首が転がっている、腕が転がっている、腸が撒き散らされている。男達の躯から流れる出す血が残骸を、地面を、赤く、紅く染めている。
凄惨で、残酷で、無惨で、醜悪で、もし地獄と呼ばれるものがあるとすればこんな光景なのだろうか。
そしてこの地獄を生み出したのは誰でもない──自分だ。身を守るために、振り掛かる火の粉を払う為に、自分は人殺しを行った。
人殺し──殺人とも呼ばれる行い、人を殺すこと、人の生命を絶つ事。
もし此処が生まれた村であったら、それでなくとも共同体を営み、文化を持ち知性を持つ者達の施政領域下であったのなら重罪は免れない。最悪の場合死刑に処される可能性がある。
──だが此処には目撃者も誰も居ない、唯一の生存者は自分だけ。なにより身を護る結果として殺してしまっただけなのだ。
そうだ、己の理性はこの行いを咎めることは無い。正当防衛、緊急防衛、自己保全、脳裏には様々な言葉が浮かんでは自信を擁護する。お前の間違っていない、お前は正しいと。
──だが違う、違うんだ。戦いの感触──人殺しの感触は未だ手に残っている。モンスターとは違う柔らかい肉、鋭い爪も牙も、身を護る鱗も毛も無い脆弱な生き物。それを蹂躙し命を奪う、容赦もなく、慈悲もなく、それは悪いモノではなかった、むしろ──
違う、その先は考えるな、知ろうとするな、知ってはならない、何より今は感傷に浸る時ではない、急ぎ紫を追いかけアヤメとトビ丸を助け出さなくてはならない。だがどうやって紫を追いかける?今から走って追いかけるか?間に合うのか?そもそも奴らはどこから来たんだ?分からない、奴らの正体も目的も何もかもが分からない。この状態で当てもなく二人を探すことが出来るのか?
──無理だ。だがどうする?情報を持っていた男達は全員殺してしまった。躯からは何も聞きだすことは出来ない。
──ならば奴らの一味を探し出すしかない。
自らの不手際を後悔し立ち止まる、そんな暇は無い。急ぎカムイは廃墟の中を歩く。幸いにも紫の口振りからは殺した男たち以外にも何人か廃墟を訪れている筈。そいつ等を捕まえ、今度は殺さずに無力化して情報を聞き出す。紫が何処から来て、何処を根城にしているのか、二人を攫った目的は、二人を如何するのか。
今度こそ情報を聞き出さねばならない、騒ぐのなら骨の何本か折ってでも──どの様な手段をもってしても必ず聞き出す。
だがカムイの目論見は外れた。
総人口が百人に届くかも疑わしい村、敷地は広くもなく、今は廃墟と化し視界を遮るものは殆どない。それなのに幾ら探せども残っているだろう男達は何処にもいない。手掛かりになりそうなものは足跡だけ、それ以外は何もなかった。
考えられる可能性は既に引き上げているのか、此処に来たのが殺した男達だけなのか。どちらにしても時間だけが無情にも過ぎていった。
「クソッ!」
向ける矛先が見出せない怒りが渦巻き、苛立ち交じりに足元に転がっていた小石を蹴る。蹴られた石は放物線を描きながら飛んで行き数ある残骸の一つに衝突して落ちる。
手詰まりだった、村に男達は居ない、残っているのは残骸と足跡だけ、そして足跡は村の外へと続いている。
この足跡は何処かに続いている、だがその先に紫達がいる確証はない。それに足跡が途中で分岐していたら如何する、勘で決めるのか、時間も体力も限られている、見当違いの所に向かっていたら如何する。八方塞がりの思考の中、身体は一歩も踏み出すことが出来ない。
ああ、夢、全てが悪い夢だと思いたい。既にアヤメもトビ丸も村に帰っているんだと、抱えられていたのは別人だと思いたかった。だが見間違う事など有り得ない、男に抱えられていたのは……攫われたのは間違いなくアヤメとトビ丸だ。その姿は目に焼き付いている、見知らぬ赤の他人ではない。
だからこそ決めるしかない。
