「おむにばす!」   作:七音

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最終話「入水します!」

 

 

「はぁー、今日も疲れたねー。アイスでも食べてく?」

 

 

 夕暮れの通学路を歩きながら、ぐうっ、と背伸びをして、私は皆に呼びかける。

 それに答えるのは勿論、あんこうチームのメンバー達――麻子、華、ゆかりん、みぽりんです。

 

 

「またか。ここのところ毎日だな。私は構わんが……」

 

「わたくしも大丈夫です。疲れた時には、やはり甘いものが一番ですわ」

 

「ですね~。そういえば、今日から新作が出るんでしたっけ? 確か今度は、パッションフルーツ&マンゴーのさつま芋フレーバーだとか」

 

「どこまで行ってもさつま芋から離れられないんだね……」

 

「やっぱり名産だからかな。それに、今度の会場って北の方なんでしょ? だったら、寒くなる前に思いっきり食べておかなきゃ!」

 

 

 戦車道の訓練終わり。そんな事を話しながら、私達は家路を歩く。

 公式試合の開催会場はルーレットで決定されるんだけど、今回の会場はなんと、雪の降りしきる寒冷地。北緯五十度を越えるみたい。

 そんな所へ行ったら、どんなに美味しいアイスでも食べたくなくなっちゃう。今の内に思う存分、味わっておかねば。

 

 

「しかし、コタツに入りながら食べるアイスもオツな物だと思うんだが」

 

「あぁっ、分かります冷泉殿っ! 半纏を着てコタツに潜りながら食べるアイスって最っ高ですよねっ! コタツの上にあるミカン並みの誘惑ですっ!」

 

「おこたでアイスかぁ。私やった事ないや」

 

「わたくしもです。ちょっと憧れてしまいますね」

 

「憧れるような事かなぁ」

 

 

 頬に手を当て、ゆったりそう言う華に、私は苦笑い。

 やっぱり、お嬢様育ちだと感性が違うというか、何というか。まぁ、お嬢様だからこそ、そんなだらしない事は出来なかったのかも。

 あ、そう言えば、みぽりんもお嬢様、なのかな? 西住流の宗家なんだし。

 うーん、礼儀作法に厳しそう……。一般家庭に生まれてよかったぁ……。

 

 

「それはともかく、次の相手はプラウダかー。なんか、ロシアっぽい学園艦なんだっけ」

 

「はい。使用してくる車輌もロシア――いいえ、ソヴィエト製がほとんどの筈です。正直、ここまで来ると、如何ともし難い性能差が出てきますね……」

 

「使用できる台数も多くなってるから、会場の環境も含めて、多分、今までで一番厳しい戦いになるかも……」

 

 

 みぽりんとゆかりんは、難しい顔で唸っている。

 この二人がここまで言うって事は、本当に難しい相手なんだ……。

 ちょっと不安かも……。

 

 

「……ううん、でも大丈夫だよ! なんせこっちには、戦車道を始めたばかりの私達を準決勝まで引っ張り上げてくれたみぽりんが居るんだもん! 今回もきっと勝てるよっ!」

 

「そ、そんな……私一人じゃ、とてもここまでは来られなかったよ。皆が努力して、力を貸してくれたおかげ、だから……」

 

 

 恥ずかしそうに、みぽりんは体を小さくしてしまった。

 くぅー、相変わらず反応が乙女ですなー。思わず抱き締めたくなっちゃう。

 

 

「謙遜する事はありませんよ! 西住殿が居られなければ、私達は絶対に一回戦で敗退してました!」

 

「自信満々に言う事じゃないがな。……まぁ、私もそう思う」

 

「はい。もっと誇って下さい、みほさん」

 

「あ、ぅう、ありがとう、みんな……」

 

 

 百合百合しい事を内心で思っていた私に残る三人が続き、みぽりんは恥ずかしさに溶けてしまいそう。

 はぁ~、やっぱ初々しくて可愛い~。こんな子が妹だったら堪んないだろうな~。

 あ、そうだそうだ、お姉さん居るんだっけ。麻子のお婆ちゃんが倒れた時にはヘリも飛ばしてくれたし、格好良くて、良いお姉さんかも。無口でなに考えてるか分かんないし、隣に嫌味な人は居たけど。

 ん~……でも、今度また会えた時には、もう一度お礼を言わなきゃ。助かったのは事実なんだし。

 まぁ、今はそれも置いといて。

 

 

「アンツィオの時みたいに、今回もパパッと片付けちゃおうよ! 一回戦の頃に比べたら、私達もかなり成長したんだし、きっと勝てるっ! 信じようっ!」

 

「ですねっ。それにいざとなればサンダースの時みたいに、私とライカ殿で潜入捜査を敢行いたしますからっ。

 といっても、無届けの外部協力者同行はかなり危ない橋だったみたいですし、この前みたいな取引材料もなさそうですから、下準備くらいしか手伝って貰えなさそうですが……」

 

「……え、ちょ!? だ、駄目だよっ! スパイ行為が認められてても、捕まったら色々と面倒なんでしょ? 女の子なんだから、危ない事はしちゃ駄目っ。

 ゆかりん可愛いから、捕まったら最後、向こうの学園艦に居る男子達に、とても口では言えないあんな事やそんな事を……」

 

「んぇ?」

 

 

 え、あれ、なに言ってるんだろう。

 情報収集は試合のためにも重要な事なのに、私はゆかりんの言葉を遮ってた。

 ……ううん、危ないのは事実だもん。他意はない、よ? ……ほ、本当だよ? さおりん嘘つかないっ! って私はインディアンかっ!

 だなんて脳内セルフボケツッコミをしていたら、ゆかりんは冗談めかして言葉を繋げる。

 

 

「あぁ、心配せずとも大丈夫ですよ~。ライカ殿は私に興味ないでしょうから~。それに、あのバレるかバレないかの瀬戸際を行ったり来たりするスリル……堪りません!

 後、調べて分かった事なんですが、スパイ活動を通して交流を始める選手達も結構多いみたいですよ?

