新人提督と電の日々   作:七音

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舞鶴潜水艦隊、初めての○○○○

 

 

 

 桐林が七隻同時の大規模励起に挑まんとする、その少し前。

 舞鶴鎮守府の三方向──海に面する北を除く東西南に存在する出入り口のうち、もっとも人目につかず、しかし警戒厳重な西口から、三人の少女が鎮守府外へと歩み出ていた。

 

 

「そ、それでは、行って参ります」

 

「行って参ります!」

 

「行って来ます」

 

 

 衛兵に対し、おずおずと頭を下げる黒髪の少女。元気よく敬礼する茶髪の少女。そして、やや事務的に挨拶する金髪の少女。

 皆、セーラー服を着ているのが共通点だが、それぞれ特徴的な外見を持つ少女たちであった。

 

 一人目のおずおずした少女は、セミロング程の長さの髪を、両の肩口で結んでいる。

 首元は青い勾玉を通した首飾りで飾られ、身体の前で組まれた手が、たわわに実った膨らみを強調していた。

 二人目の元気が良い少女は、茶髪をポニーテールに纏め、襟がオレンジ色のセーラー服で身を包む。

 健康的な小麦色に日焼けしており、快活さが表情からも見て取れる。

 三人目の物静かな少女は、後ろを左右で結んだ金髪のショートカットに青い瞳と、少々日本人離れした容姿を持つ。

 着ているのは至ってスタンダードなセーラー服なのだが、白いセーラー帽と眼鏡が知的な印象を与える。

 

 順に名を、潜水母艦 大鯨。潜特型二番艦 伊号第四○一潜水艦。巡潜三型二番艦 伊号第八潜水艦という。

 桐林が励起した、見目麗しい統制人格たちである。

 

 少女たちの挨拶に銃礼で返した衛兵は、「あああもっとお喋りしたい仲良くなりたいお突き合いしたい(誤字にあらず)」という煩悩を押さえ込み、彼女らの背中が見えなくなるまで見送った。

 そして、邪な念を向けられているなどと、露にも思っていない三人は。

 

 

「やっぱり、ちょっと緊張しちゃいますね……」

 

「ですね……。でもでも、ワタシたちだけで街に出るなんて、ワクワクもするよねっ。ね、はっちゃん?」

 

「そうね、シオイ。緊急買い出し任務。頑張りましょう……!」

 

 

 生まれて初めての市街へのお出掛けに、興奮冷めやらぬ様子であった。

 当たり前だが、なんの目的もなく統制人格を外出させるほど、現在の舞鶴は穏やかでない。

 この三名は、来るべきイタリア国籍艦と、装甲空母 大鳳の歓迎会の準備を任され、その食材の買い出しを任されたのだ。

 本来であれば、給糧艦である間宮が前もって仕入れておくのだが、万が一の事態──舞鶴の街が戦場となってしまった場合に備え、地の利を明確にしておくべきだと、定期的に統制人格が街へ送り出されていた。

 まぁ、これは桐林と香取が考え出した建前で、実際の所は、統制人格たちのガス抜きなのだが。

 幾ら設備や環境が整っていても、ひとつところに留まっていては水すら腐る、という訳である。

 余談だが、同じく潜水艦であるはずのU-511がこの任務に選ばれなかったのは、前日までに行った演習の休暇のためである。決して仲間外れにされている訳ではないので、どうか御安心頂きたい。

 

 

「それで、大鯨さん。何を買ってくれば良いんでしたっけ」

 

「ええっと、香取秘書官から預かったメモが……。あ、ありました」

 

「ふむ。どれどれ……」

 

 

 伊号四○一、通称“シオイ”の問いかけに、大鯨がスカートのポケットからメモを取り出し、伊号八、通称“はっちゃん、もしくはハチ”が横から覗き込む。

 流麗なボールペン字で書かれた内容は、簡素にまとめ上げられていた。

 

 

