切り立った崖に一筋に大きな亀裂がある。横幅は大人二人が並んで如何にか通れるくらいの狭さ、荷車は何とか通せる幅しかない。
それが村と外を繋ぐ唯一の玄関口だ。
人が通るにも苦労する道だ。そんな道をモンスターが態々通ることは無い。そうして入口は村を長年に渡り隠し通し、それと同じく長年に渡り村の発展を妨げてきた。
だがそれで良かった。モンスターの恐怖に怯えることが無いのだ。戦わずして生き残る事が出来るのだ。だからこそ村は貧しくとも生き延びてきたのだ。
モンスターの襲来。
それは村が滅ぶ瀬戸際に追い込まれる事である。過去、村を守るために多くの親が、友が、子が犠牲になってきた。
それを知る、伝えられてきた事で彼らは知る、モンスターの強さを。そして犠牲を払いながら辛くも退けてきた事を。
だからこそ彼らは命を懸けて戦える。たとえ自分が駄目でも次が、またその次がモンスターを倒してくれると信じて彼らは武器を持つ。石を、包丁を、木の棒を、槍を。そしてちっぽけな勇気を振り絞り戦うのだ。
そして流された血と斃れた躯で村は守られる。涙を流し、悲しむ。そして死んでいった者を弔い、称え、彼らは守られた小さな世界で生きる。
彼らは知らなかった。
外界との唯一の接点、村の発展を妨げ、しかし村を隠し通してきた玄関口は砕かれた。通り抜けたのではない、砕き自らが通れるように拡げたのだ。
そこから現れたモノを言い表す術を彼らは持っていなかった。集った彼らがソレを見て理解出来た事は少ない。唯々大きく、鋭く、硬く、強大だと言う事。
いや、一つだけ誰もが理解出来た事ある。
格が違う。生物として、生きるものとしての格が違う。
そしてモンスターが吠えた。ちっぽけな勇気すら吹き飛ばす咆哮が村に響いた。
◆
危険を冒してまで川を下った過程で匂いも残さず流された筈だ、いくらモンスターと言えども匂いを元に追跡するのは不可能な筈だ。だが紅いアオアシラ、モンスターに限ればそうでもなかったようだ。
僅かに残った匂いを辿って来たのか、それとも運悪く風が匂いを運んでしまったのかは分からない。だがモンスターは隠された村を暴き、それにとどまらず村の入り口をその剛腕で砕き侵入してきた。
準備を整え家から出た時、村はかつてない狂騒に陥っていた。
誰もが恐慌状態に陥り組織立った行動がとれず、叫びや悲鳴があちこちで起きている。その渦中で理性を保てた人、ヨイチ達は何とか村人達を纏め迎撃組と避難組に分けようとしていた。だが遅遅として進まない事に焦りを覚え急ぎ手伝いに向かおうとし───
その途中でモンスターと目が合った。
かなりの距離があるのにも関わらず、他にも多くの人が集まっているのにも関わらず、モンスターの視線は正確に此方を捕らえた。そして視線を交わした瞬間咆哮が轟いた。
「ガァアアアアアアアアアア!」
ーーミツケタ。
咆哮に込められた言葉、いや執念とも呼べるソレが嫌でも分かってしまう。
視線を交わしたモンスターの片目は潰れている。突き立てた剣は既に無く、そこには眼球を失った虚ろな眼窩があるだけ。残った片眼からは燃え盛る炎のような怒り……、そして執念を否応なく感じさせられる。
そう執念だ。己の片目を奪った存在をその手で殺すためにモンスターはここまで来たのだ。存在そのものが想定外なら行動も想定外。高地を越え、森を横断し、崖を崩す、誰がコイツの行動を予想できるのか。その振る舞い一つ取っても目前の存在が規格外だと理解せざる得ない。
だが今は悠長に考察をしている暇はない。村人達を掻き分け自らモンスターの眼前に躍り出る。
「カムイ!」
「ヨイチは皆を避難させろ!時間を稼ぐ!」
モンスターの目的は俺なのだ。此処でヨタロウ達を手伝っては巻き添えを喰らうことは確実。ならばやることは一つ、奴の足止めだ。
