新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と土曜の昼の猛練習

 

 

 最近、桐竹くんに笑顔が増えているような気がした。

 もともと、軍人らしい人物を装っておきながら、表情豊かな彼だったが、明るい顔をする事がとみに多くなった。

 色々と難しい立場にある青年でもあるし、同僚 兼 人生の先輩として、とても喜ばしい。

 ただ、問題も一つ。

 彼の周囲に、妖しい人物の気配を感じるのだ。

 情けない話だが、私自身の経験から、彼らは間違いなく裏社会の人間。軍とはまた違う、“力”を行使することに躊躇いのない連中と思える。

 

 狙いは……“彼女”か。それとも……。

 いずれにせよ、彼は浮かれきっているように見え、警戒など微塵もしていない。

 吉田二佐――ではなく、もう大佐と呼ばなければならないのか。連携して防御網を拡げなければ。

 

 ……彪吾は。義理の息子は、今の私を見てどう思うだろう。

 あの子が頼りないと言い、俺が支えてやるから、と言って貰った男は、どこに行ったのか。

 皆を楽しませる物語は紡げない癖に、何故、戦いばかり上手くなる。

 こんな才能、欲しくなかった。

 護国五本指などという戦上手の誉れよりも、暖かい家庭を守る力が、欲しかった。

 ふと、そんな寂しい……いいや。下らない考えが頭をよぎった。

 

 

 薄汚れた手帳の一遍から抜粋。

 誰が書いた物かは不明だが、端が擦り切れるほど、読み返された形跡がある。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「ぅあっ!? ぃ、たい……!」

 

 

 わずかに身体を前へ押し出すと、腕の中の少女は――雷は、痛みに顔を歪ませた。

 

 

「ごめんっ。痛かったか」

 

「っ……う、ううん、大、丈夫……。続、けて……?」

 

 

 慌てて離れようとするが、自分の左手は、彼女の右手と繋がったまま。

 健気に応えてくれる気持ちは嬉しいけれど、まなじりに浮かぶ雫が痛々しい。

 

 

「やっぱりまだ早いよ。自分も君も、こうするのは初めてなんだし。もっと準備してからの方が……」

 

「……だから、するんでしょ? 電との、本番のため、に……。私なら、我慢できる、から……。ちゃんと練習、しなきゃ……ね?」

 

「雷……」

 

 

 繋いだ手に、力が込められた。

 密着するほど近い身体が、緊張と苦痛で震えているのが分かる。

 しかし、彼女はそれを押してでも、こんな男に尽くそうと笑みを浮かべて。

 無下には出来なかった。

 

 

「分かった。ゆっくり、行くぞ?」

 

「ん……。うっく!」

 

 

 再び、身体を前へ。

 雷の顔がまた歪んでしまうも、今度はそのまま。

 

 

「ぁ、ぐ……ふっ……ぁうっ……ん゛、ん゛……」

 

 

 リズムを刻むたび、苦しげな息遣いが合わせて弾む。

 縋るような指が、強く絡みついてきた。ついには涙まで溢れ、柔らかい頬を濡らしていく。

 胸が締め付けられるようで、もう、耐えられそうにない。

 だから、自分は――

 

 

「……やっぱ止めよう雷っ。これ以上君の脚を踏むなんて嫌だ! ホントごめんな、踊るの下手くそで……」

 

「そ、そんなこと無いわ! 私がついていけないから……痛っ」

 

「あぁぁごめんごめんごめん」

 

 

 ――慌てて不慣れなステップを中断する。

 鎮守府の片隅にあるトレーニング施設。その一室に掛けられていたワルツは止まり、繋いでいた手が離れた。

 貸切にしてもらったここで、自分は上下をジャージで固め、社交ダンスの練習に励んでいるのだ。

 まぁ、結果はご覧の通りなんですが……。

 

 

「ありゃりゃー。基本のステップは出来てたから大丈夫かと思ったけど、ちょっと早かったかなー?」

 

「そうみたいね。痛々しくて見てられないわ」

 

「う……。返す言葉もございません……」

 

「え、えと、でもでも、リズムはピッタリ合ってましたよ? 最初の頃に比べれば、絶大な進歩です! タオルどうぞ!」

 

 

 涙目の赤ブルマー雷を慰めていたら、こちらへ歩み寄る影が二つと、壁際で体育座りをする少女が一人。

 一人はタオルを差し出す雪風だが、残る二人は、同じ陽炎型でも新顔の駆逐艦だ。

 

 

「雪風の言う通り、リズム感は良くなってきたと思うから、この調子で行ってみよー! こういうのはノリが一番大事だしねっ!」

 

 

 短めのポニーテールに結った金髪と、水色の瞳。

 雷・雪風と同じく、体操服に赤ブルマーで決める彼女は、舞風。名は体を表すのか、ダンスを趣味とする陽気な少女である。

 ちなみに、普段の格好はブレザータイプの学生服なのだが、スパッツは履いていないようで、首元は幅のある赤いリボンで飾られていた。

 リボンで個性を出すのが陽炎型の特徴みたいだ。雪風だけ特別なのは、やっぱりその逸話ゆえだろうか?

 

 

「はぁ……。なんで私までこんな格好……。暇だからって付き合うんじゃなかったわ」

 

 

 そしてもう一人が、陽炎型七番艦・初風。

 舞風と似た瞳の色をしていて、同じ色の髪は前髪パッツンなセミロング。当然のように体操服である。滅茶苦茶イヤそう。

 ……別に、自分が強制したわけじゃないです。なんでか酒保にブルマーしか売ってなかったんですよ。色は二十色くらいあったのに。良いセンスだゴッフゴッフ。

 余談だが、彼女はブーゲンビル島沖海戦において、重巡である妙高とごっつんこ。艦首切断という憂き目に遭っていたりする。

 あと、普段着の首元のリボンは黄色だったはずだ。あんまり関係ないけども。

 

 

「とにかく、雷は少し休憩しててくれるか。ほら」

 

「うん。ありがとう、司令官」

 

 

 まだまだ練習を続けたいが、まずは雷のダメージを回復させる方が先決。

 支えるようにして初風のいる方へと向かうと、そこには休暇中であるはずの駆逐艦が四人ほど。またもや体操服姿の白露型たちだ。

 ……いや、本当に強制したわけじゃないんですよ。彼女たちの方から欲しがったんです。だから自分は悪くないと思います。

 

 

「大丈夫? 雷ちゃん。ステップ毎に踏まれてたけど……」

 

「逆に見事なくらいだね。あそこまで思いっきり踏めるなんて」

 

