最初に目が覚めた時、カムイは自分の置かれた状況が分からなかった。それでも情報を求めて横になっていた身体を起こす。だが頭に入力された情報は、寝ぼけた現状では上手く処理出来なかった。
意識を覚醒させる為に暫くの間は頭を揺らし続ける。そうして覚醒した事で漸く此処が自分の家の中だと理解できた。
そして意識が覚醒すると同時に体中を鈍い痛みが襲った。
痛みに耐えかね呻きながら再び横になると痛みも幾分か和らいだ。そして和らいだ痛みに代わって出て来たのは紅いアオアシラとの戦い。
吹き飛ばされ、それでも太刀を背負って再び戦いに赴き、そして紅いアオアシラが目の前で斃れたところを明確に思い出した。
「…………良く生きていたな」
カムイは己の雑草のような生命力と悪運に感心してしまうほかなかった。身体を傷つけられ、モンスターに腕を砕かれ、その時点で自分の身体はボロボロだった。それでも無茶を通した、片手で太刀を持ち、薬で苦痛を失くし、自ら鼓膜を破って戦った。
そして体中を走る痛みが生き残った事を教えてくれている。
「我ながら狂っているな、次は悪運尽きて死ぬんじゃないか?」
「おいおい、縁起でもない事は言わないでくれ」
「うおっ!?……て、ヨイチか」
どうやら独り言は聞かれていたようで声の聞えた方向を見る。するとそこには苦笑いをしたヨイチがいた。
「おはよう、それにしても今回も長い眠りだったな。ちなみに眠っていた日数だが」
「今回は四日ほど寝込んでましたか?」
「残念、外れだ。あれから三日しか経っていない」
「……外れていますが二日の最長記録更新ですね」
「嫌な記録だな」
雑談を交わすケンジの姿はいたって元気そうだった。頭に撒かれた包帯はあるがそれ以外は特に変わりがない。そうしていると家の中にさらにケンジとカヤが入ってきた。
「おはようございます、カムイ君」
「おはよう、兄さん。目を覚ましたって聞いたから食事を用意しているけど、食べる?」
そう言ったカヤは食事を予め持って来てくれた。両手に持っているお椀の中には大盛りの雑炊が盛られ、そこから食欲を刺激する香りが立ち昇っている。その香りを嗅いだ瞬間にカムイは耐え難い空腹に襲われた。
「食べる!」
食事を受け取ったカムイは無我夢中で雑炊を食べ始める。香りを堪能する余裕は無く、飢えた身体を満たす為に口と手を動かす。そうしてお椀に盛られた雑炊を一皿完食するのに時間は掛からなかった。だが足りない、栄養を求める身体が満足するにはまるで足りなかった。二杯目、三杯目と何回もカヤにお代わりを頼み、用意してくれた雑炊が尽きるまで食べ続けた。
「落ち着きましたか?」
食事が終わるとそれまで静かに待っていてくれたケンジが口を開いた。
「すいません、食事に夢中になってしまって……」
「気にしないで下さい。私としても食事が出来るまでに回復した事が分かったので問題はありません。それに……」
「それに、これから話すことは長くなるからな」
そう言ってヨイチは今回の騒動、モンスターによる村の被害の詳細を話し始めた。
まずモンスターによる被害は多岐に渡った。人に建物、特に今回は村で経験したことがないような大勢の怪我人が出た。
重軽症者が多数、だが村の拡張計画の為に備蓄していた薬のお陰で幸いにも死者が出ることは無かった。軽傷の者は手当が施されると村の復旧作業に従事し、重傷者も後遺症も無く復帰出来るだろう。
建物に関して言えば倒壊は三軒と数は少ない。そして幾つかの建物は規模の違いはあるが損傷はしたが修理は可能。荒らされた村と倒壊した建物は無事な村人達と復帰した者達が頑張りほぼ元に戻った。混乱も今は終息して村は日常生活を送れるところまで回復した。
「だが人も建物も破壊された村の出入り口に比べれば些細な問題だ。正直に言えばモンスターが起こした被害の中ではコレが一番の問題だ。今はもう突貫で作った門が塞いでいるが……」
「それで今後の対応はどうするんですか」
「二人以外に村専属のハンターを増やす、もしくはハンターに匹敵する何かが必要だ」
「それは……」
「一朝一夕では如何にもならない事は分かっている。だからハンターなんて高望みはしない。まだ構想の段階……、いや、常設の防衛戦力を設けるしか手は無いだろう。その時にはカムイも協力を頼みたい」
「分かりました。ですが人手の方は?」
「そちらに関しては俺の方で何とかするから心配しないでくれ。それに希望がないわけじゃないからな」
