ウツロイドには、特殊な神経毒がある。
その毒には人を凶暴化させたり、理性を弱めたりする効果があるのだが、本題はそこではない。
それに侵されたものは、ウツロイドを守ることを優先するという物だ。
宿主は、命を懸けてウツロイドを守り抜く。
仇為すものを、許さない。
レッドはメアの助けになりたい。
そのために、邪魔なウツロイドを除去したい。
ウツロイドにとってレッドは敵である。
つまりどうなるか。
「あ……」
メアの焦点がぼける。
その瞳は、丸で何も映していない。
「かはっこほっ」
メアの絞首から逃れたリラがせき込む。
自由に酸素を取り込む。
「かぁはぁー、サン君、聞いて。赤い鎖には、伝説のポケモンが関わっているの」
「伝説のポケモン……?」
「そう、一体は先ほども言った通りディアルガ。もう一体は空間をつかさどるポケモンパルキア」
その言葉に、サンが反応する。
「空間!?」
「先ほどウルトラホールが閉まらなかったのはきっと、赤い鎖のせい!」
彼女の足首に繋がれた鎖を見る。
決して神聖なもののようには見えないが、十分にあり得る話だ。
「ごめんな、クワガノン。頼む、ハサミギロチンだ!」
クワガノンは虫電気タイプ。
空中にちりばめられたステルスロックは未だ有効で、その体力を大きく削っていく。
それでもお構いなしといった様子で、赤い鎖にとびかかる。
そしてその大きなハサミで、断ち切った。
「ああぁぁぁああぁぁ!」
少女の悲鳴が響き渡った。
*
「お前、何をした!?」
レッドは焦っていた。
数年の時を超え、アーゴヨンを鍛え、様々な資料を漁り、姉の存命の可能性を見出し、世界線まで超えてきた。
だというのに姉は変な生物を頭からかぶり、人を絞め殺そうとしている。
まあ相手が国際警察だったから止めなかったわけだが。
問題はその後だ。
変な顔した子供が、姉に繋がれた赤い鎖を断ち切った瞬間苦しみだしたのだ。
疑うなというのが無理な話である。
「俺は、鎖を切っただけで……」
「鎖を切っただけで人が苦しむものか!」
「いや、それは」
そうこうしている間も、姉は苦しみ続けている。
「くそっ、何がどうなってるんだよ。来い、マリルリ!」
レッドが繰り出したポケモンは、かつてメアが孵したマリルリ。
メアのポケモンは、レッドがきちんと育てていた。
「水浸し、続いて渦潮だ!」
水浸しは相手を強制的に水タイプにする技。
渦潮は、渦巻く海流を呼び寄せる技だ。
水タイプになったウツロイドは、為す術無く剥がれかける。
先ほどブレイジングソウルビートを受けたウツロイドは残ったわずかな体力すら削られた。
「ダメ!」
それをメアが抑えた。
渦から抜け出し、必死にウツロイドを庇う。
瀕死になった方のウツロイドをボールに戻す。
「あ、ちょ、メア姉!」
「寄るな!」
その言葉が、レッドの心を引き裂いた。
姉に会うために、何年も何年も、待ち続けたのだ。
だというのに、彼は拒絶された。
「おいお前」
「な、なんですか」
「そのでかいライオンで、あの白クラゲを倒せるか?」
何度繰り返しても、姉を傷つけるだけだと判断したレッドは、仕方なく他人の力を借りることにした。
ちょうど近くにはソルガレオを待機させたサンがいる。
サンに目を付けたことも、ある種当然であった。
「多分、できます。でも、あの人から引き剥がしてからでないと……」
「上等。タイミング、間違えるなよ?」
そう言うと、レッドはマリルリに指示を出した。
「滅びの歌」
*
滅びの歌。
聞いたポケモンはしばらくすれば瀕死になる。
これの対処法は、大きく分けて三つの手段が存在する。
一つ、歌わせない。
これには先制で倒す、補助技の挑発、攻撃技の地獄突きなどが当たる。
そもそも歌われなければどうということはないという考えだ。
二つ、聞かない。
これには特性の防音がある。
音を遮断してしまえば滅ぶこともないという考えだ。
そして、三つ目。
「戻れ、マリルリ! 行け! ストライク!」
交代する、である。
ポケモンの状態異常には、ボールに戻すことで解除されるものがある。
例えば混乱状態、心の目状態、呪い状態などだ。
その中には当然、滅びの歌状態も含まれる。
