夜天に輝く二つの光   作:栢人

22 / 29
第二十一話 陰る空

 

 

 12月20日、巡航L級8番艦『アースラ』の訓練室。念のためにと結界が張られたその中では、三色の魔力光が忙しく飛び交っていた。

 

「はい、それじゃあラスト100。ど真ん中以外は外れにするから、気を抜かないように」

「はいっ!」

《Accel Shooter, set.》

 

 リーゼアリアが端末を操作すると、全滅させたはずのターゲットが再び空中に現れた。静止しているものは一つとしてなく、その全てが緩やかに、あるいは高速で動いている。大きさは直径30センチとサッカーボールよりも大きい程度だが、図星は魔力弾一発相当だ。

 額に汗を光らせながらも元気のいい返事をした高町なのはは、レイジングハート・エクセリオンを振るいつつ答えた。桜色の魔法陣が描かれ、なのはの周囲に十二の魔力弾が形成される。手足の如く動かすことのできるそれらを従え、なのははターゲットの位置と動きをつぶさに観察していた。

 しかし、なのはの視界に映るのはターゲットだけではない。金色の魔力刃と青色の魔力を帯びた四肢とがぶつかり合い、光を散らしている。ターゲットの隙間を縫うように飛行しながら、フェイトとリーゼロッテが激しい空戦を繰り広げていた。

 

「もちろん、ロッテとフェイトに中ててもアウトだからね。用意……スタート!」

「――シュートッ!」

 

 アリアの掛け声とほぼ同時、桜色の魔力弾が射出された。

魔導師の訓練校ではとても教材にできないレベルのものだが、なのはに戸惑いはなかった。なぜならこれは、なのはとフェイトのレベルに合わせてリーゼ姉妹が考えた訓練だから。一見無茶苦茶に見えても、何とかクリアできるレベルのもの。術者に求められることも多いが、何よりなのはは己がパートナーを信頼していた。レイジングハートと協力すれば、この程度の難題など突破できないはずがない。

 レイジングハートのサポートを受けたなのはの指示により、十二の魔力弾が舞い踊る。それぞれの方向に散りながらも、その狙いは正確無比。逃げるターゲットを捕捉し、見事に図星を撃ち抜く。その一方で、フェイトとロッテには掠りもしない。ターゲットの数は、見る見るうちに減っていた。

 

「うーん、なのはにはこれでも簡単過ぎたかしら……? ロッテはまだ余裕だし、フェイトは息を切らしてる程度だし……」

 

 残るターゲットが早くも半分を割ったとき、集中を続けるなのはの隣で不穏な声が上がった。集中を維持しつつもなのはが耳を傾けると、先行きが不安になるワードが聞こえてくる。どうかおかしな方向に行きませんように、と心の中で祈りつつ、なのははアクセルシューターの制御を続けた。

 

「よし、もうちょいレベルアップしてみましょうか」

「ふぇっ!?」

 

 願い空しく、パチン、とアリアが指を弾くと、なのはの視界に異常が現れた。フェイトとロッテの姿が、ターゲットの合間にいくつも現れたのだ。

 高速機動で戦闘を行っていた本物のフェイトとロッテは、同じく高速機動で戦闘を行うフェイトとロッテ達の中に紛れ、すぐにどれが本物なのかわからなくなってしまう。アリアの幻術魔法、フェイクシルエットによる凶悪な妨害だった。

 

「こんなっ、ずるいですよぉっ!」

「ほら、集中集中。失敗したら、ご褒美に甘くておいしいお茶をご馳走しちゃうわよ?」

 

 なのはの抗議にも動じた様子を見せず、アリアは普段と変わらない様子でとんでもないことをのたまってくる。抹茶オレなどとは比較にもならないあの甘ったるさを思い出し、なのはは続く文句を飲み込んだ。

 それご褒美じゃないです、と心の中でマルチタスクによるツッコミを入れ、レイジングハートを力いっぱい握り締める。

 

「行くよ、レイジングハートっ!」

《……All right.》

 

