新人提督と電の日々   作:七音

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電ちゃんに久々の出番ということで張り切ってたら、合計三万字を越えちゃったので、今回は三分割投稿です。


新人提督と最良の敵・前編

 

 

 

 

 

 結局、何も分からない、ということが分かっただけだった。

 唯一の救いは、彼女がとても良い相棒役を務めてくれるということ。

 わたしから戦い方を学んでいたかのように、次の一手を察知し、的確に状態を整えてくれる。煩雑な傀儡艦への命令も、すこぶるやり易くなった。

 いつの間にか、わたしは彼女を受け入れ始めていた。頼もしいとすら感じている。

 一方で、胡散臭さもあるのだ。

 目隠し鬼をしているよう、手の鳴る方へ誘われているだけではないのか。落とし穴があると知らず、突き進んでいるのでは。

 目に見えない大きな流れが、渦巻いている気がした。

 

 だが、それも今は置いておかねば。

 あと数時間で観艦式が挙行される。傀儡艦と傀儡能力者。人類が得た新しき力のお披露目である。

 しかし、その主役は哀れなほど緊張しているのだ。

 何度も何度も、繰り返しセリフの練習をしながら、「カンペ持っていっちゃダメですか……?」と涙目をこちらへ。ここまで大きな反応を示されるのは初めてだった。

 とにかく、駄目に決まっているだろうと叱りつけ、わたしは彼女の読み合わせに付き合う。

 あれだけ素早く砲塔を回せるのに、たった三行の謳い文句で、どうして舌が回らなくなるのか。

 全く、先が思いやられる。

 

 

 桐竹随想録、第五部 雪に萌ゆるより抜粋。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 風を感じた。凪いだ海の上をいく、穏やかな風を。

 視界は閉ざしているため、肌を撫でる感触も、髪を梳かれる心地よさも、余すところなく感じられた。

 もっとも、それを受け取る自分の身体は、相変わらず地下にある。

 空調設備で完全に整えられた空気。頭の上半分をスッポリ覆う装具。脱着可能な籠手も、今は増幅機器の手すりと一体化して操作状態だ。

 生まれ持った肉体は椅子へと固定されているのに、海風を浴びる確かな開放感を得ている。

 完全に同調しきってはいない、半同調状態での奇妙な感覚。話によれば、アリス症候群の症例と似ているらしかった。

 

 

「提督。そろそろお時間です」

 

「ん……。分かりました」

 

 

 書記さんが開始時刻を告げる。

 これから始まるのは、北太平洋、安全領域内を縦横無尽に駆け抜ける、艦隊演習である。

 “桐”の談合から数日。

 自分は悩みに悩んで悩み抜いて、与えられた任務への方策をいくつか捻り出していた。今日の演習は、それを確かめるためのものだ。

 運良く、演習海域がまるっと空いており、存分に暴れ回れることだろう。

 

 

(数は六対六。艦種や兵装の情報は互いに確認済み。配置はランダムで索敵から開始。上手くいくか……?)

 

 

 いや、上手くいく方がおかしい。言ってしまえば、失敗するのが前提でもある。

 何度も失敗を繰り返し、修正点をみつけ、作戦と言えるまでに練り上げる。そのための演習。勝ち負けにこだわる必要もない。

 ……どうせなら、勝って格好良いところを見せたいけど。

 

 

「開始予定時刻、一五◯◯まで、残り三分」

 

 

 欲張るな。自惚れるな。でも臆するな。今は目の前の戦いへ集中するんだ……!

 ゆっくりと息を吸い、限界まで吐き出して。

 もう一度、今度は一気に肺を膨らませ――

 

 

「……三、二、一。定刻となりました。演習を開始してください」

 

『了解。全艦、戦闘用意! 両舷前進、第四戦速。艦載機の発艦急げ!』

 

 

 ――戦いの狼煙を上げる。

 おおぉ! と六人分の声が返るころには、自分の意識は洋上を漂っていた。

 二十七ノットを目指して進み始めた輪陣形のうち、旗艦である軽空母――「づほ」と着艦識別文字が描かれた甲板に立つ少女へ、半ば繋がっていた感覚が急接近。一挙一動を、座りながら体感する。

 

 

「はぁ……。大丈夫、きっとうまく出来る……」

 

 

 紅白の縦柄ハチマキを巻いたポニーテール少女が、矢をつがえながら、左手の弓を改めた。

 服装は赤城と似た巫女服っぽい和装だが、袴は太もも辺りでバッサリ切られ、ベルトでもんぺのように絞られている。強張った小さな体躯と裏腹に、胸当てと、格納庫代わりの矢筒が馴染んでいた。

