「しかし、よろしかったのですか?」
「何が?」
「いえ、態々子供一人を攫うのに人手が六人も必要なのかと……」
「いいの、いいの。まぁ本当は早く帰りたかったから足の遅い奴は置いて行って、その纏め役を三郎に押し付けたんだけどね」
何でもない事のように紫は私情の混じった理由を付き人に告げた。実際に集団での移動となれば進行速度は足の遅いものに合わせる必要があり、それは早く帰りたい紫としては出来れば避けたいことだった。そして運よく足の遅い者を置いていける理由があったから利用しただけ。
そうして付き人の疑問を解消しつつも紫の脚が止まることは無い。廃墟と化した村を後にして平野を進んで行き、その速度が落ちることは無い。このまま何事も無ければ夕方には本拠地に戻れるだろう。
「では、子供はついでと?」
「そうだよ、手癖は悪いけど上手く躾ければ使える程度にしか考えていないから。それよりも手に入った女ともう一つの……、なんだっけ?」
「いえ、私に聞かれましても……」
「え~と……、まぁ、なんでもいいや。そっちの方が重要だから、扱いには特に気を付けてくれよ」
そう言われた付き人は怪訝な顔をしつつも肩に背負った生き物を見る。生意気にも鎧を着けている毛むくじゃらの生き物は小さく、人の子供の背丈くらいしかない。一体コレの何処に気に掛けるほどの価値があるのか、付き人には分からない。
「金を持った老いぼれ共の間でな、こいつの生き胆を喰らえば不老不死になるらしい」
そうした付き人の考えを見抜いた紫は何でもないように価値を告げた。毛むくじゃらの名前は思い出せないままだが重要なのはそこではない。そして自分が分かっていれば良い事はコレが不老不死の妙薬として価値があることだけでいい。
紫の言葉を聞いた付き人の顔が一目で分かるほど強張ったものに変わる。そして肩に背負ったソレをまじまじと見つめる。
「真に受けるなよ、迷信の類で似たようなものは幾つもある」
そんな付き人に釘を刺すように紫は言う。実際死におびえた老いぼれ共の好きな話題だけあって似たようなものは各地にもある。それぞれが伝承や言い伝えなど実態の分からないものが大半を占めるが、中には具体的な記述の残ったモノも存在する。その中の一つが今日捕らえたモノだ。
「それに、こんな世の中だ。自分だけでも生きたい、死にたくないって奴は結構いるからな」
紫と後ろに付き従う男が歩いている平野。此処はかつて村が作った畑が点在していた所だった。しかし度重なる不幸に見舞われた村には畑の維持運営をするだけの労力は既に残っていなかったのか今や荒れ果て、天に向かって多くの雑草が伸びている有様。
多くの作物を実らせていた此処も人手が入らなくなった以上は自然に回帰するのも時間の問題。そんな土地が幾つもあり今も増え続けている中で自分達は生きている。
この世では誰もが救いを求め死んでいく。戦で、病で、災害で、そして死んでいった者が唯一残せるものは世を呪い恨む呪詛だけだ。そんな世の中では金を持ち、土地を持つ家に生まれようと安心できるものではない。寧ろそう言った者達だからこそ何時来るか分からない死の恐怖から逃れるために求めるのだ。
──例えそれが迷信であろうと当人が心から信じるのであれば真実に違いないのだから。
「そんな奴らにしてみればコレは大金払っても欲しいモノだ。上手く裁けば当分の間は兵糧の心配はしなくてもいい。それに女も多少は高値で売れるだろう」
一緒に捕らえた女の方にも価値がある。身に着けた防具や武具は紫の目からしても上等な物、大きさに問題はあるが安値が付くことは無い。それに身に着けている本人も幼いながら綺麗なものだ。今まで見てきた子供とは違い程よい肉付きの身体、艶のある黒髪に顔も整っている。数年もすれば麗人になるのは間違いなく欲しがる者は多くいるだろう。後は上手く値を吊り上げればいい。
