新人提督と電の日々   作:七音

57 / 107
新人提督と愉快な仲間たちの里帰り・その三

 

 

 

 ザク、ザク、ザク――と。霜を踏みしめる音が響く。

 早朝。冷たく澄んだ空気を、白い吐息が煙らせていた。

 

 

「よぉし、着いたぞ」

 

 

 歩き慣れた、懐かしい農道を進んで十数分。

 眼前には、低い位置にある太陽が照らし出す、大きな鶏舎があった。

 半透光素材の壁と天井で覆われ、数百の採卵鶏――レイヤーたちが快適に暮らせる広さがある、中~大規模の平飼い用設備だ。

 それを見上げて、随行員の天龍は感嘆と呟いた。

 

 

「デっけぇ……。ここにニワトリが居んのか、司令官?」

 

「ああ。だいたい八百羽位かな、けっこう少ない方だよ」

 

「少ないのか!?」

 

 

 驚く天龍だが、実際少ない方だ。

 多いとこでは一人で数千~数万の数を管理するのも当たり前で、そっちの方が理に適っている。

 しかし、うちで飼っているのは、遺伝子改良により通常よりも多く、寿命間際まで採卵可能なレイヤー。

 初期投資は高くつき、安全性を信頼してもらうのに時間もかかったみたいだけど、今では採算が取れるくらいの利益が出てるんだから、悪い選択じゃなかったんだと思う。

 ……とはいえ、この時間に起きるのは久しぶりで、ちょっと眠い……。

 

 

「ふああ……あぅ……。加古さんじゃないけど、眠いわ……」

 

「それに寒いしねー。大井っち、大丈夫?」

 

「はい、北上さん。北上さんと一緒なら、どんな時間でも、どんな場所でもへっちゃらです! ……くぁう……」

 

「凄いあくび……。こんな朝早くから仕事なんて、お母さん、大変なのね」

 

「んな事ないさ。ようは慣れだよ慣れ。五時起きに合わせて生活リズムを作れば、苦じゃないよ。さ、入るぞー」

 

 

 どうやら大井も同じらしく、マフラーと手袋があくびで白く。一方の霞と北上は、手伝いに立候補しただけあってシャッキリしてる。

 純粋にありがたい。まさか、実家に帰った翌日から働かされるとは思ってなかったし。人使いが荒いよ……。

 ちなみに、昨日は小助と一緒に寝たので襲撃されませんでした。誰にとは言いませんが。

 夜中、「くぅぅ……。これじゃ手が出せないデース……!」とか聞こえたけど、気のせい気のせい。

 

 

「あれ? 直通じゃないんですね」

 

「うちは平飼い……あ、ケージに入れない飼い方だから、万が一にも逃げちゃわないようにな。靴も履き替えてくれるか? 外の菌が入っちゃうから」

 

「なるほどねー。でもさ、なんか静か過ぎない? ニワトリなんだし、もう起きてるはずだよね?」

 

「そういやそうだな。オレ、もっとコケコケうるさいのかと思ってたぜ」

 

 

 引き戸を開くと、まずは合成強石灰が撒かれた、八畳ほどのスペースに出る。

 鶏舎は長方形をしていて、それの短い一辺に小屋がくっついてるみたいな感じなのだが、掃除道具やらが置かれて見た目より窮屈だ。

 そして北上の言う通り、ここまで来れば鳴き声が聞こえて然るべきなのだけども……。

 あ~……。これは、マズいか……?

 

 

「まぁ、ちょっとビックリするかも知れないな……。みんな、離れててくれるか。霞、外ドア閉まってるよな?」

 

「閉まってるけど……。どうしたのよ」

 

 

 首をかしげる霞をよそに、自分は深呼吸で覚悟を決める。久しぶりだし、やっぱ緊張するな……。

 一応、振り返ってみんなを確認すると、訝りながらも距離を取ってくれている。

 これなら巻き込む心配もないだろう。

 

 

「じゃ、開けるからな。……よっ」

 

 

 コケェエエェェエエエッ!!

 

 

「ぶぉわっ」

 

「ちょ!? 司令官!?」

 

 

 一声かけてからドアノブを引けば、すぐさま視界が白と茶色に染まった。

 同時に、嗅ぎ慣れた鳥臭さと羽毛の感触が全身を覆っていく。

 霞の叫び声が響くも、慣れ親しんだ重みには溜め息が出る。

 

 

「あ゛~、やっぱこうなったか……」

 

「お、おいっ、なんだコレ、どうなってんだよぉ!?」

 

「わぁ……。提督が文字通りの鳥人間に……」

 

 

 えっちらおっちら、ニワトリたちを踏まないように振り向くと、天龍がパニクり、北上が唖然とした顔でこっちを見ていた。

 まぁ、目の前にいた人間が、いきなりニワトリのツリーになったら驚くよな、普通。

 頭からつま先まで、満遍なく張り付いてるし。

 

 

「いやぁ、なんでか自分、ニワトリにだけはモテるんだよ。鶏舎に入ると大体こうなっちゃってさ……。ここまで集られるのは久しぶりだけど」

 

「そういえば、卵を産むんだからメスなんですよね、ここのニワトリって。良かったですねー、少なくとも女の子ではありますし」

 

「バカにしてないか大井?」

 

「嫌だわ、そんな事ありません事よオホホホホ」

 

 

 ジト目を向ければ、手を口元に置いて上品ぶる大井。見下されてる感が半端ない。

 人間以外の女子に集られても、あったかいだけで嬉しくないっつの。

 というか、生産性を上げるためにオスも混じってるし、そいつらも寄って来てるんですが? ……ニワトリにも同性愛者って居んのかな。

 いや、考えないようにしよう。さっさと仕事を片付けねばっ。

 

 

「んじゃ、囮は自分が引き受けるから、卵の回収よろしくな。行くぞーお前らー」

 

「……ある意味、養鶏家も天職なのね……」

 

 

 感心しているような、呆れているような。どっちつかずな霞の声を背に、自分は鶏舎の中を闊歩する。

 気分は大名行列。かなり体重が増えているけれど、足取りは軽い。

 とれたて卵のTKG――卵かけ御飯、楽しみだ!

