「おむにばす!」   作:七音

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最終話「指示通りに動いて貰えます?」

 

 

 

「麻子、ねぇ麻子! 聞いてるのっ?」

 

「……んぁ?」

 

 

 ちゃぶ台で寝落ちしていた意識に、聞き慣れた声が木霊する。

 卓袱台から上半身を起こすと、制服の上からエプロンを着け、両手に皿を持った沙織が、私を見下ろしていた。

 困っているような、怒っているような。そんな顔だ。

 

 

「なんだ、沙織か……」

 

「なんだじゃないでしょ、もー! さっきからずっと呼んでたのに!」

 

「……すまん。寝不足で……」

 

 

 大あくびをする私に、沙織はプンスカ怒りながら、手際よく皿を配膳してくれる。

 ふむ。今日の夕食は、豚の角煮、ワカメと油揚げにネギの味噌汁、ミョウガなどの薬味をたっぷり乗せた冷奴に、特製の糠漬けか。美味そうだ。

 私が飢え死にしないよう、こうしてワザワザ寮に来て、手料理まで作って。本当に良い嫁になるな、沙織は。

 口に出すと調子に乗られそうなので言えないが、せめて心の中で感謝しよう。

 この恩はそのうち返すぞ。誕生日プレゼントとかで。

 と、そんな事を考えつつ、あくびで出た涙を拭っていたら、今度は心配そうな眼がこちらに向いていた。

 

 

「……ねぇ、麻子。何かあった?」

 

「何もないが」

 

「即答するって事はあったんだぁ……」

 

「なんでそうなる」

 

「小学四年生からの付き合いを舐めないでよねー」

 

 

 茶碗に御飯をよそう沙織は、なんとも得意げだ。妙に悔しい。

 まぁ、確かに言われた通り、寝不足になってしまうような出来事が、現在進行形で起きている。

 あの日。近藤たちと買い物する先輩を尾行した日から、私の中には奇妙な感覚が居座り続けているのだ。

 胸が疼くようでいて、同時に痛くすらも感じるそれは、きっと。

 先輩を信じられず、先輩の好意に胡坐をかき、後輩二人の想いを踏みにじってしまった事への、罪悪感だと思われた。

 

 謝って済む問題ではない。

 いや、本当は謝るべきなのだろうが、先輩に嘘の関係を強いていると知ったら、あの二人は私を軽蔑するかも知れない。

 他人の眼など、それこそ沙織や華、お婆以外は無視して生きてきた私だが、戦車道を通じて得た仲間に見損なわれるのは、想像するだけで割と辛かった。

 毒されたものだと、自分で思う。

 こんなに弱い部分が隠されていたとは、気付きもしなかった。

 だからこそ、私は身動きが取れず、ジレンマに悩まされている訳だ。

 

 ままならない現実に、私は知らず溜め息をつく。

 情けない姿を見てしまったはずの沙織は、けれどいつも通り、柔和な雰囲気のままで。

 

 

「ねぇ、麻子」

 

「……なんだ」

 

「話したくなったら、いつでも電話して良いからね」

 

「だから、私は別に……」

 

「いいからいいから! それだけ覚えておいて? さ、ご飯食べよっ。頂きまーす!」

 

 

 反射的に誤魔化そうとするが、沙織は一方的に言い切り、手を合わせる。

 私としても、芳しい味噌汁の香りは辛抱堪らず、腑に落ちないながら夕食を食べ始めた。

 ホロっと口の中で解けていく角煮のように、この罪悪感も消えて無くなってくれたら。

 などと思ってしまた私だった。

 

 ……しかしまぁ、御飯が進む味だ。

 将来的に、私もこのくらい作れるようにならねばな。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「はぁ……。しかし、どうするか……」

 

 

 放課後の、誰も居なくなった教室にて。

 黄昏る窓辺に寄り掛かりながら、私はまた溜め息をつく。

 結局、なんの進展もないまま、数日が経過した。

 ……いや。むしろ、事態は悪化の一途を辿っていると言って良い。

 胸に抱えた罪悪感は成長するばかりで、一向に晴れる気配がないのだ。

 万事が万事、上手く行くわけもなく、こうなったのは自分の責任だと分かっているのだが、どう動いて良いか分からないし、こんな状態では動く気力も持てない。

 泥沼の悪循環だった。

 

 

《にゃーん、にゃーん、にゃーん》

 

「……ん」

 

 

 ポケットに入れていた携帯が着信を伝える。

 ノソノソと取り出し、発信者の名前を確認するけれど、表示された「辻助け先輩」という文字列に、胸がきゅうっと苦しくなった。

 息切れすら覚えるほどだったが、出ない訳にもいかないので、深呼吸をしつつ、通話ボタンを押す。

 

 

「……もしもし」

 

『あ……。麻子ちゃん、自分だけど』

 

 

 耳を打つのは、いつも通りの低音。

 それが妙に心地良くて。比例するように後ろめたくて。

 

 

『今日は、どうしようか』

 

「……すまん、今日も戦車道関連の用事があるから」

 

『そっか。……分かった。じゃあ、また』

 

「ん……」

 

 

 酷く簡潔に通話は終わる。

 嘘をついてしまった。また。

 ここ数日、先輩は毎日連絡をくれるが、それを私は、ありもしない用事があると断っているのだ。

 理由は……。会いたくないから? 少し違う気がするな。

 会った時、どんな顔をすれば良いのか、分からないから。うん、こっちの方が近い気がする。

 だからなんだ、という話だが。

 

 

