新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と既にあった脅威

 

 

 

 

 

 公表すべきか。秘するべきか。そもそも彼女は何者なのか。会議は紛糾した。

 大の大人が子供のように声を張りあげ、最後に殴った側でいるため、気に入らない相手を罵り続ける。

 何も進展せぬまま、時間だけが過ぎて行く。

 けれどわたしは、そんなことなど、どうでも良くなっていた。

 まるで従者のように――いいや、奴隷のようにはべる彼女。その美しすぎる立ち姿に、懐かしい感情を刺激されていたからだ。

 それは、誰もが一度は経験する、青い春。

 

 端的に言おう。

 彼女は初恋の女性に、よく似ていた。とても、よく似ていた。

 

 

 桐竹随想録、第四部 ヒトカタより抜粋。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「ぅうぅ、やっぱり変な感じ……」

 

 

 モジモジと、テラス席に座る少女が身体をゆすった。

 日の光をさえぎるパラソルの下でも、輝いて見えるプラチナブロンド。エメラルドグリーンのワンピースがほっそりした四肢を隠し、同系色のリボンが髪を飾る。

 普段と違い、露出度を極端におさえた島風である。

 着慣れない服にとまどう彼女は、違和感をごまかすため、注文してもらったサイダーを一口。弾ける炭酸が爽快感をもたらしてくれた。

 コトリ。音を立てる氷と、コップの置かれるテーブル。ボリュームをおさえた流行りの歌が耳へ届く。

 喫茶 間宮。

 それが、島風のいるカフェの名前だ。

 旧日本海軍が重用した給糧艦と同じ名を持つ店であるが、提供される甘味はその名に負けず劣らずと広く知られる。しかし、有名店のわりにテーブルは少なく、利用客もまばらであった。原因は、その立地条件にある。

 

 

「いつまで待ってればいいんだろ……?」

 

 

 島風が振り返った先に見える、店舗部分とつながった白亜の壁。

 周囲の高層ビルに比べると、こじんまりして見える五階建てのそれは、軍関係者のみが利用可能な医療施設だ。

 かつての最新技術を維持しているのに、恩恵を受けられるのが軍属だけとあって、市民団体からは、しばしばバッシングの対象として取り上げられる施設でもあった。

 もともと福利厚生の一部として設けられたためか、間宮が開店しているのは、各地の軍病院敷地内だけ。一般人は立ち入り禁止である。

 そんな店にいるのだから、楽しまなければ損なのは分かっている。追加注文の許しだって得ている。にも関わらず、彼女はスイーツを楽しむ気分になれずいた。

 

 

「友達のお見舞いだもんね。時間、かかるよね」

 

 

 つい数時間前のことである。

 島風の主人である桐林提督は、彼女と、秘書官を務めていた電へ、自らの警護任務を言い渡した。目的は、軍病院のなかでも有数の設備を誇るここに移送された、とある人物の見舞い。

 か弱い婦女子の見た目をしている彼女たちは、艤装召喚時に、その存在を艦船へと近づける。銃弾や環境変化を物ともせず、成人男性数十人分の怪力を発揮し、時には尋常でない特性まで引き継ぐのである。

 島風の場合、それは速度。人の身体でも、全力疾走で時速七十kmへ達することが可能なのだ。

 人間は害せないが、投げ飛ばしたり、高速で体当たりするだけで無力化できる島風と、庇うのに適したデザインの艤装――魚雷発射管についた防盾で護衛を担当する電。訓練を受けた兵士数人分の働きを期待されていた。

 では、彼女は何故こんなところに一人で居るのか。

 

 

「私、どうしちゃったのかな……」

 

 

 実のところ、島風自身も理解できていなかった。

 テーブルへうつぶせになり、汗をかいたコップに映る顔を見つめても、不機嫌さが気泡とはぜるだけ。

 二人が病院の中へ姿を消して、まだ十分もたっていない。なのに、驚くほど孤独を感じている。

 彼からプレゼントされたワンピースに、初めて袖を通した時の高揚感は、完全に消え去っていた。

 

 

「はぁ……」

 

 

 水滴を指ですくい、意味のない落書きをしながら、島風は原因を探ろうと記憶を振り返る。

 まずは昨日の夜の出来事。

 不意に、提督が島風の私室を訪ねてきた。カートにたくさんの箱を積んで運ぶ彼は、統制人格の皆へ服をプレゼントして回っているという。

 先んじてそれを受け取っていた筑摩と同じく、最初は浴衣縛りであったが、途中で洋服となってしまう無計画さに、少しだけ呆れてしまった。

 けれど、苦心して選んでくれただろう物が嬉しくないわけもなく、風をイメージした細かいフリルのあしらわれるそれは、着飾ることにあまり興味を示さない彼女でも、着てみたいと思わせる一品だった。

 そんな時に、「明日はその服を着て、いっしょに出かけてくれるか」と真顔で言われれば、誰だって“そういう意味”と考えてしまうに決まっている。

 

 

(ビックリ、しちゃったな)

 

 

 予想もしなかった言葉に、島風は反射的に頷いてしまった。すると、彼も一つ頷き返し、「明日、部屋に迎えに来るから」と言い残して、他の子へプレゼントを渡すため退室。

 慌て始めたのは、ノロノロと空き箱を片付け、型崩れしないようワンピースをクローゼットへしまい、ベッドに腰掛けてからである。声も出ないほど驚いて、部屋の中をグルグル歩きまわり、最終的にシーツへダイブした。

 彼女は困った。まさか、自分が“そういう対象”と見られているなんて、思いもよらなかった。うまく言葉にはできなかったが、誰かに悪い気がしてとにかく困った。OKしたのに今さら断ることも気が引けて、本当に困った。

 明日からどんな顔をして会えばいいのか、今までどんな顔をしていたのか、分からなくなっていく。

 姉妹艦がいないため、広々とした個室を堪能していたが、それをこんなにありがたく、こんなに心細く感じるとは。

 

 

(でも、結局は勘違いだったんだよね……)

 

 

 眠れぬ夜を過ごし、緊張状態のまま身だしなみを整え、島風は提督を待つ。そして、いざ部屋へ迎えにきた彼の隣には、電がいた。

 三人で出かけるのだと教えられ、島風は少し落胆すると同時に、安堵した。お供が二人ということは、ただ遊びにいくだけ。それなら変な気を遣うこともない。存分に楽しめばいいだけなのだから。