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「それじゃあ行くわよ……? せぇーの」

 

『頂きます!』

 

 

 母さんの掛け声を合図に、総勢二十八名の「頂きます」が重なった。

 炊きたての白米。ちょっと薄い鮭の切り身。卵焼きor目玉焼き。味噌汁。ぬか漬け。納豆。味付け海苔。そして希望者には生卵。

 襖を取っ払い、微妙に高さの違う座卓を組み合わせた食卓は、ザ・日本の朝食を乗せている。

 今の自分には珍しくもなくなったが、はっきり言ってご馳走である。こういう食事が出来ることを、神様に感謝なければいけないくらいだ。

 

 

「……って、あら? みんな食べないの?」

 

「い、いえ、あの……。食べます、食べたいんです、けど……」

 

 

 ……が。

 五秒たっても、十秒たっても。手をつける人物は現れない。

 変わらず左隣に座る鳳翔さんも、箸を持ったは良いが、動かせないでいた。

 原因は分かっている。昨日の昼食――母さんが余計なことをしたカレーのせいだ。

 幸か不幸か、完全には汚染されなかったものの、それゆえに「食べられない事はない不味さ」に留まってしまい、皆、しかめっ面をしながらなんとか平らげたのである。

 ついでに恐ろしく胃に溜まり、夕食は誰も食べる気がしなかったのでスキップ。そんな記憶が箸を鈍らせるのだ。

 けれど、重苦しい空気を一変させる一言が、親父から発せられた。

 

 

「心配しないで下さい。作ったのはわたしなので。味は保証します」

 

「なんだ……。オヤジさんがそう言うなら確かだな」

 

「安心して頂けるわね~」

 

「ちょっと二人とも。それはヒドいんじゃないの? そう思わない比叡ちゃーん?」

 

「全くですー! お母様の料理、とっても美味しいですよー!」

 

 

 ホッ……という溜め息が二十五個。早速、天龍と龍田が箸を動かす。

 元凶の母さんはといえば、一人で先に食べ始まっていただけでなく、遠く離れた比叡へと同意を求める。親父・大姉・小姉からこっぴどく叱られたというのに、懲りていないようだ。

 そして、あのカレーを平然と食べられた唯一の賛同者、比叡が大きな声で返事。何故あれをお代わりまで出来たのか。彼女の味覚が心配です。

 

 さて、いい加減こっちも食べ始めよう。

 まずはー、ご飯の天辺をくぼませてー、そんで生卵を投入しー、黄身をチョビッと割りーの……。

 あれ、醤油は……。

 

 

「はい、どうぞ。お醤油ですよね? 提督」

 

「あ、あぁ。ありがとう、榛名」

 

 

 醤油差しを探していると、右隣から目当ての物が差し出された。

 鳳翔さんに負けないくらい、正座が似合う高速戦艦、榛名である。

 前もって決めていたわけでも無し。偶然そうなったはずだが、何故か作為的にも感じるこの配置。

 腑に落ちないものを感じるけれど、自分はとりあえず、朝採れ卵のTKG作りを再開する。

 

 

「うんまっ! なにこれ、ただの卵かけ御飯なのにめっちゃ旨い!」

 

「加古、はしたないよ? ……でも、本当に美味しいです」

 

「うむ。まさかここまで味が変わるとはな。美味だ……」

 

「っぐ、っむ、っん! かぁあっ、ウマい! 親父さん、お代わりくれ!」

 

 

 左右に伸びる座卓の上では、自分以外のみんなも食事を始めていた。

 卵かけ御飯に感動しているのが、珍しくシャッキリしている加古と古鷹。そして那智さんと天龍だ。

 たかがTKGと侮るなかれ。横須賀で食べていた奴も、市販の物に比べれば美味しかったはずだが、それが超新鮮になるだけで別物になるのである。

 養鶏家だけが味わえる至高の逸品……だけれど、欠点も一つ。あまりに美味し過ぎて、他の場所では卵かけ御飯を食べられなくなってしまうのだ。実際、自分も横須賀では食べるの控えていた。

 うんうん。この味を知って貰えて嬉しいよ。あぁ、ご飯を掻っ込むこの幸せ。日本人で良かった……。

 

 

「はぁうぅ~、お味噌汁ってポカポカしますねぇ~」

 

「本当~。私、このお味噌汁大好き~」

 

「シンプル故に腕が出るわよねー」

 

「私にはまだ出せそうにない深みだわ~。あ、小姉さ~ん? お醤油取って~」

 

「は~い。どうぞ龍田ちゃん。ちなみに、お味噌汁は私のお手製なのよ~」

 

「流石は主婦、ですね。私ももっと勉強しなくてはっ。大姉様、小姉様。今日も高雄にご教授願います!」

 

「それは良いが、語尾延ばしキャラが固まり過ぎではないか? 頭が混乱してきたぞ」

 

 