 来たるべき硫黄島への出撃と、その失敗・再出撃に備え、燃費が良い軽空母のローテーションを組めるよう、急遽建造した祥鳳型航空母艦二番艦・瑞鳳(ずいほう)

 これが彼女の名である。

 

 

『緊張してるのか、瑞鳳』

 

「あ、提督。そんな事ない……って言えれば良かったんだけど、ちょっと怖いかな。初めて飛ばす機体が、彗星だなんて。おまけに天山まで載せてるし……」

 

 

 後部エレベーターから、瑞鳳の言う艦上爆撃機・彗星一一型が姿を現す。

 九九艦爆と比べて小柄であり、先細りの機首が目立つ。倍近い重さの爆弾を積むことができ、戦闘機並みの性能を持った機体だ。大戦時は工業力の問題でろくな運用ができず、満足に活躍できなかった不遇の傑作でもある。

 そして天山とは、艦上攻撃機・天山一二型のこと。

 こちらも機体性能が向上しており、さらに基本雷装を、九七艦攻で使用されていた九一式航空魚雷改二から、頭部炸薬量を増やした改三・強へと変更していた。

 要するに攻撃力をアップさせた艦載機なのだが、彼女が海へ出るのはこれが初めて。不安を感じてしまうのも無理はない。

 けど、だからと言って相手は待ってくれやしない。ただでさえ艦隊として練度の低いこちらは、とにかく先手を打つしかないのだ。

 

 

『落ち着いて、頭の中にあるイメージ通りにやれば大丈夫さ。自分も手伝おう』

 

「え? どうやって……ぁっ、て、提督っ?」

 

 

 少しだけ同調強度を高め、鳳翔さんとの訓練で覚え込んだ動きを再現する。

 瑞鳳からしてみれば、手を取られて、身体を動かされているような感覚だろうか。戸惑うような声が上がった。

 ちょっとどころか間違いなくセクハラだが、肉体的には触れてないし、もうすぐ艦自体の速度も乗る。

 発艦に適した合成風力(風上に向かって艦が移動する際に発生する風。これを使わないと滑走距離が足らず飛び立てない)が得られ次第、まずは艦爆・十八機を送り出さねば。

 

 

『身体の力を抜くんだ。もっと自然に、自分自身を信じて。さぁ、やるぞ?』

 

「……うんっ! 攻撃隊、発艦!」

 

 

 最初はぎこちなかった構えが柔らかく、しなやかに。そして、今だと直感した刹那、矢は放たれた。

 同時に飛び立った彗星と、それを模した矢尻が霊的に同化。より複雑な制御を受け入れる準備が整う。

 

 

『よし、上出来だ。あとは頼むぞ、瑞鳳。全機上げ終わったら報告を』

 

「任せてっ。せっかく旗艦に選んで貰ったんだし、S判定勝利で初陣を飾っちゃうんだから!」

 

 

 新たな矢をつがえつつ、彼女は笑顔で答える。習うより慣れろ、とはよく言ったもの。もう大丈夫そうだ。

 見えてはいないだろうけど、頼もしい背中へ笑い返し、自分は中継器で繋がった他のメンバーに視点を移す。

 今度は、左右と後方を守る、駆逐艦二人と軽巡一人だ。

 

 

『不知火、五月雨、五十鈴。対空の要は君たちだ。艦隊を守ってくれ』

 

《了解しました》

 

《もちろんです、護衛任務はお任せくださいっ。一生懸命、頑張りますっ!》

 

《五十鈴も了解よ。全力で提督を勝利に導くわ》

 

 

 簡潔に、可愛らしく、堂々と。三人の少女がうなずく。

 陽炎と同じ高角砲二基と魚雷発射管、太ももへ機銃帯をつける不知火。

 両手に拳銃型高角砲を構え、大きめの魚雷発射管を背負い、ウェスタンスタイルのホルスターにも拳銃型機銃を複数納める五月雨。

 小銃型高角砲一丁と、腰回りに、魚雷発射管二つと機銃をこれでもかと据えた五十鈴である。

 改の名を冠した彼女たちは、接近してくる敵機から皆を守る役目を担う。

 

 駆逐艦二人は、主砲、五十口径 十二・七cm連装砲を六十五口径 十cm高角砲へ変更し、二十五mm三連装機銃・同単装機銃を、それぞれ五基・十四基、三基・十基まで追加している。

 この改装により、主砲は砲弾を一回り小さくしながら、長い砲身により初速・射程を保ち、旋回速度・最大九十度まで取れる仰角・スペック上では倍近い発射速度を得た。

 機銃は実際に敵機を撃ち落とすのではなく、弾幕を張って近寄らせないための物なので、とにかく数が多い方が良い。

 