 事実、私はケイ殿達とメールさせて頂いてますし、ライカ殿もナオミ殿とかとメールしているみたいですから。意外とファンシーなデコメが送られてきてビックリだって、前に――」

 

「 ナ オ ミ っ て だ ぁ れ ? 」

 

「ひぃ」

 

 

 ――のだけれど、その中に聞き捨てならない事柄を見つけ、ゆかりんの肩をガッシと掴む。笑顔を浮かべる私からの質問に、何故か彼女は悲鳴を上げていた。

 むぅ、失礼しちゃうなぁ。こんなに優しく聞いてるのにぃ。ちょおっと教えて欲しいだけじゃなぁい?

 さぁ吐け。

 すぐ吐け。

 とっとと吐け。

 さもないと口では言えないあんな事やそんな事をして色んな物をナイアガラ・フォールさせるぞ。

 

 

「お、落ち着いて下さい、武部殿ぉ……あの、肩、肩がぁぁ……。

 あっ、こ、こんな話をご存知ですか? ロシア料理のボルシチってあるじゃありませんか?

 通な方は、隠し味に味噌とココアパウダーを混ぜるんだそうで――」

 

「 そ ん な 事 は 聞 い て な い よ ? 」

 

「ひぃぃっぃっぃいっぃぃぃやぁあぁ、ああぁっぁぁあぁのぉおぉぉ、ササッササササ、サンダースで、フッフフッフフ、ファイアフライに乗っていらした方で……」

 

「ふぅん」

 

「せ、潜入がバレた時、実は追撃部隊が送られていたんですが、ラ、ライカ殿が騒ぎを起こして、食い止めてくれまして……」

 

「へぇえ」

 

「その部隊を率いていたのが、ナオミ副隊長殿で……。一戦交えた結果、何だか友情が芽生えたようなんです……」

 

「そぉう」

 

 

 ライカったらぁ、そぉんな事をしてたんだぁ……。

 私に内緒でぇ、サンダースの副隊長さんとメールしてたんだぁ……。

 そっかそっかぁ、思い出したぁ。通りで聞き覚えがあると思ったんだぁ。

 ふぅん、へぇえ、そぉうなぁんだぁ。あのショートカットの女かぁ……。

 

 ふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふ。

 

 

「あぁぁあぁあの痛いです怖いです武部殿ぉ! あっ!? 今、肩が《ミシッ》て言いましたぁ!!」

 

「……はぁ。おい沙織、いい加減に《にゃお~ん、にゃお~ん、にゃお~ん》……ん?」

 

「あれ? 麻子、メール?」

 

「はぁあぁうぅうぅぅ」

 

 

 可愛らしい猫の鳴き声が響き、私はフ○ースの暗黒面から呼び戻された。この着信音は、麻子の携帯だね。

 その隙にゆかりんは拘束から逃れ、ふらふらと華のふくよかな胸に、ぽゆん、と倒れこむ。

 

 

「こ、怖かった、怖かったですよぅ、西住殿ぉ、五十鈴殿ぉお……」

 

「まぁまぁ、大丈夫ですか?」

 

「よしよし、怖かったねぇ、よく頑張ったねぇ、優花里さん」

 

 

 う、わ、悪い事しちゃったかな……? ゆかりん、マジ泣きしてる。ゴメンね、アイス奢るから許してね?

 ………………うん、それもこれもライカのせいだ。全部あいつのせいだ。

 だから今度、ドーナツでも奢らせよう。そうしよう。

 

 

「……ふむ。噂をすれば、か」

 

「ん? どうしたの麻子?」

 

「いや、ちょっと急用が出来た。アイスはまた今度だ」

 

「急用って……まさか、またお婆ちゃんがっ!?」

 

「違う、お婆とは別件。でも、大事な用。じゃ、これで」

 

「あ、うん……」

 

 

 くるり。振り返りって、麻子は迷いなき足取りで道を戻る。どうやら、本当にお婆ちゃんは平気みたい。

 でも、大事な用ってなんだろう? 麻子があんな言い方をするなんて珍しい……。なんか気になるなぁ……?

 そんな事を思いながら小さな背中を見送っていると、復活したゆかりんが「そう言えば」と口を開く。

 

 

「今日と昨日と、その前も。ライカ殿の顔を見てませんね。週末でもないのに三日も空くなんて、どうしたんでしょう」

 

「あ、そう言えばそうだね。ライカ君、また合宿かな。沙織さん、何か知ってる?」

 

「え? 何で私に聞くの?」

 

「え、だって……ね? 華さん?」

 

「はい。ここは、沙織さんに聞くのが一番だと思います」

 

「うっ」

 

 

 三人の視線が集中し、思わず後ずさる。

 な、なによ、皆して。別に、私はあいつの全てを把握しているってわけじゃ……。

 それに、今回は本当に何も知らないし……。

 

 

「私も、ちょっと分かんない……。でも、メールとかはちゃんと返って来るし、単に都合が悪かったんじゃない?」

 

「そうですか~。とりあえず、メールが出来るって事は、怪我や病気や陰謀じゃなさそうですね」

 

「陰謀って、それは流石にないんじゃないかな……」

 

「あ、だけど……」

 

「……? 何か、気になる事がお在りなんですか?」

 

「うーん……」

 

 

 気になると言うか、普段と違うと言うか……。

 ちょっとした変化なんだけど、でも、変化であることには変わりないし……。

 

 

「……最近、メールの中にある、私に向けた『好きです』って単語が少なくなってる気がするんだよね。いつもなら一通の中に二~三個はあったのに、ここの所、一通に一つか二つだし」

 

「何だか胸焼けしてきました……」

 

「とても渋い緑茶が欲しいですわ……」

 

「私も、今ならピーマン食べられそう……」

 

「な、なによぉっ、皆が聞いてきたんでしょっ?」

 

 

 顔を突き合わせて、三人で丸くなる彼女達。

 わ、私だって、好きで話したわけじゃないのに……。

 なんか寂しいなって思っただけで、結構、言うの恥ずかしかったのに……。

 

 

「ひゃうっ」

 

 

 ――と、不意に冷気を孕んだ風が吹きぬけ、その寒さに、私は身を竦める。

 

 

「う~、なんか寒くなって来たね~。やっぱり、私達もアイスはやめとこっか?」

 

