夜天に輝く二つの光   作:栢人

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第十九話 不協和音

 

 

 遠くに聞こえる小川のせせらぎ。小さく届く小鳥のさえずり。耳に入る自然の音に、八神颯輔は泥のような眠りから目を覚ました。

 

「颯輔ぇっ!」

「颯輔君っ!」

 

 続いた二つの心配そうな声。ヴィータとシャマルの声だ。胸に感じる重みはヴィータがそこに飛び込んできたからであり、シャマルの顔が上下逆さまに見えるのは上から覗きこまれているからのようだった。どうやら、シャマルの膝の上に寝かされていたらしい。騎士甲冑は、フードだけが外されていた。

 颯輔は、意識を失うまでの過程を思い出した。今にも泣き出してしまいそうな二人に笑いかけようとし、思わず顔をしかめる。ずきり、と左胸に鋭い痛みを感じたためだ。

 

「颯輔、まだ痛いの?」

「いや、そんなことは――」

『――癒し手よ、引き続き主に治療を。今度は左胸だ』

「わかったわ」

 

 下から覗きこんでくるヴィータの不安を取り除こうとし、それを右側から上がった声に遮られた。颯輔の右手、そこに握られた闇の書から投影されている管制人格が、強がらないでください、と視線で訴えかけている。颯輔の体調を把握している管制人格がいる限り、今後は下手な嘘は通用しないようだった。

 身を起こそうとしていた颯輔の肩が押され、ぽすんとシャマルの膝の上に逆戻りする。ヴィータが離れてシャマルが痛んだ左胸に手をかざし、そこから淡いミントグリーンの光が注がれた。シャマルの温かな魔力が颯輔の体に溶け込んでいき、次第に痛みが和らいでいった。

 

「颯輔、さっきは助かった、ありがとう。……だけど」

「今度あんな無茶をしたら、私達、怒りますからね。こんな反動があるなら、尚更です……」

「ごめん……」

 

 言葉だけでなく視線でも諌めてくる二人に、颯輔は素直に謝罪の言葉を返した。

 颯輔自身、あれが大きな危険を孕んだ無茶な行動だったとは自覚している。しかし、闇の書の記憶を辿ったことで主にも魔法が使えることは分かっていたが、それで侵食が進むとは思ってもいなかったのだ。

 もっとも、颯輔は例え侵食が進むと分かっていても、あの状況ならば同じ選択をしただろうが。

 その考えを見透かされたのか、向けられる意味深な三つの視線に耐え切れず、颯輔は話題を変えるべく目の動きだけで辺りを見回した。

 周囲の地面には柔らかい草が生い茂っている。背はそれほど高くないのだが、その色が特徴的だった。なにせ、赤や黄色などまるで紅葉でもしているかのような色をしているのだから。

 空を覆っているのは大木から無数に伸びる枝。そこから生える橙色の葉は、針葉樹なのか広葉樹なのか判断が難しい独特の形をしている。その隙間から届く木漏れ日は赤色をしていた。しかし、地球群生のものとは思えない植物に囲まれているのだから、それが夕日の色だとは限らない。

 

「地球じゃないっぽいけど……ここはどこなんだ?」

「ここは、地球から少し離れた無人世界です」

「海鳴じゃ見れない生き物もいるけど、あたしが追っ払うから安心していいよ」

『探知防壁を展開しておりますので、追っ手の心配もありません』

 

 予想通りに地球ではないらしい。途方もない大金を叩けば宇宙旅行も夢ではなくなった世の中だが、颯輔はタダでそれを決行してしまったようだった。当然、満喫する余裕などないのだが。

 無人世界という割には生き物がいるらしいが、それが追い払う必要がある生き物だということは、今は考えないようにした。もしも襲われたとしてもヴィータにシャマルがいれば安心ではあるのだが、歓迎はできない。

 ともかく、管制人格が探知防壁を展開している以上、管理局に見つかる可能性はほぼ皆無だろう。手応えなどわからなかったし非殺傷設定にはしていたが、颯輔と管制人格が放った魔法の威力は折り紙つきだ。ばら撒いた魔力はチャフのように作用するため、追跡も困難のはずである。

 