 そして、これに特化しているのが五十鈴だ。

 主砲の十四cm単装砲七基を撤去。十二・七cm連装高角砲を二基四門、三連装機銃を九基二十七門、駄目押しに同単装機銃・五基、十三mm単装機銃・八基を載せた、対空砲火の鬼である。

 史実においては飛行機滑走台(カタパルトとは違って射出機能はない)も外し、三連装機銃二基をさらに追加。爆雷投射機・爆雷投下軌条二基も設置されたが、練度の問題で対空機銃増設に留まった。

 竣工時から対潜装備を持つ不知火、水中聴音機を追加した五月雨に任せる形だ。水上偵察機も載せていない。

 加えて、艦隊では彼女が初装備のある物も特徴だった。

 

 

『電探の調子はどうだ?』

 

《感度良好……といっても、まだ反応はないわね。瑞鳳の艦載機が発艦を終えるまでは私が索敵を続けるから、安心してちょうだい》

 

 

 艦橋の上部で回転する、幅三・三メートル、高さ約一・八メートルの金網状の物体――二式二号電波探信儀一型。略して二一号電探(レーダー)

 航空機を五十五km、戦艦を二十kmで探知できる(あくまでスペック上は)代物だが、実は傀儡艦に電探を載せることは少ない。艦隊に水偵などを飛ばせる艦がいれば、その視点から情報を得て砲撃可能なため、必要ないのである。

 逆に、そういった制御の苦手な能力者が載せる場合もあるが、わざわざアンテナの向きを変え、オシロスコープ(光の線がうにょうにょする心電図みたいなやつ)で読み取らなければならないので、円滑なマルチタスクが重要な傀儡艦戦闘には不向きだったりする。値段も高いし。

 それでも採用したのは、感情持ちであれば能力者と作業分担が可能であり、不完全とはいえ防空巡洋艦になった五十鈴との相乗効果(シナジー)も期待できたから。彼女がいなければ、アウトレンジでなす術なく叩かれるだけだっただろう。

 と、頭の中で分析を進めていたら、当の五十鈴が「それにしても……」と前置く。

 

 

《妙な感じだわ。こっち側に千歳さんたちと、あと瑞鶴がいれば、レイテの第三航空戦隊が再現できるじゃない》

 

『言われてみればそうだな。必要があったからこのメンバーを選んだんだけど……これも縁かな』

 

《あ、夕立ちゃんと一緒にお勉強したから知ってます。空母になった千歳さんに千代田さん、瑞鳳さんが参加したんですよね。五十鈴さんもその護衛として。それに多摩さんも》

 

《不知火も、志摩艦隊としてスリガオ海峡へは参戦しましたが……。あまり思い出したくありません》

 

《散々だったものね……。けど、私はいい機会だと思う。演習とはいえ、あの時の借りを返せるんだし。今度は敵機全部落としてやるわ!》

 

《ですねっ。提督、改装して新しくなった私の活躍、見ていて下さいね?》

 

『ああ、見逃さないよ。不知火も例の“アレ”、十分に警戒してくれ』

 

《承知しています。油断はしません》

 

 

 渋い顔の五十鈴と不知火だったが、うまく切り替えてくれたんだろう、普段通りの凛とした表情へ。逆に五月雨は、無邪気な学生のように手を上げている。

 演習中なので詳細は省くが、「無理の集大成」とも評された、シブヤン海・スリガオ海峡・エンガノ岬沖・サマール沖海戦の四つからなるレイテ沖海戦は、あの特別攻撃隊まで出撃した悲惨な戦いであり、ミッドウェー、ソロモン、マリアナと損害を出し続けた日本の艦隊勢力は壊滅。組織的に動くことも侭ならなくなり、敗戦を決定づけられた。

 三人ともレイテで直接沈んだわけじゃないが(五月雨にいたってはその前である)、エンガノ岬にいた瑞鳳を守るということには、大きな意味があるのだと思われる。自分も気を引き締めないと。

 

 

《やー、頼もしいねー。あたしたちはロクに参加できないし、ホントよろしくー》

 

 

 そんな時、輪陣形の前方から声が掛かる。重雷装艦二名のうち、先陣を切る北上だ。

 

 

『まぁ、君たちは他に特化してる部分があるからな。酸素魚雷は装填済みか?』

 

《ふっふーん、もっちもっちの論者積みですともー。なんなら、あの子みたく手取り足取り確認してみるー?》

 

『う、見てたのか……。大井が怖いからやめとくよ』

 

《どういう意味ですか提督。わたしが見てなければヤるつもりですか? というか、同意も得ずにあんなセクハラゴルフコーチみたいなこと、わたしと北上さんにはやめて下さいね?》

