新人提督と電の日々   作:七音

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目指せ、アイドルの☆(スタァ)! 那珂ちゃん、汗と涙(と笑い)の地方巡業記! その一「見せスパッツとはなかなかの選択……。でも、那珂ちゃん生足だからお色気的には……あ、そっちに路線変更なんて(略)」

 

 

 

 

 

 この日、海は平穏だった。

 本州に大きくかかっていた梅雨前線が消え、陸の上は雲一つないのが容易に想像できる。

 風は強くなく、波が少々あるものの、この程度なら航海の醍醐味と言えるだろう。

 甲板にベンチでも置き、日傘をさして水着でも着れば、まさしく気分はリゾートクルージングだ。

 が、そんな中で――

 

 

「いーよいーよ。どーせ那珂ちゃんにセンターは似合わないもん。地方巡業がお似合いだもん。

 延々ドサ回りを続けて、場末の居酒屋でお客さんのリクに答えながら演歌を歌ってればいいんだよ……。ふ、ぐすっ……」

 

 

 ――局所的に暗雲が立ち込めている海域があった。より正確にいうなら、とある船の真に上だけ。

 海を進む六隻の編隊。美しい輪陣形の右方である。

 オレンジ色の衣装をまとい、甲板で膝を抱え座りこむお団子頭な少女は、その船の統制人格、那珂。

 何の気なしに始めてしまった、次の旗艦(センター)には誰がふさわしいか投票。立候補したものの全く票を得られなかった彼女は、盛大にダメージを食らっていた。

 

 

「もう、暗いなぁ。ほんまエエ加減にしてや? せっかくの初遠征やのに、気ぃ滅入ってまうわ」

 

「ホントよ。そりゃあ、私達だって実戦で活躍とかしたいけど、こういう任務だって大事でしょ? ね、不知火(しらぬい)?」

 

「……司令のご判断ですから。不知火はただ従うのみです」

 

「あかん、ちゃう意味でこっちも暗いわぁ……」

 

 

 艤装着用時のみに使用でき、統制人格と同調状態の傀儡能力者にだけ聞こえる、短距離念波通信。

 右前方から発せられるその面倒臭いイジケっぷりに、額へ手を当て、思いっきりため息をつくエセ大阪弁少女、黒潮(くろしお)

 彼女に続いたのは、同型艦である陽炎(かげろう)型駆逐艦ネームシップ・陽炎と、二番艦・不知火。黒潮は三番艦である。

 彼女達は黒いベストと半袖の学生服を着ており、首元のリボンの色が、それぞれ緑・赤・青と違っている。艤装は同じだが、他にも髪型などで個性が表われているようだ。

 

 

「あの……そんなに落ち込まないで……? 次は、あなたを旗艦にしてもらえるように、提督へお願いしてみるから……」

 

「……ずびっ。本当? 神通ちゃん」

 

「本当。……だから、お願い。ジワジワと内側に入って来ないで……。陣形が崩れちゃう……」

 

「あ、ごめん。無意識につい」

 

 

 さりげなくセンターを狙う貪欲な那珂を慰めるのは、数奇な運命によって川内型二番艦へ繰り上げられた、神通。

 長い黒髪が、内気な性格を表現するように揺らめいていた。今回の遠征において、旗艦を務めているのは彼女である。

 

 

「はふぅ。まっ、落ち込んでたってしょうがないよね! 今回は神通ちゃんに取られちゃったけど、次こそは那珂ちゃんがセンターになってみせるんだから!」

 

「うん……がんばって……」

 

「一件落着やな。……あれ。さっきから静かやけど、川内はん、どないしたん?」

 

 

 落ち込みやすい代わりに立ち直りも早いのか、那珂はあっさり笑顔を取り戻す。

 それを見て黒潮達もホッと一息。しかし、だいぶ前から声が聞こえなくなった存在に気づき、そちらへ話を振る。

 残る一隻は川内型ネームシップ、川内であるのだが――

 

