新人提督と電の日々   作:七音

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いつものように分割。
次回更新からこぼれ話がカットされる予定ですので、和やか成分不足にご注意ください。


新人提督と動き出す影

 

 

 

 

 

 たとえば、多くのものを失った勝利と、多くのものを得た敗北。

 後世の人間はどちらをより評価するのだろうか。

 勝ったという事実が重要視される場合もあれば、負ける過程で得たものこそが重視される場合もあるだろう。

 気をつけなければならないのは、その評価に、それを為した人物の全てが反映されるわけではない、ということである。

 英雄と呼ばれた男が、実は誰かを傷つけるためだけに生きていた、なんてこともあり得るのだ。

 逆に、どうしようもないと見下されていた人間が、誰よりも心優しく、他人の痛みを慮れたのかもしれない。

 

 流星群の夜。

 物言わぬヒトカタのために泣いた彼は、同名艦を励起した一ヶ月後、自害した。

 心を病んだ末、首をくくった。

 口さがない連中の言葉など、不快なだけなので省くが、どうしても考えてしまう。

 人が生来、善を為す存在であるなら。

 なぜわたしの前に、棺があるのだ。

 なぜわたしの隣には、伊吹と二佐しか居ないのだ。

 

 わたしの後ろにあるものは、こうまでして守るべき価値が、あるのか。

 

 

 桐竹随想録、第七部 陰る、未修正稿より抜粋。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 その少女は、微速で進む自船の甲板で、静かにあぐらをかいている。

 波に揺られ、陽光を浴びながら、瞑想しているように目を閉じていた。

 長大な剣が傍らに置かれて、頭部ではアンテナのような浮遊部位が揺らめく。

 

 

「……んぉ? 来た来た、来よったでぇ! 敵影を確認、方位一八○から五隻、エリ・ル旗艦の打撃部隊やっ」

 

「っしゃあ! おいテメェ等、奴さんのお出ましだっ、戦闘用意!」

 

 

 脳裏に声が届いた。索敵を担当する龍驤だ。

 瞬間、彼女――天龍は颯爽と立ち上がり、怒号を響かせる。

 それを受けるは、複縦陣に並ぶ五隻の傀儡艦たち。

 

 

「あの時と同じ編成ですか……。こちら赤城。周囲の索敵を継続します」

 

「こちら暁、周囲に潜水艦の反応はなさそうよ」

 

「同じく陽炎、電探に影は無し。一部隊だけっぽいわね」

 

 

 最後尾、左側で艦載機を制御し続ける空母・赤城と、その前に続く駆逐艦二人。

 彼女たちには、桐林艦隊内でも最新の兵装が与えられているのだが、特筆すべきは二式艦上偵察機。

 彗星の試作段階から分岐した偵察機であり、機体強度こそ劣るものの、十二分に働けるだけの性能を誇る。

 どんな状況でも敵を見逃さんと、赤城が整備主任に協力し、数を揃えた機体である。龍驤もこれを使って敵影を見つけたのだ。

 

 

「大丈夫か、朝潮。緊張してねーか?」

 

「はいっ、問題ありません。各部、正常に機能しています!」

 

「ならいいが、あんま力入れ過ぎんな。いざって時に固まっちまうぜ。陽炎もな」

 

「りょーかいです。何事もほどほどが丁度良い、って感じよね」

 

 

 右最前列で砲と剣を構える天龍は、これが事実上の初出撃である二人を気遣う。

 陽炎はすでに何度も遠征をこなし、朝潮もまた、少ないながら経験を積んでいる。

 しかし、こういった形の任務は、この場にいる六人全員が初めて。天龍自身、わずかな緊張を自覚していた。

 

 

「ギリギリまで引き付ける。焦るなよ」

 

 

 船首へ移動した天龍の視界に、真南から接近する敵艦の姿が見えた。中継器を介して、赤城の二式艦偵が捉える映像も。

 指揮は天龍に預けられていた。このメンバーを生かすも殺すも、彼女次第。武者震いが走る。

 そのまましばらく。

 射程を考えれば、すでに敵戦艦からの砲撃があってよい頃合いだが、双方に動きはない。

 静かに。静かに距離だけが縮まって。

 

 

「ル級、砲塔部位の稼働を確認。捕捉された模様!」

 

「――っし! 全艦急速回頭っ、ケツまくって逃げるぞぉおおっ!!」

 

 

 切迫した赤城の声が、息の詰まるような戦況に変化をもたらす。

 直後、天龍たちに備わったボイラーがフル稼働。船体を傾かせながら、北へと撤退を開始した。

 

 

「うぅぅ、やっぱり不本意だわ! 久々の実戦が囮任務だなんて!」

 

「ちょっと暁ちゃん。それ私への当てつけ? こっちはこれが初実戦なんですけど?」

 

「ダメですよ、お二人とも。どんな任務でも、実戦なのは変わらないんですからっ。真剣勝負です!」

 

 

 今回、彼女たちに与えられた任務は、機動部隊を使用して敵を引き付ける、囮作戦であった。

 さらには、遠征任務として桐林提督がゴリ押しした、龍田率いる機動部隊支援任務も同時進行中。このまま敵を誘い出し、支援部隊と協力して叩く手筈である。

 他の提督にも正式な依頼を出しており、同じような作戦が複数展開していた。

 

 

「ま、この作戦に効果があるのかは分かんねぇけどな。上手く釣り上げられりゃ良いが……」

 

「深海棲艦の一番の武器は数やもんなぁ。無限湧きする敵の一部を引きつけたとこで、意味あらへんのとちゃう?」

 

