新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と愉快な仲間たちの里帰り・その五

 

 

 

 顔で笑って、心で泣いて。

 歩きながら存分に黄昏た自分は、やっっっっっと、土間から続く裏庭へ辿り着いた。

 

 

「おぉぉ……。随分と進んだなぁ」

 

 

 雑草が生え放題だったはずのそこは、見事に整地された家庭菜園へと生まれ変わっていた。

 根菜や葉物野菜を植えるスペースだけでなく、トマトなどを植えるプランターや、鳥避けネットで覆える果実野菜スペースまで。

 夕日を浴び、趣のある風景が作り上げられている。

 その立役者である北上たちが、こちらに気付いて近寄ってきた。……あ。あのジャージ、自分が中学の時のだ。

 

 

「あ、提督。お帰りー」

 

「ただいま。凄いな、数時間でここまでやるとは」

 

「やー、大変だったよー?

 思ってた以上に土は固くなっちゃってたし、雑草だらけだったし。

 艤装を出さなきゃ、もっと時間かかってたかも」

 

「ここまでやっておけば、あとは簡単な手入れで維持できるはずです。

 まぁ、やる人が居ないと元に戻っちゃうでしょうけど。

 いちいち様子見に来る訳にもいきませんから、ちょっと心配ですね」

 

「ふぅん。ま、その辺はやり始めれば大丈夫さ。鶏の世話だって年中無休なんだし。うちの家族ならすぐ慣れるよ。お疲れ」

 

「大井さん、北上さん。お疲れ様でした」

 

「どうも。……あら。何か違和感があると思ったら、榛名さんセーラー服なんですね」

 

「へぇー。雰囲気変わるねー」

 

「そ、そうでしょうか?」

 

 

 ジャージに軍手、肩掛けタオルな北上・大井と、未だセーラー服の榛名。ここだけ女子高の園芸部みたいな感じである。

 多分、母さんが「これ着なさい」とでも言って出したんだろうけど、自分が着てた服を女子が着るって、こう、なんか……。

 やめよう、変態的な喜びに目覚めそうだ。ガールズトークしてる三人は置いて、一人で作業を続けてる最上を労おう。

 少し奥まった場所で、日差しガード付きの帽子を被る彼女は座り込んでいた。細かい雑草を抜いているようだ。

 

 

「よ、最上。少し休憩したらどうだ」

 

「え? あぁ、提督。帰ってたんだ。そうだね、ちょっと休ませてもらうよ。ふぅ……なんでボク、農作業してるんだろ。それになんでここに居るんだろ……」

 

「いや、自分に聞かれても。というか、君は止める側だと思ってたんだけどな」

 

「止めたよ? 止めたんだけど、ボクの意見なんて誰も聞いてくれないし……。一応、最上型の一番艦なんだけどな……。あはは……」

 

「……すまん! 何も知らずに無神経なこと言った! あー、ほらっ、ラムネあるぞ?」

 

「うん、ありがとう……ってぬるい上に飲みかけじゃないかぁ!? かかか、間接キス……!?」

 

「あ、ごめん。忘れてた」

 

 

 声を掛ければ、最上はすっくと立ち上がり、汗の似合う爽やかな笑顔を見せるのだが、背中は一瞬で煤けてしまった。

 慌ててラムネを差し出すも、飲みかけなのに気付いて顔を真っ赤に。

 ファースト間接キスを奪うつもりなんて無かったんだけど、悪いことしちゃったな……。

 

 

「あー、いいなー。あたしも喉乾いたー」

 

「ん、そうか。しまったな、みんなの分も貰ってくれば良かった」

 

「でしたら榛名が。少々お待ち下さいますか?」

 

「ああ、私も行きます。古鷹さんたちの分も持ってこないと」

 

 

 気不味い沈黙が広がるかと思われたが、しかし、北上が割り込んでくれたおかげで、上手いこと矛先が逸れる。

 もう諦めたらしい最上は、「もっとロマンチックなのが良かったな……」とボヤきつつ、ラムネをあおっていた。大井さんが去り際に残した、絶対零度の流し目が怖い。

 悪かったよ……。後でなんかお詫びするから、見逃して。

 

 

「あー。そういえば、古鷹は? 姿が見えないけど……」

 

「ボクが最後に見たときは、あっちに居たはずだよ。行ってみる?」

 

「そうするか」

 

 

 今度こそ気不味くなった自分は、この場にいない少女を使って話題転換を試みる。

 すると、すっかりラムネを飲み干した最上が、前庭へ続く方向を指差した。

 朝飯の時に手伝うとか言ってたのに、何してるんだ?

