我思う、故に我在り。
これは誰の言葉だったか。
カロス地方の偉人のものだった気がするが……。
とにかく、そんな言葉がある。
この考えの根底には、すべてを疑えという物がある。
もし仮に私たちがゲームの中の住人だとして、それを見極めるすべはあるだろうか。
答えは否だ。
そういった『存在の疑わしいモノ』を、一切合切排していく。
この世界が五秒前に作られたと言われて、それを否定できるだろうか。
この世界は実は、水槽に浮かんだ脳が見ている仮想世界だと言われて、それを否定できるだろうか。
夢で見た蝶の自分が本物で、ここに居る自分が夢だと言われて、それを否定できるだろうか。
結局、私が捉えている世界は夢幻かもしれないということだ。
それでも。
それでも一つだけ。
確かに存在しているものがある。
それが、『そんなことを考えている私』だ。
仮に世界が虚空のもだったとしても。
もしも現実が架空だっとしても。
『それを疑っている私自身は確かに存在している』ということだ。
(そして存在する限り、永遠に苦しみがまとわりつく)
肉体を魂の牢獄と表したものがいた。
生命活動こそが苦しみの根源だと言ったものがいた。
生きていることは苦しい。
だから人々は妄信できる何かを求めた。
たとえばそれは神であった。
もしくはそれは涅槃であった。
あるいはそれは予定説であった。
はたまたそれは極楽浄土であった。
現状を打破する方法を模索するより、誰かの救いを求める方が楽だ。
だけど、救いの手を差し伸べてくれる者なんていない。
だからみんな、空想の存在を盲目的に信仰する。
疑うことは苦しいことだ。
苦しいことだから、多少の嫌なことに蓋をして、都合のいい事だけ信じる。
それを間違っているとは言わない。
私は信念を貫くことが、如何に大変なことか知っているから。
いつか描いた理想を、多くの人は泣く泣く捨ててしまうんだろう。
醜く腐敗した世界に絶望し、綺麗なものを求めるんだろう。
(そしてそれは、すごく楽なことだ)
白いポケモンに寄生され行く中、そんなことを思った。
思考放棄。
考えることを止める。
そうすれば苦しむこともない。
そこに私は介在しないのだから。
今までの鬱屈とした心内が、嘘のように軽くなる。
波に飲まれるのは恐ろしい。
かといって、波に抗うのは苦しい。
波に乗ることは疲れる。
だけど、自分自身が、波になってしまえば……。
*
「ふむ、堕ちたか」
サカキは目の前の少女を見て呟いた。
彼女の目にハイライトは入っておらず、脱力した様子で棒立ちしている。
どこにも焦点が合っていないような、何も見ていないような。
そんな終焉を連想させる瞳をしていた。
「メアよ、これからアローラチャンピオンと国際警察がコンビで乗り込んでくる」
国際警察という単語を聞いた一瞬だけ、メアの右手の指がピクリと反応した。
それはもはや、脊髄反射のようなものであった。
「命令だ。何人たりともここを通すな」
そう言ってサカキは、ボールをメアに手渡した。
最近出来た、ウルトラビーストのためだけに作られたウルトラボールだ。
黒地に青のネットを張り、四本の黄色く鋭い爪を飾ったようなデザイン。
中には当然、ウルトラビーストが捕えられていた。
名前はウツロイド。
彼女に寄生している生物と、同じ寄生生命体だ。
頷くでもなく、首を振るでもなく。
彼女はただ踵を返して従った。
*
ポ二島を襲った黒い雲について、エーテル財団が会見を開いたのが少し前の事。
原因はネクロズマというウルトラビーストだった。
その事を会長であるルザミーネさんが説明をし、その場は一時騒然とした。
けれども続く『勇気あるトレーナーのおかげで危機は既に去っている』という言葉に、明らかに緊張の糸が切れたことが分かった。
勇気あるトレーナーって言われると、ちょっと恥ずかしいな。
なんてことを思っていたのも、当然少し前の事。
カプ・コケコに認められ島巡りをして、チャンピオンになったけど、未だにそんな実感はない。
必死に、無我夢中に、駆け抜けただけだった。
その事を褒められても照れくさいだけである。
そんな感想を抱いたことも忘れるほど衝撃な出来事が起きた。
突如現れたウルトラホール。
現れた謎の黒服集団。
そして最後にルザミーネさんが放った言葉。
『まさかウルトラホールはあなた達が!?』
ルザミーネさんが危ない。
そんな予感が頭をよぎり、俺はすぐにエーテルパラダイスに向かった。