 心なしノリの悪いパートナーの返事を受けてから、なのはは思考の全てを術式制御につぎ込んだ。

 今は余計な思考など不要。視覚とリンカーコアが感じる全てをただ情報として受け入れ、レイジングハートと共に分析。全てのフェイトとロッテの機動を予測し、差異が出る度に軌道に修正をかけ、目標のみを穿つ。当然、その過程で射撃のレベルを落とすことなど選択肢にも上らない。

 この瞬間、なのはは射撃型魔導師の到達点へと踏み込もうとしていた。

 内心で舌を巻くアリアの前で、ターゲットが次々と撃ち抜かれていく。障害物が十倍以上に増えたにもかかわらず、撃墜速度に遅れは見られなかった。

 時折シルエットに対する怪しい判定はあったものの、それでも命中精度は背筋が寒くなるほどで、図星から1ミリたりとも誤差はない。アリアがこれほど育てたいと思わされた人材は、クロノ・ハラオウン以来だった。

 

「これで……最後っ……!」

 

 弱弱しい掛け声と共に、全てのターゲットが破壊される。レイジングハートの排熱機構が駆動し、なのはの姿が隠れるほどの蒸気を吐き出した。

 常軌を逸した排熱量に、アリアの興奮も一気に沈静化した。なのはの限界を見るつもりで多少無茶な訓練をさせたが、まさか、成功してしまうとは思ってもいなかったのだ。

 明るく人懐っこい普段からは想像もつかないが、なのはの本質は負けず嫌いのがんばり屋。思いもよらない伸び代を見せたなのはに、止める立場にあったアリアはそれを忘れてしまっていた。

 蒸気が晴れて、なのはの姿がようやく現れる。アリアがほっとしたのもつかの間、なのはの体がぐらりと傾いた。

 

「なのはっ!?」

「……けほっ、けほっ……しゅ、集中しすぎて、息するの忘れてました……」

「この子は……。まったく、大した魔導師よ、あなたは」

「にゃはは、ありがとうございます」

 

 慌てて受け止めたアリアの腕の中で、赤くなったなのはが可愛らしく舌を出す。呆れ半分感心半分で頭を撫でてやると、満更でもないのか照れ笑いを見せながらも身を委ねてきた。

 なのはの魔法資質は、アリアの知る魔導師の中でも一際異彩を放っている。魔力量こそギル・グレアムには及ばないが、それでも射砲撃のスキルは、アリアにとっては悔しいことに上回っているだろう。特務四課ではなく、武装隊の方で出会っていれば、という思いがアリアの心に募った。

 

「おうおう、アリアの飴と鞭になのはも骨抜きみたいだね~」

「失礼な……。ロッテはもう少し優しく扱ってあげなさい。フェイトはクロノと違って女の子よ?」

「だから、こうして抱えてやってんだろ?」

「この子は……」

 

 同じく訓練を終えて隣に降り立ったロッテの言葉に、アリアは半目になって返した。なにせ、体力を使い果たしてぐったりとしたフェイトを、あろうことか肩で抱えているのである。男の子だったクロノならばともかく、女の子であるフェイトまでをも同列に扱ってしまうのは、些か以上にデリカシーに欠けると思えた。

 

「フェイトちゃん、大丈夫……?」

「た、ぶん…………」

 

 なのはとアリアの隣、仰向けに寝かされたフェイトに、なのはが恐る恐る声をかけると、掠れた声が返ってきた。ぐっしゃりと汗に濡れたフェイトは、呼吸をするのも辛そうだ。

 戦闘のレベルは互角でも、フェイトはまだまだ子供で、体力ではどうしてもロッテに敵わない。互いに強固な信頼関係を築いているとはいえ、魔力弾が飛び交う中での訓練で、精神的にも参っているのだろう。

 レイジングハートの収納領域から清潔なタオルを取り出したなのはは、甲斐甲斐しくフェイトの汗を拭い始めた。

 

「ありがと……なの、は……」

「ううん、気にしないで。お水もいる?」

「ん……」

 

