12月26日。絶望の螺旋から解き放たれたリインフォースは、特務四課の本部――アースラに搭乗していた。
脱いでいたローブに袖を通し、肌蹴ていた前を閉じる。魔法を使って騎士甲冑を展開すれば、着替えなどは一瞬で終えることができるのだが、今はその基本的な魔法も使えない状態にあった。
魔力放出を制限するリミッター。それが、リインフォースに課せられた新たな枷だ。リインフォース達に抵抗の意思はなく、アースラ内ならばある程度の自由を許されてはいるが、拘束されているというポーズも必要である。リミッターは、リインフォースを始め、シグナム達や八神はやてにも課せられていた。
もっとも、リインフォースにはもう、リミッターなどはなくとも魔法を使うことができないのだが。
「しばらくの間は、躯体維持にも問題はないと思います。けど……」
「こうなることはわかっていた。自分がどういう状態であるかも、わかっているつもりだ。お前が悲しむ必要はないのだが……こういうときは、ありがとう、と言えばいいのか?」
「えっと……うん、それで合ってると思いますよ」
管理局員ならば『闇の書』に対しては好感情を抱いているはずなどないのだが、四課の構成員には同情的な者もいるらしい。俯き深緑の髪を見せている少女に、リインフォースは困惑しながらも微笑を浮かべる。顔を上げ、表情を穏やかにした少女――マリエル・アテンザも、そのうちの一人だった。
検査を受けている間、マリエルは何故か顔を赤らめていたのだが、それでも仕事は正確だった。今の自分の状態を示すデータは、リインフォースの自己診断とほとんど変わらない。些細な誤差はあるが、管理局の技術力を考えれば驚くべき精度だった。
「四課には最先端の技術が集まっているんですけど、やっぱり、専門の人にも診てもらった方がいいと思います。ベルカのことだと、聖王教会あたりですね。……ごめんなさい、私、力になれなくて……」
「それについては、ギル・グレアムが話をつけてくれているそうだ。気に病む必要はない、マリエル・アテンザ。それに、お前にはお前にしかできないことがある。こんな私を想って悲しんでくれる、たったそれだけのことでも、私は嬉しく思う」
「リインフォース、さん……」
聖王教会。ベルカの世を統べた聖王家を信仰する宗教団体だが、ロストロギアの調査や保守も行っているらしい。ベルカが絡むロストロギアについては、管理局と共同で管理をしているそうだ。
ミッドチルダ式を主とする管理局よりは、ベルカ式を主とする聖王教会の方が、夜天の魔導書についての知識があるのかもしれないが、リインフォースはそれほど期待をしていなかった。
聖王教会が興ったのは、少なくとも聖王家が滅んでからだ。夜天の魔導書が創造されたのは、それよりも遥かに以前のことである。失われた技術を復元することは、想像以上に難しい。公式を与えたところで、その本質を理解して使いこなすことができなければ意味はないのだ。
さらに、大きな懸念もある。闇の書と聖王家は、切っても切れない関係にあるのだ。例えどうにかできたとしても、聖王教会が素直に手を貸してくれるとは思えなかった。
リインフォースは、再び俯いてしまったマリエルの頬に手を伸ばし、そっと上を向かせた。何やら恍惚としているマリエルだったが、暗い表情をされるよりは、と割り切る。触れた頬を撫でて礼を告げると、リインフォースはメンテナンスルームを後にした。
それなりの乗組員がいるはずのアースラだが、その廊下は閑散としていた。必要もないのか、それとも忙しさでその余裕もないのか、リインフォースは監視もつけられずに歩を進める。自らの足を使って移動するというのは、随分と久しいことだった。
目的の場所、食堂へと辿り着く。その隅に設けられた休憩スペースのソファには、シグナム達守護騎士の姿があった。
四人共が私服を着ていて、自分が普段着を持ち合わせていないという事実に今更になって気が付く。名前と共に賜った騎士甲冑のデザインはもちろん気に入っていたが、少しだけ、羨ましく感じてしまう。そういった感情を抱けるということが、この世界で得たものの一つだった。
リインフォースは四人の下へと進み、同時に自然と開けられた、シグナムとヴィータの間へと腰を下ろした。
「お疲れ様、リインフォース。調子はどう?」