「そうしましょうか? おなか冷えちゃいますもんね~」

 

「もう学園艦も移動を始めていますから、これからはもっと気温も低くなるんですよね」

 

「うーん、寒いのはちょっと困っちゃうなぁ。エンジンも掛かりにくくなっちゃうし……。小山さんにお願いして、防寒具とかも用意して貰わないと……」

 

 

 華の言葉に、みぽりんは自分の顎に人差し指を当て、空を見上げる。

 防寒具かぁ。手袋、マフラー、イヤーマフ、セーター……色々あるけど、どうしよう。

 女子としては、寒さに負けてズボンに穿き替えるなんてナンセンスだし、でも、寒いのはやっぱり嫌だし……。

 毛糸のパンツでも穿こうかな? 結構あったかいんだよね~、あれ。

 うぅ~、想像してたらますます寒くなって来ちゃった。

 

 

「こう風が強いと、肌荒れにも気を付けなくちゃ。乙女の肌は傷つき易いんだから………………あれ?」

 

 

 寒さに手を擦り合わせ、ある物を取り出そうとポシェットを探ったけれど、そこにある筈の小さな感触が見当たらず、私は焦り出す。

 ない、ない、ないっ。

 お、おかしいな、ちゃんと入れておいた筈なのにっ。

 

 

「どうしたの、沙織さん」

 

「わ、私のリップがないのっ」

 

「リップって、ライカ殿から頂いたという、アレですか?」

 

「う、うん……」

 

 

 あの日――お弁当を一緒に食べた日に、アンツィオ戦の戦勝祝いとしてライカから貰ったプレゼント。薄いピンク色の、いい匂いがするリップ。

 あいつは、「金欠でこんな物しか用意できなくて、すみません」なんて謝っていたけど、値段なんて関係ない。私は、嬉しかった。

 なのに、それを忘れて来ちゃうなんて……あぁっ、私のばか! うっかり! ドジっ子! おちゃめさん!

 ……最後のは余計だね。うん、調子に乗りました。

 

 

「多分、戦車の中に置いて来てしまったのではないしょうか? 沙織さん、使いもしないのに訓練中にも取り出して、よく眺めていましたし」

 

「……え? 私、そんな事してたの?」

 

「……無意識だったんですか?」

 

「……重症だね」

 

「手遅れですね~」

 

 

 またもこちらを見つめ、三人は苦笑いを浮かべていた。

 ……な、なんだろう、この、えもいわれぬ、むず痒さ。

 それに耐え切れなくなった私は、学校への道を戻るため、弾かれるように彼女達へ背を向ける。

 

 

「わ、私、ちょっと学校戻って探して来るね! 先に帰ってて良いから!」

 

「了解でありますっ」

 

「うん。またね、沙織さん」

 

「では、また明日」

 

「ごめんねー! またねー!」

 

 

 後ろ手に手を振りながら別れの言葉を交わし、通学路を逆走。学校へと急ぐ。

 はぁあ、一日に二回も学校に通うハメになるとは。ちょっと憂鬱。

 でも、未使用だから置きっ放しにしたら誰かに盗られちゃうかも知れないし、今日の内に確保しなきゃ。

 

 

「……あれ? 麻子……?」

 

 

 ――と、決意を新たに早足で歩いていたら、前方に見慣れた後姿が。見れば、彼女も学校の方へ向かっているみたいだった。

 なんで麻子もこの道を……? 何か用事があったはずじゃあ……? もしかして、学校に用事? まさか……。

 

 

「んっふっふ……」

 

 

 にやり、私はほくそ笑む。

 まさかついに、麻子にも男の影がっ? メールで校舎裏に呼び出されて、夕暮れの中で告白とかっ?

 いや~、やりますな? な? な?

 

 

「なぁんて、んなわけないか」

 

 

 わざわざ女子高に呼び出す男子が居るわけないよね。そんな事したら、入ろうとした時点で普通に止められるか捕まるもん。……うん、普通は。

 はぁー、つまんないなぁー。もしそうなら、一部始終を動画撮影してジュースのつまみに出来たのに。

 だがしかしっ! 何の用事かは気になるし、このまま尾行を続けようと思います。

 ぬっふっふぅ、こんな事もあろうかと、実は密かに、ライカからハイディングスキルを習っていたのですよ。

 暇つぶしに基礎を教えて貰っただけだし、あいつ並とはいかないけど、それなりに気配は消せる。

 麻子にだったら、最後まで気づかれない自信がありますっ!

 

 

(今の私は華麗なる女スパイ! 誰にも気づかれずに目的の情報を入手して、痕跡も残さず立ち去るプロよ!)

 

 

 なぁんて事を考えながら、麻子の後方数十メートルに張り付き、私はその動向を見守る。

 やっぱり、目的地は大洗女子みたいだった。

 でも、下校時間はとっくに過ぎてるし、校門も閉まっちゃってる。麻子、どうするん――

 

 

(あぁあっ!)

 

 

 ――だろう、と思っているうちに、彼女はその小さな体で校門をよじ登っていた。

 あぁぁ、ネコさんが、ネコさんがぁ! 確かに周りには誰も居ないけど、もうちょっと気を遣いなさいってばぁ!

 っていうか、女子高生なんだからもうちょっと色気のある物を……!

 あ、麻子が行っちゃう、追わなきゃっ!

 

 

「右よし、左よし、後方よしっ! とうっ!」

 

 

 安全確認をしてから、私も校門を乗り越え、遠ざかる背中を追いかける。

 けれど、校舎の方へ向かうとの予想を、彼女は裏切った。

 

 

(……格納庫? なんで……?)

 

 

 麻子の向かった先は、私も大事な用がある場所。戦車道で使う格納庫だった。

 出て来る時には完全に閉めたはずの扉が、人が一人通れるくらいに開いていて、彼女はその隙間に身を滑らせる。

 

 

(なんだろう、胸が、ザワザワする。変な、感じ)

 

 

 ううん、気のせい、だよ。尾行なんてしてるから、少し気が咎めてるだけ。

 ちょっとだけ覗いたら、もう帰ろう。リップは明日の朝練の時に回収すればいいんだし。

 そう考え直し、扉の影に身を隠し、中を覗きこむと――

 

 

 

 

 

(……え)

 

 

 

 

 

 ちくん。

 

 

「待たせたか」

 

「――え、わ――ざお――立てして、――――ん」

 

 

 そこには、神妙な顔をして向かい合う、見知った二人が居た。

 ……なんで? なんで、あいつがここに? それに、待たせたかって……。

 麻子のメールの相手って、ライカだったの? 大事な用って、彼との、待ち合わせ……?