 しかし、彼が運転する車の向かう先は病院であり、自分と電が単なる警護に過ぎないと分かった瞬間、期待は失望に変わってしまう。

 それを感じ取ったのか、もしくは、言葉足らずな説明しかしていなかったことを思い出したのだろう。彼は何度も謝るのだが、心に生えたトゲは一向に抜けてくれない。間を取り持とうとしてくれる電にも素っ気ない態度をとり、気まずい雰囲気が漂った。

 目的地へ着いても島風の機嫌は変わらず、結果、こうして一人ぼっち。指定された面会時間は限られているのだから、仕方ない。……仕方ない。

 

 

「……ばか」

 

 

 うつうつとした気分で、己に向けてつぶやく。

 ここ最近の、なんとなく話しかけづらい雰囲気のせいで、提督と接する機会も減っていた。だから、単純に嬉しかったのだと彼女は思う。今まで通り、気兼ねなしに言葉を交わせるようになったのだと、早とちりして。

 だが、その問題が未だ解決していないことは、状況から判断できた。

 彼を悩ませていたのは友人の凶報。わざわざ移送されたことを考えると、容体は芳しくないと分かる。気が滅入ったり、笑う余裕をなくしてしまうのは当然だ。

 こんな時に一人で盛り上がり、勝手に裏切られたと思うなんて、まるで子供である。自己嫌悪を感じていた。

 

 

「提督の、ばか」

 

 

 けれど、自分だけが悪いとは島風も思わない。

 あんなタイミングで真剣な顔をする彼だって悪い。

 明らかに悩んでいるのに、隠せていると思っている彼も悪い。

 話してくれれば励ませたのに、そうさせてくれなかった彼が悪い。

 

 ――ちゃんと心配させてくれなかった、提督が悪いんだから。

 

 

「提督の……っ、ば――」

 

「んきゃあ!? またなのぉ!?」

 

「――へ? わぷっ」

 

 

 身を起こし、叫び出しそうになった島風の顔へ、何かが被さる。直前に聞こえたのは、少女の声か。

 わずかに良い香りのするそれは、つば広の白いフェルトハットだった。薄紅のコサージュ(小さな花飾り)がついている。

 

 

「ごめんなさいっ、大丈夫だった?」

 

「うん、大丈夫、です」

 

 

 駆け寄ってくる帽子の主は、やはり少女だった。

 年恰好は島風より一つか二つ上。帽子と同じ色のワンピースを着ており、印象的な碧い瞳をしていた。髪は金髪で、外国人かとも思われたが、生え際が茶色になっているところを見ると、どうやら染めているようだ。

 それを隠したいのか、少女は受け取ったフェルト帽をそそくさかぶり直す。

 

 

「ホントごめんなさい。なんでかワタシ、よく帽子を飛ばされちゃうのよね。気をつけてるんだけどなぁ」

 

「えっと……。大変、だね?」

 

「大変よ、もう。この間なんかお気に入りを泥まみれにされちゃうし。貴方、一人なの? 誰かのつきそい?」

 

「あ、私、は……」

 

 

 フレンドリーに語りかけてくる少女に対し、島風は若干うろたえていた。

 外では統制人格であることを秘密にしておかねばならないと、車内で言い含められていたからだ。理解のある人でもない限り、芳しい反応は決して得られない。良くても畏怖の念を与えるか、悪くて路肩の石扱いである。

 そのためのカバーストーリーも用意してあったのに、いろんな意味でタイミングが悪く、口は回ってくれない。

 どうしようかと悩み始める彼女だったが、答えも待たず、少女は「ここ、失礼するわ」と空いていた椅子へ腰を下ろす。

 優雅な所作で和装ウェイトレスを呼び、あっという間に注文も終えて、お冷で口を湿らせた。

 

 

「自己紹介がまだだったわね。ワタシの名前はアイリ。まぁ偽名なんだけど、こういう場所だし、あんまり気にしないで」

 

「最初からバラしちゃうの? じゃあ私は……風。風子(ふうこ)。アイリちゃんと同じ、偽名だけど」

 

「あら、古風な名前。いいわね、そのセンス好きよ」

 

「えへへ。ありがと」

 

 

 本名をもじっただけの簡単な偽名だったが、思いのほか好評で、少し嬉しくなる島風。

 小さく笑いあうと、アイリと名乗る少女は興味深そうに身を乗り出す。

 

 

「貴方の髪、すごく綺麗な色しているけど、地毛?」

 

「うん。そうだよ」

 

「羨ましいわ。ワタシなんて、自前なのはこの眼だけよ。おかげでよくイジメられた」

 

 

 少女が自身の眼を指さし、あっけらかんと重い過去を匂わせる。

 どうやら、島風を自分と同じ境遇――ハーフか何かと勘違いしているようだ。嘘をつくようで心苦しいけれど、これも仕方ない。

 ついで、「そんな経験ない?」と話を振られるが、それに対してはハッキリ否定を返した。

 

 

「私は、特にイジメられたりとかは。みんな、すごく良くしてくれるもん」

 

 

 彼女の意識が生まれて、早くも一つ季節が過ぎた。

 その間に経験した出来事は、どれもこれも楽しい思い出ばかりで、嫌な記憶など見当たらない。

 だからこそ、今日が最初のそれになってしまいそうなのが、気を重くする。

 

 

「いい環境に恵まれたのね。でも、ならどうして、こんなところに一人で居るのかしら?」

 

「そ、れは……えっと……」

 

 

 微妙な仕草からそれを気取る少女が、痛いところをつく。

 まさか全てを説明するわけにもいかず、島風は口ごもってしまった。

 すると、目の前にピンと立てられる人差し指。

 

 

「言わなくていいわ、当ててあげる。そうねぇ、気合いの入れ具合から見て……。

 遊びに連れて行ってもらえるかと思ってたのに、行く先は病院だった。

 ふてくされてたら、ご機嫌とろうと『なんでも注文していいから』みたいなことを言われて絶賛放ったらかし中。……どう?」

 

「す、すごい、だいたい当たってる! 何でわかったの!?」

 

「ふふふ~ん。当然よ、ワタシ天才だもの。……なんてね、似たようなことされた経験があるだけ」

 

 

