夜天に輝く二つの光   作:栢人

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第二十五話 奇跡の代価

 

 銃床から頬に伝わるのは、ひんやりと冷えた木の感覚。覗く照準具の先には、ターゲットの眉間が収められている。

 狙いは完璧だ。

 無音となった世界で鼓動を落ち着ける。狙撃においては、鼓動による手振れさえもが結果を大きく左右するのだ。

 ゴクリ、と生唾を飲む音が、やけに大きく聞こえた。

 肺に溜まった空気を全て吐き出し、呼吸を止める。かけていた人差し指で引き金を引いて――圧縮された空気が解放され、コルク弾が射出された。

 ポンッ、と小気味いい音を立ててまっすぐに飛んだコルク弾は、見事にだるまの眉間に命中し、その体を揺らすことに成功する。しかし、揺らしただけで台座から撃ち落とすことはなく、無残に弾かれ地へと落ちた。

 

「嘘でしょっ!? いや今のっ、絶対クリティカルだったよねっ!?」

「あはははははっ!」

「美由希さんは笑い過ぎだからっ!」

 

 最後の最後でようやく命中したものの、戦利品はゼロという結果に八神颯輔の悲鳴と高町美由希の笑い声が響く。露店の店主に再々挑戦を勧められるも、二度目の大敗を喫した颯輔は、戦略的撤退を選んだ。イベントが続くこの季節、高校生の財布は厚みを減らすばかりである。

 口元を掌で隠して笑いを堪えている様子の美由希を連れ、颯輔はげんなりとしながらもその場を離れた。美由希のもう片方の手にはキャラメルが握られているという事実が、颯輔の気分を余計に落ち込ませる。華麗に商品を撃ち落としてプレゼント、などという幻想は、見事に撃ち砕かれてしまった。

 

「そんな、落ち込まないでよ、颯輔君……くふっ」

「どうせ俺はああいうの下手くそですよ」

 

 慰めているのか、それともからかっているのか、はたまたその両方なのか。頬をひくつかせている美由希から、不機嫌になった颯輔は顔を逸らした。

 射的の経験などほぼ皆無のくせに、比較的大物の景品を狙ってしまったことが敗因なのだ、と颯輔自身も理解はしている。だが、いいところを見せようとして失敗に終わってしまったとあっては、やはり恥ずかしくてまともに顔を合わせることができなかった。

 どうして手軽な景品を狙わなかったのか、と後悔する颯輔の顔の前に、美由希の手が伸びてきた。白く細い指に挟まれているのは、先ほどの景品のキャラメルらしかった。

 

「はいはい拗ねないの。ほら、キャラメルあげるから、機嫌直してよ」

「あのねぇ美由希さん。俺、そんな子供じゃな、い……」

 

――颯輔、その……アイス、半分食べる?

 

 子供扱いをしてくる美由希に反論する颯輔の耳に誰かの声が響き、脳裏に粗い映像がフラッシュバックした。

 赤毛の少女。

 ストロベリーのアイス。

 そして、固まってしまう笑顔。

 映像の背景は、自宅のリビングで。

 何か、とても大切なことを忘れてしまっているかのような、そんな気がして。

 

「――くんっ、颯輔君っ!」

「……あ、え、何?」

「何って、こっちが訊きたいよ。急にぼーっとしちゃって、どうしたの?」

「ああ、いや、ごめん。何でもないから、気にしなくても大丈夫だよ」

「気にしないでって、そんなわけにもいかないよ。颯輔君に何かあったら私……」

「何かあったらって、そんな大袈裟な。ちょっとふらっとしただけだってば」

「それって、うちまで走ってきて掻いた汗が冷えたりしたんじゃ――」

 

 心配そうに見つめてくる美由希の顔が、ぐっと近くなる。つま先立ちとなってまで伸びてきた美由希の両手が、颯輔の額と首元に触れた。

 

「――わっ、ちょっ!?」

「えっ、颯輔く――きゃあっ!?」

 

 突然の接触に颯輔の顔が真っ赤に染まり、動揺した拍子に雪で足を滑らせてしまう。慌てた美由希が颯輔のダウンジャケットを掴むも、美由希よりも颯輔の方が当然体重は重く、引き戻すどころか引っ張られる形となってしまった。

 まずい、と考えた颯輔は、咄嗟に美由希を腕の中に引き寄せてから倒れ込み、後頭部を踏み固められた雪に打ち付けてしまった。

 ちかちかと視界が明滅し、後頭部に痛みと雪の冷たさが同時に伝わってくる。その中で、颯輔の胸の上でもぞもぞと動く気配があった。

 ばっと上半身を起こした誰かが、上から颯輔の顔を覗き込んでくる。それはもちろん、颯輔が庇った美由希の顔だった。

 

「だっ、大丈夫っ、颯輔君っ!?」

「た、たぶん……。それより、美由希さん……」

「何っ!? やっぱり大丈夫じゃないっ!?」

「あー、その……そろそろ退けてくれないと、変な誤解を招きそうなんですが……」

「え……?」

 

 顔を上げた美由希が辺りを見渡し、続いて自分がどこに乗っているのかを理解したようで、羞恥に顔を紅葉させる。颯輔と美由希の様子を遠巻きに見守る参拝客から、あらあらまあまあ、といった視線が向けられていた。

 飛び上がる勢いで立ち上がった美由希に続き、颯輔も後頭部を擦りながら立ち上がる。転んだ拍子に雪が入ってしまったらしく、首元から背中へと冷たい滴が流れて行った。

 颯輔は汚れたジャケットとジーンズを叩きながら気まずい思いを誤魔化し、ついでにうるさい鼓動を落ち着けた。周囲からの視線は減ったが、美由希はずれてしまった眼鏡も直さずに俯いたままだ。颯輔も冷静ではなかったとはいえ、もう少し上手い言い方があったかもしれない。

 

「あの、ごめんね、美由希さん。いきなりでびっくりしちゃってさ……」

「ううん、こっちこそ、ごめんなさい……」

「あー、いや、美由希さんは悪くないわけで、この場合は一方的に俺が悪いわけで――美由希さん……?」

「……こっち」

 

 謝罪の言葉を考えつつ続ける途中、美由希の手が伸びてきて、颯輔の手を掴んだ。困惑する颯輔を余所に、一言だけ告げてくる美由希には、妙な強制力があった。

 それ以上は何も言わない美由希に手を引かれ、颯輔も後に続いて歩き始める。今度握った美由希の掌は、何故か、氷のように冷たかった。

 

 

 

 

 戦闘区域を満たしていた濃密な魔力素が、天を仰ぐ漆黒の大蛇の口元へと集まっていく。漆黒の流星が集う先、そこには、深淵の闇を閉じ込めたかのような禍々しい球体があった。次第に大きくなっていくそれは今も成長を続けており、高町なのはのいる位置からは、もう大蛇の顔が見えなくなってしまっていた。

 ギル・グレアムやクロノ・ハラオウンが、八神はやてとユニゾンしたリインフォースやヴィータが、その魔法の発動を止めようと必死に攻撃や妨害を続けている。しかし、その尽くが、三層に渡る障壁によって無効化されてしまっていた。

 闇の書の暴走体が発動しようとしているのは、かつて、なのはとレイジングハートが編み出した知恵と戦術の結晶。集束砲撃魔法――スターライトブレイカーだ。そしてその狙いは、軌道上に待機しているはずのアースラ。戦闘区域から外れているユーノを通し、エイミィ・リミエッタから、アースラがその攻撃を防御も回避もできない状態にあるということは聞かされていた。

 

「なのはっ! フェイトっ! 君達もこいつを止めるのを手伝ってくれっ!」

 

 下方から、必死に砲撃を撃ち込むクロノの怒鳴り声が聞こえてきた。しかし、なのはの直感が、リンカーコアが、そして、レイジングハートが告げている。あの魔法の発動は、もう止められないのだと。

 スターライトブレイカーは発射される。アースラは防御も回避もできない。このままでは、なのはのよく知る四課の人達の命が失われてしまう。

 そんなことは、絶対にさせられない。

 アースラにはなのはの大切な人達がいて、そして、その命を奪うことになるのは、はやての兄である八神颯輔なのだから。

 

「フェイトちゃん、いこう……!」

「うん、なのは……!」

 