 

 

「――、――、――」

 

「――、――、――」

 

 

 混乱するこちらを余所に、二人は静かに会話を始める。

 けれど、それはあまりに静か過ぎて、集中力を欠いている私の耳には、届かない。

 何を、話してるの……何で、こんな、二人っきりで……。

 

 ちくん。ちくん。

 

 

「――、――、――」

 

「――、――、――」

 

 

 胸が、痛い。

 麻子に話しかけるあいつの表情は、見たことのない不安の色に染められていた。

 それを見つめる麻子は、いつも通りの無表情に見えて――

 

 

(あっ)

 

 

 ――けれど、不意にライカへ近づいた麻子は、彼の頬を張る。

 パンッと乾いた音が響き、唖然とするライカ。

 

 

「――、――、――!」

 

 

 何か、麻子が大きな声を上げている。

 彼女にしては珍しい――ううん、滅多に見れないその行動は、私とライカの目を釘付けに。

 そして、直後――

 

 

「――、――、――」

 

 

 ――柔らかい笑みを浮かべ、麻子は、彼の頭を優しく撫でる。

 ライカは、一瞬、泣きそうになり、それを覆い隠すように朗らかな笑みを、彼女に返す。

 

 ちくん。ちくん。ちくん。

 

 息が、苦しい。

 さっきよりも近くなっている二人の距離。

 幼馴染の私すら見た事のない、女の子の表情をしている麻子。チームの皆の前でだって、滅多に笑ったり、しないのに。

 そして同じく、私の前では見せてくれなかった、安心しきった顔を、彼女に見せるライカ。

 ……苦しい。

 二人が、こちらに向かって歩いて来ているのに、全く身動きが出来ないくらい、苦しい。

 

 

「――、いい――すか? お――か――――も――」

 

「ああ。――――長い付き合い――るんだ。私の――麻子――――べ。特別――す」

 

「――あり――うご――す、麻子さん。で――ま――武部――と――――関係に――て――」

 

 

 

 

 

 止めて、やめて、ヤメテ。

 

 なんで貴方が、”麻子なんか”を――

 

 

 

 

 

「……え……今、私、なんで……っあ」

 

「……っ!? さ、沙織っ!?」

 

「え、た、武部さんっ!?」

 

 

 私の喉から、音が漏れていた。

 こちらを射る二つの視線には、驚きと、後ろめたさと。

 

 ちくん。ちくん。ちくん。ちくん。

 

 

「あ、お、おい、沙織、これは……っ!」

 

 

 堪らず、逃げ出していた。

 

 

(なんで、なんで、なんで、なんで)

 

 

 なんで私は、逃げてるの。

 なんで私は、泣いてるの。

 なんで私は、麻子にあんな酷いことを思ったの。

 なんで、私は……。

 

 

(あぁ、そっか……)

 

 

 私は、麻子に嫉妬して。

 私が見たことのないあいつを、一番に見れたあの子が、羨ましくて。

 ……いやだ、こんな私。

 麻子は、大切な幼馴染なのに。それなのに、あんな事を思っちゃった。

 私、嫌な子になっちゃった。

 

 知らなければ良かった。

 気付かなければ良かった。

 こんな、汚い気持ち。

 

 

「――――――さぁあんっ!」

 

「……え」

 

 

 微かに、声が聞こえた気がした。

 ドクンッ、と心臓が跳ねる。

 勘違いだと思いたくて、でも、確認せずにはいられなくて、恐る恐る、後ろを振り向けば――

 

 

 

 

 

「とぅわぁぁあああくぇぇえええぶぇぇえええすわぁぁぁあああああんんんんんっっっ!!!!!!」

 

「きゃぁぁあああぁぁぁぁああぁあっっっ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 ――これでもか、っていうくらいに必死な形相で追いかけて来る、ライカが居た。

 というか怖いっ! 普通に怖いっ! ものすっごく怖いっ!

 

 

「いやぁぁあああっ!? お、犯されるぅぅうううっ!?」

 

「ちょ!? 人聞きの悪いこと言わんで下さいっ! 今日は許可貰えてないんですからぁ!!」

 

「知らないわよそんなのぉ!」

 

 

 元々、限界ギリギリの速度だったけど、追いかけられると何故か更に脚は加速してしまい、がむしゃらにあいつから逃げ続ける。

 そんな私を追いかけながら、ライカはまた言い訳を口走っていた。

 

 

「とにかく俺の話を聞いて下さいっ! 誤解なんですっ!」

 

「いやっ! 聞きたくないっ! そんなに話したいなら麻子と話せばいいじゃないっ!」

 

「はぁ!? なんでそこで冷泉さんが出てくるんですかっ!?」

 

「なによ白々しいっ! 麻子の事、『麻子さん』って呼んでたくせにっ!」

 

「……あ」

 

 

 今気付いた、というような声。

 なによそれ……。意識しないくらい自然に呼んでたってこと?

 他の誰の事も、名前で呼んだことはなかったのに……っ!