剣を、盾を構えて疾走する。避難する村人達を、腰が引けていながらも立ち向かおうとする男衆を追い越して走る。対するモンスターは二本足で立ち上がるも一歩も動かず、そして再び吠えた。
「ガァアアアアアアアアアア!」
「う、ああああ!」
「ヒッ!」
まだ距離が離れているのにも関わらず咆哮で頭が殴られる。経験を積んだ自分でさえこれなのだ、村人達に至っては腰を抜かした者や泣き叫ぶ者が何人もいる。だが気に掛けている余裕はない。モンスターが先手を打ってきたからだ。
間合いに入った敵に向けて剛腕を振り下ろす単純な動作。だが見上げる程の巨躯、それに見合った巨大な腕で繰り出される一撃をまともに喰らえば盾があろうと致命傷は免れない。
迫りくる死、それを盾で防ぐ愚を犯さず前に出て避ける。空間を圧し潰す一撃を後ろに感じながら、恐怖で足が止まりそうになりながら、それでも足を止めずひたすらに前へ進む。そして剛腕を振るえない懐まで入り込んだ。
「ああああ!」
声を張り上げ片手剣を振るう。踏み込みも技術も気迫も全てが揃った一撃、だが無駄だった。
「クソッ、硬い!」
もう一度斬り付ける事で漸く理解した。毛皮が丈夫な事は勿論だがその下にある筋肉、脂肪にまでは考えが及ばなかった。大きく重く丈夫な筋肉と大量に蓄えられた脂肪が、毛皮が防げなかった剣の勢い、衝撃すら吸収してしまうのだ。毛皮に筋肉、そして脂肪が合わさった事で生まれる硬さ。これでは一片の衝撃すら通らない。
それでもモンスターから離れたりはしない。例え剣の攻撃が通じなくとも懐で、それも潰れた片目の死角で動き回れば敵を捕捉も出来ないモンスターは攻撃を封じられる。時間稼ぎには最適の行動。例えそれが動きを読み損なえば大怪我を負う可能性があったとしても、それが現状で可能な比較的安全な立ち回りだ。
うっとうしい羽虫の様にモンスターの懐を動き回る。その行動の最中に考えるのは対応策。
手持ちの武器では全く歯が立たない、そればかりか村にある全ての武器が通じない事も理解した。その上で取れる手段を模索し、考え付いた対応策は三つ。
一つ、モンスターが吸収しきれない程の衝撃を与え倒す。
二つ、モンスターの毛皮、筋肉、そのすべてを斬り裂く。
三つ、一、二以外の間接的な攻撃によって倒す、崖から落とす等。
笑いそうになった、余りにも荒唐無稽な策に。一と二に関して言えば具体的な方法すら思い浮かばず、三に関しては崖から落とす策がモンスターに通用するのか。アオアシラでさえ半死半生になりながらも耐えたのだ。だがこれしかない、これしか考え付かないのだ。
その中で可能性が高いのは三つ目、それを実行するには候補地の有る村の外に誘導するしかない。恐らく引き連れる事は簡単だ。此処まで自分に強い執着を示している以上逃げれば追ってくるだろう。誘導にもそのものは問題がない……その先の移動は命懸けだが。
それでも命を懸ける価値はある。村では倒せる可能性がゼロでも外でならーー。
「グゥウウウ」
その時モンスターが唸った。余程死角を動き回られるのは不快なのだろう。なにせ簡単に手が届く筈なのに、簡単に殺せる筈なのに殺せないのだ。運よく攻撃出来たとしても紙一重に避けられる。不愉快極まりないだろう。
それが分かったのかモンスターは拳を振るうのを辞め一声唸る。すると今まで後脚で立ち上がり攻撃していた二足歩行の状態から四足歩行の状態に戻り四肢に力を籠め始めた。
見たことが無い前兆だが予想は出来る。恐らく今の状態から離脱する為に突進かそれに類する行動を取る、そこまで予想して此方も身構える。そしてモンスターは四肢を震わせーー消えた。
「はっ?」
目の前にいた筈のモンスターが消えた。前後左右見回しても巨体は何処にもいない。
ーー消えた?何処に消えた?さっきまで巨体は目の前にいたんだぞ、見失う事なんてありえない!瞬間移動、あり得ない!