 ま、榛名たちが戻るまでに見て来れるだろ。行ってみよう。

 

 

「ところで北上。そのジャージ緩くないか? それ、自分が中学の頃に着てたヤツなんだけど」

 

「あ、そうだったんだ。通りで……」

 

「え? もしかして臭いとか?」

 

「ううん。通りで大井っちが難しい顔してた訳だー、と思って」

 

 

 手持ち無沙汰になり、なんとなく北上へ話しかけてみると、彼女はジャージの襟元をつまんだりし始めた。

 大井が難しい顔……。匂いで男の持ち物だったって直感したとか。あり得そうで怖いわ……。

 ってか母さん。人の服勝手に渡すなよ。そして説明省くなよ。自分のだって大井に知られたら……うぅぅ、どんな風に罵られるか、想像もしたくないっ。

 と、気温以外の理由で身震いする自分の顔を、北上が覗き込んでくる。

 

 

「ねー提督。このジャージさ、貰っていい? サイズも丁度いいし」

 

「構わないけど、男のお古だぞ? そんなの着るより、新しいの買った方が……」

 

「あたしはお古が良い。着古された服って、なんだか癖になるよねー」

 

「あ、ボク分かるかも。おろしたてのシャツの匂いとかも好きだけど、ノリが取れてクシャクシャになったワイシャツとかも良いよね」

 

「熱く語ってるとこ悪いんだが、着たことあるのか?」

 

「いや、それはないけどさ……。ほら、雰囲気で。ね?」

 

「うんうん」

 

 

 足を止めずに、二人揃って頷き合っている。

 意外だ。最上と北上、そこそこ仲良かったんだな。服に関しては理解できないけども。

 他人の、しかも異性のお古とか、何がいいのかねぇ……?

 なんて首を捻っていると、家の曲がり角から飛び出してくる人影が。

 長い茶髪に、サスペンダースカート&アームウォーマーが特徴の少女は……。

 

 

「あらぁ。司令官、帰ってたのね~。ふぅ……」

 

「荒潮か。ああ、ついさっきな。君は……何してるんだ?」

 

「うふふ、それはね……?」

 

 

 額に汗する朝潮型駆逐艦・荒潮。

 髪をかき上げる仕草がやけに色っぽい彼女は、弾む息を整えながらこちらの手を取る。

 控えめなスキップに誘われるまま、曲がり角の向こうを覗いてみると。

 

 

「むー。加古姉ちゃん、鬼なのにさっきから全然走ってないー!」

 

「はぁ、ひぃ、わ、分かった、分かってるから、スカート引っ張んないでぇ~!」

 

「こらこら、駄目ですよ小助くん? 男の子が女の子のスカートを弄ったりしたら」

 

 

 えっちらおっちら。

 なんとか走っているていを保つ加古と、それを児童にのみ許される方法で追い立てる小助。さらにそれを年長らしく叱る古鷹が居た。

 あと、声が聞こえないくらい遠くの方で、特徴的な帽子をかぶった少女が土煙を上げているのが見えた。段々と近づいてくる彼女は、おそらく大潮だろう。

 鬼。走る。……鬼ごっこ?

 

 

「要するに、遊んでるのか」

 

「そうとも言えるわね~。司令官も混ざる?」

 

「止めとくよ。絵面が犯罪チックになるし」

 

「あら、残念。どうせなら、司令官にぎゅ~っと捕まえて欲しかったのに~」

 

「はいはい、また今度な」

 

 

 繋いだ手を抱え込み、荒潮は……こう言っていいのか悩むが、妖艶に目を細めた。

 如月に続く、なんともアダルティな駆逐艦である。まぁ、あの子ほど露骨じゃないのが救いだ。

 平然と対応してるように見えるかも知れないけど、さり気なく「当ててんのよ」されて結構ドキドキしてるし。

 