 

『だからやらないっての。例えが的確すぎるわ』

 

 

 北上は、両脚の太もも・ふくらはぎ、そして左腕に装着された四連装魚雷発射管五基をウィンウィン言わせ、同じ艤装の二番手、大井が毒を吐く。

 本当に当たりが強い子だな大井は……。笑ってれば可愛い子なのに。北上の方は、語尾伸ばしが多いから現代っ子っぽいのかと思ったらそうでもないし、親しみやすいんだけどなぁ。

 ま、それは置いといて。

 

 

『敵の編成は駆逐・一、重巡・二、水母・二、軽空母・一。おそらく空母群を後ろに、駆逐・重巡を護衛として突っ込んでくるだろう。

 こっちは近づかれたら終わりだ。敵艦をより早く捕捉し、先制雷撃で可能な限り大破判定をとるしかない。短期決戦だ、やれるな』

 

《誰に物を言ってるんですか。当たりさえすれば、重巡どころか戦艦だって沈めてみせますよ》

 

《まー、大井っちと組めば、最強だよねー? スーパー北上様にまっかせたまえー》

 

『ははは、その調子だ。期待してる』

 

 

 わざとなのか、それとも素なのか。北上のピースがチョキチョキしてるし、多分後者だろうけど、絶妙な力の抜け具合に笑ってしまった。

 演習海域はおおよそ四十平方キロメートルで、五十~六十mも高度を稼げば互いに居場所を発見できる。敵空母と瑞鳳は全く同じ性能だが、水母の瑞雲を加えられると制空権を握るのは難しくなるだろう。

 しかし、彗星の性能があれば敵機を振り切って爆撃するのも絵空事じゃない。逆に敵の爆撃は五十鈴たちが効果的に防いでくれるはずだから、問題はむしろ重巡。迂闊に接近され、防空の要を仕留められたりしたら……。

 

 

《……! 電探に感あり! 二時の方向に敵機多数っ。並びに、十時の方向から二機が接近中!》

 

《こちら瑞鳳、彗星十八機、天山九機、零戦五二型三機、発艦終えました。それと、私の方でも艦影を確認。

 十時の方向はいな――じゃなかった、駆逐艦一隻を先頭に、重巡二隻の打撃部隊が第三戦速にて追随、向かって来てる。二時は敵空母群、こっちから離れて行ってるけど、どうするの?》

 

『っと、お出ましか。でも、二手に……?』

 

 

 どうやら、先に索敵を成功させたのは向こうだったらしい。できればまとめて爆撃したかったが、重巡にはカタパルトもついてるし、仕方ないか。

 五十鈴、瑞鳳の上げてくれた情報を統合すると、自艦隊右上に、離れながら艦載機を飛ばす軽空母と水母二隻。左上から接近してくる駆逐・重巡の三隻と、先行する水偵二機が映像化できる。

 彼我の距離は、空母群が三十数km、打撃部隊が二十kmといったところ。ここは……。

 

 

『よし、こちらも隊を分ける。北上、大井は進路このまま。瑞鳳たちは転針、敵空母群へ向かうんだ』

 

《え? でもそれじゃ……》

 

『確かに危険度は増す。実戦ならこんな選択しないさ。だがこれは演習で、経験を積むための戦いだ。安牌に逃げちゃ意味がない、攻めていくぞ!』

 

《いつになく強気ね。けど、私に乗るならその位じゃなきゃ。こっちの守りは五十鈴に任せて?》

 

《不知火としては安全策の方が好みですが、ご命令ならば》

 

《ちょ、ちょっとだけ、緊張してきました……!》

 

 

 皆の反応はおおむね好意的だ。無茶な指揮だが、瑞鳳が打撃を受ける確率を減らせるし、重雷装艦たちの魚雷火力なら三隻を相手取って不足はない。

 実戦だったら先に打撃部隊を仕留めて、彗星の再爆装をする間、五十鈴たちに踏ん張ってもらうけど、成功すれば側面へ回り込む余裕もでき、不知火・五月雨の雷撃と合わせて二方向から空母群に畳みかけられる。試してみる価値はあるはずだ。

 時間も惜しく、この考えを皆に転送すると、渋っていた瑞鳳も納得してくれたのか、隊が二隻と四隻に分かれた。北上たちは短い単縦陣。瑞鳳たちは陣形を変更、三角形の中心に彼女を置いて五十鈴が先行する。

 

 

『北上、大井、さっそく出番だ。魚雷発射管、回せ』

 

《りょーかーい》

 

《左舷魚雷発射管、回します》

 

 