突然の事態に慌てふためきながらもモンスターがいた場所を見る。そこには何もなかった、地面が大きく凹んでいるだけ。
そして影が差した。さっきまで無かった影が頭上に出来ている。
嫌な予感がして素早く顔を上げる。すると視線の先にモンスターはいた。
「嘘だろ……」
信じられなかった、いや、信じたくなかった。誰が予想できる?モンスターの背丈を軽く超える跳躍を誰が予想できる!
「ガァアアアアアアアアアア!」
自らの全体重と重力が加えられた拳が天より迫ってくる。圧倒的な力が、受ければ肉体が即座に潰れる暴力が自分に向かって振るわれる。
ソレを避ける。叫びを上げる時間すら惜しい、持てる力を振り絞り死から逃れる。転がるようにして避けた結果モンスターの攻撃は避けられた、拳による攻撃だけは。
「あああああああ!」
地面が爆ぜた。
叩きつけられた拳、その力で生まれた衝撃が、地面が爆ぜた結果生まれた礫が散弾となって襲ってきた。回避不可能の暴力が身体を打ち付け、肺の空気が悲鳴として強制的に出される。そして被害は自分だけに留まらなかった。
「ぎゃあああああ!」
「痛い痛い痛い痛い!」
「大丈夫かっ、しっかりしろ!」
「怪我人を下がらせろ!早く!」
衝撃と礫は村人達も襲う。その中でモンスターと戦おうと集結していた男衆は防具を持っていない者が多くいる。身体を守る物がない状態で受けた衝撃と礫、それを回避も出来ずまともに受けた事で被害は拡大していく。何人もの大人達が血を流し、呻き、叫び、倒れ伏していた。
たった一撃、その余波だけでこの被害。勝つとか負けるの話ではない、モンスターが暴れれば村が問答無用で滅びる。幸いにもモンスターの眼中には自分しかいない。ならば迷っている暇は無い。
「こっちだ、ついてこい!」
防具で致命傷は防ぎ、それでも鈍く痛む身体を動かす。
急いで囮としてモンスターを引き連れ村から離れる。戦術なり対抗策は離れてから考えればいい。そう考えていた。
だが甘かった。見通しを、怒りと執念に突き動かされて来たモンスターの持つ悪意を甘く見ていた。
「来るな!こっちに来るな!」
「嫌だ、嫌だいやだいやだー!」
モンスターは付いては来なかった。そればかりか被害から立ち直ってない村人達に近付いて行く。ゆっくりと、まるで恐怖を育て上げるかのように。そして振り返り残った片目が告げる。
ーー逃げればこいつらを殺す。
今は殺さない。だがモンスターの気まぐれでその命は容易く潰される。高地で見たバラバラにされた残骸が脳裏に浮かび上がる。モンスターは分かっている、知っているのだ。獲物を逃げられないようにするには殺すのではなく悲鳴を上げさせればいい事を。
「クソッタレ!!!」
ーーそうだよ、良く分かってんじゃないか!こうすれば逃げ出せない事を!