頭の中で堂々巡りの議論だけが交わされても解決策は何も出てこない、何も出来ない。そして何も見出せないまま村を歩き続けるのか、それしか出来る事が無いと。何か見落としは無いか、何か手掛かりになる様なモノは無いかと、同じ事を繰り返すのか、何回も、何回も、何回も、何回も……
カムイは空を見た。気付けば空は蒼から紅に変わり始めている。だが日はまだ落ちていない。
「行くぞ……」
それは誰かに向けた言葉ではない。己自身に言い聞かせる為の言葉。
虫が鳴く、鳥が鳴く。土が、草が、山が、村が少しづつ紅く染まっていく。その中をカムイは走り出す。今ならまだ追いつけると己に言い聞かせて。
◆
暗闇がある。光なんてものは存在せず、自分の身体の輪郭さえ見る事が出来ない程の闇。唯の子供、いや、例え大人であっても不安と恐怖で取り乱してもおかしくはない状況。それが目を覚ましたアヤメの眼前に広がっている。
「ここは……何処?」
だがアヤメは只の子供ではない。未だカムイに遠く及ばぬとはいえハンターを名乗り、少なく無い戦いを経験してきた。そして何よりもカムイならばこの程度で取り乱したりしない、という確信がアヤメにはあった。それらが合わさって不安と恐怖に飲み込まれそうなアヤメの理性を守り通した。
先ず最初に行う事は現状の確認、その為に身体の状態と所持品を確認する為に腕を動かし──そこで自分の腕が後ろ手に縛られている事に気付いた。
「何これ、縄?」
縄は腕だけでなく両脚にも硬く結ばれおり解けそうにもない。それでもアヤメは結び目を如何にかして解こうと身体を捩り──その最中に強い痛みが腹部に走った。
「いっ、たい……!?」
腹部だけでない。腕から、頭から、最初の痛みを切っ掛けにして身体中から思い出したかの様に痛みが走り始める。そして痛みと共に意識を失う前に何があったのかを思い出した。
──カムイから逃げるように言われ連れてきた子供と一緒に村から出ようとしたこと。
──その最中に現れた男達と彼等を率いている青年。
──実力はどれ程のものか分からないが逃げるための時間を稼ごうとし、そこまで考えを巡らせたことで耳が暗闇から聞こえる何かを捉えた。最初は小さかった音は時間が経つに連れて少しずつ大きくなっていく。
「誰かが近付いている?」
そして音が会話である事に気付くまで長い時間は掛からなかった。だが何を話しているのかは未だ分からない。それでも現状を知る為にも音の発生源にアヤメは近付いて行き──その途中で自分の近くから何かが動く音を耳が捉えた。
「っ!?」
咄嗟に身構えたアヤメは音がした方向に身体を向ける。しかし其処には暗闇が広がっているだけ、いくら目を凝らしても何も見えてこない。だが視覚の代わりに嗅覚が嗅ぎ慣れた匂いを嗅ぎ取った。
「トビ丸、そこにいるの!」
「ア…ヤメ…さ、ま?」
鼻が感じ取ったのはトビ丸の匂いだった。そしてアヤメの目に僅かな光が差し込み、トビ丸の姿が露わになった。
「トビ丸、大丈夫なの!」
防具を、武器を奪われたトビ丸は両手両足は縛られている。そして地面に横になったまま浅い呼吸を繰り返していた。開いた口からは苦痛に苛まれているのか呻き声が途切れることはない。アヤメはすぐにでも飛び出して傷の手当てをしたかったがそれは出来なかった。両手両足が縛られているだけでなく、目の前には格子があった。
「重行様にも珍しいことがあるのですね」
「単なる好奇心だ、不老不死かもしれないモノが見つかったんだ。一度は見てみたくてな」
先程から聞こえてきた音は今では会話であると分かる。そして松明の光が暗闇を照らした。そしてアヤメは自分達が今いる場所を明確に知る。洞窟のような一本の通路を挟んで幾つもの部屋がある中でトビ丸は自分のすぐ横に部屋にいた。だが部屋と部屋の間には木製の格子で区切られている。
此処まで見れば嫌でも理解させられてしまう。自分達が今いる場所が牢屋であると、自分達は囚われいるのだと。