 自分は北上への同調強度を高め、指示を飛ばす。話している間に、目視できる距離まで敵艦が近づいていた。

 おそらくこのまま、すれ違いながらの砲雷撃戦――反航戦となる。相対速度も早くなり、命中精度は共に下がってしまう。こちらの主砲は十四cm単装砲が艦前方に四門ずつ。しかも、射角の問題で片舷には二~三門しか撃てない。砲撃で仕留めるのはほほ無理だ。が、二人の載せている酸素魚雷であれば、可能性があった。

 

 通常の魚雷は、空気を使った酸化剤で燃料を燃やし、燃焼ガスでエンジンを回す仕組みだ。この酸化剤に、窒素が混ざらない純粋酸素を使うことで、酸化剤容積を少なく、その分に燃料・炸薬を搭載し、威力・射程・雷速を向上させたのが酸素魚雷。

 また、排気ガスも二酸化炭素のみとなり、魚雷の航跡を発生させないという特徴を持つ。速くて目に見えづらい物を避けることが難しいのは自明の理。これを片舷二十射線、二隻合わせて四十射線放つのだ。上手くいけば一網打尽にできる。

 

 それを相手も理解しているのだろう。水偵がこちらの上空に近づき、十cmと二十・三cmの砲弾が降り始める。

 かすめるような風切り音。

 水面が爆ぜ、飛沫が幾つもの虹を作った。

 

 

《ひゃー、撃ってきたねー。まだ当たんないだろうけど、すんごい迫力ー》

 

『相手が相手だ、油断できないぞ。水偵も飛んでるし、徐々に砲撃の精度を上げてくるはずだ』

 

《でも、それより先に魚雷を撃ち込んじゃえば良いんですよね。わたし、砲雷撃戦って聞くと……燃えちゃいます》

 

 

 怖い。うっとりした顔が怖いよ大井さん。あと自分、砲撃としか言ってないんですが。雷と戦はどっから来たの?

 なんていう場違いなツッコミを胸に秘め、発射角度を調整する二人に載せられた連装機銃四基を空へ向ける。まず水偵には当たらないだろうけど、何もしないよりマシだ。

 距離が狭まる。おおよそ十km。

 酸素魚雷の射程は二十kmだから、すでに射程内へ捉えていた。しかし、じっと堪える。強化されたとはいえ、砲弾に比べると格段に遅い。気づかれていないなら別だが、今はできるだけ近づいて発射する必要があるのだ。

 着弾修正を逆利用した回避(一度落ちたところには落ちない……はず)で時間をかせぎ、主砲をとにかく撃ちまくる。

 敵艦との距離はさらに詰まり、相手側統制人格の姿をかろうじて捉えるまでに。そして、三隻が扇状に角度をつけた予測射界へと。

 

 ――今だっ!

 

 

『雷撃、開始』

 

《おっけーっ! 四十門の魚雷は伊達じゃないからっ》

 

《酸素魚雷二十発、発射です!》

 

 

 猛る気持ちを抑え、静かに号令を発する。

 縦に並んだ重雷装艦から、勢いよく魚雷が押し出された。波飛沫を立てて水中へ没したそれは、数百mほど白い航跡を残しながら進む(始動には空気を使わないと爆発する)が、やがて、足跡も残さず走り出す。

 発射は感知された。けれど、単横陣で被弾面積を減らしたって、三隻とも運良く魚雷の間をすり抜ける確率は低い。確実に一隻は撃破でき……んん?

 

 

『回頭した……けど、単縦陣のまま?』

 

 

 さっき言ったように、ここで単横陣になるなら分かる。

 だが、敵艦たちは先頭の駆逐艦へ続き、距離を離しながら一直線に近づいてくるのだ。

 嫌な予感がした。

 

 

《あら? 突っ込んでくるね。まー、四十射線の雷撃だし、これはかわせないでしょー》

 

《北上さん。なんだか嫌なフラグが立った気がするんですけど、わたし》

 

 

 気楽な北上と違い、大井は自分と同じ気持ちらしい。

 どうする。このまま主砲を撃ち続けるか。それとも距離を取りながら右に反転し、右舷の発射管で撃てるようにするか。

 前者だと近寄られてしまうし、後者は尻を向けねばならなくなる。とりあえず次発装填はさせておくが、どうすべきだ。

 

 こんな事を考えている間に、着雷予定時間が近づく。相手は進路を変えようとしない。

 そうか、戦闘力の低い駆逐艦を盾に雷撃を切り抜け、重巡を肉薄させる捨て艦戦法。確かに有効だが、決して褒められたやり方じゃない。

 ましてや、自分の艦隊では絶対に許さないことだ。後で叱っておかなきゃ。

 

 

(……だけど、違っていたら。あの子がもし、自分の考えを律儀に守った上で、この選択をしたのだとしたら?)

