石田幸恵の手が伸び、恐る恐るザフィーラの獣耳へと触れる。二度、三度と感触を確かめるように揉み、撫でると、やがて納得したのか、石田の手はゆっくりと、若干名残惜しそうに離れていった。
「本物、なんですよね……?」
「はい……」
「……あの、信じてもらえました?」
「え、ええ、まぁ……」
シャマルの問いかけに、喪服に身を包んだ石田は、ザフィーラの獣耳を凝視しながら答えた。
12月30日になったばかりの深夜、海鳴市にある葬儀場では、八神颯輔の葬儀が執り行われている。現在は通夜の最中で、シャマルにザフィーラ、そして、石田の三人で蝋燭の番をしていた。
これからしばらく海鳴市を離れることとなるため、その時間を利用し、シャマルとザフィーラは石田にこれまでの全てを話していた。リミッターを課せられていても出し入れ可能なザフィーラの獣耳は、魔法が存在することの何よりの証拠である。
「じゃあ、あの颯輔君も……?」
「はい……。颯輔君の生体データはリインフォースが記録していましたから、それを元にして、幻術魔法で再現しているんです」
「……颯輔の人形、と言ったところです」
石田の視線の先、祭壇にある棺には、颯輔の姿がある。しかしそれは、リンディ・ハラオウンが幻術魔法によって作りだした偽物に過ぎなかった。
颯輔はアルカンシェルを受けて命を落としてしまったが、管理外世界である地球では、その説明は通らない。よって、特務四課が事件の事後処理として、颯輔の死を偽装したのだ。そうして世界の矛盾をなくすのも、管理局の仕事の一つである。
八神颯輔の死因は、急性心不全。25日の早朝、自宅のベッドで亡くなっていたところを家族が発見した、ということになっている。身体は健康になった八神はやての退院を待って、葬儀を始めたというわけだ。
「急性心不全、ね……。おかしいとは思ったわよ……はやてちゃんの病状は突然良くなっちゃうし、あなた達にしたって、最初はホームステイって話だったのに……」
「……すみません」
「我らのせいで、颯輔は……」
「……あら、どうしてシャマルさんとザフィーラさんが謝るの?」
視線を戻した石田は、儚げな微笑を浮かべていた。
「颯輔君は、はやてちゃんを、あなた達を……『家族』のことを、ちゃんと助けられたんでしょ?」
その声は、徐々に震えていって。
「なら、謝らないでよ……謝ったら、だめよ……」
その頬を、透明な滴が伝い落ちていく。
「……私、そんなに頼りなかったかなぁ……?」
微笑は崩れてしまって。
「頑張ったのに……魔法なんて、ずるいわよ……!」
俯いてしまった石田の手を、シャマルはそっと包み込んだ。
「颯輔君は……はやてちゃんも、もちろん私達も、石田先生には感謝していますよ」
「でも、私は、何もできなくて……!」
「そんなことはないです。魔法の力を持っている私達でも、はやてちゃんの治療はできませんでした……。それでも石田先生は諦めないで、ずっと、ずっと、治そうとしてくれていました。颯輔君とはやてちゃんの、そばにいてくれました」
はやての両親が亡くなり、ギル・グレアムも去って、シャマル達が現れるまでの間、颯輔とはやての面倒を見ていたのは、実質石田一人だけだった。二人にとって、それがどれほどの助けになっていたか。
「石田先生は、颯輔とはやてにとっての母でしたよ」
ザフィーラの言葉に、石田はついに泣き崩れてしまうのだった。
◇
12月30日の午前。高町なのはは、火葬場から冬の空を見上げていた。火葬場の排気筒からは、微かに翡翠色の光が窺える。光は薄く雲のかかった空へと昇り、その色を失っていく。八神颯輔の幻を構成していた、リンディ・ハラオウンの魔力光だった。
なのはと同じく外にいるのは、ギル・グレアムとリーゼ姉妹。その三人から離れたところには、八神はやてとリインフォース達、石田幸恵、そして、月村すずかとアリサ・バニングスの姿がある。フェイト・テスタロッサにアルフ、エイミィ・リミエッタを加えたハラオウン家も、一カ所に固まっていた。その全員が、無言で空を見上げている。
「なんか、実感湧かないなぁ……」
「お姉ちゃん?」
なのはの隣には、なのはの姉で颯輔の同級生でもある高町美由希がいる。美由希は、なのはから顔を隠すかのように上を向いていた。
「終業式の日は、普通にさよならって別れたのに……。いなくなっちゃって、初めて気が付くなんて、私、馬鹿みたい……」