(逃げてばっかりだな、私は)

 

 

 ボウっと、茜色の空を眺める。

 本当にどうしたというのだろう、私は。

 こんな風に悩むだなんて、まるで普通の女子高生ではないか。

 いや、普通の女子高生なんだが、なんというか、私らしくないような。

 

 

(……四号に乗りたい)

 

 

 なぜだか、無性に戦車を走らせたくなった。

 野山を縦横無尽に走破したくて仕方なかった。

 まぁ、燃料が勿体無いからやらないけれど、どうにも気分が落ち込み、また溜め息が出てしまう。

 もう癖になってしまっているようだ。

 

 

「あのぉ、冷泉さん……あ、居た居た。良かったぁ」

 

「ん? 磯辺さんか。どうした」

 

 

 不意に、背後から呼び掛けられる。

 教室の出入り口に立っていたのは、体操着にスパッツ姿のバレー部部長、磯辺 典子さんだった。

 私の姿を確認し、彼女はホッとした表情を浮かべ、教室の中へ。

 

 

「ちょっと、個人的に知恵を貸して欲しいというか、相談したい事があって……」

 

「珍しいな。私に相談とは」

 

「うん。冷泉さんなら、経験から的確にアドバイスくれそうだったから」

 

「ふむ……」

 

 

 いつも無駄に「根性根性」言っている磯辺さんだが、今日は珍しく神妙な顔つきだ。

 これが見知らぬ他人だったら「他を当たってくれ」で済ませるけども、特に忙しい訳じゃないし、何より、鬱々としていた頭を切り替える、良い切っ掛けになってくれるだろう。

 そう考えた私は、少々もったいぶってから頷き返す。

 

 

「まぁ、聞くだけは聞いてみよう。戦車道のよしみだしな」

 

「あ、ありがとう! 本当に困ってたんだ、助かるよー!」

 

 

 色良い返事に、磯辺さんは大感激といった様子。

 こんなに喜ばれると、なんだか悪い気もしてくるな……。

 とはいえ、それはこっちの事情。今は彼女の悩みを聞くことに専念だ。

 

 

「実は……。最近、好きな相手に冷たくされちゃってる人を、どう元気付ければ良いか、教えて欲しくて」

 

「……またピンポイントな悩みだな」

 

「そりゃあ、アタシだって似合わない悩みだとは思うんだけど。落ち込んじゃってるのが、アタシの兄貴でさ」

 

「兄が居たのか」

 

「うん、まぁ。ちなみに、近藤には五歳の弟、河西には姉さんが居て、佐々木は一人っ子なんだ」

 

 

 同じく窓辺に寄り掛かった磯辺さんと、雑談混じりに話をしていく私。

 磯辺さんの兄、か……。どんな人物だろう。

 やはり磯辺さんと似て背が低いとか、あるいは逆に背が高いとか。

 ちょっとだけ興味が湧く。

 

 

「しかし、なんでまた私に?」

 

「冷泉さんって、武部さんと幼馴染みでしょ? だったら、色んな意味で武部さんを慰め慣れてるかと思って」

 

「……否定はしないが、腑に落ちないな」

 

 

 なんの気なしに聞いてみたら、納得できるような、出来ないような返答がなされた。

 選出理由は沙織か……。

 確かに、数ヶ月前まで口だけ恋愛番長だった沙織と幼馴染みならば、そういった経験が豊富と判断されてもおかしくはない。

 が、こと沙織に関して、彼女の推測は間違っていた。

 

 

「残念だが、あまり役に立てそうもない。沙織はあれで不屈の精神の持ち主だからな。一時的に砕けてもすぐ復活する」

 

「あー、そっかぁ……。なんか納得……」

 

 

 腕組みしながらそう言うと、若干肩を落とす磯辺さんも、なんとなく察してくれたようだった。

 恋に恋して空騒ぎするのが特徴の沙織は、一人相撲な失恋回数もかなり多く、逆説的に立ち直りが早いという事にもなる。事実、失恋した沙織を慰めた経験はない。

 それが今では、結婚前提の彼氏とラブラブいちゃいちゃしているので、違う側面からも絶対無敵になってしまったが。

 世の中、分からないものだな……。

 

 

「なんかさぁ、最近すれ違いが多いんだって。

 話しかけても上の空で、電話をかけてもすぐ切られちゃって。

 兄貴がなんかしたんじゃないの? って聞いても、心当たりが無いみたいなんだ」

 

「……難儀だな」

 

「全くだよー。バレーなら根性でどうにかなるのに」

 

「そうだろうか……?」

 

 

 助言できなかった代わり、と言うとアレだが、私は磯辺さんの愚痴に付き合う。

 根性論はさて置き、なんだか身につまされる話だ。まるで私の先輩への対応じゃないか。

 ……ん? そういえば、あの一件……。

 

 

「その……。磯辺さんのお兄さんは、落ち込んでいるのか」

 

「うん、すっごく。ここの所、目に見えてはしゃいでたから、その反動かもね」

 

「はしゃいでいた……?」

 

「我が目を疑ったよー。家でも凄いニヤニヤして、メチャクチャ上機嫌で。あのデレデレした顔で表歩いてたと思うと、妹として恥ずかしいくらい」

 

「……よっぽど嬉しかったんだな」

 

 