 隣に浮かぶ親友、フェイト・テスタロッサと目を合わせ、なのはは二人で大きく頷いた。

 発動する前に止められないならば、発動した後に止めてしまえばいい。

 その攻撃を、真正面から撃ち抜いて。

 

「お願い、レイジングハート!」

《All right, my master. Exelion Mode――》

「いくよ、バルディッシュ!」

《Yes, sir. Zamber Form――》

《《――Drive ignition!》》

 

 炸裂音が、計三度。桜色と金色に輝く二つの魔力光が、エルトリアの空を明るく照らした。

 激しい光が薄れたその場にいたのは、なのはとフェイトの二人。その手には、新たな姿となった二つのインテリジェントデバイスが握られていた。

 なのはの手にあるのは、フルドライブ形態となったレイジングハート・エクセリオン。槍の先には半実体化した赤色の魔力刃『ストライクフレーム』が、その周りには、桜色の翼が六枚形成されている。外見は大きく変化しているが、中身も当然の如く変化していた。安全装置を限界まで解除したことにより、魔力消費量と負荷の増加を引き換えにし、爆発的な出力を生み出して術者の戦闘力を大幅に強化するのだ。それ相応のリスクは背負うことになるが、その性能は段違いと言っても過言ではない。

 一方、フェイトの手にあるのは、フルドライブ形態となったバルディッシュ・アサルト。こちらも出力リミッターが解除されており、ただただ破壊力を追及したモデルとなっている。半実体化した黄金の大剣はフェイトの身長をも越え、魔力密度もこれまでとは桁違いだ。その威力は圧倒的で、対象の形状もサイズも問わず、あらゆるものを切断することが可能である。かつて、バルディッシュを作りだした人物の願いが込められた、『すべてを断ち切る閃光の刃』がそこにはあった。

 嵐のように吹き荒れる魔力風が、なのはのスカートとフェイトのマントをはためかせた。それぞれの力の具現を手にし、暴走体に対してフェイトが前衛、なのはが後衛へと移る。そして、ありったけのカートリッジをロードした。

 

《Starlight Breaker.》

《Jet Zamber.》

 

 桜色の魔法陣が、金色の魔法陣が、大きく空に描かれる。クロノ達から念話が届いたが、信じてください、の一言で一蹴した。

 暴走体の集束はほとんど終わってしまっている。集束砲撃は、今にも放たれてしまいそうだ。

 なのははカートリッジの魔力を元手にし、さらに、暴走体が集めきれなかった魔力の集束に入る。桜色の星がなのはの下へと集い、大きな恒星を生み出そうとしていた。

 恒星の前方では、フェイトがバルディッシュを正眼に構えて集中を続けている。時折魔力刃から放電が起こるのは、その分だけ魔力をロスしてしまっている証拠だ。荒れ狂う魔力の手綱を握り、鋭く、堅く、練り上げていく。

 完成した大剣を、フェイトは大上段に振りかざした。

 

「■■■■■■■―――ッ!!」

 

 背後に浮かぶ魔法陣が高速で回転し、闇の獣が咆哮する。漆黒の恒星が爆発し、深淵の闇が、なのは達を目掛けて押し寄せた。

 

「撃ち抜け、雷神――ッ!」

 

 迫る死の奔流の中心に、フェイトは光の剣を振り下ろした。

 

「――くっ、ぁぁあああああああああッッ!!」

 

 爪が割れ、血が噴き出す。魔力風の刃が体中を傷つけていく。それでもフェイトは、立ち向かうのを止めなかった。

 この程度は、あのときに比べれば大したことはない。自分の魔力は十分にあって、体調だって健康そのもの。バルディッシュも、以前とは比べ物にならないほどに強化されている。後ろには守るべき人達がいて、そして何より、なのはがついていてくれるのだ。負ける理由が、一つも見当たらなかった。

 押し負けていた魔力刃が、徐々に前へ前へと進んでいく。

 光の剣が、暗い闇を斬り裂いた。

 

「なのはーーッ!」

「全力、全開――」

 

 離脱したフェイトの声が、レイジングハートを振りかぶったなのはの耳に届いた。こちらも、ようやく砲弾が完成したところだ。二つに裂かれて勢いを削がれた漆黒の闇を、桜色の恒星が照らしていた。

 

「――スターライトブレイカーーーッ!!」

 

 なのはがレイジングハートを振り下ろすと同時、桜色の恒星から集束砲撃魔法が撃ち出された。

 中心を断ち切られて本来の威力を失った集束砲と、なのはの集束砲がぶつかり合う。フェイトが削ったにもかかわらず、その威力は互角。正面からぶつかり合い、拮抗し、激しく互いを削り合っていた。

 桜色の魔力が、漆黒の魔力が、衝突面で火花を散らすように弾け飛ぶ。わずかに腕を押し返してくるような感覚があり、なのはは、それに負けじと腕をさらに突き出した。

 

「シューーートッッ!!」

 

 なのはの掛け声と共に恒星本体が落ち、湧き上がる闇にぶつかり炸裂した。

 溢れかえった膨大な魔力の奔流が叩きつけられ、なのはの体は大きく吹き飛ばされてしまった。体がぐるぐると回転し、上下左右がわからなくなる。無茶をさせて弱々しい反応しか見せないレイジングハートに代わって飛行魔法を立て直すと、ようやく体が停止した。

 集束砲同士のぶつかり合いで再び大量の魔力素が拡散し、ユーノ達どころか戦闘区域内にいるはずのフェイト達とも念話が通じない。エクセリオンモードの副作用なのか、はたまたカートリッジを使い過ぎたことが原因なのか、なのはの視界もぼやけてしまっており、周囲の状況がまったくわからなかった。

 

「ボケっと突っ立ってんじゃねぇっ、高町なのはっ!」

「ヴィータちゃん? どこに――きゃあっ!?」

 

 聞こえてきたヴィータの声に、上手く焦点が合わない視界ながらも辺りを見回す。そうしていると、紅の何かが正面から迫り、なのはの胸を突き飛ばした。

 続いて、紅の何かが漆黒の何かに塗りつぶされる。なのはが目を凝らしてようやく捉えたそれは、漆黒の大蛇の胴体だった。

 

「ヴィータ、ちゃん……?」

 

 ひらひらとなのはの手の中へと落ちてきたのは、ヴィータが被っていたはずの帽子。デフォルメされたうさぎのぬいぐるみが縫いつけられていたそれは、紅の魔力となって散り始めていた。

 

 

 

 

「帽子、落としてきちまったなぁ……」

 

 深い闇の中に閉じ込めらてしまったヴィータは、帽子のない頭を一度撫でつけてから呟いた。

 騎士甲冑を展開すれば同時に展開される、のろいうさぎの縫いつけられた帽子。ヴィータの主たる八神はやてが意匠を考えてくれた、お気に入りの帽子である。あるのが当たり前のはずの物がないというのは、どうも落ち着かなかった。

 高町なのはと暴走体の集束砲の激突の一部始終を、ヴィータは地表付近から見ていた。巻き起こった魔力の大爆発ではやて達とは連絡が取れなくなるも、視界までもが潰されたわけではない。身体強化魔法によって視力を強化し、目視による状況把握に努めていたのだ。

 そして、ぼろぼろになりながらも空中で体勢を整えるなのはと、吹き飛んだ頭部を再生させる漆黒の大蛇を見つけたのである。

 漆黒の大蛇はなのはを最も驚異的な存在と認識したのか、動きの鈍ったなのはを仕留めようと攻撃を仕掛けていた。そして、気が付いたときには、ヴィータはなのはを突き飛ばしていたのだ。

 はっきり言ってしまえば、ヴィータはなのはのことが嫌いである。海鳴市で一番最初に遭遇した敵性存在だ。ずっと警戒していた相手を、どうして好きになれるというのか。

 全てがギル・グレアムの手の内だった以上はタイミングの問題だったのかもしれないが、足がつかないように蒐集を行っていたヴィータ達と最初に交戦した魔導師も、なのはだった。なのはがヴィータのことを忘れてさえいれば見逃すはずが、おぼろげながらも覚えられてしまっていたのだ。

 終わるまでは邪魔されないようにと蒐集をしてしまうも、なのはは驚異的な速度で復活。それも、新たなデバイスにカートリッジシステムを引っ提げての登場だ。しつこいにもほどがある。

 そして、ヴィータが何より気に食わなかったのは、如何にも同情的な視線を向けてくることだった。事実そうではあったが、なのははこちらに何かしらの事情があると信じて疑わなかったのだ。