 味噌汁談義に花を咲かせるのが、大潮・荒潮の新人駆逐艦コンビに、愛宕、龍田、小姉。あとは、やけに奮起している高雄とツッコミの大姉。

 朝の献立に相応しく、ネギと乾燥椎茸に麩の軽い味噌汁。親父が仕込んだだけあって、味噌と出汁のバランスが絶妙であり、身体の奥までしみ込む美味しさだ。

 ちなみに、姉たちは両方とも、料理の腕で旦那さんを捕まえたらしい。やっぱり男は胃袋が急所なんだろう。

 自分では作れないから、電に頼んで再現してもらってたっけ……。最近は鳳翔さんの味に慣れちゃってたし、これも新鮮に感じる。うん、美味い。

 

 

「っく、んっく、ぷはぁっ! ……お代わりをお願いするのです!」

 

「ちょっと電、駄目よヤケ牛乳なんて! お腹がゴロゴロしちゃうわ!」

 

「いや、ワタシたちはしないんじゃないかな。どっちにしろ止めた方が良いとは思うけれど」

 

(もっきゅもっきゅ)

 

「うぅぅ……。どうしてワタシの席がこんなに離れて……。Salmonがやけに塩辛いデース……」

 

「それはですね、金剛お姉さま。提督の方を見ながら醤油差しを使ったからです。氾濫してます」

 

 

 ところが、この味噌汁を再現できる腕前を持つ電さんは、口元を牛乳で丸く汚しているのだった。まさしくヤケ飲みである。

 怒っている……いや、拗ねている原因は、席順のせい……だったり? 自惚れてはいけない気がするので、明言はしませんけども。

 無言でリスになってる暁。猫被りも忘れて悲しんでいる金剛。納豆をかき混ぜつつ、冷静に指摘する霧島たちと合わさり、混沌とした雰囲気を醸し出していた。

 

 

「うちも賑やかな家族だと思ってましたけど、なんていうか……凄いですね。いつもこんな感じなんですか? えっと、北上……さん?」

 

「合ってるよー。むしろ、もっと賑やかかな。この倍くらいは常に常駐してる訳だし。あ、このぬか漬け美味しー」

 

「すごいねー、大かぞくー。……ぇあ?」

 

「あぁあぁ、ダメよ小助くん。お箸はこう持って……」

 

 

 対面に座る中吉も、やや圧倒されている様子。自分は徐々に慣れていったけど、いきなりこの状況へ放り込まれたら……。

 ぬか漬けを堪能する北上に話しかけることも出来なかっただろうなぁ。ここら辺が彼女持ちとの差か。妬ましい。

 あと、箸の持ち方を手ずから指導とか、自分以外の男の子には優しいのね大井さん。ついでにもう一つ。中吉と北上が話してるのは良いんだろうか。

 自分だったら速攻で邪魔される気がするんだけど。差別だ差別。

 

 

「あのぉー、提督ー? ちょっといいですかー?」

 

「なんだ、比叡」

 

 

 ――と、内心でブチブチ言っていた自分に、遠方から比叡の声が。

 卓の端っこへ陣取り、他の子とも距離を置かれている彼女の手元には、彼女Onlyな特別メニューが用意されていた。

 

 

「わたし、いつまでカレーを食べ続ければ良いんでしょー? 美味しいんですけど、流石にこの量はキツいかなぁ……とか、思っちゃうんですけどー?」

 

 

 そう。母さんの余計な愛情が注ぎ込まれた、“あの”カレーである。しかも寸胴ごと。

 昨日の昼と夜。そして今日の朝と、都合三食をカレーで過ごす比叡だが、その量はなかなか減らない。

 ……食べてるのは一人なのに、減っている事の方がおかしい、か?

 しかし、みんなの精神衛生のため。心を鬼にしなければ。

 

 

「そんなの、食べ切るまでに決まってるじゃないか。美味しく食べられるのは君しかいないんだから、頑張れ!」

 

「ひぇーん……。美味しいけどツラいですぅ……」

 

 

 半泣きになりながらも、さっそく一皿目を完食した比叡。本当にどういう味覚してんだろうか。

 美味しいものは普通に美味しく食べられるみたいなのに、誰もが不味いと感じるものでも普通に食べられる。

 ひょっとすると、味に対するハードルが低いだけかも知れない。不都合がある訳でもないんだし、個性だと考えておこう。

 

 

「あ、そういえば。長太、鳳翔さん。あとでお使い頼まれてくれる?」

 

「自分は構わないけど、何を?」

 

「食材だ。もうすぐ、冷蔵庫は空だ」

 

「え? マジで?」

 

「はい……。お昼はなんとかなりそうなのですが、夕食までとなると……」

 

 

 そんなこんなで、食事がかなり進んだ頃。ふと、母さんは頼み事をしてきた。

 親父の言に目を丸くすると、鳳翔さんがさらに補足を。

 食材が空……。この人数なんだ、そりゃそうか。

 米だって、物置から引っ張り出した古い炊飯器をフル稼働させ、それでどうにかなっているほど。自分たちが買ってきた分を含めても、すぐ底を突くに決まってる。

 参ったな……と頭を掻いていると、榛名が一旦箸を置き、謝罪するように軽く頭を下げて。

 

 

「申し訳ありません……。榛名たちが、急に押しかけたりしなければ、このようなご迷惑は……」

 

「あらやだ、責めるつもりじゃないのよ? ただ、出前とったり、外食する訳にもいかないでしょう。私たちは仕事しなきゃいけないし」

 