 

 

 膨れ上がっていく焦り。それは、最悪の形で実現した。

 擬似着雷を知らせる発光が、ない。

 今度こそ理解した。水偵で発射管の角度を確認。全幅十mほどの駆逐艦で雷撃の隙間を抜け、距離を置くほど広がっていくそれを、重巡が安全に通過する。

 失敗した場合でも、一射分の波を乗り切れば停止した駆逐艦の脇を通り近づける。これが本当の狙い……!

 

 

『くそ、してやられたっ』

 

《ま、まー、なんて言うの。こんな事もあるよねー? ……退避していい?》

 

『いいわけあるかぁ!? 反転……するより次発装填のが早いな、とにかく撃ち続けろぉ!』

 

《了解です、北上さんは落とさせな……い? え、あの動きって……》

 

 

 敵艦がまた回頭。左に艦首を向ける。同航戦だ。

 でも、単なる同航戦じゃない。最大戦速でこちらの前方を塞ごうとしている。

 単縦陣から敵前大回頭。攻撃を切り抜けて同航戦に持ち込み、無理やり頭を抑えることでT字有利を奪う。

 海軍人ならば知らぬ者の方が少ないだろう、日露戦争において、東郷平八郎大将が、ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー中将を破った戦法……。

 

 

『と、東郷ターン?』

 

《ちぃ、なんて指揮っ、まさかこんな大胆なことを……!?》

 

《あーこれ無理だわー確実に負けるわーバルチック艦隊の気分だわー》

 

《北上さん諦めるの早過――きゃあああっ!!》

 

《んぎゃーっ》

 

 

 呆気に取られている内に、砲撃やら雷撃やらがしこたま撃ち込まれる。

 ペイント弾(天然素材で環境に優しい。むしろ栄養豊富)が北上たちをカラフルに染め上げ、接触した魚雷が眩しく発光。

 実戦であれば轟沈もやむなしといった有様に。

 

 

「提督チーム、重雷装艦、北上・大井、大破判定です。速やかに海域を離脱してください」

 

「くっ……。やるな、電……!」

 

 

 遠ざかって行く敵艦たちの上に、見慣れた後ろ姿があった。

 そう、実はこの演習、艦隊内演習なのである。そして、相手側の指揮官を務めているのが、最も長く自分と経験を積んだ、電。

 後ろに続くのは、力こぶを作るように笑顔でガッツポーズしている足柄と、「ごめんなさい、ごめんなさいっ」と言っているのが聞こえてきそうなほど、何度も頭を下げる羽黒だ。

 相変わらず見事な砲雷撃をしてくれるな……。

 

 

《やだ、魚雷発射管がドロドロじゃない……っ。しかも臭い……》

 

《うぅぅ……。次に生まれる時には、重巡がいいなぁ……》

 

『いや死んでないからな。早いとこ鳳翔さんのとこ行ってくれ。自分は瑞鳳たちの方に戻るからっ』

 

《はぁーい……。づぁー、生臭いよー、お風呂入りたーい》

 

《最悪です、髪にもかかって……。あ、一緒に入りましょうね北上さん。髪、洗ってあげますから》

 

《おねがーい》

 

 

 跳ねた塗料にまみれる二人が、海域の外れへと向かっていく。その先に、演習をサポートしてくれる鳳翔さんが待っているはずだ。

 なんで彼女が居るのかといえば、撃墜判定を受けた艦載機の受け入れ先が必要だからである。傀儡艦と違い、航空機などは制御権の完全移譲が可能であり、それを受け取ることで円滑に戦闘を進めるのだ。あくまでサポートなので出撃制限にも引っかからない。

 仕事として他提督たちの演習に送り出すことも多いのだが、その度に差し入れなどを持って行くため、今では料理目当ての予約が一杯だとか。おかげで毎日ご飯を作ってもらってる自分へのやっかみが酷かったりする。全く、飢えた男共はこれだから困るよ(超上から目線)。

 ……って、んなこと考えてる場合じゃない。指揮に戻らないと。

 

 

『すまん、しくじった。北上と大井がやられた、自分のミスだ……』

 

《うん、把握してる。大丈夫、まだなんとかなるわよっ。数は少なくなっても、私たちだって精鋭なんだから!》

 

《そうですよ提督っ、まだ五月雨たちがついてます、諦めちゃダメです!》

 

《反省すべき点もあるでしょうが、今は眼前の戦いに集中を。……骨のある敵は、落とし甲斐がありますし》

 

《戦況は厳しくなったけど、腕の見せ所でもあるわ。五十鈴には敵機も丸見えよ? なんとかしてあげる》

 