 しかし、子供と追いかけっこする統制人格かぁ……。微笑ましいと笑えばいいのやら、何してんだかと呆れればいいのやら。

 いや、たぶん小助の方から「一緒に遊ぼー!」とでも誘ったんだろう。

 暁は面倒見るとか言っといてヘコみまくってた訳だし、代わりを務めてくれた事、感謝しなきゃ。

 そう思っているうちに、犬みたくベロを出す加古たちが、縁側に向かい始めた。どうせだから合流しよう。

 

 

「ぐへぁあぁ……。もう、無理ぃぃぃ……。小助くん、元気、良過ぎだってぇ……」

 

「加古、もうちょっとだからしっかり歩いて? ……あ、提督。お帰りなさい」

 

「ただいま、古鷹。加古もお疲れさん」

 

「ホントにづかれだぁ……」

 

「大兄ちゃーん! どーん!」

 

「おおお、どうした小助。相撲か?」

 

「大潮姉ちゃんのまねー」

 

 

 加古を介護する古鷹に挨拶を返す横から、元気過ぎる小学生男子が突進。

 うまく回避しながら抱き上げてやると、全速力で走り寄る少女を指差した。

 あっという間に数十mはあろう距離が縮まり、彼女は急制動からの敬礼を。

 

 

「司令官っ、はぁ、お、お帰りなさいませっ! はぅ、ふぅ……」

 

「ただいま……。大潮、大丈夫か?」

 

「は、はぃっ、らいじょうぶ、ですっ! ち、ちょっとだけ、休憩、すれば……げほ」

 

「無理しないで。ほら、座ろう」

 

 

 直立不動のまま息を整えようとしていた大潮だが、最上に勧められてやっと休憩の体勢に。湯気が立ちそうだ。

 

 

「っていうか、なんでそんな疲労困憊なんだ?」

 

「お、鬼ごっことはいえ、手を抜くわけにはいきませんから! 常に全力疾走でした!」

 

「凄かったのよ~。大潮ちゃんが鬼の時は、みんな三秒で捕まっちゃったの~」

 

「でも、逃げる時はペース配分が悪くて膝ガクガク、と」

 

「うぅ……。お恥ずかしい限りです……」

 

 

 荒潮に汗を拭いてもらいつつ、全力で薄い胸を張る大潮だったが、北上のツッコミで猫背になってしまう。

 この子は、朝潮の真面目さを少し緩く、そして三倍くらい元気にしたような性格であり、小助みたいな子供の相手には最適だ。本人も楽しんでたみたいだし。

 

 

「あ、こちらに居らしたんですね。飲み物をお持ちしました」

 

「おぉ、榛名。いいタイミング。悪かったな、勝手に移動して。ほら大潮、加古も」

 

「すみません、助かりますっ」

 

「んぐ、っぐ……。ぷはぁ! 冬だけど麦茶うまーい!」

 

「北上さん、はいどうぞっ。愛情たっぷりに注いで来ましたよ♪」

 

「うん。ありがとね、大井っち」

 

 

 縁側に腰掛け、みんなでボーッと和んでいると、外を回り込み榛名たちがやってきた。

 いかんいかん。サッサと戻るつもりが、予想以上にノンビリしちゃってたな。

 ともあれ、動きどうしで疲れたらしい少女は、我先にとコップに群がる。

 夏が定番の麦茶だけど、母さんの好物なので、うちには冬でも常備してあるのだ。運動した後には格別だろう。

 

 

「大兄ちゃん、買い物どうだったー? お菓子とか買ってきてくれたー?」

 

「まずは労われ弟よ。少しだけな。鳳翔さんたちが持って行ったから、貰いに――」

 

「お待ち下さい、提督。台所へは行かない方が……」

 

「まるで戦闘中の主計科みたいでした。うかつに足を踏み入れたら死にますよ」

 

「……そんなに?」

 

 

 今度は自分で動こうと腰を上げたのだが、戻ってきたばかりの二人に引きとめられてしまった。

 主計科。

 軍における物資の管理や補給、経理などを任される重要な部署で、軍でなくとも類似の仕事が必ず置かれる。軍隊もお役所なのだ。どんぶり勘定では動けない。

 今では経理担当のような扱いだけど、かつては軍艦にも乗り合わせ、艦内の状況や戦況を把握して文書にまとめたり、炊事洗濯も行っていたと聞く。

 時には、頭上を砲弾が飛び交う中、爆音が轟く中でも調理を続けなければならなかった彼らは、言葉通り、台所を戦場として戦う軍人だったのである。

 大井がああまで言うという事は、彼女が朧気ながら覚えているだろう、その気配があったという事か。

 ただでさえ、大人数の食事を用意するのは大変なのに、さらに追加が来ちゃったもんなぁ……。そりゃ戦場にもなるよ……。

 