そう言ったヨイチは意地悪な笑みを浮かべた。それを見たカムイは嫌な予感を感じて身構え、そしてソレは当たっていた。
「実はな、チビッ子どもの間でハンターごっこが流行っている、これを生かしていくつもりだ」
「うわぁ……」
「アレは凄かったですもんね」
「あぁ……、アレは凄かったからな。ランゴスタの時は結果だけだが、今回は戦いも含めて村の全員が見届けたからな。女王蜂の時を知っている俺でも圧倒されたんだ、そのお前に憧れる奴は少なくない。特にお前より下の世代には希望が持てる。そうでなくても大人達の中からも触発されて何人か出てくるさ」
「そうですか……いや、でも、なんか恥ずかしいぃぃ……」
「村に迫りくるは強大なモンスター、だが一人の少年がモンスターと死闘を演じこれを見事倒した。誰も出来なかったことをやり遂げたんだ、何を恥ずかしがってんだよ!」
そう笑いながら話すヨイチは実に楽しそうだ。確かに娯楽の少ない村においてこれ程面白く心躍る物語は無い、それを実際に目にすれば夢中にならない道理はないだろう。
カムイもその手の話は嫌いではなく好きだーー自分が題材になっていなければ。だが悶えている当人にしてみれば唯の羞恥プレイ、穴があったら入りたいと心の底から思っていたりする。
「そうだ!あのモンスター、紅いアオアシラをどうするかは決まったんですか?」
だからカムイは急いで話題の転換を計る。これ以上この話題について話さない為に。
「あの紅毛か?アレの解体は既に済ましている。毛皮とかの素材はカムイの防具用で取って、ヨタロウ達が壊れて使えなくなった予備の分も含めて新しい防具を作る予定だ。あれほどのモンスターの素材だ、気合が入っているだろう。取り敢えず俺が伝えることはこれで全部だ」
「ようやく私の番ですね」
そう言ったのはヨイチの横に座っていたケンジだ。
「私からもカムイ君に幾つか伝えることがあります。まず戦いが終わった後カムイ君は倒れました。原因は極度の疲労ですが、それ以外にも体中に傷があったので此処には運び込んで治療を施しました。ですが問題が一つだけありました」
「問題?」
「左腕の治療です。幸いにも防具のお陰で腕自体は原型は留めていましたが、私に出来たのは腕の固定と傷口を塞いだ事だけです。完治する確証は無く、最悪腕が腐る可能性がありました。ですが『秘薬』のお陰で左腕が腐ることは無いでしょう。そして時間を掛ければ左腕は元の様に動かせる筈です」
そう言われて添え木で固定された左腕を見る。包帯から覗く左手の血色は良く一見したところ問題はなさそうだ。だが砕かれて間もない腕を試しに動かす気はカムイには起きなかった。何よりもケンジが治療の過程で話した言葉の方が気になって仕方なかった。
「『秘薬』を作れたのですか?」
ケンジには以前から狩に役立つ技術や物、応急処置の方法や医薬品について度々相談してきた。その時に彼の家系で伝えられてきた『秘薬』の存在を教えられた。
ーー優れた薬効を持ちどのような傷も治す
という謳い文句だったが正直に言えばカムイは半信半疑だった。何より教えたケンジでさえ知識としてしか知らず実物を知らない。それに加えて長い年月の経過で知識は虫食い状態で消えかかっていた。
だが唯の出鱈目ではなく本当の可能性もある。だからこそ埃を被った蔵書から僅かにある情報を元に虫食いだらけだった製法を補完し、試作品を作った。だが出来たものは『秘薬』とは到底呼べないものだった。
補完した製法では所々判明しなかった箇所もあり不完全だ。何よりマンドラゴラを始めとした材料に精製した幾つかの薬品を元に作られるのが『秘薬』だ。調合には多くの材料を必要とし、調合の手順も複雑、失敗しても何が原因なのか分からない。特定するには試行錯誤が必要だった。
そうして手探りの状態でカムイとケンジは失敗を積み重ねた。そのお陰で副産物として活力剤や増強剤の製法が判明、丸薬の改良や医薬品の充実も出来たので無駄にはなっていない。
「厳密に言えば『秘薬』のようなものです。材料も手間も非常に掛かりましたが、それに見合った代物です。自分でも信じられませんよ」
「確かにな。だがアレだけの傷も耳も治った。これさえあれば今後も怪我を心配する必要はないな」
「確かに耳も問題なく聞こえます。これが秘薬の力なら凄いですよ。量産できれば……」