「私も一度、家に戻らねば。手間の掛からない子たちとはいえ、長く子供を任せきりには出来んしな」

 

「旦那ちゃんも寂しがっちゃうしねー」

 

 

 どこまでも礼儀正しい榛名に、母さんは逆に恐縮してしまう。

 その言い訳と合わせて、大姉・小姉も予定を話し合い始めた。色々と急なことが重なったのもあり、帳尻合わせが大変だ。

 大姉の子供――自分にとって姪と甥にあたる子たちは、姉に似ず、聞き分けの良い四歳児と三歳児。大姉が居なくても、旦那さんだけでどうにかなる……むしろその方が平穏に過ごせるだろうが、まぁ、何も言わないでおこう。過干渉になっちゃいかん。

 小姉の方は結婚二年目。向こうでウザいと有名になるくらいラブラブなようだし、昨日の夜も、ノロケ話で寝る前の二時間が潰れた。一旦帰って、溜まったものを発散して頂きたい。

 今日は土曜日だし、自由に時間を使えるのは、学生である中吉と小助くらいだけど……?

 

 

「オレたちは学校休みだし、手伝おうか? 買い出し」

 

「おう、そうだな。人数分となるとすごい量になるだろうから、頼むよ」

 

「僕も行くー! おかし買っていいー?」

 

「あ、待って待ってー。二人ともこっちー」

 

「へ? なに、小姉さん」

 

 

 話を振るより先に、自ら手を挙げてくれる弟たちだったが、それを遮るように小姉が二人を呼び寄せる。

 親父が「行儀が悪いぞ」と叱る中、ヒソヒソ話はしばらく続き――

 

 

「……ごめん兄さん。やっぱ行けないや。買い出し、鳳翔さんと宜しく」

 

「はぁ? なんだよ、自分から言いだした癖に……。小助、何を吹き込まれた?」

 

「ごめんね、大兄ちゃん。僕、なんにも言えない。言ったら母ちゃんカレー食べさせられちゃう」

 

 

 ――終わる頃には、中吉も小助も、手の平を返してしまっていた。

 抗議の視線を送ってはみたが、ほにゃほにゃした笑みで誤魔化すだけな小姉。なしてそこまで……?

 まぁ別に、手伝いは弟たちじゃなくたって良いんだけど、怪しい。

 

 

「しっかし、買い出しかぁ……。買い占めになっちゃダメだし、スーパーをハシゴしないと。それに、行くなら空っぽになってからのが良いか。午後だな。那智さん、頼めます?」

 

「うむ、心得た。運転は任せてもら――」

 

「那智殿。少々お耳を拝借」

 

「ん? 大姉殿? ……いやそれは……だが……ううむ……」

 

 

 弟がダメなら仲間たちにと、まずは那智さんへ水を向けてみたが、今度は大姉が割り込んできた。

 なにやらボソボソと呟いては、渋る那智さんをしつこく説得している。

 やがて根負けしたのか、大きな溜め息が一つ。

 

 

「司令官、こういうのはどうだ。何も、全員で行動を共にすることもない、手分けして買い出しに行くというのは」

 

「……というと?」

 

「単純な話だ。私たちは車で遠出。町に詳しい司令官が、近場の商店街を巡る。問題ないだろう?」

 

「長太ちゃん、案内は私たちがするから安心してー? ほら、家へ送ってもらうついでに、ね?」

 

 

 提示された代案は、普通なら素直に頷けるのだが、明らかに大姉たちの意思が反映されているように思えた。

 ……なーんか、イヤだ。この謀られてる感覚。

 姉さんたちがこういう事する時って、だいたい自分が被害に遭うんだよなぁ。裕子姉への強制告白とか、強制告白とか、強制告白とか。

 怪しい。怪し過ぎる。……んだけれども、理には適っているから、拒否するのもアレだ。ひとまず、置いておこう。

 

 

「ま、いいや。それより、こっちも二人じゃ大した量を買えないし、誰か手伝いを……」

 

「悪いけど、私は無理よ。お母さんを手伝いたいから」

 

「あら、いいの? 助かるわ~、ありがとう霞ちゃん」

 

「わたしも霞ちゃんに付き合う予定~」

 

「すみません、大潮も……。お買い物、頑張って下さい! 司令官!」

 

「愛宕、私たちは那智さんを手伝いましょう。昨日の汚名返上です!」

 

「OKよー。そういう訳だから、ごめんなさいねー?」

 

 

 気を取り直して、みんなに協力を仰いでみたが、色好い返事が返ってこない。

 霞。なんか君、妙に母さんに懐いてない?

 荒潮と大潮は、姉妹艦で揃っていたいんだろうから良しとして。高雄、愛宕も那智さん組に編入か……。

 う~む……。

 

 

「じゃあ、北上たちは?」

 

「あー、ごめんね。わたしたちも予定があってさ」

 

「裏庭にあった家庭菜園スペースを再生するんです。私と北上さんの“二人”で。

 一日しか時間ありませんし、他のことをやってる余裕はありませんから、諦めて下さい」

 

「え? あ、あの、私と加古も手伝うはずじゃあ……?」

 

「古鷹、言っても無駄だって。あたしらの姿は見えてないと思うしかないよ。あー、食ったぁ……ちょっと眠くなってきた……」

 

 

 ならば! と雷巡コンビを誘うも、また断られてしまう。

 家庭菜園……。そういや、そんなのもあったっけか? 小さい頃、朝顔の観察日記とかを夏休みにつけてたような。

 単なる人足扱いの古鷹たちは気の毒だけど、家庭菜園、あればあったで役に立つ。任せてみるか。

 