 

「たーのもーうっ!!」

 

 

 ――と、またしても黄昏たくなった自分の耳に、聞きなれた声が届く。

 この声量。この時代がかった名乗り。間違いなく利根だ。言った側からまた追加か……。

 

 

「これって、利根さんの声ですよね。え? 利根さんも来ちゃってるんですか?」

 

「そういや古鷹は知らないんだな。もう艦隊の半分は来てるよ……」

 

「えええええ……」

 

「提督、それ本当なの?」

 

「………………」

 

 

 ドン引きする古鷹、自身の耳を信じられない最上の視線を受け、自分は無言のまま、明後日を見つめる。

 それだけで全て理解したらしく、常識人たちの背中にドンよりとした空気が漂った。

 ホントどうなるんだろ……。

 ここ数日のメディア露出過多や、統制人格への極端な外出許可。話題作り?

 ひょっとしたら自分たち、何かの目眩ましに使われようとしてるんじゃ……。

 

 

「あら~。白露ちゃんから聞いてたこと、古鷹さんには伝えるの忘れちゃってたわ~」

 

「すみません古鷹さんっ、こんな重大情報を伝え忘れるなんて、大潮、一生の不覚です……っ」

 

「あ、そこまで気にするような事でもない、というか。でも荒潮ちゃんは大らか過ぎるような気も……」

 

「どっちでも良いけどさー。そろそろ家の中に戻らない? ちょっと本気で寒くなってきた」

 

「まぁ! それはいけないわ北上さん! 私が手を握って温めて――」

 

「うん。陽も落ちちゃったし、戻ろうか。ボク、お腹ペコペコだ」

 

「加古姉ちゃん、起きてー。もうそろそろゴハンだよー?」

 

「あーい……」

 

 

 ……とか、シリアスぶった思考してみても、周りがそれを許さない。

 疑い出せばキリがないというのもあるし、深く考えない方がいいのか?

 かといって思考停止したら、いつか必ず問題に繋がってしまうだろう。世の中って難しい……。

 だが、一個人として今もっとも気になるのは――

 

 

「提督。私は利根さんたちのお出迎えに行きますね」

 

「あぁ待った、自分も行くよ。きっと金剛も帰ってきてるだろう。スルーした分は優しくしないとな」

 

「……お会いになったんですね。もう、なんと言ったらいいか……」

 

「何も言うな。止めたくても止められなかった榛名の気持ち、よぉ~く分かるから」

 

「お心遣い、感謝致します……」

 

 

 ――ガン無視してしまった覆面女子レスラー、ミス・ダイヤモンド(仮名)の機嫌である。怒ってなきゃ良いんだけど。

 めいめいに腰を上げ、家の中へと戻る皆と別れた自分たちは、廊下を玄関へ向かう。

 近づくにつれて、元気一杯な利根の笑い声と、中吉の困惑する声が。そりゃあビックリもするわな。弟よ、すまん。

 

 

「やっぱり、君たちか」

 

「ぬ? おぉ、お主か。出迎え御苦労! 今帰ったぞ!」

 

「利根姉さん? 私たち、提督のご実家に来るのは初めてですよ?」

 

「いいよいいよ。そこらへんは期待してないから。君たちの家だと思ってくつろいでくれ」

 

「何やら気になる言い方じゃが、そこまで言うなら遠慮なく上がらせてもらおう!」

 

「申し訳ありません、提督。余計かとも思いましたが、色々と買って来ましたので……」

 

 

 背中を見せる中吉の向こうに居たのは、普段着に戻った利根・筑摩だ。

 小さな姉はえらく堂々と、スラッとした妹は恐縮しつつ。相反する様子で靴を脱ぐ。

 中吉はといえば、驚くのにも疲れたような顔である。

 

 

「……兄さん。まさか、この人たちも……?」

 

「うん、まぁ、そういうこと」

 