 温かい家族に囲まれているくせに、平気な顔をして危険に首を突っ込んでくる。グラーフアイゼンで叩き潰してやらねば気が済まなかった。

 しかし。

 しかし、だ。

 普通の家族に恵まれていて、信じられないくらいに魔法の才能があって、人の話は聞かないくせに話を聞かせろだのとうるさくて、邪魔で邪魔で仕方がなかったはずなのに。

 助けを求める声を、聞いてくれた。

 危険だとわかっているくせに、協力してくれた。

 似てなんかいないはずなのに、にこにこと笑うその顔は、どこか、ヴィータの大好きな人に似ていて。

 だから、気が付いたときには、なのはのことを助けに向かってしまっていた。裏切り者のグレアムの部下など、囮にでもしてしまえばよかったのに、ヴィータにはそれができなかった。

 

「……ったく、昔はこんなこと、考えようとも思わなかったんだけどなぁ」

 

 紅の鉄騎。

 戦場に出れば、騎士甲冑を血染めにして戦っていたことから付けられた異名。その前に城壁など意味をなさず、全てを叩き潰されると恐れられたものだ。

 そう、恐れられていたはずなのに。

 ヴィータは――いや、ヴィータだけでなく、シグナムもシャマルもザフィーラも、変わってしまった。もちろん、いい方向に。一番変わっていないようでいて最も影響を受けている管制人格などは、立派な名前までもらったのだ。八神颯輔と八神はやての二人への恩は、数え切れないほどにある。

 

「まぁ、こういうあたしも悪くはねぇ」

 

 精神リンクから、はやての動揺が伝わってくる。病院で別れ、しばらくは感じていたはずの颯輔の心は、今は一切感じられない。

 

「大丈夫だよ、はやて。あたしは――あたしらは、はやてを守る騎士で、一緒に生きる家族だ。何が起きたって、絶対はやてのとこに戻ってみせる。絶対に、颯輔を助け出してみせる。……そうだろ、グラーフアイゼン?」

《Ja!》

 

 己が半身を強く握り締め、ヴィータはありったけの魔力を注ぎ込んだ。

 カートリッジを三発ロード。

 紅の魔力光が、闇を照らし始める。

 

「主に迫る脅威を粉砕するのがあたし、鉄槌の騎士ヴィータだ。この腹ぶち破るぞっ、アイゼンッ!」

《Jawohl! Gigantform!》

 

 ヴィータの呼び声に、鉄の伯爵が真の姿を現す。ハンマーヘッドが巨大な角柱へと変形し、込められた魔力に比例して更なる巨大化を始めた。

 フルドライブ形態のギガントフォルムにより、漆黒の蛇の腹が内部から押し広げられる。ヴィータを拘束していた肉壁が離れたことで、ようやくまともにグラーフアイゼンを構えることができた。

 限界まで引き延ばされた腹部が弾け飛び、ヴィータは空の下へと帰還する。空が雲に覆われて薄暗いだろうがなんだろうが、蛇の腹の中に納まっているよりは何倍もマシだった。永遠のような時を戦い続けてきたヴィータでさえ、こんなことは初めての経験だ。

 

『ヴィータっ!』

「ヴィータちゃんっ!」

「轟天爆砕――」

 

 はやてとなのはの声を聞き届け、暴走体を見据えてグラーフアイゼンを振り上げる。巨大化を続けたグラーフアイゼンは、巨大な暴走体にも引けを取らない大きさにまでなっていた。

 障壁破壊の術式を追加し、ヴィータはグラーフアイゼンを振るう。

 

「――ギガントシュラァーーークッ!」

 

 振り下ろされた巨人の一撃が物理障壁に衝突し、そのまま暴走体の巨体を地面へと叩き落とす。ヴィータの腕に凄まじい衝撃が伝わり、ピシリ、と障壁にひびが入った。

 

「――ぶち抜けぇぇぇえええええッッ!!」

 

 そのまま叩き潰さんというほどの勢いで、グラーフアイゼンに更なる魔力と力を込める。

 ガラスの割れるような音と共に、物理障壁が粉々に砕け散った。

 残りの障壁は、魔力と物理の二層。

 ヴィータの遥か後方で、待ち望んでいた魔力がようやく高まりを見せた。

 

「シグナム! ザフィーラ! あと二つだッ!!」

「心得た」

「遅れてすまない」

 

 ヴィータの叫びに答えたのは、二つの声。シャマルの治療を受けて駆け付けた、シグナムとザフィーラだった。まだ完全には回復していないのか、騎士甲冑のところどころに綻びが見られる。しかし、その挙動に頼りなさは微塵も感じられなかった。

 先に仕掛けたのは、レヴァンティンを抜き放ったシグナム。剣の柄と鞘を繋げ合わせると、ラベンダーの魔力光に包まれ、一張の大弓が姿を現した。刃と連結刃に続く、レヴァンティンの遠距離戦闘形態だ。

 ラベンダーの魔法陣がシグナムの足元に浮かび上がり、溢れる魔力が炎となって宙を舞う。

 カートリッジを一発ロード。現れた一本の矢を引き絞り、狙いを定める。

 さらにもう一発、カートリッジをロード。鏃に魔力が集中し、ラベンダーの過剰光を発した。

 ヴィータによって吹き飛ばされたはずの漆黒の大蛇が再生され、頭を上げる。

 

「翔けよ――隼ッ!」

《Sturmfalken!》

 

 矢が大弓を離れ、火の鳥となって飛翔した。

 隼は音速を超え、炎の軌跡と衝撃波を伴って空を翔ける。

 やがて、暴走体の展開する魔力障壁に突き刺さり――抵抗なくそれを貫いて、頭を上げた大蛇の眉間を射抜いた。

 一点に集中していた魔力が解放され、障壁内を業火が嘗め尽くす。

 しかし、全てを焼き払う熱量の中でも、暴走体が蒸発してしまうようなことはなかった。

 焼失と再生を繰り返す暴走体が、右腕を振るって業火を消し飛ばす。

 残る障壁は、あと一層。

 最後の障壁を破ろうと接近するのは、両の腕甲に群青色の光をまとわせたザフィーラだ。

 

「おおおおおおおおおッ!」

 

 固く握った右拳を、雄叫びと共に物理障壁へと叩きつける。

 障壁破壊の効果が発動し、物理障壁に亀裂が走った。

 

「――ておりゃあああああああッッ!!」

 

 一度で破れないならば、もう一度。

 大きく振りかぶった左拳を振り抜き、遂に、最後の障壁が粉々に砕け散る。

 ――直後、戦闘区域にいる者達を、青色の拘束魔法が襲った。

 そして、この場にいる誰よりも強大な魔力の柱が天を衝く。

 藍色の魔力光の中に佇むのは、暴走体を真っ直ぐに見据えたギル・グレアムだった。

 

 

 

 

 もしも暴走体の制御に失敗してしまったときは、どうか俺ごと封印してください。

 それが、闇の書の主である八神颯輔が、特務四課の部隊長であるギル・グレアムへと向けて放った言葉だった。地球の主だった通信方法である携帯電話では、相手がどんな表情をしているのかまではわからない。だがそのときの颯輔の声からは、自らの死をも受け入れるという覚悟を感じ取れた。

 しかし、颯輔にそう言われずとも、グレアムは元よりそのつもりだった。暴走を始めてしまう前に、完成した闇の書をその主ごと凍結封印する。それが、当初からの計画だったのだ。

 颯輔が闇の書の記憶の辿って過去を知ったのは計算外だったが、天はグレアムへと味方をした。なんと、颯輔の方から協定を持ち掛けてきたのである。闇の書の暴走を抑える策を聞かされ、表ではグレアムも協力を約束したが、裏では失敗するだろうとしか思っていなかった。

 闇の書が作りだされたのは千年以上も前。それだけの時間があれば、颯輔のように考えた者などいくらでもいるはずだ。それでも闇の書は『闇の書事件』を引き起こしているのだから、資質程度でどうこうなるような話ではない。

 だから、グレアムは協定を破って強硬策に出た。もしも闇の書が暴走を始めてしまったら、本当に封印ができるかはグレアムにもわからない。例え悪と罵られようとも、少しでも現実的な方法を選んだ方がいい。『闇の書事件』に終止符を打つことができるのならば、いかなる汚名を受ける覚悟も、非人道的な行いを断罪される覚悟も、とっくのとうに固まっていたのだ。

