「どうすっかなー」
人間には、大小様々な苦悩が付きまとう。
それは死への恐怖であったり、あるいは平凡な毎日であったり、実に種々雑多だ。
しかし、それらには一つだけ共通する点がある。
それは、根源が分からないということだ。
死んだ先に何があるのか分からないから死に苦しみ、何を為すでもない毎日に意味を見いだせず生に悩む。
私が抱えているのも、それと似たような問題だ。
そう。
「このタマゴ、どうすればいいんだよぅ……」
私の両腕に抱えられたのは水玉模様の卵。
ニビシティでタケシから譲り受けたものだ。
だがしかし、歴史上ポケモンが卵から孵ったという例は見かけない。
もしそれを発見できれば、ポケモン博士を名乗ることができるほどの偉業だろう。
前例がない道は、自ら開拓しなければいけない。
だがしかし、私は今、そんなことに割いてる時間なんてないんだ。
できるならパパっとジムバッジを集めてしまいたい。
「ポケモンマニアと名高いマサキを頼ろうか。いやでもなぁ、面倒ごとになる気がしてならないし……」
マニアにとってポケモンのタマゴなんて喉から手が出るほどの代物だろう。
それをポンと目の前に出されたら?
うん、嫌な未来しか予想できない。
「仕方がない、ボックスの預かりシステムを使うか?」
私がそう呟くと、タマゴが揺れ動いた。
これなんだよなぁ。
「はぁ、もっと無機物っぽかったら情が湧くこともなかったのになぁ」
仕方がない、もう少しだけ一緒に連れて歩くか。
そう決めた時だった。
卵がむくむくと大きくなった。
「え? タマゴって大きくなるもんだっけ?」
私が戸惑っているのを知ってか知らずか、タマゴはさらに大きくなっていく。
中から音が聞こえてくる。
「え、やば。私新生児の扱いとか知らないんだけど……どうしよ!?」
どこに持ち込もうか悩んでいると、タマゴにひびが入り始めた。
え、急に成長し過ぎじゃない?
え? え?
「ルッリィ!」
殻を破り、中から現れたのは真ん丸のポケモン。
見たことがないポケモンだ。
図鑑に載ってたりするのかな?
筐体を取り出し、確認する。
「アンノウンデータ……未発見ポケモンなんだ」
真ん丸のポケモンは、私の方をじっと見つめている。
そっか、この子にとっての親は私なんだ。
「そうだよね、名前がないと困るもんね」
その特徴を調べる。
鼠のような丸い耳、バランスボールのようなものに繋がれたジグザグのしっぽ。
そして何より、その瑠璃色の体。
「じゃあ、瑠璃色だからあなたの名前はルリちゃ……」
待て。
本当にそれでいいのか?
それは例えば、人間の新生児に対して「ほっぺたが赤いから赤ちゃん!」というようなものではないか?
その子は年をとっても赤ちゃんと呼ばれ続けるのか?
それはあんまりにもあんまりだ。
「じゃあ、そのジグザグなしっぽと合わせてルリリ! どうかな?」
「ルッリィ!」
母さん。
私にも子供ができました。
*
「あ、もしもしタケシ?」
『ああ、メアか。ハナダからの連絡と聞いて誰かと思ったぞ。カスミとは会えたか?』
私はセンターに戻り、ニビジムに電話を掛けた。
目的はタケシに報告するためだ。
「カスミねぇ、あれは駄目ね。トレーナーとしては優秀かもしれないけれどジムリーダーを名乗るには経験が足りなすぎるわ」
『そ、そうか』
タケシの顔が引きつった気がする。
前から気になってるんだけどなんでその糸目でそんなに感情豊かなの?
