喫茶翠屋。海鳴市の商店街にある、颯輔のクラスメイトである美由希の両親が経営する喫茶店兼洋菓子店である。美由希の母が本場で修業を積んだパティシエだそうで、特にシュークリームは絶品とのこと。海鳴市でデザートを買うならここが一番と評されるほどの人気店だ。日曜日の夕方であろうと、客が途切れないほどに。
「颯輔、ここ?」
「ああ。喫茶翠屋っていう、海鳴じゃ一番おいしいデザートのお店だよ」
翠屋を訪れる客の一組である颯輔が、甘い香りにスンスンと鼻をならすヴィータに微笑みながら答える。
ここまでの道中、颯輔は普通に会話できる程度にはヴィータに心を開いてもらえたようだった。おいしいものを買いに行くと聞かされ、上機嫌だったことが勝因だろう。髪の色から妹とは言えない少女に主などと呼ばれては、今頃どうなっていたことか。考えただけでも恐ろしい。
嫌な想像を振り払った颯輔は、ヴィータと共に店内へと続く扉を開いた。
「いらっしゃいませ――って、八神君?」
「こんにちは。それと、お仕事お疲れ様、高町」
二人を出迎えたのは、翠と刺繍の施された黒いエプロンを身に着けた美由希だった。休日ということもあってか、店の手伝いに駆り出されていたらしい。喫茶店も兼ねる翠屋には、ウエイトレスも必要なのだ。
「あ、妹さんのケーキね。忙しくてすっかり忘れてたよ。えーと……妹さんじゃない、よね?」
片づけの途中だったのか、空いた食器をトレーに乗せて近づいてきた美由希が、ヴィータを見て首を傾げる。
これまで片手で数えるほどだが、美由希ははやてに会ったことがあった。読書好きが功を奏して話は合うのだが、はやては笑顔の裏で妙な威圧感を放ってきていた気がしたので、その顔を忘れることはない。
「ああ。うちの保護者のおじさんのことは話したっけ?」
「イギリスの方のこと?」
「そう、その人。そのおじさんの親戚が日本にホームステイすることになってさ、四人くらいうちで預かることになったんだ。急な話だったから、高町には話してなかったけどね。ほら、挨拶、できる?」
「ヴィ、ヴィータです。よろしくどーぞ」
「私は高町美由希。八神くんの友達だよ。よろしくね。それにしても、ヴィータちゃん日本語上手だね~。なのはの友達もイタリア人なのに日本語上手だったし、日本語が共通言語にでもなりつつあるのかなぁ?」
「さ、さぁ、どうだろ? ヴィータ達はしっかり勉強してきたみたいだけど……」
「へぇー。ちっちゃいのに偉いぞ」
「はぃ……」
近所のお姉さんと化した美由希に頭を撫でまわされるヴィータが助けを求めるような視線を送ってきたが、颯輔は曖昧な笑いを返すだけだった。美由希の人柄は知っていたし、ヴィータも案外満更ではなさそうだったので、その必要はないと判断したのだ。
それに、こういったスキンシップは守護騎士達の人間性を取り戻すきっかけにもなるだろう。密かに計略を巡らせている颯輔である。
「コラ、美由希。お客様を困らせたらダメだぞ」
そろそろ抵抗してもいいのではないか、と結論を出そうとしていたヴィータと美由希の撫でまわす手を止めたのは、厨房から出てきた一人の男性だった。
すらりと高い身長に、優しげな顔立ちと美由希と同じ黒髪。同じく、翠屋のエプロンを身に着けている。
以前颯輔が来店した時は美由希の姉かと思えるほどに若々しい母親が対応をしたため、この男性と顔を合わせるのは初めてのことだ。
「こ、困らせてないってば、お父さん。ちょっとお話してただけだって」
「そうか? 友達と話すのは結構だが、TPOはわきまえないとダメだぞ?」
(予想してたけど、お兄さんじゃなくてお父さんだったか……)
繰り広げられる親子の会話にどこか懐かしいものを思い出しつつ、高町夫妻のあまりの若々しさに感心半分呆れ半分の颯輔であった。三十代後半と聞いていたが、二十代でも十分通用しそうな外見である。
颯輔の叔母は童顔で年より若く見えたが、叔父や両親はそうではなかったはずだ。自分の十年後を想像し、今度は不安になる颯輔であった。
「なるほど、君が八神君か……」
「……?」
「私は高町士郎。美由希から話は聞いているよ。うちの娘はどうもぼんやりとしているところがあるから、よろしく頼むよ」