「本屋さんで、恋愛小説とBL漫画など。コンビニエンスストアで、お菓子を幾つか。

 お肉屋さんで、豚肉と鶏胸肉と牛肉。あと、八百屋さんで馬鈴薯とニンジンに玉ねぎ、ですね」

 

「へぇー。オヤツにカレーの材料だねー。……でも、BL漫画って何?」

 

「ボーイズラブ。いわゆる、男性同士の恋愛を描いた漫画ですね。おそらく、秋雲のリクエスト」

 

「ふへぇー。そんなのがあるんだー」

 

「だ、男性同士……。うわぁ……」

 

 

 再びのシオイの疑問に、ハチが眼鏡を光らせて答える。

 質問者であるシオイ自身は「変なのー」とあまり興味がないようだが、大鯨は頬を赤く染めて俯いている。思いのほか素質があるようだ。

 件の秋雲が知ったら、“こちら側”に引き込もうと躍起になるであろう。

 しかしながら、もっとも身近な知人男性である桐林と梁島が熱く見つめ合う妄想から、大鯨はなんとか自力で復活、気を取り直して意気込む。

 

 

「とにかく、私たちの素性がバレないように、気をつけてお買い物しましょう。お肉は傷まないように最後が良いですよね?」

 

「うん、良いと思います! それじゃ、舞鶴の街に出撃ー!」

 

「潜水艦隊、前進です」

 

 

 元気良く同意するシオイ、あくまで冷静沈着なハチが後に続き、三人の統制人格が楽しげに歩いて行く。

 なんとも微笑ましい光景なのだが、しかし、そんな彼女たちを背後から見つめる双眸が、電信柱の影にあった。

 長袖のシャツとサロペットスカート姿の、茶髪をポニーテールとする彼女もまた、桐林艦隊に属する統制人格である。

 

 

「こちら、お使い部隊見守り隊、隊長の風雲(かざぐも)です。対象の出発を確認。警備を開始します。終了」

 

 

 夕雲型駆逐艦三番艦である彼女が、襟元のピンマイクに向けて報告を上げる。

 お使い部隊見守り隊とは、文字通り、お使いに出る統制人格たちを影から見守って、必要に応じて然るべき対処を行うための、護衛部隊である。

 少々ふざけたネーミングではあるけれども、いずれ必ず必要となるであろう、桐林の護衛を見越した訓練も兼ねているのだ。

 その生真面目さを買われて隊長に抜擢された事もあり、風雲も大鯨同様に意気込み、背後に控えているはずの姉妹二人へと呼び掛けた。

 

 

「さ、巻雲(まきぐも)姉。朝霜(あさしも)。行こう」

 

「了解! たとえ妹に隊長の座を奪われても、巻雲は全力でストーキングしちゃいまーす!」

 

「このあたいがついてるんだ、大船に乗ったつもりでいなよっ。風雲の姉貴!」

 

「ちょ、わっ、大声は駄目だってばぁ!? あと巻雲姉、地味に怖い!」

 

 

 ──のだが、夕雲型二番艦 巻雲と十六番 朝霜は、やたらと元気に返事をしてしまい、風雲を大いに慌てさせる。

 そもそもがガス抜きの護衛であるせいか、空気は非常に緩かった。

 まぁ、然るべき対処と言っても、出来るのはせいぜい隠れて警察に通報する程度であるため、ある意味では仕方ないのかも知れない。

 ちなみにこの三人、身に纏っている制服は全く同じ物であるが、風雲だけは胸元の青いリボンがネクタイになっていたり、巻雲は服のサイズが合っていないのか、やけに袖が余っていたり、朝霜は袖捲りをしていたりと、細かな差異があったりする。

 また、巻雲の髪は鮮やかな桃色で、後頭部でお団子状に。朝霜の髪は長波たちと同じ表裏二色──表は銀髪、裏は紫色であり、風雲より低い位置でポニーテールとしていた。

 本人たちの整った顔立ちと相まって、街では悪目立ちすること請け合いだった。護衛が目立っては元の木網であろうが、これもある意味、仕方がないのか。

 