走る、村人達を助ける為に。思えばバラバラにされたアプトノスも同じだったのだろう、我が子を助けるために。そして愚かにも無策で立ち向かった代償は高くついた。
「ガァアアアアアアアアアア!」
村に、空に、モンスターの咆哮が轟く。そして咆哮の矛先は助ける為に近づいた自分。
「ああああアアああア!」
頭が割れる。頭蓋の中を、脳を掻き回される。切り刻まれるような痛みに襲われる。至近距離で咆哮をまともに浴びればどうなるか、その結果を身をもって知る羽目になった。身体は無意識に音から逃れようと耳を塞ぐ、戦闘中であることも忘れて。
そして何かが砕けた感触を感じた。
身体が浮く。盾が剛腕を受け止めてしまった。受け止めきれなかった力が盾を、腕を壊し始めていく。聞こえない音が、バキバキと身の毛もよだつ音が振動として腕に伝わる。だがそれだけでは終わらない。止まらずに振りぬかれた剛腕によって宙に投げられた。
不思議と激痛を感じることは無かった。そのせいか実感を持てず、まるで他人事のように感じながら宙を舞い、そして意識が途切れた。
途切れる直前にアヤメの叫び声が聞こえたような気がした。
◆
遊びだった。
川岸で対峙したモンスターは逃げるしか出来ない小さく弱い生き物で遊んでいた。川岸にあった石をその腕で掬い投げる。石の礫、大きい物も小さい物も等しく同じ速さで襲ってきた。だが防具のお陰で致命傷にはならなかった。だけどそれを何度も何度も行う、嗤いながら。甚振るように、苦痛の声を上げさせるために。
それに対して私は逃げる事しか出来なかった。弓は通じない、どうすればいいか分からなかった。
カムイに助けられて安心した、助かったと思った。だけどあの恐ろしい叫びを聞いて恐怖が甦ってきた。自分でも身体が震え、血の気が引いて行くのが分かった。それなのにカムイは安心させようとして下手な笑顔を作っていた。そして剣と防具を装備すると風の様に家から出ていった。
それから入れ替わりに父様が来た。急いできたのか息が荒い。
「アヤメ隠れなさい、村の女子供は隠れる決まりだ」
息を整え、開口一番に話したのは昔からの決まりだ。モンスターが村に現れた時は女子供は集会所に避難させ男達は戦う。それが何も知らない昔の私のままだったなら素直に従った。だけど今は違う。
横になった状態から立ち上がり身体の状態を確認する。体中が鈍い痛みを出しているけど動ける。それが分かるとすぐさま予備の武器と防具を取り出して装備する。
「何をしている!今すぐ隠れなさい!」
「出来ません。それにアレは隠れた女子供を見逃してくれるほど優しいものではありません」
ーーアレをやり過ごせる気が起きない。
それが対峙して私が感じた事。父様は私の行動が予想外だったのか慌てている。それに構わず私は準備を整えていく。暫く何かを言っていたけど内容は分からなかった。だけど準備を終え外に出ようとしたところで両手で肩を強く掴まれ止められた。
「何故隠れない、何故戦う!お前はアレが恐ろしくないのか!」
「恐ろしいよ!怖いよ!今でも身体が震えているよ!」
大声で問いかける父様に負けない大声で答える。
「でも戦うしかないの!アレと戦ったから分かるの!正直に言えば怖いよ、でも村で弓を一番うまく扱えるのは私しかいない。唯の女子供じゃない、貴重な戦力だってことを自覚しているから行くの」
そこまで言うと肩を掴んだ父様を振り払う。そして家を出る直前で立ち止まり振り返る。すると同じように振り返った父様と目が合う。
「それに私はハンターだから」
それだけを言って私は走り出す。言うべきことは言った。勿論恐怖は消えていない、それでもカムイと一緒なら、きっと。そんな根拠のない考えを持ちながら村の中を走り続ける。そして一際大きな音が、それに合わせて沢山の人の悲鳴と叫びが聞こえてきた。
「ウソ……」
村人達を、人垣を押し退け辿り着いた場所、そこにいたのは沢山の倒れ伏す村人達。そして吹き飛ばされ宙を舞うカムイの姿。
その時私は叫んでいた、直ぐにでもカムイが飛ばされたところに行って手当をしたかった。
だけどそれは出来なかった。村で唯一モンスターに対抗できていたカムイが吹き飛ばされたことで生まれた静寂、その渦中でアレは腕を振りぬいた姿勢から元に戻り視線をカムイから私達に変えた。
そして嗤った。
ーー怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いコワイコワイコワイコワイコワイコワイこわいこわいこわい!!!
