面白くなかった。それならさっさと自分の欲求を達成させた方がマシだ。
また絹を裂くような音。次の瞬間、待ち焦がれた黒い宝石が煌きながら月光の間を泳いだ。
なんて綺麗なんだろう……僕の新しいご主人様はこの美しい光景をこれからたくさん見せてくれるんだ――
そう考えるだけで、将来に希望というものが湧いてきた。今まで自分を押さえつけていたあのバカは、将来の達成できるかどうかも分からないことのために“今”という貴重な瞬間を浪費していた。これからはもっと“今”を楽しんで生きていけるだろう。
そう考えるグレ太の目の前には、指でつまんだ羽が残っているだけだった。羽の根元からはポツポツと黒い宝石が滴り落ちていた。
舌でその宝石を舐め取った。
月光を吸収した宝石の味に、グレ太は打ちひしがれた。
ちょうちんが下に落ちて、その灯が弱まりながら消えていきました。消え去る直前だけ何かを主張するかのようにいっそう輝きましたが、それも一瞬で消えました。シーザーの目は涙で曇って、もはや何もかもが溶けさってグニャグニャになっています。
シーザーは翼を広げて飛び去りました。無彩色のグニャグニャの中を、ただひたすら死ぬためだけに飛び続けました。
いつまでも、いつまでも……
ギャハハハ!
モンスターたちが、ダルマ状態になって地面に転がっているドラキーを見下ろしながら笑っていた。
「最後の愛の告白、グッときたぜ」
「今までシーザーのお気に入りでえこひいきされやがって変態野郎!」
「生きてさえいれば希望はあるよ」
「てめえなんてさっさと死んじまえ! その前にたっぷり苦しんでな!」
「立ち上がって前へ進もう! きっと楽しい未来が待っているから!」
「いい加減地獄に落ちてスッキリしたぜ」
しばらくモンスターたちは口々に嘲りと皮肉と罵倒を肉塊へと浴びせかけていたが、肉塊が今までに見たこともない形相で睨み返してくると何も言えなくなって、そのうち全員が黙ってしまった。
………悪魔め………
ボソリとつぶやいただけだったが、異様に大きい音のように聞こえた。
マズイな。せっかく洗脳したのにまた元に引き戻されるじゃないか。
とにかく、こいつらに一瞬でも過去を振り返る余裕を与えてはいけない。最後まで幸せにしてやるのが魔物使いの勤めというやつだろう。
ポポロは肉塊に近づき、見下ろした。
ポポロから見てもひどい形相で睨み返してきた。
「どっちが悪魔なんだよ」
そう思うと今までこいつに振り回されてきたことが思い出されて、急激にムカついてきた。
ポポロは右足を動かして、肉塊の側面を少しだけつついた。肉塊は2、3回地面の黒いぬかるみを転がった。その度に鬼のような形相は消えたり現れたりしたが、最後は肉塊自身の力によるものだろうか、きっちり鬼の面を上に向けて回転は止まった。
「よし、分かったよ。こうしよう」
ポポロはもぐらたちに命じて集まったモンスター全員にスコップを配った。一通り配り終わるのを待ってから、ポポロは言った。
「みんな、僕のやることをしっかり真似するんだよ」
そして肉塊に向き直ると、スコップを思いっきり肉塊へ向けて振り下ろした。グシャッというくぐもった音が闇の中に響き渡った。ポポロがゆっくりとスコップを持ち上げると、スコップと肉塊の間に黒い糸が幾筋も絡みついた。
「うわ、きったないなぁ。いい加減にしろよ」
さっきと同じようにもう一回スコップを振りかぶって――叩きつけた。叩きつけた瞬間、かつて足だったものが空を引っ掻いた。数秒間じっくり押し付けてから持ち上げてみると、肉塊は異常な痙攣をしていた。おそらく完全に死んで、筋繊維だけが勝手に動いている状態なのだろう。それは死んだはずのものがなおも執念を持ってこの世にとどまっていて、なんとか体を動かそうとしているように、周囲のモンスターには見えた。
いつもの彼ら気の弱いモンスターたちならこの有様を見ればスコップなど放り出して逃げ出していただろう。すでに鬼の形相は完全にスコップで潰されていたが、それは逆に鬼も失禁して逃げ出すようなさらにおぞましい形相をむしろ作り出していた。そう、ポポロはギーガが100年かかっても作り出せないような芸術作品を意図すらせずに作り上げていたのだ。もっとも、ギーガにしたところでこんなおぞましい像など頼まれたってもう作りたくもないだろうが。
だが、彼らは完全にポポロに掌握されている。しかも主人のポポロが率先してやっているのだ。彼らもやらないわけにはいかなかった。
誰か先駆者がいると人でも魔物でも安心してついてくるようになるものだ。それでも彼らはおぞましい物体に関わることをためらったが、最後にはポポロの言うとおり、めいめいにスコップを持って肉塊を囲み込むと、スコップを振り上げて――振り下ろして――少し黒くなったスコップを振り上げて――またもや振り下ろした。ドラキーはそれほど大きな体ではないため、スコップの上にさらにスコップが振り下ろされることになった。その度にギーガが大剣を鍛える時のような金属音が飛び散った。
こうなってしまうと、あとはいくところまでいくしかない。しばらくの間、モンスターたちはただひたすらにスコップを振り下ろし続けた。
そして肉塊がもはやミンチと化した頃、ようやくスコップの動きが止まった。
しばらくの間、異様な興奮とミンチコネ作業の重労働の疲労によって荒い息づかいをしていたモンスターたちだったが、それもようやく収まってから誰かが発言した。
「これでやっとうまい焼肉が食えるな」
多分ももんじゃだろう。
それで、もはや誰もミンチに興味を示すものはいなくなった。