 

「………………夜が、恋しい。太陽が憎いぃ」

 

「ん? ああちょっと、川内さんまで距離つめちゃだめ! 日陰になんてならないから! 私より川内さんの方が大きいからー! 新・美保関とかいやーーー!!!!!!」

 

「あの……だから、陣形が……」

 

 

 ――こっちもこっちでダメだった。

 那珂の反対側に位置どる、ぼんやりした顔のツインテール少女は軽巡洋艦の統制人格。間で挟まれそうになっている駆逐艦・陽炎とは比べるべくもない。

 ちなみに、ここは横須賀鎮守府の正面海域であるため、ぶつかったとしても新・美保関にはならないだろう。いい笑い者にはなれるだろうが。

 

 

「ねぇねぇ川内ちゃん。どうしてそんなに眠そうなの?」

 

「ふぁ~……ぁう。いやぁ、昨日は遅くまで提督と一緒だったから、ほとんど寝てなくて……」

 

「……えっ!? し、司令と一緒で寝てない……それって!?」

 

「嘘やろ!? まさか川内はん、もう手篭めにされてしもたん!?」

 

 

 川内の何気ない一言に、陽炎と黒潮が色めき立つ。

 建造された年代から換算すれば、とっくにお婆ちゃん以上の年齢な彼女達であるが、こうして顕現された今、その精神性は十代女子と同じである。目を輝かせて興味津々だ。

 

 

「あー、違うと思うなぁー。川内ちゃんそういうのに興味ないもん」

 

「同意します。司令にもそのような甲斐性はないかと」

 

「あの……そんなにハッキリ言ったら、可哀想……」

 

 

 けれど、キャピキャピする二人の意見を否定する他三人。

 統制人格といえど乙女。そういう話題に興味を示すこともあろうが、しかし、川内に限ってそれはないと言い切れる。

 なぜなら――

 

 

「え? 夜戦と軽巡洋艦の魅力について語り合ってただけだよ? やっぱいいよねぇ、夜戦!」

 

「ほら、那珂ちゃんの言ったとおり」

 

「……なんやろな。この安心したような、拍子抜けしたみたいな感じ」

 

 

 ――こいつは夜戦Loveなのだから。

 日中は昼行灯のごとくテンションが低いのに、日が落ちるにつれ活力をみなぎらせ、午後十時ともなれば絶好調。「夜戦はいいね……。艦艇戦の極みだよ……」などと窓辺に腰かけ、月を見上げる超夜型統制人格。それが川内だ。

 事実、昨晩の彼女と提督が過ごした時間は、九割が川内の夜戦・軽巡洋艦講座であり、なんとか執務室を逃げ出そうと試みる彼をことごとく妨害。夜中の――いや、朝の四時まで地獄は続いた。色気もへったくれもないのである。

 

 

「なぁんだ……。あれ? でも私、司令ってものすごい女たらしだって噂を聞いたんだけど……」

 

「あ、ウチもウチも。なんや、駆逐艦のちっこい五人を餌付けしたとか、妙高はん四姉妹に執務室でご奉仕させたとか、天龍はんの胸に顔をうずめたとか……」

 

「え? 那珂ちゃんが聞いたのは、特Ⅲ型の四人をU-15アイドルとしてデビューさせようとしてるとか、月刊・艦娘のインタビュー受けたとか、そんなのだったけど?