 最前線からは離れ、上空に佇むグレアムは、静かにそのときを待っていた。眼下では、守護騎士達が暴走体の複合障壁を破ろうと、魔力を振り絞って総攻撃をかけている。グレアムの両隣には、ユーノ・スクライアの治療を受けたリーゼ姉妹が控えていた。

 シグナムの攻撃が三層目の障壁を破り、ザフィーラが最後の攻撃を仕掛ける。全員がその行方を見守っており、息をひそめるグレアム達へは意識が向いていないようだった。

 

「では、そろそろ始めるとしよう。ロッテ、アリア、後は頼む」

「任せて父様。誰にも邪魔はさせないから」

「だから父様も、どうか無理をしないで……」

 

 頼もしく頷いてみせるロッテと、グレアムの身を案じるアリア。グレアムが黙って頷きを返すと、二人はその場を離れて行動を開始した。

 ザフィーラが最後の障壁を破り、そして、アリアが戦闘区域にいる全ての者を拘束した。ロッテは短距離瞬間移動を使って四課のメンバーを安全圏まで退避させる。そして、八神はやてとユニゾンしているリインフォースと守護騎士を、総攻撃を受けて再生に徹している暴走体の下へと運んだ。

 グレアムは自身のデバイス、氷結の杖――デュランダルを構え、己が魔力を高めることに集中する。外界の雑音は、もうグレアムの耳には届かなかった。

 

「ブラスターシステム、起動」

《OK Boss. Blaster Mode, Drive ignition.》

 

 グレアムの命令にデュランダルが応じ、藍色の魔力光が溢れて柱を成した。藍色の魔法陣の上に佇むグレアムの周囲を取り巻くは、騎士剣と盾を掛け合わせたような形状をした、四機の浮遊ユニット。侵食型ロストロギアの凍結封印にのみ特化した、デュランダルのフルドライブ形態だ。

 安全性を度外視した魔法の徹底強化。それが、ブラスターシステムの生み出された意味だ。術者とデバイスのリミッターの全てが解除され、グレアムから限界を超えた魔力が引き出される。リンカーコアが酷使に耐え切れずに悲鳴を上げ、グレアムの胸に鋭い痛みが走った。変換されて発生した凍結魔力粒子が周囲の熱を奪い、グレアムの吐く息が白く凍りつく。

 

「……悠久なる凍土よ――」

 

 身体の中で荒れ狂う魔力を、グレアムは必死に制御下に置く。静かに詠唱を始めると、浮遊ユニットが稼働して暴走体を四方から取り囲んだ。

 暴走体の周りでは、リインフォース達が拘束を解こうと足掻いている。しかし、アリアが残存魔力の許す限りを使って拘束魔法を重ねているため、術式が破られる気配はなかった。

 

「凍てつく棺の内にて、永遠の眠りを与えよ――」

 

 グレアムと暴走体との間に、ミントグリーンの転移魔法陣が浮かび上がる。非戦闘区域にいたはずのシャマルとユーノ・スクライア、そして、アルフの三人が現れた。

 三人を退けようと迫るロッテに、アルフが応戦を始める。シャマルとユーノが、二人がかりでグレアムに向けて防壁を張った。

 しかし、グレアムは魔法の発動を止めない。暴走体の複合障壁ならばいざ知らず、ブラスターシステムの恩恵を受けた魔法ならば、あの程度の防壁を破ることは容易いだろう。そして、今更犠牲が増えようとも、それは大事の前の小事でしかない。

 十一年前に、グレアムは誓ったのだ。

 『闇の書事件』の悲劇を止めるためならば、いくらでも己が手を汚してみせる、と。

 

「――凍てつけッッ!!」

《Eternal Coffin.》

 

 デュランダルの穂先が指し示す目標へ、極大の凍結魔法が放たれた。

 デュランダルから、そして、四機の浮遊ユニットから、藍色の極低温冷気が暴走体へと伸びる。

 鮮やかな緑の防壁は一瞬にして凍りつき、凍結魔力粒子となって砕け散った。

 光を乱反射しながら舞い踊り、視界を遮る氷の煙。その中へ、五条の魔力光が射し込んでいく。

 程なくして、デュランダルを通して確かに感じる手応え。極低温冷気の放出を終えたデュランダルが、術式の高速処理で発生した熱を蒸気に変えて排出した。

 グレアムの眼下に広がっているのは、障壁の代わりに身を守ろうとしたのか、翼で身体を包み込むようにしている暴走体。不定形のはずの翼も、継ぎ接ぎだらけの体も、その全てが凍りついていた。

 巨大な氷のオブジェが動き出すような気配はない。場を支配していた圧倒的な魔力も、今は感じられなくなっていた。

 

「……終わった、か」

 

 十一年に及ぶ醜い復讐劇。その幕がようやく下りたのを感じ取って、グレアムが深く肩を落とす。もう飛行魔法の維持が精々の魔力しか残っておらず、四機の浮遊ユニットが光に包まれて消えた。

 

「――まだ、終わらせへんっ!」

 

 しかし、直後に上空から聞こえてきたのは、暴走体と共に凍りついたはずのもう一人の主、八神はやての声だった。

 

 

 

 

 八神はやてがユニゾンしたリインフォースとシグナム達、そして、闇の書の暴走体――八神颯輔に迫るのは、壮絶な覚悟と絶対的な魔力の奔流だった。

 死を予感させる広域凍結魔法が、五条の光となって放たれる。ユニゾンにより限定的にでもリインフォースの知識を得ているはやてには、それがもたらす結果が見えてしまっていた。

 

『シャマルっ、ユーノ君っ! 今ならまだ間に合うから、今すぐ逃げ――』

「――逃げませんっ! 絶対っ、絶対っ、逃げませんっ!」

「どっちにしろ、全員を転移させるのは間に合わないよ。もう、あの攻撃を防ぎきるしか方法はない」

 

 せめて拘束されていないシャマルと、そもそも巻き込んでしまっただけのユーノ・スクライアだけでも、と思ってはやてが声を大きくするも、シャマルの叫びに途中でかき消される。静まった場に、やけに落ち着いたユーノの声がよく通った。

 リインフォースもシグナム達も、拘束魔法を解こうと必死になっている。しかし、解け始めた途端に再発動され、動くこともできずにいた。迫る大魔法は、シャマルとユーノの二人に防げるようなものではない。

 極低温冷気が一瞬にして防壁を凍りつかせ、粉々に砕く。

 ここで全てが終わるのだ、とはやては目を伏せるも、襲いくるはずの冷気はなかった。

 

「そんな、まさか……」

「颯輔君、なの……?」

 

 はやての耳に届いたのは、ユーノとシャマルの驚きと戸惑いの声。急いで顔を上げたはやての視界に飛び込んできたのは、空を覆う凍りついた鮮血の翼だった。

 暴走体の展開する不定形の翼が、はやて達を守るかのようにグレアムの魔法を受けていた。

 

「颯輔っ! 颯輔ぇっ!」

「颯輔っ! 私の声が聞こえますかっ!?」

 

 ヴィータとシグナムが叫ぶように呼びかける。

 暴走体の本体――颯輔の仮面に覆われた顔は、何も答えず天を仰いでいた。

 

「お止め下さい颯輔っ!」

「もういいのですっ、主颯輔っ!」

 

 ザフィーラとリインフォースが悲痛な叫びを上げる。

 はやて達を庇う翼を冷気が伝わり、暴走体の体が凍りついていく。再生の追いついていない部分が、凍った端から崩れ始めていた。

 はやて達のそれぞれの足元に、漆黒の魔法陣が浮かび上がる。それは、ベルカ式の転移魔法陣の紋様を描いていた。その魔力光は、暴走体のものだ。

 暴走体がグレアムの攻撃からはやて達を庇い、あまつさえ、転移魔法まで行使して逃がそうとしている。

 それはつまり、八神颯輔の意識が暴走体にも確かに宿っているということで。

 

『お兄ぃーーーっ!』

 

 しかし、はやての呼び声にも、暴走体は反応を示さない。颯輔の顔は、天を仰いだまま凍り付いてしまっていた。

 遂に暴走体の全身が凍りつき、極低温冷気がはやて達をも氷漬けにしようと迫ってくる。それがはやて達へ及ぶ前に、はやての視界は漆黒の光に包まれた。

 光が晴れた次の瞬間、はやて達がいたのは灰色をした雲の上だった。天には無数の星の光が瞬いており、その中に薄らとアースラのシルエットが窺える。雲の下の地表からは、急速に萎んでいくグレアムの魔力が感じられた。