「残念ながら良い事ばかりではありません。この薬は身体の自然治癒能力を劇的に高めて急速に傷を治癒しますが、その過程で身体に掛る負担も無視は出来ません。身体中が異様に活発になるので普段よりも多くの食事が必要になるでしょう。今回もカムイ君が眠り続けていたら傷は治っても餓死していた恐れもありました。ですから使いどころは考える必要があります」
「確かに……。ですがこの薬はこの先必要です。何より治療環境を整えればコレを問題なく使用できますし、現状でもこれ程心強い物はありませんよ」
「そうですか。ではコレの量産を?」
「お願いし、ふぐぅ!?」
だがカムイの言葉は続かなかった。理由は何かがカムイの鳩尾に弾丸の如く飛び込んで来たからだ。身体をくの字に折りながらカムイは飛び込んで来た何か、アヤメに視線を向ける
改めて確認すればアヤメの頭がカムイの鳩尾に見事に決まっていて地味を通り越して普通に痛い。その事についてカムイは一言告げたかったが。
「よかった……、ほんとうによかった」
アヤメがカムイの胸に顔を埋めたまま静かに泣いているのを見てそんな気は霧散した。何より気になったのはアヤメが身に着けている防具に薄汚れた小さな傷が沢山刻まれている事だ。
「カムイ君が眠っている間、アヤメ様は頑張っていました」
「アヤメが?」
詳しく聞けば村の警備に大量に消費した薬の材料を集め、そのほかでも精力的に働いてカムイのいない穴を埋めようとしていた。そしてそれは防具に刻まれた汚れと傷が物語っていた。
だから胸に埋めたアヤメの頭に手を載せる。
「眠っている間の事ありがとう。アヤメがいてくれて助かった」
そして告げるのは謝罪の言葉ではなく感謝の言葉。そう言って顔を埋めるアヤメの頭を優しく撫でる。すると抱きしめる力はさらに強くなった。
「いたい、いたい」
「アヤメ様、カムイ君も病み上がりなので」
「……そうね、カムイはもう暫くは休んで怪我を治してね。その間は私が頑張るから」
名残惜しそうにアヤメはカムイから離れる。流れていた涙を拭い顔を引き締めると部屋を出ていった。その姿は今まで知っていたアヤメとは少しだけ何かが違っていた。だがそれを言い表す言葉がカムイには思い付かなかった。
「なんというか……、アヤメ変わった?」
「変わったとは少しだけ違います。あれは成長したんですよ」
「そうだな」
そう言ったケンジとヨイチは二人してなんとも感慨深そうな表情をしている。カムイもそれを聞いて納得した。
「男子三日会わざれば刮目して見よ……と言ったところか、アヤメは女の子だけど。それでケンジさん、あと何日程安静にしていればいいんですか?」
「そうですね、普通であればもう数日は安静と言いたいところですが……」
だがケンジの話は再び中断された。ケンジ達が家の入口から聞こえてきた足音に視線を向ける。
「村長……」
「カムイに話がある、二人きりにしてくれないか」
カムイ達の視線の先にいる村長が険しい顔をして家に入ってきた。
「カムイ君の容態なら明日には動いても大丈夫ですよ。ただし左腕は動かさない様に!完治するまで大体一ヵ月は掛かかりますから!」
それではと足早に話したケンジは荷物を纏めると家から出ていった。さり気なくヨイチとカヤも退出した。
──逃げやがったな。
ケンジ達は厄介事を機敏に察知して退席した。そのお陰で部屋の中にはカムイと村長二人だけになり静寂が家の中をを支配した。
──逃げたい。
傷付いた身体ではカムイがそう思ってしまうのも仕方なかった。先程からカムイの治った耳が拾う音は自分と村長、二人分の呼吸音だけでそれ以外の音も無い。加えて村長は何故か険しい顔をしている。
カムイは治ったはずの耳が痛み出したように感じた。
だが、沈黙はそう長くは続かなかった。村長が頭を下げ、話し始めたからだ。
「今までの仕打ちを思えばふざけるなと言われても仕方がない。それでも村を救ってくれた事に感謝している」
「顔をあげて下さい」
だか村長は頭を下げたまま話し続ける。
「アヤメは……、アヤメはハンターを続けることになった」
いや、これから始まるのは話ではなく独白だ。
「あの子は死んだ妻の忘れ形見だ。手のかかる子だが私には掛け替えのない宝だ」
その独白に込められた想いをカムイは推し量る事は出来ない。
「その娘がハンターになると言い出した時は止めたかった、だが出来なかった。何よりあの時はアレ以外の解決方法は無かった、村長としての私はそれを是とした。だが気が気でなかった。だから何らかの事故が、問題が起これば娘にはハンターを辞めさせるつもりでいた。そして娘が一時的とはいえハンターになれた事実で誰か他の者に代わりにさせるつもりだった。」