「し、司令官は悪くないのっ。私がちっちゃいから、歩幅が合わなくて……」

 

「そもそも、身長差がある子を練習相手に選ぶ時点で、何か間違っているっぽい?」

 

「自分からハードル上げてるようなものよね?」

 

 

 誰かに向けた言い訳を唱えているうちに、白露、時雨、夕立、村雨が群がってくる。

 ヒドい言われようだけど、反論の余地はまるで無い。

 舞風と一回踊ったくらいじゃ、全然ダメかぁ……。

 

 

「やっぱ、まだ一人でボックス踏まなきゃダメかな、舞風」

 

「んー。でも、あんまり時間ないんだよね? だったら習うより慣れろ! とにかく踊りまくって、身体で覚える! 私も付き合うから、元気出していきましょー!」

 

 

 グッと拳を突き上げて、舞風はよりテンションを高めていく。

 渡りに船と言わんばかりに、艦隊へやって来てくれた彼女。

 ミッドウェーでは炎上中の加賀を護衛。乗組員の救助をしたり、赤城の雷撃処分をしたりと、重い過去を背負っているのだが、そんなことを感じさせない明るさは、今の自分にとって何よりありがたい。

 頑張らねばっ。

 

 

「そうだな。また頼むよ。初風、水くれるか?」

 

「はいはい……。あーもう、見栄っ張りな提督に付き合わされて、大変だわ」

 

「ははは、すまんすまん」

 

 

 心機一転、仏頂面な初風からペットボトルを受け取り、キャップを開ける。

 そもそも、どうしてこんな事をしているかといえば、佐世保での一件が大きく関わっているのだ――。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「仮面舞踏会?」

 

「そ。千条寺家主催のね」

 

「……はい、長門さん頂きました、あざーっす! あ、次は金剛さんお願いしまーす!」

 

「ワタシですか? 仕方ないですネー。Touchは厳禁ですヨ? それはテートクOnlyデース」

 

 

 普段とは違う騒がしさに包まれる、佐世保鎮守府のドックにて。

 桐ヶ森提督と自分。そして数人の統制人格たちは、係船柱へと腰掛ける彼女を中心に、ある説明を受けていた。

 桐谷提督が言った例の件――つまり、「ワルツを踊れるか」と聞かれた事に関してだ。

 

 

「毎年の恒例行事なのよ。“桐”を集めて、政財界のお偉方と懇談会。アンタのお披露目も兼ねてるわ。襲名披露宴みたいなものね」

 

「お披露目……。そう言えば、今までは大きなニュースになってましたね」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。子供の頃に街頭テレビで見た記憶がある」

 

「きゃあーん♪ これが飛燕改二! かっわいいです!」

 

 

 首をかしげる電に頷き返しながら、過去の記憶を振り返る。

 自分がなったせいで感覚がマヒしちゃっている部分があるけど、“桐”というのは日本を代表する存在。

 当然、その襲名は世間で大きく取り沙汰され、テレビでも特番を組むのが恒例だった。

 煌びやかな衣装に身を包んだ麗人。エスコートする壮年男性。部分的に公開されていた内装などが印象に残っている。

 ちなみに、一番覚えているのは出されている食事のメニューだったり。よく「アレ食べたいー」とか言って、母さんを困らせたもんだ。

 

 

「でも、今更ですか? もう襲名してから半年以上経ってるのに……」

 

「あのねぇ……。自分がどれだけブっ飛んだ経歴なのか、まだ自覚してないの?

 舞踏会に合わせて“桐”の襲名やら何やらをするのが普通であって、アンタの襲名の仕方がおかしいのよ」

 

「まぁ、確かに」

 

「あの時はびっくりしたわ~。なんだか、凄く懐かしい気分ね~」

 

「本当にな、龍田」

 

「あざしたー! お? 赤城さんの困ったような表情頂き――あ、ごめんなさい加賀さんごめんなさい。睨むのはやめて下さい嬉しくて死んでしまいます」

 

 

 自分の場合は……。どうだったんだろう?

 あんまりにも唐突で、オマケに赤城の受領とかで忙しくなっちゃったもんだから、よく覚えていない。

 名前をネット検索とか、ボロクソに叩かれてそうで怖いから出来てないし、過去のニュースは全く把握してなかったりする。

 今は世情に詳しい……というか、詳しくあろうと頑張ってくれる、青葉や霧島が居てくれるので、大助かりである。

 

 

「でも、藍璃ちゃん。なんで仮面舞踏会なの?」

 

「伝統よ。あと、匿名性を守るため。私の場合、ストーカー対策もあるわ。

 といっても“桐”の正体なんて、その気になれば一般人でも調べられるんだけどね。

 ダミーが百くらい用意してあるから、当たりを引く確率は少ないけど」

 

「自分の実家も、案外平穏にやってるみたいですね。良からぬ連中が集まってくるかと思ってましたが」

 

「ま、上層部もお飾りじゃないって事よ。ありがたいじゃない」

 

「はぁぁぁ……。この冷たい手触り……。最高ですぅ……」

 

 

 島風の質問には、ちょっとだけ柔らかい言葉尻で答える桐ヶ森提督。微妙に寂しい。

 それはさておき。昔から長い物には巻かれろ、とよく言われるように、権威という物には、蟻のように群がる連中が付き物だ。

 “桐”の人物像を機密扱いするのは、そういった厄介事を未然に防ぐという意味合いがある。

 自分も軍へ入隊する時、真っ先に心配したのは実家のこと。

 どこからか繋がりが漏れ、家族を盾に軍からの協力を求められたり、取り入ろうと過剰な援助をされたり……。色々と考えてしまったけれど、実際にそういうことは起きなかった。

 

 最近届いた手紙には、母さんからの「あんたいつ結婚するの?」なんてお節介な一言まで。

 たぶん一生無理。電を紹介したら殴られそうだし。

 そういや、仮面舞踏会ってようするにパーティーなんだから、女性客も多いはずだよなぁ……?