『瑞鳳、みんな……。そうだな。速攻で祥鳳たちを大破判定に持ち込めば、逃げながら彗星の再爆装ができる。足柄たちは魚雷発射管を増設しただけで、対空機銃も少ない方だし、勝ち目はまだ……!』

 

 

 意識を旗艦へ戻し、開口一番謝るのだが、口々に仲間たちは励ましてくれる。

 不知火の笑顔がちょっと怖いけど、やれることは残っていた。全てはその後だ。

 敵空母群――瑞鳳の姉妹艦である祥鳳、“元”水母の千歳・千代田、計三人が操る艦載機と、こちらの艦載機がすれ違うまで、まだ時間がある。作戦を練り直さなければ。

 

 

(少し落ち着こう。深呼吸して、気を楽に。

 このまま彗星を向かわせるべきか。それとも迂回させ、あえてこっちへの道を開けて五十鈴に迎撃させるか。

 向こうも艦戦は少なめなはずだし、瑞雲も載せられる数が減って――)

 

 

 ――ゾクリと、悪寒が走った。

 もし。もしも自分なら、あの後どうする。

 敵雷巡を叩くのに成功し、向かってくる軽空母と防空巡洋艦を、ただ待ち受けるか? そんなはずがない。

 気づいた瞬間、喉は勝手に声を張っていた。

 

 

『陣形変更、梯形陣! 微速まで速度落とせ! 不知火、五月雨、聴音機を!』

 

《……っ。なるほど、このタイミングで……。対潜戦闘に移ります》

 

《え、えっ、わ、分かりましたっ》

 

 

 意図を的確に酌んでくれる不知火と、よく分かっていなさそうだが従ってくれる五月雨が、皆と一緒に六ノットへ減速しつつ、斜めに並んだ隊の先頭と最後尾へ移動。九三式水中聴音機(パッシブ・ソナー)を動かす。

 手をそば立て、耳を澄ます彼女たちの艦内では、ハンドルによって聴取方向が変化していることだろう。隊列まで変えたのは、聴音機だけでは距離が測れず、三角測量で割り出さねばならないからだ。

 

 

《……あっ。こちら五月雨、感ありです! 微かですけど、一時と九時に二つずつ!》

 

《同じく、不知火も感知しました。敵、甲標的かと》

 

『やっぱり居たな。位置は』

 

《補足しました。直ちに向かいます》

 

『ああ。一時は五月雨だ、行ってくれ』

 

《はいっ。前衛はお任せ下さい!》

 

 

 隊から離れる二人に、残る五十鈴と瑞鳳が「頼んだわよ」とエールを送った。分割された視界の中で不知火がうなずき、五月雨が手を振って答える。

 今回の演習、最も警戒していたのが、改造を施した千歳・千代田の操る甲標的である。

 数ある軍艦の中でも珍しく、多段改造が可能なこの二人は、三度目の改造を経て、最終的に軽空母として完成する。今はその第二段階、甲標的母艦として生まれ変わっていた。

 瑞雲の数を半分に減らした代わり、全長二十四mほどの特殊潜航艇を十二隻搭載している。内燃機関を持たず、特D型蓄電池で、航続距離が六ノット八十海里、最速で十九ノットを出せるものの、五十分しか持たないという扱いづらい兵器だが、使う場所を限定することで先制雷撃や奇襲を行える代物だ。まぁ、こんな風に予想されたら意味ないのだが。

 

 数分と経たずに、駆逐艦たちは甲標的の居た場所へたどり着いた。

 間違いなく移動されているだろうけど、敵の速度は承知済み。

 あとは聴音機で方向を確かめ、予測位置に爆雷を投げるだけ。種類にもよるが、演習用爆雷の射程は百mほどである。

 

 

『爆雷投射用意。毎秒二m沈むから……時限信管を十三秒に設定。準備でき次第投射開始』

 

《了解。……沈め》

 

《たぁーっ!》

 

 

 二人の艤装に変化が生じた。不知火の手には、特殊部隊が使用するような回転弾倉式擲弾銃(グレネード・ランチャー)を、四角く変形させたような物が。五月雨は両手に、小型の擲弾銃を一丁ずつ握り、それぞれ構える。

 後部甲板、最後部中央に設置される、Y字型の機械――九四式爆雷投射機が連動して稼働。船体から、ドラム缶のような物体が射出された。

 規定の秒数が経過すると、本物であれば中規模の爆発が起こるのだが、代わりに昼間でも眩しい閃光が生じる。

 並列して設置された爆雷装填台から、新たな爆雷がダビットクレーンでYの先端へと。一人でに動いているように見えるこれも、主任さんが使役するような妖精っぽい存在がやっているとのこと。統制人格には見えているようだが、能力者には見えないのが普通だ。チャンネルが違うらしい。