その歪んだ顔を見た瞬間弓を持つ手が震え、口の中が乾き、冷や汗が流れる。それでも武器を手放さなかったのは知っているからだ。
「まだ、まだ終わってない!」
「アヤメ様!」
奴の矛先が変わった、私達だ。奴は満足していない、殺し足りないのだ。
「戦え!」
ただ一言、声張り上げて叫んだ。
「アレは今までのモンスターとは違う!村に生きる全てを殺し尽くすまで止まらない、何もしなければ殺されるぞ!」
思い浮かべるのはいつも先頭に立っていた彼。恐怖で震える身体を隠してカムイの真似を始める。彼ならどうするか、絶望と恐怖が満ちるこの場をどうするのか考える。
「私も、ハンターなんだ!」
最期は自分に向けての叫び。生き残るために、戦えるように自分に言い聞かせる。
「武器を持て!石でも棒でも何でもいい、武器をもって戦うぞ!此処が俺達男衆が身体を張るところだ!それとも俺達は女子供に頼るしか出来ないのか、違うだろ!俺達には此処しか無いんだ!」
最初に立ち直ったのはヨイチ。自らも武器を持ち最後の一押しとばかりにこの場に集った全員に聞こえる声で喝を飛ばず。
「やってやる……、やってやるぞっ!」
「村から武器になるもの持って来い!包丁でも何でもいい、使える物は全部持って来い!」
「女子供も力を貸してくれ!」
「わ、私も!」
「僕も手伝う!」
村の男が、女が、子供が、村総出でモンスターに立ち向かう。そして戦いが始まる。
「ヨイチさん達はモンスターの注意だけ引いて下さい!決して戦おうとはしないでください!」
「了解しました!聞いたか野郎ども、俺達はモンスターの注意だけを引くんだ。そうすればアヤメ様の弓が奴を倒す、分かったか!」
「応!」
ヨイチ達が男衆を引き連れモンスターに向かう。彼らも自分の実力は分かっているのか積極的な攻撃はせず軽く切り付けたり、物を投げて当てる程度に留めている。そしてモンスターの死角を、カムイの行動を真似して動きを阻害するだけに努めている。女子供達も武器の補充や傷ついた男達の手当をしている。その中で私は弓を引く。狙うのは目、そこしかない。
アヤメが攻め、男達がモンスターの注意を引き、女子供がそれを支える。皆が必死に生き残ろうと戦っている。
ーーそれなのに、それなのに!防御すらしないなんて!
戦い始めてから放った矢は四本、その全てが顔を背けただけで防がれた。舐められているとも違う、脅威とすら思っていない。
私達の持つ武器では自分に傷がつかない事を理解しているから防ぐ事すらしない。
無駄な行動だから。
そしてモンスターは私達の狙いが目だと理解した。それを顔を僅かに動かすだけで防ぐ。
モンスターにとってその程度で十分だから。
唯一通用するはずの弓すら封じられ、歯牙にもかけられない。だけど私達にはそれしかない、無駄でもやり続けるしかなかった。
だけどモンスターにしてみれば態々私達の抵抗に付き合う必要はない。まるで纏わり付いた虫を払うように地面を掘り起こしながら腕を振るった。
その結果、同じ光景がもう一度再現される事になった。
「ぎゃあああああ!」
「痛い痛い痛い痛い!」
「血が、血がああああああ!」
土が、石が、掘り起こした地面に含まれていたもの全てが礫となってヨイチ達を、女子供を、私を襲ってきた。
いつの間にか倒れた自分、痛みに耐えて身体を起こし辺りを見れば散々たる有様になっている。誰もが痛みに呻き、叫び、血を流している。何より今回は男衆たちがモンスターに接近していたから被害は前とは比較にならないものになった。
誰も死んではいない事すら喜べない。唯運が良かっただけだ。それもモンスターにしてみれば気に掛ける必要すらなく、戯れに潰す程度の価値もない、数だけが取り柄の目障りな存在が私達だったから。それで今回は偶々死ななかっただけでしかない。