「シグナムとザフィーラは? ヴィータがいるってことは、二人も無事なんだろうけど……」

「念のために、逃走経路はバラバラに別れたんです」

「シャマルから連絡受けて、一番近かったあたしが最初に合流したんだ。シグナムもザフィーラもちゃんと逃げてたから…………うん、もうすぐこっち来るって」

「よかった……。じゃあ、俺はどのくらい眠ってたんだ? あんまり家を空けると、はやてに怪しまれるかも……」

『地球時間での現在時刻は17時6分28秒です。主颯輔が眠られていたのは12分45秒間ですので、主はやてはまだ月村すずかと遊ばれているはずです』

「そ、そう……」

 

 元を質せば管制人格は融合騎――すなわちデバイスであるため間違ってはいないのだろうが、秒刻みで把握していることに何とも言えない感想を抱く颯輔であった。料理の中にはタイミングが重要なものもあるため、そういった場面では心強い助けとなるかもしれない、などと益体のないことを考えてしまう。

 颯輔がシャマルの治療を受けながら、ヴィータから結界内の事のてん末を聞き出していると、すぐ近くに二つの転移反応があった。探知防壁のあるこの場を特定できる者など限られている。無人世界である以上、偶然別人が、ということもなかった。

 ラベンダーと群青色の転移魔法陣から現れたのは、シグナムとザフィーラ。シグナムの姿を視界に認めた颯輔は、安堵の感情を焦燥に塗り替えて飛び起きた。

 

「シグナムっ!!」

 

 颯輔はすぐさまシグナムの傍まで駆け寄り、ふらつくその体を支えた。シグナムの騎士甲冑は所々が焼け焦げており、赤黒く染まった肌をさらしていたのだ。まるで至近距離で爆発を受けたかのような有様に、二人を労うことも忘れてしまう。

 

「シャマルっ! 早くシグナムの治療を――……シグナム?」

 

 置いて来てしまったらしい闇の書を携え、ヴィータと共に駆けてくるシャマルをなお呼びつけていた颯輔の肩に、震えるシグナムの手が添えられ、体重が預けられた。しかしそれは、恋人同士の抱擁などではない。まるで、崩れ落ちてしまわないようにと縋りつくかのようで、そして何より、颯輔が逃げてしまわないようにと捕まえているかのようだった。

 シグナムの顔が上がり、怒りと悲しみと苦しみを混ぜ返したような表情が、颯輔の視界に映り込んだ。いつかの夜と同じく、いや、それ以上に見れない顔だった。

 

「颯輔……どうか、誤魔化さずに教えてください……」

「……何を?」

「あなたが……あなたと管制人格が知っていて、私達に隠していること……その全てです……」

 

 シグナムらしからぬ力のない声。それは、半ば予想のついていた言葉だった。訊かれないことに安堵しつつも、いつかは訊かれてしまうのだろうと危惧していたものだ。元より、いつまでも誤魔化しきれる類の話ではない。シグナム達が蒐集に明け暮れていたということもあったが、管制人格が起動してからの颯輔は、ほとんどの時間を管制人格と共に過ごしていたのだから。

 

「…………」

「颯輔君……」

 

 颯輔とシグナムのかたわら、ザフィーラは口を閉ざして見上げてくるばかり。隣に立つシャマルは、悩む素振りをしながらも視線を颯輔へと向けていた。

 

「あたしも、知りたい……」

 

 ヴィータは握った拳を震わせ、迷いを見せつつもそう呟いた。

 シグナム達の全員が、真実を知りたがっている。遠巻きの映像では音声までは拾えなかったが、戦闘中の高町なのは達は、シグナム達に何かを呼びかけていた。きっと、そこで聞かされてしまったのだろう。そうでなくとも、何かを隠していることには気が付いていたはずなのだ。むしろ、これまでそれを訊かずにいてくれたことに感謝すべきなのである。

 

『お前達、あまり主を困らせては――』

「――私達はっ!!」

 

 シャマルの手を離れ、独立飛行した闇の書の管制人格が諌めるも、それはシグナムの叫びにかき消されてしまう。

 

「私達は、あなたの家族ではないのですかっ……! それは、家族にすら話せないようなことなのですかっ……!」

「……っ!」

 

 糾弾するシグナムの頬を、涙が伝い落ちていった。

 限界、なのだろう。平穏を手に入れたかと思いきや、あの闇の世界に逆戻りしてしまったのだ。敵の言葉が響くほど、シグナム達は心身に疲労を蓄積させてしまっていたのだろう。そして、致命的だったのは、リンディ・ハラオウンから蒐集が行えなかったことか。

 

「それは……」

『…………』

 