 得意げに胸を張ったかとおもいきや、小さくはにかんでネタばらし。

 椅子へもたれ、軽く伸びをする姿勢のまま、少女は病院の方を見やる。

 

 

「ワタシもね、今日はお見舞い。といっても、ぐーすか寝てるだけのバカの様子を見るだけだから、三分で終わっちゃったけど」

 

「そうなんだ。大したことないみたいで、良かったね」

 

「ええ。このワタシが見舞いに来たっていうのに寝てるんだもの。次も寝てたら蹴っ飛ばしてでも起こしてやるわ」

 

 

 勝気な笑みに、島風は「かわいそうだよ」と苦笑いしながらサイダーを。氷が溶け始め、味が薄くなってきていた。

 それに気を取られてしまったからだろう、彼女は気づけない。少女の瞳の奥に、わずかな陰りがあったことを。

 自身も見せまいとしているのか、テーブルが音を立てた時点で、全ては元通りになっている。

 

 

「貴方の方はどんな? もしかしてご家族……って、ごめんなさい。詮索するつもりはなかったの。ただ、少し落ち込んでるみたいだったから、気になって」

 

「………………」

 

 

 だが、そんな少女から発せられる話題で、今度は島風の顔が陰ってしまう。

 ついさっきまでの、暗い気分を思い出してしまった。

 気遣う視線を向けてくれる存在に、それは言葉となってこぼれ落ちていく。

 

 

「私ね、何も知らなかった。お友達が怪我しちゃってたことも、ふさぎ込んでた理由も」

 

 

 誰が……とは言えなかったが、察してくれたのだろう。静かな相づちが打たれる。

 

 

「みんなで決めてたんだ。無理に話させるなんて嫌だから、しばらくはそっとしておこう。私たちを信じてくれてるなら、いつか必ず話してくれるって。けど……」

 

 

 肩を落とし、うつむく島風。

 膝の上に両手を置き、髪を乱すそよ風すら気にも留めない。

 

 

「実際に聞いた時、どうして教えてくれなかったのって、最初にそう思っちゃった。ずっと我慢してた方が辛いに決まってるのに、私、自分の気持ちを優先しちゃったの」

 

 

 ぎゅ、とワンピースが握られる。今の島風は、車内で説明を受けていた時の彼女と、全く同じだった。

 言葉にしてしまうのを、必死に我慢している時と、全く。

 

 

「なんで私、すぐに元気づけてあげられなかったのかな。なんで、怒っちゃったのかな……」

 

 

 かすかな呟きに、答えはない。ぬるい風だけが過ぎて、肌に湿気をまとわり付かせる。

 そんな中、「お待たせいたしました」とウェイトレスが盆を手にやって来た。手際良く並べられる和皿には、涼しげな色を宿す、小さな水羊羹。水出し緑茶とのセットのようだ。

 しかも、なぜだか島風にまで配膳されて。

 

 

「え。私、何も頼んでないよ?」

 

「オゴリよ。勝手に相席したんだもの、このくらいはね。美味しいのよ、間宮の水羊羹」

 

 

 何事もなかったかのごとく、少女は竹製の黒文字を使って水羊羹を切り分け、口に運ぶ。

 強い日差しの中、お茶請けに和菓子を頬張る、ワンピース姿の女の子。奇妙な取り合わせは、しかし、堂に入った作法によって違和感がない。

 甘い口どけを味わい、冷たいほろ苦さを飲み下した碧い瞳が、島風へ向き直る。

 

 

「質問。風子さんは、どうしてその人を元気づけてあげたかったの」

 

「……ふ、ふさぎ込んでた、から?」

 

「質問その二。どうしてふさぎ込んでたら嫌なの」

 

「だって、嫌に決まってるよ。話しかけても返事は少ないし……あんまり、笑ってくれない……」

 

「質問その三。どうして、笑っていて欲しいの」

 

「……それは」

 

 

 何かを探り、導き出すように重ねられる問いかけ。

 答えにたどり着くには、まだ少しだけ足りないのだろう。応答は途絶えてしまった。

 そんな彼女へ今一度、別のアプローチをかける少女。

 

 

「人の心なんて、些細なことで追い詰められたり、救われたりするものよ。

 きっとその人も傷ついてたんでしょうけど、悩んでる姿を見せられるのだって、たまったもんじゃないわ。

 風子さんみたいな子がそばにいるのに、さっさと打ち明けなかったその人が悪い」

 

「で、でもっ、心配かけたくなかったから話せなかったのかも――」

 

「そして風子さんたちも悪い」

 

 

 とっさに庇いだてる島風の言葉は、ピシャリと断ち切られた。

 もう三分の一にまで減った水羊羹から目が離され、黒文字まで突きつける。

 

 

「貴方とその人がどんな関係かは知らないけれど、本当に大切な存在なら、楽しい気持ちだけじゃなくて、辛い気持ちも分け合わなきゃ。相手から何かしてくれるなんて、期待しちゃダメ。自分から動くのよ」

 

「……自分から、動く」

 

「そ。ただ待ってるより、よっぽど手っ取り早いと思わない? 待つ女なんて、今どき流行らないわ」

 

「手っ取り、早い……」

 

 

 自信満々に言い放ち、少女は最後の一切れをもてあそぶ。

 逆に、一切手をつけていないはずの島風は、何かを噛みしめるよう頷き、その度に表情を輝かせていく。

 

 

「……うん。うん、うんっ、そうだねっ。待つだけなんて私らしくない!」

 

 

 ――だって私は、島風なんだから!

