綺麗な彼女は世話を焼く   作:こーど

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第十一話 おぼろげな記憶は異変を呼ぶ

 

 

 

 

 

頭上に広がっていた淡青の空が薄い雲によって霞んでいた。

遠く離れた西の空では、灰色に染まった厚い雲が山に覆い被さるように浮かんでいる。

春の陽光は切れかけた蛍光灯のように輝きを増減していて、先行きの悪さを感じさせていた。

 

「雲、出てきたなぁ……」

 

「そうだね。雨降らなきゃいいけど」

 

「雨合羽持ってきないもんなぁ」

 

昼休み。

俺は昨日とまったく同じ場所に腰を下ろし、矢谷さんから渡されたお茶をのんびりとすすっていた。

空を見上げて飲む茶は美味い。

時折、吹き抜けていくやや冷たい風も授業で疲れた身体に丁度良かった。

 

「紫蘇巻き、美味しかったなぁ……」

 

「あ、ありがと」

 

お茶のお代わりをもらいながら、しみじみと呟く。

こんな感想でもいいのかなぁ?

ほんのりと温かいお茶をすする。

俺は味見役という役目を引き受けた。

謹んで賜った。

けど、口から出るのはこんな誰にでも言える感想。

まるで思い付いたままを言う、小さな子供の感想だ。

こんなのでいいのかと自問自答する。

いや良くはないだろう。

的確な指摘も、気の利いた言葉も言えてないのだ。

これじゃ役目を果たせていない。

なのに矢谷さんは、照れたように俯きながら微笑んでいた。

 

「そうだ。この学校ってさ、授業に遅れたりしたら厳しく指導されりする?」

 

「んーどうだろ、普通かな?怒られたり、先生の手伝いさせられたりするって聞いたことがあるよ」

 

「そっかぁ」

 

彼女の言が正しいのなら、昼休みに訪ねてこなかったいっちゃんは、今頃雑用として先生に使われているのかもしれない。

あぁ、いっちゃん可哀そうに。

 

「なに?そんなことする予定があるの?」

 

人一人分の空間を空けて座る矢谷さんが、いっちゃんの減刑を祈る俺を不思議そうに覗き込んだ。

 

「あーいやいや、友達がもしかしたら授業に遅れたかもしれないんだ。それで今頃、どうなってるかなって」

 

「あれ?友達、もう出来たんだ」

 

「新しく出来たわけじゃないんだけどね。久しぶりに会ったんだ。中学生の頃の友達で、那須陽一っていうんだけど、もしかして知ってたりする?」

 

「―――っ!」

 

穏やかであった矢谷さんの表情が一変した。

驚愕に彩られた顔色で俺を凝視する。

しかし、それも束の間。

彼女の表情はゆっくりと歪み、俺を見るその瞳は何かに縋るような目つきとなっていた。

 

「ど、どうした?もしかして知り合い……?」

 

慌てて声を掛けるが、矢谷さんは返答なく俯いてしまった。

もしかすると、地雷を踏んでしまったやもしれない。

どうする、どうしよう……。

気の利いた対応をしたいところだが、生憎そんな技はあちらでも習っていない。

混迷を極めた俺は、意味もなく手をわたわたと動かす。

 

た、助けてぇ瑞樹姉さーん!

 

心の叫びは誰にも届くことなく、とてつもなく重たい空気がずっしりと双肩に圧し掛かった。

こんな時に、なんでか『秘儀 千手観音』なんて寒いことを思い付いた俺を誰か罰してやって下さいごめんなさい。

 

「……知ってる、よく」

 

「そ、そっかぁ……よく知ってるかぁ……は、はははっ」

 

俺の口からは乾いた笑い声が零れていた。

矢谷さん、いっちゃんのこと知ってるってさ!

それによく知ってるって、それってもう過去に何かあったって言ってるようなもんじゃん!

 

もしや、痴情の縺れ的な……?

いっちゃんはその見事に整った外面だけでなく、その内面も素晴らしい。

親友の贔屓目をなしにしても、抜群のいい男であることに疑いはない。

そんないっちゃんならば、煌めく美貌を持つ矢谷さんとも十分に釣り合うだろう。

お似合いの美男美女カップルである。

これは、この線が濃厚なのではなかろうか。

 

「ねぇ、追崎さん」

 

「は、はいっ!?」

 

この事態にどう対処したもんかと悩んでいると、いつの間にか矢谷さんの美麗な顔が目の前に広がっていた。

さっきまで空いていた一人分の空白が埋まる。

彼女の体温まで伝わってきそうな程の至近距離。

 

矢谷さんが口を開いた。

でも、そのまま閉じてしまった。

また開いて、でもまた閉じた。

 

何を俺に求めているのだろう。

懇願するような矢谷さんの表情には、どんな意味があるのかはっきり分からかなった。

いっちゃんとの仲の取り持ち?

それとも、傷心の慰め?

様々な憶測が頭の中で飛び交う。

だが、実際に矢谷さんが紡いだ言葉はその全てと異なっていた。

 

「よしかわって知らない、かな……?」

 

「よしかわ?」

 

「うん。よしかわしおり、そんな名前に聞き覚えはない?」

 

そう言われた俺は、目を瞑り記憶を探った。

よしかわさん、よしかわさんかぁ。

漢字だと良川(よしかわ)とか、吉川(よしかわ)と書くんだろうか。

もしそうなら、そこまで珍しい名字って感じではなさそう。

普通にいそうだ。

 

「んー……」

 

だけど俺は、よしかわさんという人を一人も思い浮かべることが出来ずにいた。

漢字が同じでも読みが違う吉川(きっかわ)さんならば、数回お会いしたことがある。

だけど、よしかわさんという人には出会ったことがない……のかもしれない。

どうにも判然としない理由は、その名字に何か引っかかるものを感じたからだ。

 

俺の記憶の海に残滓として漂うその名字。

それは他の記憶に分解され、跡形を微かに残すばかり。

本物か、はたまた造作か。

それさえも朧気だった。

 

「……聞き覚えは、あるとは言えない」

 

俺の答えはその記憶と同じく曖昧だった。

無いとは言えないが、しかしあるとも言えない。

それが、ぬか喜びをさせない為に俺が出した結論。

矢谷さんはそれを聞くや否や、すぐに顔を伏せた。

 

「それでよしかわしおりさんって人がどうか―――って大丈夫?」

 

矢谷さんは今にも倒れてしまいそうな足取りで立ち上がった。

慌てて支えようとするが、落葉ように揺らめく彼女の身体は俺の手からするりと逃れていく。

 

「ごめん、ちょっと先に戻るね。……本当にごめん、なさい」

 

尋常ではない様子の矢谷さんに、俺の動きが固まる。

飛び降りようとする彼女には触れられても、ふらふらと歩く彼女には何故か触れることが出来なかった。

今にも消えてしまいそうな後ろ姿が、少しづつ小さくなっていく。

呆然とそれを見送る。

俺の頭は、混迷を極めていた。

 

分からない。

出会ってから今の今まで、分かったことなど何もない。

彼女はまるで俺のことを分かっているようだったけど、俺は彼女をことを何一つ分かっていなかった。

謎に満ちた彼女の行動原理は深い霧の中。

見えはしない。

唯一、朧気ながら見えたものは、

 

「なんで……?」

 

彼女の頬を濡らすことなく落ちていく雫と、止まることのない鮮血。

そんなありもしない幻覚だけだった。

 

 

 

 

 

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