新人提督と電の日々   作:七音

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こぼれ話 北上さんはラブ勢だと思うのですよ

 

 

 

 

 

「ふっふふーん、ふーん、ふーんふんふふん、ふっふふーん、ふん、ふん、ふーん」

 

 

 上機嫌な鼻歌とともに、サァァ、という優しい水音。

 ジョウロが美しい虹を作り出し、芽吹いたばかりの苗が恵みを受ける。

 瑞々しく朝日を反射する双葉たちは、どことなく嬉しそうに見えた。

 

 

「北上さん、おはようございます。朝から精がでますね」

 

「んあ? おー、大井っち。おっはー」

 

 

 後ろからの声に、雨を降らせていた少女が振り返った。

 近づいてくる、濃緑のセーラー服を着た少女。背中にかかるほどの艶やかな茶髪に、天使の輪が描かれていた。球磨型軽巡洋艦四番艦・大井だ。

 そして、手を振って迎える黒いお下げ髪の少女が、三番艦・北上。

 同じ制服で身を固めた彼女たちは、つい先日、軍艦の中でも珍しい重雷装巡洋艦――四連装魚雷発射管を、片舷五基二十門。両舷合わせて十基四十門という、凄まじい魚雷火力をもつ艦へ近代化改装された二名である。

 

 

「あ、もう芽が出てたんですね。何を育ててるんでしたっけ」

 

「水菜だってさー。いいよねぇ、あのシャキシャキ感。あたし好きだなー。早く立派に育って、あたしたちの胃袋へ収まるんだよー水菜ちゃーん」

 

「そんな身も蓋もない言い方したら、育たなくなっちゃいますよ……?」

 

 

 笑みを浮かべながら水をやる北上と、隣に座り込み、困った顔で見上げる大井。

 姉妹艦である二人だが、長良型の統制人格たちと同じく、姉妹というより友人同士……思春期の女子によくある、“特別な”友人という関係にある。また、最初から重雷装艦化を意識して励起されたためか、残る三名とは衣装も異なっていた。

 しかし、球磨たちは気にも留めていないらしく、「姉ちゃんよりも先に改造とか生意気だクマー。盛大に祝ってやるクマー!」と、パーティーを開いてもらう程度には仲が良いようだ。

 ちなみに、その時のおつまみは、スモークサーモンチップに厚削りの鰹節、ちょっと不恰好な手作りクッキーの三種だった。誰が何を用意したのか、想像に難くない。

 

 

「どのくらいで収穫なんですか?」

 

「うーん、鳳翔さんが言うには、あと三週間くらいかなぁ。その前に間引いたり、肥料をあげたりしないといけないんだよねー。たまにでいいから手伝ってくれる?」

 

「もちろんです。たまにと言わず、毎日でも」

 

 

 親友からの頼みに、大井は当然と腕まくりして見せた。二人のいる場所は、宿舎にほど近い家庭菜園である。

 統制人格が増えに増え、すでに四十を越えた桐林艦隊。増大する食費・光熱費に、家計を任されていた鳳翔は、少しでも節約しようと一念発起。手のあいた仲間に手伝ってもらい、この菜園を耕した。現在、秋から冬の収穫を目指して、様々な野菜を栽培中だ。

 手塩にかければその美味しさもひとしお。今から収穫が楽しみ……ではあるのだが、ちょっとした不満もある彼女だった。

 

 

「……にしたって、野菜のお世話とか、統制人格のする仕事じゃありませんよ。全く、提督も何を考えてるのか……」

 

「あたしは別に嫌じゃないよ? 土いじりも案外悪くないよねー。なんていうか、新しい自分を見つけちゃった的な。まー、そんなに長く生きてるわけじゃないけどさ」

 

「なら、良いんですけど……。わたしとしては不安です。初対面でセクハラしてくる人の部下だなんて」

 

「セクハラ? 大井っち何かされたの?」

 

「されましたよっ。北上さんもされたじゃないですかっ」

 

「あたしも……。あー、もしかして、手?」

 

 

 空いた手をひらひらさせる北上へ、大井が頷く。

 励起に際して発生する肉体的接触――要するに、実体化した時、手を繋いでいる現象のことだろう。

 具体的な理由は今持って不明だが、誰が励起を行ってもこれは発生する。つまり避けようがないのである。

 けれども、そういったことへ敏感な精神構造を持ってしまった彼女にとっては、セクハラ以外の何物でもなかった。

 対して、北上はさほど意識もしておらず、むしろ過敏な反応をたしなめるように苦笑い。

 