「今日は本当に運がいいな!」
そう言って紫は上機嫌で歩きながら既に頭の中では様々な段取りを組み立てている。先ずは拠点に戻り、そこで商品を一旦保管する。その後に有力者や金持共に連絡を付け……
だが付き人は何かあったようで不意に立ちどまってしまった。
「どうしたの?早く帰ろうよ~」
「紫様、私達は勝てるのでしょうか?」
胸に芽生えた疑念、それを口にした付き人はその瞬間に紫に胸倉を掴まれ引き寄せられる。自分よりも細い腕の何処にそんな力があったのか信じられないような力。
それらを差し引いても今までの雰囲気を霧散させ暗い陰気を纏う紫は唯々恐ろしい。
「勝てるか?違うだろ、勝つんだよ、どんな手を使っても。俺達を裏切ったあの糞の一族共々を殺し尽くして、持っている物を全て、金も人も土地も奪いつくすんだよ」
抑揚もなく告げられる言葉、だがそこには溢れんばかりの呪詛が込められている。そして口だけでなく付き人を見つめる瞳も紫の心情を表すかのように濁り切っていた。
「わ、わかりました」
「分かればいいんだよ」
そう言って紫は胸倉を掴んでいた手を離した。
「重行様は褒めてくれるかな~」
そう言って再び前を向き歩き出した紫には先ほど纏っていた暗い陰気は無くなっている。それを視界に収めながら付き人も歩き出す、それしか道がないから。
そうだ、この世は誰もが救いを求め死んでいく。紫様も自分も変わらない、そして救われた紫様が重行様に心酔し、依存し、狂ってしまうのも無理はない。だからといって自分がどうこう出来る訳でもない。それに自分も目の前を歩く青年に依存しているようなもの、その後ろをついて行くしか生きる場所が見出せないのだから。
それを思えば自分と青年の違いなど大して無い。どうせこの世に生まれたその時に誰も彼もが狂う定めにあるのだから。
◆
最初に殺されたのは無様な悲鳴を挙げ続ける男だった。
まるで雑草でも刈るかの様に男の首に刃が食い込み、斬り裂く。大人であり荒事を通じて鍛え上げられた男の身体はそれなりのもの、頭を支える首も同様で太い。
だがモンスターの身体を斬り裂くために作られた女王翅刀の刃、それに掛かれば人の首など容易く斬り裂かれるしかない。
胴体との繋がりを絶たれた頭が身体から転がり落ちる、ごとりと。
地面に膝を突き、肘から先を無くし、首の無い躯が出来上がる。両腕と首の斬られた断面から吹き出る血が地面に広がり、恐怖と苦痛に表情を歪ませたままの頭が自らの血で作られた血溜まりに呑まれる。
そして首を斬り落としだ際に噴き出した血がカムイの身体を少しだけ赤に染める。
あと五人
男達にとって、それは瞬きの間に起こった出来事。
それは今まで生きてきた男達の人生において遭遇した事が無い出来事。
故に目の前の現実を理解するのに僅かばかりの時間が必要で、それは致命的な隙でしかなかった。
素早く刀身についた血糊を振るい落とし、カムイが次に狙うは近くにいる槍持ち。
太刀を下段に、刀身を背中に隠す。一足では届かない、だから二足分踏み込む、出来るだけ早く、出来るだけ無駄を無くして、出来るだけ音を立てないように。
そして太刀の間合いに男を捉えて刃を見舞う。身体を回し、可能な限りの遠心力を乗せた刃が横薙ぎに迫る。その軌跡は男の胴体を捉え、このまま進めば男の身体は上半身と下半身に断たれるだろう。
しかし男は動かない、反撃も避ける素振りすら見受けられない。それは余りのも露骨すぎる隙で、誘いなのか、それとも別の思惑があるのかカムイは思考を巡らせ──それが勘違いであったと理解した。