「さぁさぁ、一度引っ込めないと瀕死になっちゃうよ? メア姉」
「……なんでこんなことするの」
「……ごめん」
レッドがメアに捨てられたと感じたように、メアもまた、レッドに捨てられたと感じた。
辛いとか苦しいとか。
そういう感情があふれて、抑えきれなかった。
「ウツロイド、一度戻って」
滅びの歌の対処方法、その一その二はもう取れない。
既に手遅れだ。
ウツロイドはその歌を聞いてしまっている。
ウツロイドがメアに、自分を助けろと指示を出す。
メアはウツロイドを守らなければいけない。
メアが腰に付けたボールを取り出す。
そしてリターンレーザーをウツロイドに向けて放つ。
その一瞬を、レッドは虎視眈々と待っていた。
「ストライク、追い討ち!」
「しまっ」
普段のメアならば、絶対におかさないミス。
滅びの歌には制限時間があると言えど、それなりに猶予のある技だ。
正常な思考を持っていたならば、先にストライクを倒してから交換しただろう。
だが、そうはならなかった。
今、メアは自らの思考より、ウツロイドの思考を優先している。
それが判断を鈍らせた。
例えば水槽に入れられ、徐々に水を入れられるとする。
タイムリミットは三十分。それまでに水槽から出られなければ死ぬ。
そんなゲームに参加させられたとして、三十分間フルに思考できるか。
本来俯瞰していなければいけないトレーナーが、ポケモン視点で勝敗を考えた。
深く読まなければいけない場面で、読み切れなかった。
「だめ……」
引き剥がされたウツロイドに、メアは手を伸ばす。
ウツロイドもまた、宿主を求め触手を伸ばした。
あと少し、あと少しというところで。
それは阻まれた。
「メテオドライブ!!」
大きく飛び上がっていたソルガレオ。
強力なパワーを解放し、ライジングフェーズとなったソルガレオ。
太陽と錯視するほどの熱量を放出し、流星のようにウツロイドに喰らいつく。
メアは思わず手で目を覆った。
その光が眩過ぎたのだ。
目を閉じても瞼を貫通する光量。
それを防ぐために、腕で目を隠した。
爆音が耳をつんざく。
聴覚が麻痺したかもしれない。
三半規管が揺すられて、平衡感覚が鈍る。
土煙が巻き上がる。
慌てて息を止めるも、既に一部が呼吸器官に入ってしまった。
むせ込み、吐き出す。
「うっ……」
メテオドライブの光にあてられた瞳は、正しく景色を捉えない。
視界が白に埋まり、輪郭がぼける。
ゆっくりと、ゆっくりと瞳が暗順応していく。
虹彩が縮み、瞳孔が開く。
そこには白い寄生生命体を踏み潰す、太陽を喰らいし獣の姿があった。
それを見たメアは、糸の切れた操り人形のように、崩れ落ちた。
「メア姉!」
*
「あの、レッドさん……ですよね?」
「一応ね、君らの知ってる俺とは別人だろうけど」
サンはレッドに声を掛けた。
サンは一度、バトルツリーでレッドと戦っている。
だからこそ、違和感を覚えていた。
サンの記憶にあるレッドとは手持ちも違うし、見たところメガストーンも有していないようだ。
近寄りがたい雰囲気は同じであるが、その原因がどこか違う気がする。
サンの知っているレッドは眩しすぎて近寄りがたく、ここに居るレッドは暗すぎて近寄りがたい。
それに似たような感覚を、サンは抱いていた。
「別人……?」
「そ、俺は言っちゃえば並行世界の俺。君ら視点だけどね」
サンはいまいちレッドの言ってることが分からなかったが、少なくとも敵でないと判断した。
たとえ違う世界のレッドだったとしても、正義の味方であることに違いはないと考えたからだ。
それほどまでに、ロケット団の単独撃破というのは伝説的だったのだ。
「あの、アローラの危機なんです。一緒に戦ってくれませんか?」
言いながら、サンは気づく。
この建物にあるRの文字。
これはロケット団のものと同じだと。
「きっと、ロケット団がまた悪さしているんです。レッドさんの力が必要なんです」
サンはツリーでレッドに勝利している。
だからこそ、レッドの強さをサンは知っている。
だからサンはレッドに協力してほしかった。
それに対し、レッドはただ単に。
「……興味ないから」
そう答えた。