「お姉ちゃん、もしかして、颯輔さんのこと……?」
「わかんない……よく、わかんないよ……」
眼鏡を外した美由希が目元を拭い始めたところで、なのはは美由希から視線を外した。
なのはが魔法の事件に関わったのは、今回で二度目となる。そのどちらもで新しい友人を得て、しかし、辛い別れも経験した。
ジュエルシード事件では、フェイトの母であるプレシア・テスタロッサを救うことができず、闇の書事件では、はやての兄である八神颯輔を救うことができなかった。
ジュエルシード事件の頃の高町なのはは、魔法の存在を知ったばかりの無力な少女に過ぎなかった。それから魔法の練習をして、特務四課で訓練を受けて、その頃よりも強くなったつもりだった。そのはずが、また、だめだった。
なのはに与えられたたった一つの才能。それを活かせば、誰かに褒めてもらえると思っていた。しかし、褒められるだけで満足してはいけなかったのだ。その先、誰かの役に立って、誰かを助けられるようにならなければ、意味はない。
ならば、高町なのはが進むべき道は、ひとつ。
「……お姉ちゃん。帰ったら、皆に、大事な話があるんだ」
今度こそは、誰にも悲しみの涙を流させない。
◇
12月30日の夜。八神颯輔の葬儀を終えた八神はやては、自宅へと戻っていた。
ナハトヴァールが消滅し、闇の書が夜天の魔導書へと戻ったことにより、はやての身体を侵していた異常は綺麗になくなった。海鳴大学病院での検査を終え、ようやく退院することができたのだ。リハビリを続ければ、自分の足で歩くこともできるようになるそうだ。
しかし、はやてはしばらくの間、病院へ通うことはできない。リインフォース達と一緒に隔離施設へと入り、更生プログラムを受けながら、魔法の勉強をすることにしたのだ。
もう誰にも、自分のような想いをさせないために。
何より、八神颯輔との約束を果たすために。
「……やっぱり、そんな都合のいい魔法なんてあらへんよね」
ベルカの文字が記された最後の頁をめくりおえ、はやては小さく息を吐いた。永い時を旅し、様々な魔法を収集してきた夜天の魔導書にも、死者蘇生の魔法などは記されていなかったのだ。
そんなものは存在しないと、最初からわかっていた。ただ、自分の目で確かめて、そして、踏ん切りをつけたかっただけだ。
少しだけ期待してしまったことは、否定しないけれど。
「はやて、もう出発だって」
「クロノ・ハラオウンが迎えに来ました。皆も、準備を終えて待っています」
「ん、今行くよ」
ヴィータとリインフォースに呼ばれ、はやては小さく笑いながら返事をした。ヴィータが首に巻いているのは、はやてがクリスマスプレゼントとして用意していた紅のマフラー。リインフォースのマフラーは、颯輔に渡すはずだった黒いマフラーだ。
家族皆が笑って写っている一枚の写真を挟み込み、夜天の魔導書を閉じる。自室からリビングへ出て、ヴィータからコートと白いマフラーを受け取ると、リインフォースが後ろに回って車椅子を押し始めた。
外に出れば、微かに雪の降る中にシグナムとシャマル、そして、ザフィーラとクロノ・ハラオウンの姿がある。シグナムとシャマル、ザフィーラの三人も、それぞれの魔力光と同じ色の毛糸で編まれたマフラーをしていた。
時空管理局本局にて形式的な裁判を受けて、隔離施設で過ごす。それには、おおよそ三ヶ月の時間がかかると聞いている。次にここへ帰って来る頃には、桜の季節となっているだろう。
雪が舞い散る夜空を見上げれば、浮かぶ雲の切れ間から、大きな月が覗いているのが見える。
その隣には、寄りそうようにして輝く小さな星があった。
近く見えても遠く離れているそれらは、兄と自分を表しているかのようで。
「――ほな、いってきます」
月明かりの下、無人となってしまった暗い家を振り返って、はやてはそっと囁く。
ふわりと吹いた風が、はやての頬を撫で、優しく髪を梳かしていった。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
EDには、『PHANTOM MINDS』などをどうぞ。
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続編となる『夜天に輝く二つの光Relight』を連載中です。
結末に納得のいかなかった方は、検索してみてください。