 もしや、と思い話を振ってみるが、返ってきた内容からして、私の思い過ごしだったようだ。

 なんの話か? 例のファストフード店での、先輩の「典子」呼びの件である。

 あれだけ礼儀正しい先輩が呼び捨てにするなど、もはや身内しか考えられない。

 磯辺さんに兄が居ると聞いて、辻助け先輩は磯辺さんの兄ではないかと、ほぼ確信していたのだが、先輩は私と居る時もほぼ無表情だったし、はしゃぐどころか最初は迷惑そうにしていた。別人だな。

 親戚という可能性も捨てきれないけれど、今すぐ確かめたい事でもない。後にしよう。

 

 一人で結論づけていると、会話が途切れている事に気付いた。

 特段、不愉快な沈黙でもなかったが、磯辺さんは「んーっ」と背伸びをして、雲を見上げる。

 

 

「こういうと妹バカだけどさ。兄貴、いい奴なんだよ。

 ノミの心臓だし、普段は全っ然男らしくないけど、人助けには全力を尽くす性質で。

 だから、出来れば笑ってて欲しいんだよね」

 

 

 微笑みの横顔が、茜色に染められる。

 失礼な感想だと自覚しつつ、乙女らしい一面もあるんだな、と驚いてしまった。

 この年頃の兄妹は仲が悪いとよく聞くけれど、磯辺家に限ってはそんな事ないようだ。

 

 

「磯辺さんは、兄想いなんだな」

 

「えっ!? ん、んなこと無いって! 普段と違うと調子狂うから、いつも通りに戻って欲しいだけだし……」

 

 

 照れ臭いのか、今度はワタワタと手を振り、明後日の方向を向く磯辺さん。

 その頬が茜色以上に赤く見えるのは、きっと気のせいではないと思う。

 普段の彼女を知る男が、今の姿を見たとしたら、それこそ一発KO。ライン際スレスレのサービスエース、と言ったところか。

 それは良い事だと思うけども、しかし一方で、私の心はどうしても曇ってしまう。

 また、溜め息が出た。

 

 

「人を好きになるって、どんな気持ちなんだろう」

 

「へ? どうしたの、いきなり。なんだったら、話聞くよ! 恋愛したこと無いから本当に聞くだけだけど!」

 

「……頼もしいのに頼りないな。まぁ、ありがとう」

 

 

 好きだった人に素っ気無くされる磯辺さんの兄と、私が素っ気無く扱ってしまっている先輩。

 この二人がどうにも重なって、思わず口を滑らしてしまった私だが、磯辺さんは実に彼女らしい爽やかさで、相談に乗ってくれようと。

 正直、こういう話を誰かとするのは苦手なんだが、現状を打破するためには、やはり他人からの視点が必要か。

 とにかく、先輩と近藤・佐々木のお出かけを目撃してからの事を、適当にボカして話してみよう。

 

 

「と、いう訳なんだ」

 

「………………」

 

「磯辺さん?」

 

「流石はあんこうチーム……。いつの間にか、全員彼氏持ちになってそうな勢いだ……」

 

 

 かくかくしかじか。

 といった風に掻い摘んで、私と先輩の関係や、近藤たちの名前を伏せて話したのだが、磯辺さんは戦慄したような表情で呟く。

 なんだろう、この反応。

 確かに今まで男っ気など微塵もなかったが、そこまで驚かなくてもいいじゃないか。

 

 

「っていうかさ、それって普通に嫉妬してるんじゃないの? 冷泉さん、その人のこと好きなんでしょ?」

 

「え。いや、それは……」

 

「冷泉さんの事情はよく分かんないけど、その人が異性と話してるのを見てモヤモヤするのなんて、その人が気に掛かってるって証拠だとしか思えないけどなぁ」

 

「……恋愛したこと無い割に、ちゃんとした意見を言ってくれるんだな」

 

「いやぁー、優勝祝賀会で武部さんのモノマネするのに、ちょこっとだけ研究したから。多分それで?」

 

 

 ニカッと笑い、磯辺さんが胸を張る。

 意外にもズバッと踏み込んでくるアドバイスに、私は感嘆としていた。

 根っからのスポ根少女だと思っていたが、案外要領の良い女子なのかも知れない。侮れん。

 

 

「まずはさ、相手の気持ちを確かめてみたら? バレーだって、チーム内の意思疎通が出来てないと連携に支障をきたすし。腹を割って話すのって、結構大事だよ」

 

「腹を割って、話す……か」

 

 

 それが難しいから悩んでいるのだが、言われてみると、やはり実際に会って話すのが一番の方策だと思われた。

 このまま先輩を避け続けていては、ますます会い辛くなる。

 傷が深くなる前に先輩と会って、先輩の気持ちを──いや、私自身の気持ちを確かめるべきだろう。

 

 

「ありがとう、磯辺さん。少し、試してみる」

 

「役に立てたなら良かった。頑張れ、冷泉さん! 何はともあれ根性だ!」

 

 

 私は磯辺さんに向き直り、キチンと頭を下げて礼を言う。

 そして、彼女からのエールを背中に受け、鞄を回収してから教室を後にする。

 案ずるより産むが易し。いざ決心してしまえば、心も体も軽かった。

 今はとにかく行動あるのみ、だ!

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 冷泉さんをガッツポーズで見送って、しばらく。

 そろそろアタシも帰るかー、と背伸びをしていたら、背後に人の気配を感じた。

 

 

「あ、キャプテン! 探しましたよぉ!」

 

「どうして違うクラスに? 誰かと話してたんですかー?」

 

「お、佐々木か。それに近藤と河西も。冷泉さんと少しな」

 

 

 2-Aの教室内を覗いていたのは、我らがバレー部の主要メンバーだった。

 まぁ、アタシを合わせても四人しかいないメンバーだけど。正式には部でもないし。

 そろそろ新入部員が欲しいなぁ……。っていうか、今日は自主練ないはずなんだけど?