 コクリと頷いて見せたフェイトに、今度は清涼飲料水を取り出すなのは。フェイトの頭を太腿の上に乗せ、口元に運んだペットボトルをゆっくりと傾けてやると、喉が小さく震えた。

 もう大丈夫、と念話を受け、今度はなのはがペットボトルに口をつける。厳しい訓練を終えて火照った体に、程よく冷えた水分が心地よかった。

 

「~~っ!」

「フェイトちゃん、どうかした?」

「な、何でもないよ……!」

「……?」

 

 突然頬を赤く染めたフェイトになのはが首を傾げるも、蚊の鳴くような声を返されるばかり。まだ飲み足りなかったのかと思って飲み物を差し出すも、今度は激しく首を横に振って否定されてしまった。

 火傷でもしたかのような勢いで太腿から飛び起きたフェイトは、もう大丈夫だから、ほんとに大丈夫だから、と俯きながら呟いている。その様子を見たなのはは、さらに深く首を傾げるしかなかった。

 

「お熱いこったねえ」

「冷やかさないの。それじゃあ二人共、今日の訓練はこれで終わりだから、シャワーを浴びて待機しておくこと」

「あっ、そうそう。一応、デバイスはマリーに見てもらっとけよー。バルディッシュもレイジングハートも結構な負荷掛かってたからな、カートリッジシステムもデリケートなんだし」

「はい、わかりました」

「ありがとうございました!」

 

 意味深な目を向けながらも細かな気遣いを見せるロッテと、結界を解きつつ訓練終了を告げるアリアに、立ち上がったなのははフェイトと揃って頭を下げる。よしよしと頭を撫でる感覚が二度過ぎると、リーゼ姉妹は訓練室から一足先に去ってしまった。

 二人が出て行ったのを確認してから、なのははフェイト共々再び床に座り込んだ。

 リーゼ姉妹の訓練を受け、着実に実力が上がっているのはわかるのだが、その分だけ疲労は溜まってしまう。訓練後はしばらくそのまま休憩することが、なのはとフェイトの特務四課での日課であった。

 

「今日の訓練、いつもより厳しかったね……」

「うん。ロッテもガンガン攻めてきて辛かった……」

「フェイトちゃんとロッテさんがいっぱいになったときはびっくりしたよ」

「でも、私達にもシルエットにも一発も当たらなかったよ? やっぱりなのははすごいよ」

「そんな、危ないのもあったってば。フェイトちゃんが避けてくれたから助かったんだもん」

「そんなことないよ」

「そんなことあるよ」

「…………ぷっ」

「…………くっ」

 

 互いに主張を曲げず、しばしの間、顔を突き合わせて視線を交える。やがて、どちらともなく吹き出し、二人揃って大きな笑い声を上げた。

 アースラの設備では比較的広い訓練室に、しばらく二人の声が反響する。基本多忙な四課では、限られた緩やかな時間だった。

 

「ねえ、なのは」

「なに?」

 

 ひとしきり笑いこけた後、フェイトに改めて呼び止められる。顔を向けたなのはは、フェイトの赤い瞳に真剣な光を見た。先ほどまでとは違う、真面目な話。そう直感したなのはも、表情を引き締めて応じた。

 

「闇の書の主は、どうしてシグナム達に蒐集をさせてるのかな?」

「それは……」

 

 それは、なのはには答えようのない問いだった。

 

「この前戦ったとき、シグナムもヴィータも、何だか泣いてるみたいに見えたんだ」

「うん。私も、そう思った……」

「仕方なく蒐集してるけど、嫌々してるわけじゃないみたいだったっていうか、何ていうか……」

「……主さんのため?」

「それはそうなんだろうけど、ただそれだけじゃないっていうか……ごめん、上手く言葉にできないや」

「うーん…………フェイトちゃんの言いたい事、何となくわかるかも。ヴィータちゃん達、悪い人には見えなかったもん。あのときも、危ないから逃げろ、って教えてくれたし」

「結局よくわからなくてそのままいたから、リンディ隊長に迷惑かけちゃったんだけど……」

「そっ、それはほらっ! 私達もだめだったかもだけど、一番いけないのは攻撃してきた主さんだよ!」

 