 

 

「もう追いかけてこないでっ! ライカのばかぁ!!」

 

「いや、やっぱり誤解ですってばぁ! 武部さんっ!」

 

 

 拒絶の言葉に、だけどあいつは諦めない。

 そして、誰も居なくなった校舎を、私達は駆け巡る。

 けれど、普段から野山を踏破している彼の脚はとても速く、段々と先回りされるようになって――

 

 

「武部さんっ!」

 

 

 廊下の窓から――

 

 

「武部さぁんっ!」

 

 

 教室のドアから――

 

 

「武部さぁああんっ!!」

 

「ちょっ、そこ女子トイレだよっ!?」

 

「あ、こりゃ失敬」

 

 

 果ては女子トイレから(よく考えたら教員用以外全部そうだった)顔を出す野生児に、私はついに追い詰められ――

 

 

「はぁ……はぁ……っは……ひぃい」

 

 

 とうとう学校の敷地内を抜け、とある池の前――カバさんチームの乗る、Ⅲ号突撃砲F型が沈んでいた池の前で、私の脚は止まってしまった。

 こ、こんなに走ったの、ひ、久し、ぶり、いぃ……。

 は、肺が痛い、脇っ腹が痛い、の、喉がぁあぁ……。

 

 

「やっと捕まえましたよ、武部さん」

 

「……っ……、……!」

 

 

 崩れ落ちそうになった体を、逞しい腕が捕まえる。

 ……な、なんで、あんたは息一つ乱してないのよぉ……ふこうへーい……ひきょうものー……。

 って言ってやりたいのに、渇いた喉では声を発する事も叶わない。

 うぁあー。

 

 

「えぇと、大丈夫ですか? スポーツドリンク、飲みます? 俺の――あっ」

 

「っ! んぐ、んっく、んくっ」

 

 

 そんな様子を心配したのか、ライカはどこからともなく水色のペットボトルを取り出し、私はそれを引っ手繰るみたいにして口を付ける。

 あぁ! これぞ天の恵みっ! 体にミネラルが染み渡るっ! これが無かったら池の水を飲んでたかもっ! 助かったぁ――

 

 

「……ん~、と……それ、俺の飲みかけ、なんですけど」

 

「こっふぁ!?」

 

「あ、虹」

 

 

 ――って思ってたらあんたはぁああっ! 私のセカンド間接キッスぅぅうううっ!

 ん? よく考えたらセカンドじゃないや。何回目だろ?

 いやいやいやそんなのどうでもいいってばぁ!

 

 

「あ~、まぁ、とにかく、落ち着きました?」

 

「ケホッ、ケホッ……あ、貴方ねぇ、もうちょっと気を遣ってよぉ!? あんなタイミングで差し出されたら飲んじゃうじゃないっ! せめて買ってくるとか……!」

 

「すみません……。でも、離れたらその間に池の水でも飲みそうな気がしたので……」

 

「うぐっ」

 

 

 言いながら、ライカは私の背を撫でる。

 その感触は嬉しくて、でも、伝わる優しさが辛くて――

 

 

「落ち着いたんでしたら、まずは俺の話を――」

 

「やだ。聞きたくない」

 

「何でですかっ!? 話さなきゃ何も分からな――」

 

「分からなくて良かった!」

 

 

 ――私は、彼の言葉を遮る。

 知らず、大きな声を上げていた。

 髪を振り乱し、睨みつけていた。

 

 

「こんな気持ちなら分からない方が良かった! 知らない方のが良かった!

 貴方が麻子と二人っきりで話してるだけで、こんなに胸が痛くて……ほんのちょっとだけど、私、麻子に酷いこと思っちゃった!

 こんな嫌な気持ち、知りたくなかった……。こんな私、私は、嫌い……っ」

 

「……武部、さん」

 

「わた、し、これ以上、嫌な子に、っ、なりたくない……。

 こんな私を、知られたく、ない……っ。

 だから、何も、話したくない……。何も、聞きたくないのぉ……」

 

 

 涙が、止まらない。きっと、顔もグチャグチャ。

 こんな時でも、それは見られたくなくて、両手で覆い隠す。

 それでもライカは話すのを止めてくれないみたいで、気配がまた近づいて来る。

 

 

「やっぱり、聞いて下さい」

 

「やだって……すんっ……言ってるでしょぉ……もう、放っておいて――」

 

「いいから聞けっ!」

 

「あっ」

 

 

 頑なな私の肩を掴み、彼は強引に向かい合わせる。

 普段は温厚な言葉遣いが荒く、思考に空白が生まれた。

 その隙間へ、静けさを取り戻した声が入り込む。

 

 

「俺が冷泉さんを呼び出したのは……。武部さんの事を、相談したかったからです」

 

「私の、こと……?」

 

「……はい。武部さんが俺を受け入れてくれないのは、やっぱり、俺が悪いんじゃないか。

 武部さんは優しいから、本当は嫌なのに、無理して俺の相手をしてくれてるんじゃないかって。

 最近、ちょっと不安になっちゃいまして」

 

「そ、そんなことっ!」

 

 

 麻子に見せたのと同じ、不安に満ちた暗い表情に、思わず縋り付く。

 そんな事、ない。あるはずがない。私は、無理なんかしてなかった。

 ビックリする事ばかりで、いつもドキドキさせられて、だけど……楽しかった。

 楽しかったから、私は……。

 

 

「はい。今なら分かりますけど、でも、やっぱり不安だったんです。

 どんなに好きだって言っても、言葉では返してくれなかったし」

 

「……ごめん、なさい……」

 

「いえ、良いんです。俺が勝手に挫けそうになってただけなんですから」

 

「でもっ」

 

「……。それで、冷泉さんにも発破を掛けられたんですよ。

 お前が弱気になってどうする。お前が自分の気持ちを信じなくてどうする。

 お前になら、大切な親友を任せても良いと思ってたのに……って、そんな風に」

 

「麻子、が、そんな事を……?」

 

 

 普段の彼女に似つかわしくない、熱を感じる言葉。それが信じられなくて、私は目を丸くする。

 麻子は、こいつの事を応援してくれてた……? っていうことは、私の事も……?

 

 

「で、でも、長い付き合いになるとか、そんなこと言ってたじゃない。それに、名前……。あれは?」

 

「あぁ……。ガツンとやられて目が覚めて、諦めませんって宣言したらですね。

 沙織の恋人になるなら、自分にとっても大事な友達になるわけだし、長い付き合いになるだろうから、これからは麻子サマと呼べって。

 なんか、いちいち見せ付けられた腹いせだそうです。

 でも、そう呼ぶのは武部さんとそういう関係になって、ちゃんと許可を貰ってからって、一応は断ろうとしてたんですが」

 

「………………」

 

 

 麻子サマ? 「さん」じゃなくて「サマ」?

