RR団編
四章は全十話。
久々に毎日更新。
一話 「呪われてやがる」
「ごほっ、がはッ」
私は血を吐いた。
そうなるのが自然だったから。
自然だったから私は、きわめて健康な肉体から血反吐を吐いた。
その血反吐を受け止めた右手を見つめ、どこも痛くない体に違和感を覚え、状況を把握しようと試みる。
私は喉を切り裂かれた。
切り裂かれたはずだった。
私は知っている。
自分の喉を食いちぎる風刃を。
妙に生暖かい液体が零れ落ちて行く様を。
芯から冷え込むように、体温を失っていく感覚を。
地面に打ち付けられ、ズタボロになって、自分が尽き果てる様子を。
それらはまさか、幻だったとでもいうのか。
周囲の景色が、記憶にあるものと噛み合わない。
赤と黒で整えられた、お城のような内装。
ところどころに飾られた、虹色で書かれたRの文字。
そのフォントは、酷く見覚えのあるものだった。
『ふむ、目が覚めたか』
混濁する意識で必死に思考を続けて、混乱が混乱を呼ぶ状況。
そんな中、すべての思考を投げ捨てて、それでも確認しなければいけないことができた。
そこにいるあいつは。
「ああ……、呪われてやがる」
手で顔を覆った。
吐き捨てた血反吐が、べったりと顔を汚す。
悪魔のようにどす黒く、地獄のような熱量が、私を更に突き落とす。
『待ちわびたぞ、トキワシティのメアよ』
殺したはずだ。
確かに殺したはずなんだ。
この手で、私は成し遂げたはずなんだ。
それでもなお、無駄だったっていうのか。
私は結局、運命の波に弄ばれるだけで、抗えないというのか。
『それともこう言った方がいいかな?』
絶望を感じたことは何度もある。
だが、心が折れる音を聞くのは初めてだ。
きっとこれを、本当の絶望というのだろう。
耳を塞ぐことも、自衛すらも億劫で。
何もする気が起きなくて。
ただ茫然と、その宣告を受け入れた。
『私が生み出した、虚数空間の可能性よ』
私にその絶望を突きつけた男は。
嫌に頭に響く声で告げるその男は。
私が確かに殺した男は。
間違いなく、間違いようもなく。
「サカキ……」
ロケット団のボス。
トキワシティのジムリーダー、サカキであった。
足元から地面が抜け落ちる。
支えを失った身体が、地球に吸い寄せられる。
否、本当は大地は失せてなどいない。
ただ地面の感触を伝える足が、まるで自分のものでなくなったかのように力無く、自らの重みすら支えられなくなっただけだ。
『大した期待はしていなかったが、存外上手くいくものだな。本当に可能性というのは恐ろしいものだ』
頭を地にすりつけて、両手で押さえつけた。
自分の殻に閉じこもりたかった。
誰からも干渉されず、誰にも干渉しない。
そんな世界に没入したかった。
『しかし、私を殺した存在だというのにこの様か。それならわざわざ、突きつける絶望を用意せずとも良かったかもしれんな』
涙を流したかった。
好きなだけ叫んで、叫んで、叫んで吐き捨てたかった。
だがどれも上手く形に出来ず、表現できず。
ただ嗚咽が醜く響くだけだった。
『だがまぁ、報酬として真実を教えてやろう』
私の世界を、あいつが踏みにじる。
誰にも譲れない、最後の防衛ライン。
あいつがそこに、一歩踏み出してくる。
『お前が生きてきた世界は、私が生み出した可能性の世界だ』
窓ガラスが割れるように、私の心の壁が崩れ去る。
そこから黒く、暗い何かがしみ込んでくる。
『私を倒し得るほどの手駒の存在する世界。その手駒がお前だ』
血が抜け落ちたわけでもないのに、体がどんどん冷えて行った。
私は知っている。
これが恐怖という物なんだろう。
『最初からお前は、私の道具になるためだけの存在だったのだ』
今更になって耳を塞ぐ。
けれどどこか頭に響く声を前に、その行いは無意味に等しかった。
『お前の見てきた世界など、本当は存在しない。すべてはありえない可能性の話だ』
『マサラタウンの者達は外に出ることを忌避する。それは呪いだ。その呪いを、ただの少女が破れるとでも思ったか? 自らの意思で旅発ったとでも思ったか?』
『疑問に思わなかったか? 右腕に傷を負った日より前の自分を理解できないことを。旅立たなければいけないという焦燥感に駆られたことを』
『そんな無数のありえないを抱えたバグ因子がお前で』
一呼吸おいて、たっぷりの含みを持たせて、サカキはこういった。
『私はお前の生みの親だ』
「あ、あぁ……」
視界が闇に飲まれるのを自覚した。
*
「ここは……」