 

 

「キャプテン。誕生日プレゼントのチョコ、ありがとうございました。すっごく美味しかったです!」

 

「おー、そーかそーか! そこまで喜んで貰えたなら、囮を引き受けた甲斐があるってもんだ!」

 

 

 ああ、なるほど。礼を言いにきてくれたのか。

 頭を下げる河西に、納得したアタシはまた胸を張る。

 つい先日、可愛い後輩である河西 忍は誕生日を迎えたのだが、その誕生日プレゼントをみんなが選ぶ時、商店街とかで鉢合わせしないよう、アタシは忍を足留めする役割を引き受けたのだ。バレーで言う所のフェイントアタックだな。

 実際にはかなり広い学園艦だけど、居住区とかに限ると結構狭いし。

 アタシがよく行っている煎餅屋さんを巡って時間を潰したんだ。

 さらに付け加えると、アタシからのプレゼントはチョコ煎餅。意外と美味しいんだよね、あれ。

 

 

「あ、あの。それで、ですね。お兄さん……キャプテンのお兄さんが、お店を選んでくれたんですよね? よ、良かったら、お礼したいなって思ってるんですけど……」

 

 

 チョコ煎餅の味を思い出していると、なにやら河西は、頬を赤らめつつモジモジし始める。

 誕生日プレゼントへのお礼とか、相変わらず律儀だなぁ。

 プレゼントにプレゼントを返してたら意味無い気もするけど、兄貴もきっと喜ぶし、アタシとしては歓迎だ。

 ……ったのに、なんでか河西の肩を、近藤と佐々木は悲しげな顔で叩いて。

 

 

「忍。残念だけど、おにーさんの事は諦めた方がいーよ……」

 

「は? ちょ、何を言いだすのよ」

 

「お兄さんねぇ……。彼女、居るんだってぇ……」

 

「……ぇええぇぇえええっ!? き、キャプテン、本当なんですかっ!?」

 

「あれ。言ってなかったっけ。つい最近できたんだってさ。早速すれ違ってるみたいだけど」

 

「……え? あの、どういう事ですか?」

 

「すれ違い……? とゆー事は……?」

 

「妙子っ、わたし達にも運が回ってきたよ、運がっ!」

 

「なんか元気だなぁ、お前達」

 

 

 驚いたり困惑したり喜んだり、やたら騒がしい後輩たちを、アタシは微笑ましく眺める。

 仲が良くて何よりだ。普段から仲良くしていれば、それがチームワークに生きるし。

 バレーボールでも戦車道でも、息が合ってないとすぐ負けちゃうしな。うんうん。

 と、一人で感心していたら、気を取り直したらしい河西が、改めて質問してきた。

 

 

「キャプテン。お兄さんの恋人って、どんな方なんですか」

 

「どんなって、アタシも詳しくは知らないぞ? 話に聞いた限りでは、背が低くて頭が良くて、夜行性っぽい二年生……らしいけど」

 

「ふむ。背が低くて……」

 

「頭が良くてぇ……?」

 

「やこー性っぽい……?」

 

 

 河西、佐々木、近藤が続けて首を傾げ、凄く難しい顔で、「まさか……」とか「いやいやぁ……」とか「そんなはずは……」とか言い合う。

 やっぱ分かんないかー、そんな抽象的なヒントじゃ。アタシも分かんないし。

 いやー、ホント誰なんだろう? 兄貴の恋人って。

 仲良くできる人なら良いんだけどなぁ。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 学校を離れ、通学路の途中にある商店街へと足を向けた私は、意気込み虚しく頭を抱えていた。

 

 

「さて、どうしたものか……。今日は用事があると言ってしまったしな……」

 

 

 そう。先輩と会おうにも、さっきの電話で嘘をついてしまったからだ。

 きっと家に帰ってしまっただろうし、今から呼び出して会うのも、物凄く気が引ける。

 ただ、万が一の可能性で先輩が寄り道をしていて、そこに運良く鉢合わせ出来たなら……と、淡い期待を抱いて歩いているが、まぁ無理だろう。

 今はまだ暇だから良いけれど、来週になれば対グロリアーナ&プラウダ連合との、エキシビションマッチに向けた練習が始まる。今度は本当にだ。

 ううむ……。やはり、嘘をついてしまった私が悪いんだから、恥を忍んでこちらから電話するべきか。

 早めに終わったとか適当に理由をつけて、それで……。

 

 

「……あ。先輩?」

 

「あ……」

 

 

 ──と、考えていた最中。不意打ち気味に、探し求めていた巨体が視界に入ってきた。

 男子分校の夏服である、白い半袖のシャツに紺のズボンと肩掛け鞄。場所はコンビニの前。先輩の手には、買ったばかりであろう、ガリガリとした食感が特徴のアイスキャンディー。

 なんとも都合の良い巡り合わせ。しかし好都合に変わりはなく、私は先輩へと駆け寄ろうとするのだが……。

 

 

「……ごめんっ」

 

「ま、待ってくれ先輩。……先輩っ」

 

 

 私を見た彼は、アイスをバクッと丸呑みにし、一目散に走りだす。

 か、体がデカいとはいえ、よくアレを一気に食べられるな……。

 いや感心してる場合か!? 追いかけないと!