 だが、本当に全てを話してしまってもいいのだろうか。今のところ、微かな希望があるにはあるのだが、それは、決して最良の結果を導くものではない。ともすれば、はやてとシグナム達を更なる絶望の淵に追い込んでしまうかもしれないものだ。

 迷う颯輔の肩を掴む力が弱くなり、シグナムの手が離れた。

 

「それとも私達は……あなたにとっても道具だったと――」

「――違うっ!!」

 

 シグナムから漏れる言葉を、颯輔は腹の底から声を出して遮った。木霊した颯輔の声が消えてなくなると、風のない森には静寂が訪れる。

 いつもそうだ。八神颯輔の選択は遅すぎる。迷ってばかりであと一歩が間に合わず、結果は最良のものから遠ざかってしまう。いつもいつも、後になってから悔やんでばかりだった。

 颯輔は、そんな優柔不断な自分が許せなかった。

 

「わかった……全部、話すよ。……だけど、それは今じゃない。今はシグナムの治療をして、そして、家に戻らないと……。夜、はやてが眠ったら、皆で俺の部屋に来てくれ。そこで、全部を話すから。それでいいか?」

「…………はい」

 

 シグナムが頷いたのを見て取ってから、颯輔は周りを見回して確認する。今はそれで納得してくれたのか、ヴィータもシャマルもザフィーラも、黙って頷きを返してくれた。

 しかし、管制人格だけは俯いており、内心では颯輔の考えに反対しているようだった。その理由は、望むべく解決法が見つかってはいないためだろう。だがそれでも、シグナムにあそこまで言わせてしまった以上、颯輔にはこれ以上黙っていることなどできなかった。

 

「それじゃあシャマル、まずはシグナムの治療を頼む。ザフィーラはその間、二人のことを守ってやってくれ」

「はい」

「わかりました。治療が済み次第、我らも戻ります」

「頼んだ。悪いけど俺達は先に戻ってるから、気を付けて。ヴィータ、転移魔法、お願いできるか?」

「うん、任せて」

 

 それぞれに指示を出し、颯輔は管制人格とヴィータと共に自室へと転移する。羽のように軽いはずの騎士甲冑が、今だけは鉛のように重く感じた。

 

 

 

 

 八神はやてが携帯電話を持たされたのは、小学校への入学を機にしてだった。無論、身体に障害を持つが故にである。学校が終わると、兄である颯輔に連絡を入れて迎えを待つ、というのがほとんどだったのだ。

 携帯電話の普及が進んでいる昨今、当時のクラスメイトにも少数ながら携帯電話を持つ者はいた。はやてもアドレスを交換したのだが、休学している今現在は、電話帳の肥やしとなっている状態である。実質利用しているのは、両手どころか片手で足りる件数だろう。

 もっとも、一番連絡を取る相手であった颯輔とは、携帯の代わりに念話を使うようになってしまった。シグナム達と連絡を取る際も念話を使ってしまうため、外出していても自宅の固定電話にかけることはまずない。次点では担当医の石田幸恵であったが、最近の体の調子はどうだのといった内容が多く、友人関係とは程遠い内容である。父の友人であるグレアムに至っては、颯輔が連絡を取ったとき、ついでに二言三言話す程度でだった。

 改めて考えてもみれば、はやては携帯をほとんど利用していなかった。颯輔に料金プランを変更されてしまったのも止む無しである。

 しかし、12月に入り、はやての携帯の使用率は今までの遅れを取り戻すが勢いとなっていた。それは、今月頭に風芽丘図書館で出会った月村すずかと、アドレスを交換したからである。

 実のところ、はやては時折すずかの姿を図書館内で見かけることがあった。同い年くらいの子かな、とは思っていたのである。そして、それは向こうも同じだったらしい。お互い読書好きということもあって、電話やメールの話は弾んだ。すずかの通う聖祥小学校に、はやてが来春から転校する予定であったのも、一役をかっていただろう。

 それらがあって、はやてとすずかは出会ってから一週間と少ししか経っていないにも関わらず、お互いの家に遊びに行くほどの仲となったのである。

 ちなみについ先日、はやてが初めてすずかの家に遊びに『連れて行かれた』際、その待遇と豪邸を目の当たりにし、格差社会という言葉を早くも理解してしまったのは、すずかには内緒の話である。

 というわけで本日。しばらく家族しか足を踏み入れていなかった八神家に、随分と久しぶりに家族以外の姿があった。話のとおりにそのお相手は月村すずか。テーブルに置いたお菓子とお茶を挟み、はやてとリビングにてガールズトークなるものに花を咲かせているのであった。