「はぁ……。オレ、目が肥えちゃいそうだよ……。とりあえず、こっちへどうぞ」

 

「うむ。吾輩は利根という。よろしく案内(あない)を頼む。彼奴の弟ならば吾輩の弟も同然、姉と呼んで慕って良いのだぞ?」

 

「すみません、オレより背がだいぶ低いのに姉はちょっと……。っていうか姉妹の上下が逆なんじゃ……」

 

「いえいえ、私が妹で間違いありませんよ。筑摩です。よろしくお願いしますね。ところで、お名前は――」

 

 

 なんだかんだと言い合いながら、楽し気な雰囲気が奥へと消えていく。

 そして、見慣れた改造巫女服に戻った元女子レスラーたちが、入れ替わりに玄関へと雪崩れ込んでくる。ついでに元クマ・レンジャーと元スケ番も。

 

 

「テートクひどいヨー!? せっかくワタシたちがテートクのために戦ってたのに、無視してピューと帰っちゃうなんテ!?」

 

「そうですわ! 手に汗握る白熱した戦いでしたのよ? ほら、半分寄付しても、おひねりがこんなに」

 

「応援が凄かったわよね。ついでにお肉も買って来ちゃったわ。これで豚カツ作ったら美味しいわよー!」

 

「す、凄いですね。これでしばらく食べていける位の金額じゃ……?」

 

「あ~、この町の人たちノリがいいから……」

 

 

 涙を流して縋りつく金剛を本能的にいなし、三隈の差し出した即席っぽい募金箱を覗くと、小銭ばかりか万札までギュウギュウに入っていた。

 これで半分なのを考慮すると、榛名もビックリな凄まじい臨時収入だ。

 まぁ、統制人格だけあって身体能力は人間離れしてるんだ。動きはキレッキレだっただろうし、キャットファイトなら野郎共が盛り上がるのも当然。

 誤魔化しも効かなくなっっちゃっただろうけど、ここまで来たら、逆に利用する案を考えた方がいいと思えてきたよ……。

 と、思考転換する自分の横を、苦悩する球磨、ぐんにょりする阿武隈が通り過ぎる。

 

 

「途中から楽しくなってた自分が居るクマ……。認めたくないクマァ……っ」

 

「アタシは全然楽しくなかったわよ……。なんでお巡りさん、アタシにだけ御説教するのよぉ……。あ、お邪魔しま~す……」

 

「お疲れさ~ん。そういえば、あの後どうなったんだ、熊野? 交番とかなんとか聞こえた辺りで逃げたんだけど」

 

「最終的には警察署まで行きましたけれど、有志による地域おこしの一環として押し切りました。案外、なんとかなるものなんですのね。では、お家に上がらせて頂きますわ」

 

「厳重注意を受けましたが、無理矢理なんとかしました。頑張りました……」

 

「わたしは霧島を応援してました! 最後までマスクは脱がなかったので、安心して下さい!」

 

「……霧島。良くやってくれた。本当に、ご苦労様。奥でゆっくり休んでくれ……」

 

「司令……! そのお言葉だけで報われます……っ。う、うぅぅ……」

 

 

 気になったので、あの後の経過を尋ねてみると、球磨たちの靴の向きを整える熊野が、淡々とおっそろしい事実を告げた。

 おい比叡。マスクのまんま事情聴取とか、むしろ心象悪くなるだろ。よく厳重注意で済んだもんだよ。霧島、その涙は無駄じゃないぞ……!

 

 

「って事は、ほとんど見てもらえなかったンじゃないデスか……。ワタシ、一体なんのためにGiant SwingやBritish fallを……」

 

「き、気を落とさないで下さい、金剛お姉様。榛名は見てみたかったですっ。また別の機会がありますよ、きっと!」

 

「……よく考えたらWrestlingで自己Appealとかあり得なくないデスか? それに榛名は何故Sailor服を着てるノ……? まさかそれ……?」

 

「あ。ええと、これは、その……」

 

「ところで司令? このお肉、豚カツにしちゃって良いわよね? カツカレーとか絶対に美味しいし、良いわよね、ねっ、ねっ?」

 

 