 

 歓声を上げて、今にも走り出したい気分だった。

 互いに気を遣い、本当の気持ちを押し込めるなど、本末転倒。

 風は、閉じ込められればただの空気へ変わってしまう。

 そうなる前に。動けなくなってしまう前に、この想いを、風に乗せなければ。

 

 

「ふふっ、いい笑顔よ。……そろそろ行かなくちゃ。羊羹、食べてね? そしたらもっと素敵な笑顔になれる。みんなが釣られちゃうくらいに」

 

「うん。アイリちゃん、ありがと!」

 

 

 緑茶を飲み干して、席を立つ少女に満開の笑顔を向ける島風。受け取る背中は、ひらひらと伝票をゆらし、無言で答えてくれた。

 島風は思う。

 まずは、この水羊羹を食べてみよう。

 美味しいものを食べて、嬉しい気持ちを胸に貯めて。そして、彼にも分けてあげよう。

 そうすればきっと、素直に笑えるはずだから。

 小さくなるワンピースを見つめ、彼女はようやく黒文字を手に取る。

 

 

「あのー、お客様ー! お会計がまだでーす! レジはそっちにありませんよーっ!!」

 

「へ? や、あの、違うの! ここは颯爽とたち去るべき場面じゃないっ? 決して食い逃げとかじゃないから!?」

 

「……ぷ。あははははっ!」

 

「ちょっと、笑わないでよぉ!! ……ぁはは」

 

 

 ――のだが、店員の声に、見当違いな方向へ歩いていたらしい少女が舞い戻ってきた。

 島風は黒文字を取り落とし、お腹を抱えて大笑い。やがて、少女もつられて笑い出す。

 夏の日差しに負けない、明るい笑顔が。

 さんさんと、降り注いでいた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 そこは、全くと言っていいほど音のない、静かな空間だった。

 分厚いガラスの向こう側なら、心電図の発する電子音と、人工呼吸器の作動音が聞こえるはずだが、自分は立ち入る権利を持ち合わせていない。

 様々なチューブに繋がれた彼を、やるせのない気持ちで見続けることしか、できないでいた。

 

 

「司令官さん。この人が……?」

 

「ああ。桐生提督だよ」

 

 

 となりに並び立つ電へ、小さく頷く。

 まぶしい位の白さを放つICUで、自発呼吸もままならない身体を横たえているのは、ほんの数週間前、意識を隣り合わせて戦った、戦友だ。

 ……少なくとも、自分は友だと思っている。

 

 

「どんな、状態なんですか」

 

「植物状態と判別するにはまだ早いらしいけど、科学的な見地では、手の施しようがないって」

 

「そんな……」

 

 

 桐生提督と別れた次の日、赤城たちを無事に港へ帰還させた自分は、半日ほど泥のように眠った。その間に、運び込んでおいた資材と高速修復剤で、まずは山城と扶桑(帰りの道すがら、彼女も中破したのだ。疲労による不注意だった)を入渠(にゅうきょ)させ、他のみんなも、程度の軽い子から修復を済ませた。

 目を覚ましたら、船の状態確認を兼ねて同調。せっつくような意思を飛ばしてくる千歳にうながされ、北海道へ。例のミュージアムに足を運んだり、お土産を買ったりと忙しい時間を過ごす。

 そうして存分に余暇を楽しんだ後、ようやく横須賀への帰路についたのだ。

 桐生提督が、死闘を演じているとも知らずに。

 

 

「シンカイセイカン」

 

「……え?」

 

「記録映像で、彼が意識を失う直前に発した言葉だ。聞き覚えは?」

 

「えっと……ごめんなさい。覚えがないのです」

 

「そうか」

 

 

 予想通りの返答に、少しだけ残念だと思ってしまう。

 申し訳なさそうな気配にも、どう声をかければいいのか……。

 

 中将から悪い知らせを直接受け取った自分は、彼の残した視覚情報を取り寄せ、何度も、何度も、何度も見返した。

 的確な艦の運びや砲撃。時には片舷のみ投錨し、鎖への抵抗を利用した急速回頭という曲芸まで駆使する、獅子奮迅と評すべき戦いだった。

 至近弾で装甲がひしゃげ、爆撃により武装をもがれ、それでも彼は諦めない。赤い“繭”にトドメを刺せたのは、そんな、命を賭した決断の証。

 

 だが、決死の十二・七cm砲が“繭”を貫いた瞬間、何の前触れもなく世界はチラつき、キスカ島の存在した座標を中心として、巨大な渦潮が発生する。

 分析班が解析したところ、その直径はおよそ四十km。天変地異という言葉が子供騙しに思える、終末の光景だった。満身創痍の駆逐艦が逃れられるわけもなく、船体が渦に飲み込まれていく。

 この時点で同調を断てば助かっただろうが、調整士の焦る声を無視して、桐生提督は赤い奈落を覗き続ける。そして、映像が途切れるまでの数秒間、彼は人外の言葉を残した。

 単なるノイズとしか思えないそれの最後。唯一、日本語へ変換可能な言葉が、“シンカイセイカン”だった。この単語を遺言とし、“人馬”は魂を囚われてしまったのだ。

 

 

「……あ。もしかしたら、シンカイセイカンって、ツクモ艦の……?」

 

「自分もそう考えた。情報部も、最終的にはその結論に至ったみたいだ」

 

「敵さんにも、ちゃんとした名前があったんですね」

 

 

 “桐”の一柱が倒れたこと。残された視覚情報に映る、ツクモ艦の統制人格。そして謎の言葉。大本営は混沌の坩堝と化したらしい。

 ひとまず、桐生提督は緊急搬送され、なんとか一命を取り留めた。同時刻、母港で帰りを待っていた統制人格――霧島も昏睡状態におちいり、情報収集のため同じ病院へと運ばれる。今も横には、黒いベリーショートの女性が並んでいた。

 国民へ不安を与えぬよう、情報は秘匿されている。自分が見舞いに来られたのは、ひとえに吉田中将の温情だ。

 映像の分析も進み、それまでは幻覚とされていた、敵 統制人格の存在も認められた。合わせて、謎の言葉の変換も、様々な候補から一つに絞られる。

 

 

「深き海に棲まう艦……。これ以上ない、似合いの名前だよ」

 

 

 どうしてこの組み合わせを思いつかなかったのか、不思議でならない。

 ツクモの呼び名を定着させた頃は、まだ詳細が判別していないこともあったのだろうが……恐ろしいほどしっくりくる。

 加えて、判明したことがもうひとつ。

 

 

(奴らには自己を認識するだけの知性がある。もしくは、知性を有する司令塔が存在する)

 

 

 名称とは、他者と己を区別するための言葉。

 もしも奴らが、動物的な本能で人類と敵対しているなら、こんなもの必要ないだろう。

 逆に、理性的な思考の元で敵対することを選んでいるなら、テロリストが声高に自己主張するよう、自らを称する必要があるのかも知れない。

 これでまた、敵への認識がくつがえった。

 戦闘的には意味があっても、戦術的には無意味な行動を取ることが多かった深海棲艦。だからこそ、人類は精神的な余裕を持って対処できていた。ただ、数の多い害獣と対しているようなものだ。