男の顔は呆けたままだった。単純に目の前に迫る死を認識できない程度の力量しか男は持っていなかっただけだ。
ならばこのまま一息に仕留めてやろう、止まる事もなく刃は進み──
「あべっ!?」
男の胴体を両断する事は無かった。カムイの振るった刃は男の胴体があった筈の空間を斬り裂くに留まり、直後に目の前から矢が飛来する。狙いが甘いそれを頭を傾げるだけで避け──その隙を突くように目の前に一人の男が割り込んでくる。
男は槍持ちと入れ替わる様に現れると眼前にいるカムイの胴体に向けて全力の前蹴りを繰り出す。躊躇いも何もない蹴りは速く、避けれる間も無かった前蹴りを受けたカムイは大きく吹き飛ばされた──不自然なほどに。
「軽い……、咄嗟に自ら跳んだか」
いくら子供とはいえ全力でその身体を蹴飛ばした筈、それなのに男の足に残る感触は異様に軽いものだった。考えられるのは子供が異様に軽いのか、若しくは自ら後ろに跳んで衝撃を最小限に抑えたか。そして視線の先で何事もなく起き上がった姿を見るに後者だろう。
「三郎、何すん……」
「此奴はお前らでは手に負えん」
槍持ちの男は咄嗟に襟を掴まれ後ろに引き倒された。そのおかげで斬り裂かれる事なく生きてはいるが突然の仕打ちには一言文句を言いたかった。だが男──三郎が槍持ち振り返ることは無い。その目は、耳は、五感の全てがカムイのみに注がれている。その姿、一挙手一投足まで見逃さず、聞き漏らさず、神経の全てを張り詰めさせ注視している。
「……紫様でも手懐けらん、此奴はそう言った類の者だ」
口から出た言葉は紛れもない本心、そして己の直感が根拠もなく囁くのだ。アレを痛めつけ、泥を舐めさせ、首輪を付けたとしても決して従えることは出来ないと。
自身でも気付かぬ内に剣を握る手には普段以上の力が込められる。そして三郎の気迫を感じ取った男達も各々武器を構える。
弓持ちが二人、剣持ちが二人、槍持ちが一人、計五人の男達の殺意が束ねられる。そして束ねた殺意が向かう先に居るのは大人でもなく子供。
「全員で掛かれ、そして確実に殺せ」
その言葉はこの場にいる味方に言い聞かせる為のもの。何せ目の前にいるのは只の子供ではない、人一人を容易く殺して見せたアレは自分達を殺せるだけの力を持つ敵だ。
三郎の指示の下、男達がカムイを取り囲む。だが直ぐに斬りかかる様な事はしない。カムイの注意を分散させ、僅かでも隙が出来次第斬り込もうとし──その前にカムイが動いた。
カムイの正面に陣取った三郎と呼ばれた男。その男だけは集団の中において上等と思われる装備に身を包んでいる。手足や胴体、身体の重要な部分を守る様に金属製の防具を身に着け兜の様なものまで身に着けている。
その姿についてカムイの記憶から思い至るものがあった。それは記憶の彼方にある世界、幾つかある文明圏のうちの一つ東洋、幾らか簡略はされているがその中で武士と呼ばれた者が身に着けていたものに近い。それであるなら腰に差した剣も刀のように見えなくもない。
──だがそれだけ、そしてどうでもいい事だ。
上等な鎧を身に着けているのはそれだけ優れた能力を持つ証なのだろう。現に男達は三郎の指揮下で自分に敵意を向けている。ならばこの男を殺せば戦いの決着は容易に着く筈だ。
下から掬い上げる様にして太刀を振るう。だがカムイが振るう太刀の軌跡を紙一重で三郎は躱し、続けて繰り出される振り下ろしの刃も大きく背後へ跳ぶ事で躱す。
「無理に踏み込むな、あの太刀の前では鎧等あってないようなものだッ!」
三郎は決して太刀の刃に触れようとはしない。あの輝く刃を前にしては身に着けた鎧など容易く斬り裂かれてしまうと本能が理解しているからだろう。