 数秒で再装填を終え、再び発射。配備された総数三十六のうち、九を使ったところで投射をやめ、今度は九三式水中探信儀(アクティブ・ソナー)で敵の現状を探る。すると、それを読み取った書記さんが成果を告げてくれた。

 

 

「電チーム、特殊潜航艇 甲標的・甲型四隻、大破判定です」

 

「よし、とりあえずなんとかなった……っ」

 

 

 思わずため息が出た。甲標的の前部に、縦に並んで備えられた魚雷二発。これも酸素魚雷だったのだ。

 九七式と呼ばれるそれは直径が小さく、射程も五kmほど。加えて、甲標的自体の挙動が不安定なため、最適発射距離は八百m程度なのだが、高威力は変わらず、不安材料の一つだった。

 しかし、後続がないとも限らない。早くけりをつけよう。

 

 

《今度は冴えてたわね、提督。でも、いつ甲標的がいるって気づいたの?》

 

『ありがとう、瑞鳳。ただの山勘さ。自分ならそう使うからな』

 

《なるほどね。……ふふっ、いいじゃない。それでこそ私の提督よ。将来が楽しみだわ》

 

『ご期待に添えれば嬉しいんだけど、あんまりプレッシャーをかけないでくれ、五十鈴。

 ……ここからが勝負所だ。彗星を二編隊に分けて、敵機を素通りさせる。その後、祥鳳たちへ向けて時間差爆撃。追いつかれるまでに落とすぞ』

 

《了解っ》

 

《いよいよ、ね》

 

 

 不知火たちが戻ってくるまでの間に、今後の方針を固める。瑞鳳はただちに弓を放った。

 またもや賭けに近い戦法だが、艦載機同士がぶつからない分、双方攻撃力を保っていられるだろう。

 こちらには五十鈴が居て、あちらの防空能力は低い。必ず、凌ぎ切ってみせる。彼女に乗ったことのある名将――山本五十六や、山口多聞には、まだ届かないだろうけども。

 

 

《不知火、艦隊に復帰します》

 

《五月雨、戻りましたっ。やりましたよ提督! これでもうドジっ子なんて言わせませんから!》

 

『意外と根に持つな君も……。ま、今度の秘書当番の時に、またお茶をひっくり返されなかったら、な?』

 

《あぅ、ヒドイですよ~。今度はちゃんとしますよぅ……》

 

 

 再び三角形を描いた陣形の端で、五月雨が前屈みにイジける。

 思い出し笑いがこみ上げ、戦いの合間だというのに、ふと気を抜いてしまった。

 統制人格が増えてきた現在、手早く鎮守府に馴染んでもらうため、新しく呼んだ子は積極的に秘書官となってもらっているのだが、彼女が当番だった日は、執務室でうっかりが連発したのだ。

 湯のみを割られること三回。書類をぶちまけること五回。何もないところで転びそうになること十回。コーヒーに塩を入れられること一回。淹れ直してもらったコーヒーに味◯素(なぜあった)を入れられること一回。肩揉みの途中で艤装を召喚され、骨を砕かれそうになること一回。

 最後のは「もっと強く」って注文つけちゃったからだろうけど、ドジっ子にもほどがある。涙目で謝る姿が可愛かったのでもちろん許しました。可愛いは正義です。

 

 

『……さて。見えてきたな。みんな、準備はいいか』

 

 

 ニヤニヤしているうちに、祥鳳の操る彗星が近づいてきていた。同時に、瑞鳳の彗星も横一列となった三隻へ。

 皆の顔に覇気は十分。対空機銃が頭を上げる。自分の役目は、戦闘指揮をしながら、瑞鳳に載せられた連装高角砲四基・連装機銃四基を預かること。少しずつでいい。確実にマルチタスクをこなし、強くならなければ。

 影が忍び寄る。

 かすかに遠く、水冷式発動機・アツタ二一型の駆動音。

 

 

『対空戦闘用意! 爆撃は任せた!』

 

《うんっ。航空母艦、瑞鳳。推して参ります!》

 

 

 号令に合わせ、彼女は弓を横に。和弓ではなく、洋弓の構え。

 そこへ矢を三本乗せ、まとめて弾き絞り、放つ。三本が六本。六本が十八本と分裂し、空間を超越して指示を下す。

 全く同じタイミングで敵機が加速。複数にバラけながら高度を稼ぎだした。その進行方向を予測し、機銃の向きを整える。

 

 反撃開始だ……!

 

 

 

 

 


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