 それはさて置き、大鯨たちと風雲たちは、着かず離れずの距離を保って進む。

 程なく舞鶴市街へと入り、二組とも人々の色んな視線を集めつつある。

 内訳としては、大鯨たちには「なんだあの可愛い三人組」で、風雲たちには「なんだあの可愛い……けど不審な動きをする子たちは?」だったりする。

 特に大戦中、遣独潜水艦作戦に唯一成功したという過去から、この時代では珍しい外国人的な見た目を得ているハチが、多くの視線を集めていた。

 それから逃れるためか、先を行く大鯨たちが、そそくさとTATSUYAという看板を掲げる書店の自動ドアをくぐった。

 

 

「報告。対象は第一目標を大型書店に定めたもよう。遅れて入店します」

 

 

 もちろん風雲たちもそれに続き、コソコソと店内へ。

 後ろ姿を観察できるくらいに離れて本棚に隠れると、大鯨たちは初めて入る大型書店に感動しているようだった。

 

 

「うわぁ。本がいっぱいですねぇ」

 

「はい……! とても素敵なお店です……!」

 

「凄い、はっちゃんのテンションがうなぎ登り」

 

 

 物珍しそうに周囲を見回す大鯨と、これでもかと表情を輝かせるハチ。

 ハチは読書を趣味としているのだが、彼女にとっては桃源郷と言っても過言ではないのだろう。

 そんな様子がまた注目を集めているのだけれど、買い物に意識を集中しているのか、本人たちは気づいていないらしかった。

 

 

「ええと、目的の本は……。しらみ潰しに探すしかないでしょうか?」

 

「あ、ワタシ知ってるよ! こういう時は……お、あった!」

 

 

 ズラリ、並べられた本の数々。

 あまりの多さに大鯨は困り顔を浮かべるも、シオイがピシッと右手を上げ、店内をキョロキョロ。目的の物を見つけて小走りに近寄る。

 そこにあったのは、今では大型書店でも置いてある方が珍しい、タッチスクリーン型の検索装置だった。

 

 

「確か、こういうので置いてある場所を検索できるんだよねー。大鯨さん、本のタイトル教えて?」

 

「はい。了解です」

 

「これぞハイテク、ですね」

 

 

 大鯨からメモを借り、シオイが一本指で次々にタイトルを検索していく。

 萩風リクエストの恋愛小説。秋雲リクエストのBL漫画。能代リクエストの料理レシピ本など、結構な数である。

 検索を終えると、大鯨を先頭に店内を巡って、目移りしつつも対象の本をかき集め、約十数分後。

 ようやく目的の本が揃い、レジへ向かおうとするのだが。

 

 

「それじゃあ、お会計して次のお店に行き………………え?」

 

「どうかしました? 大鯨」

 

 

 振り向いた瞬間、目に飛び込んできた本の山に困惑し、固まってしまう。

 およそ一mはあろう、平積みされたそれを軽々と持つのは、ハチだった。本のせいで顔が隠れている。

 

 

「はっちゃん。その大量の本、買うつもり?」

 

「もちろんです。自分のお小遣いで買います。これこそが、はっちゃんが買い出し任務に志願した目的です!」

 

「言い切っちゃった……」

 

 

 大鯨と半分に分けて本を持つシオイが、唖然と問い掛ける。

 対するハチは堂々と己が真意を語り、シオイを呆れさせた。

 買い出し任務という点から考えると褒められない事だけれど、ガス抜きとして見れば正しいのだから、困ったものである。

 二人を置いてハチが先を行き、慌てて大鯨としおいも後ろに。

 物量でレジ係の目を丸くさせながら買い物を終え、三人は出口へ向かう。

 まだまだ、買わなければならない物があるのだ。

 

 