 こういうのに出る女性って、たいていは玉の輿狙い。サボっちゃおうかな……。

 

 

「一つ言っておくけど、断ろうなんて馬鹿なこと考えないでね。アンタは絶対参加させられるから、そのつもりで」

 

「う。……どうしても、ですか?」

 

「お披露目って言ったでしょう。それに、アンタが居ないと私と桐谷が二人っきりになっちゃうもの。そんなのイヤよ」

 

「あれ。間桐提督は……出てくるわけないですよね」

 

「そういうこと」

 

「もやしっ子だねぇ、間桐提督ってのは。そんなんじゃ風邪ひいちまうよ。ねぇ五月雨?」

 

「ダメだよ、涼風ちゃん。そんな風に言っちゃ」

 

「はい、あざしたー! あ、妙高さんと那智さんは並んでもらって……。はいっ、美人OL風姉妹艦、頂きましたー!」

 

 

 面倒臭さが顔に出ていたのか、碧い色のジト目がこちらを向く。

 桐谷提督と二人っきり。自分も絶対にイヤだ。あの人と一緒にいたら半日で胃がおかしくなるよ。

 間桐提督は公の場に顔を出した事がないらしいし、襲名の時とかどうしたんだろう。

 

 

「あの、具体的な式次第とかは?」

 

「詳細は桐谷から招待状として送られてくるはずよ。

 初期訓練で軍人のマナーは学んでると思うけど、それだけじゃ恥をかくから、きちんと勉強しておきなさい。

 私のエスコートするんだし。いいわね」

 

「はい。分かりまし――はぁ!? え、エスコートぉ!?」

 

「……ねぇねぇ。えすこーとって何?」

 

「男の人が、女の人を守りながら先導することよ~。分かった~? 島風ちゃん」

 

「あ、こんな所に油汚れが。……うんっ、これで良し!」

 

 

 思わず目を丸くすると、桐ヶ森提督は足を組み替え、ジト目から心外そうな顔に。

 

 

「何よ。嫌なの? こう見えても“桐”なんだから、他に釣り合う相手なんて居ないでしょ。

 去年までは虫除けも兼ねて、私が桐生を逆エスコートしてたから良かったけど、今年は無理だもの」

 

「それは、そうですが……。自分に、桐生提督の代わりが務まるでしょうか……」

 

「……前々から思ってたけど、アンタって妙に自己評価が低いわよね。卑下してるっていうか」

 

「卑下、ですか」

 

「はぁい利根型姉妹のお二人もあざーっず! 次は……重雷装艦の――さーせんしたー。邪魔するつもりはないんで、そのままでどうぞー」

 

 

 自己評価が低い……。周囲のみんな――電や島風。龍田、五月雨、涼風を見回せば、納得しきりという顔付きで首を縦に。

 そんなこと言われても、根っこが小市民なもんで。始まりが単なる偶然だったし、デカい面しちゃいけない気がしてるんですが。

 なんて事を思いつつ後頭部をかいていたら、桐ヶ森提督はおもむろに立ち上がり――

 

 

「いつまでも学生気分でいるのはやめなさい。

 アンタが自分をどう思おうと、その一言は多くの人間に影響を及ぼし、人生を左右する。

 もうそれだけの事を成し遂げて、見合うだけの影響力を持っているんだから」

 

「……ふぅ。堪能しちゃった。今度はぁ……Ju87C改ちゃあんっ♪」

 

 

 ――ツン、と指で胸を一突き。

 言い聞かせるような口振りに、不器用な優しさみたいなものを感じる。

 こんな風に気を掛けてくれるなんて、意外だ。いや、島風のことを考えたら不思議じゃないのか?

 明らかに学生の年頃な女の子から言われるのは、ちょっと変な感じだけど。

 

 

「あぁもうっ、しょうがないわね。一回しか言わないから、よく聞きなさいよ?」

 

「は、はい」

 

「さぁ気を取り直して、そこのお美しいレディ! 一枚お願いします! ……あー違います。暁ちゃんじゃなくて、扶桑型のお二人のつもりだったんですけど」

 

 

 少々戸惑っていると、今度は彼女が後頭部をかきむしり、鼻息荒く腕を組む。

 そして、「不本意だけど」と前置きをしてから、静かに口を開く。

 

 

「舞鶴での言葉、撤回するわ。アンタは強くなった。

 技量うんぬんだけじゃなく、肩を並べる者として、信用できる。……“貴方たち”は、信頼できる。

 誇りなさい。“桐”を名乗れる男、そうそう居ないんだから」

 

「零戦の緑とは少しだけ違う緑……。あえて残されてるサイレン……。はぁぁ、格好良いよぅ……」

 

 

 見上げてくる瞳には、欠片ほどの照れと、小さな身体に収まりきらない自信が溢れていた。

 京都は舞鶴で初めて出会い、それから数ヶ月ほど。

 侮られ、歯牙にもかけられなかった自分が、ようやく得た戦友の信頼。

 ……うん。元養鶏場の長男がここまで来たんだ。ちょっとだけ、自信持とう。

 

 

「ありがとうございます、桐ヶ森提督。お言葉、嬉しく思います」

 

「ん。素直でよろしい。調子には乗らないようにね。まだ背中を預けるには早いんだから」

 

「電も嬉しいです。ありがとうございます、なのです!」

 

「もう聞いたわよ。ったく、本当に健気な子ねー」

 

「はわわわ、あの、髪が乱れちゃうのです……」

 

「はぁい。お嬢ちゃんたちもありがとねー。さって次、古鷹さんと加古さん! ポーズお願いしまーす!」

 

 

 自然と笑みが浮かび、釣られた桐ヶ森提督や、電たちも表情を柔らかくした。

 戦いを経て紡がれる絆……なんて洒落た言い方、自分にゃあ似合わないけど、確かな繋がりを感じる。

 それが照れくさいのだろう。年若い戦友は、もはや見慣れた小悪魔フェイスに。

 

 

「あぁそうそう。ワルツもしっかり練習しておくように。脚踏んだら承知しないから」

 

「はい……って踊るんですか? 自分と桐ヶ森提督が!?」

 

「踊らないでなんのための舞踏会よ。さっきから驚き過ぎ。……まさかとは思うけど、ダンス未経験とかじゃないわよね」

 

「へ? い、いやぁ、流石に踊った事くらいはありますよっ。大学時代に、ですが」

 

「そ。良かった。アンタを狙ってる御令嬢方からも誘われるでしょう。失敗したら末代までの恥よ? 頑張んなさい」

 

「マジですか……」

 

「やっぱり欲しいなぁ、飛燕改二とJu87C改……。ううん、いっそのこと載せるだけでも……」

 

 

 ポン、と肩を叩かれつつ、盛大にため息をつく。

 あんまり関わりたくないんだよなぁ、そういうの。

 うちの親は恋愛結婚だったし、それで上手くいってるのを見てるから、自分もそうなりたいって子供の頃から考えてるのだ。

 法的には難しいかも知れないけど、日本には内縁関係という素晴らしい習慣だってある。水を差されないよう、警戒を厳重にしとこう。

 