 あのときを思い出してしまったのか、目に見えて暗く沈み始めるフェイト。なのはは慌てて身振り手振りをしながらそれを否定した。

 リンディが倒れたとき、確かになのはも動揺はしたのだが、それ以上にフェイトが取り乱していたため、それを見て落ち着きを取り戻すことができたのだ。要は、それほどにフェイトを放っておけなかったということ。いつか、自身の真実を聞かされたときほどではなかったが、その次点にくる程度には塞ぎ込んでいた。リンディが目を覚ましてフェイトを諭し、ようやく普段のフェイトに戻ったのである。

 

「うん……でも……本当に、そうなのかな?」

「え……?」

 

 それはつまり、闇の書の主は悪くないと言いたいのだろうか。

 思い返せばヴィータは、なのはが闇の書のことについて、もっと言うならば、主に騙されているのだと諭したときに、激しい怒りを見せていた。

 主の悪態をつかれて怒るということは、主に対して好意的であるということなのだろう。しかし、なのはがクロノやユーノから聞いた話では、今までの主は守護騎士に酷い扱いをしてきたというものだった。

 自分達は、どこか根本的なところで勘違いをしているのではないか。

 

「ごめん、忘れて。どっちにしたって闇の書が危ない代物であることに変わりはないんだから、ちゃんと封印しなきゃなんだよね……」

 

 なのはの思考を、フェイトの言葉が縫い止めた。

 結局のところは、そこに行き着くのだ。

 二回目の戦闘以来、守護騎士の反応は地球では見られなくなった。転移反応を追っても別の世界に行き着くだけで、現地に赴いても蒐集が済んだ後、というのがほとんどだ。

 地球で闇の書が暴走するという最悪の事態は避けられそうだが、しかし、闇の書が完成してしまえば、どこかの世界が危険に晒されることに変わりはない。

 戦闘要員でしかないなのはとフェイトには、次の戦闘に備えて力をつけることしかできない。守護騎士に打ち勝ち、話を聞かせてもらうことでしか、二人が真実を知る術はなかった。

 

 

 

 

 クロノ・ハラオウンの性格は、冷静沈着で生真面目。いっつも機嫌悪そうにしてるから確かに近寄りがたいかもねー、とは補佐官談。本人からしてみれば、早く一人前にならなければ、という想いが強かっただけなのだが、そのために学生時代は仲のいい友人があまりできなかったのだという自覚はあった。

 しかし、あまりできなかったというだけで、仲のいい友人がまったくできなかったわけではない。エイミィ・リミエッタを除いたとしても、クロノには同性の友人がしっかりといる。その人物はクロノとは真逆の性格をしているのだが、あるいはそれ故にと言うべきか、士官学校を卒業してそれぞれの道に進んでからも、頻繁に連絡を取り合うほどには親交があった。

 

『「管理局の英雄の身辺を洗ってほしい」、ねぇ。これはまた、なんとも無茶苦茶なお願いだ』

 

 プライベート用の端末から繋いだ通信、ディスプレイの中の少年が、冗談めかした溜息をついていた。また仕事をさぼってお菓子作りにでも精を出しているのか、深緑の長髪はポニーテールに結わえてエプロンを装着している。本人曰く要領がいいそうで、いい加減な態度で物事に臨んでも結果は出すのだから性質が悪い。最年少査察官の様々な噂は、なにかと忙しいクロノの耳にも届くほどだ。

 時空管理局本局査察部に所属する、ヴェロッサ・アコース。士官学校時代からの付き合いの、クロノの親友だった。

 

「やはり、難しいだろうか……」

『秘密裡に、と条件がつけば、そりゃあ難易度は跳ね上がるさ。失敗すれば僕だけじゃなく、君と君のバックの立場も悪くなる。間違いなく干されてしまうね』

「むぅ……」

 