「日常生活に支障はないだろう。だが、やはり戦闘は不可能のようだ……」
「逆ユニゾンなんて無茶すっからそうなんだよ」
「それに、しばらくは剣をとる許可も与えられまい」
「そのとおりだな……」
対面のシャマルに答えると、両隣りからそれぞれの反応があった。ヴィータはテーブルに突っ伏しながら、億劫そうに顔だけを動かして。シグナムはソファに背を預けて腕を組みながら、小さく溜息を吐いて。
返す言葉もない、と下を向くと、シャマルの隣に座ったザフィーラから、あまりされたくなかった質問が飛んできた。
「それで、あとどれほどの時間がある?」
「……静かに過ごせるのなら、半年といったところだ。念話程度ならば問題はないが、飛行も……ユニゾンも、もう不可能だろう……」
リインフォースの答えに、全員が表情を曇らせた。
闇の書からナハトヴァールを切り離し、その状態でユニゾンと逆ユニゾンを行い、なおかつ、大威力の魔法を連発したことで、リインフォースの基礎構造は修復不可能なほどに歪められていた。本来ならば新たに創造されるはずの防衛プログラムも、動力部を失ったことで組まれる気配はない。リインフォースは、ただ緩やかに自己崩壊を起こしていくだけだ。
だが、皮肉にも融合騎としての力を失ったことにより、暴走を起こして主を破滅させることもなくなった。闇の書の闇は祓われ、夜天の魔導書の名を取り戻すことができたのだ。
愛しい主達――八神颯輔と八神はやてが起こした奇跡。それが、リインフォースが夜天の魔導書として過ごすことのできる半年という時間だった。
「なに、半年もあれば十分な絆を紡ぐことができる。それは、お前達が証明しているだろう。その間に主――……はやてへと私の全てを伝え、一足先に颯輔の下へといかせてもらうさ」
四騎の守護騎士はリインフォースやナハトヴァールよりも下位の存在で、後付けで生み出された魔法生命体だ。夜天の魔導書の根幹部分には触れていないため、躯体維持のための魔力供給さえあれば、その存在を保つことができる。
夜天の魔導書が消滅したとしても、そこから切り離されてさえいれば、シグナム達が消滅することはない。八神はやての生ある限り、共に生きることができるのだ。
これまでに比べれば半年の時間などは刹那の一時に過ぎないが、シグナム達が残るのならば、リインフォースは安心して死を受け入れることができた。
「……はやては、そのことを知っているのか?」
「まだ伝えてはいないが……おそらく、知られてしまっているはずだ。はやてと夜天の魔導書の繋がりは、私が思う以上に強い。今は疲れから眠られているが、初めてのユニゾンであれほど私を乗りこなせたのも、その繋がりがあったが故にだろう。私が勝手にしたことを、気に病んでおられなければいいのだが……」
エルトリアで八神颯輔を送った後、緊張の糸が切れてしまったかのように、はやては意識を失ってしまった。これまで知らされていなかった真実を知り、兄の変わり果てた姿を目の当たりにして、それでもなお戦い続けたのだ。肉体的にも精神的にも、疲れが溜まっていて当然である。
一日以上が経過しても目を覚まさないのは心配されたが、精神リンクから感じ取れる体調に異常は見られない。四課の医務官も診察をしたが、魔力不足程度しか問題はなかったそうだ。一度に多くの事があって、心が休息を欲しているのかもしれなかった。
「……はやて、大丈夫だよな?」
「ああ、直に目覚めるさ」
リインフォースは不安を見せるヴィータを引き寄せ、その小さな背中をゆっくりと叩く。そのリズムは、颯輔が寝かしつけるときのものと同一だった。
思い出させてしまったのか、嗚咽を漏らし始めたヴィータが腕を回してくる。リインフォースはそれを受け入れ、包み込むように抱き返した。
ヴィータのすすり泣く声だけが静かに響く食堂の一角に、ゆっくりと床を叩く音が混ざる。シャマルとザフィーラが表情を険しくし、また、後ろを振り向いたシグナムが殺気立ったの感じて、リインフォースもヴィータを抱いたまま首だけを動かした。
後ろにいたのは、大小六つの包装された荷物を抱えた、ギル・グレアムだった。
◇