 

 だが、天龍と龍驤は、この任務に疑問を持っていた。

 一時的な効果はあろうが、龍驤の言ったとおり、敵の最大の武器は、その数。たとえ囮に引っ掛ろうと、また別の部隊を用意すれば問題なく対応できる。

 もしかしたら、彼ら――彼女らにも、発生させられる数に制限があったりするかもしれない。

 しかし、それを知る由もない人類側にとって、囮作戦とは気休め程度の意味しか持っていないのだ。

 もどかしい雰囲気が漂うが、沈黙を守っていた赤城がこれを正す。

 

 

「そうかもしれませんが、いま考えるべきことではありません。戦いに集中しましょう」

 

「……せやな。一発も食らわんと、無事に帰ろか! 心配するんも、されるんもゴメンや」

 

「はいっ。霞の仇討ちは、またの機会に果たします!」

 

「や、死んでへん、死んでへんでー。昨日も元気に、曙とプリンの取り合いしとったやーん」

 

 

 慌てたように着水する敵弾を横目に、六隻の船が回頭を済ませた。

 口数の少ない赤城、誰もいない空間に裏手ツッコミをしてしまう龍驤を先頭にして、一路、支援部隊が待つ青ヶ島近辺へ。

 今度は最後尾となった天龍、陽炎も、砲撃してくる敵艦たちを注視しながら回避行動をとる。

 

 

「やっぱ、なんも見えねぇよな……お?」

「やっぱり、誰も居ないわよね……ん?」

 

 

 ――が、不意に声は重なった。

 誰に聞かせるつもりもなかったそれは、隣り合う二隻の間でだけ、偶然にも通じてしまう。

 

 

「え、えっと、どうしたの天龍さん」

 

「……オマエこそどうなんだよ、陽炎」

 

「いや、私は……。ううん、なんでもないです。気にしないで」

 

「おう……」

 

 

 互いの姿を目視できる距離で、二人は気まずく譲り合いをし、そのまま黙り込む。

 同じものを見ていた。同じものを探していた。

 誰も乗っていないはずの、深海棲艦を。居るはずのない、人影を。

 

 

(オレには何も見えねぇ。けど、司令官には“何か”が見えていた。そいつは、多分……)

 

 

 天龍は、励起されて間もなくの出撃で起きた出来事が、ずっと気にかかっていた。

 夜の海でル級と戦った、あの日。

 提督は具体的な表現をしなかった。“アレ”はなんだ。なんであんなところに。本当に何も見えないのか。そんな言い回しばかり。

 後日、龍田と共に説明を求めたが、「影が見えた気がする」、と一言こぼし、その後は口を濁らせるばかりで、要領を得なかった。釣りをしたのはさらに次の日である。

 あの状況で、彼が攻撃をためらう影とは。統制人格のために、痛みを負うことをためらわない彼が、そうする理由は。

 どう考えても、人に類する影を見たとしか、思えない。

 

 

(やっぱり、誰もいない。そう、いないのよ。中将は根っからの船乗りみたいだし、つい女の子扱いしちゃっただけ、よ……)

 

 

 陽炎は、京都での談合の最中に発せられた、ある一言が引っかかっていた。

 吉田中将の、「“彼女たち”と対話できれば」、という部分である。

 深海棲艦を指して、中将は“彼女”という表現を使った。普通に考えれば、それは深海棲艦を女性として見ているということ。あり得ないことだ。

 会話の流れを絶ってまで疑問を挟む勇気もなく、帰ってから、統制人格にも閲覧可能な資料を漁ったが、ツクモ艦――深海棲艦を女性として扱う表記は皆無。生き物とすら扱っていない。

 ならば、どうして中将はあんな表現をしたのか。そして誰も、人類の天敵と対話したいなどという、荒唐無稽な物言いを咎めなかったのか。

 そう表現せざるを得ない事実があるから。深海棲艦に、陽炎自身と同じ存在が乗っているとしか、思えない。

 

 

(天龍さんも、陽炎さんも、気付いている。……いいえ。表には出さないだけで、本当は誰もが……)

 

 

 そして赤城は、執務室での提督の一言に、違和感を覚えていた。

 金剛型四姉妹と電を加えた、あの茶会の前。深海棲艦に対して、珍しく悪態をついていた彼は、わざわざ“女の子”と言い換えたのだ。

 統制人格を普通の少女として扱う彼。そんな事もあろうと、その場では気にも留めなかった。

 だが、日々を重ねるにつれ、小さなしこりは異物感へと変わっていく。

 

 あの優しさは、分け隔てなく与えられるものなのか。否、違うはず。

 加賀から聞かされた思い出話の中で、彼は言った。感情のない傀儡であれば、迷うことなく前線へ送り出せただろう、と。

 それはすなわち、無機質な相手であれば、冷酷でいられるということの証明である。もちろん程度の差はあろうが。

 

 なら、深海棲艦は彼にとって、どのような位置づけなのか。

 敵。討ち果たすべき相手。人類の足枷。

 少なくとも、情をもって接するべき対象であってはならない。

 なのに、彼は。

 

 

(提督は、深海棲艦を、私たちと同系の存在として認識している)

 

 

 大破した霞を引き連れて帰投し始めた時、そう確信した。

 深海棲艦が撤退した際に、提督が漏らした安堵の声。離れていく心に聞こえる、かすかなそれに込められていたのは、生き延びたという安心感と、討たずに済んだという安心感。

 いつも、戦いが終わった後につく、重いため息とは違っていた。

 彼自身すらこの違いに気づいていない。気づいているのは、旗艦として魂を重ね合わせていた赤城くらいだろう。

 彼は間違いなく、深海棲艦に傀儡艦と同じ“何か”を見ている。敵に感情移入しかける、“何か”を。そうとしか、思えない。

 