 器用にもボウルの中身をかき混ぜながら肩を竦めて見せるヴェロッサ。クロノ自身も無理強いをしているとわかっていたため、拒否されてしまって当然とは考えていた。

 しかし、こんなことを頼めるのはヴェロッサ以外にはいないのもまた事実。それほどクロノは彼を信頼していたし、また、客観的に見ても、査察官としての技能は依頼相手として申し分ないほどに抜きん出ていた。

 

『そうだね……条件を飲んでくれるのなら、久しぶりに頑張ってみようかな』

「……聞こうか」

 

 ディスプレイ越し、ヴェロッサの目が怪しく光った――ような気がした。

 管理局の英雄と謳われる人物の身辺を探るなど、管理局に対する敵対行為もいいところ。それが所属部隊の部隊長ともなれば、尚更である。

 当然、ヴェロッサに頼み込む前にクロノ自身の力で調べてはみた。しかし、相手はクロノの恩師であるという引け目があり、また、同部隊故に動きが取り難く、有用な情報は得られなかった。

 事が公にできない以上、協力者は信頼できる者でしかあり得ない。そして、四課の外部の人間である必要があった。その条件に該当するのは、ヴェロッサただ一人だったのだ。

 

『実は今、新作のお菓子を作っているところなんだ。ところが残念なことに、体のいい味見役がいなくて困っていてね。そのうちでいいから、クロノ君には休みを取って遊びに来てもらいたいんだけど……おっと、特務部隊所属の最年少執務官殿には、あまりにも無茶な条件だったかな?』

「……そんなことで、いいのか?」

『そんなことって、おいおい、僕が一生懸命仕事に励むくらいには、価値のあることだと思うんだけどなぁ。違うのかい?』

 

 いったいどんな無理難題を突き付けられるのか、と身を固くしていたのだが、クロノは肩の力が抜けるを感じた。なんだか盛大な肩すかしをくらった気分だった。

 あのヴェロッサのことだ、もっとこう、えぐい要求をしてくるものだと思っていたが、それはクロノの一方的な思い込みだったらしい。士官学校時代からずぼらなところが目立ちすぎるヴェロッサだったが、思い返せば、確かに義理人情には厚い男だったか。

 

「ふっ、いいだろう。君の指定する日に休暇を申請しようじゃないか」

『交渉成立だね。仕事の期限は?』

「早ければ早いほどいい。中身はどんな些細なことでも構わない。君が不自然に思ったことを取り上げてくれ」

『ただし誰にもばれないように、だね。まったく、人使いの荒い執務官殿だ』

「休暇を選べない執務官を無理矢理休ませるんだ、安いものだろう」

『はいはい。それじゃあ、何かわかったらプライベート端末に連絡を入れるよ』

「ああ、よろしく頼む」

 

 キザったらしくウインクを飛ばしてくるヴェロッサに、クロノは苦笑を返して通信を切る。しばし学生時代に思いを馳せたクロノは、続き、別の相手に通信を入れた。

 コール音がしばらく続き、ようやくディスプレイが開いたかと思いきや、古めかしい書物の山が映し出される。手慣れた魔法捌きでそれらが避けられ、少々ほこりに塗れた金髪の少年、ユーノ・スクライアが顔を出した。

 ユーノの表情は、見るからに不機嫌なものである。目の下には、色白のユーノの顔では大いに目立つ隈ができていた。

 

『……何か用?』

「闇の書の封印方法の件だが、調べは進んでいるか?」

 

 呪詛すら込められているようなユーノの声だったが、クロノは至って冷静に返した。冷静沈着であるのがクロノ・ハラオウンの長所である。フェレットもどき程度に威圧されるようでは、執務官は務まらないのだ。

 

『……無限書庫でも文献が少なすぎて、もうお手上げ状態だよ。闇の書を破壊したって話はあるけど、結局は再生しちゃってるし。封印を試みたってのもあるにはあるんだけど、こっちも全部失敗に終わってるみたいだね』