ギル・グレアムの登場に、シグナムは気が荒立つのを抑えられなかった。自分達が言えたことではないが、八神颯輔と八神はやての運命を弄んだ者に、どうして好感情が持てるというのか。できるのならば、今すぐその首を切り落としてやりたいくらいだった。
だが、荒立つ一方で、シグナムの冷静な部分が告げている。グレアムの行いが今回の『闇の書事件』を引き起こした一つの要因ではあるが、彼がいなければ、シグナム達にこれまでの生活はなかったのだ、と。
グレアムが颯輔とはやての保護者となったから、シグナム達は颯輔達と出会うことができた。
グレアムが闇の書の完成を待っていたから、シグナム達は颯輔達と家族になることができた。
グレアムが暴走体に広域凍結魔法を撃ち込まなかったら、魔力ダメージが足りずに本体コアが露出せず、颯輔の意識を戻すことはできなかった。
わかっている。
わかってはいる。
何より、自分達もグレアムにとっては憎悪の対象であるということも。
しかし、この男さえいなければ、という想いは、暗い炎となって燃え続けてしまうのだ。
「……何か御用ですか」
口から出た声音は、まるで、依然のシグナムのよう。
レヴァンティンを押収され、リミッターを掛けられた状態で心底よかったと思った。
「……頼まれた物を、渡しに来ただけだ」
「頼まれた物……?」
「そう噛みつく必要はない、シグナム。ギル・グレアムにそれを頼んだのは、颯輔と私だ」
「……どういうことだ?」
「……一日遅れてしまったが、颯輔から君達へのクリスマスプレゼントだ。済まないが、勝手に颯輔の部屋に入らせてもらったよ」
一瞬、グレアムとリインフォースが何を言っているのかわからなかった。
理解して、暗い炎が消えた。
堪えていたはずの涙が、止まらなくなってしまった。
「颯輔、から……?」
「ああ。お前達が家を空けている間に、一人で用意していたようだ。気付かぬのも無理はないだろう。失敗してしまった場合は、こうしてギル・グレアムが届ける手筈となっていた。交渉の場には私も同席し、知ってはいたのだが……颯輔には、口止めをされていてな」
「……颯輔君らしいというか」
「まったく、恐ろしい策略家だな」
ヴィータの質問に答えながら、リインフォースはグレアムから五つのプレゼントを受け取っている。シャマルは目の端を擦っていて、ザフィーラは天井を見上げて顔を隠していた。
リインフォースがシグナムへと差し出してきたのは、白地に小さな金色のサンタクロースが描かれた包装紙に包まれた、細長い棒状の物だった。丁寧に包装を開けてみると、現れたのは、一振りの竹刀。三尺九寸の、真新しく上等な竹刀だった。
「そう、すけ……!」
二度と触れることのできない颯輔の温もりを求めるように、シグナムは竹刀を掻き抱いた。
蒐集を始めてからは顔を出していなかったが、シグナムは剣道場でコーチの真似事をしていた。しかし、私用の竹刀は持ち合わせておらず、偶に庭先で身体を動かすときも、レヴァンティンを振っていたのだ。きっと、それを見止めて用意したのだろう。女性への贈り物としては不合格だが、家族へのクリスマスプレゼントと考えれば、これほど嬉しいことはなかった。
続いてヴィータが受け取った物も細長い棒状で、先端が左右に広がっているそれは、ゲートボールのスティックだった。コンパクトズームタイプでサイズの調節もでき、持ち運びに便利なものだ。紅の柄がヴィータの魔力光に合っていて、グラーフアイゼンを思わせるデザインのものだった。
シャマルが受け取ったのは、銀色の包装袋だった。中から出てきたのは、ピンクのエプロンとお揃いのミトン。形状自体はシックなものだが、色合いによって女性らしさがしっかりと前に出されている。愛らしい魅力を備えたシャマルに、ぴったりのプレゼントだった。
ザフィーラが受け取ったのは、比較的小さな長方形の箱形だった。その中身は、デジタルカメラ。何かイベントがあれば、インスタントカメラで写真を撮っていたのだが、その度に、デジタルカメラがあれば、と仄めかしていた颯輔である。どうやらクリスマスを機会に購入を決定したようで、ついでにザフィーラをカメラ係へと任命したようでもあった。
リインフォースの手元に残ったのは、五つの中では最も小さい掌に収まる大きさの袋だった。そこからそっと取り出したのは、二つの黄色い髪留め。その二つをクロスさせる、騎士甲冑姿のはやてとお揃いの髪留めだ。はやてと同じく跳ねていた前髪を押さえたそれは、紅玉の瞳に涙を溜めているリインフォースによく似合っていた。