私が意識を取り戻したとき、私は知らないベッドに寝かされていた。
自分が気を失っていたことと、告げられた事実を思い出し、私は何もする気にはならなかった。
同じ姿勢で寝続けるのも億劫で、寝返りをうった。
すると足元からジャラジャラという音が鳴り響いた。
なんとなくわかったが、気になってしまったので確認してみる。
重い体を起こし、足元を覗く。
そこにはやはり、鎖が繋がれていた。
「逃亡対策、かねぇ」
ご苦労なこった。
こちとらもう、逃げる気力すらないというのに。
「ハッ」
そんな思考すら馬鹿らしくなり、自らを嘲笑する。
何も、何もなかった。
無駄だった。
サカキは、私がサカキを倒すことを待っていたんだ。
私が倒せるようになるまで、ずっと泳がせていたんだ。
「だったら、私は、何のために……!」
私が掲げた正義は何だったというのだ。
私が倒すべき悪など、最初から存在しなかったというのか。
何のために私は、悪の名を背負ったというんだ。
「あぁ……」
生きとし生けるものすべてに与えられる、唯一平等な、天からの贈り物。
死というそれすら、私には許されない。
私の中には、今までの記憶がすべて残っていた。
私が辿ったという、すべての並行世界を含めたものだ。
サカキを完全に仕留めた、一つ前の世界線。
サカキをあと一歩まで追いつめた、三つ前の世界線。
それ以外の全ての世界で私は死んだ。
死ぬ直前まで行った。
だが死ぬほんの少し前に、記憶を封印されて同じような過去を繰り返させられてきた。
「うっぐ」
逆流した胃酸を吐き出した。
十や二十では済まない自分の死に様を思い出させられて、気分の悪くならない筈がない。
喉元を食いちぎられた記憶。
ミュウツーに刺し殺された記憶。
世界に絶望し、首を吊った記憶。
それらすべてが、私の意識を奪おうとしてくる。
(気持ち悪い)
胃酸だけでも流そうと思い、水を求めて立ち上がる。
鎖に繋がれていても、この部屋ぐらいなら自由に動けるようで、どうにか洗面所までたどり着いた。
鏡には、私が映っていた。
「は、ははっ」
無様だな。
満足に笑うことも、好きに泣くこともできない。
満ち足りた死を迎えることも、充足した生を享受することも許されない。
嫌が応にも、自分が道具であることを思い知らされる。
「クソッ!」
右手で鏡に映る自分を殴りつける。
ジンジンとした痛みが鈍く伝わる。
もう一度拳を引き、殴りつける。
何度も何度も、決して飽くことないこの虚しさをを、少しでも満たすために。
「どうすればよかったんだよ! 常にこれしかないっていう選択肢を取り続けた。私だけじゃない、あの私もあの私も、あの私だって、常に最善を歩んできた!」
そのすべてがバッドエンドを築き上げるための壮大な、あるいはちんけな物語だったというのか。
フザケルナ、フザケルナ。
「たったそれだけの為に。サカキの道具になるためだけに。私は永劫に苦しみ続けたというのか」
また胃酸を吐いた。
吐いて、ようやくうがいをしに来たことを思い出した。
胃酸は喉を焼く。
そうなる前に、少しでも希釈してしまおう。
手で水を掬い、口をゆすぐ。
十分にゆすいだ後に手を洗い、顔を洗う。
それでも私の心は、一向に晴れなかった。
「なんだ、目覚めていたのか」
「サカキ」
警戒しようとして、腰のボールに手をかけようとして、私は気付いた。
この世界の私は、ポケモンを持っていない。
アーゴヨンも、マリルリも、向こうの世界にいるままだ。
「せっかく起きたところ悪いが、もう一度眠れ」
そう言うとサカキは、見たことのないボールから見たことのないポケモンを繰り出した。
白い、少女のような、クラゲのようなそれが私を飲み込む。
チクリとした痛みが首筋に刺さった。
自らの意識が遠のいていくのが分かる。
「ふむ、もう少し抗うかと思ったが」
サカキがそんなことを言う。
(抗う……? どうして?)
抗ったって、すべて無駄なことだ。
その点、ここは心地がいい。
何も考えずとも、どうすればいいかこのポケモンが教えてくれる。
(もう、疲れたんだ)
だから、少しくらい。
(休んでも、いいよね)
私は私を、この白いポケモンに委ねた。
つまりどういうことだってばよ。
↓
サカキについてはメインROMと周回用ROMを意識してもらえば。
メアが倒したのは周回用ROMのサカキ。
メアは周回で無事個体を自模ったためメインロムに輸送された。
輸送の仕方はコニーの移動と同じようなもの。