 もうっ、なんで呼んでくれなかったんだろ? 那珂ちゃんが雑誌デビューすれば売り上げ倍増間違いなしなのにぃ!」

 

 

 その自信はどこから来るんだというツッコミはさておき、陽炎達の口から零れるいかがわしい噂の数々。

 もしも本人が聞いていたなら、「違う! 餌付け……っぽいことはしたけど、ご奉仕……っぽいこともさせたことはあるけども、とにかく微妙に違う! 足柄は参加してなかったし、うずめたのは肘だ!」などと、拳を握って力説するだろう。

 一般的な倫理観からみれば五十歩百歩にすぎないのだが。もげるがいい。

 補足すると、隔月刊(那珂は間違って覚えている)・艦娘とは、海軍省が発行するプロパガンダ雑誌であり、感情を宿すまでに成長した統制人格を、その活躍と共に紹介するものである。

 毎号ついてくる艦娘特大ピンナップが目玉。税込み九百八十円なり。お得な定期購読の申し込みは、海軍広報部までお電話を。

 

 

「まぁ、それがなくても、ただ海の上を進んでるだけじゃ眠くもなるよね。敵出ないし。夜だったら警戒を厳にしなきゃいけないから張り切れるんだけどなぁ」

 

「でも……何も起きないなら、そっちの方が、わたしは……」

 

「無駄な消費は避けるべきです。が、必要とあらば作戦行動も必要かと。そのための遠征、そのための警備任務なのですから」

 

「それは……そうなんだけど……」

 

 

 神通の気弱な発言を、不知火がたしなめる。

 この時代における遠征とは、所属外鎮守府への支援や、輸送任務に就く通常艦の護衛任務などのことであるが、人口が一億を割った今、純粋な人手不足を理由に、感情を宿して指揮能力を得た統制人格へも任せられる仕事であった。

 ごく稀に、高度な思考ルーチンを組み上げ、未成長の統制人格に単純な輸送任務をこなさせる提督もいるが、それはオートパイロットだけで飛行機に離着陸をさせるようなもの。事故率は極めて高い。

 いつ、どこから現れるのか分からないツクモ艦を相手にするには、柔軟な思考が必要不可欠なのである。

 輸送任務を専門にこなす提督も居ることは居るが、やはり人手不足に違いはないのだ。

 

 “桐”の渾名を与えられ、その特異性を周知された神通達の主人は当然、遠征へ参加を要求された。主力艦でなくとも、自己判断能力を有しているなら問題ないであろう、との理由で。

 自分の目が届かない場所へ、実戦経験の乏しい艦を送ることに大きな懸念を示していた彼だが、正式な任務を断れるわけもなく、「せめてこれだけは」と準備時間を求め、二度の練習航海と演習ののち、今日へ至っている。

 思わず苦笑いが出る過保護ぶりは、抜錨寸前まで彼女達に声をかけ、姿が見えなくなるまで皆と一緒にハンカチをふるほどであった。見えなくなった途端に倒れこんで爆睡したが。

 

 

「あ~、ダメだよ不知火ちゃん、神通ちゃんのことイジメちゃ。だいじょぶだいじょぶ、たまたまハグレ湧きするツクモちゃんを、六隻でフルボッコするだけの簡単なお仕事だもん。那珂ちゃんにドーンと任せて!」

 

「……うん。ありがとう……」

 

「別に、責めていたわけでは……。不知火の所感を提示しただけで……」

 

「あ、へ、平気、だから。ちゃんと分かってるから、ね……?」

 

 

 少々言い方がキツい自覚でもあったのか、不知火の弁明にはあまり覇気がない。

 だが、それは他に対してだけでなく、自分にも厳しい性格の現れ。神通も理解していたらしく、すぐさまフォローに入る。

 このように周囲へ気を配れることが、なかなかにアクの強いメンバーの中から旗艦に選ばれた一因かもしれない。史実において、日本海軍の第二水雷戦隊・旗艦を務めたことも大きいだろう。

 

 

「ところで、司令の話で思い出したんだけどさ。この格好って司令のイメージから出来てるんだよね?」

 

 

 ふと、陽炎はスカートの端をつまみ上げる。

 男性陣が居れば大喜びしそうな魅惑の三角地帯も覗けそうだったが、しかし残念。

 陽炎型の三人はスパッツをはいていた。……逆に喜ぶ人も多そうだけれど。

 