 

「ほんでな、最後の最後にびっくりなどんでん返しあって……あとは、読んでみてのお楽しみや」

「うーっ、すっごく気になるよぉ……! 今日は寝ないで読んじゃうかも」

「あはは、すずかちゃんは案外せっかちさんやな。でも、夜更かしはあかんで? 返してくれるのはいつでもええから、ゆっくり読んでくれてかまへんよ」

「そう? じゃあ、うん、ちょっと貸してもらうね。ありがとう、はやてちゃん」

「そ、そんな気にせんでもええよ。うちに置いといてもたまーに読み返すくらいやし、その子も誰かに読んでもらった方が幸せや」

「読んでもらった方が幸せ、かぁ。それじゃあ、私もおすすめの本、今度持ってくるね。何冊か選んでメールでタイトルとあらすじを送るから、その中から選んでもらえるかな?」

「ほんま? おおきにな、すずかちゃん」

「うん、どういたしまして」

 

 可憐に微笑むすずかの姿はどこからどう見てもお嬢様で、少々年季の入ったソファに座らせているのが申し訳ないくらいだった。すずかの家に比べると、ここには煌びやかな調度品もメイドの姿もない。お茶請けにあるのも、そこいらのスーパーで売っているようなものだ。どう考えても、見劣りしてしまう。

 しかし、幸いなことに、すずかにそれを気にした風はなかった。物語のお嬢様は金髪縦ロールで、おーっほっほっほと高笑いをして、何かと金持ちであることを鼻にかけるような人物ばかりだが、やはり、それはフィクションの中だけだったらしい。

 はやては自分が偏見に囚われていたことを恥じ、顔の熱を冷ますように天井を仰いで息を吐いた。

 何気なく見上げた天井の先は、颯輔の部屋の位置。しばらく前に帰宅した颯輔だが、気を遣ってくれたのか、一度顔を見せただけであとは部屋に籠ってしまっていた。最近の颯輔は、家に二人きりのときを除いてそうしていることが多かった。

 はやての様子がおかしかったのか、すずかがクスリと笑いを零した。

 

「ふふふ、お兄さんが気になる?」

「えっ、ちゃ、ちゃうよ、そんなことあらへんって」

「でも、何だか寂しそうな顔してたよ?」

「か、勘違い! そんなんすずかちゃんの勘違いや!」

「そうかな?」

「……もう、すずかちゃんのいじわる」

 

 はやては、弁明をする度に笑みを深くするすずかに、自分がからかわれていたことを悟った。はやては家ではいじり役であるため、いじられることには慣れておらず、赤くなった顔を伏せてしまう。誤魔化しにすすったお茶は、熱が冷めて温くなってしまっていた。

 先ほどの行動は意図したものではなかったが、すずかには内心を見透かされてしまったらしい。お世辞にも長い付き合いではないはずだが、どうやらすずかは心の機微に敏いようだった。最近は家族皆が忙しそうにしている、と話してしまったのも、判断材料にされたのかもしれない。

 

「ねえ、はやてちゃん。はやてちゃんさえよかったら、今度、私のお友達を誘ってみてもいいかな?」

「ん? すずかちゃんのお友達?」

「うん。学校ではやてちゃんの話をしたら、その子も会いたいって言ってたし……その、今日学校が終わったときも、なんだか雨の中に捨てられた子猫みたいな目をしてたから……。あっ、別に、はやてちゃんと遊ぶのが嫌だとか、全然そんなんじゃないよっ? ただ、他のお友達も最近忙しいみたいで、その子だけ仲間外れみたいになっちゃって……」

 

 遠慮がちに目を伏せるすずかを見て、小学生みたいな悩みみたいやな、とはやては思った。どうやらすずかは、友人一人を残して遊んでいることに、罪悪感を感じてしまっているらしい。

 学校の友達ということは、当然その子も聖祥小学校の児童だろう。それに、すずかの友達なのだから、悪い子であるはずがない。むしろ、今の話を聞く限りは可愛らしい子ではないか。そういうことならば、はやてとしては断る理由もない。内心を言ってしまえば、同学年の友達が欲しいという気持ちも確かにあった。

 

「わ、わたしは、別にかまへんよ。ほら、わたし、年がら年中家におって、暇しとるだけやし……。その、そっちの子がええっちゅうんなら、うん、大丈夫」

「本当? それじゃあ、その子に伝えておくね。ありがとう、はやてちゃん」

 