 なにこれ、全然ニュアンスが違う。

 確かに親しみは込められてるけど、ベクトルが微妙に違う。

 私の思っていた情景と、全然、違う。

 

 

「それってつまり、場の流れで呼びはしたけど、“そういう意味”じゃ、なかったって、こと?」

 

「はい、そうですけど」

 

「……私の、勘違い……?」

 

「って事に、なりますかね。多分」

 

「……そっか」

 

「……ですね」

 

 

 

 

 

 勘違い。

 ……そっか。

 勘違い、なんだ。

 ………………よし。

 

 

 

 

 

「武部沙織、入水します!」

 

「ってちょっとぉ!? ダメですってここ深いんですからぁ! 戦車も沈まっちゃうくらい深いですからぁ!!」

 

「いぃぃやぁぁああっ! お願い死なせてぇぇえええっ!!」

 

 

 はずかしいっ、恥ずかしいっ、HA・ZU・KA・SI・EEEEEE !!!!!!

 独り相撲もいいとこじゃないっ!? 勝手に勘違いして、勝手に暴走して、勝手に泣いて……。

 うわぁぁああああんんんっ!!!!!! やだもぉぉおおおっ!!!!!! 私ってホントばかぁぁあああっ!!!!!!

 

 

「だからダメですって……あ~、じゃあ、武部さんが死んだら俺も後追い自殺しますよっ! いいんですかっ!?」

 

 

 ぴたっ。

 

 

「これで止まるか……。自惚れて、良いんだよな……?」

 

 

 途端、大人しくなった私を、羽交い絞めから抱きすくめるようにしたライカは、自分で確かめるみたいに呟く。

 ……なによぉ、そんな言い方されたら、止まるしかないじゃない……。卑怯だよぉ……。

 

 

「嫉妬、してくれたんですよね。……冷泉さんに、武部さんが」

 

「……知らない、そんなの……」

 

「………………。色々とすっ飛ばしちゃいますけど。ちょっと、お願いがあります。……いい、ですか?」

 

「……聞くだけ、聞いてあげる」

 

「武部さんに、キス、したいです」

 

「っ!」

 

 

 不貞腐れていると、ライカはいきなりとんでもない事を言い放つ。

 キ、キッキッキキキキッキ、キスって!? キスってアレでしょ!?

 天ぷらにすると美味しい白身魚の方じゃなくて、マウス・トゥ・マウスの方でしょ!?

 そっそそっそっそそそそっそそ、そんな、いきなりぃ!?

 

 

「あ、もちろん口にはしませんよ? そっちの方は、きちんとそういう関係になってからで」

 

「え? ………………そ、そう。まぁ、ほっぺたとかなら、いいけど? 減るもんじゃないし?」

 

 

 え、いやいやいやいやいや、減るよ? 主に私のMP(まいっちんぐ・ポイント)が。

 あれ、私はなに言ってるの? 心の準備が出来てないよ?

 ほっぺにキスなんて、お父さんとお母さんくらいにしかされた事ないのに。

 ちょっと待って――

 

 

「じゃあ、行きます」

 

「ど、どどど、どんと来ぉいっ!」

 

 

 ――なんて思っている間に、彼は私を抱く腕を解き、再び向かい合う。

 今度は、優しく肩に手を置くだけ。

 軽く笑い、こちらを見下ろす顔は。その、顔は。

 

 ……っていうか来いじゃないってばぁ!?

 なんで私の口はさっきから言う事をきいてくれないのぉ!?

 あぅわぁわわわ、来る、来るっ、来ちゃうぅ!!

 

 

「好きです、武部さん」

 

「……っ」

 

 

 耳を言葉でくすぐられた後、《ちゅっ》と、音がした。

 左の頬に、一瞬、触れる唇。軽く吸われるような感覚。

 

 ……あ、れ? もう、終わり?

 な、なんだ、大した事ないじゃない。ほっぺたはやけに熱いけど、でも、それだけだし。

 もっとすっごい物なのかと――

 

 

「可愛いです」

 

「……へ」

 

 

 ――気を抜いていたら、今度は右の頬に《ちゅっ》。

 え、あれ、あれ、なんで二回目?

 

 

「綺麗です」

 

「あ、あの」

 

 

 《ちゅっ》《ちゅっ》。

 

 更に右に一回、そしてまた左へ。

 なに、これ。

 なにこれ、なにこれ。

 なにこれなにこれなにこれぇええぇぇえええぇ??????

 

 

「目、透き通ってます」

 

「え、あ、え」

 

 

 《ちゅっ》《ちゅっ》《ちゅっ》。

 

 ほっぺたから頬骨に、上りながらの三連続。

 超至近距離で合わさる視線。

 唇が触れるたび、ぴくん、ぴくん、と、体が勝手に反応してしまう。

 

 

「髪、いい匂いします」

 

「あ、ぅ、っ、う」

 

 

 《ちゅっ》《ちゅっ》《ちゅっ》《ちゅっ》。

 

 さらり、前髪をかき上げて、目尻と眉毛に、おでこに、鼻に。

 顔が、熱い。ううん、熱いって感じじゃない。

 溶ける。溶けてる。顔が溶けてる。

 それなのに、体は凍りついたみたいに動けない。

 拳を握って、口をへの字に曲げて、目をぎゅっと瞑って、膝が崩れ落ちないように耐えるのが精一杯。

 

 こんな、の……。

 

 

「肌、柔らかいです。癖に、なります」

 

「ひゃ、う、んっ、ゃ、あっ」

 

 

 《ちゅっ》《ちゅっ》《ちゅっ》《ちゅっ》《ちゅっ》。

 

 キスの、絨毯爆撃。

 もう私の顔に、あいつに触れられていない場所はもう無い。

 たったの一箇所だけを、除いて。

 

 こんなの……こんなの……。

 

 

「ちょ、ちょっと、お願い、ちょっと待って……」

 

「……はい?」

 

 

 咄嗟に彼の体を押し、少しだけ距離を取る。

 こちらを見るその瞳はぼうっとしていて、唇も半開き。

 熱でもあるのかと心配したくなる、どこか間抜けで、赤い顔。

 

 あぁ、やだ、もう。

 こんなの――

 

 

 

 

 

「す、すみません、調子に乗っちゃって……やっぱり、嫌だった――んむっ!?」

 

 

 

 

 

 ――こんなの、我慢できない。

 

 離れようとしていたのを、シャツを掴んで引っ張って、ぐっ、と爪先立ちをして、唇を重ねる。

 ……キスを、していた。

 

 どうしよう、しちゃった。私の方から、しちゃった。

 初めてのキスは、もっとロマンチックに、ムーディーな場所でしようって、子供の頃から決めてたのに。

 こんな成り行き任せで、しちゃった。

 

 ……なのに、なんでこんなに幸せなの?