そして三郎以外の男達も愚鈍ではない、剣を持った一人がカムイの後ろから斬りかかる。上段から振り下ろされた刃をカムイは避け、その隙を突こうと三郎が斬り掛かる。
太刀で受け流し、カムイが再度斬り掛かろうとすれば男達は一斉に距離を取った。
剣を持った二人がカムイを挟み込むようにして立ち回る。互いに邪魔にならないように剣を振るいその小さな身体を斬り裂こうとする。
「動きを止めろッ!」
槍持ちは剣戟の最中において隙を見つけては穂先を突き出す。剣よりも長い間合いから一方的に攻め立て肉を抉り貫こうとする。
「其処に縛り付けとけッ!」
弓持ちは更に長い間合いから虎視眈々と射掛ける機会を待つ。そして機会が訪れた時には矢は放たれ肉に突き刺される。
剣が、槍が、弓が、たった一人の子供に振るわれるにしては過剰な戦力と誰もが思うだろう。それでも目の前に立つ敵の命を刈り取ろうと男達は凶器を振るい続ける。
──だが侮るなかれ
「なんなんだよ……、なんなんだよコイツはッ!」
男達の一人が叫ぶ。それは嘘偽りもない本心で、この場にいる男達の内心を代弁した言葉だ。
油断も慢心も無く、持てる力を尽くして男達は戦っている。それでも男達の表情に余裕はなく、時を経るごとに恐怖に呑まれていく。なにせ五人掛で傷一つ付けられず、それどころか手玉に取られている現状なのだから。
剣は幾ら振ろうと届かず、槍は隙を見いだせず、弓は射掛ける事すら許されない。
太刀を生かした立ち回りは踏み込むことを許さず、留まる事無く動き続けられ隙は見い出せず、射線は間に仲間が立つ様に立ち回られる。
男達の本能が告げている、理性が告げている、そして嫌でも理解させられてしまう──目の前に立つのは子供の皮を被ったナニかだと。
──そして戦局は傾く。
「邪魔だな」
たった一言、だがその言葉を聞いた瞬間に三郎は理解した、自分達の力が足りない事に。
カムイが右足を軸に全身を使って大きく太刀を振るう。大振りな一撃の間合いは広く、其処から逃れようと男達は一斉に距離を取る。その結果刃は誰にも触れることなく空を斬るだけに留まり──カムイは手に握る太刀を手放した。
「避けろッ!」
三郎は叫ぶ。くるくると回転しながら飛んで行く太刀、その先にいるのは弓持ちの一人だと気付いたからだ。
「へ?」
だがそれでも結末は変わらなかった。キラキラと日の光を反射して輝く太刀が自分に向かって飛んで来る。そんな場違いな光景を誰が予想出来るのか、そして身に迫る光が自分を殺すものだと男は最後まで気付くことは無かった。
三郎の叫びの甲斐も無く太刀が弓持ちの身体を斬り裂く。右肩から始まり胸を通り腹までを回転する刃で男は斬られた。最期までその顔は何が起こったのか分からないまま殺された。
四人
「アイツ、やりやがったッ!」
「武器が無い今だッ!」
感傷に浸る暇などない、鬼気迫る表情で男達が無手のカムイを襲う。この場で、この時に仕留めなければ次に殺されるのは自分。その恐怖が男達を動かし、剣を持った二人が左右から同時に斬り掛かる。
──だがそれも叶わなかった
「「おおおおおッ!?」」
三郎の剣は半身になることで避けられた。だが勢いよく振り下ろした刃は止まる事無く地面に当たり、その上にカムイの脚が振り下ろされた。剣は地面に食い込み、もう一人の剣は受け流す。
そして男達は見た、カムイの両手に二振りの剣が握られているのを。
──試作武器、双剣。銘 双剣鉈。
太刀と異なる用途で作られた武器。二刀流の過度な使用に耐え得るように作られた片刃の刀身は肉厚、例え切れ味が落ちようと叩き切る事が出来る様に重心は切先に寄せてある。
そして両手に剣を握ったカムイが踏み出す。その先にいるのは三郎以外に剣を持っていた男。