 転移先は、エルトリアの遥か上空。リーゼアリアによる拘束は、完全に解けていた。

 

「私達だけが、逃がされたというのか……!」

「そんなっ、せっかく颯輔の意識が戻ったってのにっ、何でだよっ!?」

「落ち着け二人共。……まだ我らにも、できることが必ず残されているはずだ」

「ええ、きっと。……でも、ここだとアースラから観測されてしまうわ。まだ私達には気づいていないみたいだけど、時間の問題よ」

「…………ああ、いえ、僕から知らせたりとかはしませんから、大丈夫です。グレアム提督は、僕がいても攻撃してきたわけですから……」

 

 ザフィーラとシャマルの言葉にいくらか冷静さを取り戻したシグナムとヴィータが、今度は一人管理局側の人間であるユーノへと鋭い目を向ける。びくりと肩を震わせ焦りを見せたユーノは、小さくなって尻すぼみの弁明をしていた。

 そのやり取りを目と耳に収めながらも、はやては借り物の知識を巡らせる。

 颯輔が受けたのは、大出力の広域凍結魔法。

 暴走体の再生力を頼ることになるが、単純に考えてしまえば、同威力の反対魔法をぶつければ、凍結封印を解くことができるかもしれない。

 

『シグナム、さっきの攻撃で、お兄の封印解いたりできへんか?』

「……申し訳ありません。炎熱変換資質は確かに凍結魔法と相反する関係にありますが、しかし、私の魔力では、あの者には及びません……」

『そんな……』

 

 はやての問いかけに、シグナムは悔しげに目を伏せる。守護騎士の中では随一の魔力量を持つシグナムにもできないとなれば、話は振り出しに戻ってしまう。

 

「――いえ、主はやてにならば、不可能ではないかもしれません」

 

 落ち込むはやての心を引き上げたのは、すかさず否定の言葉を返したリインフォースだった。

 

『わたしに……?』

「ええ。貴女の魔力量と最大魔力放出量は、私達の中でも群を抜いています。邪魔が入らなければ、あるいは――いえ、確実に。主はやてにならば、主颯輔を救い出すことも可能です」

『わたしが、お兄を……助ける……!』

 

 改めてその言葉を口に出し、はやての心は、完全に固まった。

 

「『ユニゾンシフト』」

 

 リインフォースとはやてが入れ替わり、はやてが『表』へと出る。漆黒に染まっていた騎士甲冑が純白に染まり、杖と夜天の魔導書がはやての手に形成された。

 戦闘による疲労が溜まっているのか、軽かったはずの体が鉛のように重く感じる。それでも、強い想いがはやてに上を向かせた。

 

「いくよ、皆」

 

 はやての言葉にシグナムが、ヴィータが、シャマルが、ザフィーラが、内なるリインフォースが、そして、ユーノさえもが大きく頷く。

 もう一度一人一人の顔を確認したはやては、純白の翼を羽ばたかせた。灰色の雲を翼で斬り裂き、再び戦場へと舞い戻る。雲を抜けると、体を抱くようにして氷漬けとなっている暴走体と、宙に佇むグレアムの小さな背中を見つけた。

 

「……終わった、か」

「――まだ、終わらせへんっ!」

 

 力なく呟くグレアムの声を拾い、はやてはそれに語気を強めて否定した。グレアムが振り向き、はやてと視線が交差する。保護者であったはずのグレアムと、久しぶりに言葉を交わして顔を合わせるのが、まさか戦場になろうとは、いったい誰が予想できただろうか。

 グレアムから離れた位置に停止し、はやては夜天の魔導書を開いた。

 白き魔法陣が描かれる横を、シグナムとヴィータが翔け抜けていく。二人が迎え撃つのは、はやて達の無事を知ったリーゼ姉妹だ。

 ザフィーラとシャマルの二人がはやての両隣に構え、不意打ちに備える。ユーノは、未だ拘束されたままのなのは達を助けに向かった。

 

「『――開け、天上の門』」

 

 声を重ね、はやてとリインフォースはその呪文を唱え始めた。

 二人の高まる魔力が共鳴し、魔法陣が輝度を上げる。

 

「『――我が乞うは原初の火』」

 

 封印に魔力を使い果たしてしまったのか、グレアムが何かを仕掛けてくる様子はない。

 シグナムとヴィータは、ロッテにアリアとの戦闘へと入った。

 白く輝く光が集い、二つの魔力球を形成していく。

 

「『――清浄なる炎もて、咎人の血を雪がん』」

 

 八神はやての魔力量はギル・グレアムと同等だが、先ほどの広域凍結魔法に込められた魔力に匹敵するほどの魔力を一度に放出することは不可能。

 あれは、自身の命を代償として支払ったために許された魔法だ。

 故に、足りない分はこの場に満ち満ちた魔力素で補う。

 夜天に輝く二つの光が、巨大な恒星へと成長を遂げた。

 

「『ウアタイル・デス・リヒテス――ッ!』」

 

 二つの発射体から、白熱する極光が降り注いだ。

 二条の極光は交わり巨大な柱となって、氷漬けの暴走体を包み込む。

 熱気と冷気がぶつかり合い、濃霧のような水蒸気を発生させた。

 はやてとリインフォースが発動したのは、一国の王宮を跡形もなく蒸発させたという広域炎熱魔法。当然非殺傷設定ではあるが、直撃を受ければ怪我では済まされないほどの大魔法だ。放出した魔力量はグレアムの魔法に一歩及ばない程度だが、十分な威力があったはずだった。

 炎熱魔力の照射が終わり、水蒸気が晴れた先には、不定形を取り戻した鮮血の翼があった。地表に触れている尻尾にはいくらか氷が残っているが、体表を覆っていた氷のほとんどは消失している。凍結封印の解除には成功したようだった。

 問題は、この後どちらへ転ぶか。

 そして、鮮血の翼が揺らめき、左右に開いた。

 

「…………■■■■■■■―――ッ!!」

 

 恨みの籠った咆哮を上げたのは、闇の書の暴走体。体表はぐずぐずに焼け爛れており、体のあちこちが欠けてしまっていた。

 肥大化した赤黒い右腕は中ほどから千切れており、背中から生えていたはずの触手は消え失せ、そのどちらもが再生する兆しを見せていない。いくらか凍りついたままの尻尾は動きもしないのか、そのままの形を保ったままだ。背後に浮かぶ円環は、壊れてしまったかのように回転と停止を交互に繰り返していた。

 暴走体にも痛覚はあるのか、狂ったように咆哮を続けている。そこには、颯輔の意識があるようには思えなかった。

 目を背けたくなる痛ましい光景に、はやては口元を押さえる。しかし、それでも視線を逸らさず、天に祈る想いで変化を探し続けた。

 そして、暴走体の胸元に、その変化を見つける。そこには一度封印される前まではなかったはずの、真紅に輝く結晶体があった。

 はやての直感が告げる。

 その真紅の結晶体こそが、全ての元凶だと。

 しかし、結晶体の周囲の体表が蠢き、それを体内へと隠そうとしていた。

 

「シャマルっ! 胸元っ、あの紅い結晶捕まえてっ!」

「はいっ!」

 

 はやての指示と共にシャマルのクラールヴィントが煌めき、転移魔法の応用によって真紅の結晶体の位置座標を固定する。同時に、沈黙していた左腕の漆黒の大蛇が鎌首をもたげ、風船のように膨れ上がり、弾け、中から大量の蛇が顔を出した。

 小さかったはずの蛇はみるみるうちに成長し、一匹一匹が大蛇へと変貌を遂げる。大蛇の群れはまるで、結晶体を守るかのように暴走体の身体を取り巻き始めていた。

 

「ザフィーラは蛇の動きを止めてくれへんか? さっきのあれは、わたしが壊してくる」

「しかし――」

「――わたしやないとあかんねん。お願いや」

「……はやて、お気を付けて」

「ん、おおきに」

 

 指示に反対するザフィーラを遮り、はやてはまっすぐにその目を見つめる。やがて、はやての意思を尊重してくれたのか、ザフィーラは小さく息を吐き出し、微笑と共に頷いてくれた。