 

「むぅ……。なら、天龍、龍田! 手伝ってくれるよな?」

 

「手伝いたいのは山々なんだけど~、片付けたいものがあるのよね~。天龍ちゃんがリバースした“アレ”とか。土に還らないみたいだから、どうにかしないと~」

 

「どういう理屈なんだよ、“アレ”……。大地が受け入れ拒否するとかどんなレベルなんだよ……」

 

 

 最後の砦と縋り付いた天龍田も、返事は素っ気ない。

 あ~、“アレ”ねぇ……。普通なら水分として吸収されようなもんだろうに、あの虹色の液体は、なぜかあの場所に留まっている。被せた土とも混ざらなかった。

 もしや、メシマズ料理が統制人格の胃液と化学反応し、地球外物質にでも変成したんだろうか。周辺環境を汚染したりしなきゃ良いけど……。

 

 

「あのっ、電がお手伝い……する訳には、行かないんですよね……?」

 

「榛名も、お供するのは控えた方が……」

 

「う~ん……。気持ちは嬉しいんだけど、なぁ……」

 

「こんな事になるなら、舞踏会でFaceを晒さなければ良かったデス。全っ然身動きが取れなくて、窮屈デース」

 

「比叡姉様と榛名、私も含めて、このままでは動けないでしょう。有名税、というやつですね。解決するのは難しそうです」

 

「ワタシが行っても良いんだけど、この髪は悪目立ちするかな」

 

「確かにそうかも。響の髪、真っ白で綺麗だけど人目を引いちゃうと思うわ」

 

 

 遠く、ここぞとばかりに立ち上がった電だったが、顔出しはマズいのに気付いたようで、意気消沈。

 もはや猫被りが面倒臭くなったらしい金剛も、露骨に不貞腐れた顔だ。

 その点、面が割れていない響なら大丈夫だけど、雷の言う通り、彼女の持つ純白の髪は、田舎町では注目の的だろう。外国人と勘違いされ、うっかり写真でも撮られたら大変である。

 榛名に関しては、ご町内に実在する人物のソックリさん(十年以上前)だし、尚のこと無理。

 となると、残ったのは暁。

 

 

「っくん。だったら暁が、レディーとしてみんなの代わりに――」

 

「あら、暁ちゃん行っちゃうの? 小助も懐いてるみたいだから、お姉さん代わりになって貰おうかと思ってたんだけど」

 

「お、お姉さん? あの、えっと……。や、やぶかさではないわ! 小さい子の面倒をみるのも、年長者の務めだし!」

 

 

 ……だけだったのに、あっさり母さんの口車に乗せられちゃったよ。

 チョロい。チョロ可愛いぞ暁。迷子になられたら困るし、君だけは危なくて連れて行けんわ。

 はぁ……。結局、誰も手が空いてない、のか……? いや、おかしいだろこれ。

 

 

「なぁ、母さん。鳳翔さんと二人っきりにしようとしてないか? あからさまに」

 

「そんな訳ないじゃない。たまたまよ、たまたま」

 

 

 家族に遠慮する必要無し。思った事をそのまま言ってみるが、軽~くいなされてしまう。

 だが、疑念はより大きくなるばかり。

 母さん、大姉、小姉。この三人がタッグを組んで、鳳翔さんとの関係を後押ししているような。

 第一印象が後を引いてるのか、それとも、ストライクゾーンが下方修正されているのを察知され、無理矢理くっ付けようとしているのか。

 どっちにしても、面倒な事になりそうだ……。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「……まだかよ……」

 

 

 時計の針が天辺を過ぎ、さらに二周りほど回転した、いわゆる昼下がり。

 外出着の上に薄手のジャンパーを着込んだ自分は、鳳翔さんと共に、玄関で待ち惚けを食っていた。

 

 

「一体、何をなさっているんでしょう? 小姉様」

 

「さぁ。見当もつきませんよ。ちょっと天然入ってますし、行動に突拍子が……」

 

 

 自分は上がり端に腰掛け、鳳翔さんは桃色の防寒用雨コートをまとい、玄関に立ちすくむ。

 なんでそんな事になっているのかと言えば、いざ出掛けようと靴を履いていたら、「お願いだから少し待っててー?」と、小姉に頼み込まれたからである。

 小姉はいっつもこうだった。

 見た目と言動が柔らかく、それを利用して周囲に色んな事を“お願い”し、最低限の労力で目的を達する、自称・悪女だ。

 まぁ、誰かを一方的にパシるような事はしなかった――弟は除く――みたいだし、時には自らパシられる事も。要は、楽しい事と楽をする事に関して全力を出す、変な人なのだ。

 にしても、もう二十分くらい経つ。冬は日が短いし、出来るだけ早く行ってきたいんだけど。っていうか、帰る帰ると言っといて午後ですよ。ぐうたら姉め。

 

 

「ごめんなさーい。長太ちゃん、お待たー」

 

「やっと来たか。で、何をさせよう……と……」

 

 

 背中で感じる聞きなれたフレーズに、自分は嘆息。

 どんな無茶振りをされるのかと、胡乱な目つきで振り返った、のだが。

 

 

「……お、お待たせしました、なのです……」

 

 

 その先に居たのは、やり切った笑みを浮かべる小姉と、見知らぬ美少女だった。

 艶やかなロングストレートの茶髪。左右の長い横髪を三つ編みにし、さらに後頭部で結んでいる。

 七分丈のジーンズと、上に着るボーダー柄のシャツ、青いフード付きパーカーが活動的な印象を与え、リップの塗られた唇は瑞々しさを際立たせていた。

 美少女だ。“ど”ストライクな、休日の御嬢様系美少女だ。歳は十六~七くらい、だろう。

 しかし、彼女の声は。口調は紛れもなく、あの子の物。まさか……?