 ぱっと顔を上げ、花咲くような笑顔を浮かべるすずかに、何故かしてやられたような気持ちになってしまうはやてだった。何だか、すずかの思惑通りにことを運ばれた気さえする。

 気のせいだろう、と考え直していると、物音さえしなかった二階から階段を降りる音が聞こえてきた。それが一階に到達すると同時、玄関の開く音があり、ただいまー、と幼い声がする。続き、リビングのドアを開けて入ってきたのは、颯輔とヴィータだった。

 颯輔は台所に向かい、ヴィータははやての下へと駆けてきた。

 

「はやて、ただいま!」

「おかえり、ヴィータ。今日はちょう遅かったなぁ」

「こんばんは、ヴィータちゃん。お邪魔してます」

「どうも、です」

 

 膝の上で笑顔だったはずのヴィータが、すずかに話しかけられた途端にぎこちなくなってしまうのを見て、思わず苦笑が漏れた。ヴィータとすずかは前にも会ったことはあるはずだが、どうやらまだ慣れてはいなかったらしい。人見知りのきらいがあるヴィータが、家族以外の人にも同じ態度で接するようになるのは、少しばかり時間がかかるのだ。

 ヴィータを撫でつけつつ再びすずかとのお話に興じていると、急須を持った颯輔が台所から戻ってきた。

 

「はい、すずかちゃん。おかわりどうぞ」

「ありがとうございます、お兄さん。でも、そろそろ迎えの時間が……」

「そっか。まあ残しちゃってもいいから、お迎えが来るまではゆっくりしてなよ」

「はい。それじゃあ、少しだけいただきます」

 

 すずかの言葉に時計を確認してみれば、いつの間にか、時刻は17時半を過ぎていた。まだ少ししか話していない気でいたが、そんなことはなかったらしい。楽しい時間は短く感じるもので、あっという間に時間が経っていた。

 

「はい、はやても」

「うん。おおきに、お兄」

 

 すずかの湯呑茶碗にお茶を注ぎ終えた颯輔が、今度ははやての方へと急須を向けてきた。寂しい思いを胸に抱きつつ、はやても湯呑茶碗を差し出して――

 

「――っ、ぅ……!」

「……はやて?」

 

 どくん、と。胸の奥で、心臓以外の何かが大きな音を立てた。

 途端、はやての体中に激痛が走り渡る。手を離れた湯呑茶碗がテーブルに落ち、甲高い音を響かせた。しかし、それに構っている暇などない。体内で暴れる痛みだけが、はやての感じる全てだった。

 この痛みは、はやてにとっては既知のものだ。ずっと前から、何の前触れもなく突然襲ってくるもの。ただ、小さい頃から付き合ってはきたが、今回のものは今までで一番酷い。気付かれないように我慢することは、不可能のようだった。

 

「はやてっ!!」

「はやてちゃんっ!?」

 

 二つの悲鳴を最後に、はやての意識は遠ざかっていく。

 崩れる体を、広い胸に受け止められた気がした。

 

 

 

 

 本日の作戦を失敗に終えてしまったクロノ・ハラオウンは、アースラ内の執務室にて報告書をまとめていた。室内にいるのはクロノ一人だけで、キーボードを叩く音だけが響いている。クロノは、感情を殺したかのような無表情で淡々と仕事をこなしていた。

 作戦は、途中までは順調に進んでいたのだ。闇の書の主を見つけ出すことこそ叶わなかったが、リンディの放ったサーチャーは、守護騎士をおびき出すことに成功した。シャマルの結界によって閉じ込められてしまう形となるも、結界内の戦闘は四課が優勢だった。

 状況が動いたのは、リンディが結界を破壊してから。新たに結界を展開するも、リンディはシャマルによって蒐集をされかけた。不幸中の幸いか、リンディは『前回』の事件で蒐集をされていたため、今回は無事に済んだ。しかし、それが引き金だったのかもしれない。

 劣勢を強いられていたはずの守護騎士を救ったのは、その主。シャマルの確保に向かっていたクロノ達の前に、その人物は突然現れのだ。なのはの記憶およびその身長から男性かと思われるが、身体のラインを隠す様な漆黒のローブ姿であったため、断定はできない。だが、主が管理局に敵対意思を持つ危険人物であることだけはわかった。