「まあ、成功していればこうして頭を悩ませることもないからな」

『僕が扱き使われることもなかっただろうね』

「いや、それは希望的観測だろう」

『せめてそこは同意してよっ!』

 

 ディスプレイの向こうではギャーギャーと騒いではいるが、何だかんだで協力してくれるのがユーノ・スクライアという少年である。そして、ユーノのもたらす情報の有用性は遥かに高い。その点では、クロノはユーノのことを高く評価していた。ロストロギアが絡む事件がなくならい以上、ユーノが職に困ることはないだろう。

 だいたいクロノはなんたらかんたら、と喚き散らしているユーノの声をBGMに、クロノは思考を巡らせた。

 ギル・グレアムの提案した闇の書の封印方法は、極大の凍結魔法による無限再生の阻止。闇の書のシステムを停止させ、遺失物管理部が厳戒態勢で保管するというものだった。

 正直、探せばいくらでも穴はある。管理局でも随一の魔力量を誇るグレアムならば封印も可能なのかもしれないが、その後が問題だ。

 遺失物管理部では数多のロストロギアが保管されているが、闇の書を局内に抱え込むということは、外部勢力に急所を晒すようなものだ。管理局の転覆を狙う犯罪組織がこぞって動きだし、協力関係にある聖王教会ですら黙ってはいないだろう。『闇の書』というロストロギアのネームバリューは、それほどのものなのだ。

 しかし、代替案があるかと問われれば、口を閉ざさるを得ない。そんなものがクロノに思い浮かぶのならば、闇の書などとうの昔に封印されてしまっているだろう。遺失物管理部で保管するというのも、ロストロギアの扱いとしては真っ当なものだった。

 

「ユーノ。闇の書の凍結封印は、本当に可能だと思うか?」

『この前なんて司書長が泡吹いて――えっと、凍結封印が可能か、だって? ……僕もそっち方面の知識は少ないから確かなことは言えないけど、理論上は可能なんじゃないかな。実際、そうして封印されていたロストロギアの話も聞いたことがあるし。ていうか、可能じゃなかったら採用されないでしょ。これまで闇の書に試したことはなさそうだけど……でも、失敗したとしても保険があるんだよね?』

「ああ。そのときは、これまでと同じ方法になるそうだ」

『なら、試す価値はあると思う。グレアム提督のような努力、僕は必要なことだと思うよ』

「そうだな……。それに、もしも失敗したとしても、今度は別の方法を試せばいい。そのときはまた忙しくなるだろうな、ユーノ」

『クロノ、君は無限書庫の全員を敵に回す覚悟があるみたいだね……!』

「僕の要請がなくとも、無限書庫の忙しさは変わらないと思うんだが……」

 

 次などない方がいい。今回で終わらせるに越したことはない。だが、もしも次があるとするならば、そのときもまた自分が最前線に立つのだという気概が、クロノにはあった。

 ふと脳裏を過るのは、闇の書の主の紅の瞳。あの絶大な魔力を思い出しただけで、クロノは肌が粟立つのを感じてしまう。

 だがそれでも、正義の旗を掲げる時空管理局は、クロノ・ハラオウンは、恐怖に屈するわけにはいかなかった。

 震えだしてしまうのを気合で止め、クロノは深呼吸をする。クロノは一人で戦っているわけではない。四課には、志を同じくする仲間がいるのだ。オーダー分隊副隊長として、自分一人が怖気づいている場合ではない。目の前のユーノにだって、あれだけ無茶をさせておいて自分が尻尾を巻いて逃げたに終わったでは、顔向けできないのだ。もしもそうなってしまえば、こうしたやり取りもできなくなってしまうだろう。

 

「そういえば、地球では今月の24日にクリスマスというイベントがあるらしい。なのは達は半休を貰っていたはずだから、君も様子を見てこちらに来るといいだろう」

『…………ごめん、クロノ。僕の耳がおかしくなったのかな? 今、君、気のせいじゃなければ僕に休めって言った?』

「そう言ったつもりだが? これまで働き詰めだったんだ。無限書庫とはいえ、いくらなんでも半休くらいは貰えるだろう」

『………………』

 