 

 

「電、なんだよな」

 

「うっふふ、凄いでしょー。少し服装を変えて、大人メイクしただけでこれよ? もう最っ高の素材だわー! お姉ちゃん大満足!」

 

「まぁ……。とっても綺麗よ、電ちゃん」

 

「ぇへへ、ありがとうございますっ」

 

 

 鳳翔さんに褒められ、電は無邪気に喜んでいるが、自分は彼女に見惚れるばかり。

 統制人格は成長が望めないし、あまり想像した事もなかったけれど、電が普通の女の子だったら、いつかこんな美人になるんだろう。

 惚れた弱みでもなんでもなく、街を歩けば十割五分の確率で振り返られる、美少女である。あ、五分は二度見する確率です。

 凄い。可愛い。綺麗だ。ありきたりな褒め言葉が頭を埋め尽くすも、あまりにビックリしてしまって、声に出ない。

 と、棒立ちする自分へ、小姉がしたり顔で耳打ちしてきた。

 

 

(長太ちゃんの本命って、電ちゃんなんでしょ。このカリオスト○伯爵ー)

 

(なっ、なんで……っ。い、いや、自分、偽札なんて作ってねぇし……)

 

(言い訳しないの。お母さんは鳳翔さん推しみたいだし、姉さんはちょっとよく分からないけど、想い合ってて浮気しないなら、私は電ちゃんを応援してあげる。これなら外出してもバレないでしょ?)

 

(あ)

 

 

 小姉のウィンクが、超至近距離にあった。

 ……そうだ。そうだよ! 世間一般に知られてる電の姿は、お嬢様然としたドレスの女の子。鳳翔さんとお喋りしてる、どこぞの女子高生じゃない。

 これなら行ける……。電と、自分が生まれ育った町を歩ける!

 

 

「という訳だから、鳳翔さんと電ちゃんと、三人で楽しんで? これ買い物リストねー」

 

「小姉様、小姉様! 次は暁よ! お家帰る前に、私にも大人メイクー!」

 

「もう少し待ってー。じゃ、しっかりね。雷ちゃーん、またアシスタントお願ーい」

 

「はーい! 司令官、行ってらっしゃーい!」

 

「やれやれ、だね」

 

 

 内心の感謝が伝わったようで、小姉は満足そうに頬をツンツン。

 メモを手渡してから、廊下の角で待ち受ける暁たちの方へとスキップしていく。

 ありがとう……。本当にありがとう、小姉。この礼は必ずするよ、期待しててくれっ。

 

 

「じゃ、行こうか。行ってきまーす!」

 

「行ってきます、なのですっ」

 

「行って参ります」

 

 

 三者三様の挨拶を残し、自分たちは玄関を出る。

 左後方には鳳翔さん。右後方には電がつき、荷物を入れるバックパックも万端だ。

 電が可愛過ぎて、直視できないのは問題だけど、一緒に歩けるだけで良しとしよう。

 

 

「あ~……。三人乗り自転車はあるけど、危ないし歩きで行こうか。町へはバス使えば良いし」

 

「なので――え? あ、あるんですかっ!?」

 

「うん。あるんだよ。姉さんが若気の至りで買ったヤツが、物置に。他にもニッチな品物が沢山な……」

 

「本当に、個性的な方なんですね……」

 

「普段は大人しいんですよ? ただ、テンション上がると常識が無くなるだけで……。ご迷惑をお掛けします……」

 

 

 歩きながらちょいっと振り返ると、遠目に例の物置が見えた。

 百人どころか、二百人くらい乗っかっても大丈夫そうな物置だけど、その半分を占めているのは、大姉の私物なのだ。

 昔っから金回りだけは異常に良く、色んな趣味に手を出しては飽きるので、ちょっと……かなり……結構な迷惑である。ま、どうでもいいか。

 

 

「おほん。とにかく、作る時間を考えたら、日が暮れるまでに帰らなくちゃいけないんだ。少し急ごう」

 

「はい」

 

「なのです」

 

 

 気持ちを切り替え、今度こそ敷地内を出て行く。

 バス停までの間、鳳翔さんと献立の話をしたり、電と家族の話をしたり。

 知らず、ジャンパーの右袖を摘まれていたのが、くすぐったかった。

 

 十分も歩けば、目指すバス停が見えてきた。

 側にはトタンで囲われた簡易待合所も置かれ、昔ながらの情緒が漂う。

 使う側としては「相変わらず汚ったないなぁ」という感想しかないんだけども。

 幸い、一分も待たずにバスが来てくれたので、さっそく乗り込む。

 

 

「お、長太くんじゃないの。帰ってきてるってなぁホントだったんだな」

 

「おー、長島のオッちゃん。まだ運転手してたんだ。お久しぶりです」

 

「ホントになぁ。……んん? えらいベッピンさん二人も連れて、どういう関係だぁ? もしかして、コレか!?」

 

「は?」

 

 

 意外なことに、乗客のないバスを操っていたのは懐かしい顔。

 小中高と通学でお世話になった、運転手さんだ。

 如何にもな田舎のオッちゃんらしく、エロい話とデカい声が特徴の人なのだが……。

 

 

(しまった。電たちの事、どう説明しよう?)