「いえ、そんな。こちらこそ、娘さんにはお世話になりっぱなしで」
「話の通り、しっかり者のようだね。注文のケーキはできているよ。今持ってくるから、少し待っていてね」
「はい」
一瞬探るような目を向けられた気がしたが、ただの気のせいだったのかもしれない。握手を交わした手が妙に力強かったのも、たぶん、気のせい。笑顔の裏から威圧感を感じたりなんかは、していないはず……きっと。守護騎士であるヴィータも反応していないし、悪寒が走ったりもしていないったらしていない。
颯輔が勘違いから冷や汗をかいている一方で、ヴィータは美由希から解放されてからはショーケースに並ぶケーキに釘付けだった。
「あ、えっと、その、今日は足りない分のケーキも見に来たんだった。いいかな?」
「もちろん。ヴィータちゃん達の分?」
「そうそう。ヴィータ、好きなの四つ選んでいいよ」
「いいのっ!?」
「ああ。ヴィータの分が一つと、あとはシグナム達の分ね」
「わかったっ!」
瞳の輝きが五割増しになったヴィータが、ショーケースとじっくり睨めっこを始めた。
このけーきは何、こっちはどんな味、と興奮気味に質問を繰り返し、候補を絞り込んでいく。最後の一個をチーズケーキかレアチーズケーキかで悩んでいたようだったが、颯輔がまた今度買いに来るからと告げると、迷った挙句にチーズケーキに決めていた。
さらに追加で評判のシュークリームを六個頼み、会計を済ませる。英世さんではなく諭吉さんが出陣したあたり、そこそこ大きな買い物だった。
「ありがとうございました」
「また明日学校でねー」
士郎と美由希に見送られ、翠屋を出た。
シュークリームのケースを任されたヴィータは、それを味わう時が心底楽しみなようで鼻歌まで歌っている。聞き慣れないが、耳に残る綺麗なメロディーだった。ヴィータのここまでの喜びようは流石に予想外だったが、喜んでくれるに越したことはない。
もはや完全に見た目相応の子供にしか見えなくなったヴィータに気を抜かれ、温かな気持ちで歩いているときだった。
そのメロディーが、ブツリと途切れたのは。
「ヴィータ……?」
歩みも止めてしまったヴィータを見て、颯輔は困惑した。喜色満面だった表情が険しいものへと変化し、ある一点を射殺す様な視線で睨んでいる。その様子にただならないものを覚えつつ、その先を追った。
そこにいたのは、一人の少女だった。
歳はおそらく、はやてと同程度。赤い長袖と白い半袖のアンサンブルに、紫のミニスカートと白いニーソックス。黒いリボンで明るい茶髪をツインテールに結っている。その小さな肩にはペットであろうフェレットを乗せ、こちらに向かって歩いてくるところだった。
美由希の母親にそっくりな顔立ちと、美由希の話に度々出てくるフェレット。見たことはないが、その特徴から美由希の妹である高町なのはだと推測される。推測があっているのならば、これから翠屋にでも行くのだろう。
ヴィータの視線に気が付いたのか、その少女はビクリと立ち止まると困惑の視線を向けてきた。ヴィータに向けていたそれが隣へと移り、目が合った颯輔は困ったように笑う。
「ごめんね。……ヴィータ、ダメだぞ、そんな睨んだりしたら」
「睨んでねーです。もともとこういう目つきなんです」
確かにヴィータはつり目だが、昨晩から思い返しても今のように敵意を滲ませた目つきを見せたことはない。
あからさまな誤魔化しに不信感を抱きつつ、颯輔を庇うように少女との間に立ったヴィータの前へと割り込み、もう一度少女に謝ってから道を譲る。少女はペコリと頭を下げた後、気のせいでなければ急ぎ足になって脇を抜けて行った。
推測は正しかったのかどうか、少女は翠屋の方へと消える。その後ろ姿が見えなくなるまで、ヴィータから剣呑な雰囲気が抜けることはなかった。
まだ固いが、ヴィータがいくらか元に戻ったところで片膝をついて視線を合わせる。
「いきなりどうしたんだ? あの子、怖がってたぞ?」
何か理由があるのだろうとは思いつつも、窘める口調で問いかける。ヴィータから返ってきたのは、颯輔の疑問を吹き飛ばすような言葉だった。
「……あいつ、魔導師かもしれねーです」
◇