 

「せやろ。ウチらの性格も反映されとるらしいけど、基本は司令はんの趣味やて、書記はん言うとったやん」

 

「わりとセンスいいよね~。那珂ちゃん、この衣装可愛いと思うな! ときどき別な服も着たくなるけど、やっぱり一番しっくりくるし!」

 

「わたしには……ちょっと派手、かも……」

 

「そんなことないんじゃない? 姉妹でお揃いの服とか着れるの、結構ワタシは嬉しいけど。ついでに夜戦もできたら最高だよねっ」

 

「不知火も特に不満は。夜戦については断固拒否しますが」

 

「えぇー、なんでよぉー。楽しいでしょ夜戦ー。敵よりも先に索敵成功した高揚感とか、息を殺して有効射程まで近づく緊張感とか、砲火で位置を知られちゃった時の――」

 

「ああはいはい、夜戦談義はもういいですから。ま、私もこの服は好きよ。でも……」

 

 

 いったん言葉を区切り、溜めを作る陽炎。

 そして――

 

 

「……島風ちゃんのアレは、どう思う?」

 

『あぁ……』

 

 

 ――次に放たれた疑問は、皆をユニゾンさせるに相応しいものだった。

 

 

「いや、似合ってるとは思うのよ。けどさ、同じ女の子としては、ちょっとね……」

 

「確かに……。本人は喜んどるからええけど、せやなかったら普通に犯罪やん。なんでこないな人に呼ばれたんかってお天道さん呪うレベルやわ」

 

「な、那珂ちゃんは……お、お仕事なら、頑張れば……やっぱりダメぇ! センターになれないからってお色気路線に走ったら、全国一千万の那珂ちゃんファンを裏切ることになっちゃうよぅ!」

 

「そもそもファンなんて居たっけ? まぁワタシも無理だけど。流石にアレはないなぁ。不知火はどう?」

 

「死ねと?」

 

「あ、あの、その言い方は、ひどいんじゃ……」

 

「ほんなら、あの服着てみぃ言われたら神通はん、どないする?」

 

「無理です……」

 

 

 庇ったものの、即答する神通。よっぽど嫌なのだろう。

 島風なら「えー。動きやすいし涼しくて気持ちいいよー?」と言えるあの格好。

 人並みの羞恥心を持っているとキツいのかもしれない。いや、キツい。

 

 

「あ、あーっと、でも、それがあっても良い人だよねっ、司令ってさ?」

 

 

 思っていた以上に場の空気を重くしてしまったのを察してか、陽炎は慌ててフォローを開始。

 どんよりした雰囲気を払拭しようと、皆もそれに続いて語り出す。

 

 

「……そうやな。なんやかやと、いっつもウチらのことを大事にしてくれとるし」

 

「そうそう! 他のところの事情なんて話に聞く程度だけど、今の私達、かなり恵まれてると思うわ」

 

「あぁ、分かるかも。ワタシ達って基本“物”だし、そう扱われても大丈夫だけど、普通の一個人として扱ってもらえるのは、やっぱ嬉しいよね」

 

 

 とってつけたような褒め言葉であったが、しみじみとしたつぶやきには、温かい実感が込められていた。

 統制人格という存在は、人の形をした道具である。

 ゆえに、主人の命令へ背くことはなく、死を命じられてもためらいなく散ることができる。感情を宿していようとも、それは変わらない。それが傀儡の本質。

 似てはいるが、やはり人間でない存在なのだ。

 

 

「そうでしょうか。不知火達はあくまで艦船です。

 整備を絶やさぬのは戦果をあげるために必要ですが、丁重に扱いすぎれば単なる無駄。

 司令はもっと冷酷に、効率を考えるべきかと」

 

「あれ? もしかして不知火ちゃん、提督のこと心配してる?」

 

「………………なぜ、そうなるんですか。不知火は事実を申したまでです。心配など」

 