 

「ねぇ、朝潮ちゃん。ちょっといい?」

 

「はいっ。なんでしょうか、暁先輩!」

 

「………………帰ったら一緒にプリンたべない? 私の分、一個あげるから」

 

「本当ですか!? こんなに優しい先輩が居てくれるだなんて、朝潮、感激です!」

 

「お、おだてたって、何も出ないんだからねっ。……二つ、食べる?」

 

「ありがとうございます、いただきます!」

 

 

 三者三様のいきさつで、彼女たちは同じ結論に達した。

 談笑する二人の駆逐艦も、おそらく無意識に感じ取っている。真実であると。

 口にしないのは恐れているからだ。言葉にしてしまえば、自覚するしかなくなってしまうから。

 自分たちは、似通った存在と戦っている。

 

 ――同族殺しをしているのかも、しれないのだ、と。

 

 

「ったく、まだ戦闘中だってのによ……」

 

「緊張感なくなっちゃうわね……」

 

「まぁまぁ、ええやん。仲良きことは美しきかな、ってね?

 ……でーも。おしゃべりに夢中になったらあかんでー。気ぃつけなあかんよー」

 

「い、言われなくても分かってるわ!」

 

「はいっ。気を引き締めます!」

 

 

 覚悟がないわけではない。軍艦なのだから。

 ましてや、彼女たちの精神構造は人を模している。

 憎ければ、親でも子でも容赦無く殺す、人間を。

 だが、軍艦には必要のない部分も、似ているのだ。

 愛していれば、自分の命すら投げ出せる、人間に。

 

 

(提督。貴方は、選べますか。私たちがもし、“そう”なったら。貴方は……)

 

 

 飛行甲板の上で、赤城は静かに空を見上げる。

 まばらな雲があった。

 自身が動いているせいか、それは、一箇所に留まっているようにも見えた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 頭の中で、複数の視界が上下に揺れている。

 海。代わり映えしない光景に、しかし、一つだけ差異があった。

 まるで望遠鏡でも覗いているようなそれに、はっきりと島影が見えたのだ。

 

 

《ん~……あっ。司令! 目視で確認しましたっ、硫黄島です!》

 

『お、本当か?』

 

 

 その視界の持ち主である少女――ワンピースタイプのミニスカセーラー服を着る彼女は、ショートカットの茶髪を風に揺らし、遠方の島を指差す。

 手に持っている双眼鏡を外すと、その島は指先に隠れてしまいそう。

 だが、ようやく見ることのできた目的地に、自分は感嘆の息を漏らす。

 

 

『やっとかぁ……。ありがとう、雪風。これで他の連中を見返してやれるよ……』

 

《やりましたね! 敵との遭遇もなくって、今日は運が良いです!》

 

 

 片手でひさしを作り、背中の魚雷発射管と、ポシェット型連装砲を揺らす少女の名は、陽炎型駆逐艦八番艦・雪風。

 幾多の作戦に参加しながらも、ほぼ無傷で終戦を迎えた“奇跡の駆逐艦”だ。

 なかば験担ぎに近い建造だったのだが、まさかのノー・エンカウントで硫黄島到達。拝みたくなる幸運である。

 

 

《あー! 双眼鏡なんてずるいーっ、私が一番早く見つけるつもりだったのにー!》

 

《えっ、あ、ごめんなさい……? でも、これって艤装の一部だから、あの……》

 

 

 そんな彼女にいちゃもんをつけるのは、輪形陣の左翼を担う島風。反対側の雪風へ、悔しそうに両腕を振り上げている。

 久々に見かけた気がする連装砲ちゃんも、島風をマネて周囲をジタバタ。やっぱり可愛い。

 雪風はといえば、オドオドとミニスカートから覗く生足をたじろがせていた。

 ……絶対領域も好きだけど、素足もたまには良いもんだなぁ……。

 

 

《喧嘩しちゃ駄目だよ、二人とも》

 

《そうそう、みんなで仲良くした方が楽しいっぽい?》

 

《そうだね。僕もそう思うけど、まだ油断はしちゃいけない。気をつけよう》

 

 

 ――なんてセクハラ感想を抱いている間に、背後を守る響、先陣を切る夕立、時雨が仲介に入った。

 今回は、旗艦の脇を駆逐艦五隻で固めている。戦闘には重きを置かず、高速力を活かして逃げ回ることを重視した編成だ。

 いざという時には、唯一足の遅い旗艦を複数艦で無理やり曳航、さっさか逃げ出す算段である。

 が、当の旗艦が一切喋ろうとしないのに気づき、直立不動で水平線を眺める彼女へ話しかける。

 

 

『どうした、あきつ丸。ぼうっとして』

 

「……将校殿。いえ、提督殿。特に問題はないのであります。ただ、これが俗に言う、”はぶられる”というものかと、考えておりましたゆえ」

 

『いや、ハブってないよっ? 単に会話の流れがこうだったってだけで……』

 

「冗談でありますよ。ご心配なさらずとも、皆には良くしてもらっているであります。口下手なので、あまり参加はできかねますが」

 

 