剣を受け流された男は急いで距離を取ろうとする。後ろに飛び跳ねる様に動き──カムイは男の動きに追随し間合いを詰める。そして男の眼前に刃を突き出し、それを男は剣を盾にする事で防ぐ。
鉄と鉄が衝突し甲高い音を奏でる。カムイの刃を無事防げたことに男は安堵し──そして息つく暇もなくもう一振りが右から迫る。
「おおおおッ?!」
再び迫る刃を男は剣で防ぎ、そして三度目の刃が迫る。
二度で届かないなら三度、三度で届かないなら四度、カムイの刃が止まることは無い。太刀とは全く違う立ち回り、敵のその身に刃が届くまで苛烈に振るわれる剣。
太刀よりも間合いが短くなった双剣は必然的に敵に接近しなければ届かない。その間合いは男達の持つ剣よりも短く、不用意に間合いを詰めれば斬られる。しかし初手を凌げれば、双剣の間合いに持ち込めれば、そうなれば繰り出せる手数の多さでカムイが優位になる。
そしてカムイによる一方的な剣舞が始まる。凶器が幾度となく衝突して奏でられる音は歌の様であり──その歌も長くは続かなかった。
男の持つ剣が先に限界を迎え折れた。女王翅刀が斬り裂くことに特化した繊細な物に対し、双剣鉈は継戦能力に特化した丈夫な物。故にカムイは男の剣に幾度となく双剣で斬り掛かり壊したのだ。
そして身を守るものが粗末な鎧だけになった男を容赦なくカムイは斬る。右手に握る剣が男の粗末な鎧を斬り裂き、肉を斬り、腸を斬り裂いた。
三人
「おおおっ!」
地面に食い込んだ剣を捨てた。腰から新たに抜いた剣でその小さな頭を叩き割ろうと三郎が背後から迫る。
カムイも振り返るのと同時に剣を振るう。だがそれは斬る為では無い。先ほど斬った男の腹から噴き出す血を刀身に載せ、三郎の顔に向け血を勢いよく投げつける。そして血は寸分違う事無く三郎の顔、眼球に当たる。
粘つく血が眼球を覆う膜を伝って浸み込む、その不快な感触と視界を奪われた事から三郎は背後に急ぎ跳ぶことで距離をとる。
しかし明確な隙を晒している三郎にカムイが斬り掛かる事は無い。そして代わりにカムイが狙いを定めたのは三郎ではなく槍持ちだった。
カムイが近付くのを見た槍持ちは理解した、次に殺されるのは自分だと。
そして恐怖に心を呑まれた。
冷静さを失った男は我武者羅に槍を振り回す、恐ろしい敵が近付いてこないように。そして我武者羅に繰り出された突き、それをカムイは躱し槍の柄を斬る。
穂先が地面に落ちる、それを茫然と見るしかない男は最期に首を斬られた。
二人
「いやだ、いやだッ!?」
残った弓持ちは逃げ出した。弓を投げ捨て、矢筒を捨て、少しでも身軽になってカムイから逃げ出す。最早戦う気概など消え失せ身体を動かすのは生存本能のみ。
「いつッ!?」
だが脚に突如激痛が走り、男は前のめりに倒れた。勢いよく顔を地面にぶつけたせいで男には鈍い痛みが絶えず襲ってくる。それでも痛みに耐え男は激痛の原因を取り除こうと振り返る。その視線の先には脚に突き刺さっているナイフがあり──それで終わりではなかった。
「いッ、あ、が、あぁ……!?」
ナイフを引き抜こうとするも手が、それだけでなく腕も脚も体中が動かない事に男は気付いてしまった。
一人
そして三郎が目を見開いた時、仲間の姿は消え立っているのはカムイだけとなっていた。
「まさか、これ程とは……」
目の前の敵に戦いを挑むべきではなかった、事此処に至り三郎は漸く理解させられた。
「こ奴は紫様を……、重行様を喰らう。私がやらねばならん」
圧倒的な差があるのは分かっている。それでも戦わねばならない、そうしなければ取り立ててくださった紫様に、鎧を下賜して下さった重行様に合わせる顔が無い。
剣を正眼に構える。息を整え、身体から余分な力を抜く。五感の全てを目の前の敵に向ける。
カムイも双剣を構え、対峙する。