 シグナムとヴィータが足止めをしている今、最も突破力があるのは、はやてとリインフォースだ。勘頼りだが、おそらく、結晶体を破壊できるのは自分だけだろう。シグナムとヴィータの手が空いていたとしても、同じ指示を出したかもしれない。

 

「ごめんな、リインフォース。もうちょっとだけ、力貸してな」

『はい、我が主』

 

 内なるリインフォースに語りかけ、はやては杖を掲げた。

 

「『夜天の光よ、我が手に集え』」

 

 白い魔力光が、薄らとはやての体を覆う。防御と飛行魔法を制御する分の魔力を残し、残る全てを杖の剣十字へと込めた。過剰魔力の込められた杖が、激しい光を発する。

 今度こそ、終わりにする。

 一度深呼吸をしたはやてを、桜色の砲撃が、淡い緑色とオレンジの鎖が追い抜いて行った。砲撃は大蛇の群れに僅かに隙間を開け、二本の鎖がその周りの大蛇の壁を拘束して穴を広げる。それは、なのはとユーノ、そして、アルフの魔法だった。

 

「いくよ、はやて!」

「――うん、フェイトちゃん!」

 

 四肢に光翼を展開し、黄金の鎌を左手に携えたフェイトが駆け付け、はやてに向けて右手を伸ばしていた。はやては夜天の魔導書を待機状態に戻し、空いた左手でフェイトの手を取る。フェイトに手を引かれ、はやては杖を構えて飛び出した。

 金と白の光を、桜色の魔力弾が追い抜いて行く。大蛇の群れから伸びる小さな蛇が、正確無比なコントロールによって一掃された。続いて群れを離れた二匹の大蛇は、大地より伸びる白い拘束条によって締め上げられる。

 

「はやてっ!」

「遅れてしまい、申し訳ありません。それから……ありがとう、テスタロッサ」

 

 はやてにリインフォースとフェイトの三人に合流したのは、リーゼ姉妹と戦闘を続けていたはずのヴィータとシグナムだった。

 相手の二人はどうしたのか、と魔力を探って目を向けてみれば、そこには、クロノによって拘束されているリーゼ姉妹の姿があった。凍結封印が解除された今、もはや戦う理由はなくなってしまったのか、二人に抵抗するような素振りは見られない。リーゼ姉妹と同じ様子のグレアムが、三人の下へと降り立っていた。

 はやては視線を前方へと戻し、そして、必要以上の言葉はもう交わさず、ただただ目標を目指して空を翔けた。

 フェイトがはやての手を離し、シグナムと共に前へ出た。左右から一つずつカートリッジがロードされ、空の薬莢が後方へと流れていく。レヴァンティンに炎を宿らせたシグナムが、魔力刃に紫電を走らせたフェイトが、先陣を切って大蛇の群れへと突入した。

 漆黒の闇の中で、ラベンダーと金色の閃光が何度も何度も明滅する。二つの光が瞬く度に大蛇が断ち切られ、その密度をみるみるうちに薄くしていった。

 なのはの砲撃が空けた穴がさらに大きくなり、その度に、二色の鎖と拘束条が大蛇を締め上げていく。

 ヴィータが前に出て、はやてがその後ろに続く。文字通りにシグナムとフェイトが切り拓いた道は広く、ヴィータがグラーフアイゼンを振るうスペースが十分にあった。

 紅の魔力光が、穴の奥を照らし出す。深い闇の先に、光を受けて反射する宝石の輝きを見つけた。

 紅に染まった戦鎚が振るわれ、最後の壁を破砕する。はやての進む前方に、真紅の結晶体を胸にした颯輔の体が現れた。

 白き羽が舞い散り、流星となって闇を翔ける。

 

「――届けぇぇぇえええええええっっ!!」

 

 漆黒の闇と、純白の光が衝突した。

 

 

 

 

 氷のように冷たい手をした高町美由希に連れられ、八神颯輔は神社の敷地内、その外れへと迷い込んでいた。

 初詣に賑わっていたはずの参拝客の姿はほとんど見られず、新雪が積もったままの地面は、とても道とは思えない。それでも美由希は、明確な目的地があるかのように颯輔の手を引いていた。

 

「ちょっとっ、待ってよ美由希さんっ!」

「………………」

 

 さすがに不審に思って颯輔が呼ぶも、美由希からの反応はない。おかしいと言えば、先ほどから颯輔の体調もおかしかった。

 美由希にこうしてどこかへ案内されるまでは何の異常も感じられなかったはずが、今はズキズキと頭が痛い。早足で歩いているだけのはずなのに、まるで、マラソンをした後のように体が重かった。

 そして、颯輔の胸の奥の何かが、第六感のような何かが、これ以上はいけないと警鐘を鳴らしている。これ以上進んでしまえば戻ってこれなくなるかのような、どこにも辿りつけなくなるかのような、そんな、絶望にも似た感覚を覚えていた。

 

「ちょっと待ってってばっ!」

「…………」

 

 多少申し訳なく思いつつも、美由希の手を強く引いて立ち止まらせた。迷い込んだ林の中には、颯輔と美由希の二人以外に誰の姿も見当たらなかった。

 美由希が颯輔の方へと向き直る。しかし、美由希は俯いたままで、灯りが届かないこともあってか、その表情は窺えなかった。

 

「美由希さん、ちょっと変だよ? いったいどうし――って、美由希さんっ!?」

 

 颯輔の胸に、微かな衝撃が伝わる。

 二人の間の距離を詰めた美由希が颯輔の胸に飛び込み、背中に強く腕を回していた。

 

「……颯輔君、私のこと、好き?」

 

――私達は、あなたの家族ではないのですかっ……!

 

 見上げてくる美由希の姿が、大切な誰かと重なった。

 所々が破れた騎士甲冑と、火傷をして赤黒く染まった肌。

 ポニーテールに結わえた桃色の長髪と、凛々しいはずの目から零れる涙。

 かけがえのない、大切な家族の一人。

 

「……シグナ――」

「――だめっ! だめだよっ! 今は私だけを見てっ!」

 

 蘇った記憶の彼女の名前を呼ぼうとしたとき、それをかき消すように美由希が叫んだ。暗い金色の瞳に大粒の涙を溜め、懇願するように、颯輔に縋りついてくる。

 

「お願いっ、お願いですっ! わたしを、もうひとりぼっちにしないでください……っ!」

 

 一度目を閉じた颯輔は、深い溜息を吐き出した。すると、胸にあったはずの重みが消え、冬の寒さもなくなって何も感じられなくなってしまう。

 颯輔が再び目を開くと、そこはもう、神社の外れの林の中などではなかった。空も木も雪も寒さも、そして、高町美由希も存在しない暗闇の空間。

 そこは、颯輔のよく知る世界だった。

 颯輔は膝を折って屈み、目の前で泣きじゃくる小さな少女を抱きしめた。細い身体の少女は颯輔の首へと腕を回し、声を上げて泣き始める。颯輔は右手で少女の背中を擦り、左手では波打つ金の長髪の上から頭を撫でた。

 

「大丈夫、俺はここにいるよ。君をひとりぼっちになんてしないから」

 

 鮮血の生地に、揺らめく炎のような紋様の入った装束の少女。『闇の書』が生まれてから、たった独りでこの世界に幽閉されていた少女。

 防衛プログラム――ナハトヴァールを狂わせていたモノ。

 闇の書の、闇。

 永遠の果てに巡り会った、一人の小さな女の子。

 それが、颯輔の腕の中の少女だった。

 先ほどまで颯輔がいた世界は、少女が見せた幻想の世界。八神はやても、シグナムも、ヴィータも、シャマルも、ザフィーラも、リインフォースもいない世界。颯輔の願った、『普通の暮らし』をすることができる世界だった。

 改めて思い返せば、おかしな所はいくらでもあった。颯輔は美由希の家など訪ねたことがないため、その場所を知っているはずがなく、そして何より、両親が生きていたのなら、海鳴市へと転居することもなかったはずなのだ。闇の書が蒐集した記憶を利用され、颯輔が深層で望んだ世界が作られていた。

 

「でもダメだぞ? 勝手に高町に化けたりしたらさ。……いや、まあ、俺にもいけないところはあったと思うけど」

「ですがっ、わたしはっ……!」

「……うん、まあ、仕方ないよな」

 