 

 

「ちょっと待て! なんで逃げるんだ!?」

 

 

 幸い、病院の時のように見失う事はなく、どうにかこうにか追い縋るものの、距離は一向に縮まらなかった。

 く……っ、やたらと足が速いなっ! 陸上選手かっ!?

 

 

(だが、夜の私を舐めるなよ……!)

 

 

 街中から出て、脱兎の如く機銃座跡公園方面へと向かう先輩。

 けれど、日が落ちるにつれて私の調子はアップする。

 徐々に距離も詰まっているから、このままなら追いつけるはず──だったのに。

 

 

「なっ、まだ速くなるのかっ!?」

 

 

 先輩はさらに加速し、またグングンと距離が広がってしまう。

 くそ、こっちは本気で走っているのに、まだ全速力ではなかったというのかっ。

 こうなったら、物理的な手段で止めるしかない。

 私は肩に掛けていた鞄を取り、先輩と直線に並ぶタイミングを見計らって、その足元に狙いをつける。

 上手くいけば足に絡んで止められる。転んで怪我してしまったら、誠心誠意謝って手当もしよう。行くぞ……!

 

 ベルトの中程を握って、投げ縄の要領で振り回し……投擲。

 真っ白な鞄は、狙い通りに先輩の足元へ向かい──

 

 

「避けた!?」

 

 

 すり抜けてしまった。

 命中する直前、先輩がピョンと跳ねたのだ。

 ……なんなんだ! その変態的な回避能力は! 背中に眼がついてるのかっ!?

 しかも、驚いている間に姿が見えなく……。

 

 

「……ふ。ふふふ……。そうか……。そうまでして逃げるか、先輩ぃ……」

 

 

 話も聞いてもらえずに逃げられると、無性に取っ捕まえたくなるのは、なぜなんだろう。

 アレか。人間の狩猟本能だろうか? まぁ、なんでもいい。

 私にだって意地がある。何がなんでも捕まえてやるからな……!

 

 地面を滑って汚れた鞄を、走りながらひとまず拾い上げる。

 そして、先輩が消えた方向に向かいつつ携帯を操作し、とある番号へ連絡を。

 ちょうど暇だったのか、2コール目で出てくれた。

 

 

『はい、なんですか麻子さ──』

 

「ライカッ、緊急事態だ、力を貸して欲しい! フォックスハンティングだ!」

 

『っ!? りょ、了解! 対象は?』

 

「例の辻助け先輩だ! GPSを拾えるかっ」

 

『多分。一旦切ります!』

 

 

 唐突過ぎるだろう要求にも、電話の相手──ライカは即応してくれる。

 普段はちょっとウザいが、こういう時はすこぶる頼りになるな、本当に。

 余談だが、フォックスハンティングとは直訳のキツネ狩りだけを指すのではなく、ルールに沿って設置された無線送信機を、電波受信機を使って追跡する、一種のトレーサー競技の事も含む。

 ARDF──アマチュア無線方向探知と呼ばれ、蛇道においては必須技能とされている、らしい。

 もちろん、一般人の携帯電波を追うなんて違法行為なのだが、サンダース戦でやられた時みたいにバレなければいいんだ。という事にする。

 

 閑話休題。

 体力温存のため、公園の入り口辺りで立ち止まり、私は息を整える。

 すると、程なく握ったままの携帯が震えた。

 知らない番号だったが、このタイミングで間違い電話という可能性は低いだろう。すぐさま通話を始める。

 

 

『もしもし、オレ……つっても分かんないか。ダンチョーっす。今から誘導するんで、指示通りに動いて貰えます?』

 

「分かった。頼む」

 

『艦内に潜り込まれたらアウトだし、最短距離で行きましょう』

 

「ん」

 

 

 声の主は、私の遠縁であるあの男子だった。

 そういえば男子自動車部で、機械が得意っぽかったな。頼りにさせて貰おう。

 私はダンチョーの指示に従い、再び走り出す。

 こちらの現在位置も把握しているようで、その言葉はとても的確だ。ライカが助っ人を頼む訳だな。

 

 

『この反応……。だいぶ近いですけど、おそらく先輩は、一段下の甲板へ移動しようとしてます。潜られたら今の機材じゃ追えない、急いで!』

 

「んっ」

 

 

 発破をかけられ、更に加速する私。

 公園の中を駆け抜け、立ち入り禁止と看板の掛かった鉄柵を乗り越え、辿り着いたのは上甲板の舷側、端っこだ。下層に向かう階段がある。

 学園艦は300m四方の正方形を組み合わせた、少し特殊なブロック工法で建造されていて、それぞれを行き来するには特定の出入り口を使わなければならない。

 だが、街などが置かれる最上部は異なっており、上下水道や地下電線の整備を円滑に進めるため、数十m間隔でいくつかの中甲板が設けられていた。先輩はそこへ潜り込もうとしているのだろう。

 

 にしても、ダンチョーは一体どうやってGPSを追っているんだろうか。

 艦橋にある電波中継塔をクラッキングでもしてるのか?

 頼んでおいてアレだが、犯罪行為を強いていてはマズい。あとで確認しておこう。

 

 と、そんな事を考えながら螺旋階段を降りていたら、遥かな眼下──第一中甲板の落下防止柵の向こう側に、チラッと動く影を見つけた。

 あの制服姿。まだ上下に二十mは離れているはずなのに、あんまり小さく見えない図体。

 間違いない、先輩だ。

 

 

(やっと見つけた……っ!)