歯が立たない。それ以前にカムイと違ってモンスターは私達には本気を出していない。纏わり付く虫と同じでしかなかった。
「ふざけるな……」
悔しい、手を尽くしても、死力を尽くした私達の抵抗をなんとも思っていない。
「ふ、ふざけ……」
怒りに任せて振り返った視線の先、そこに紅いモンスターがいた。
「あ、あ、あ……」
身体を覆ってしまう程の巨大な影、目の前にいるモンスターは既に拳を振り上げている。その狙いは私、目障りな虫の中で特に目障りな存在を先に潰そうとしているだけ。
それが分かった瞬間に全身の力が抜けた。
遠くで誰かが叫んでいる、けど私にはどうでもよかった。
逃げようとも思わない。
逃げられる気がしないから。
戦う意思が消える。
戦いにならないから。
全てを諦めてしまう。
希望も何もかもが壊されたから。
残ったのは絶望、諦め、そして後悔だけだ。
ーーもしあの時、爪痕を見つけた時直ぐ逃げれば村は襲われなかったのかな?それとも調査なんて行かずに村に籠っていたら良かったのかな?それとも……。
顔を伏せ、避けられない死を目前にして考えるのはそんな事ばかり。ありえたかもしれない未来を夢想するだけ。でもそれも終わる、モンスターの拳で潰されて。
そして腕が振り下ろされてーー
「ガァアアアアアアアアアア!?」
悲鳴と共に覆い被さっていた影が消えた。
「えっ?」
訳が分からなかった。さっきまで自分を覆っていた影が消えた、それ以前にさっきの悲鳴は人の物じゃない、モンスターの悲鳴だった。
顔を上げたその先、目の前にあるのは死ではなかった。
その姿を見て今まで動いていなかった身体が、心が激しく動いく。後から後から流れる涙は止まるところを知らず、目の前の風景は歪み涙声になってしまう。それでもクシャクシャの顔で名前を叫んだ。
「カムイッ!」
「三度目の正直だ、覚悟しろよ」
モンスターとは比べ物にならない小さな影がそこにあった。
◆
「あああアあアあアあアああああ!」
意識を取り戻した切っ掛けは優しい呼びかけではなく頭の中を駆け回る激痛だった。それが断絶した意識を無理矢理覚醒させる。
呑気に意識を失うことも許されず涙と鼻水を流しながら痛みに呻く地獄のような時間。その中で動く身体を駆使して激痛の発生元の左手を見る。
そこにあったのは盾を、小手を砕いた一撃を受け折れ曲がった腕だ。砕けた小手の隙間からは血が滲み出し酷い有様、正直見た事を後悔した。
だが痛み呻きながらも身体に染みついた習慣で周りを、現状を確認する為に辺りを見渡す。すると吹き飛ばされた先はヨタロウの工房だったらしく包丁や鍛冶道具などが辺りに散乱している。よく無事でいたと自分の悪運に驚き、そして身体が戦う術を求めて動いている事に気付いて更に驚いた。
冷静ではなかった、正常な判断能力すら無かった。
その只中で理性が言う、諦めろと。
その通りだ、打てる手は尽くし、その結果がこれなのだ。
それなのに何故まだ戦う、戦おうとするのか自分でも分からない。
長い年月をかけて経験を積み重ね形作っていく筈の精神は歪に完成してしまった、頭の中に有る誰の物とも知れない記憶のせいで。だから自分には泣き叫ぶ事が、幼い子供のごとく振る舞う事が出来ない。
だからだろう、片手で痛みに呻きながら崩れた工房の残骸の中から武器を探す。どうすればモンスターを殺せるのか、どうすれば己の牙を届かせられるのか、頭の中では既にモンスターの殺害方法を練る事で一杯だった。
そして探している最中に見つけた、崩れた工房から差し込む光を受けて輝くものを。光に集う虫の様に瓦礫を押し退け、その下にあった物を掘り出す。そこにあったのは一振りの武器、それに使われてる素材には心当たりがあった。何よりその素材の特性を調べ、研究もした。