 主の放った広域攻撃魔法は、凄まじい威力だった。その道のプロであるリンディが展開して武装隊が強化までした結界を一瞬にして破壊してしまい、残留魔力で追跡が困難になるほどに。ギル・グレアムやプレシア・テスタロッサ、あるいはアースラの魔導炉の補助を受けたリンディにも引けを取らない、強大な魔導師だ。

 

「…………」

 

 キーボードを打つ手が止まり、クロノの表情が悔しさに歪んだ。

 リンディにリーゼアリアの活躍、なのはにフェイト、そしてアルフの奮闘に比べ、いったい自分は何をしていたのか。結界の外、リーゼロッテや武装隊員と共にシャマルを捜索していたにもかかわらず、彼女の居場所を特定したのはリンディだった。現場に急行すれば主によって邪魔をされ、結果、全員を取り逃がしてしまう始末だ。

 あのとき恐怖に竦んでさえいなければ、という思いが、クロノの中で膨れ上がる。犯罪者に気圧され肝心な場面でミスをする、そんなことは、執務官には許されない。ましてや、相手は長年探し求めていた闇の書の主なのだ。何よりも、クロノの矜持が自分自身を許せなかった。

 もしも、あの場にいたのがクロノよりも魔法の扱いに長ける師のアリアであったならば、結果は違っていたのかもしれない。そんな考えが過ったとき、執務室の扉が開いた。

 

「クロノ、調子はどう?」

「……アリアか」

 

 噂をすれば影がさすとは、日本の諺だったか。入ってきたのは、そのアリアだった。アリアも今日の失敗には思うところがあるのか、その面持ちは沈痛なものだった。

 

「……大丈夫?」

「ああ。見てのとおり、何の怪我もない。僕はいたって健康体だ」

「体じゃなくて、メンタルの方。酷い顔してるって、自分でわかってる?」

「…………」

 

 アリアの問いかけに、クロノは沈黙で答えた。そんなことは、言われずともわかっていたからだ。それを隠すために、今まで黙々と仕事に向き合っていたのだから。

 はぁ、と溜息をついたアリアが、こつこつと音を立てて近づいて来る。クロノの隣に立ったアリアは、ぽんぽんと頭を撫でてきた。俯くクロノは、それを振り払うことはしなかった。

 

「リンディが目を覚ましたわよ。こっちは私が片づけておくから、行ってきなさい」

「いや、しかし……」

 

 アリアの言葉にはっと顔を上げる。しかし、クロノはすぐにその視線を彷徨わせた。

 闇の書の主の攻撃が放たれたとき、その馬鹿げた威力を知っていたリンディは、すぐさま皆を転移魔法で一カ所に集めていた。続き、障壁を張って防ごうとしたのだが、あの魔法はそのすぐそばを掠めたのだ。結果、結界と障壁を破壊されて二重のフィードバックを受けたリンディは、その負荷に耐え切れずに倒れてしまったのである。それから四時間ほど経っているが、今の今まで昏睡状態だった。

 クロノにとって、リンディはたった一人の肉親だ。クロノ・ハラオウン個人としては、今すぐに医務室に向かいたい。だが、執務官としてのクロノ・ハラオウンは、仕事を放りだしてまで駆け付けるわけにはいかなかった。

 

「いいから、ほら、こんなときくらい自分を優先しなさい」

「…………すまない」

 

 しばし迷い、アリアに背を押される形で立ち上がる。アリアに頭を下げてから、クロノは医務室へと向かって駆け出した。

 執務室と医務室は、階が違うだけで同一ブロックにある。エレベーターを待つ時間も待ち遠しかったクロノは、階段を駆け下り目的のフロアへと到達した。角を曲がる際にスタッフとぶつかりそうになり、すまない、と謝りながら強引に避ける。壁に強かに肩を打ちつけるも、クロノが足を止めることはなかった。

 ほどなくして、クロノは医務室の前へと辿り着いた。すぐさま扉を開けようとして、思い止まり、乱れた服装と呼吸を整える。何となく、リンディにはここまで走って来たのだと知られたくなかった。

 

「……失礼します」

 

 扉をノックし、返事があったのを確認してから入室する。相手は母親だが、いつかの誰かと同じような目に遭うのはごめんだった。

 

「あらクロノ、いらっしゃい」

「…………」

 

 ベッドに半身を起しているリンディは、けろっとした表情でそう言った。その手には以前に地球から取り寄せた湯呑茶碗が乗せられており、そこから甘ったるい香りが立ち上っている。見舞い中らしいなのはとフェイトがベッドのそばに座っており、二人共が湯呑茶碗を手に辛そうな顔をしていた。