 少女は、管制人格たるリインフォースでさえ知覚できない領域にいたのだ。誰にも存在を気づいてもらえず、外の世界に恋い焦がれるだけ。そして、外の世界への想いが強くなるほど、刻み込まれた破壊衝動が抑えられなくなってしまう。

 しかし、少女は出会ってしまった。

 リインフォース以上に孤独な世界で、そこに迷い込んできた八神颯輔と。

 闇の書にエネルギーを供給するだけの存在だった少女には、シグナム達やリインフォースのように外界とのかかわりを持つ手段がない。しかし、颯輔が中途半端に接触してしまったせいで、永遠の孤独に耐えられなくなってしまったのだ。

 だから、少女は颯輔を自身の世界へと引き込んだ。誰にも邪魔をされない永遠の世界へと颯輔を閉じ込め、未来永劫の孤独から脱しようとした。それしか渇きを潤す方法がなかったから。

 

「そうすけっ、そうすけっ、そうすけぇっ!」

「うん……」

 

 他人の温もりを知ってしまった少女は、駄々を捏ねる子供のように、もっともっとと颯輔を求め続ける。颯輔は、はやてやヴィータよりも小さな少女を壊してしまわないようにと注意しながら、少しだけ抱き寄せる力を強くした。

 その拍子にローブの左袖が下がり、颯輔の左手首が露わになる。そこには腕時計などではなく、待機状態のナハトヴァールが巻きつけられていた。

 あまり、こうしてゆっくりはしていられない。

 

「君なら、ナハトの暴走を止められるんじゃないのか?」

「……できません」

「……本当に?」

「自分では、止められないんです……」

「そっか……」

 

 少女の答えに、颯輔は再び深い溜息を吐き出した。

 颯輔の溜息に、少女の体が大きく震え、つかまる力がぎゅっと強くなる。嘘ではないのだろうが、例え止められたとしても、少女が自分の意思で止めてくれるかは怪しいところだった。

 どうしたものか、と颯輔が悩んでいると、首を回した少女が、ぴたりと額をつけてくる。少女は、いたずらを告白して怒られてしまうのを怖がる子供ような、そんな顔をしていた。

 

「あの……ほんとは、今なら止められるかもしれない、です……」

「本当?」

「でも、でも、そうしたら全部が終わってしまう……。……颯輔、あなたはそれでもいいのですか? あなたが選べるのは、自分一人か、他の全てか、なんですよ?」

 

 最後の問いかけをしてきた少女は、外見相応ではなく、その本質を見せている。自分と、大切なもの以外はどうなってもいい。その表情に、颯輔は背中が粟立つのを感じた。

 少女の問いは、言葉どおりの意味なのだろう。

 自分一人だけが生き残って他の全てを滅ぼすか、自分一人だけを滅ぼして他の全てを救うか、その二択。

 だが、どちらを選んだとしても、『八神颯輔』としての未来はない。

 『人間だった八神颯輔』は、もう生きてはいないのだから。

 だから、颯輔の選んだ答えは当然――

 

「ごめん、ナハトを止めよう」

 

 後者。

 自分と、大切な人達。

 天秤にかけるような問題でも、そもそも、かけていい問題でもない。

 

「……わかりました」

 

 永遠の孤独に囚われていた少女は、寂しそうに笑って――

 

「『ユニゾン、イン』」

 

 颯輔と共に、永遠を捨てることを選んでくれた。

 

 

 

 

 八神颯輔は、失っていた現実の肉体の感覚を取り戻した。

 暴走を止めるためとはいえ、よくもまあここまでしてくれたものだ、と思う。もちろん、そうするしか方法がなかったのは十分に理解しているつもりだが、起きた瞬間に右腕が千切れていたり、左腕がズタズタに切り裂かれていたり、足が氷漬けにされていたりもすれば、そう思ってしまうのも仕方がないだろう。

 視界を隠していた仮面が外れると、荒れ果てたエルトリアの世界が目に飛び込んでくる。その世界で一番最初に見つけたのは、淡い銀色の髪で、蒼く澄んだ目から止めどない涙を流している、誰よりも愛しい少女だった。

 

「■■■……」

 

 名前を呼ぼうとして出てきた自分の声を聞いて、颯輔は驚いた。胴体と頭だけはまともな形を保っていたのだが、人語を話せるような構造にはなっていなかったらしい。

 自分に呆れて溜息をついたつもりが、口から出たのは獣のような唸り声だった。

 

「お兄……なんか……?」

 

 はやての疑問の声を聞き、颯輔は自身の状態を把握するのを急いだ。

 まともに動くのは首から上だけで、異形の手足は動かすことなどできない。念話ならどうかと試そうとするも、使おうとした途端に胸に鋭い痛みが走った。

 胸の中央には、亀裂が入ってくすんでしまっている結晶体があった。内にいるはずの少女が感じられないのは、その核を損傷しているためのようだった。

 『今なら』というのは、つまり、そういうことだったらしい。

 ともかく、痛みは感じても耐えられないというほどではなく、また、魔法を使えなくなっているというわけもなかった。

 胸の痛みに耐えながら、颯輔は再生機能を稼働させた。イメージするのは人間だった頃の自分の姿。なにかを壊すために自身を強化する必要などはない。ただ、以前の自分の身体を取り戻すだけでいいのだ。

 暴走体としての肉体が魔力素に還り、周囲に漆黒の光を撒き散らす。その中心にいたのは、ナハトヴァールに取り込まれる以前の姿をした颯輔だった。ただし、胸の中央には、結晶体がローブの上から埋め込まれていた。

 鮮血の翼を展開し、空中を滑るように移動する。颯輔は、目を見開いているはやてを腕の中へと迎え入れた。

 

「ただいま、はやて、リインフォース」

「……おにぃ」

 

 震える声を漏らすはやての手から杖がこぼれ落ち、光に包まれて消失する。確かめるように颯輔の背中へと腕を回したはやては、やがて、幼子のように声を上げて泣き始めた。

 うしろめたい気持ちを抱きながら、颯輔ははやての頭をそっと撫でつける。ぬか喜びをさせることになってしまうが、今だけは、こうしていたかった。

 

『主颯輔……よくぞ、ご無事で……!』

『あー……ごめん、無事じゃあないんだ。言いたくないけど、あんまり喜ばない方がいい』

『それは、いったい……?』

『実は――』

「――颯輔ぇーーーっ!!」

『悪い。もう少ししたら話す』

『……はい』

 

 はやてには聞こえないようにと念話をリインフォースと交わすうちに、駆け付けたヴィータが背中側から抱き着いてきた。リインフォースに断りの念話を入れ、一先ずもう一人の幼子をあやす。少しだけ、この姿にはならない方がよかったと後悔した。

 ヴィータに続き、シグナムが、シャマルが、ザフィーラが、そして、高町なのはやフェイト・テスタロッサ達も颯輔達の周りに集まってくる。家族には揉みくちゃにされ、その様子を微笑ましく見守られ、幸福に見えれば見えるほど、その幸せが颯輔の胸を締め付けた。

 

「よかった……本当によかった……!」

「ありがとう、シグナム」

「おかえりなさいっ……颯輔君っ……!」

「ただいま、シャマル」

「これだけ皆に心配をかけたさせたのですから、帰りが遅くなるようなら事前に連絡してください」

「ごめんな、ザフィーラ」

 

 隙間を埋めるように左右から腕を回してくるシグナムとシャマルには鼓動を早められ、腕を組んで呆れているというポーズをしているザフィーラには苦笑をさせられた。

 

「颯輔さんって、やっぱりお姉ちゃんのクラスの集合写真に写ってた……」

「そのとおり。なのはちゃんとは会ったことがあるけど、一応、初めましてかな?」

「あの……無事でよかったです、颯輔さん」

「フェイトちゃんには、迷惑をかけちゃったね……」

 

 感付いてはいても確証はなかったのか、驚きと納得が半々の顔をしているなのはには少しおどけて挨拶を、もらい泣きをしてしまっているフェイトには、素直に頭を下げた。

 どちらも知らない子ではない。まだ小さな女の子に尻拭いを押し付けてしまったのだから、その厄介さを思うと颯輔は頭が上がらなかった。

 なのはとフェイトから一歩退いた位置では、いい話だねぇ、と主人以上にもらい泣きをしているアルフが、隣のユーノ・スクライアに宥められている。こちらの協力者は裏表がなさそうで助かった、と颯輔が一安心していると、黒いバリアジャケットに身を包んだ少年が現れた。