「出来ていたなら教えてくれよ……」
無事な右手で柄を握り、何かが肩を揺さぶった。振り返るとそこにいたのはケンジだ。顔を青くさせ何かを言っている。だが上手く聞き取れない、何より音が遠くに聞こえる。それでも僅かに聞えた音を注意深く聞き、頭の中で何を話しているか想像して補う。
「カムイ君、腕を出してください!急いで手当をします!」
それで分かった内容は自分の腕の惨状を知って手当をしてくれることだった。ケンジさんに感謝し、だが何故近くにケンジがいることに気付けなかったのか。その理由が分からなかった。普段の自分ならこれ程近くにいれば直ぐに分かる筈なのに。
だが原因は直ぐに分かった。なにせ左耳から音が全く聞こえない、無事な右手で触れば暖かい液体、血が流れていた。半分音が聞こえないせいでケンジの接近や呼びかけを認識するのが遅れたのだ。
音が聞こえない耳と手に持つ武器。
その時俺は笑っていたと思う。
◆
自慢の毛皮が斬り裂かれた、とはいっても傷そのものは浅く致命傷とは程遠い。だが軽傷にも関わらず大きく距離を取った事から余程の事だと窺える。
「漸くその身体を斬り裂ける刃を見つけて来たぞ」
カムイが手に握るのは新たな剣。いや違う、刃渡りは剣とは比較にならない長く、同様に柄も長い作り。そして片刃のソレは命懸けで仕留めた女王蜂の翅から出来ている。
百を優に超える実験と研究を行い、技術確立の為に数えるのも馬鹿らしい程のランゴスタの翅を潰した。その過程を経て漸く形に出来た代物。女王の名に相応しい翅、その鋭利さを損なわずに武器の形に仕立て直した。
ーー試作武器、太刀。銘 女王翅刀。
片手で太刀を背負ったカムイは奇しくもモンスターが大きく距離を取った事でコロシアムの如く対峙する事となる。一人と一体、互いに睨み合いながらも動かない。その張りつめた空気に集っていた村人達も当てられ誰も音を立てない。
そして戦いは唐突に始まった。
「アアアアアアア!」
「ガァアアアアア!」
アオアシラが剛腕を振るい、それをカムイが避ける。それは最初の戦いと変わらない様に村人達には見えた。いや実際にはカムイが不利である筈だ。
一方は手傷を負うも万全に近いモンスター。もう一方は片腕は砕かれ、それでも残った右腕で太刀を肩に担ぐカムイはボロボロ。だがカムイの動きは戦い始めと同じ動きを繰り出している。
――気付け薬を改良し鎮痛作用だけを抽出した丸薬、痛みに耐え忍び怯むことがないソレは戦闘に於いて忍耐を与えてくれる。その丸薬を服用したことで応急処置を済まし固定しているだけの左腕から襲ってくる痛みを無視出来るほどにした。
――女王の翅から作られた太刀は今までの武器とは比較にならないほど鋭く、そして翅で作られた故に異様に軽い。その極端な性能が現状においては最適だった。
この二点をもってカムイはモンスターと互角に戦えるところまで来ていた。
そして自身に有利な戦局を変えるためモンスターは再び咆哮を至近距離で放つ。咆哮を至近距離で聞かされた生物は悉く硬直し動けなくなった。その隙を突くことで数え切れない程の致命傷を与えてきた。それは目の前にいる小さな生き物も同じ。
今までなら。
「残念。もう聞こえないんだ、何もかも」
だがカムイには効かない。
そして咆哮に費やされた時間、それはカムイが待ち続けていた瞬間だった。
太刀が斬り裂く、無防備な腹を。毛皮を、筋肉を、脂肪を横一文字に斬り裂いて致命の傷を与えた。傷口からは夥しい血が湧き出てカムイに雨の様に降り注ぐ。
「ガァアアアアア!?」
叫ぶモンスターは信じられなかった。
ーー何故効かない、何故動けるのか!