 

「クロノ君……」

「クロノ……」

 

 なのはとフェイトの助けを求めるような視線を咳払いをして斬り捨て、気持ちほんの少しだけ離れた位置に立った。

 好物を手にしているリンディの顔色は、常と変らないようだった。どころか、普段よりもほくほくとしてさえ見える。何だか、必死に走ってきた自分一人が馬鹿のように思えて仕方がないクロノだった。

 

「ご無事のようで安心しました、隊長」

「ええ、おかげさまで。あれは非殺傷設定だったようだし、魔力ダメージだけで済んだのが功を奏したようね」

「…………」

 

 あのクラスの魔法となれば殺傷設定も非殺傷設定も変わらないようにも見えるが、受けた本人がそう言う以上は間違いないのだろう。守護騎士の攻撃も非殺傷設定だったのだから、その主も同じだというのは一応納得はできる。『これまで』に比べれば、イレギュラーもいいところだが。

 もっとも、非殺傷設定であろうとも怪我をするときはする。手当てを受けた今は完治しているが、至近距離でシグナムの炎を受けたフェイトなどは、軽度の火傷を負っていた。ともすれば、フェイトの方がリンディよりも重症だったくらいだ。

 

「さて、と。なのはさんとフェイトさんは、そろそろお家に帰りましょうか。今日は休んでもらったけれど、明日は学校に行かないといけないものね。もう遅い時間だし、なのはさんのご両親も心配してるでしょう」

「あ、はい」

「え、でも……」

 

 なのはの両親にはハラオウン家にいると連絡を入れてあるはずだが、さすがにこれ以上は非常識な時間だ。なのはもそれをわかっているのか、リンディの言葉を素直に聞き入れていた。

 一方のフェイトはリンディが心配だったのか、リンディとクロノの間で視線を彷徨わせている。仮にも母親となる予定のリンディが負傷したのだから、無理もないだろう。

 くすりと笑ったリンディは、フェイトの頭をそっと撫でつけた。

 

「大丈夫よ、フェイトさん。今晩はここに泊まらないといけないけれど、明日の朝には家に戻って、お弁当も作るわ。だから、ね?」

「は、はいっ……。それじゃあ、あの……お、おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」

「…………」

 

 顔をほんのりと赤く染め、まだ緊張の見える挨拶をするフェイトを、リンディは微笑ましい様子で見ていた。それは正しく、我が子に惜しみない愛情を注ぐ母親のような表情だ。

 少しだけ釈然としないものを感じていたクロノに、一思いに煽って湯呑茶碗を置いた二人から、おやすみ、と声がかかる。おやすみ、と返してやると、二人揃って医務室から出ていった。転移ゲートまでは少しあるが、この艦の構造を完璧に把握しているフェイトがいれば、道中迷うことはないだろう。

 

「クロノ、ちょっとおいでなさい」

「……はい?」

「こっちこっち」

 

 閉まった扉を見つめていたクロノに、リンディから声がかかる。一応ベッドの傍にはいるのだが、尚も手招きをするリンディに首を傾げていると、先ほどまでフェイトが座っていたイスを指し示された。立ったままでいるよりは、と思ったクロノは、素直にそのイスに腰掛けた。

 ベッドの隣、最も近い位置に座ったクロノに、リンディが手を伸ばしてくる。何を、と思う間もなく、クロノはリンディに正面から抱きしめられてしまった。

 

「――っ、か、かあさっ、何をっ!?」

「心配かけてごめんなさいね、クロノ」

「そそそ、そんなことはっ、いいから離し――」

『――落ち着きなさい、クロノ。それに、実の息子にそんな風に嫌がられてしまうと、さすがに私も傷つくわ』

 

 クロノが士官学校に入ってからはされた覚えのない少々過剰なスキンシップに慌てふためいていると、リンディからクスクスと笑い混じりの念話が入った。しかし、リンディからの抱擁が解かれる気配はない。甘く懐かしい匂いが、クロノの肺を満たしていく。

 からかわないでください、とクロノは言おうとしたが、その前に再び念話が届けられた。

 

『しばらくはこのままで。それから、クロノも念話でお願いね?』

『……いったいどうしたんですか?』

『ちょっと、内緒話よ』

『内緒話……?』

 