 

「みんな一編は通る道みたいだし、気にし過ぎじゃない? 提督、わりと傷ついてたみたいだよー?」

 

「自業自得です。あの人、最初から好感度高い女の子に囲まれて、感覚が麻痺してるんです、きっと」

 

 

 見解の違いが面白くない大井。若干アヒルぐちである。

 励起され、自身が彼と触れていることに気づいた彼女の対応は、挨拶の前にそれを振りほどき、表面上は笑顔を浮かべつつスカートで手を拭うというもの。

 男からすると痛恨だった。その場は取り繕えても、「馴れ馴れしかったのかな……」と落ち込み、以降、統制人格へのスキンシップには許可を求めるようになったほどだ。

 とはいえ、傍目から見れば、洗濯物を一緒にしないで欲しい思春期の娘 VS 反抗期に差しかかった娘への対応に困る父親、といった、深刻さを感じさせない仲の悪さでもあった。それがまた、北上の笑みを深くする。

 

 

「まー、大井っちの気持ちも分かるけどさ。あたしはやっぱり、嬉しかったなー。大きくて、ちょっとゴツゴツしてて。けど、すごく暖かかったから。それに」

 

 

 ジョウロを脇へ置き、つまらなそうに苗を突っついていた手を取って。

 彼女は偽りのない気持ちを、指へ込める。

 

 

「大井っちとも触れ合えるようになったしねー。感謝してるわけですよ、北上さんとしては」

 

「あ……。そう、ですね」

 

 

 柔らかさを感じ、ふてくされていた顔もほころんだ。

 元々は艦船。そんな事をする必要など無いし、しようと思う心も無かった。だが、こうして体温を受け取れる今、その素晴らしさは実感していた。

 いつも締まりのない表情で、何かにつけ駆逐艦たちの頭を撫で回したり、千歳と一緒に酔っ払い、大騒ぎするのも日常茶飯事な、だらしない上司。けれど一応、感謝はできるかもしれない。

 触れる身体と、感じる心を与えてくれたこと。

 そしてなにより――

 

 

(北上さんと、お揃いの服も着れるし)

 

 

 ――ペアルックを構築してくれた、彼の深層心理に。

 おそらく、この世で大井と北上、“二人だけ”が着る制服。たまらない響きである。妹と可愛がってくれる球磨たちにはちょっと悪いが、大井は嬉しかった。ペアルックだし。

 一見地味だけど日常的に使えるし、ペアルックだし。正直ダサいとも思ったけど、ペアルックだし。まぁとにかくペアルックだし。ビバ・ペアルック。

 こう考えると、一回くらいならハグさせてやってもいい気がしてきた。しかし、手のひら返しするのもなんだか悔しく、彼女は冗談めかした調子で北上をのぞき込む。

 

 

「おっほん。ところで、さっきからやけに提督のフォローしてますけど、まさか北上さん、彼に恋しちゃってるとか……ふふっ、まさかそんなこと――」

 

「……んー」

 

「――あら? え。えっ。北上さん?」

 

 

 目を微妙に伏せて、頬を赤らめながら揉み上げいじるとか、何その反応。乙女チックで超可愛いんですけど。

 と、混乱のあまり、大井の思考は脱線する。

 それに気づかぬ北上は、つないでいた手をほっぽり出し、恥ずかしげな口元で五本指を突っつき合わせた。

 

 

「提督のことは、そう……。まー、そうねー。……嫌いじゃあない、かなー……なんて」

 

 

 動悸が激しくなった。

 北上の仕草がツボったからではない。親愛なる友の陥っている状況に、不整脈を起こしたからである。

 嫌いじゃない。額面通り受け取れば、単に悪感情は抱いていないというだけ。だが、その視線が。仕草が。声が。そうではないと物語る。……予想外だ。

 信じたくない気持ちと、身を焦がす焦り。ついでに、ほどかれた指の寂しさも手伝って、大井は愛おしい人へすがりつく。

 

 

「い、いやいやいや、嘘ですよね、嘘でしょう北上さん!? ブサイクとは言いませんけど、明らかにイケメンじゃありませんし!」

 

「でも、愛嬌あるよねー。提督の笑った顔って、けっこう可愛いと思う」

 

「えええええ。と、ときどき北上さんの名前を間違えるような、失礼な人じゃないですかっ」

 

「しょーがないでしょー。あたし自身、たまーに『きたがみ』の方が言いやすい時あるもん。ていうか、大井っちも結構な確率で……」

 