「化け物めッ!」
それが戦いの始まり、静寂を破り、凶器が衝突して甲高い音を奏でる。
「おおおおッ!」
三郎は声を張り上げる。これまでに人生で身に着けた武技と搦め手をいかんなく発揮して攻め立てる。
カムイに間合いを詰めさせず、自らの間合いを保ちながら上下左右から斬撃を見舞い、足先で掬い上げた砂利を巻き上げ視界を奪い──それでも届かない。
そして一呼吸入れる為に攻め手を少しだけ緩め──その瞬間に間合いに入り込まれ片手が斬り落とされる。
「お前には聞きたいことがあるから殺さなかった、あとはわかるな」
片腕を抑えて蹲る三郎、それを前にしてカムイは抑揚のない声で尋ねる。
「断る」
だが三郎は違った。そこら辺の無法者なら躊躇わずに何もかも話し尽くす気迫を前にしても口を割らない。俯いた顔を上げ、苦痛に苛まれながらもカムイに向けて笑みを浮かべる。
「小僧、貴様は確かに強い。だがな私にも……俺にも譲れないものがあるんだよッ!」
そう叫んだ三郎は出血を抑えていた手を腰に回して短剣を引き抜き──それを自らの喉に突き刺す。
「くくッ、ははハ」
口から血を吐き出しながら男が笑う。その表情に後悔は無く、そして笑い声は長くは続かなかった。声は段々と小さく、完全に聞こえなくなると同時に男は死んだ。
自害を許してしまったカムイは負けた。最後の最期で男はカムイに勝った。
男達の躯が転がる凄惨な場でカムイは一人立ち尽くす。
──だがあと一人残っている。
カムイは歩き出す。急ぐ必要は無くゆっくりと、それが恐怖を焚きつけるものだとは思わずに。迫る足音を聞かされる弓持ちの男は気が気ではなかった。
そして地面に這いつくばりながらも逃げようとする男の正面にカムイは立つ。
「大丈夫、身体が動かないだけで死ぬような毒ではない。それで聞きたいことがあるんだけど……」
丁度日の光を遮る立ち位置に立つカムイの表情は男には分からない、だが不思議と影になって見えない筈の表情が男には読み取れる。無表情、違う、目の前の化け物は間違いなく──
「何笑ってんだよ、楽しいのかよ……」
「笑ってませんよ」
「嘘つくなよ。その自慢の武器で斬るのが楽しいんだろ、怖がる顔を見てせせら笑ってたんだろ、斬って殺すのが楽しくて仕方なかったんだろッ!」
時間稼ぎのつもりか男はやけに饒舌だった、だが出てくるのは罵声のみでカムイが望む情報、紫の行き先を答えてはくれない。
「いいから聞かれたことだけを……」
「へっ、自分じゃ分からないと、だったら自分の顔をみて見ろよ」
そう言って脚から引き抜いたナイフをカムイの正面に掲げる。日頃から手入れをしていたナイフは鏡としても使える位に磨き上げられている。そしてナイフに映る自分の顔を見た。
「へ?何で」
嗤っていた。僅かな、それでも口はしっかりと三日月を描いている。そして誰もが見れば言うだろう、嗤っていると。
「死ねッ!」
男は待っていた、無様に罵声を上げ、喚き散らし、そして漸く訪れた隙。ナイフを掲げるのとは別の腕で腰から短剣を引く。それには毒を塗ってある、斬り付けた相手が悶え苦しむ強い毒を。
それが男に残った最後の武器、それを躊躇う事無くカムイに向かい全力で斬り付けようとし──片手で押さえつけられた。
元々が這いつくばった姿勢で無理に振るったのだ。その姿勢で力を込めようとしても限度がある、それこそ子供の力でも押さえつけられる程度だ。
そして反射的にカムイの剣が一閃振るわれ、それは男の首を裂いた。そして糸を失った人形の様に男は倒れた。
それで全てが終わった。
男達は全員が死に、残ったのは血で赤く染まったカムイだけとなった。
ハンターVS普通の人(兵士)を書いてみたかった。
そしてめっちゃ疲れた