シグナム達の間に、涙と笑顔が溢れる。
颯輔は、卑怯だ。
与えるだけ与えて、何も返させずに去ってしまった。
たった半年の間に、シグナム達へたくさんのものを与えて。
たった半年しか、傍にいさせてくれなくて。
出会ってからたったの半年で、シグナム達の前からいなくなってしまった。
「……シグナム?」
雰囲気の変化を感じ取ったのか、リインフォースが名前を呼んでくる。これまでは『将』としか呼ばなかったはずで、これも、颯輔が与えてくれた変化だった。
シグナムはソファから立ち上がり、竹刀の柄に手を掛けた。どんな行動に出るか思い至ったらしく、ザフィーラがテーブルの向こう側で慌てて立ち上がる。しかし、剣の騎士であるシグナムの前では、それはあまりにも遅すぎた。
ソファからいくらか離れた位置に立っていたグレアムへと一足で踏み込み、肘を基点に半円を描く。そして、その頭を狙って竹刀を振り下ろし――
「…………どうして、避けなかった?」
寸前で、止めた。
グレアムも先の戦いでダメージを受けてはいるが、シグナム達のように魔法を使えない状態にあるわけではない。グレアムほどの魔導師ならば、デバイスを起動させずともシグナムの打ち込みを防御、あるいは回避できたはずなのだ。しかし、グレアムは眉一つ動かさず、行動を起こしたシグナムを見据えたままだった。
シグナムの問いに、グレアムは誰かと同じような仕草で溜息を吐いてから答えた。
「君が短慮に走る人物ではないと、颯輔からの贈り物をそういったことに使う人物ではないと、そう判断ができる程度には、私は君のことを知っている。颯輔とはやてからは、そのように聞きかされていたからね」
「……もしもそうでなかったならば、死んでいたかもしれんぞ」
「君の怒りは理解できているつもりだ。それで君の気が晴れるのならば、とは思う。だが、受けたとしても、簡単に死にはしない。私には、君達を守る義務がある」
「……我らは……私は、貴方を許すつもりはない。……許されるつもりも、ない」
「そうでなくては困る。こちらも、許すつもりも許されるつもりもないのだから。私達の関係は、それでいい」
「……そうか。これは、そちらで預かっていてくれ。次は、抑えられないかもしれん。……ヴィータ、お前も預けておけ」
「……あいよ」
「大切に保管しておこう」
「頼む」
ヴィータと共に、グレアムへと竹刀とスティックを預ける。拘束中の犯罪者に武器となる物を渡すなど、あってはならないことだ。それを行ったのが管理局のトップに限りなく近い男だというのだから、まったく笑えない。自分が入局してからは、まずはそういったところを改めさせなければ、と思った。
次元世界に混乱をもたらした大罪人――闇の書の主には、事実上の死刑が執行された。残ったのは、一方的に命令を下され、魔法生命体であるが故に常識を持ち合わせておらず、ただ黙って従うことしかできなかった守護騎士達五人。そして、偶然事件に巻き込まれてしまった一人の少女。加害者とも被害者ともいえるその六人は、最後には管理局への協力を見せたため、そして、事件が事件であるため、形式的な裁判の後に隔離施設送り。更生プログラムの受講が済み次第、管理局へと従属させる。
颯輔とグレアムの間では、すでにそのようなシナリオが用意されていた。
ふざけた話だ、とは思う。
颯輔に全ての汚名を着せて、その死を利用するなど、絶対に許されない。
しかし、それこそが颯輔の意思。
そうすることでしか、シグナム達がはやての傍にいられる方法はないのだ。
ならば、是非もない。
残されたシグナム達はせめて、颯輔の願ったとおりに、はやての望むとおりに生きるだけだ。
「ギル・グレアム。私達は、まだアースラから出られないのだろう?」
互いに走る緊張を解きほぐすように、リインフォースが柔らかな声音を出した。
シグナム達の中では、唯一『前回』の記憶を引き継いでいるのがリインフォースだ。グレアムに対しては最も深い感情を抱いているはずだが、彼女がそれを表に出すことはなかった。世俗に関心がないようでありながら、その実、前だけを向いている。
「ああ。葬儀のときには一時的に認めるが、それ以外では不可能だ」