 

 

 すっかり私を撒いたと思っているのか、ノンビリと艦内の方へ歩いている。

 なんとか追いついた……けれど、まだ油断できん。

 気付かれる前に接近し、可及的速やかに彼の脚を止めねば、またイタチごっこに戻ってしまう。

 どうしたら逃げないでもらえるか。どうしたら先輩と話ができるのか。

 こんな時こそダンチョーの助けを、とも思ったが、電波状態が悪くなっていたらしく、通話は切れてしまっていた。

 ええい、肝心な時にこのオンボロ携帯は! ……なんて、心の中で毒づいた瞬間、私はとんでもない事に気付く。

 

 

「あ、しまった。ここ、高い……!?」

 

 

 憎らしく見つめた携帯の、その先。

 螺旋階段の隙間から見える、数百m下の海面に、頭がクラッと来た。

 なんて事だ……っ。先輩を追いかけるのに夢中で、高い所が苦手なのを忘れてた……!

 思わずその場にしゃがみ込み、私は手すりにしがみつく。

 マズい。マズい。マズい。

 なんでこんな中途半端な場所で思い出してしまうんだ? どうせなら先輩を捕まえるまで忘れていたかった!

 

 

(どうする。どうなる? 早く動かなければ……っ)

 

 

 ガタガタと震えながら、私は視界の中に先輩を探す。

 先程までとそう変わらず、しかし確実に遠い場所に、彼は居た。

 大きいはずの背中は、また、遠くなっていた。

 何故だろう。

 途端、耐えがたい焦燥感を覚える。

 

 

(このままじゃ、何も言えない。“あの時”みたいに)

 

 

 伝えたい事があるのに。

 言わなければならない事があるのに。

 後でそうしようとして、両親には二度と会えなくなってしまった。

 

 未来を予知する事は出来ない。

 何事もなく明日が来る保証はない。

 あの時こうしていれば、なんて後悔は、もう沢山だ。

 今を逃したら、駄目なんだ!

 

 カァッと腹の底から湧き上がる、熱い“何か”に任せ、私は──

 

 

「フンッ!!」

 

 

 ──階段の手すりに、全力の頭突きをかます。

 ゴヮン。

 強烈な衝撃と音。鋭い痛みが、額を切ってしまった事を教えてくれる。血も出ているかも知れない。

 だが、そんな事はどうでも良い。

 衝撃でクラクラする視界に、先輩が見えた。こちらを振り向いている。

 流石に、あれだけ派手な音を立てれば気付かれるだろう。

 それで良いのだ。

 

 

「先輩っ!!!!!!」

 

 

 彼がアクションを起こす前に、私は叫ぶ。

 手すりへと、脚を掛けながら。

 2.0の視力が、驚きに目を剥く先輩の顔を捉えた。

 期待通りの反応を確かめた後、渾身の力を脚に込めて。

 

 

「私を──受け止めろっ!」

 

 

 跳ぶ。

 中甲板の、落下防止柵の向こうへ。

 この高さなら、悠々と柵も越えられるだろう。

 けれど、受身はまともに取れない。いや、取っても骨折必死だろうが、取らないつもりだった。

 不思議な事に、手すりを蹴ったその刹那、時間の流れはスローモーションのようになっていた。

 私が居た階段の途中から中甲板まで、およそ二十m。落着までのたった数秒を、十倍近い長さで感じている。

 

 先輩は、私が跳んだ直後に走り始めていた。

 落着予想地点まで、約十~十五m。

 初めて見る、必死の形相。死ぬ気で走っているようだ。

 間に合わないかとも思ったが、このペースなら、もしかして。

 甲板が近づく。

 

 

「麻子っ!!」

 

 

 スライディングで飛び込む先輩。

 大怪我をするコンマ数秒前といった所で、それは間に合った。

 私の体は、クッション代わりとなってくれた先輩の上に落ちる。

 落下エネルギーが横向きの運動エネルギーでベクトルを変え、それでもなお、甲板へと強烈に体を打ち据えて、ゴロゴロと転がりつつ防止柵に突っ込んでしまう。

 だが、私は先輩の腕に抱えられており、痛みは感じない。せいぜい、衝撃で息が詰まったくらいだ。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ」

 

「………………」

 

 

 横向きに傾いた視界の中、先輩の荒い息遣いを間近に感じつつ、ただ呆然と。

 時間の流れは通常再生に戻っていた。

 というか、初めて呼び捨てにされたような?

 なんでだろう。奇妙な達成感があった。

 

 

「……何を考えてるんだ君は!? 死にたいのか!」

 

 

 そんな事を考える私に、身を起こした先輩が大声で怒鳴る。

 険しい顔。本気で、怒られている。

 ……当たり前か。

 私だって、お婆や沙織が同じ事をしでかしたら、泣きながらタコ殴りにしていると思う。

 けれど、これだけは言える。

 

 

「何も……」

 

「え?」

 

「何も、考えてなかった。私自身の事も、お婆の事も。……ただ、先輩なら受け止めてくれると、確信してただけだ」

 

 

 そう。あの一瞬で、私が確かだと感じた事はただ一つ。先輩への、信頼だった。

 私がどんな馬鹿をやっても、先輩なら助けてくれると。

 そんな、他力本願にも程がある事を思いながら、私はビルの四~五階に相当する高さから飛び降りたのだ。

 

 ……本当によく無事だったな私!? 今になって怖くなってきたぞ……っ。

 あああ、お婆にバレたら怒られ………………いや、泣かれる。多分。

 無我夢中だったとはいえ、祖母不幸な事をしてしまった。反省しなければ。

 

 が、それは後でだ。

 今すべき事は、呆れたような顔でポカンとしている先輩と、話す事だ。

 