 思いも寄らぬ返答に慌てるも、下がスカートになった、灰色の詰襟で身を包む少女――あきつ丸は小さく微笑む。

 彼女は、陸軍が建造した強襲揚陸艦である。本来の運用方法は、多数の兵員を輸送できる上陸用舟艇・大発動艇や、その護衛砲艇などを内部に載せ、上陸作戦を遂行させる事にある。

 飛行甲板を持ち、航空機による上陸部隊の支援までも視野に入れていた。前身である神州丸と合わせて、強襲揚陸艦の先駆け的存在である。

 といっても、今回の任務では航空機の出番が無いため、甲板には臨時設備である高射砲などが多数増設されている。トゲが生えたようにも見えるのが特徴だ。

 その状態で励起したためか、あきつ丸自身も縮小版のそれを手にしていた。ちなみに、下半身には絶対領域が形成されている。やはりこっちも捨てがたい。

 

 

『なんだ……。意外と、アレだ。君もお茶目だな?』

 

「お茶目、ですと? ……提督殿。その表現は受け入れがたいのであります」

 

『え。なんで? 別に、貶すような意味じゃないと思うんだけど……』

 

 

 ともかく、ホッと息をつきながら笑いかけるのだが、またしても予想外の反応が。

 明らかにムッとした表情で軍帽を直している。

 肩肘張った様が似合う彼女にとっては、侮辱にも取れたのだろうか。いや、それにしても過剰な気がするような……。

 

 

「言葉自体はそうでありましょう。

 しかし伝聞によれば、つい先日、鎮守府を混乱のるつぼへ陥れた下手人が、そういった自己弁護をしたらしいではありませんか。

 正直なところ、良い印象がないのであります」

 

『ゔ』

 

《ちょっ!? あきつ丸ちゃん、その話題はダメっぽい!》

 

「何故でありますか、夕立殿?」

 

 

 軽蔑を込めた一言に、思わず口ごもる。

 何やら夕立が慌てているが、とりあえず、あきつ丸に言い訳しなければ……。

 

 

『……ゴメンね、あきつ丸。その人、自分の知り合いなんだ。というか先輩』

 

「なん、ですと……?」

 

『ゴメンね、本当にゴメンね。そういう反応するしかないのは分かってる。

 でも、アレで良いところもあるんだよ。

 代わりに自分が謝るから、大事にしないであげて下さい……』

 

《あぁ、遅かったっぽい……》

 

《また始まったね、提督の謝罪ループ》

 

《……やれやれ》

 

 

 言い慣れてしまった謝罪がスラスラ出ていき、最後に、響のため息で空気がどんよりし始めた。

 一体なんの謝罪か。もちろん、先輩がしっちゃかめっちゃかにしてくれた、横須賀鎮守府の全職員に対して、である。

 事前に捕縛されていたため、油断していたのだ。まさか、金剛が脱走させるなんて思わなかったし。

 

 

《スゴかったよね~。目の前を通り過ぎたと思ったら、いつの間にか服を着替えさせられてるんだもん。

 早さで負けるなんてちょっと悔しいけど、でも、なんだか勝っちゃいけない気もする》

 

《雪風、あの人のこと怖いです……。視線が合っただけで身の危険を感じちゃいました……》

 

『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。“アレ”のことはキツーく叱っておいたから、許……さなくていいや。なんか喜んでるっぽかったし』

 

《あ、微妙に立ち直ってるっぽい》

 

 

 先輩が脱走しているのに気づいたのは、ナースな先輩&金剛x見知らぬ女性職員+非殺傷武器で武装した憲兵隊が、雪風を励起した直後にドックへ雪崩れ込んで来たからである。

 そして、あんまりな絵面で硬直している自分たちを尻目に、先輩はどこからともなくナース服を取り出し、雪風に飛びかかろうとしやがったのだ。

 庇ってくれた由良は、ものの数秒で可愛らしいナースさんに大変身。次の獲物は……と、ギラつく瞳が雪風を捉えたところで、憲兵隊の接近に気づいたのか、先輩は脱兎の如く逃げ出す。

 呆気にとられる自分と雷、響、顔色の悪い主任さん。妙に色っぽい息遣いの由良だけが、後に残された。

 

 数時間後、身元引受人に指定された自分が対面したのは、荒縄で縛られ悦に入る変態。

 口酸っぱく「いい加減にしてくださいよ!?」と叱っても、「拘束されて愛のある罵倒を受ける……。新しい世界が拓けそうだ!」と反省のかけらも見えなかった。

 何が彼女をここまで駆り立てるのか。理解したくない。

 ちなみに。由良の変身シーンだが、金剛と女性職員さんがガードしたせいで――もとい。してくれたおかげで、人目に晒さず済んだようだ。本当に良かった(ざんねん)

 

 

《なんというか、凄くバイタリティに溢れた女性だったね。僕としては二度と会いたくないけれど。深海棲艦と追いかけっこしてる気分だった……》

 

Я понимаю(わかるよ)。また逮捕されたと聞いて一安心だと思ったら、クローゼットの中にナース服が入っていた時の恐怖。ワタシも二度と味わいたくない》

 

『本当にね。なんでか自分の部屋にも置いてあったんだよ。男性サイズが。情けなくって涙が出てきた』

 

 

 先輩のせいで、あの日の業務は大幅に遅れが出てしまい、一時は減給どころか、威力業務妨害で投獄もやむなしだった。

 が、なぜか先輩を擁護する嘆願書がゴソッと中将の元へ届けられ、最終的に減俸一年で決着となったらしい。

 なんでも、逃亡劇の間に出会った女性を、ことごとくナースさんに変えていったようなのである。

 うちの子たちも半分くらいやられてしまい、嫌な予感を覚えて帰った時には、宿舎がナース天国になっていた。罵倒ナース曙とか誰が得するんだ。島風なんて逆に露出度減ってたぞ。

 で、それを見た男性陣からの、「眼福でした」「女性職員の制服をナースさんにしよう」「あの騒動のおかげで結婚できました!」という支持が多かったそうな。

 世界は間違っている。

 つーか最後の野郎、あんなのがきっかけで結婚できんなら、そのうち絶対してただろう。惚気じゃねぇかチクショウめ! モゲロォ!!