楽しい時間というものは、総じて体感時間が短い。颯輔とヴィータの報告に一波乱はあったが、例年より賑やかなはやての誕生会はあっという間に終わってしまった。
新たな同居人の歓迎会も兼ねた誕生会。腕によりをかけて作った料理は綺麗になくなり、四号サイズのホールケーキとシグナム達のために買ってきたショートケーキもペロリと平らげた。
シグナム達の態度はまだぎこちないところが目に付いたが、自分の誕生日を祝ってくれる人が増えたことが単純に嬉しかったようで、はやてはいつも以上にニコニコと笑っていた。あんなに楽しそうにしているはやてを見たのは、随分と久しぶりだった気がする。
過ぎ去った時間に思いを馳せながら、颯輔はシグナムと共に後片付けをしていた。
はやてにヴィータ、それからシャマルは入浴中である。はやてがヴィータと一緒に入るときかなかったため、シャマルにお守りを頼んだのだ。
「主颯輔。ヴィータと共に遭遇した魔導師の件ですが……」
こういったことは初めての経験だったのか、隣で澄ましつつもおっかなびっくりと食器を拭いていたシグナムが、皿洗いをしながら物思いにふけっていた颯輔の意識を呼び戻した。帰宅後に守護騎士達に報告はしたが、夕飯の時間だからと話し合いは後回しにしていた件だ。
翠屋の帰り道に遭遇した魔導師。名前はおそらく、高町なのは。
魔導師同士でも普通に生活している分にはお互いが魔導師かどうかはわからないそうだが、ヴィータはあの少女から魔力を感じたという。トレーニングでもしていたのか、行動を制限する魔力の負荷をかけていたために気が付いたらしい。
地球には魔法文化はないはずだが、颯輔とはやてという前例がある。二人はいわば突然変異で非常に珍しいケースなのだが、同じ海鳴市に他にも魔導師がいないとはいいきれない。正体を隠しているだけで、案外、物語のような魔法使いやらがどこかに隠れ住んでいるかもしれないのだ。魔法の学校だったり、魔法使いの組織だったりも存在するかもしれない。一ヶ月ほど前には街路樹が巨大化するという摩訶不思議な事件があったし、あれに魔法が絡んでいる可能性もなきにしもあらずだ。
「街路樹の巨大化云々については判断しかねますが、今は目先の問題が重要です」
「ごめん、そうだったな……」
ふと思い付いたことを尋ねてみただけだったが、話をそらさないでくださいと視線で訴えられてしまった。
気を取り直して。
ここで問題になるのは、件の少女が外の世界を知っているかどうかである。
本日女性陣の買い物を待つ間にザフィーラから聞いた話では、次元世界の法と秩序を守る時空管理局なる組織が存在するらしい。魔法技術があって管理局の手が及ぶ世界を管理世界、魔法技術がなくて管理局の手が及ばない世界を管理外世界と呼ぶそうだ。
「この世界――地球は管理外世界です。件の少女が管理局に通じている可能性は極めて低いと思われますが、用心に越したことはありません。何しろ、少女は魔力を持っていただけでなく、実際に使っていたのです。魔法を使えるという事実。魔法文化のない世界では、まず有り得ないことです……。無論、我らヴォルケンリッターが一対一で遅れを取る事はありませんが、しかし、管理局に大挙として迫られた場合は、少々話が変わってきてしまいます。主達はこの身に代えても護り抜く所存ではありますが、敵軍の殲滅は不可能に近いでしょう。この地で暮らす事は適わなくなるやもしれません」
「殲滅って……。まぁ、シグナムの考えがわからないでもないけど、まだ管理局の人間って決まったわけじゃないんだから。不審には思われたかもしれないけど、こっちの正体がバレたわけじゃないし。だいたい、その女の子だって、まだ小さな子供だったしさ」
「いいえ、油断は禁物です。もしかすると、変身魔法で正体を隠した管理局員やもしれません。ここはやはり、向こうが感づく前に、こちらから打って出るべきかと」
「って、待て待て待て待て!」
早速普段はアクセサリーとして待機状態となっている武器――レヴァンティンを胸元からゴソゴソと取り出そうとするシグナムを、その動作にドギマギしつつも慌てて止める。
シグナム本人は至って真面目なようだが、少々血の気が多い気がしてならない。ついでに言えば、自分が女性、それも美人であることを自覚してもらえるとありがたい。