「重行様、此処にいます」
そしてアヤメ達の牢の前に松明を持った青年と男が現れた。
「貴方は!」
「おや、起きてたんですか」
目の前に現れた青年を見た瞬間にアヤメは思い出した。子供を連れて逃げようとした自分達の前に現れた青年、手も足も出ない程の力を持った彼の手によって捻じ伏せられた事を。
「生きがいいな、お前が不老不死と一緒にいたガキか」
その隣には大柄な男がいる、だがアヤメに興味はないのか一瞬だけ視線を向けただけだ。
「それで紫、コレか。弱っているようだが大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。ここに入れる前に起きて喚き散らしたので黙らせただけです。無論死なないように加減はしました」
紫の言葉を聞いた男は興味深くトビ丸を眺めていた。そしてトビ丸も男達が自分の話をしている事だけは理解出来た。
「俺を……如何するつもりだ」
痛む体に鞭を打ち、トビ丸は男に尋ねた。
「喋った、喋ったぞ、紫!」
だが男の反応は予想外なものだった。言葉を話すトビ丸が余程面白いのか男はトビ丸を指さして笑うばかりだった。
「笑う……な!教えろ!」
トビ丸が目の前で嗤い続ける男に向かって出せる限りの大声で叫んだ。そして叫びを聞いた男は嗤う事を辞めた。だが返答はない、代わりに大柄な男から繰り出された脚が二人を捉える格子を蹴った。鋭く重い脚撃、その衝撃で出た音が小さな牢の中で反射し増幅する。それは聴覚に訴えかける暴力であり、垣間見せた男の力量は二人を上回るものと嫌でも認識させられた。
「口の利き方には気を付けな」
表情を消し能面のような表情の男が短く淡々とした言葉を紡ぎ出す。
「それでお前はこの先どうなるかだな」
間を置いて男は答えを口にした。
「喰われるのさ」
「へ?」
「分からないのか。喰われるんだよ、お前は」
トビ丸は男の言葉が理解出来なかった。それを感じ取った男が再び同じことを口にする。それでもトビ丸は言葉の意味を理解できなかった。
だがアヤメは違った、理解出来てしまった、その悍ましい内容を。
「なんでよっ、そんなのおかしいわよ!」
短い間とはいえ背中を預け合った仲間が喰われる。そんな事は決して認められないとアヤメが男に何故かと問い詰める。
「なんでってな、そう伝わっているんだよ」
だが男はぞんざいに答えるばかりだった
「そんで不老不死らしいコレを俺が売る。死にたくない金持ちの老いぼれ共の知り合いが沢山いてな、口を開けば死にたくない、死にたくないと煩いんだ。その老いぼれ共にコレを売るんだ、高値でな」
「なによ……、それ、おかしいわよ、何でそんな事をするのよ!」
理解できない、理解したくない、そんな事で喰われてしまうなんて認められない、アヤメの態度が男の癇に障ったのか険しくしながらアヤメを見る
「チッ……戦に勝つためだ。知ってるか戦をするのにどれ程の金が要るか」
「戦なんて……知らないわよ!」
戦という言葉自体は知っている。だがそれだけだ、実態なんてものは知らない。
だが男はアヤメの言葉を訝しんだ。そして格子の隙間から手を入れアヤメの顔を摑むと力尽くで引き寄せる。苦痛に歪む顔、その目を男はただじっと見つめた。
「……嘘じゃないみたいだな」
そして男はアヤメが本当に戦を知らないと理解した。
「なら教えてやるよ、戦とは殺し合いだ。何十、いや何百もの人が互いを殺し合うんだよ」
そして嗤いながら告げる。戦とは何かを、何も知らない無垢な心を痛ぶる様に。
「何で……何が理由で、そんなことを」
「理由?理由は……」
だが男は答えず顔を地面に向け、だがそれも僅かな時間でしかなかった。再び顔を挙げた時は嗤い顔では無くなっていた。
「話す気にもなれんな。だが今度は俺からだ」
男はアヤメの顔を掴む指に力を込める。
「お前達は何処から来た」
「…………」