 

 

「提督殿。自分、この艦隊でやっていく自信が無くなりそうであります」

 

『そんなこと言わないでくれ。もう大丈夫だから。佐世保で馬車馬の如く働かされてるはずだから、安心――』

 

「していいのでありますか?」

 

『……今日も空が青いなぁ。あっはっは……』

 

《あ、逃げた》

 

《逃げたね》

 

《逃げたっぽい》

 

 

 響、時雨、夕立に突っ込まれつつ、自分は乾いた笑いでその場を誤魔化す。

 事ここに至って、あの人を御する自信も無くなってしまった。

 台風か何かだと思い、通り過ぎるのを待った方がいい気さえする。もう土下座行脚は嫌だよ……。

 という心境を汲んでくれたのか、困った顔の雪風が話題を変えてくれる。

 

 

《べ、別の話をしませんか? あの、ほら……そう! ここにたどり着くまで、あっという間でしたね?》

 

『……そうだな。今まで半日以上かけてたのに、あの海流を利用するだけで四分の一になった。もっと早く気づけば良かったよ』

 

《こうして硫黄島まで来られたんだから、気にしなくていいと思うな。それに、すっごく楽しかったし! 私、本気出せば百ノットくらい出せた気がする!》

 

《あはは。凄いですよね、島風さん》

 

《んー、もうちょっと気楽に呼んでもいいよ? せっかく同じ風の名前なんだからっ》

 

《……はいっ、島風ちゃん!》

 

 

 横須賀から硫黄島まで、約千二百km。安全領域までを省いても一千km以上ある道のりを、数時間足らずで踏破できた理由。

 それは、あの戦いでタ級が使用した、異常海流を逆利用したからである。

 異常と名のつくだけあって、速度も方向も安定しない海流だったが、事前調査で硫黄島へのルートや、深海棲艦と遭遇せずに済む脇道も確立してあったので、嘘のようにすんなりたどり着けた。

 

 

「確か、この航路を見つけるのには、甲標的母艦の御二方がご活躍されたとか」

 

『ああ。ここ二~三日はずうっと海の上だった。今は帰投して寝てるよ。無理させちゃったなぁ』

 

《僕が出迎えた時も、疲労困憊してたからね。でも、統制人格としては嬉しいんじゃないかな? 頼りにしてもらって》

 

『なら助かるんだけど……』

 

 

 それを支えてくれたのが、ちとちよ姉妹と無数の甲標的たちである。

 三宅島に陣取り数日間、不眠不休で甲標的を操っては、トライ&エラーを繰り返し、何人もの妖精さんの犠牲を払いつつ、このルートは確立されたのだ。

 甲標的母艦となってから、ずっと変な運用ばかりさせてしまっているし、この作戦を終えたら念入りに労ってあげないと。

 

 補足として、妖精さんはちゃんと帰って来ている。

 途中、何度か深海棲艦と遭遇して撃沈されたのだが、その破片にへばり付き、帰りのルートまで見つけてくれた立役者である。

 恨みがましい涙目で睨まれ、潜水具を被ったままで脛に頭突きされたけど。全く痛くなかったのが罪悪感を誘った。ホントにゴメンね?

 

 

《実際、夕立はちょっと羨ましー。私も、もっとたくさん出撃して、もっともっと強くなりたいなー》

 

《そしていつかは、夕立改二へ……だよね》

 

《えへへ、その通りっ。まぁ、すぐには無理っぽい? のも分かってるから、まだまだ頑張るっぽい!》

 

 

 ピシッ、と右腕に力こぶを作り、まだ見ぬ未来像へ期待を膨らませる夕立。

 すでに一次改装は済ませているから、後は練度さえあげれば、日本初の駆逐改二にも手が届く。

 しかし、ここまで上げれば大丈夫という目安もなく、うっかり練度が足りない状態で二次改装したら、同調障害が発生し、最悪の場合、統制人格も消滅してしまう。自分としては不安がかなり大きい。

 だが、他の面々は乗り気なようで、あきつ丸たちが話を続ける。

 

 

「この場におられるは、いずれ劣らぬ戦歴を刻む方々。あながち、無理ではないかもしれませんな」

 

《かも、ね。ワタシはどうなるんだろう。また、名前を変えることになるのかな……》

 

《響さんはロシアに行かれたんですよね。わたしも台湾では丹陽(タンヤン)って呼ばれましたし。

 ……たとえそうなったって、わたしたちが仲間なのに変わりはありません。絶対、大丈夫です!》

 

《そうそう。きっとその頃には、私ももーっと早くなってるだろうし、名前が変わっても気にしないよっ》

 

《……Спасибо(ありがとう)。でも、負ける気は無いよ、島風》

 

 

 戦後、賠償艦として引き渡された過去を思い出したのか、響は少し寂しげな表情を見せるも、同じ過去を持つ雪風の励ましに笑顔を取り戻し、島風へ不敵に返す。

 異国で余生を過ごすことになってしまった彼女たちだが、昔のように仲間に囲まれ、しっかり任務を果たしている。

 あの時代を生きた人が知ったら、どんな風に思うんだろうか。……自分なんかが司令官で、笑われないといいけど。

 