 ユーノは絶句などしているが、クロノとて悪鬼羅刹の類ではない。ユーノ君も来られるかなぁ、お仕事忙しくないといいけど、などと、なのはとフェイトがぼやいているのを聞いてしまったし、そろそろ飴を与えてやってもいい頃合いだろう。とても口には出せないが、一応、ユーノのことは好ましくも思っているのだ。友人に過労で倒れられては、クロノとしても気分が悪い。だからこれは、クロノの精神衛生上の観点からも仕方がない提案なのである。

 目を丸くしているユーノを前に、クロノが必死で自分を誤魔化していると――

 

『クロノ君クロノ君っ! また管理外世界で蒐集の被害だよっ! 調査班と一緒に出られ――って、ありゃりゃ、ユーノ君? ひょっとしなくてもお話中だった?』

 

 友人筆頭、補佐官でもあるエイミィから、職務用の端末に通信が入った。正直、そろそろ沈黙に耐え切れなくなってきていたところだ。クロノとしては有難いタイミングである。

 

「いや、いい。丁度話も終わったところだ。僕が出よう」

『そう? それじゃあ転移ゲートにお願い。ユーノ君も、お仕事頑張ってね! ではではー!』

「そういうことだ。また連絡する」

『う、うん……』

 

 半ば呆けた声で返してきたユーノとの通信を終え、クロノは身支度を整えて自室を出た。

 四課の裏側は気になるが、疑心暗鬼に囚われている場合ではない。今は守護騎士の足取りを掴むことが先決。闇の書をどうこうするにも、相手を見つけなければ話にならないのだ。

 『真実』を知るときが来て、そのときクロノがどう行動するにしても。

 迷いを内に抱えながらも、クロノは転移ゲート目指して走るのだった。

 

 

 

 

 ペンを片手に船を漕ぐ。世間では受験戦争なるものが目前にまで迫っているが、八神颯輔はまだ高校二年生。机の上に広げてあるのは、勉強道具というわけではなかった。

 見かねた闇の書が、揺れる颯輔の頬を軽く突いて起こす。目を覚ました颯輔は、はにかみ笑いをしながら管制人格に礼を言った。

 机の上を確認してみるが、どうやら居眠りをしている間にペンが紙面を彷徨ったりはしていないらしい。そのことにほっと一息をつき、颯輔は再びペンを走らせ始めた。

 

『主颯輔、あまり根を詰められては……』

「大丈夫だよ。でも、また寝そうになったら起こしてくれると助かるかな。一から書き直すのはちょっと大変だからさ」

『それは構わないのですが……』

「あー……わかったよ。ここだけ書いたらやめるから。だから、そう睨まないの」

『に、睨んでなどおりません! 私はただ主の身を想って――……』

 

 邪魔にならない位置に着地し、立体映像を投影した管制人格が身を案じてくる。クリスマスはもう目前に迫っているのだから、キリのいいところまでは書き進めておきたかった颯輔だったが、いつもの如く真紅の瞳を潤ませ始めた管制人格の言葉は素直に聞き入れるしかなかった。

 

「わ、わかったってば! 今すぐやめる! ほら、もうペンも置いたから、だから泣くな!?」

『な、泣いてなどおりません……』

「はいはい、そうだな……」

 

 管制人格は、目尻に溜まった滴が零れ落ちないようにと我慢している。右手を伸ばした颯輔は、小指でそっと目元を拭ってやった。

 そんなことをしても実体ではない管制人格には触れられはしないのだが、それでも、心配性な彼女に気持ちを伝えることはできる。ここのところは塞ぎ込みがちだった管制人格の心を、颯輔は少しでも支えてやりたかった。

 この頃颯輔を襲う眠気は、疲れからくるものでも生理的なものでもない。闇の書からの侵食によるものだ。侵食による痛みが引いていくと、途端に睡魔が襲ってくるのである。眠ったら最後、というわけではもちろんないのだが、貴重な時間を無駄にするわけにはいかなかった。やらなければならないことは、いくらでもあるのだから。