「と、とりあえず、本屋さんでのお買い物は完了ですね。次のお店に向かいましょうか」

 

「そうですねー。とりあえず、コンビニが近くにあるみたいだから、そっちに行きましょっか」

 

「そうしましょう。早く買い物を終えて帰りましょう。本、ゆっくり読みたいです」

 

 

 すでに遣り遂げた感を漂わせるハチを、今度は最後尾にして歩き出す三人。

 店員と客が唖然と見送り、立ち読みのフリをしていた風雲も、それを確認して続こうとする。

 ……のだが。

 

 

「次はコンビニか……。よし、私たちも……って、二人とも何を持ってるの!?」

 

「何って、本ですけど? 気になる男子を落とす108の方法! これで司令官様もイチコロですっ!」

 

「あたいは、ちょっとスポーツ漫画を……。立ち読みしたら、思いのほか面白くってさ……」

 

「仮にもお仕事中なのに、なんで普通に買い物しようとしてるのよっ! もう!」

 

 

 ちゃっかり自分たちまで品定めを済ませている姉と妹に、思わず地団駄してしまう風雲であった。

 そんな姿を見た人々が、「仕事? どう見ても女子学生なのに?」と頭に疑問符を浮かべている。

 なんだかんだ、緊張感の足りない姉妹である。

 

 さて。

 一方その頃、大鯨たちは書店のすぐ側にあるコンビニへと足を踏み入れていた。

 

 

「らっしゃーせー」

 

 

 やる気のなさそうな男性店員の挨拶と、エアコンの冷気が潜水艦隊三名を迎える。

 大鯨がカゴを持ち、シオイは「涼しー」と襟元をパタパタ。そして、我慢しきれず文庫本を歩き読みするハチ。

 傍目には、完全に休日を満喫する女子学生だった。

 

 

「なんだかコンビニって、清潔感が凄いってイメージがありますよね」

 

「あ、分かる、分かります! なんていうか、照明も床も真っ白ー、って感じで」

 

「それ、狙っているみたいです。イメージ戦略の一環、ですね」

 

「なるほどぉ」

 

「はっちゃん、さすが」

 

「えっへん」

 

 

 ハチの披露した雑学に、大鯨とシオイは小さく拍手。青い瞳が「ドヤァ」と細まった。

 実に楽しそうな声が耳へ届き、やる気のない男性店員は思う。混ざりてぇなぁ、と。

 どうでもいい心の声は置いておくとして、潜水艦隊は買い出し任務を遂行しようと棚を巡り始める。

 

 

「それで、買う物なんですが……。買い置き用の、百円の袋詰めされたチョコを幾つか、コンビニ限定のロールケーキ全種、ホッパー軍曹のチキンブリトー、ポテトチップスのナマコ酢味、だそうです」

 

「ふんふん。割と普通……ん? ナマコ酢味?」

 

「はい。これも限定商品らしくて、『食っとかなきゃダメでしょ、ネタ的に!』と、秋雲さんの注釈が……」

 

「またあの子ですか……。理解できません」

 

 

 なんの変哲もないラインナップに、さり気なく混ざるゲテモノ商品。

 頼んだのが秋雲であると知り、またハチは呆れ返る。

 色々と騒がしいのは鎮守府の誰もが知っているけれど、ここまでネタに走らなくとも良いだろうに。一体、何が彼女を駆り立てるのか。あまり理解したくもなかった。

 が、それはそれ。これはこれ。

 任務完遂のため、指定された品物を次々とカゴへ入れていく。

 あっという間に大鯨の持つそれは満杯となってしまったが、そうなると少し欲が出てきたのか、前屈みに棚の下段を覗き込みながらシオイが提案した。

 

 

「ねぇねぇ、ワタシたちも何かオヤツを買おうよ! せっかく街に来てるんだし、鎮じ──おっと。いつもは食べられないようなのを! いいですよね?」

 

 