 

『さぁみんな、そろそろ装置の揚陸に入ろう。気を引き締めろっ! 各艦、警戒を厳に』

 

 

 近づく硫黄島を前に号令をかけると、「了解!」と、ハツラツな六人の返事。響だけは「Да(ダー)」だったけど。

 深海棲艦の反応は今の所ないが、まだ進捗は半分程度。油断は禁物だ。

 

 

『あきつ丸』

 

「心得ております。大発、エンジンに火は入っているな?」

 

 

 あきつ丸からの呼びかけに、プレハブ小屋並みに大きい再現装置を搭載する、船内の大発動艇――その上でたむろする妖精さんが敬礼。エンジンを吹かして絶好調だと示した。

 ごく一部に、シャボン玉で遊んでたり、頭に鳥っぽい生き物を乗せてT字バランスしてる子もいるのだが。

 自由すぎるだろ妖精さん。

 

 

「大発動艇一番、降ろします!」

 

 

 後部ハッチが解放され、滑り出すように大発動艇が海へ。

 間もなく、あきつ丸からの意思を受け取る妖精さんたちが、巧みな操船を開始。硫黄島に向かう。

 

 

「もう少し近づいて、乗り込むであります」

 

『ああ。そうしたら、君の通信信号で遠隔起動だ』

 

「どうなりましょうか。見物でありますな」

 

 

 帽子のつばを指先でコツコツ弾き、油断なく海を見据える視線は、どこか楽しそうに思える。

 その先では、今まさに大発が砂浜へ乗り上げんとしていた。

 砂に食い込むと、船首に備えられたランプ――歩板が降ろされ、再現装置揚陸の動線を確保する。

 シールドされた装置は、下部にキャタピラが設けられており、内部電源を使用して稼働する仕組みだ。実際の操作は妖精さんが行う。

 ギャリギャリと鉄のこすれる音がうるさいが、すぐに砂を噛む音へ変化し、波の届かぬ陸地に。

 このまま進めば、かつての同盟国が沿岸警備隊を配置していた場所に通じるのだが、今回はそこまで行かない予定である。

 

 

「揚陸完了であります。では、さっそく起動信号を……」

 

『いや、待った。起動は大発を戻して、こちらの帰投準備が整ってからだ』

 

《え? なんで? こういうのって早くやっちゃった方が良いんじゃないの?》

 

 

 逸るあきつ丸と島風を制し、代わって妖精さんたちへ「戻ってこーい」と指示を出す。

 再現装置に群がっていた彼女たちがワラワラと、ときどき転びながら帰ってくるのを待つ自分に、疑問を発するのは響。

 

 

《何を警戒しているんだい、司令官》

 

『念には念を、さ。何が起こるか、誰にも分からないんだ。注意しとくに越したことはないだろ?』

 

《そうだね。確かあの装置、深海棲艦から発せられた音を再現してるって聞いたけど、もしかしたら、起動した途端に援軍が現れたり……。

 帰る準備を整えてからの方が良いと思う。○七五の方角にある海流に乗れば良いんだったよね、提督》

 

『うん。少なくとも甲標的の時はそれで帰って来られた。排水量とかで受ける影響が変わらないと良いんだが……』

 

《提督さん、時雨ちゃん。不安になること言わないで欲しいっぽい~》

 

『おう、すまんすまん』

 

《ごめん、つい……》

 

 

 時雨と二人、眉を寄せる夕立に謝り、帰り道のある方向――東北東より少し東寄りへ意識を向ける。

 硫黄島から十数km離れた場所に、北へ向かう異常海流の入り口があるのだ。

 と言っても、最短距離を選択するには、途中で脇道にそれたり、別の海流に乗ったりを繰り返さなければいけないので、かなり面倒だ。来る時もそうだった。

 ひょっとしたらこの海流、世界中に張り巡らされているのかもしれない。上手いこと利用できれば、深海棲艦のせいで隔てられた海外への道が見えるかも……。

 今までは見向きもされなかった甲標的を、多数運用することでの航路開拓。感情持ちのサポートが前提になってしまうが、今後の役に立つかもしれないな。

 

 

「提督殿。大発の収容を完了したのであります」

 

『……確認した。ではこれより、帰投準備に入る。全艦、両舷前進原速、取り舵。方位○七五へ転針せよ』

 

「前進原速、方位○七五へ取り舵。よーそろー、であります。……使い方は、これで合っているでしょうか?」

 

《大丈夫だと思いますよ、あきつ丸さん。帰りも護衛はお任せくださいっ。艦隊をお守りして見せます!》

 

 

 頼もしい雪風の意気込みの中、六隻が東に船首を向ける。

 そのまましばらく進み、頃合いを見計らって、またあきつ丸へ意識を戻す。

 

 

『それじゃ、最後の仕上げだ。あきつ丸』

 

「了解であります。これにも相応しい常套句がありましたな。村雨殿に教えて貰ったのであります。おっほん」

 

 

 船尾方向に向き直った彼女は、無線室の妖精さんと同期。

 信号を送る準備をしながら、一つ咳払い。

 

 

「それでは……。起動信号、送信します。ポチッとな、であります!」

 

 

 なんだか、自爆スイッチを押しているようにも聞こえるセリフと共に、硫黄島へ電波が飛ぶ。

 鬼が出るか仏が出るか。

 出来ることなら、この場を去ってから変化を起こしてくれると助かるんだが。戦力的にも。

 