 

 

 言い訳を考える間もなく、オッちゃんは電たちを見つけて小指をビシッ! 変わんねぇウザさだな……。

 バカ正直に「統制人格です」なんて言えるわけないし、ご近所ネットワークがあるから、「遠縁の親戚です」という鉄板のウソも使えない。

 ……いや。この人相手なら、むしろ冗談の方が誤魔化せるか。変な間が空く前に言っちゃおう!

 

 

「ええ、嫁と妻です。この子が嫁で、この人が妻」

 

『……えっ!?』

 

「あっはっはっはっは! そいつぁ羨ましい! 鎮守府に勤めりゃ、能力者じゃなくてもより取り見取りってなホントだったかぁ。あやかりたいねぇ」

 

 

 嫁のところで電を指し、妻の部分で鳳翔さんを。

 二人はビックリしてしまったようだが、狙い通りオッちゃんは大笑い。

 男同士の下世話な冗談としてウケてくれたみたいだ。なんとかなったか……。

 

 

「ははは、まぁ冗談ですけどね。普通に知り合いですよ。仕事の都合で同行してもらってて。ごめん、二人とも。変な冗談に巻き込んで」

 

「だぁなぁ。町までだろ? 早いとこ乗んな。お嬢さん方、段差に気ぃつけとくれぇ」

 

「し、失礼します……」

 

「なのです……」

 

 

 冗談の後はそれらしく情報を訂正し、三人で座れるよう、一番奥の座席へ。

 長島のオッちゃんは上手く騙せたけど、町に出るなら、もっとちゃんとした言い訳を考えとかなきゃマズいな……。

 揺れ始めるバスと、何故か黙り込んでしまった電・鳳翔さんの気配を両脇に感じつつ、自分は腕組みして悩み始める。

 う~ん。どうすんべ?

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「あの……。申し訳ありません、金剛お姉様……」

 

 

 時間を少々遡り、まだ買い物班が出かける前。

 廊下を移動しながら、榛名は先を歩く背中に頭を下げた。

 

 

「ンン? どうして謝ってるんデスか、榛名?」

 

「……私が来なければ、お姉様のお邪魔になることは無かったと、思いまして……」

 

 

 歩みを止めずに金剛が問い返すと、ますます肩を落としてしまう榛名。

 今朝の席順の事も含め、この家に来てしまった事自体が、提督との仲を深める邪魔にしかなっていないと、そう感じたためである。

 出発する前から、金剛は言っていた。

 

『英国式料理で、ご家族のStomachを掴みマス!』

『さりげなーく隣をKeepすれバ、きっと重要な存在だと思ってもらえるはずネ!』

『テートクとの関係を大幅にStep UpするこのChance、ゼッタイものにして見せるんだかラ!』

 

 あれやこれやと計画を立てては、とても楽しそうに笑っていたのだ。

 それを応援できなかったどころか、食事を作る機会を奪い、なぜか朝食では隣の席まで奪い……。罪悪感で、胸が一杯だった。

 けれど、そんな榛名の心境を察しているのか、金剛はあっけらかんと指を振る。

 

 

「それに関しテは、ほぼ比叡の責任。榛名が謝ることじゃありまセンよ? 暗い顔しちゃNOネ」

 

「もうひわけありまひぇん、お姉様……。どうひてもひんぱいれ……」

 

「お母様の料理の腕前までは情報がありませんでしたし、榛名だけの責任ではないと、私も思います。ところで比叡姉様、スプーンが止まってますよ」

 

「うぅぅ、霧ひまの(ほに)~!」

 

 

 榛名のさらに後ろを歩く二人。比叡と霧島が、騒がしくもそれに同調する。

 かたや、大盛りカレーをモッシャモッシャと食べ続けながら。かたやそれを監視ながらという、とても不真面目かつ行儀の悪い形ではあるが、言葉に嘘偽りは無さそうだ。

 ほんの少し気が楽になった榛名は、しかし、唐突に振り返った金剛の言葉で、またしても緊張を強いられる事となる。

 

 

「良い機会デスし、一つQuestion。榛名は、テートクの事をどう思ってるノ?」

 

「えっ。それ、は……。ええと……。む、難しい、です……」

 

 

 提督の事をどう思うか。

 人間として……ではなく、異性として、であろう。

 質問者が、提督への気持ちを公言する姉だから、というのもあるけれど、一言では答えられない問いかけだった。

 本来、使い捨ての道具である統制人格に対し、心を砕く彼の姿勢は得難いもの。

 ときおり馬鹿な事もするが、尊敬できる部分も確かに持ち合わせている。

 もし。もしも、まかり間違って“そういう関係”になれるとしたら……。

 

 

(……でも。私には、そんな資格……)

 

 

 身を引くべきだと、榛名は考える。

 彼という男が嫌なわけではない。きっと彼なら、共に幸せになろうと努力してくれる。そんな確信がある。問題なのは榛名自身だ。

 この“顔”は、かつて彼が懸想した女性と瓜二つ。つまり、彼にとって榛名は、ある意味で“特別”な存在となっている。

 金剛を差し置いて、その“特別”に甘んじるのは、卑怯ではないか。

 榛名が彼と結ばれたとして、「人形で過去の想いを清算する男」というレッテルが、貼られはしないだろうか。

 そして何より。万が一にもあり得ないとは思うけれど。……誰かの代わりとして、彼が榛名を愛したとしたら。この心は、耐えられるだろうか。

 

 こんな、疑念というべき考えが頭を巡っては、答えようのない質問だった。とても、難しかった。

 だが、うつむく榛名の姿を見て、金剛は逆に慌て出す。

 