 そんでもって、別の意味で泣き続けてるのが金剛であり、榛名がとばっちりを食う。

 やっとそこに行き着いたのか……。まぁ、ボディラインと寝技のアピールは出来るだろうけどさ。色んな意味で重いです。

 我関せずとテンション上げ上げなのは足柄。豚カツ推しは分かったから、肉を持って迫らないで。圧が凄い。

 あぁ、玄関がどんどんカオスの海に飲み込まれていく……。

 

 

「なぜ玄関が開けっ放しに……。戻ったぞ――足柄? ……まぁいい。皆、手伝いを頼む。食材を降ろしてくれ」

 

「あら、那智姉さん。お帰りなさいあさい。私、お肉を先に置いてくるわね」

 

「自分も手伝いますよ。ほら、行くぞ金剛、榛名」

 

「Aye,Aye,Sir……。榛名、ここは一時休戦デース。後でSEPPUKU Talkしまショー」

 

「ええと、腹を割って話そう、という意味ですよね? りょ、了解致しました」

 

 

 そんな時、開いたままだった扉から姿を現す、スーパーの袋を提げた救世主(じょうしきじん)、那智さん。

 足柄の姿に怪訝な顔をするも、事情は察してくれたらしく、ハキハキとした指示出しで場の空気を引き締めてくれる。

 ただ突っ立ってるのはアレだし、険悪なんだかコントしたいんだか分からない二人を連れ、自分も表に出る。

 玄関から少し離れた所では、横付けされたマイクロバスから高雄たちが荷物を降ろし始めていた。

 

 

「高雄、お疲れ。姉さんたちは?」

 

「あ、提督。御自宅へ戻られました。今日はあちらで過ごされるそうです」

 

「言動はちょっとエキセントリックだけど、やっぱり主婦なのねー。お買い物に無駄がなかったわー。それに旦那さんともラブラブでー、羨ましいくらい。憧れちゃうわよねー?」

 

「そうね……。傍目にも幸せそうで、あんな風に愛し合えたら、女として幸せでしょうね……」

 

 

 愛宕は値引きシールの貼られた大根、高雄は十kgの米袋を胸に抱き、何某かを思い出しているようだ。表情が乙女チックに見える。

 確かに二人の姉夫婦は、自他共に認めるおしどり夫婦だしなぁ。個性が強過ぎる妻と影が薄い夫。うまくバランスが取れてるんだろう。

 旦那さんたち、影は薄いけど本当に良い人だし、欠点を挙げるとすれば影の薄さ位しかない。男としても信頼できる人たちなのだ。

 ……なんかバカにしてるって誤解されそうだけど、どうか末長く、幸せでいて欲しいものである。

 

 

「二人とも、あの性格で良い人を捕まえてくれて、家族としては安心だよ。

 しかし、高雄や愛宕だって、その気になればすぐに恋人できそうだけどな。

 スタイル抜群だし、何より美人だし。よっと」

 

「び、美人、ですか……? 私が、そんな……」

 

「あらー。高雄ったら照れちゃってー。でも提督ー? 口説くのなら二人っきりじゃないと効果は薄いですよー?」

 

「そんなつもりじゃないって。一般論としてだよ、一般論」

 

「ムムムッ。ワタシはテートクから褒められるのに数ヶ月掛かったというのに……。やっぱり油断は出来そうもないネ……!」

 

 

 米袋を受け取りつつ、何の気なしに本音を零すと、高雄が照れくさそうに顔を伏せる。

 見た目は垢抜けた大人の女性だが、意外と乙女チックで、初心な反応を見せてくれる事が多い。

 一方、愛宕の方は何をしていても雰囲気が“ぽややん”としていて、見た目通りの包容力を感じる。どこを見ているかは秘密です。

 例えばの話、「付き合ってくれ!」と迫った時に、押しまくればOKを貰えそうなのが高雄。押しまくっても受け流され、逆にキープされそうなのが愛宕である。

 なんか威嚇してる金剛は……。分からん。今日の一件でますます予想が出来なくなった。とりあえず保留。

 

 

「ところで、あの時のお電話、なんと仰られたんですか?」

 

「ん? 何かあったのか、高雄」

 

「はい。通話を切った後、大姉様が……」

 

「凄かったのよー。長太に嫌われたかも知れない、また調子に乗ってしまった、どうしよう~……って、大騒ぎになっちゃってー」

 

「子供たちも吊られて大泣きしてな……。宥めるのが大変だったぞ」

 

 