 無意識に身構えつつ、自分は硫黄島を見つめていた。

 これが、災厄の引き金になりませんように、と。

 そう祈って。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「ん゛ぁあ゛あ゛~、解放か~ん。これがあるからやめらんないのよね~」

 

 

 遮る物のない、青の世界。

 雲にも近い高みで、風を切る爽快さを一身に感じながら、少女――桐ヶ森提督は、地上にある身体をだらけさせる。

 と言っても、両手と肩を固定されているので、自由になるのは下半身のみ。

 そのせいなのか、もしくは桐ヶ森の素なのか。彼女は大股を開いて、自身の太ももを爪先で掻いていた。

 

 

「あのぉ、こんなこと言うとアレかもしれませんが、桐ヶ森提督? 他に誰もいないとはいえ、シートの上でガニ股は、はしたないんじゃないかと……」

 

「うるさいわねぇ、アンタもいい加減に慣れなさいよ。それとも何? 桐生の調整士を務めた男が、若い女の太もも程度で集中力を乱すのかしら」

 

「ですから、そういうことじゃなくてですね……。はぁぁ、もう、なんでこんなことしてんだろ……」

 

「ま、しょうがないじゃない。沖縄にいる調整士の資格持ちの中じゃ、アンタが一番なんだから。

 おかげでむさっ苦しい陸軍連中から離れられるんだし、むしろ感謝して欲しいくらいだわ」

 

「それはそうなんですが……。後が怖いんですよ、後が」

 

 

 百年の恋もぬるくなるであろう有様に、調整士の青年がため息をつく。

 沖縄へ配属されて、大した時間は経っていないはずだが、もう何ヶ月もここに居る気がしていた。

 それというのも、桐ヶ森に課せられた、セイロン偽島偵察任務の調整士として抜擢されてしまったからである。

 軍内外問わず、多数の若者から支持を得るアイドル的美少女と、ほぼ毎日、二人っきりになれる。

 借金してでも代わりたい人間の出てきそうな環境だが、彼にとってはいい迷惑だった。

 傀儡戦車使役の訓練時間が大幅に減る上、彼女のファンからは殺意の念と呪いの品々を送られる。

 果ては、「写真撮ってきて」「髪の毛とか落ちてない?」「使用済みの紙コップとか売ってくれ」など、犯罪染みた頼み事までされる始末。

 こんな奴らが軍人でいいのかと、切実にそう思う青年であった。

 

 

「どうしてこんな、中途半端に目覚めちゃったんでしょう。どうせなら、船を励起できるくらいの強度があって欲しかったです……」

 

「アンタ、軍艦オタだものね。戦車じゃ興奮できない?」

 

「無理ですねー。周りは熱い人ばかりなんですけど、着いていけません」

 

 

 爽やかな笑みで、青年は切って捨てる。

 軍艦の知識であれば自信があるのだが、こと戦車になると何も知らないのである。

 己が使役する戦車――三式中戦車“チヌ”のことも、割り当てられた資料でしか知らず、仲間内の話にも当然ついて行けず、いわゆるボッチ状態。

 軍艦好きが高じて調整士を目指し、見事に夢を叶えたと思ったら、全く関係ない部署へ配属されてしまった。皮肉としか言いようがない。

 だからこそ、この時間が沖縄唯一の潤いなのだが、それが周囲の嫉妬を煽り……。という、悪循環に陥っていた。

 

 

「ま、アンタの偏った性癖なんて、空の広さに比べたらどうでもいいことだわ。上手く付き合いなさいな」

 

「酷い言われようだ……」

 

「これでも言葉は選んでいるつもりよ。望んだ形ではないにしろ、アンタが得た“力”であることに違いはないわ。活かすも殺すも、自分次第よ。何事も」

 

 

 しかし、桐ヶ森もまた、青年の悩みを切って捨てる。

 経緯はどうあれ、天から与えられし稀有な才能。周辺環境に多少は左右されるだろうが、結局、どうするかは本人の意思による。

 備えあれば憂いなし。

 いずれ起こる戦いで、青年の“力”は必ず必要とされると、桐ヶ森は考えていた。

 

 

「酷いといえば、桐林提督、大丈夫なんでしょうか」

 

「何が? 今日も元気に中破撤退してるんじゃないの」

 

 

 唐突な話題の変化に、桐ヶ森は平然と答えるものの、内心で焦ってしまった。

 桐林提督の負傷は、ごく一部の者以外には知られていないはずだからだ。

 すでに桐生提督が倒れている今、また“桐”が負傷したとなれば、世論の批判は避けられない。

 なら隠してしまえ、というのが、過去から続く悪しき習慣。昔ながらの事なかれ主義である。

 唾棄すべき行いであることは確かだが、必要な措置であると理解していた。

 結果、存在を無視するような形になってしまい、ほんのちょっとだけ気に病んでいたところだったので、余計に驚いたのだ。

 けれど、青年はバイタルの変化を見落とし、彼女の言葉へ首を横に振る。。

 

 

「いえ、そっちじゃなくてですね。……桐生提督のこと、ですよ。

 話に聞く限り、統制人格を手厚く保護したり、良い人みたいですから。

 気にしちゃってるんじゃないかなぁとか、思いまして」

 

「………………」

 

 

 じくり、と。桐ヶ森の胸に痛み。

 ガラスで隔てられた白い世界。横たわる男女。立ちすくむ自分。ポシェットに入れたままの本。返すという約束。

 急激に冷めていく思考と裏腹に、まぶたの裏で嫌な光景がフラッシュバックした。

 それを鋼の意思でねじ伏せ、辛辣な言葉に吐き捨てる。

 