 クロノ・ハラオウン。闇の書に運命を狂わされてしまった、被害者の一人。

 

「感動の対面をしているところで僕としても心苦しいのだが……時空管理局特務四課所属の執務官、クロノ・ハラオウンだ。君が闇の書の主、八神颯輔で間違いないな?」

「ああ。守護騎士に蒐集をさせたのも、管理局を攻撃したのも、全部、俺がやったことだ」

「できれば艦まで同行を願いたいのだが……拘束は必要か?」

「拘束の必要はない。それから、悪いが同行するつもりもない」

「……どういうつもりだ?」

 

 温かかったはずの場の空気が、颯輔の一言で凍りついた。八神家と管理局の双方に緊張が走り、シグナムとヴィータとシャマルが戸惑いを見せながらも颯輔から離れ、いつでも行動をできるようにと構えている。颯輔と向かいあったクロノは、その手に持った杖に力を込めていた。

 これで多少は切り出し易くなった、と緊張の中にも安堵を感じる。颯輔は、抵抗の意思はない、と両手を上げた。シグナム達に視線を送って諌めてから、クロノへと向き直る。

 

「争うつもりはない。……だけど、まだ終わりじゃないんだ」

「……説明してもらおうか?」

「俺はもう、『八神颯輔』という人間じゃない。ナハトヴァールに取り込まれた、闇の書の暴走体だ。そして、今は一時的に止まっているだけで、修復が終わればまた暴走が始まってしまう」

「修復、だと?」

 

 目を細めるクロノに、颯輔は胸にある結晶体を指し示してみせた。結晶体には、はやてが付けたはずの亀裂が入っていて、しかしそれは、最初の亀裂よりも小さくなってしまっていた。

 颯輔が再生機能を稼働させると、結晶体が真紅に輝き、亀裂の修復が目に見えて早くなる。その様子を見せて知らせ、颯輔は再生機能を再び停止させた。

 

「この結晶体は、闇の書の、そして、ナハトヴァールの核だ。夜天の魔導書を闇の書へと変えた、全ての元凶……。機能を停止させているこれを完全に破壊しなければ、『闇の書事件』は終わらない」

「それは、つまり……」

「俺が生きてる間は終わらないってことさ。そして……」

「アルカンシェルを使え、と?」

「それしかないだろうな」

 

 今度こそ、この場から温かな雰囲気が完全に消え去った。

 失敗してしまった場合、どうなるかを知っていたためか、シグナム達には思った以上の動揺は見られない。しかし、その表情から笑顔は消え、真実を知ってしまったときのような、そんな悲しい顔をしていた。

 訪れた沈黙を破ったのは、颯輔に縋りついて泣き続けているはやてだった。

 

「そんな、いややっ……! おにぃゆうてたやんかぁっ、ずっとわたしのそばにおるって、ゆうてたやんかぁっ……!」

「……ごめん」

 

 颯輔には、泣き叫ぶはやてをただ抱き締めて謝ることしかできなかった。

 

「あやまんなくてええっ! そんなんききとうないっ! ちゃんとかえってきたんやからっ、またなんとかしてよぉっ!」

「……ごめん」

「やぁっ! ……リインフォース、おにぃのことたすけて……っ!」

『……申し訳ありません』

「……っ! そや、シャマルならおにぃのわるいとこなおせるやろ? な?」

「それは……」

「はやて、もうどんなことをしたって――」

「――クロノくんはっ!? まほうなんてつかえるんや、かんりきょくなら――」

「――はやてっ!!」

「……っ、うぅ、うあああああああああああああああっ」

 

 颯輔は怒鳴り声を上げて、はやての言葉を無理矢理に切った。叱ることはあっても怒ることは二度としないつもりが、上手く感情が抑えきれなかった。視界は歪み、涙が頬を伝ってはやての髪を濡らしていく。

 颯輔だって、助かる方法があるのならばそれを選びたい。しかし、夜天の魔導書と闇の書の知識を得た今でも、そんな方法は見つからなかったのだ。

 もともと雲を掴むような話だったのだ。こうなることくらい、闇の書の侵食を受けていることを知った時から、予想はできていた。

 

「シグナム。これから大変だと思うけど、ちゃんと皆のことを引っ張っていってほしい。それから、あんまりヴィータとケンカするなよ」

「はい……!」

「ヴィータ。はやてが寂しい思いをしないように、傍にいてやってくれ。お腹壊しちゃうから、アイスは食べ過ぎちゃダメだからな」

「うん……!」

「シャマル。ケンカとか始まったら、ちゃんと止めるんだぞ。あと、料理はもうちょっと練習だな」

「……わかりました」

「ザフィーラ。家族のこと、これからも守ってもらいたい。男一人なんだから、頼んだぞ」

「……任されました」

「ありがとう、皆。皆が俺達のところに来てくれて、嬉しかった……皆と一緒に暮らせて、本当に幸せだった……!」

 

 はやての誕生日に突然現れたこと。

 皆揃って食事をしたこと。

 協力して家事をしたこと。

 花火を観に行ったこと。

 旅行をしたこと。

 今までの思い出を振り返りながら、颯輔は一人一人に声をかけていった。

 

「リインフォース。これからは、家族のことはちゃんと名前で呼ぶんだぞ」

『はい』

『……それから、ちゃんと助けてやれなくてごめんな』

『いいえ、私は貴方によって救われました。ですが、私は誓いを果たせずに……』

『いいや、こうして戻って来られたんだ。ありがとう、リインフォース』

『……私の方こそ、ありがとうございます』

「……なのはちゃん、フェイトちゃん。はやて、春から聖祥に通うんだ。もしよかったら、仲良くしてあげてくれないかな?」

「そんなっ、こっちこそっ、よろしくお願いしますっ!」

「私、もうはやてとは友達ですよ?」

「……ありがとう」

 

 リインフォースと、なのはとフェイトにも礼を言って。

 

「クロノ・ハラオウン。君には、今まで辛い思いをさせた。許してくれとは言わない、恨んでくれていい。ただ一言だけ……すまなかった」

「……君が謝ることじゃあない。……もしも次があったとしたら、今度は管理局に頼ることを勧める」

 

 クロノには、これまでの全てを謝罪した。

 そして、こちらの輪には加わらず、己が使い魔と共に離れた位置で見守るグレアムに目を向けて。

 

『グレアムおじさん、今度こそ、うちの子達をよろしくお願いします』

『……ああ』

『もしもまた裏切ったりしたら、俺、絶対に許しませんから』

『約束しよう。私が生きている限りは、彼女達に暗い道は歩ませない』

 

 最後に、はやてを抱き直した。

 

「はやて。一つだけ、約束してほしい」

「…………」

「これからも家族を大切にして、皆で仲良く暮らすこと。な?」

「…………ん」

「ん、いい子だ」

 

 はやては、胸に顔を埋めながらも小さく頷いてくれた。

 颯輔は手を伸ばし、帽子を取ったはやての頭をくしゃくしゃと撫で、乱れた髪に手櫛を入れる。誰かの温もりを感じるのは、これが最後だ。

 はやての腕が解かれ、真っ赤に腫れた顔が颯輔を向く。

 

「……お兄」

「ん?」

「……大好き」

「……ああ……俺も、大好きだ」

 

 颯輔は、袖を使ってはやての顔の涙の跡を綺麗に拭った。

 涙はやはり途切れずに、それでも、はやては必死に笑おうとしていて。

 颯輔はその笑顔を焼き付けて、前髪をかき上げたはやての小さな額に、そっとキスを落とした。

 

「それじゃあ、さよならだ」

 

 最後に一度、泣き笑いをしながら皆の顔を見て。

 颯輔は、鮮血の翼で空を叩いた。

 高く、高く、天を目指し、空を昇っていく。

 灰色の雲を突き破ると、雲の下には届かなかった星の瞬きが見えた。

 涙も凍る寒さを、しかし感じることができず、人を捨てたことが恐ろしくて肩を抱いた。

 エルトリアの空を抜け出して、星の大海へと飛び込む。

 無限に広がる世界には一隻の艦船があり、その主砲を、闇の書の暴走体である颯輔へと向けていた。

 主砲が開き、これまで幾多の主を葬ってきた、破滅の光が輝き始める。

 

――やっぱり、死にたくはなかったなぁ……。

 

 つい言葉にしてしまった本音を最後に、八神颯輔は、世界から消滅した。

 

 

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