 ……いや。それと同じくらい重要で、なおかつ差し迫った問題がもう一つ。

 勢いで踊れるとか言っちゃったけど、実際にはワルツなんて踊れません。

 踊った事があるのは本当だ。しかしながら、それは学園祭の催し物の一環であり、結果なんて言うまでもない。というか思い出したくない。

 ならば撤回するのも一つの手なのだが、それも無理。何故ならば。

 

 

「司令官さん、凄いです。ワルツを踊れるなんて、ぜんぜん知らなかったのです」

 

「踊りねぇ。あたいは盆踊りくらいしか出来そうにないやー」

 

「私も知りませんでした。大人の男の人って感じで、五月雨、尊敬しちゃいます!」

 

「あぁぁ、うん。軍では踊る機会なんか無かったしね。自分の数少ない特技だよ。

 ちなみに他の特技は、口の中でサクランボのヘタを結べる、とかだったりするんだけど」

 

「あら~、良いこと聞いちゃった~。どんな感じにするのか、見てみたいわ~?」

 

「え、あー、き、機会があれば……」

 

「むむむ、ダンス……。ようするに、くるくるーって早く回れば良いんだよね? だったら私も踊れるよ!」

 

「いやいや。早くても意味ないわよ、島風さん。……にしても」

 

 

 これ以上ないくらいに、持ち上げられちゃってるからだ。

 裏切れない、裏切れないよ、この純粋な瞳たちだけは。

 龍田さんは気付いた上で放置してるっぽいけど。相変わらずドSですね!

 今ならまだ間に合うか? でも失望されないか?

 とか悩んでいるうちに、「さん付けやめてよー」と突っ込まれる桐ヶ森提督の視線が、別方向に向かい――

 

 

「あざしたー! じゃあ陽炎型の三名様、そこに並んで……あ、容量が足りねぇ。桐ヶ森提督ー、デジカメとか持ってませーん?」

 

「さっきからウルッサイのよ軍艦オタ! 潰すわよ!」

 

「ねぇねぇ提督ー! 今からちょっとだけ海に出ない? その……飛燕改二ちゃんとシュトゥーカちゃん借りて!」

 

「瑞鳳もいい加減にしてくれっ、普通に無理だから!」

 

 

 ――背景でずうっっっっっと騒いでたオタ調整士とオタ艦娘へと、突っ込まざるを得なくなってしまった。

 こうして、小さな見栄を訂正するタイミングは、永遠に失われたのである。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 ……振り返ってみると、やっぱ自分がバカなだけだなぁ。

 水で一息つきながら、つくづく思う。

 あの翌日、書記さんに言おうか言うまいか悩みながらの励起で、舞風が踊りを得意とする統制人格として顕現してくれなかったら、どうなっていたか。

 都合が良い気もするけど、それを言ったらこの能力そのものが御都合主義の塊。

 運が良かったんだと思っておこう。とりあえず。

 

 

「じゃあ、提督。もう一回基本をおさらいしましょーか。初風、音楽はスローでお願ーい!」

 

「分かった」

 

「了解よ」

 

 

 空のペットボトルを潰し、差し出された手に従って部屋の中央へ。

 背後でラジカセ型再生機器が操作され、練習用のループ音楽――スローテンポのクラシックが流れ出した。

 にっこり笑う舞風と向き合えば、あとは手を合わせ、背中に腕を回したら準備完了なのだが……。

 

 

「っ……。どうしても、緊張するな」

 

「ダメだってばぁ。変に意識しちゃうから身体が硬くなっちゃうの。ほら、グッと!」

 

「お、おう……」

 

 

 そうするには、互いの吐息を感じる距離まで近づかなければならず、伝わってくる体温が心臓を高鳴らせた。

 嗚呼、何故に神は女の子という存在を、こんなにも柔らかく作ったのか。

 顔には出さないまでも、胸中で自分は悶えまくる。手だって小さいし、妙に細くて温かいし、拷問です。

 

 

「じゃあ左足からですよー。……はいっ。いち、に、さんっ。に、に、さんっ。さん、に、さんっ。よん、に、さんっ」

 

「ん、む、お、ほ」

 

 

 煩悩とクラシックが脳内でせめぎ合う中、意外にも、身体はキチンとステップを踏んでくれる。

 左足を前に。今度は右足。「さんっ」で向きを少し変えつつ、左足を引く。

 他にも色んな動き方があり、それを組み合わせることで、ステップは大きな円を描くのだ。

 まぁ、付けられてる名前とかは全然覚えてないんですが。

 

 

「いい感じです、司令。そのまま、そのまま」

 

「舞風の脚、踏んじゃ駄目よー? 散々踏んでるんだからー」

 

「雪風はいいとして、村雨は少し黙っててくれっ」

 

 

 回転する視界に、手拍子で応援してくれる雪風と、笑顔のままからかう村雨の姿。

 見ているだけの子は気楽だよ、全く。いい太ももしやがって。

 って視姦してる場合じゃない。もうそろそろ終わりだ。最後まで気を抜かないように……。

 

 

「はい、お疲れ様でしたー。やっぱり基本は大丈夫みたいですねー。ステップもターンもOKです!」

 

「じゃあ、歩幅の問題か。正しく踊るのに精一杯で、気が回らないのかな……」

 

「ぁう……。ごめんね、司令官。私の身体がちっちゃいせいで……」

 

「ん……。僕は、違うと思うな」

 

「ぽい? なら、時雨ちゃんはなんでだと思うの?」

 

 

 ほどなく、自分たちは踊り始めた位置に戻り、即席ペアが解消された。音楽も同時に。

 舞風のリードが上手いというのもあるが、踊れてしまった。雷はさらに身体を小さくしてしまう。

 しかし、彼女を慰める時雨がそれを否定し、夕立の声を背に進み出る。

 

 

「舞風。代わって貰えるかな?」

 

「いいよー。身体は半分くらいズラして、左手は二の腕辺りにね?」

 

「うん。見て覚えたから、大丈夫。……それじゃあ、提督」

 

「え、あ、分かった」

 

 

 そのまま立ち位置を入れ替え、正面にはブルマーな時雨が立つ。

 断るなんて選択肢があるはずもなく、出された右手に左手を絡め、軽く触れる程度に背中へ腕を回す。

 が、なぜだか彼女は不満そうな顔を見せる。

 

 

「もっとしっかり頼めるかな」

 

「え? えっと、こうか」

 

「駄目だよ。抱き寄せるつもりで、こう」

 

「だ、抱き寄せるって……! えぇ……」

 