「だって~。ね、神通ちゃん?」

 

「うん……。不知火は、本当は優しい、から……」

 

「……知りません」

 

 

 けれど、この場にいる六人の主人は、その上で彼女達の個性を尊重しようと心を砕いている。

 繰り返しになるが、これは異端染みた行い――手塩にかけて育てた子供を、銃弾飛び交う戦場へ送り出すような、矛盾に満ちた行為であった。

 今はまだ大丈夫でも、いつか必ず別れは経験する。彼のように愛情を注いでしまったがため、耐えられず運命を共にしたり、精神に変調をきたす能力者も多い。

 だからこそ、彼等は初期の訓練過程でこう教えられるのだ。――傀儡は人に非ず、と。その真意を理解できるものが、少なくても。

 

 

「まぁ、心配なのも分かるけどさ。そこは私達が頑張ればいいじゃない。しっかり経験つんで、練度もあげて、どんどん強くなっちゃおうよ!」

 

「だね。そうしたら、いつか実践に連れてってもらって、あわよくば夜戦にもつれ込み……。ぬふふ……」

 

「ホンマけったいな趣味やな~。ま、司令はんの役に立つんがウチ等の役目やし、いっちょ気張るか!」

 

「期待には、応えてみせます」

 

「アイドルは下積み時代の努力がものを言うもんね! 目指せ、艦娘人気第一位!!」

 

「みんなで、頑張りましょう……!」

 

 

 人と同じ姿で、心があって、言葉も交わせるなら、違うところなんてないじゃないか。

 それに、女の子を邪険に扱うなんて無理だよ。嫌われるのイヤだし。……できれば、仲良くなりたいしさ。

 

 こんな正直すぎる理由で、統制人格を人と同格に扱い、今ではそちらの方へ重きを置いてすらいる、ある意味で正しく、ある意味で間違っている青年。

 だが、彼に報いようとする彼女達もまた、普通の統制人格とは違っているのだ。

 自分が傀儡だからではない。そうすべきだからではくて、そうしたいと“思える”。ただそれだけで、与えられた“似せ物”の魂を、震わせることが出来るのだから。

 

 

「それに、出撃組はデザートのプリンお代わり出来るんだもの! これで頑張らなきゃ嘘だわ!」

 

「お~、せやったせやった。いつもは一日一個やもんなぁ。……うっし、メッチャやる気出てきたでぇ! まっててや、胡麻プリン!!」

 

「あ! 那珂ちゃん豆乳プリンがいいなっ。ヘルシーだし、お肌にもいいもんっ。アイドルは食事から気をつけなきゃね!」

 

「わ、わたしは……かぼちゃプリン、が……」

 

「ワタシはなんでもいいけど……月見をしながらプリンとか、いいと思わない?」

 

「……ミルクプリン」

 

 

 訂正しよう。食欲に勝る原動力はこの世にないようだ。

 不知火にまで不敵な笑みを浮かべさせるあたり、さすがは三大欲求である。

 

 

「……ん。敵艦発見。二時の方向、数は一。戦闘準備を」

 

 

 ――と、盛り上がっているところに水をさす闖入者。

 発見した不知火はまたたく間に鉄面皮へ戻り、那珂も不機嫌そうな顔に。

 

 

「もうっ、ツクモちゃんったらKYなんだからぁ。そんなんじゃ友達できないぞっ☆ 神通ちゃん、パパッと片付けちゃお?」

 

「う、うん……」

 

 

 促され、神通は頷く。緊張をほぐすために目を閉じ、深呼吸。

 演習の時と違い、中継機は積んでいない。皆の様子は伝わってこず、位置関係も視覚と念波通信を併用して把握するしかない。

 しかし、意外なほど彼女はすんなり落ち着つけた。

 数で勝るから……違う。敵艦がもっとも弱いとされる駆逐艦イ級だから……違う。この仲間達が一緒なら、たとえどんな相手とでも戦えると、確信できるから。

 そんな暖かさをゆっくりと噛み締め、もう一度まぶたを開いた、その瞬間――

 