 勝手な想像を繰り広げる自分に、今度は高雄の方から声が掛かった。

 荷物の第一陣を預けた那智さんも戻り、当時の惨状を語り出す。

 大姉が、そんな風に……? 言われてみれば、記憶の片隅に引っ掛かる物が……。

 例の告白玉砕を慰めようという、勝手な家族会議の最中、大姉の背中はやけに小さかったような気がする。朧気だけど。

 思わず足が止まってしまうほど、俄かには信じ難い事だったけれども、疲労の残る顔に苦笑いを乗せ、那智さんはこちらの肩を優しく叩いた。

 

 

「少々……いや、かなり言動はハチャメチャだが、随分と貴様を気に掛けているようだ。愛されている証拠だろうさ」

 

「そう、なんですかね。まぁ、仲は悪くない、と思いますけど……」

 

「……提督? 差し出がましいと思いますが、そんな言い方は寂しいです。

 掛け替えのない、大切な家族なんですから。

 言葉で気持ちを伝えるという事は、とても素敵な事だと思いますっ」

 

「そうよー。高雄の言う通り、提督はもっと、ちゃーんと“好き”って言うべきだと思うわー。……色んな意味で、ね?」

 

「ぜ、善処します……」

 

 

 追い抜かれざまに、高雄・愛宕からも説教されてしまった。特に、訳知り顏な愛宕の言葉が痛い。いつもはポヤポヤしてる癖して、侮れん。

 好き、か……。そりゃあ、いくら迷惑を掛けられたって姉だし、嫌いになんかなれやしない。でも、小っ恥ずかしいよなぁ……。

 オマケに、愛宕が言ったのは姉の事だけじゃない。きっと、自分を中心として渦巻く感情たちの事も、含まれているんだろう。いつまでもこのまま……では、ダメなんだ。

 今、隣で不思議そうにカボチャを抱えている金剛にも。いつか向き合わなければ。

 

 

「ンー? なんの話デスか? テートクー、ワタシだけ仲間外れは悲しーデース」

 

「あぁはいはい、説明するからっ、今はくっ付くな! 頼む榛名っ」

 

「はい。金剛お姉様、実はこの服、大姉様に着て欲しいと頼まれた物で。それに関して提督がお話を……」

 

「oh,ナルホドー。ワタシはてっきり、榛名が本気でテートクCaptureに乗り出したのかと思ってましタ! ホントにRivalが増えたかと焦ったヨー!」

 

「何を言ってるんだか……」

 

 

 説明を求め、ペターとへばり付く金剛。咄嗟に救援を求めると、すかさず反対側へ榛名が。ついでに掻い摘んだ説明もしてくれる。

 セーラー服が彼女の本意でないと分かった途端、金剛はカボチャを掲げて御機嫌にウィンク。現金な子だよ……。

 というか、榛名が慕ってくれてる自覚はあるけど、それとこれとじゃ別問題だろうに。自分だって、先輩の事は好きだけど、男女の関係になりたい訳じゃないし。

 

 

「金剛。榛名にだって選ぶ権利はあるんだ。勝手に決めつけちゃ可哀想だろ。なぁ、参考までに聞くけど、榛名はどんな男が好みなんだ?」

 

「……えっ」

 

 

 高雄たちに続いて玄関へ米袋を置き、次の荷物を取りに向かいながら尋ねてみる。

 困らせるかもとは思ったが、あんまり女の子と恋話した事ないし、一度聞いてみたくもあったのだ。

 真面目な彼女だ、きっと顔を真っ赤にしつつ、健気に答えてくれるはず。

 ひょっとしたら、「私は提督の事が……」とか言ってくれたりして? んな訳ないか! あっはっは。

 

 

「あれ、榛名?」

 

「どうかしましタ?」

 

 

 心が傷付かないように予防線張っている間、榛名は無言だった。

 数歩後ろで立ち止まり、ジィっとこちらを見つめている。広いはずの玄関が、妙に狭苦しい。

 数秒ほど沈黙が続き、やがて彼女は歩き出す。

 一歩、また一歩と近づくにつれ、身長差で表情が読み取れなくなっていく。

 なぜだか固唾を飲んで見守る自分の横を通り過ぎ、引き戸に手が掛かる所で、榛名は。

 

 

「提督にだけは、秘密です」

 