「では、はやてへのプレゼントは、はやての友人へと託したい。すまないが、フェイト・テスタロッサを呼んではもらえないだろうか?」
颯輔の願った未来をしっかりと見据えているのが、最も時間の残されていないリインフォースのみであるなど、実に皮肉で、恥ずべき話だった。
◇
フェイト・テスッタロッサは、生まれて初めての冬休みというものを体験している最中だった。もっとも、小学校は休みであっても特務四課は事件の後始末に追われている。しかし、その中でフェイトに与えられていた仕事は、自宅療養だった。
24日の戦闘で、フェイトに高町なのは、そして、八神はやての三人は、魔法の使い過ぎにより魔力切れを起こしていた。初めての魔法行使ということもあったはやてなどは、意識を失ってしまったほどである。
アースラでの検査の結果、はやては枯渇した魔力を回復させるために眠っているだけであること、そして、侵食により受けていた下肢麻痺が綺麗に消えたことがわかった。はやては闇の書の主ではあったが、今回の事件にはほとんど関与しておらず、それどころか管理局へと協力して暴走体を止めるのに貢献したため、念のためにリミッターを掛けられてから、一時的に元いた病室へと戻されていた。
はやては意識を失いこそしているが、実のところ、三人の中では最も症状が軽い。フェイトとなのはは意識を失いはしなかったが、制限されていたフルドライブを使用し、また、カートリッジシステムを多用してしまったことにより、リンカーコアに多大なダメージを受けていたのだ。結果、蒐集を受けたときのように、一週間は魔法の使用を禁止と通達されてしまった次第である。
そのため、フェイトは仕事で家族が出払っている自宅にて、先ほどまで一人宿題と格闘をしていたのだ。しかし、急遽特別任務を与えられ、今現在は、海鳴大学病院を目指して雪の積もる道を歩いていた。
その特別任務とは、海鳴病大学院に入院しているはやてへと、少し遅めのクリスマスプレゼントを届けることである。アルフに転移魔法を使ってもらい、自宅からアースラへ、そして、アースラから病院の近くまで送ってもらったのだった。
「はやて、起きてるかな……?」
近づいてきた病院を見据え、何の気なしに独り言を漏らす。吐いた息が、寒さで真っ白に染まっていた。
リインフォースの話によれば、はやての魔力はすでに回復しており、あとは目が覚めるのを待つだけ、とのことだった。一般的に見ても保有魔力量の多いフェイトとなのはを上回る魔力の持ち主であるはやてだが、その回復力さえもフェイト達を上回るほどである。なのはといい、はやてといい、そして、八神颯輔といい、ギル・グレアムといい、どうしてこの管理外世界にはこれほどの逸材が眠っているのか、甚だ疑問であった。
預かったプレゼントの中身が気になりながらも歩いていると、ふと、携帯電話がメロディを奏でる。取り出し開いてみると、なのはからのメールだった。
せっかくだからとフェイトと同じく自宅療養中のなのはをお見舞いに誘ってみたのだが、結果は二つ返事での承諾。文面をよく見てみると、アリサ・バニングスと月村すずかも誘ったらしい。地球に戻ってきてから思い付いたため、フェイト一人が先行する形となっていた。
先に任務を終わらせておきます、と返信し、フェイトは携帯の電源を切った。はやてが起きていた場合、プレゼントを渡すほかにも現状を説明しなければならない。民間人であるすずかとアリサがその場に居合わせるのは、よろしくない展開であった。
病院の玄関を潜り抜け、はやての病室を目指す。フェイトは今回で三度目の訪問となるが、病室の場所はしっかりと覚えていた。
やがて、三階の南東、はやての病室へと辿り着く。ノックをしても返事はなかったが、預かり物を届けるため、フェイトは遠慮がちになりながらも扉を開けた。
「失礼します……」
窓はカーテンが閉められており、照明の点けられていない病室内は薄暗い。そして、窓際のベッドには、はやての姿があった。だが、その表情を覗くことはできない。はやては頭から布団を被っていて、まるで、自分の世界に閉じこもるかのようにしている。布団の中から、微かにすすり泣く声が聞こえてきた。
「えっと、はやて? フェイトだけど……起きてる、のかな?」