心の中で溜息を吐く颯輔であった。
ちなみに、魔法というからにはそれらしい杖を想像していた颯輔とはやてだったが、実際に見せてもらうとレヴァンティンは未来的なデザインの剣。ヴィータのグラーフアイゼンはハンマーだし、シャマルのクラールヴィントは指輪という形状。これまでの二人のイメージを見事に粉砕してくれたのだった。騎士である事を考えればシグナムとヴィータは納得のチョイスなのだが、いくらなんでも物騒な事この上ない。
「……その女の子は、俺の友達の妹かもしれないんだ。例え管理局員だったとしても、いきなり斬った張ったは勘弁してくれ。朝も言ったけど、この世界で暮らしていくには大切なことなんだから、そうやってすぐ実力行使に出ようとするのは禁止。わかったか?」
「申し訳ありません……」
「ないとは思うけど、ピンチになったときは頼りにさせてもらうからさ。とにかく、まずは事実確認が先だ。それまではちょっかいは出さないこと」
「はい……。それではせめてもとして、シャマルに探知防壁と防御結界を張らせておきましょう。探知防壁は探索魔法から逃れるためのもの、防御結界は敵の侵入を防ぐものだとお考えください。万が一への備えは必要ですから」
「それくらいなら、まぁ……」
もしも件の少女がシグナムの言うとおりのような人物だった場合、それに対する備えは確かに必要である。颯輔とはやては突然闇の書の主に選ばれただけで何もしてはいないのだから、理不尽な理由で逮捕なんてことになるのはご免だった。それに、以前はどうであれ、少なくとも、八神家に現れてからのシグナム達は今のところは何もしていない。
シグナムの提案は、考えようによっては一般用の防犯システムにもなるだろう。海鳴市で物騒な事件が起こったなどと聞くことはないが、しかし、用心に越したことはない。
防壁だの結界だのという言葉に己の常識がガラガラと音を立てて崩れる音を聞きながら、颯輔は頷いたのだった。
◇
「ふぅ……」
久方振りに使う自室のベッドに潜り込み、颯輔は一つ息をついた。
入浴と明日の朝食の下ごしらえを済ませ、後は就寝するだけとなったのだが、はやてがヴィータと一緒に眠ると言い出したのだ。不安はあったが、小さなヴィータが軽々とはやてを横抱きにするのを見て、色々と言葉を飲み込んだ颯輔である。
セミダブルサイズのベッドとはいえ、一人で眠るそこはいつもの何倍も広く感じた。
自分にべったりなはやてを見て、いつかは兄離れが必要だとは思っていたのだが、いざこうなってみると、何やら物足りなく感じてしまう。もしかしたら、自分の方が妹離れできていないのかもしれない。
しばらくは慣れそうにないな、と思いながら、颯輔は重くなり始めた瞼を閉じた。
思い返してみれば、今日は密度の濃い一日だった。
本日6月4日になった瞬間に守護騎士達が現れて、魔法の存在を知った。そして、あろうことか、自分と九歳の妹が彼女らの主となったのだ。改めて、突拍子もない空想的な話だと思う。
それから、はやての悲鳴で目を覚まして、朝食を振る舞って、美味しそうに食べるシグナム達を見て。
買い物では、さしてセンスもない自分にレディース物の意見を求められて困惑したり、四苦八苦して選んだ服は、はやてにイマイチと評価されたり。
翠屋への買い物では、ヴィータの見た目相応に可愛らしい一面を発見し、帰り道には自分達以外に魔導師である可能性を持つ少女とすれ違った。
夕飯は腕によりをかけてご馳走を作り、はやての誕生会は今までで一番賑やかなものとなった。しかし、シグナム達はまだ遠慮していたというか、戸惑っていたところがあったので、打ち解けているであろう来年にはもっと賑やかなものになっているだろう。
休日と言えばはやてと二人で静かに過ごすことが多かったのだが、今日は慌ただしい一日だった。まだまだ考えなければならないことはたくさんあるが、今日はもう疲れで頭が働きそうにない。思考を閉じて、颯輔は微睡に身を任せた。
――お疲れ様でした。ゆっくりとお休みください、我が主よ。
薄れゆく意識の中、同室でカーペットに身を横たえているザフィーラでも別室のシグナム達でもなく、しかし、どこかで聞いたことのあるような女性の声を耳にした気がした。