村長としての立場と父親としての想い。相反する狭間で一人の男が苦しんでいた。
「だが娘が自分はハンターだと言い切った。その決意も行動も見せられた、私にはもうどうする事も出来なかった。モンスターと戦う娘の姿を見た時は信じられなかった。だが戦った姿は幻でもなく現実で、そこには私の知っていた娘ではなかった」
彼の娘、アヤメは成長した。信じられない程に。
「それでも無茶を承知で頼みがある」
顔を上げた村長の目は赤く充血し、頬には涙の跡があった。
「カムイよ、娘を頼む」
それは村長としてではない。自分の娘を想う父親がそこにいた。
「分かりました」
その顔を真っ直ぐに見つめてカムイは答えた。
◆
カムイとは小さな頃からの顔なじみだった。
母様は私を産んだ時に死んでしまい、それでも私の周りには優しい人が沢山いたから落ち込むことは無かった。そのお陰で幼い頃の私は元気に……、元気過ぎる程に育って相当なお転婆娘になってしまったと聞いている。そんな私の遊び相手となった人は散々に振り回され父様も大人達も対応に苦労していたそうだ。父様は村長の仕事で何時も傍に居る訳にもいかず、大人達もそれぞれの仕事がある。かと言って目を離したら安心が出来ない。
どうするかと頭を悩ませた父様は元気に暴れ回る私にお目付け役を付けた、それがカムイだった。その頃から彼は変わっていて私と歳が近い筈なのに彼は我儘は言わず、物分かりが良かった。それに大人しい性格も相まってカヤのお世話を含めた村の幼い子供たちの面倒も時々見ていた。それで村の大人達からは頼りにされ、父様からも頼りにされた。私の我儘や遊びにも文句を言わずに付き合ってくれて、お目付け役が解かれた後も交流は続いた。
彼とは友達で、親友で、年上の兄のような存在で、上手く言葉で言い表すことが出来ない関係だ。
そんな彼だが。冬の食料不足は深刻で、カムイ達は見捨てられることになった。私がそれを知ったのは後になってからで普通の子供であれば何も出来ず冬の寒さと空腹で死んでしまう筈だった。
だけどカムイは生き残った。それでも村の外に出てモンスターを狩っていると聞いたときは驚いたけど。
そうして彼は村のハンターとして生きていく事になった。そして大怪我をして村に帰って来た。怪我を負った原因はハンターの仕事が原因でそれで村からハンターがいなくなり誰もが担い手の居ないハンターの仕事を押し付け合う。
「私がやります」
そんな中で私は名乗りを上げた。勿論危険な仕事だとは知っていた、だから村の誰もが担い手になることを拒んだ事も理解できた。それでも罪人をハンターにする考えが聞こえて来た時は頭の中は怒りで一杯だった。
カムイが身体を傷だらけにして帰ってくることは少なくない。時にはそのまま寝込んでしまう事すらあった。それでも自分からハンターに名乗り出たのは彼の仕事が忌みがられるものではないと知っているからだ。それに父様の、村の役に立ちたい気持ちがあったから。
それにカムイに出来たら私にも出来ない筈は無い、そんな考えも少しはあった。
だけどそれは違った。
最初の頃、身も蓋も無い言い方をすれば私にとってハンターとは便利屋だった。薬草、食料、肉類、蜂蜜……、閉じられた村の中で必要になった物をモンスターの蔓延る外の世界へ採りに行く。それがハンターの仕事だとカムイ自身も思っている。
だけどハンターになった事で知った外の世界、そこには見た事のないものが溢れている。御伽噺でしか知らなかった火竜も、そして恐ろしいモンスターもいた。
でもそれだけじゃない。実際にハンターになった事で、見た事も無かったモノを見て知って、命を懸けた戦いを経験して分かった
ハンターとは便利屋か?
違う。
それだけでは言葉が足りない。かと言って何かと問われれば上手く言葉に出来なくて、けれどハンターは村の便利屋で収まるモノではない。この考えは正しいと思う。
そして村を襲ったモンスター。人を超えた力を持ち、それを悪意を持って振り回す存在。誰もが死を幻視した中でカムイは立ち向かい戦った。
その後ろ姿を見た私はハンターとは何かを理解した気がした。
その時芽生えたこの想いを今はまだ伝えない。
いつか、あなたの隣に立ったその時に。
今後の更新は不定期になります。ですが物語は続きます。