 

「なんで逃げたんだ。そもそも、先輩が逃げたりしなければ、こんな所まで追いかけたりはしなかったんだが?」

 

 

 先輩の腕の中から抜け出した私は、へたり込む彼の前に仁王立ちする。

 ちょっとばかり責任転嫁している気がしないでも……本当はバリバリにしているが、それを言っては話が進まないので、これも後で謝ろう。

 腕組みする私の視線を受けた先輩は、しばらく黙り込んでから、口を開く。

 

 

「嫌われたと、思った。

 思い当たる節は、なかったけど。でも、そうとしか思えなかったから。

 だから、今以上に嫌われる前に、距離を取ろうと……」

 

「……はぁ。結局、全ては私の自業自得か……」

 

 

 知らず、額に手を当てて溜め息を零していた。先輩が首を傾げているが、もう説明する気力もない。

 詰まるところ、私の思わせぶりな態度が先輩に不信を抱かせ、勘違いを加速させ、挙げ句の果てに飛び降り自殺未遂の救助を強制した、という事か。

 我ながら、間の悪さに頭痛がしてくる。あれ。頭痛は頭突きのせいか?

 

 ……とにかく、違うな。間が悪かったんじゃない。そんなもののせいにしちゃ駄目だ。

 今日の一件は全部、私が招いてしまった事なんだ。愚かな私との約束が。

 一歩間違えば、私は酷い怪我をしていたし、先輩にその責任を負わせていたかも知れない。本当に、私は馬鹿をした。最低だ。

 

 だからこそ。

 この場で、ハッキリさせなくてはいけない。

 己自身への腹立たしさを深呼吸で飲み込み、私は今一度、先輩と向き直った。

 

 

「先輩は、私の事を、どう思ってる?」

 

 

 短い問い掛けだったが、それに込めた真剣さを感じたのだろう。

 先輩は即答せず、黙りこくる。

 私達の間を、冷たい海風が通り抜けていく。

 

 どれ程そうしていただろうか。

 おもむろに、彼は語り出した。

 

 

「……君が階段から飛び降りた時、心臓が止まるかと思った。

 銃口を向けられても、ナイフを突きつけられても、怖くなんてなかったのに。

 麻子ちゃんが居なくなると思った瞬間。死んでしまうかと思うほど……怖くなった」

 

 

 己の手を見つめ、そして握りしめる先輩。

 拳は震えているように見えた。

 お婆が病院に運ばれたという連絡を受けた時の、私と同じ気持ちなんだと思う。

 そう考えると、どう謝ればいいのかすら分からないレベルだったが、けれど、彼は不意に膝立ちとなり、ポケットから取り出したハンカチを、私の額へ優しく押し当てる。

 

 

「お願いだから、もうあんな事はしないで。君の事が、好きだ。大切なんだ。だから……」

 

 

 いつもと違う、より近い距離にある先輩の顔は、とても悲しげに見えた。

 彼をよく知らない人物からすると、相変わらずの仏頂面に見えるだろうが、私にはそう見える。

 胸が苦しい。心臓を縛り上げられたようだ。

 その原因はやはり罪悪感と、どうしようもない喜び。

 ああ。間違いなく私は喜んでいる。彼に好きだと、大切だと言って貰えて。

 だが同時に、苦しい。こんなに心配を掛けさせて、こんな顔をさせてしまって。

 

 始まりは、他愛ない嘘からだった。

 恋人のふりをして欲しいと頼んで、断れない状況を作った。

 お婆に言い訳するため、恋人っぽい行動を一緒にした。

 他の女の子より私を優先して貰えて、喜んでしまった。

 でも、それらは全部、嘘の上に積み重ねた行為なのだ。

 砂で作った城のように、波にさらわれて崩れてしまう、脆い関係。

 

 だから、私は。

 

 

「先輩。今まで、ありがとう。

 本当の恋人でもないのに、こんなに大切にしてくれて。

 ……でも、もう止めよう。これ以上、こんな関係を続けるのは、不誠実だ」

 

 

 先輩の眼を見つめて、別れを告げる。

 私から始めた事は、私が終わらせるべきだから。

 たとえ、どんなに悲しい顔をされたとしても。

 一度、終わらせなければならない。

 

 

「……自分、は……」

 

「それから、もう一つ」

 

「え」

 

 

 返事に窮する先輩へと、また私は呼び掛けた。

 人差し指をクイクイっとすれば、なんの疑いもなく顔を寄せてくれる。

 それがなんだか、気弱な大型犬みたいで笑ってしまう。

 私は笑みを浮かべたまま、彼の両頬に手を添え。

 

 

「んっ」

 

「っ!? ん、むぅ?」

 

 

 ちょっと強引に、キスをする。

 触れた瞬間、先輩が硬直するのが分かった。しかし、唇そのものは意外なほど柔らかい。

 やってしまった。ついに、決定的な行為を。

 でも、これほどの多幸感が湧き上がるとは予想外だった。

 ただ唇が触れ合っているだけなのに、その感触と体温が、心を溶かしてしまうようで。

 これは、気持ちいい。沙織が夢中になる訳だ。

 

 だが、いつまでもキスしていては、肝心な事を言えない。

 名残惜しい気持ちを抑え、私は唇を離す。

 それから、呆然としたままの先輩へ、新しく始めるための言葉を伝える。

 

 

「私も、先輩が好きだ。だから、私の恋人になって欲しい。今度は、本当の恋人に」

 

 