 それが、明確に下された命令の結果だとしたら。不利益はないと捨て置いた行動に、戦略的な意味があるとしたら。

 

 

(自分たちは、致命的な過ちを犯していた)

 

 

 ガラスへ手をつき、悔しさにまぶたを閉じる。自然と力が入り、指のこすれる音。

 桐生提督の犠牲がなければ、人類は思考停止に陥ったまま戦争を続け、緩慢に滅びゆくだけだっただろう。

 各国上層部も重い腰をあげつつある。自分たちは今また、大きな転換期を迎えようとしているのだ。

 ……無駄になど、してはならない。

 

 

「司令官さん……。あ……」

 

 

 気遣う声に、しかめっ面をしていたのを自覚する。ごまかすために小さく苦笑。電をともない、背後にある長椅子へ。

 

 

「ごめんな。わざわざこんなところまで付き合わせて。退屈だろう? 島風にも、変な勘違いさせちゃったみたいだし」

 

「そんなことないのです。お話できないのは残念ですけど、司令官さんの友達にお会いできたのは、素直に嬉しいです。島風ちゃんだって、分かってくれてると思います」

 

「だと、いいんだけどな」

 

 

 らしくないのは理解している。いつもならキチンと説明し、それから警護を頼んだろうに。それが出来ないくらい、余裕をなくしているのか。

 自分は今まで、身内の不幸というものを味わったことがない。祖父母は物心つく前に他界しているし、葬式へ参加したことはあっても、言葉を交わした記憶すらない親戚のだ。

 友人が目を覚まさない。

 言葉にすれば二秒で終わるこの事実が、意外なほど重くのしかかっていた。

 

 

「……あの敵は」

 

「はい?」

 

「桐生提督を道連れにした、あの巨大な深海棲艦は、また出現するはずなんだ」

 

 

 壁にもたれ、頭を冷たさに押しつけながら、考えを整理する。

 楽観主義に囚われている一部の官僚は、桐生提督の犠牲によって脅威は取り除かれたのだと言っていた。そんな都合のいい話、あるはずがない。

 なぜ奴らはキスカを選んだ。あんな中途半端な位置でなく、太平洋やインド洋、北極海のど真ん中を孵化する場所に選んだなら、問題なくアレは生まれていたはず。

 もしかすれば、陸地でなければならない理由があるのかもしれない。だが、それならまた別の疑問が出る。キスカ島よりも大きく、大陸から離れた無人島だってあるはずなのに、今までこのような存在が発生したという記録はない。

 いつでも生み出せたのか。準備が整ったから生み出したのか。どちらにせよ、これは始まりだ。深海棲艦による、宣戦布告だ。

 

 

「……司令官さん」

 

 

 それに、あの大きさ。もし、あの縮尺が本体である船体にも適応されるとしたら。

 距離と光源・影から割り出した体長は、約六・六m。普通の統制人格は平均して百六十くらいなはずだから、およそ四倍。

 仮に戦艦だったとして、全長は八百~千m。全幅も百mはくだらない化け物になる。主砲のサイズや装甲の厚みまで倍化していたら。……無いと思いたいけど、どうなるか。

 

 どう戦う。

 どうやって倒す。

 

 戦艦主砲で装甲を貫けるか? 扶桑たちの三十六cm砲じゃ、おそらくダメだ。最低でも長門(ながと)級……ビッグセブンの四十一cm砲、それに九一式徹甲弾もあった方が良い。

 しかし、実際に建造・開発を進めるにしても時間はかかる。なら、比較的簡単に用意できる駆逐艦・酸素魚雷を配備した、水雷戦隊による雷撃が重要となってくる。

 重雷装巡洋艦として発展が可能な北上、大井はもうすぐ竣工。すぐには無理だが、実装されなかった木曾の雷巡化も実現したい。

 後はとにかく、数を揃えなければ。暁や陽炎たち、新しく呼んだ白露型に、建造予定を立てた朝潮型。彼女たちを軽巡や重巡の子に率いてもらう。

 またアレが出てくるとなったら、出撃数制限なんてバカ正直に守っている余裕もなくなるだろうし、いざという時に出てもらえるよう、急いで練度をあげないと――

 

 

「司令官さんっ!」

 

「――あ」

 

 

 唐突に身体を揺さぶられ、没入していた意識が、小さな手を感じとる。

 

 

「怖い顔、してたのです。とっても暗くて、深い……」

 

「……ごめん。……ごめん」

 

 

 謝って、言い訳をしようとしたけれど。何も出てこず、もう一度謝る。

 こんなに不安そうな顔をさせたのは、初めてだ。初出撃の時だって、ここまでじゃなかった。

 情けないな、本当に。

 

 

「“桐”が欠けた今、同じ状況になったら、必ず戦闘に参加することになる。きっと総力戦になるだろう」

 

「はい。覚悟は出来てます」

 

「……けどな。自分はやっぱり、君たちを失いたくない。他の能力者からすれば、現実を甘く見ているとしか思われないだろうけど。一人たりとも、死なせたくないんだ」

 

 

 手のひらを見つめる。

 少しだけペンだこのでき始めた、ごく普通の手だ。幾人もの命を拾うには、小さすぎる手だ。

 ……しかし、譲れないものがある。

 

 

「そのためには、思いつく限りの事態を想定して、対処する手札を用意しておくしかない。自分にできるのはこれくらいだ。……それでも。絶対に守ってみせるよ」

 

 

 己へ言い聞かせるよう、静かに表明する決意。

 傀儡能力者と統制人格の関係は、一方的な運命共同体だ。能力者が死ねば彼女たちは消滅するが、逆は成り立たない。数少ない例外は、過同調状態時に直撃弾などを受け、致命傷のフィードバックが発生した場合などに限られる。

 つまり、よほどのことがない限り、自分は残される側なのだ。

 今でさえ辛く感じるのに、さらに電たちを失うだなんて、想像しただけで吐き気がする。

 魂を分けて生み出した、家族同然と言える少女たち。その笑顔は、自分にとってかけがえの無い物。

 

 ――誰一人として、沈ませるものか。

 

 そう心に決め。

 硬く、拳を握る。

 

 

「守れなかった桐生さんと、時雨さんたちの分まで、ですか?」

 

 