 

 グッと距離がつまり、思わず上体が反ってしまった。

 前々から思ってたけど、一人称は「僕」な癖して、仕草や雰囲気がしっとりしてるから、ドキドキさせられる事が多いんだよな、この子。

 もちろん悪い意味じゃないんだけど……。

 

 

「提督は、僕じゃ嫌……?」

 

「とんでもない! ……時雨の方こそ、嫌じゃないのか」

 

「嫌ならお願いしたりしないよ。遠慮しないで」

 

「そうか……。なら……」

 

「うん」

 

 

 寂しそうに伏せられるまぶた。

 慌てて問い返すと、ゆらゆら一本お下げが揺れる。

 ここまで言われては、是非もない。時雨の肩甲骨辺りに右手を置く。

 うぅ……。舞風もそうだったけど、ブラ紐の感触が生々しいぃ……。

 雷の時は、逆にそれが無くてマゴマゴしちゃったし。社交ダンスで飯食ってる男の人を尊敬するわ……。

 

 

「ねぇ、テンポはどうするの」

 

「スローでお願いするよ、初風」

 

「ん、了解っと。じゃ、これで行けるわね?」

 

 

 再び音楽が流れ出す。

 しばらく続いた前奏が終わる瞬間、自分は時雨と頷き合い、恐る恐る一歩を踏み出した。

 

 

「うぉ……っと……おぅ……わっ」

 

「ダメだってば提督ー! もっと寄り添うように、息を合わせて! はいっ」

 

「頑張って、司令官っ」

 

「あ、あっ、わわ、見てるだけでハラハラしますぅ」

 

 

 あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。

 危なっかしいステップに、舞風を始め、雷や雪風が声を上げた。

 それでも、なんとか足を踏まないよう全力を尽くす。

 冷や汗をかきながら、ようやく一通り踊り終えると、「お疲れ様」と頭を下げる時雨が、困ったように口を開いた。

 

 

「やっぱり、原因はアレだね」

 

「うん。私も分かっちゃったよ! 真実はいつも一つ!」

 

「どう考えても、アレよね?」

 

「え、えっと……。夕立はよく分かんないっぽい? 時雨ちゃん、説明してー?」

 

 

 続いて、白露や村雨たちも、しきりに頷き始めた。

 夕立と同じく、なんのこっちゃ? と首を傾げていたら――

 

 

「提督は、物理的に女性と接触するのに、慣れていないというか。そのせいで及び腰になって、ステップが乱れているんじゃないかな」

 

 

 ――実に言いにくそうな顔で、侘しい真実を突きつけられた。

 ううむ、なるほど。詰まりは喪男なせいだと。なるほどなるほどー。

 いや認めちゃいかんだろ自分!?

 

 

「そ、そんな事ないだろう? よく駆逐艦の子たちを撫で回してるし……」

 

「主に頭を、だよね。他の所に触ったことは? 肩や腰に腕を回した事とか、身体を密着させた事はある?」

 

「んなっ、あ、ある訳ないっ……いや、ある、あるぞっ。電と赤城は励起した時に抱きとめたし、この前は初雪と一枚のコートにくるまってだな!」

 

「ちょっと、そんな事してたの?」

 

「あ」

 

 

 どうにも認めがたく、ついセクハラ自慢をしてしまうのだが、初風からの冷たい視線で正気に戻る。

 やばい。なに言ってんだろ。舞風と雷は「やるねー提督ぅ」「いいなぁ」なんて言ってるけど、全然良くない。

 出会ったばっかで打ち解けてもいないのに、マズった……。

 

 

「とりあえず、置いておこう。質問を変えるけど、提督の方から接触を持ったことはあるかな。頭や肩以外に」

 

「………………ない、と思います」

 

「つまり、時雨ちゃんの言う通りってことね。女の子とのスキンシップに慣れてないから、ドギマギしちゃう、と。困ったわね~」

 

「そういえば、背中に添えられた司令官の手がモゾモゾ動いて、ちょっとくすぐったかったかも……」

 

「それは……なんか、お、落ち着かなくて」

 

「うー、想像しただけで悶えちゃうっぽい~」

 

 

 改めての質問に答えると、村雨は人差し指で自身のおデコを叩き、難しい顔。夕立はくすぐったそうにモジモジしている。

 く……。こんな形で喪男なのがバレるとは……っ。もともと気付かれてた気もするけど、なんか悔しい。

 

 

「んー、ダンスを踊るには致命的かもねー? 中途半端に組んでるだけだと、怪我の元になっちゃうし」

 

「こうなったら、相手を取っ替え引っ替えして慣れるしかないと思う。初風、お願いするね」

 

「……っえ!? な、なんで私が踊らなきゃいけないのよ!?」

 

 

 コーチである舞風も、片脚立ちでお悩み中だ。

 そんな所へ、時雨がまたしても爆弾を投下。直撃を食らった初風は慌てふためく。

 

 

「別に踊る必要はないよ。ただペアを組んで、リズムを合わせるだけでも効果的なんじゃないかな」

 

「うんうん。私たちはけっこう提督と付き合い長いから、刺激っていう意味でも丁度いいと思う! この中では一番の新人さんだし!」

 

「おー、なるほどー。初風だけに初々しい……なんちゃって」

 

「舞風ってば、オヤジ臭いわよ~? とにかく、見てるだけじゃ退屈でしょ、ほらっ」

 

「頑張って下さい! 司令のためです!」

 

「え、え、ちょ」

 

 

 時雨の説明に白露が賛成し、突っ込む村雨が初風を引っ張り上げる。

 雪風から応援されては断れないのか、たたらを踏みながらも進み出て、こちらの真正面で立ち止まった。

 どうやら、自分の意思は無視されるらしい。

 

 

「あ……う……えと……。へ、変なとこ触ったらぶつわよ、叩くわよ! 妙高姉さんに言いつけるわよ!?」

 

「言われなくても分かってる。だから後半はマジでやめて」

 

 

 身を庇うようにする初風は、顔を真っ赤にして警戒心も露わに。

 気持ちは分かるけど、妙高を引き合いに出すのはやめて欲しいなぁ。

 先に挙げたが、ブーゲンビル島沖海戦でこの二隻は衝突。初風は艦首を切断するほど大きな損害を受けた。

 そして、パプアニューギニア・ニューブリテン島にあるラバウル基地への帰投中、敵艦からの集中砲火を受けて、その身を海に沈める。

 苦手とする……っていうか、鬼のように扱うのも理解できるんだけどさ。あんがい気にしてるんだよ、妙高も。廊下ですれ違うたびに怯えられて。

 仲良くしてあげて下さい。

 