 普段は間宮の作った手料理やオヤツが、シオイたちの空腹を満たしてくれている。

 もちろん文句のつけようのない、むしろ手放しで称賛したいほどの美味しさなのだけれど、だからこそ、普段は食べる事のできない物に興味が湧くのだ。

 少なからずその気持ちが分かるらしく、大鯨は顎に人差し指を当て、逡巡ののちに笑顔で頷いた。

 

 

「ん~……。お金は余るくらいに預かってますし、余ったら自由にしていいとも言われてますから、安いのを一つずつくらいなら、大丈夫だと思いますよ?」

 

「やたー! どれにしよっかなー」

 

「はっちゃんは、もう決めてあります。バウムクーヘンです。この大きさで百円、素晴らしいです」

 

「私はどうしましょう……? 目移りしちゃいますね」

 

 

 シオイは、セーラー服の裾からヘソが見えてしまう勢いで万歳。さっそく物色を始める。

 ハチの動きは素早く、手の平サイズにカットされたバウムクーヘンのパックを手に持っていた。

 大鯨も、あれやこれやと目移りしつつ、楽しげに悩んでいて。

 キャッキャウフフとでも表現したくなる雰囲気に、今の今までやる気のなかった男性店員は、改めて思う。

 退屈過ぎて辞めようかと考えてたけど、こんな可愛い子を眺められるなら、もう少しこの仕事続けてみよう、と。

 地味に一人の男の運命が変わった瞬間であった。

 

 

「ありがとうございましたー」

 

 

 若干やる気を取り戻した声に背を押され、ビニール袋を持った潜水艦隊がコンビニを出ていく。

 大鯨が持参した飛行甲板柄のトートバッグ──艤装の一部であり、内容量は見た目より遥かに多い──へと買った物を詰め、次は鎮守府に戻りながら商店街を通るルートを行くようだ。

 またも電信柱の影から、流れで買ってしまった女性週刊誌で顔を半分隠す風雲が、その後ろ姿を見つめ、背後に呟く。

 

 

「どうやら、商店街の方へ向かうみたいね……。後を追いましょう、二人とも」

 

「え? 風雲ちゃん、巻雲たちはコンビニ入らないの?」

 

「入れるわけないじゃない。見失っちゃうし」

 

「えー!? あたいらも入ろうぜー? ファ○チキ食いたい、○ァミチキー!」

 

「ダーメッ!! っていうか、あそこ○ーソンだから売ってないわよ、ファミ○キなんて。類似品はあるだろうけど」

 

「ぶー。風雲ちゃんのケチんぼー!」

 

「肉食いたい肉食いたい肉食いたい肉食いたい肉食いたいー!」

《肉食いたい肉食いたい肉食いたい肉食いたい肉食いたいー!》

 

「……ああもうっ、念話まで使わないでよ朝霜ったら! 分かった!

 私が二人の欲しいもの買ってくるから、代わりに尾行続けてくれる? それで良いでしょ?」

 

「わーい! じゃあ巻雲は、アンパンと牛乳! 尾行のお供と言ったらコレです!」

 

「あたいファミチ○! 二個、二個な!」

 

「だから売ってないってば……」

 

 

 相も変わらずマイペースな姉と妹に根負けし、風雲はゲンナリしながらコンビニの自動ドアをくぐった。

 会計の際、風雲がうっかり「フ○ミチキください」と言ってしまって赤面したり、それを見た男性店員が心の中で「コンビニ店長に俺はなる!」とか思ったりする一幕もあったのだが、本筋とは関係ないので割愛させて頂く。

 さてさて。

 場所は変わり、鎮守府に程近い、昔ながらの風情を残す商店街。

 賑わう人々の波を、潜水艦隊はアーケードの入り口で眺めていた。

 

 

「うわぁ。人がいっぱい居るねー」

 

「人混みは、苦手です」

 

「バレたら騒ぎになっちゃいますから、今まで以上に気を引き締めないと……!」

 

 