「………………」
布団が小さく動いたが、答える声はない。フェイトは少しだけ迷い、そして、ベッドの隣にある丸椅子に腰かけた。
「あのね、リインフォースから、はやてに渡して欲しいって頼まれて、それで、私が来たんだ。その……颯輔さんからの、クリスマスプレゼントだよ」
「……リイン、フォース……お兄、から……?」
今度は、掠れた声が帰ってきた。
布団からゆっくりと顔を出したはやては、目を真っ赤に腫れさせていて。その腕に抱かれた枕は、涙に濡れて湿っていた。
はやてがいつから目覚めていたのか、いつから泣いていたのかは、フェイトにはわからない。しかし、大切な人を失ってしまった悲しみは、少しだけわかるような気がした。
心にちくりと痛みを感じ、それでもフェイトは微笑を浮かべ、リインフォースから預かったプレゼントを上半身を起こしたはやてへと渡した。
包装紙に包まれたプレゼントの外観は長方形をしており、厚みはほとんどない。はやてがゆっくりと包みを剥がした中にあったのは、一冊のノートだった。その表紙には、いくらか丸みを帯びた達筆で、『はやてへ』と記されていた。
「お兄の、字……これ全部、お兄が、書いて……」
「料理の、レシピ……?」
そのノートの中には、様々な料理のレシピが詳細にわたって記されていた。文字だけではなく、不格好ではあるが雑誌の切り抜きが張られており、視覚的にも分かり易い。和食に始まり代表的な洋中もカバーしており、ケーキに始まるお菓子の類もあった。全てを書き終えるのにはいったいどれほどの時間がかかったのか、送り主の想いが手に取るようにわかるプレゼントだった。
一通りの頁がめくられ、ノートに水滴が落ちる。その下のインクが滲み出て、文字をぼかした。はやてが肩を震わせ、大粒の涙を流していた。
「これ……お兄と作った、料理……」
「そう、なんだ……」
「皆、おいしいって、食べてくれて……!」
はやてはノートの端を固く握り、強く、強く、胸に抱いていた。
「……こんなっ、悲しい想い、するんなら……――」
嗚咽が混ざる、途切れ途切れの声。
「――……お兄が、いなくなるんならぁっ……」
胸の内の悲しみと苦しみ、その全てを吐き出そうとしているかのようで。
「――……まほうのちからなんて……いらへんかったっ……!」
それはきっと、八神はやての心の叫びだった。
「……そんなこと、言っちゃダメだよ」
しかしそれは、口に出させてはいけない言葉だった。感情に任せて言ったのだとしても、本心からだったとしても、それは、これまでの全てを否定してしまう言葉だから。
「……そんなこと言ったら、頑張った颯輔さんにリインフォース、シグナム達が可哀そうだよ。それに、はやてに魔力がなかったら、リインフォースとシグナム達とだって――」
「――フェイトちゃんにはわからへんっ! わたしの気持ちなんてっ、わかるわけないっ!」
フェイトの言葉を、はやての怒号がかき消す。そこにあったのは、深い悲しみと滾る怒りとの両方を宿した、激情の目だった。
「お兄が苦しんどるのにっ、シグナムらが頑張っとるのにっ、わたしは、何にも気づかんでっ……――わたし一人が守られてっ!! お兄がおったらそれでよかったんやっ! 他には何もいらへんかったっ! 足なんて動かんたってええっ! お兄がおらんとわたしはっ……わたしは……っ! ……もう、こんな想いしたくないんよ……! リインフォースだって、せっかくこっちで会えたのに……!」
「はやて、リインフォースのこと……」
「あの子とユニゾンしたんはわたしや……あの子がどんな状態やったかなんて、隠そうとしとったってわかっとった……。そやけどわたしは……それ知ってて魔法使ったんよ……。お兄助けたくて……リインフォースのこと殺そうとした……! リインフォースより、お兄選んでもうた……!」
しかしそれでも、八神颯輔は。
「そんでもお兄のこと、助けられへんかった……! お兄と約束したけど……こんな汚いわたしじゃ、約束守られへん……きっとみんなに、嫌われる……!」
ぱしん、と。乾いた音が、病室に響いた。
それは、フェイトがはやての頬を張った音だった。
「……リインフォースの気持ちを、シグナム達の気持ちを、勝手に決めつけないで」