 

「それじゃあ、しばらくループして音楽かけますから、ゆっくりリズムを取ってみて下さいねー。ミュージック……スッタートォ!」

 

「って、もう始めるのか!? ああと、ほら初風、手、手!」

 

「わ、分かってるわよ……っ」

 

 

 こちらの都合も御構い無しに、ダンスミュージックが流れ出してしまう。

 自分たちは大慌てでペアを組み、舞風たちの視線を一身に受けつつ、左右に身体を動かす。

 

 

「ううう、なに、なんなのこれ……。恥ずかしくて死にそう……っ」

 

「考えるな初風、自分だって同じなんだから」

 

 

 赤くなった頬を隠したいようで、あちこちに目線を投げ、俯き加減な初風。

 なんでか知らないけど、みんなジィッとこっちを見てるし、本当に羞恥プレイしているみたいだ。

 

 

(考えるのやめよう。心頭滅却すれば火もまた涼し。慣れてしまえば視線も快感ってことにしよう。新境地開拓っ)

 

 

 羞恥心をアホな考えに誤魔化し、無心でリズムを刻み続ける。

 音楽は何度かループ。時間的に、十分程度は経過しただろうか。

 ふと、間近から見つめられている事に気付いた。初風だ。

 

 

「……どうかしたか?」

 

「見てるだけよ。いけないの?」

 

「いけなくはないけど……」

 

 

 みんなに聞こえないくらいの、囁き声で聞いてみるのだが、視線は動かない。

 先程までと趣の違う、居心地の悪さ。

 天井のシミを数えて耐えていると、今度は彼女がささめく。

 

 

「ねぇ。なんで提督は、こんな必死に練習するの。みんなに隠れてまで」

 

「そりゃあ……。あんな見栄を張った手前、『実は踊れません』とか言うの、悔しいし」

 

「でも、本当に踊りたいのは電ちゃんなんでしょ? さっさとありのままを打ち明けて、あの子と練習した方が楽しいんじゃ、ないの……」

 

 

 言葉が終わりへと向かうにつれ、瞳は伏せられた。

 電と練習、か……。そりゃあ、そっちの方が楽しいに決まってる。

 さんざん恥ずかしいところも見られてきた。今さら一つや二つ、恥が増えたって問題ないだろう。

 ……しかし。自分にだって、意地はあるのだ。

 

 

「よくさ。ありのままの自分を見て欲しいとか、好きになって欲しいって言う人、居るけど」

 

「……けど?」

 

「自分は、その“ありのまま”に、あんまり自信がないんだ。

 みんな褒めてくれるけど、なんていうか……。その“みんな”が居てこその自分だしさ。

 軍人としてはそれなりでも、一人の男としては、まだまだ未熟だと思う」

 

 

 例えば今、自分から傀儡能力を取り上げたとして、後に残るものはなんだろう。

 材料限定の料理の腕。良くも悪くも平凡な顔。同年代よりは鍛えてある肉体。たぶん、この程度。

 ハッキリ言って、人間的な魅力があるとはお世辞にも言えない。

 だから。

 

 

「だから、自分一人でも頑張れることがあるなら、努力して、昨日より成長したい。もっといい男になりたい。

 少しでもマシな自分を見てもらって、いざ両想いになった時、恥ずかしくない男でいたいから。

 ……とまぁ、ちっちゃい理由なんだけど。結局は巻き込んじゃってるし、雷には代役なんて頼んじゃったし」

 

「ふぅん……」

 

 

 良いことを言ったつもりだったけど、実際はそうでもない事に気付いて、最後に苦笑い。

 呆れられるかとも思ったが、初風はバカにしたり、笑ったりせず。

 ただ、頷きを返してくれた。

 

 

「ま、ナルシストとかよりは、良いんじゃないかしら。ダンスはまだまだですけどね」

 

「よく言うよ。初風だって踊れないだろ」

 

「残念でした。舞風のを何度も見て、完璧に覚えてるわ」

 

「ほぉ? なら、試してみるか」

 

 

 しかし、すぐさま自信家な一面へと取って代わり、自分も挑戦状を叩き返す。

 無言は数秒。微笑み合うのは同時に。

 そうして――

 

 

「いいわっ。足手まといになったら、置いて行くんだから!」

 

 

 ――生まれたばかりの即席ペアが、ステップを踏み出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《こぼれ話 ああっと! どこからともなく謎の光線が差し込み、濃厚な湯気が立ち昇ったぁ!》

 

 

 

 

「はぁー。生き返るー。やっぱり、お風呂は気持ちいいわねー」

 

 

 ちゃぷん。

 と水音を立てながら、一糸纏わぬ雷が大きく背伸びをする。

 頭の上で組まれた指が反り、細い腕をお湯が伝っていた。

 

 

「うんうん。みんなで踊りまくっちゃったもんね。一番踊ったのは白露ですけどっ」

 

「足がパンパンー。しっかりマッサージなきゃ」

 

 

 膨らみかけの胸を張る白露。湯船から足先を露出させる、髪をお団子に結い上げた村雨など、先程までダンスの特訓をしていた彼女たちが居るのは、桐林艦隊宿舎にある大浴場であった。

 中央に四角形の大きな湯船があり、そのさらに中央にはお湯を吐き出すマーライオン。

 浴場壁際にはジェットバスを楽しめる小型の浴槽、打たせ湯コーナーなども作られていて、ちょっとしたスーパー銭湯気分を味わえる。

 これら設備には全て使役妖精が宿っており、掃除しなくても自動的に清潔さを保ってくれる、夢のメンテナンスフリー大浴場なのだ。

 欠点として挙げられる点は一つ。誰かが湯船に浸かってくれないと、使役妖精がヘソを曲げてしまうことだろう。

 

 

「結局、みんなが提督と一回は踊って、一回は踏まれちゃったね」

 

「全くあの提督は……。いい感じで踊れてたのに、最後の最後で思いっきり踏んづけるんだもの。本当にダメダメなんだから」

 

「まぁまぁ。初風だって踏んでたし、まだ練習始めて一日目だよ? 思い切りが良くなっただけでもスゴイってー」

 

「すっごく楽しかったっぽい~。お仕事もやり甲斐あるけど、こういうのも提督さんと遊べて嬉しいな~」

 

 