リザードンライドを呼び出し、空を駆ける。
そうしていると俺と同じように空を走るものが、後方から追いかけてきた。
「サン君!」
「リラさん!」
そこにいたのは国際警察のリラさんだった。
リラさんとはかつてウルトラビーストを捕獲するために共闘したことがある。
「リラさんもニュースを見て?」
「いや、私の場合は上からの指示だ。エーテルパラダイスにウルトラホールが開いた。至急対処に向かえという物だ」
風切り音がうるさく、俺もリラさんも大声で叫ぶ。
それでも聞こえる音はわずかなものだ。
「俺も手伝います!」
「助かる! 急ごう!」
俺達は振り落とされないように必死にしがみ付き、全速力でエーテルパラダイスに向かった。
そこで俺たちが見たのは、変わり果てたエーテルパラダイスだった。
悪魔のように黒く、地獄のように赤く。
虹色のRを掲げた巨大な城。
「リラさん、これもウルトラホールの影響だと思いますか?」
「どうだろうか。だが警戒するに越したことはないよ」
「ですね」
俺達は慎重に建物に忍び込んだ。
やっていることは盗人のそれと似たようなものだが、こちらには人命救助の大義名分がある。
故に正義はこちらにある。
「内側の見た目も変わっているんですね」
俺の囁きにリラさんが小さくうなずく。
それよりと、リラさんが付け加える。
「おかしい。これだけ大きなことを仕出かしておきながら、見張りの一人もいない?」
「……確かに変ですね」
物陰から部屋の様子を探るが、人影どころか人気もない。
アローラで最も有名な建物を乗っ取っておきながら、なぜこうも軽薄な警備なのか。
「何か意図があるかもしれませんね」
「そうだね、警戒しながら進もう」
まっすぐ進めばルザミーネさんの部屋に繋がっているはずだ。
取り敢えずまっすぐ進もうとリラさんに言えば、リラさんも納得してくれた。
そして俺たちは知ることになる。
どうして警備がいなかったか。
否。
警備が不要な理由を。
*
そこにいたのは、一人の少女。
この建物に相応しくない、一人の少女である。
足首から赤い鎖が伸びていて、部屋の端にあるベッドの足に繋がれている。
「リラさん」
「静かに」
俺がリラさんに声を掛けようとすると、それをリラさんが制した。
確かに気が緩んでいたかもしれない。
ここは既に敵の腹の中なのだ。
「誰?」
しかし手遅れだった。
少女は既に、こちらの存在に気付いてしまった。
じんわりと汗が、手の内に広がっていく。
リラさんにアイコンタクトを送り、俺が先に向かうことにした。
リラさんは後方で待機。
岡目八目というやつだ。
「はじめまして。俺はサン。君は?」
「私……私は……メア? メアリー?」
「……えっと?」
俺は状況が飲み込めなかった。
彼女は場違いなほどに純粋であった。
(迷子? そんなことあり得るのか……?)
どうにも彼女がこの事件を引いているとは思えない。
深くかかわっているとも思えない。
だがしかし、それならば何故こんな場所にいるのか。
(もしかして、彼女もFallなのか?)
俺やリラさんのようなウルトラホールを通った人間の事を、国際警察ではFallと呼ぶ。
そしてFallは、別の世界からやって来る場合もある。
リラさんも記憶喪失だと言っていた。
この子が名前に対して曖昧な答えしか返さないのは、記憶が混濁しているからなのではないか。
どうする、一刻も早くルザミーネさんの救出に向かいたい。
だけど無関係な人をこんなところに置いて行くのも危険だ。
どうする。
「オーケー。すぐに君を迎えに来るから、ちょっとの間だけ隠れていてくれ」
「隠れる……?」
「うん、その先の部屋で用事を済ませたらすぐに戻ってくるから、待ってて?」
彼女が不安にならないように、笑顔で対話する。
前に笑い方がぎこちないと言われたが、無表情よりはいいだろ。多分。
「この先の部屋に用があるの……?」
「え? ああ、うん」
だから、ね?
そう、俺が声を掛けようとした時だった。
「ダメ、ダメだよ。ここから先に、誰も通しちゃいけない。あは、あはは」
「えっと? メアリーちゃん?」
突然口を三日月のように歪めて、彼女が嗤った。
「サン君!」
俺は飛び出したリラさんに弾き飛ばされた。
目を見開き、視線を送った先では、リラさんが――
――毒液を浴びる様子が映っていた。
リーリエ……?
いえ、ルリちゃんとキャラが被ってる人物のことなんて知らないですね。