 実はいわゆる祝日であった事も手伝い、家族連れの買い物客が多く見られるのだが、それは人目が多いという事も意味する。

 ざっと見ただけで、鎮守府の仲間たちを集めても全く足りないと分かる人出。

 シオイはのん気だが、騒々しいのを嫌うハチは眉をひそめ、大鯨も両の拳を握って気合いを入れている。

 これだけの衆人環視の中で統制人格であるとバレた日には、天地をひっくり返す……とまでは行かないかも知れないけれど、とにかく大騒動になるのは必至だ。警戒するに越したことはない。

 

 

「……あら? でも、なんだか……。あまり注目されてもいないような……?」

 

「皆さん、買い物に夢中なのだと思います。変に構えていると、逆に注目されてしまいますよ」

 

「そうそう。自然体が一番ですよ、大鯨さん」

 

「そんなもの、なんでしょうか……」

 

 

 大鯨は緊張しながら商店街へ足を踏み入れるものの、思いの外、注目を集める事もなく進めてしまい、肩透かしを食らった気分になる。

 日本人特有の事なかれ主義というか、美少女揃いで逆に見るのが怖いというか、そんな感じなのだろう。

 ともあれ、任務に支障が出ないのは良いこと。意を決した大鯨が、手近な八百屋を覗き込む。

 

 

「こ、こんにちは~」

 

「へいらっしゃい! お、ベッピンなお嬢ちゃんたちじゃないか! 見ない顔だねぇ」

 

「あ、えっと、その。普段はこちらの方には来ないんですが、なんとなく足を伸ばしてみようかなぁ、なんて思いまして……」

 

「そうかいそうかい! なんにせよ、ベッピンさんなら大歓迎だ! 何が欲しいんだい?」

 

 

 初老の男性が威勢良く声を発し、それとなく話を合わせる大鯨。

 すかさず、シオイとハチも話に加わって行く。

 

 

「えっとねー。中くらいのジャガイモが六十個、ニンジンが十五本に、玉ねぎが二十個! ここだけで買えます?」

 

「……お、おう。随分と大量じゃねぇか。ないこたぁないが……。カレーでも作んのかい?」

 

「部活の買い出し、なんです。今度、合宿するので」

 

「ああ、なるほど! いいねぇ、青春だねぇ! よし、オッちゃんがオマケしてやろう! カアちゃんに殺されるからホドホドに、だけどな」

 

「わ、やった! オジさん太っ腹!」

 

「Danke schön。ありがとうございます、です」

 

「でも、本当によろしいんでしょうか? ありがたいですけど、奥様は……?」

 

「あっはっは! なんのなんの、俺の店だからいいのよ。それに、奥様って柄じゃねぇしな!」

 

 

 美少女三人に囲まれ、店主の男性は御満悦である。

 後で大目玉を食らうに違いないが、せっかくの好意。

 無下には出来ないと、大鯨たちは素直に甘える事にした。

 

 

「しっかし、こんなに買っても、持って帰れるか? お嬢ちゃんたちの細腕じゃあ……」

 

「大丈夫! こう見えてワタシたち、すっごく力持ちだから!」

 

「このくらいなら、余裕のはっちゃん、です」

 

「ほぉ~。人は見かけによらないもんだぁなぁ。っと、そうだ。カレーの材料だってんなら、肉はこれからかい?

 もしそうなら、この通りにある肉屋にも寄って行きな。ベッピンな三人娘が来たらオマケするように、電話しとくからよ!