 どういう意味ですか、とクロノが視線を上げると、ウインクで返された。歳を考えてください、と言いたくなったが、言わずに思うだけで我慢するクロノである。ほんの少しだけ、リンディの腕がきつくなったような気がした。

 

『今日の作戦、クロノはおかしいと思うところはなかったかしら?』

『おかしなところ、ですか?』

『そう。気になったこととか、何もない?』

 

 言われ、考えてみる。

 まず、現地時間の16時20分頃にそれぞれの配置に付いた。それから16時半に作戦開始、リンディがサーチャーによる捜査網を展開する。

 ほどなくして守護騎士が現れ、シャマルによって結界が張られた。結界外ではクロノとリーゼロッテが武装隊を率いてシャマルを捜索し、結界内ではリンディ達が戦闘を開始。報告では、なのはとフェイトがシグナムとヴィータと、アルフとアリアがザフィーラと戦闘を始めたとのこと。リンディは、結界を破壊するために術式の解析に入ったらしい。

 しばらくしてリンディがシャマルの結界を破り、新たに結界を張り直す。続き、ブリッジとの通信中にシャマルの攻撃を受けたのだ。幸いにもリンディは蒐集をされず、シャマルの居場所の逆探知に成功。クロノ達が連絡を受け、その場所に向かう。後は闇の書の主が現れて、という展開だった。

 この中で、おかしな点と言えば。

 

『…………そうだ、どうしてシャマルは、隊長を蒐集しようとしたんでしょうか。隊長は「前回」、他ならぬシャマルの手によって、それも同じ方法で蒐集を受けていたはずなのに……』

『うーん、それも気になるところだけど、今は不正解。私がおかしいと思ったのは、ロッテとアリアの配置よ』

『配置、ですか?』

『ええ。だって、普通は逆じゃない? ベルカ式の使い手は近接戦に秀でている。それは使い魔――守護獣のザフィーラにも言えることだわ。だったら、同レベルの近接格闘型であるロッテを結界内に配置すべきだと思うのだけど』

『ですが、ロッテの機動力は捜査範囲の拡大に繋がりますし、アリアの場合は全体の援護が出来ます』

『捜査範囲の拡大を図るなら、アリアがサーチャーをばら撒いた方が効率がよかったはずよ。全体の援護なら、アリアほどでなくとも私ができるわ。その気になれば、アルフでも大丈夫だったでしょう。それに、アリアはアルフと一緒にザフィーラと戦っていた……なのはさんとフェイトさんの援護なんて、一度もしなかったわ。まあ、私は最初にしてもらったのだけど、それはロッテでも十分――むしろ、ロッテの方が適任だったはずよ。ロッテなら守護騎士とも互角に戦えるし、短距離瞬間移動で撹乱もできるし』

『それは…………あの、何が言いたいのですか?』

 

 リンディの言には確かに一理がある。クロノ自身、アリアがいれば闇の書の主を捕えることができたかもしれないと思ったほどだ。しかし、ロッテとアリアの配置の違いだけで、作戦失敗に繋がったのだとはとても考えられなかった。むしろ、原因は恐怖してしまった自分にあるはずなのだから。

 そして、リンディが言わんとしていることも、クロノにはよくわからなかった。

 

『それからもう一つ、おかしなことがあるわ』

『もう一つ?』

『アースラの魔導炉が停止して、システムが一時的にダウンしてしまったことよ。確かに、闇の書の主の魔法にはそれだけのことを成し得る力があったでしょう。けれど、それはアースラに向けて撃たれた場合の話よ。あのとき、私とアースラの魔導炉のパスはまだ繋がっていなかった。専門家の意見も欲しいところだけど、パスを繋ぐ途中に攻撃を受けたとして、それが軌道上にあるアースラにまで被害を及ぼすものかしら?』

『確かにそうですが……』

『もっとも、例えアースラの魔導炉が停止しなかったとしても、あの残留魔力では守護騎士達の追跡は困難だったでしょうけどね。万が一のための保険か、それとも、他に狙いがあったのかしら?』

『保険に狙いって……――まさか、四課の「誰か」が守護騎士達に肩入れをしているとでも言うんですか?』

『さあ、そこまで断言はしないけど……けれど、偶然にしてはちょっと出来過ぎていると思わない?』

 

 小首をかしげるリンディは、いつもどおりの微笑を浮かべていて。安心を覚えるはずのそれを見たクロノは、胸にもやもやとしたものが広がるのを感じたのだった。

 

 

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