 縁に腰掛ける時雨が思い出し笑いをし、初風は隣で足を揉みほぐしながら溜め息をついた。

 あの後、息を合わせてステップを踏み始めた二人だったが、思いの外それは好調であり、もしや初成功か? ……と皆が思った瞬間、互いが互いの足を踏んづけ、見事に転倒してしまったのだ。押し倒されてしまった初風が怒るのも無理はない。

 しかし、舞風の言うことも間違ってはいないだろう。何もしないで恥をかくよりも、思い切り失敗して学ぶ方が有意義なはず。

 そんな理由もあり、初風の次は村雨、村雨の次は夕立、雪風、一番最後に白露……といった具合に相手を交代。猛特訓は続いた。

 その疲れを癒そうと、こうして湯船に浸かっているわけである。

 

 ここで、誰もが知りたがっているであろう情報を公開しよう。

 現在、この大浴場には濃厚な湯気が立ち昇っている。

 さらには窓もないというのに、どこからともなく謎の光線が差し込み、ところどころ視界を遮っていた。

 故に、見えない。

 湯船へと入るため、タオルで長い髪をまとめる時雨たちが両腕を思い切り上げても、何がとは言わないが……見えない。

 どう頑張っても、普段は隠れている白いうなじや、なだらかな曲線を、腰のくびれに向けて下る水滴しか、見ることが叶わない。

 これが世界の修正力である。悪しからず。

 

 

「どうしたの? 雪風。さっきから黙ってるけど」

 

「提督に踏まれた所が痛いとか?」

 

「あ、いえ。違います。ちょっと気になることが」

 

 

 どこからか憤怒の叫びが聞こえてきそうだが、そんな物は少女たちに届かない。

 大人しく湯を楽しむ雪風を、雷と白露が気遣う。

 提督と別れてからというもの、彼女は口数が減ったように思えたからである。

 けれどそれは否定され、ジィ……っと茶色い瞳が雷を射抜く。

 

 

「あのぉ……。雷ちゃんは……司令のことが、好きなんですか?」

 

「ブッ!?」

 

「んわぁ! 汚いっぽいぃ!?」

 

 

 脈絡のない指摘に、雷は吹いた。夕立が直撃を受け、顔を洗う。

 あまりに反応が大きかったからか、時雨や村雨もワラワラと。

 

 

「しかし、唐突だね」

 

「前々からそういう気配あったじゃない? いきなりどうしたの?」

 

「いやいやいやいやいやいやいやいやいや、無いから! そんな気配無いから! 司令官のことを好きなのは電で、私は……別に……」

 

 

 珍しく狼狽えまくりな雷。

 両腕を振り回して「好き」という言葉をかき消そうとするが、次第に声のトーンを落とし、顔を半分だけ潜水させる。

 否定したいのに、したくない。矛盾だらけの気持ちが気恥ずかしい。

 

 

「でも、司令とダンスのペアを組んでる時、とっても楽しそうだったような気がして」

 

「あぁー。それは確かにそうだねー。笑顔が輝いてて、見てる方も楽しくなる、良いダンスだったなー」

 

「言えてるかも。明らかに表情違ってたわ」

 

「うむむ……。そればっかりは、この白露でも認めざるを得ないかも……。二回目に踊った時の雷ちゃん、一番に輝いてた!」

 

 

 そこへ追い討ちをかける、雪風、舞風、初風。

 腕を組む白露が最後を飾り、包囲網は完成した。

 周囲を敵に囲まれ、絶望的状況かと思われたが、雷も足掻く。

 

 

「……わゎ、私の事より、時雨とかはどうなのっ? 自分からペアを進み出てたし!」

 

「あ。露骨にすり替えたっぽい。まぁいっか。で、そこのところどう?」

 

 

 この場における最も有効な戦法。話題のすり替えである。

 ……まぁ、すり替えと言っていいのか怪しいレベルではあるけれど、夕立がそれに食いつき、視線の集まる場所も変化した。

 が、思いも寄らず注目を集めた時雨は、平然と答える。

 

 

「恋愛感情の有無はさておき。……好意に値する男性だとは、思うかな」

 

「おぉー、直球ストレートだー」

 

「意外……。理由は? 少なくとも顔じゃないでしょ?」

 

「あの、初風ちゃん? 雪風、それはヒドいと思っちゃうんですけど……」

 

 

 妹の剛気な発言に、白露は驚く。

 普段から物静かな彼女が、こうもハッキリと感情を言葉にするなんて、滅多にないからだ。

 同じく驚いた初風の質問にも、小さな笑みを浮かべている。

 

 

「村雨、聞かせてあげてよ。あの話」

 

「えっ。わ、わたしが? でも……」

 

「あれ? 村雨ちゃん、なんか照れてるっぽい?」

 

 

 また注目される少女が変わり、今度は村雨。

 時雨の言う“あの話”はすぐに思いついたようだが、雷と似たような表情でためらっている。

 しかし、無言の圧力には耐えられず、やがて溜め息を一つ。

 おもむろに口を開いた。

 

 

「あの、ね。みんなもあの事は、聞いてるでしょう? 雷ちゃんたちが、あの戦いで経験したこと」

 

 

 その一言で、和やかなガールズトークから雰囲気は一転。茶化してはいけない、真面目な空気に。

 雷たちが経験した戦い。間違いなく、双胴棲姫との戦いであろう。

 

 

「わたし、みんなの前では平気な振りをしてたけど、後になって凄く怖くなっちゃったの。

 まだ一度も実戦を経験していないのに、あんな事実を知らされて……。撃つのが、怖くなっちゃった」

 

 

 かの戦いにおいて、敵に統制人格が宿り、彼女たちに取り込まれた船が“堕ちてしまう”ことも確認された。

 この事実は、戦闘に関われなかった留守番組みにも伝えられた。口頭のみならず、望む者には完全同調し、提督の記憶を追体験する事で、である。

 今まで鉄の塊だと思い込んでいた――思い込むことで目を逸らしてきた現実を、突きつけられたのだ。

 どれほどの衝撃だったのか、想像するまでもない。

 

 

「その日も眠れなくて、夜中にフラーっと散歩して。そんな時よ、吹雪ちゃんや妙高さんと一緒に、庁舎の方から帰ってくる提督と会ったのは」

 

 

 村雨は記憶を振り返り、目を閉じる。

 昼間から降り続いていた雪が、段々と小粒になっていく中、パジャマに褞袍(どてら)を羽織る彼女は、火の消えた食堂で一人、窓を眺めていた。

 誰にも悩みを打ち明けられず、モヤモヤとした気持ちを抱え込んだまま。

 そこへやって来た賑やかな気配が、○一○○を回ってようやく仕事を終えた、彼らだったのである。

 