 

「桐林第二水雷戦隊旗艦、神通。これより、提督に代わり艦隊の指揮をとります……! 各艦、砲撃戦用意……!」

 

 

 ――神通は高らかに、戦線の火蓋を切って落とすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《こぼれ話 響・イン・ザ・スニーキングミッション》

 

 

 

 

 

 昼下がりの横須賀鎮守府。食事を終え、人々が再び活動を始めるころ。

 夏の始まりを告げる強い日差しの中を歩く、少女が二人。

 一人は、やけに周囲をうかがいながら、敷地の端にある雑木林へ向かう黒髪の少女、暁。

 もう一人は――

 

 

「……何をしてるんだろう、暁」

 

 

 ――小さな背中を、物陰に隠れて追跡する白髪の少女、響だった。

 赤レンガの壁へ身を隠すその動きは、なかなか堂に入ったものである。

 ここ数日、彼女には気になることがあった。姉妹艦、暁の行動だ。

 

 

(やはりおかしい。これじゃまるで――)

 

 

 発端は、唐突なお小遣いの申請である。

 統制人格には給料が支払われない。食事はおろか、人間的な精神活動をしないため、そもそも必要ないのだ。

 しかし響達はそうもいかない。人と同じように、何かを欲しくなる場合もあった。酒保で売っている駄菓子だったり、可愛らしい小物であったり。

 が、無い袖は振れないのが悲しい世の定め。そこで彼女達のお小遣いは、欲しいものができたら提督へおねだりする申告制となったのである。

 遠征任務での特別報酬を受給し始めたため、大抵の場合はこころよく出してくれる(足柄の美顔マッサージ機や、那珂のカラオケ機能付き高級マイクなどは即却下した)彼だが、暁は今回、その用途を秘密にしたままなのだ。それでも出してしまうあたり、甘すぎる。

 

 

(――誰かと、密会してるみたいじゃないか)

 

 

 別に、秘密にするだけなら気にならない。

 常日頃から一人前のレディーを自称する暁のこと。子供っぽいお菓子やリボンを買っているのを隠したくなるのは理解できる。

 けれども、ここ数日の彼女は、いつもこっそり食べているミニヨーグルトも我慢しているらしかった。

 それどころか、唐突にお湯を沸かして水筒へ入れたり、買い物に行っては、普段寄り付かない棚を見て回っている。おまけにこの単独行動。明らかにおかしく、一貫性も見られない。

 

 

(まさか、暁を普通の女の子と勘違いしたヘンタイにたぶらかされて……。丁寧に扱えば喜んじゃう暁ちょろ可愛い、って司令官いってたし……。もしそうだったら……)

 

 

 ――ежовщина(粛清)してやる。

 

 と、響は鋭い眼光を見せる(ちなみに、このロシア語は本来エジョフシチナと読む)。

 さすがに暁もそのくらいの危機管理能力はあろうが、わりと過保護な響は止まらない。

 姉妹の中でただ一人、かつての大戦を生き残った経験を宿す彼女。しかも最初に沈んでしまったのは暁だ。心配してしまうのも無理はない。

 

 

(……あ。止まった?)