 

「あ、NoNo,今すぐにAnswerを出せっていう訳じゃないデス。Sorryネ」

 

 

 顔の前で両手を振り、性急だったと謝る金剛は、廊下の壁に寄りかかって瞼を閉じる。

 

 

「私は、テートクの事を愛してマス。まぁ、色々ツッコミ所がある人ではありますケド、それでも気持ちは変わらないデス。

 もし榛名もテートクの事が好きだって言うなラ、今日から二人はRival。たとえ妹が相手でも、絶対に負けまセン! Love is Warネ!」

 

 

 聖女のように穏やかな表情から、情熱的な恋する乙女に変貌し、拳を突きつけ宣戦布告。

 かと思えば、すぐに握り拳を開き、人差し指で榛名の鼻をチョンとくすぐって。

 

 

「……でも、もし榛名が迷っているのナラ。自分の容姿に引け目を感じているのなラ、それは勘違いも良いところデス。

 テートクがYouを選ぶとすれば、きっと見た目以外の“何か”に惹かれたからのはず。幸運を活用しないのは怠惰そのもの、ヨ?」

 

 

 まるで、榛名を応援するかのような言葉は、向けられた本人だけでなく、比叡・霧島までもを静かに驚愕させた。

 ただでさえ電という強力なライバルを抱えているのに、自ら競争相手を増やすなど、普通は考えられない。

 なのにこうして助言してしまうのは、妹が可愛いからか、恋に対して誠実だからか。それとも、この助言すら手練手管の一つなのか。

 榛名たちには分からなかったが、また前を向き、大きく伸びをする長姉の姿は、三対の目に眩しく映る。

 

 

「さぁて、EnemyにSaltを送ってばかりじゃ、あっという間に負け戦になってしまいマス。どうにかして、買い出しに行くテートクに着いていかネバ!」

 

「やはり、顔出ししてしまったのが痛いですね。顔を隠せば、とも思いますが、それはそれで注目を浴びるでしょうし」

 

「その前に、着いて行く許可を頂いた方が……」

 

「バレると非常に問題ですから、むぐ、比叡は行かない方が良いと思……ん? あれは……」

 

 

 だが、後光のような輝きも一瞬。

 すっかり獲物を狙うハンターに戻った金剛は、首をひねる霧島、苦笑いの榛名、ささやかに抵抗する比叡を引き連れ、廊下を練り歩く。

 そんな時、最後尾でカレーを貪っていた次女が、ふと足を止めた。

 場所的には玄関付近。提督の下の姉――小姉が、暁・雷・響を引き連れ、金剛たちとは反対側へ消えていったのだ。

 四人は顔を見合わせ、人の気配が残る玄関を覗き込む。

 

 

「じゃ、行こうか。行ってきまーす!」

 

「行ってきます、なのですっ」

 

「行って参ります」

 

 

 ちょうど、玄関を出て行こうとする三人組。提督と、鳳翔と、見覚えのないもう一人は。

 

 

「も、もしかしてあれは、電さんでしょうか?」

 

「なんと……。変われば変わるものですね。流石は小姉様、プロの腕前です」

 

「ひえ~。まるへ、っん、別人だぁ……」

 

 

 髪型も服装も違い、上げ底パンプスなのか身長まで違って見えるが、声と口調からして、着飾った電なのだろうと思われた。

 状況から推測するに、おそらく仕上げたのは小姉。まさかの伏兵――いや、完全武装した突撃兵に、榛名が唖然とし、霧島の眼鏡がズレ、比叡はカレーを噛まずに飲み込む。金剛はハニワのような顔をしていた。

 三人の姿が消え、玄関の引き戸が閉まる音で正気に戻った金剛は、先程までの余裕が嘘のように狼狽しまくる。

 

 

「……ハッ!? こ、こうしてる場合じゃないデス!? 小姉様、小姉様にお願いしてメイクを施して貰えバ、ワタシもまるで別人にっ!?」

 

「おふぃふいふぇふらふぁい、おむぇえふぁま! あふぇふぁいなふまふぁんらかられきふぁほほれ、おむぇえふぁまらふぉほふふゅめいふはひふほおはんひゃ?」

 

「ひ、比叡姉様? 口にカレーを詰め込み過ぎです……」

 

「えー。念のために通訳しますと、『落ち着いて下さいお姉様、あれは電ちゃんだから出来たことで、お姉様だと特殊メイクが必要なんじゃ』、と仰っているようですね」

 

 

 電に出来たなら自分にも。そう思って駆け出そうとする金剛を、カレーを一飲みにした比叡が引き止め、霧島が翻訳した。

 確かに、幼い容姿を持つ電であれば、服装や髪型、メイクなどで年齢をカサ増し出来るであろう。しかし、金剛のようにある程度成長した少女では、彼女ほど劇的な変化は見込めない。

 下手な変装では統制人格の金剛である事を見抜かれ、この家に迷惑が掛かってしまう可能性も……。

 

 

「うううううっ、何か、何か後を追いかける手段はないデスかぁ!?」

 

「あのぉ……。さっきから何を騒いで……」

 

「金剛姉ちゃん、なんで泣いてるのー?」

 

 

 八方塞がりな現状に、金剛は悲痛な叫びを上げる。

 騒ぎを聞きつけた提督の弟たちも顔を出すが、全くもって状況を把握できなかった。

 果たして、恋する乙女は意中の彼に追いつけるのか。

 

 答えは割とすぐに出る。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告