 

「提督ね、わたしの様子がおかしいことに気付いて、疲れてるはずなのに時間を取ってくれたの。

 ちょっと恥ずかしいんだけど……。わたし、話しながら泣いちゃった。

 戦う事が怖い。死んでしまう事が怖い。……あんな風になっちゃうのが、怖い」

 

 

 先に吹雪たちを戻らせた彼は、「ちょっと待ってな」と言い残し、二人分の卵酒を用意する。

 普通なら飲んではいけない見た目の村雨だが、そこは統制人格。深く考えずに口をつけた。

 シンクに寄りかかって、初めて感じる日本酒の匂いと、柔らかい甘さと、温もり。

 複雑に絡み合ったそれらが、村雨の心を解いていた。

 

 

「てっきりね? 怒られちゃうかと思ってたのよ。優しい電ちゃんですら乗り越えられた事なのに、情けないって。けど……」

 

 

 涙ながらの告白に、彼はしばらく無言を貫いた。

 抱え込んでいた全てを出し切れるよう、ただ静かに、目をつむり。

 そして、漏れ聞こえるのが嗚咽だけになった頃、ゆっくり瞼を開ける。

 今、雷たちへと語りかける、村雨のように。

 

 

「それで良いんだよ。怖くて当たり前の事なんだから、無理をする必要なんかない。

 君が今までやってきた輸送任務だって、それが無ければ戦えないんだ。砲を撃ち合うことだけが戦いじゃないさ。

 十分に、みんなを支えてくれてる。我慢だけは絶対にしないでくれ。怖いことを素直に怖いと感じられる、そのままの村雨でいて欲しい」

 

 

 口振りを真似る村雨は、一言一句間違いなく、彼の言葉を再現した。

 堪らず胸に飛び込み、また涙を流してしまった時の、温かい気持ちを乗せて。

 

 

「……とまぁ、こんな事を言われちゃいまして。村雨さんはこう思っちゃったのよ。

 あぁ。この人に呼ばれて良かった。この人の船でいられて、良かった……って。

 だから……。けっこう好きだったりするかも……ね?」

 

 

 だが、大きな手で背中を叩かれる恥ずかしさも、一緒に思い出したのだろう。

 笑顔に照れを誤魔化して、ほんの少しだけ本音を零す。

 まだ生まれたばかりの、お湯に溶けてしまいそうな“何か”を。

 

 

「も、もうっ、なぁに? みんなして黙らないでよ~。せっかく恥ずかしいのを我慢して話したっていうのに!」

 

「あっはは。村雨ちゃん、やっぱり照れてるっぽい~」

 

「ごめん、ごめんね村雨ちゃんっ、私、一番艦なのにっ、お姉ちゃんなのに、全然気付いてあげられなかった……。ホントにごべん゛ね゛ぇええぇぇぇ」

 

「泣かないで、白露。……僕も、この話を聞いて思ったんだ。

 彼なら信頼できる。信じたいと思う僕自身を誇れる。

 だから、好きかと聞かれたなら、胸を張って好きだって答えるよ」

 

 

 見惚れていた皆は、思わずそうさせる気品が崩れたことで、一気に表情を柔らかく。

 夕立など、プンプン怒ったふりの姉に抱きついている。

 逆に、妹の悩みを気付いてあげられなかった白露は、時雨に抱えられて泣きそうになり、程なく決壊した。

 けれど、悲しみから溢れた雫でないのは一目瞭然。慰める方も穏やかに微笑む。

 

 

「ふぅん……。自分はそのままじゃ嫌な癖に、他人にはそのままで良いとか言っちゃうんだ……」

 

「初風、どうしたのー? なんか顔が笑ってるよー?」

 

「わ、笑ってないってば。それと、私はまだそういうレベルじゃないから。出会ったばかりだし、これからよ、これから」

 

「ふぅん? まぁいっかー。確かにこれからだもんね、あたしたちっ」

 

「ちょっと、重いってば……」

 

 

 小さく呟き、火照った顔を背けるのは初風だ。

 ニカっと笑う舞風に乗しかかられ、迷惑そうにしているが、自分から離れようとはしない。

 彼女が艦隊へとやって来た時。

 笑顔で迎えてくれる彼に向かい、「提督さんにとって私は、何人目の私かしら?」などと皮肉ったのにも関わらず、彼はこう言い切る。

 

 ――君が最初で、最後の“初風”だ。

 

 あの時は世辞としか受け取れなかったけれど……。信じて良いかも知れないと、初風は思った。

 恐れで迷い、和らげる言葉を貰って、それをまた誰かに伝え。

 こうして絆を結ぶことで、少女たちは、過酷な真実に負けない強さを得ていくのかも知れない。

 

 余談だが、部屋へと戻ったはずの吹雪たちも、しっかりと村雨の涙を目撃している。

 物陰に隠れ、「良いなぁ、卵酒」「注目すべきはそこじゃありません」と言い合い、互いにハンカチを差し出して友情を深めた。

 これからはきっと、書類仕事では戦々恐々としつつ、肩を並べる仲間として信頼を築くことだろう。

 

 

「雷ちゃん、嬉しそうです」

 

「え。そう、かな。……うん、嬉しい。みんなが司令官を好きだって言ってくれて、私も嬉しいっ」

 

 

 それぞれに笑い合う皆を、雷は静かに微笑み、見守っていた。

 雪風から指摘され、ようやく自身が笑っていると気付いた彼女は、わずかに沈黙した後、再び大輪の花を咲かせる。

 

 

(でも、おかしいな……。良い事のはずなのに、どうして羨ましいって思ったんだろ、私……)

 

 

 小さな胸に。

 小さな小さなわだかまりを、ひた隠しながら。

 

 最後に、どうでも良い事実をもう一つ。

 

 

「どうしよう……。出て行くタイミング完全に逃しちゃった……。

 盛り上がってるねーみんな? 実は私も提督さんのことが? お母さんは許しませんよ?

 ううう、どうすれば……っ。このままだと茹だっちゃうぅ……」

 

 

 実は雷たちが入って来る前から、マーライオンに寄っかかって湯を堪能する整備主任が居た。

 偶然にも影になっていた彼女。潜水して驚かしちゃおうかなー、などと、持病持ちとは思えない事を考えているうちに、なんだか重い話が始まってしまい、出鼻をくじかれる。

 その後も和やかな空気に入り込むタイミングを伺ったが、機を逸し続け、最終的に茹でダコとなった所を救助されるのだった。

 どんとはらい。

 

 

 


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