「まあそんな話はどうでもいいんだよ」
『そんな話!?』
「卵孵ったよー」
『孵化したのか!?』
あっはっは。
こいつ感情豊かで面白いな。
『もしやその腕に抱えられているポケモンが?』
「うん。こう、パカーってなってパーンだった」
『すまない、日本語で話してくれ』
失礼な。
擬音語だって立派な日本語だ。
日本独特の感性から生み出されるそれは、むしろ日本語を代表すると言って相違ない。
『しかし不思議だな。俺の手元にいた時は成長の兆しすらなかったというのに』
「嫌われてたんだね」
『結構傷つくからもっとマイルドに表現してくれ』
見よ、この愛くるしい生き物を。
そりゃタケシの手元になんか生まれたくないわな。
「ッ!」
『メア? どうかしたか?』
「……ううん、なんでもない」
何でもなくなんかない。
右腕の傷跡が、ひどく傷んだ。
果たして私に、このポケモンを抱く権利はあるのだろうか。
私と一緒にいて、この子は幸せになれるのだろうか。
『そうか? あまり無理するんじゃないぞ』
「お互いね」
『確かに』
タケシにはサカキがロケット団と関わりがあるということを仄めかしている。
実は結構危ない橋を渡らせていたりするが……タケシなら大丈夫だろ。
なんか私の直感がこいつはただ物じゃないって訴えてるし。
『メア、君はタマゴからポケモンが孵ったことを、どれだけ知らせるつもりだい?』
タケシが少し、真剣なトーンで聞いてきた。
ああ、やっぱりタケシはポケモンの事を考えている。
歴史上、ポケモンを孵化したという記録はない。
それを成し遂げたとなれば、それだけで歴史に名を遺すほどの快挙だ。
その名誉欲しさに、私がこの子を蔑ろにする。
そんな未来を危惧しているのだろう。
「大丈夫、誰にも言うつもりはないよ。この子をさらし者にするなんてとんでもない。タケシには、感謝とかお礼とか、いろんな理由が重なったから話しただけだよ」
『……そうか。聞くまでもなかったな。君はそういうトレーナーだ』
タケシはほっとしたような表情を見せた。
その表情に、私は少しだけ心苦しくなった。
(私がこの事を公にしようとしないのは、この子のため? それとも、私のため?)
私は国際的な指名手配犯だ。
ここで名乗り出ようものなら、あっという間につかまるだろう。
だからこそ、私は思う。
本当はわが身が一番かわいいからなんじゃないかと。
「さ、そんな感じだから。また近いうちに連絡を入れるよ。またね」
これ以上考えていると、心が飲み込まれそうだった。
そうなる前に通信だけでも切ってしまおう。
そう思い、連絡を切ろうとした時だった。
『ああメア。今ハナダシティにいるんだよな』
「え? ええ。それが?」
思い出したように、タケシがそう切り出した。
何か問題があるんだろうか。
『実はヤマブキシティでロケット団が活動しているという情報が得られた。どうするかは任せるが、危ないことはしないでくれ』
「へぇ、分かった、とだけ言っておくわ」
『……安全を優先するんだぞ?』
分かった分かった。
あんたの目に私はどう映ってるんだよ。
戦闘狂か何かか?
失礼な、ただの正義の味方だっていうの。
「じゃ、今度こそ切るね。ばいばい」
『ああ、またな』
そうして私は連絡を切った。
私はしばらくその場に立っていた。
柳のように、ただ静かに。
少し経って、私は行動を開始した。
「へぇ、ロケット団が活動している町ね。随分不愉快なことしてくれるじゃない」
ちゃっちゃとジム巡りをするつもりだったが作戦変更だ。
ヤマブキにいるっていうロケット団、全員捻りつぶしてやる。
*
「ダメダメ! ここから先は立ち入り禁止なんだ!」
「どうしても……ですか?」
「ルリィ……」
私はハナダを南下し、ヤマブキとのゲートに来ていた。
想定外だったのは警備員がヤマブキ入りを認めてくれなかったことだ。
正攻法でダメなら脱法で入り込むまでよ。
腕にルリリを抱え、二人で上目遣いにねだる。
「う、だ、ダメだ!」
「ひっぐ、おばあちゃんに、おばあちゃんに会いたいだけなのに……どうしてそんな意地悪するんですか」
私は顔を隠し、肩を震わせてそういう。
私の涙はとうに枯れてしまった。
ウソ泣きなんて器用な芸当はできない。
だが、私には頼りになる味方がいる。
「ル、ルリィ」
ルリリは別だ。
このポケモン、嘘泣きという技をつかえた。
というわけでルリリに泣かせ、私はそれっぽく合わせる。
人間は類推しようとする生き物だし、きっと私も泣いているように見えるに違いない。
「わ、分かった! 特別に許してあげるから、ね? 泣き止んで」
「……本当?」
両手で顔を拭ってから顔を上げる。
その際、ルリリから涙を分けてもらうことでさも涙を拭ったかのような跡を残す。
「本当だとも! さぁ、早く行きなさい」
「ありがとう! おじさん!」
ひゃっはー。
この世には唯一不変の真理っていうものがあるんだよ。
『かわいいは正義』、かわいいの前にはすべてが無力なのだ。
後ろでおじさんがおじさんって言われたことにショックを受けているが知ったことじゃない。
というより、なんか喜んでないか?
まあいい、放っておこう。
ゲートをくぐる。
そこに立ち並ぶは天を擦る楼閣。
カントーで最も発展した都市。
「ここが、ヤマブキシティ……」
私はここまでやってきた。
この子はマリルリになってもルリリなんですか!?