「だんまりか、それでもいいんだかな……」
そう言って男がもう片方ノ手を牢の中に入れ、アヤメの着ていた着物をはだけさせた。
「ひっ!」
顕になった右肩から晒を巻いた胸に男の舐めつける様な視線が浴びせられる。それは今まで経験した事のない恐怖、モンスターとの生死に関わる恐怖とは違う物。それがアヤメを襲い、無意識に目が潤む、それが男の欲情を誘うとは思いもせずに。
「へぇ、そそる表情をしてくれるじゃないか。小さいが見た目もいい、最近は碌に発散も出来なかったから丁度いいな」
「な、何を……」
「分からないか?これは、これは……、何も知らぬ生娘というのもいいな」
それだけで理解した。これから男が行うことを、自分に降り掛かるモノが何であるかを。
「いや、嫌!」
縛られていながらもアヤメは必死になって抵抗する。身体を捩り男の拘束からは逃れようとするが込められた力が弱まる事は無い。
「重行様、価値が下がるので止めて下さい。今は少しでも資金を集めないといけないので」
「そうか……残念だな」
そう言って男は手を離した。支えを失い地面に倒れたアヤメは這いずりながら移動する。少しでも、ほんの僅かでも男から離れる為に。だがそこは小さな牢屋でしかない。逃げ込める先は部屋の隅しかなかった。
「助けて、カムイ……」
無意識に口に出した言葉。限界を超えた恐怖に晒された心が無意識に助けを求める。だが手を差し伸べ助けてくれる仲間は、相棒はいない。
「カムイ、そいつは誰だ」
「あの場にはもう一人いました、それの名前がカムイかと」
そして此処にいるのは男と紫だ。
「帰ってこなかった奴らは」
「……返り討ちにあったのでしょう」
未だに此処に帰ってきていないならば死んだのだろう。道中で運悪くモンスターに遭遇して殺されたのか、若しくはカムイに返り討ちにあったのか。
「そうか、カムイってのは強いのか?」
「それは何とも「強いわよ、貴方達が束になっても敵わない」」
男の疑問に答えたのはアヤメだった。牢の奥で震えながら口にした言葉、紫にしてみれば唯の強がりにしか感じない。
「それは楽しみだな」
だが男はそうとは感じなかった様だ。
「まさか、此処にカムイが来ると?」
「疑いもなく来るとこいつは信じている、こんな状況にも関わらずな。それだけ信頼されている奴が見捨てるとは考えられないな。それになカムイという奴を見てみたいんだよ」
「見てみたいとは?」
「こいつ等を見ろ、こんな世の中だってのに擦り切れてない。普通なら有り得ない事だ。そのあり得ない事の近いところにカムイはいるんだろう。もしくは……、俄然楽しみになってきた、紫、暫くこいつ等を牢に入れておけ」
「二日です、それ以降は……」
「その時は売って構わん、俺はもう寝る」
そう言って男は牢を後にした。
「重行様にも困ったものだ」
後に残された紫は腕を組んでこれからの予定を再度調整する。そうして視線を彷徨わせていると牢の奥に引き篭り震えているアヤメが目に入った。
「どうして自分がこんな目にあっているのか、どうしてこうなってしまったんだろう……て顔してるね」
アヤメの姿に何か感じた訳では無い。紫にしてみれば思考を整理するだけの雑談、独り言でしかない。そして牢の前で紫は口を開く。
「弱いから」
たった一言、だが其れが真実だった。
「弱い奴は強い物に喰われる、それだけの事さ」
そう吐き捨てて紫は遠ざかって行く。
「じゃあね、カムイって奴が助けに来てくれるのを其処で待ってな」
そして松明を持った紫が消えた事で再びアヤメ達は暗闇に包まれた。その中でアヤメは部屋の隅でより身体を小さく丸める。あの男から少しでも離れるために、見つからないようにする為に。
「怖いよ……助けて、カムイ……」
呟いた言葉は助けを求めるモノ、だがそれを聞き届け叶える者はいない。
そこにいるのはハンターではなく幼い少女でしかなかった。