 管制人格が落ち着くのを待った颯輔は、机の上を片づけ始めた。無論、今日はもうやりませんアピールだ。時刻はまだ午後九時を回ったところだが、これ以上管制人格の機嫌を損ねるのはよろしくない。何事も信頼関係が大切である。

 信頼関係。一時は家族間の関係がかつてないほどに悪化した八神家だったが、今は徐々に回復の兆しが見えていた。本日の夕食を前にして、シグナムとザフィーラが帰還したのである。はやては未だ入院中だが、シグナム達全員が家に揃ったことで、かつての雰囲気が戻ってきたのだ。

 本人達は無理はしていないと言っ張っていたが、実際、相当なペースで蒐集を続けていたのだろう。闇の書の全頁を埋める分の魔力は、すでに用意ができていた。あとは、闇の書に蒐集をさせるだけだ。それでもまだ完成させないのは、未だに安全策が見つかっていないためだ。

 残された時間は決して多くはないが、足掻くことをやめるわけにはいかない。少しでも危険を減らすべく、颯輔達は別口の解決策を模索していた。

 

「もう少しでシグナム達も風呂から上がるだろうし、そしたら下に行こう。それまでは、大人しく休憩してるよ」

『将達には秘密にしなければならないこともわかりますが、そうなさってください。貴方にまで倒れられては、皆に合わせる顔がありません。さあ、どうぞ寝台へ』

「いや、流石に寝てる時間はないだろ――って、押すなって!」

 

 制止の声に耳を貸す気はないのか、飛び立った闇の書が颯輔の体をぐいぐいと押し続けてくる。颯輔の体を動かすほどの勢いはもちろんないのだが、代わりに退いてくれる様子もなかった。

 管制人格の過保護っぷりに懐かしさを感じた颯輔は、苦笑を漏らしつつもそれに応じることにした。同じく過保護だった叔母も、颯輔が体調を崩したときにはベッドに押し込もうとしていたものだ。

 掛布団の上から身を倒した颯輔は、枕元に携帯電話を置きっ放しにしていたことに気が付いた。血流が上手く回っていないのか、最近は物忘れが多くなった気がする。何の気なしに携帯を手に取った颯輔は、考えていたことを連鎖的に思い出し、すぐさま半身を起こした。

 

「こんなことまで忘れてるなんて、重症だな……」

『主……?』

 

 物忘れどころではない騒ぎに、颯輔は思わず自嘲した。これなら管制人格の執拗な心配も頷けるというものだ。颯輔自身、ここまで影響が出るほど侵食が進んでいるとは思ってもいなかった。残されている時間は、考えていたよりもずっと少ないのかもしれない。

 颯輔は携帯を開き、電話帳をスクロールした。画面に表示されたのは、ギル・グレアムの名前と電話番号。別世界ならわからないが、もしもイギリスにいるのだとしたら、迷惑な時間ではないだろう。

 

『素直に応じるでしょうか……』

「惚けるようなら『前回』の話でもしてやるさ。……まあ、交渉なんて生まれて初めてするんだけど。頼りにしてるぞ?」

『ええ、お任せをください』

 

 闇の書の記憶などを通して知識としては知っていても、一介の高校生にすぎない颯輔には交渉事の経験などない。管制人格に目配せをした颯輔は、発信ボタンを押した。

 じんわりと掻いた手汗で、携帯が滑り落ちそうになる。コール音がしばらく鳴り続き、やがて、受話音があった。

 

「こんにちは、グレアムおじさん。颯輔です」

『そちらではこんばんはかな? 声が聞けて嬉しいよ、颯輔。今月は初めてだね、何かあったのかな?』

「はい。ちょっと、大事な話がありまして。時間、大丈夫ですか?」

『ああ、構わないよ』

「それじゃあ、偶にはお互い腹を割って話しましょうか。……闇の書の主と、時空管理局の提督として」

『………………』

 

 颯輔は、電話の向こうでグレアムの雰囲気が変わるのを感じたのだった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。