 

「良い人、ね。私には優柔不断なだけに見えるけど、アンタはそう思うわけだ」

 

「直接話したことはありませんから、一方的な第一印象ですが。

 桐ヶ森提督はどうですか。比較的年も近いですし、周囲から“桐”同士の友好も望まれているのでは?」

 

 

 青年の言うことはもっともだった。

 事実、桐ヶ森には毎日のように見合い話が持ち込まれている。親子ほど年の離れた男からも、である。

 “桐”としての威光を全力行使してぶった切っているが、いずれ、望まぬ相手と婚姻を結ばされる身なのだ。

 今までは、桐生がその候補に挙がっていた。お互い、「無いですね」「無いわね」と言い合っていたけれど、まぁ、切羽詰まったら、選択肢の一つとしては“あり”だった。

 それがあんな事になり、代打として繰り上がったのが桐林。まだ、直接に働きかけてくる仲人気取りは居ないが、次の誕生日を迎えれば、絶対に。

 しかし、桐ヶ森は理解した上で、青年の主張をハッキリ否定した。

 

 

「ただの良い人に惚れたりしないわ。優しさと強さ、ついでにもう一つくらい付加価値がないと。女ってそういうものよ」

 

「打算的ですね」

 

「当たり前よ、身を預けるんだから。それに私、美少女だもの。注文つける権利はこっちにあるの」

 

「自分でそういうこと言いますか?」

 

「言うわ。誰に恥じることもないし、恥じてはいけないことよ」

 

 

 増幅機器に横たわったまま、誰に見せるでもなく胸を張る。

 天が才能を与えるのなら、五体満足な身体と美貌を与えてくれたのは、他ならぬ両親。

 瞳の色を呪ったこともあったが、今は深く感謝している。だからこそ、彼らから貰ったこの身を恥じる事だけは、絶対にしない。

 桐ヶ森とは、こういう少女だった。

 

 そうこうしている間に、航空母艦・飛龍を介して操縦する彩雲の視界へ、あるものが映る。

 遥かな眼下。黒と茶色が織り混ざった、土台だけの島。

 セイロン偽島である。

 

 

(……あれ? なに、この違和感……)

 

 

 ――が、桐ヶ森の意識に、“何か”が引っかかる。

 おかしい。具体的な相違は把握できないけれど、どうにも違和感があった。

 まばらな雲に、光る海。存在してはいけない大地。何もかもが、今まで通りのはずなのに。

 

 

「セイロン偽島、確認しました。上部構造に変異は認められず。新記録ですね」

 

「え? 今、なんて?」

 

「はい、ですから新記録だと……。前回の偵察より、到達時間が短縮されていますよ。流石です」

 

「……あり得ないわ」

 

「はい?」

 

「私、特に急いだりしてない。毎回同じ時間で到達できるよう、意識的に調節していたくらいだもの。それなのに……」

 

 

 さり気ない青年の一言により、違和感の正体が判明する。

 途中、何度か敵の航空機を避けるために迂回したり、あるいは、振り切るために燃料を使い果たして墜落させた場合もあったが、それ以外の場合は、一定の時間を刻んで制御を行っていた。

 だというのに、到達時間が早まったという。

 艦載機制御に関して、絶対の自信を持つ彼女だからこその違和感だった。

 すなわち――

 

 

「……っ!? 嘘だろ、これって……!?」

 

「報告は正確にあげなさい」

 

「はっ。上部構造には変化が見られませんでしたが、偽島の位置情報で比べると、今朝の衛星写真より北にズレています」

 

「……ってことは……」

 

 

 ――島が、動いている。

 

 

「ギリギリまで降下するわ。何一つ見落とすんじゃないわよ!」

 

「了解。多元観測、開始しますっ」

 

 

 彩雲が急降下。偽島の地面スレスレを飛行し、青年の前にあるモニター全てに映像が表示された。

 桐ヶ森には見えていないが、今、彩雲のそこかしこに、機体へ身体を縛り付ける使役妖精が出現していた。これは彼女たちの視界である。

 岩と土の隆起が続く。

 雑草すら生えておらず、命の息吹がまるで感じられない。死を思わせる、不毛の大地だった。

 

 

「二時方向銃座!」

 

「っとぉ、あっぶないわねぇ」

 

 

 急激な変化。

 突如として、隆起からいびつな銃座が出現。彩雲は空へひるがえる。

 同様の変化が次々と起こり、機体を怨嗟の声が追う。

 届かぬ高さにまで上手く逃げると、人間から見れば、とても銃には思えないそれらが、土に還っていく。

 

 

「悔しいけど、これ以上は無理ね。撤退するわ。アンタ、やっぱり運が良いわよ。こう何度も歴史の転換期に立ち会えるんだから。軍令部へ」

 

「個人的には、平穏無事な人生を送りたかったですねー。繋ぎました」

 

 

 桐ヶ森がいつも通りに。青年は動悸を誤魔化すために軽口を叩き、遠ざかる偽島の姿を記録し続ける。

 通信が繋がったことを確認すると、桐ヶ森は凛と声を張る。

 

 

「軍令部へ通達! こちら桐ヶ森。偽島、動く。繰り返す、偽島、動く!」

 

 

 戦乙女の鈴の音が、激しく警鐘を鳴らした。

 対して、偽島は静かに胎動している。

 もはや隠れる必要など、無いと言わんばかりに。

 鼓動の如く、脈打っていた。

 

 

 

 

 


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