 

 

 ふと、暁の足がとまった。響もサッと壁に隠れる。

 

 

「いるんでしょ、出てきて?」

 

 

 一瞬、自分のことかと思った響だが、暁の顔は林へ向いていた。

 出て来てということは、やはり待ち合わせだったらしい。こんな鎮守府の外れの外れで、人目をはばかるように。……決定的だ。

 ガサリ、茂みの動く音。

 響は目をこらす。人を見かけで判断してはいけないとよく言うが、そんなの知ったことじゃない。

 一目見て怪しい男なら、すぐさま暁をさらって逃げる。そのために、いつでも飛び出せるよう両脚に力を込め――

 

 

「……って、子犬?」

 

 

 ――ワン。という鳴き声に脱力してしまう。

 手を広げてしゃがむ暁へ駆け寄ったのは、小さな小さな柴犬だった。

 微妙に汚れているところを見るに、野良のようだ。

 

 

「だ、誰っ!? 誰かそこに――へ? ひ、響?」

 

「やぁ」

 

 

 うっかり物陰から乗り出してしまった響は、子犬を抱える暁へ手を振る。

 暁はといえば、「なんでこんなとこに?」というような表情を。

 近づいて同じくしゃがみ込んでみると、子犬は響に向かってワン。構って欲しそうに尻尾が揺れた。

 

 

「最近一人でどこかへ行くことが多いと思ったら、こういうことだったんだね。この子、名前は?」

 

「……まだ、ないの。名前をつけると、愛着が湧いちゃうもの」

 

 

 子犬を響に預け、暁が帽子を脱ぐ。すると、その中からは犬用の粉ミルクやら、お湯が入っているらしい水筒やら、小皿やらビーフジャーキーやらオモチャの骨やら、色々なものが取り出された。

 どう考えても容量が四次元的なことになっているが、おそらく艤装を出し入れする時の応用なのだろう。響はそう自分を納得させる。深く考えてはいけない。というか既に愛着湧きまくりである。

 

 

「どうしてこんな場所で秘密にしているんだい? 飼うにしても、環境は良くないと思うけど」

 

「だって……司令官、わんこ――じゃなくて、犬は嫌いなんでしょ。ただでさえ多めにお小遣い貰っちゃってるのに、これ以上は……」

 

「……そうか。あの時の質問は、そういう意味だったんだ」

 

 

 響が暁を気にかけ始める前、彼女は唐突に、「司令官って、わん――犬は好きですか?」と尋ねた事があった。

 曰く、「小さい頃、大型犬に追いかけられたことがあるから苦手」、らしい。

 単なる世間話の延長にしか思えなくてスルーしていたが、思い出してみれば、その後の反応は落ち込んで見えた。

 宿舎はペット可であるが、嫌いな生き物を飼ってはくれないと思ったのだろう。

 

 

「それなら大丈夫さ」

 

 

 しかし、響はそんなことかと笑い、髪の毛にじゃれつかせていた子犬を返す。

 あの日はそのまま終わってしまったが、実はこの話、続きがあるのだ。

 

 

「司令官がダメなのは大型犬で、中型犬までなら平気らしいよ。それに、柴犬ならそんなに大きくならないだろうし、きちんとしつけを出来るなら、きっと分かってくれる」

 

「ほ、本当っ!? それなら大丈夫っ、この子はそんなに吠えないし、噛みついたりもしないわ! 良かったわね、これでダンボールハウスじゃない、ちゃんとした場所で寝られるわねっ」

 

「二人で、司令官にお願いしてみよう。世話とかも手伝うから」

 

「うんっ。……ありがと、響」

 

 

 ワン、と返事をする子犬を抱きしめ、はにかむ暁。それを見ている響も、また。

 過去に船としての一生を終え、今、統制人格として再び戦場へ舞い戻った彼女達。少女を形どる現し身を得ても、その役目は変わらない。

 けれど、こうして過ごす日常は。

 小さな胸に、確かな想いを積み重ねていくのだった。かつては感じることのなかった、ささいな幸福を。

 

 

 

 

「そうだ。名前も決めてあげないとね。ウラジミールとか、ヨシフとか、ニキータとかはどうかな? 個人的にはヨシフがいいと思うんだけど」

 

「……ねぇ響。気持ちは嬉しいんだけど、ロシアから離れられない? 柴犬よこの子」

 

 

 

 

 




「次回。初の正規空母としてお目見えいたします。ご期待ください」

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