アースラでリインフォースの話を聞いたフェイトには、全てを知ったフェイトには、今のはやての言葉は、どうしても聞き逃せなかった。もしも心が弱って出てしまった言葉なのだとしたら、尚更だ。
あのとき、フェイトが心を弱らせているときは、なのはが隣で支えてくれた。誰かの温もりがあっただけで、自分がいったいどれほど救われたことか。だから今度は、自分が誰かの支えとなる番だ。
フェイトは、俯いて動かなくなってしまったはやての頭を、腕の中へと抱え込んだ。
「リインフォース、言ってた。本当は、ナハトヴァールを切り離したときに消滅したっておかしくなかったんだって。ナハトヴァールには、夜天の魔導書の動力も一緒に持っていかれちゃったから。だけど、リインフォースはまだ生きてる。半年も生きられる。はやて、どうしてだと思う?」
「………………」
「はやてのおかげなんだよ、リインフォースが生きていられるのは。はやてがリインフォースに魔力をあげてるから、リインフォースはまだ生きていられる。シグナム達だってそう。はやてが魔法の力を持っていたから、泣いたり、怒ったり、笑ったりできるんだよ」
「………………」
「颯輔さんを助けようとしてたのだって、はやてだけじゃない。リインフォースも、シグナムも、ヴィータも、シャマルも、ザフィーラも、皆、ボロボロになって戦ってた。はやてがお願いしたからだけじゃなくて、きっと、自分が助けたいと思ったから。そう思ったから、自分を犠牲にしてまで颯輔さんを助けようとした」
「そやけど、お兄は…………」
「じゃあ、リインフォース達が助けようとしていたのは颯輔さんだけ? 颯輔さんが命と引き換えにしてまで助けたのは、リインフォース達だけじゃないでしょう?」
「……わたし……」
「うん、はやてのことだって助けようとしてたんだよ。皆、はやてのことが大好きだから。颯輔さんとは二回しか会ったことがないし、リインフォース達のこともまだまだ知らないことばっかりだけど、私にだって、それくらいはわかるよ。皆、はやてのことが大好きなんだって、わかる」
「そやけど、わたしは……!」
「はやてがそうやって自分のこと責めてないかって、リインフォースは心配してたよ。『私が命を削って戦ったのは、自らの意思によるものです。ですから、はやてが気に病まれる必要はありません』って。半年の間にはやてに魔法のことを教えて、それから、いっぱい思い出を作るんだって、すっごく嬉しそうにしてた」
「――っ!」
「颯輔さんはもういなくなっちゃったけど、はやてにはまだ、リインフォース達がいるでしょう? リインフォース達だって、大切な家族でしょう? 皆、はやてのことを嫌いになったりなんてしないから、だから、はやてもちゃんと向き合ってあげないと。颯輔さんとの約束、ちゃんと守らないとダメだよ。皆が助けようとした『はやて』を、自分でダメにしちゃ、ダメだよ」
「フェイト、ちゃ……! わたし……!」
「……うん。今は、泣いてもいいから。だから、リインフォース達に会うときは、笑顔のはやてを見せてあげよう?」
「うん……! うん……!」
背中に腕を回してくるはやてを、フェイトは偽りの記憶を頼りにし、子を抱く母のように優しく抱きしめた。
はやてが求めているのはリインフォースの温もりで、シグナム達の温もりで、何より、颯輔の温もりだ。フェイトでは、その代わりになることなど不可能。
しかしそれでも、フェイトにだって、はやての体を支えるくらいはできる。心を支えることまでは難しくとも、その悲しみと苦しみを分け合うことくらいはできるつもりだった。
震えるはやての背中をそっと撫でて、栗色のショートヘアーに見よう見まねで手櫛を入れる。そして、背後から上がった、誰かの小さな咳払いを聞いた。
「…………え?」
振り返った先、いつの間にか病室へと入ってきていたのは、腕を組んで微かに怒りを見せているアリサと、顔を青くして口元を押さえているすずかと、そして、翠屋の小箱を持って申し訳なさそうにしているなのは。
「フェイト。今あんた、聞き捨てならない話してたわよね?」
「お兄さんがいなくなっちゃったって、どういうこと……?」
「……あ、あのね、フェイトちゃん……今の話、二人に聞かれちゃった……」
「……ええぇぇっ!?」
フェイトの叫びがはやての泣く声をかき消し、狭い病室に響いた。