 虫のいい話だと思う。けど、これが私の本心だった。

 全ては嘘から始まったが、しかし、嘘から出た誠という言葉だってある。

 私は、この想いを嘘のままにしたくない。

 体がデカくて、仏頂面で、お人好しで、甘いもの好きで。

 どうしようもなく優しい先輩と、これからも一緒に居たいのだ。

 もちろん、彼がそれを許してくれるなら、という大前提が必要なのだが。

 結構……かなり……だ、大分? 無茶な事をしてしまったし、愛想を尽かされても仕方ない。

 その時はその時で、諦めよう。諦めきれるか自信はないけど、覚悟だけはしておこう。

 私は粛々と、先輩の返事を待つ。

 

 

「………………」

 

「先輩?」

 

「………………」

 

「……ぉ、おーい。もしもーし?」

 

「………………」

 

 

 ……待っているのに、一向に返事がない。

 キスした時のまま、まるで石化でもしたように、身じろぎ一つしていなかった。

 もしや、呼吸するのも忘れているのでは? と思いたくなる有様だ。

 心配になって、私は先輩の顔を下から覗き込み──

 

 

「ブホァ!!」

 

「だぁあっ!? は、鼻血っ!?」

 

 

 ──突如として噴出した鮮血を、間一髪で回避した。

 あ、危なかった……。あんな至近距離で鼻血を食らったら、制服が駄目になるところだ。

 って、そんなこと気にしてる場合じゃない! もんどり打って倒れた先輩を助けなければ!

 

 

「おい先輩っ、しっかりし……ろ……?」

 

 

 慌てて駆け寄り、先輩の頭を抱え上げるのだが、その顔は、かつてない程に緩んでいた。

 鼻血を垂れ流しつつ、誰がどう見ても幸せそうな表情を浮かべながら、気持ち良さそうに気絶している。

 

 

「そんなに、嬉しかったのか」

 

 

 とりあえず膝枕の体勢に移行し、丸めたティッシュを先輩の鼻に詰め込み、私は呟く。

 返事は聞けなかったが、これは了承と受け取って良い……んだろうか。

 ファーストキスだったし、出来ればOKだと考えたいけれど、独り善がりに結論を出しては駄目だ。気がつくまで持ち越しだな。

 もしOKだったなら、今度こそお婆に正式な挨拶をして、嘘をついていた事も正直に謝ろう。沙織達に紹介する必要もあるな。

 まぁとにかく、この私を本気にさせたんだ。先輩にも覚悟して貰わねば。

 

 

「しかし、どうしたものか……。私一人で運ぶには、重過ぎるしな……」

 

 

 誤解を解く事が出来たのは良いとして、これからの事を考え、私は途方に暮れてしまう。

 防止柵の向こうに見える海は、沈みかける夕陽を抱いていた。

 学園艦は常に節電を余儀なくされているから、まだ西陽が差し込むこの中甲板も、じき真っ暗になる。

 携帯の電波も相変わらず入らないし、助けを呼びに行こうには、先輩を放り出さなければならない。それはちょっと可哀想だ。

 

 

「早く起きてくれ、先輩。……風邪をひくぞ」

 

 

 指通りの良い、先輩の髪を梳きながら、反対の手で血塗れの口元を拭く。乾いてからじゃティッシュで取れなくなるし。

 でも、自分の膝の上で、好いた男が眠っているという状況は、思いのほか心地良くて。

 もう少しだけ、こうしていたいと。矛盾した気持ちも湧いてくる。

 沙織を馬鹿に出来ないな。私も意外と“女”だったらしい。

 

 朱に染まる世界は、私と先輩の二人きり。

 潮騒を近くに感じつつ、心の中で私は願う。

 彼が目覚めた時。

 二人の関係が、嘘から始まった、本当の気持ちで結ばれている事を。

 

 

 

 将来的に、子供はサッカーチームが作れるくらい欲しいな。

 早いとこ孫の顔も見せてやりたいし、頑張ってくれ。未来の旦那さん?

 

 

 






 連絡が途絶えたのを心配してやって来たライカとダンチョーの反応
「麻子さん凄ぇ、先輩からキル判定取っちゃったよ……。しかし重い……」
「高校生蛇道最強選手も、女の子には弱いんだな……。けど鼻血塗れは勘弁して欲しいわ……」



 ごめんなさい! 大変遅くなり申した! 言い訳のしようも御座いませーん!(スライディング土下座)
 以上で、冷泉麻子編は完結となります。久々にぶちゅーっと行きました。
 かなり大胆な行動(飛び降りとか含む)をさせてしまいましたが、三話冒頭で四号を避けるんじゃなく、その上に飛び乗るという無茶をした彼女なら、可能性が無きにしも非ずんば? それだけ余裕をなくしていた、という事で一つ。

 それと、もうお分かりでしょうが、辻助け先輩はキャプテンのお兄さん。磯辺兄です。
 でも血は繋がっておらず、子連れの片親同士が再婚して兄妹になりました。
 磯辺の苗字はキャプテンのお父さんの苗字で、先輩の方である母方の苗字は秘密。
 設定資料集では義理か血縁かはキチッと書かれてなかったですし、こんなんもアリかなーと。
 妹が増えるよ! やったね麻子ちゃん! ほら、体型とかソックリだし!

 さてさて。次回はいよいよ原作主人公、西住みほ編のスタートとなります。
 例によって更新次期は不確定になってしまいますが、絶対に年内には完結させますので、首をキリンさんにしてお待ち下さいませ。
 では、失礼致します。

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