 唇が触れ合ってるだけなのに、どうして、全身がゾクゾクするの?

 キスだけでこんなになるなんて、もっと凄い事したら、私、どうなっちゃうの?

 

 

「……ぁ……」

 

「………………武部、さん。今、の」

 

 

 それが怖くて、おずおずと唇が離れる。

 目を泳がせるライカの声は、やっぱりくすぐったくて、胸に顔を埋める事でそれから隠れた。

 彼は私の肩を、おっかなびっくり、といった感じで抱き、問い掛けてくる。

 

 

「OKって事で、良いんですよね」

 

「……ん」

 

「彼女に、恋人になって、くれるんですよね」

 

「……うん」

 

「……っ……武部さんっ!」

 

「わぷっ」

 

 

 微かに震える声へ何度か頷きを返していると、急に抱き締められてしまった。

 顔全体にライカの胸板が押し付けられ、その匂いを強く感じる。

 汗の匂い。彼の匂い。……嫌いに、なれない匂い。

 だけど、そう思ってしまった事が、恥ずかしくて――

 

 

「こ、こらっ、いきなり……っ、く、苦しぃ……っ」

 

「すみませんっ、でも、止まんないですっ。

 なんか、なんかもう、嬉しさが止まらなくて……。

 あぁ、もうっ! 武部さんが可愛くて、俺の人生はパラダイスで――」

 

「あ、それ嫌」

 

「――すわ゛っ!? な゛っ、えぇ゛っ!?」

 

 

 ――やられっ放しなのも悔しくて、満面の笑みを浮かべるライカに、ちょっと意地悪をしてみる。

 すると、私が予想したとおり、彼は大いに慌てふためき、目を大きく剥いていた。

 ふふ、ちょっといい気分。さまーみろー、なぁんて。

 

 

「え、えっ、何が嫌なんですかぁ!? 俺じゃやっぱりダメですかっ!? き、嫌いなとこがあるなら直しますからぁ!!」

 

「ううん、そうじゃなくって」

 

 

 今にも泣き出してしまいそうな、情けない声。……違うや、声だけじゃなくて、表情も。

 麻子に見せたのと同じようで、あの時以上にそうだと思える、素のライカ。

 でも、今の私にはそれすら可愛く見えて、眉毛を八の字に曲げる彼へ、笑いかける。

 

 

「私はもう、貴方の彼女なんだから。ちゃんと、沙織、って呼んでよ。……ばか」

 

「……あ」

 

 

 不意を突かれたような、ポカン、とした顔。

 慌てて身を起こし、落ち着こうとしているのか、何度も自分の頭や顎を撫でる。

 私はそれをじっと見つめ、望んだ言葉が耳に届くのを待つ。

 なんだか、変なの。さっきまではこっちがあんなに慌ててたのに、あっという間に逆になっちゃった。

 変、なの。

 

 

「えっと、あー、さ……沙織、さん……?」

 

「……うん」

 

 

 鼓膜を打つ音の波は、どこか不安そうだったけれど。

 静かに目を閉じて、その甘美な調べに心を泳がせる。

 さん付けか~。ちょっと残念だけど……でも、ライカらしい、よね?

 

 

「……っ……沙織さん。俺は、貴方の事が、好きです。……好きです! 大好きですっ!!」

 

 

 そして今度は、力強く、何かに宣言するように叫ぶ彼へ、私は。

 めい一杯の、精一杯の笑顔で、宣誓し返すのだった。

 

 

 

 

 

「うんっ! 私も、貴方の事がだ~い好きっ!!」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「ふん、ふん、ふふっふ~ん♪ おっはよ~……う……?」

 

 

 ざわ、ざわざわ……。

 

 清々しい朝。ルンルン気分で教室に足を踏み入れる私を出迎えたのは、クラスメイト達のざわめきだった。

 彼女達は一様に、こちらを見てはこそこそ話を繰り返している。

 な、なに? この空気。なんでいきなり注目の的? 彼氏が出来て女子力がレベルアップしたから、そのせい? ……の割りに、視線が全体的に生ぬるいというか、生暖かいというか……。

 居心地が悪くて、私は、教室の中央辺りにたむろしていた、あんこうチームのメンバーに歩み寄る。

 

 

「おはよー、皆。ねぇ、なんか他の子達の様子がおかし――」

 

「あ、沙織さんっ、おめでとう! 幸せになってね!」

 

「武部殿、おめでとうございます! いや~、お目出度いですね~。祝砲を撃てないのが残念ですっ!」

 

「おめでとう、沙織さん。心から祝福しますわ。後で、お祝いに花を生けさせて頂きますね」

 

「……ん」《ポチ、ポチ》

 

「――い?」

 

 

 ――のだけど、そんな私にかけられたのは、挨拶ではなく唐突な祝福の言葉達。

 麻子は携帯をいじりながら頷いただけだったけど。よく考えたら、この時間に教室に居るなんて凄く珍しい。というか、なんで二人共、朝からわざわざA組に来てるんだろう……?

 首を捻っていると、更に周囲からも、「おめでと~」とか、「いいな~」とか、クラスの皆の控えめな声が。

 え? なんぞこれ? そんなにおめでたい事なんてあったっけ? 確かに、朝は【私の彼】からのラブコールで起きられて嬉しかったけど、そんなの誰も知らないはずだし……。

 あと思い付くのなんて、昨日のアレしか……あ、いけない。舞い上がってすっかり忘れちゃってた。

 

 

「あ、あのね麻子。昨日は私、なんだか勘違いしちゃったみたいで……その……。ホントに、ごめん」

 

 

 言いながら、私は頭を下げる。

 本当は、言葉以上の意味も込められていたんだけど、この場でそれを説明しようとしたら、昨日のことも事細かく言わなくちゃいけないし、実際に言葉に出したわけでもないんだし、これで許して貰おう。

 ……許してくれる、よね?