「き、記憶にございません。ロリコンって噂もありますよっ? 電ちゃんとは仲良すぎですし、島風ちゃんにはあんな格好までさせてるし、変態趣味ありそうで危険ですっ!」

 

「そぉ? 一応、あたしとか大井っちも趣味の範囲に入ってるんじゃない? 根は真面目っぽいから、既成事実さえ作っちゃえば責任とってくれそうな気がするけど」

 

「イヤですよ穢らわしいっ! とにかく提督なんですよ!? あれがこうしてそうなっちゃう提督っ!? ずぇええったい、ダメです!!」

 

「大井っち、もう理由になってないよー」

 

 

 暖簾に腕押し、糠に釘。手応えのない問答で歯がゆく悶えていた大井は、途中、自分も例えに含まれたことへ拒絶反応を示し、勢いよく両腕をクロスさせた。

 本人が聞けば盛大に落ち込みそうなことを言ってしまったが、人間的な魅力を欠いている人物ではない。これだけ多くの統制人格に慕われているという事実が証明だ。いくら励起された側でも、自意識を宿した感情持ち。無条件に好意を向けられるわけではないのだから。

 彼女自身、第一印象こそ最悪だったけれど、後の交流で態度は改めている。最初のあれも「謝っておこうかなぁ」と、タイミングを見計らってもいる。が、無理だ。それとこれとは話が別。

 感情に目覚めている統制人格なら、我慢すれば“そういう事”も可能だと、刷り込まれた知識で知っている。でも無理。そんな対象として見れないし、見て欲しくない。

 

 

(北上さんをそんじょそこらの男に任せられるもんですかっ。せめて、わたしの屍を越えていけるくらいじゃないと……!

 どうする。どうするの。どうすれば北上さんの気の迷いを晴らせるの……!? うぅぅぅぅ、なにか穏便で、即効性のある手立ては………………あれ?)

 

 

 親指の爪を噛み、必死に考え続ける大井の耳へ、「ぷふっ」という笑い声が届く。

 隣を確かめてみれば、北上が堪えきれない様子で吹き出していた。

 

 

「いやー。大井っちってば、予想通りの反応してくれるんだもん。おかしくってさー。ふっくく」

 

「……へ?」

 

 

 お腹を抱えるその姿に、やっと気づく。一杯食わされたのだと。

 

 

「も、もうっ。北上さん、人が悪いです! わたし、本気でビックリしたんですからねっ?」

 

「ごめーん。大井っちが突然変なこと言い出すからさ、つい。許して?」

 

 

 両手を合わせ、片目を閉じてクイっと斜めに。

 いつもの調子が、嘘ではないことを教えてくれる。オマケにとっても可愛らしく、何もかもがどうでも良くなってしまう。

 もしも本気だったとしたら、己が尊厳と、北上の隣に立つ権利をかけて決闘を申し込むところだが、彼女にとっての特等席は守られた。ならとりあえず、それで良しとしてやろうではないか。

 

 

「……はぁ。いいです。冗談ならもう、それだけで。さ、そろそろ朝ごはんの時間です。戻りましょう?」

 

「あ、ちょっと待って。……よし終わりー。行きますか」

 

 

 残っていた水をまき終え、上機嫌な背中を北上が追った。

 しかし、不意に立ち止まった彼女は、まだ低い太陽を見上げ、まぶしさに目を細める。

 

 

「……まー。全部が嘘だとは、一言も言ってないんだけど……ね?」

 

 

 手をかざし、誰にも聞こえないよう呟く。

 どこまで本気で、どこまで冗談か。

 それは神のみぞ……いいや。神ですら知ることは許されない。

 

 

「北上さーん、どうかしましたー?」

 

「なんでもなーい。いま行きますよー」

 

 

 知っているのは、生まれたばかりな乙女心だけ、である。

 

 

 

 

 




「……なぁ。そこのあんた。ちょっち顔貸しぃ」
「え? あ、龍驤さん……ですよね。初めまして。私、祥鳳型軽空母二番艦の――」
「皆まで言うなっ。見れば分かる、あんたとうちはもう仲間や! 敬語も要らんから、仲良うしような?
 困ったこととかあったら、なんぼでも力んなったるでぇ。ほんなら、ちょっち防空演習出てくるわ。また後でなー!」
「あ、はい……じゃなくって、うんっ。頑張ってねー!(……嬉しいんだけど、やけに胸の辺りを見られてたのはなんで?)」

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