咆哮がカムイに聞かなかった理由は自ら鼓膜を破いたから。血を流す両耳、音は頭には伝わらず咆哮は身体を震わすだけ。
丸薬で痛みを失くし
身体を斬り裂くのは女王の翅で作った太刀
咆哮を防ぐ為に自らの耳を潰す。
これで全てが揃った、これでカムイは勝機を見出した。
「ああああああ!」
太刀を振るう。血の雨が降る中、陽の光を受けた刀身が輝く。翅で作られた太刀だから可能な片腕のみの剣舞、煌めく度に巨体には傷が一つ二つと刻まれていく。そしてモンスターも理解せざるを得ない。此処に居るのは死にかけの生き物ではない。己を殺せる生物だと。
血が舞う正に血風というべき光景、その中で一人と一体は必殺の意思を込めて牙を交わし合う。モンスターはその巨体を生かしカムイを潰そうと、そしてカムイは自らの小さい体躯を生かしてモンスターに迫る。
互いに無傷とはいかない、牙を交えるごとに傷は増えていく。その度にカムイは太刀の扱いを上達させる、させなければ死ぬしかない。
そして互いに理解している、一瞬でも目を離せばその時が最期だと。この戦いは我慢比べ、先に大振りの一撃を出した方が負ける事を。
一瞬が永遠に感じられる闘争の中、先に限界が来たのはモンスターだった。
カムイに与えられた致命傷、激しい動きで大量に流れる血がモンスターの生命力を奪っていく。そしてこの瞬間に至り残された時間が僅かとなる。
ここで決めるしかない、そうしなければ後がないモンスターは遂に大技を振るう。
薙ぎ払い、カムイを、村人達を追い詰めたソレは当たれば確実に相手を殺せる。モンスターは残された力を動員して技を繰り出そうとする。
その隙をカムイは突く。腕を振り上げてから繰り出すまでの僅かな時間、太刀が斬り裂いたのは立ち上がる身体を支える脚。余りの苦痛に叫び倒れそうになるモンスター、繰り出そうとした攻撃を中断し倒れる体を両腕で支える。
そして気付いた、相手が、カムイが武器を振りかぶっている事に。
一閃
身体は動かず、悪足掻きをする時間すら与えない。輝く刀身は眼前に差し出されたその首を斬り裂き、血が噴水の如く噴き出る。そしてモンスターは……。
「ガァアアアアアアアアアア!」
倒れない。
残された最後の力を振り絞り胴体を持ち上げカムイを両腕で掴む。最早自らの生存など考えてはいない。唯敵対する存在を殺し潰すために僅かに残った力も両腕に注ぎ込む。カムイ自身も残された体力は少なく、それ以前に力で勝るモンスターの拘束を抜け出す事は万全であっても出来ない。
モンスターの怒りと執念を防具が受け止める。ミシミシと軋む音が聞こえるのをカムイは何も出来ずに聞き入るしかない。
そしてモンスターの、カムイを睨む残された片眼に矢が突き刺さる。
「ギャアアアアア!?」
余りの苦痛に耐えきれなかったモンスターは拘束していたカムイを上に投げ出す。そして真上に投げ出されたカムイは上空で姿勢を整え、太刀を振り被り、堕ちる。
それは重力が合わさった一撃であり、この戦いに終止符を打つ一閃。
振り下ろされた刃はアオアシラの顔を、鼻を、舌を、首を、腹を斬り裂く。縦一文字に斬り裂かれたモンスターの身体から血が吹き出す。
それでもモンスターは立ち続ける、ゆらゆらと身体を動かしーーそして崩れるようにして倒れた。
静まり返る広場。集った人々は目の前で起こった事を直ぐには理解出来なかった。だが一人二人と理解できた者達から叫ぶ。
それは強大なモンスターが斃れた喜び、村中が歓声に包まれるのに時間は掛からなかった。
かつてない歓声が村に響き渡る中、カムイはモンスターの流した血の海に浸かり、それをアヤメが起こそうとしていた。
一乙――川で逃げた
二乙――吹き飛ばされた
三乙――勝利
三乙する前にカムイは勝利出来ました。ちなみに三乙したら村の滅亡エンド。
そして書いてる最中にカムイがFF10のアーロン、もしくはダークソウルのアルトリウスの様になったのは予想外でした。