 だが、隣から発せられた声は、聞きなれない……硬い響きを宿していた。

 驚いて顔を向けると、逃げるように席を立つ電。そして、ついさっき自分がそうしたのと同じく、ガラスへ手を伸ばす。

 

 

「司令官さんは、間違えてるのです。桐生さんは多分、そんな風に思って欲しくないはずです」

 

「……そんな風にって、自分はただ」

 

「桐生さんがこうなったのは、自分のせい。途中で引き返さないで、最後までお供していれば。そうやって、全部を自分のせいにしようとしてませんか」

 

 

 矢継ぎ早に問いかけられ、何も言えなくなってしまう。

 間違っていることが、一つもない。

 誰にも話さなかった胸の内を、言い当てられてしまった。

 小さな背中から向けられる言葉が、チクリ、と心を刺す。

 

 

「……たとえば、お二人の立場が逆だったとして。ついて来てくれなかった桐生さんのせいだ、桐生さんが戦えば良かったんだと、思えますか?」

 

「そんなこと!」

 

 

 感謝こそすれ、恨むわけがない。

 未知の敵に恐怖を抱くことはあるだろうけど、誰かのせいになんて。

 思わず立ち上がってしまうが、同時に振り返った彼女の表情で、また口をつぐむ。

 

 

「だからなのです。お話したことのない電が言うのは、少し変かもしれませんけど。

 でも、司令官さんがお友達になりたいと思えた人なら、きっと同じように思ってくれます。

 必要以上に、責任を感じないでください。悪いのは司令官さんじゃありません」

 

 

 怒りでも、慈しみでも、悲しみでもない。

 とても静かで、強い意志をたたえた瞳。

 

 

「ただ守られるだけなんて嫌です。そんな風に言ってくれる人だからこそ、頑張って戦えるんです。

 一人で、全部を背負おうとしないで。電にも、司令官さんのこと、守らせてください」

 

 

 白い部屋を背後にする電は、逆光の中でおごそかに佇む。

 ……なんだろう。この気持ちは。

 言葉にしようとすると、消えてしまいそうで。

 例えてみようとしても、捉えどころがなくて。

 それなのに、確かに触れられたような感触をもたらす、これは。

 

 

「もしかして、みんなにもバレてたのか?」

 

「バレバレなのです。司令官さんはよく嘘をつきますけど、隠し通すのはあんまり上手じゃないです」

 

「そんなに嘘なんてついてたかなぁ」

 

「ついてました。お酒の量とか、内緒で妙高さんにお仕事を手伝ってもらった時とか。他にもたくさん」

 

「分かった、悪かった、もう勘弁してくれ」

 

 

 バツが悪くて苦笑い。

 自然と浮かべてしまったそれに、なぜか彼女は嬉しそうに微笑み返す。

 隣に並べば、また桐生提督の姿が目に入る。けれど、最初に見た時のやるせなさは、感じなかった。

 

 

「でも。やっぱり自分は、君たちを守りたい。代償行動とかじゃなくて、みんなを大切に思う気持ちは、本物だから」

 

「電だって変わりません。電は、司令官さんの最初の船です。最後まで、お守りします。みんなも、きっと」

 

「可愛い女の子に守ってもらうなんて、男としては複雑だけどね。……頼んだ」

 

「はい」

 

 

 互いの顔を見ることなく、二人、約束を交わす。

 何もかもが儘ならないこの世界。自分の願いは、がむしゃらに力を求めなければ実現不可能な、夢物語に近かった。

 しかし、自分だけで叶えようとしているわけじゃない。同じものを見つめてくれる子が隣にいる。見守ってくれた仲間がいる。

 一人では取りこぼしてしまう、沢山のことを。みんなで一緒に、拾い集めていくんだ。

 

 

「そういえば、素早く動ける島風ちゃんはともかく、なんで電を警護に選んだんですか? もっと戦いの上手な、足柄さんとかの方が良かったんじゃ?」

 

「なんでかな。秘書当番だったのもあるんだろうけど……。一番最初に浮かんだのが、君だったから、かな」

 

「そう、ですか」

 

 

 しばしの沈黙。

 不意に、手の甲へ柔らかい感触が。なんなのかは、確かめなくても理解できた。

 人差し指をからめてみる。おずおずと、握り返してくれる。

 少しだけ、そのままでいて。どちらからともなく、手をつないだ。

 はぐれないように。不安に負けないように。

 

 

「帰ろう。電」

 

「はいです」

 

 

 ゆっくりと歩き出す。

 これからも自分は、迷ったり、道を間違えそうになるだろう。でもその都度、手を引いてくれたり、背中を押してくれる存在がいる。

 自分のことはあまり信頼できないけれど、彼女たちのことなら信じていける。

 ためらわずに行こう。きっと、どうにかなるさ。

 

 白いリノリウムの床をしばらく進むと、見ようによってはホテルのロビーにも見える受付へたどり着く。

 微笑ましいものでも見るような人たちを華麗にスルーし、待ち人がいるはずの喫茶店フロアへ。その頃には自然と手も離れ、ちょっとだけ寂しい気もしたが、とにかく店内に。

 寄ってくる店員さんは、先ほど寄ったことを覚えているらしく、軽い会釈。それにならってから、入り口へ背を向ける若草色の少女に近づくと、声をかけるより先に彼女は振り向いた。

 

 

「提督。もういいの?」

 

「ああ、終わったよ。ゴメンな、一人にして」

 

「ううん、平気ですっ。病院に来てた女の子とお話ししてたから」

 

 

 放っておいたことを怒っているかと思いきや、意外にも島風は上機嫌だった。

 みれば、テーブルの上に高そうな小皿が乗っている。

 ふむ。和菓子とガールズトークのおかげか。どこの誰だか知らないけど、ありがたい。

 

 

「にしても羊羹か。渋いチョイスだな」

 

「あ、私が選んだんじゃないの。それはアイリちゃんが注文してくれて」

 

「……ってことは、奢ってもらったのか? ダメじゃないか、知らない人に物をもらっちゃダメって言っただろう」

 

「う~。でも、悪い人じゃなかったですっ。とっても優しい子だったよ!」

 

「そうかもしれないけどな」

 

 

 露出度的には重武装でも、心は逆に警戒心を解いちゃってるんだろうか。

 不注意……というよりは無防備な島風に、思わず口酸っぱくお説教してしまいそうになった。

 すると、三歩後ろに控えていた電が、分かっていたようなタイミングで間へ割って入る。

 