 

 

「何の事か分からんが、気にするな。私は気にしてない」

 

「……本当?」

 

「ん」

 

「そっか」

 

 

 ちょっとだけ不安に思っていたけれど、麻子はいつも通りの無表情で、でも、こちらをまっすぐに見つめ返して、返事をくれる。

 それ以上は、互いに何も言わない。けど、これで通じ合えている気もした。なんてったって、幼馴染だもん。

 私の想いを裏付けるように、彼女はもう一度、大きく首を縦に振り――

 

 

「ああ、もちろん。決して、誤解させたのを悔やんで慣れない全力疾走したのに、当の二人はいつの間にか勝手にラブコメってたのを見せ付けられて遣る瀬無さを感じたりはしていないし、ライカからはすぐにフォローがあったのに、今の今までなんの連絡もなく忘れ去られていた事にも、特に思う所はない。後でケーキ奢れば許してやる。バイキングのでいい」

 

「めっちゃくちゃ根に持ってるじゃないっ!? っていうか見てたのぉ!?」

 

 

 ――昨日に引き続いて、見事に裏切ってくれた。

 よく考えたら、あの状況で気にならない方がおかしいよね……。でも、忘れちゃってたのは悪かったけど、色々あって忙しかったのよぅ!

 寮まで送ってくれるって言うライカと手を繋いで帰ったり、別れ際にもう一回、今度はライカの方から……してくれたり、ベッドの上でごろんごろん悶えてたら隣の部屋の子に「うるさぁい!」って怒られたり、電話でお母さんに彼氏が出来たって報告したり、妹が信じてくれなかったり、それを聞いたらしいお父さんが荒ぶったりぃ!

 変な叫び声と一緒に切れちゃうし、それっきり誰も出なくなっちゃうし、もう気が気じゃなかったんだからぁ……。

 

 あ、ちなみに割とすぐに繋がって、事情を聞いたらなんと! お父さんったらゴルフクラブ担いで「ちょっと害虫駆除に行って来る」なんて言いながら、あの時の麻子みたいに泳いで学園艦へ乗り込もうとしてたんだよ!? もうビックリ!

 それに、お母さんに怒られて落ち込んでるのを慰めるのに時間が掛かって、本当に大変だったんだもん……。

 って、直接言い訳したかったけど、皆に彼との進展を話すのはまだ照れ臭くて、出来ればちゃんとした場所を設けて報告したくて、私は咄嗟に話をすり替える事に。

 

 

「そ、それよりもまたケーキ? いい加減に太るよ? ただでさえ寝て起きてばっかりなんだから。たまには運動もしないとっ」

 

「……む。いいのか、そんなこと言って。流すぞ」

 

「流すって、何をよ? 変なこと言ってごまか――《ピッ》『うんっ! 私も、貴方の事がだ~い好きっ!!』――きゃあぁあぁ! やめてとめてなんでぇええっ!?」

 

 

 ――したのだけども、麻子の携帯から流れ出した自分自身の音声に、企みは阻まれた。

 な、なっ、なぁあっ!?

 ホントになんでぇぇえええっ!?

 

 

「いやなに。ひぃこらひぃこらお前達を探していたら、丁度ラブコメり始めた所を見つけて、思わず撮影してしまっただけだ」

 

「私達も見せて貰ったんだけど、素敵だったなぁ……。観てるだけなのに、凄くドキドキしちゃった」

 

「はい、ライカさんは男気が溢れていましたし、沙織さんはとっても可愛らしくて、まるで小説の一場面のようでしたわ」

 

「披露宴とかで流したら大盛り上がり間違いなしですねっ! 編集とかBGMは、不肖、この秋山優花里が務めさせて頂きますっ!」

 

「ちょっとやめてよぉおおっ! あっ、まさかクラスの皆にもっ!?」

 

 

 ぐりんっ、勢い良く首を巡らせれば、こちらを見守っていたクラスメイト達は、「うんうん」と一斉に頷いた。

 ……うそぉん。

 よ、よりにも、よりにもよって、ファーストキスを、撮られた、観られた、晒された……っ!

 これじゃあもう御嫁に……は行けるかも知れないけど、とにかくこっ恥ずかしいぃいっ!!

 

 

「安心しろ。音声を又聞きされただけで、直接は見せてない。目に毒だ」

 

「バックアップも取らせて貰いましたっ。後できちんと、解像度とかを弄ってお譲りしますので」

 

「それのどこが安心なのよぉ! あんこう踊り以上の黒歴史じゃない、こんなのぉ!!」

 

「ま、まぁまぁ、落ち着いて沙織さん。大丈夫だよ、あれよりはマシだよ、きっと……」

 

「結婚式にはぜひ呼んで下さいね? スピーチも、今からしっかり考えておきますから。改めまして、おめでとうございます、沙織さん」

 

「ゆかりんも華も先走り過ぎだってばぁ! そういうのは私の役目でしょ!? ……あ、え?」

 

 

 ぱちぱちぱちぱちぱち。

 

 華が淑やかに拍手を始め、気が付けば、それは周囲のメンバーに感染し、あっという間にクラス中へ広がっていく。

 こちらを見つめる何対もの瞳達は、優しく、暖かく(ごく一部だけ、上手い事やりやがって的に恨めしそうな気がするけど)。

 慈しみ、祝福してくれるのはとても嬉しいのに、それはやっぱり、恥ずかしくて。

 ……決して、嫌では、なくて。

 耐え切れなくなった私は、窓辺に駆け寄り、今もどこかで、笑顔で居てくれるだろう彼へ――ライカへ届くように、叫ぶ。

 

 

 

 

 

「うぅうぁあぁあっ!! もうっ! 全部あんたのせいだぁぁあああっ!!!!!!」

 

「でも、好きなんだろう?」

 

「当ったり前でしょおっ!? ………………はっ」

 

 

 

 

 

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