 一応、名前だけ教えといて欲しいんだが、どうだい?」

 

「わぁ! ありがとうございます! 私の名前は大鯨──あっ」

 

 

 更なる申し出に感激し、素直に名前を名乗ってしまってから、大鯨は気付く。

 このような名前、普通の人間が持つ訳がない。自ら正体をバラしているようなものではないか。

 現に、店主は訝しげに眉を寄せていた。

 

 

「……たいげい?」

 

「あ、あの、ええとですね、ぉ、大きな鯨って書いて、その、潜水母艦……あうぅ……」

 

「あちゃ~……」

 

「やってしまいました、ね」

 

 

 焦った大鯨が言い訳しようと試みるも、それは言い訳ではなく解説となってしまい、どんどん涙目に。

 とても素直な性格は彼女の美点であろうが、シオイ、ハチも頭を抱え、どう誤魔化そうかと考え始めていた。

 ところが、そんな三人の様子を見るや、店主は腕組みをし、なんども頷いて。

 

 

「そうかぁ……。お嬢ちゃんも、軍艦ネームなんだな……。大きな声じゃ言えないが、隣の家の娘さんも、軍艦の名前をつけられて苦労しててなぁ……。大変だろう?」

 

「へっ? ……あ、そ、そうなんですっ。で、でも、特に苦労とかはしてなくて、ですね? だから、安心して下さい!」

 

「……なら良かった。いい友達に恵まれたんだなぁ。うんうん」

 

「あ、あはは……」

 

 

 どうやら、上手い具合いに勘違いしてくれているようだ。

 これ幸いと大鯨が話に乗っかり、店主は目尻に涙を浮かべ、自分の事のように嬉しそうに笑う。

 大鯨の胸は、罪悪感で弾けそうだった。もともと弾けそうなくらいに大きいが。

 

 

「それでは、これで失礼しますね」

 

「おう! 気が向いたら、また顔を出してくれよ!」

 

「オジさん、オマケしてくれてありがとねー!」

 

「Auf Wiedersehen。さようなら、です」

 

 

 これ以上の墓穴を掘る前にと、大鯨たちは大量の野菜を提げ、八百屋を後にする。

 笑顔で手を振ってくれる店主へ、三人で手を振り返しながら歩いて、しばらく。

 自分たちの姿が雑踏に紛れた頃合いを見計らい、大鯨は呟いた。

 

 

「良い方でしたね……」

 

「うんうん。でも、ちょっとヒヤヒヤしましたよー」

 

「大鯨、ウッカリですね」

 

「ううう、ごめんなさい……。気をつけます……」

 

「まぁ、終わり良ければすべて良し、なんて言うし、結果オーライ?」

 

「それもそう、ですね。気を取り直して、最後の買い物、済ませましょう」

 

「はい!」

 

 

 ちょっとしたアクシデントに見舞われもしたけれど、微妙な勘違いと善意に救われ、潜水艦隊は進む。

 次なる目的地へ向け、軽やかな足取りで。

 蛇足かも知れないが、その後は特に目立ったアクシデントも起こらず、無事に鎮守府へ帰投できた事を、ここに記しておく。

 

 そして、そんな彼女たちを見守っているはずの、お使い部隊見守り隊はと言えば。

 

 

「ねーねー君たち、同じ制服着てるけど、どこの学生さん? モデルとか興味ない?」

 

「えっ。ま、巻雲がモデルですかぁ? え~そんな~、困っちゃいますぅ~」

 

「ちょっと! 私の姉さんになんの用!? 変な勧誘ならお断りですからね! っていうかあの三人どこ行ったの!? このままじゃ香取さんに怒られるー!?」

 

「……え? 姉さん? 君、お姉さんじゃなくて妹さんなの?」

 

「おう、そうだぜ! 巻雲の姉貴は二番目の姉貴で、風雲の姉貴が三番目。そしてあたいは十九人姉妹の十六番目だ!」

 

「はぁ!? じゅ、十九人!?」

 

 

 芸能事務所のスカウトに引っかかり、見事に護衛対象を見失っていた。

 結局、彼女たちは潜水艦隊を再発見するには至らず、香取から大目玉を食らう事を覚悟しつつ、スカウトマンの名刺片手に帰投するのであった。

 夕雲型駆逐艦たちが、YGK19という名のアイドルとしてデビューする日は、そう遠くない、のかも知れない……?

 

 

 


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