 

「ダメなのです、二人とも! 喧嘩なんてしちゃったら、美味しそうな羊羹が台無しなのですっ」

 

「……そう、だな。ごめん、せっかく機嫌直してくれてたのに。許してくれ」

 

「ん……。じゃあ、私の言うこと聞いてくれたら、許してあげる」

 

 

 ようやく、一人で悩み続ける悪循環を脱出できたと思ったら、さっそく怒られてしまう自分。ダメさ加減に呆れてしまうけれど、その分、真剣に頭を下げた。

 それを見た島風は、皿を取り、小さくなった水羊羹を楊枝に刺して、なぜかこちらへ。

 

 

「半分こ、しよ。すごく美味しかったから、残しといたの」

 

「……いいのか、そんなことで」

 

「うん。それから別のも頼んで、提督と、電ちゃんと、私。三人で分けっこして食べたいです。いいよね?」

 

「電も、ですか?」

 

「当たり前だよ。みんなで一緒がいい。ねっ」

 

 

 今日、初めて見る彼女の笑顔。まるでヒマワリのような、まぶしい笑顔。

 電が言っていたこと。どうやら全部、当たっているようだ。チラリ、様子をうかがえば、また一輪。本当に敵わない。自分の完敗だ。

 嬉しくもある敗北感を味わいつつ、差し出された羊羹を頬張る。口の中に、和三盆の上品な甘さが広がった。

 これは――!

 

 

「ホントだ、めちゃくちゃ美味い!」

 

「でしょでしょ?」

 

 

 どうだ、と言わんばかりの島風。誇らしげなそれが、とても愛らしく感じた。

 ……うん。せっかくここまで来たんだ。どれが美味しいのかを調べて、お土産にしよう。言葉にはしなくても、確かに心配してくれていた、彼女たちへのお礼として。

 そう決めた自分は、電と島風を椅子に座らせ、三人でメニューを開く。

 ああでもない、こうでもないと言い合いながら、洋菓子まで網羅する品数に頭をひねる時間は。

 久方ぶりの、戦いを忘れられるひと時だった。

 

 

 

 

 

「……このプリンを作ったのは誰だぁ!? 弟子にしてくださいお願いします!!」

 

「え、そんなに美味しいの? 一口ちょうだいっ」

 

「島風ちゃんズルいですっ。司令官さん、電にも欲しいのです!」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

『……やはりこうなると、桐生を失ったのは痛手でしたね』

 

 

 分割されたディスプレイの中、右半分を占める男がため息をつく。

 精悍な顔が歪められ、さながらドラマのワンシーンにも思えたが、しかし、鋭利すぎる目つきは見たものを威圧してしまう。

 それを受ける老人――吉田は、普段のひょうひょうとした態度を隠し、重苦しい声で返す。

 

 

「ワシの采配ミスじゃ。言い訳のしようもない。償いはきっとしよう』

 

『今は責任を取るよりも先にすることがあるはずです。だからこそ、貴方はこうしていられるのですから』

 

「そう言ってもらえれば助かる。あの若いのが使えると良いんじゃが」

 

『例の調整士ですか。如何様な理屈で能力が発現するのか、また分からなくなりました』

 

「うむ。まぁ、使い物にしなければならぬのは変わらん。よろしく頼むぞい、兵藤」

 

『お任せを、中将』

 

 

 左半分に映る女性、兵藤凛も淡々とうなずく。

 桐生提督の最後を看取った、青年調整士。なんの因果か、彼には傀儡能力が目覚めていた。

 “桐”の穴埋めには小さいが、新たな戦力であることも確かであり、その身柄は、幾人もの能力者を育て上げた実績をもつ、彼女へ預けられることになっている。

 

 

『ところで、桐林はどうですか』

 

「どう、とは?」

 

『噂ではかなり参っているようですが。たかが同僚の一人が倒れたくらいでそうなると、いささか疑問も湧きまして、ね。いざという時、戦力として数えて良いものか』

 

 

 男は冷たく言い放つ。

 精神だけとはいえ、戦場に身を置くものとしては、桐林提督はあまりに脆く見えた。

 砲弾が飛び交う中で死者が出るのは当然。むしろ、失ったのが意識だけなら僥倖なのだ。回復の見込みはほとんど無いが、それでも幸運な部類である。涙と糞尿にまみれ、痛みに狂い死ぬよりは。

 だというのに、彼は桐生提督の現状を気に病んでいるという。無駄が過ぎる。

 しかし、男と違う観点をもつ吉田は、信頼を込めて懸念を否定した。

 

 

「問題なかろう。この程度で折れるような鍛え方はしておらんはずじゃ。そうじゃの」

 

『はい。なにぶん初めてのこと。今は戸惑っているだけかと。すぐに立ち直るはずです』

 

『だといいのですが。彼のおかげで、そちらの通常任務は捗っているのでしょう。手の空いた能力者が支援に回り、こちらも助かっております。失うのは惜しい』

 

 

 言外に、それ以外で今は役に立ちそうもない、とつけ加える表情。

 兵藤の眉がピクリと動く。あと一言追加されれば、階級差も無視して反論を辞さないという気勢が伺える。

 吉田は矛先を変えることで話をついだ。

 

 

「なぁに。真に危急存亡の事態となれば、おヌシも出ざるを得んのじゃ。どうにかなろうよ。腕は鈍っておらぬよな、桐城よ」

 

『その名は辞退したはずです。おやめ下さい』

 

 

 思った以上の効果を持っていたか、男の顔が倦怠をしめす。

 男もまた、“桐”を冠するにふさわしい才覚をもち、相応の戦果を挙げた人物であった。が、男はそれを受け取るのを良しとせず、少将に留まることを選んだ。

 でなければ、今ごろ吉田と同じ階級に収まっていただろう。残念でならなかった。

 

 

「なぜ、そうまで頑なになる。それではおヌシの妹君も……」

 

『は? ……中将。私に妹などおりませんが』

 

 

 とぼけているとも思えない、至って自然な返答。吉田は哀れみを覚えた。

 未だ、その真価を目覚めさせた悲劇と、時勢に翻弄され続ける二人へ。

 

 

「そうじゃったの。いかんいかん、ボケが始まったか?」

 

『まさか。しかし、タバコはお控えください。貴方自身も、まだ失われるべきではないのですから。どうかご自愛を』

 

「タバコではないと言っておろうに。これは葉巻じゃ」

 

『何が違うのか理解できませんね。……では、私はこれで』

 

 

 肩をすくめて語り、男の姿が消える。

 すると、画面いっぱいに表示された兵藤が、息づきをするように『ぶはぁ!』と息を吐いた。

 

 

『あぁぁぁもうぅぅぅ! なんなんですかあの鉄面皮ぃ!? 息が詰まる! 重苦しい! ちくしょうあんのイケメンめぇ!』

 

「最後のは褒めとりゃせんかの」

 

 

 軍人の仮面を突き破り、騒々しい一面が現れた。

 重厚な雰囲気も爆散。遠距離通信で対面する家族のような、気楽な空気に。

 

 

「おヌシもおヌシで相変わらずじゃのう。そんなに奴が嫌いか?」

 

『ええ。ええっ。もちろん大っ嫌いですとも。格好良さ余ってウザさ百万倍ですともっ。

 男はですね、顔だけじゃダメなのです。内からにじみ出るフェロモンと、心の温かさがなくっちゃ!

 あんな仕事が恋人みたいなイケメン、一億もらったって相手はゴメンですよっ。でも二億くらいなら揺らぐかも?』

 

 

 拳を握りしめたと思ったら、何か匂いを嗅ぐように鼻を動かし、自分の身体を抱きしめ、ずいっと画面(カメラ)へ急接近。最後に首をかしげる兵藤。

 このような態度、普通なら鉄拳制裁だが、吉田はまるで孫を見守るように優しく笑う。

 

 

「おヌシと同じじゃよ。奴も、自分を演じねばならんほどには、削れておるだけじゃ。分かるじゃろ?」

 

『いいえサッパリ。私のこれは地ですから。自分に正直に生きてるだけです』

 

「そうか。まぁ、操を立てるのもいいが、せめてワシの送っとる見合い相手の写真に、いかがわしいイタズラして送り返すのはやめてもらえんかの? ワシゃそっちの気はないんじゃが」

 

 

 思い出したくもない、薔薇の香りただよう写真がまぶたの裏をかすめ、吉田は吐き気をもよおした。

 イタズラして楽しむだけならまだしも、鎮守府へ送られてきた物は全て検閲を受ける。こうも頻繁に送られては、この年で独り身なのはそういう趣味だからと誤解を受けかねない。

 事実、普段から頼りにしている書記の少女にも、最近それを見られてしまった。距離を取りつつメガネを輝かせたのが不安だ。

 ひどく情けない気分にため息をつく吉田だが、対する兵藤はアヒル口で文句を。

 

 

『だってぇ、純粋にタイプじゃないんですもん。それに毎週送られたって困りますよぅ。

 なぁんで能力者は能力者と結婚しなきゃいけないんでしょーねぇ。その子供が能力者だった試しなんか無いじゃないですか。

 これだからお花畑な連中は嫌いなんですよ。第一、妊娠したら戦場に出れなくなります。今は腰振ってる場面じゃありません』

 

 

 法的に定められているわけではないが、傀儡能力に目覚めた女性は、今まで全員が能力者と婚姻を交わしている。生まれてくる子に、能力が引き継がれることを期待して、だ。

 男の場合は特にそういった慣習はないものの、早いうちに子を儲けることが推奨されている。彼らに対し、過剰な広さをもつ宿舎が充てがわれるのは、言ってしまえば女を囲うためなのである。

 鎮守府で働く女性職員の何割かは、そういった玉の輿を狙っていた。あらぬ噂がたつのを嫌い、性欲を抑える薬を服用する能力者までいる。

 ちなみに桐林提督の場合、周囲を見目麗しい統制人格に囲まれているため、彼女たちがいろんな意味で防壁代わりとなっていた。

 

 

「官僚嫌いも変わらずか。あまりそう責めるでない。彼らが居らねばワシらもこうして戦えんのじゃ。持ちつ持たれつ、じゃよ」

 

『はぁ~い先生。ああ、そういえば。最近、豪勢なエサを使って“釣り”をしているみたいですけど、大丈夫なんですか?』

 

「うん? 何のことじゃ」

 

『とぼけないで下さい。私にも筒抜けだったんですよ。本当に食いつかれたらどうするおつもりです』

 

「はっはっは、無用な心配じゃよ。こちらでも安全は十二分に確保しとる。それで食いついたなら……潮の流れを読む、いい機会になろう」

 

『……怖い人です。代わりは“いない”んですから、本当にお願いしますよ』

 

 

 直接、何をとは示さないが、明確に魚釣りでないことを含ませる、安易な言葉遊び。

 調子外れな口調を正して、真摯な眼差しを向ける兵藤の姿から、その重要性、危険性が予想できる。

 だが、数秒と待たず崩れた表情に戻り、彼女は話を切り上げた。

 

 

『じゃ、私もそろそろ。“梵鐘”の御曹司と“千里”の引きこもりには、私から呼びかけますので。新人君に愛してるって伝えといて下さいね。でわでわ』

 

「うむ。“飛燕”はワシが。あのジャジャ馬に会うのが今から楽しみじゃわい。またの」

 

 

 映像が切れ、ディスプレイは闇に落ちた。

 無音となった執務室に椅子の回る音が響き、吉田が手元にある書類を改める。

 数枚の衛星写真が添えられていた。

 

 

「地震も、津波も発生させず、か」

 

 

 特筆すべきことのない一面の海。突き出た岩礁。大きな島。

 別々の物を写したように思えるそれは、全く同じ地点を、数日おきに撮影したもの。

 北緯十五度、東経百三十五度。沖縄本島、パラオ、グアムを結んだ三角形の中央付近に、新たな島が出現していた。

 本物と比べれば十分の一程度の大きさだが、スリランカの主要領土と非常によく似た形状から、その島はこう仮称されている。

 ――セイロン偽島(ぎとう)、と。

 

 

「ワシらは一体、何と戦っておるのかのう」

 

 

 地変すら自在に引き起こすツクモ艦――いやさ、深海棲艦。

 作りしは、神か、悪魔か。それとも第三の、知ることのあたわざる者か。

 今はまだ、誰も答えを得られずにいた。

 

 

 

 

 




長くなっちゃったので今回は分割投稿。
こぼれ話、予告は次話です。

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