 

 人差し指で、唇を縦に閉じながら、振り返った。初めて見る、小悪魔的な微笑みだった。

 外へと走り出す背中を、自分はただただ見送る。

 なんとなく横を向けば、同じく茫然と妹を見送った金剛と視線が重なった。

 そして、彼女の顔にジト目が浮かんだ瞬間、金縛りは解ける。

 

 

「……テートク。まぁたワタシの知らないうちにFlag立てたんデスかぁ!?」

 

「い、いや知らない! 自分にも何が何だか!?」

 

「やれやれ……。戻ってきても騒がしいのは変わらずか」

 

「うっふふ、楽しくって良いじゃなーい? 面白くなってきたわー♪」

 

「愛宕がそういう言い方をする時って、たいてい騒動が起きるのよね……」

 

 

 酒瓶を抱えた那智さん、愛宕、高雄の声を背中に聞きながら、自分は金剛から逃げようと表へ。

 すっかり日の落ちた冬の空に、満天の星空が広がっていた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「さ、三番、阿武隈! 手品やりますっ。縦縞のハンカチが~……あっという間に横縞に!」

 

「ただ向きを変えただけじゃん」

 

「手品というよりツッコミ待ちのボケですよねぇ、北上さん」

 

「ぅぅうっ、急にやれって言われても無理ぃ! そこまで言うなら貴女たちがやってよっ!?」

 

「……仕方ないなー。大井っち、やろっか?」

 

「ええ。重雷装艦の本当の力、今こそ!」

 

 

 何枚も襖を隔てたはずの居間から、賑やか過ぎる声が届いている。

 直接目にしている訳でもないのに、涙目でハンカチを噛む阿武隈と、自信満々な顔で立ち上がる北上・大井の姿が想像できた。

 窓から差し込む月明かりと、古めかしいガスランプだけが頼りの自室は肌寒かったが、アルコールで火照った身体にはちょうど良い塩梅だ。

 このランプ、灯油や電気よりもガスの方が安いからと、親父の代から使っている骨董品である。

 

 

「盛り上がってるなぁ、みんな」

 

 

 ゴロン、と畳に寝そべったまま、独りごちる。

 夕食という名の大宴会が始まって、もうすぐ一時間。

 最初は賑やかな食事会のような感じだったのだが、飲んでも問題ない見た目の子たちが酒を飲み始め、あっという間に大騒ぎである。

 今も、「待ってました~」とか「艦種関係ないじゃーん!」とか「脱げー!」なんて叫びが……誰だ最後の?

 一人目は龍田で、二人目が飲んでないけどハイテンションだった鈴谷……いやマジで誰だ? まさか母さんじゃあるまいな……。

 

 

「……ま、いっか」

 

 

 疑問には思っても、楽しそうな雰囲気が笑みを誘い、すぐ気にならなくなった。

 この分なら、騒ぎ疲れて抜け出した自分も、しばらく見つからないだろう。

 

 

(なんにもしないって、久しぶりだな)

 

 

 鎮守府であれば、食事をしている時でも、風呂に入っている時でも。

 つい艦隊をどう運用するか考えてしまうが、不思議と実家では何も浮かばない。

 ボーっと、無為に時間を過ごす事が心地良く、遠い静けさの中へ、身体が溶けていきそうだ。

 

 

「司令官さん。ここに居たんですね」

 

「電。うん、ちょっと騒ぎ疲れた」

 

 

 不意に、優しい気配が側に生まれる。

 いつもの格好に戻った……戻らざるを得なかった電が、襖を開けて立っていた。

 原因はもちろん、暁。可愛くしかなれない姉と、綺麗になっちゃった妹。悔しがって仕方なかったのだ。

 他にも、天龍が「誰だオマエ!?」とか叫んだり、白露型やら雷巡コンビやらが、目を皿にしてガン見したりと、やはり結構な衝撃だったらしい。

 

 

「ごめんな」

 

「……え?」

 

「いや。なんか、色々と。こんなはずじゃなかったんだけど、と思って」

 

 

 隣で女の子座りをする電に、上体を起こしつつ謝る。

 今回の里帰りは、本当に予想外な出来事の連続だった。鳳翔さんを嫁と勘違いされ、比叡たちが勝手に着いてきて、オマケに利根や妙高たちまで。

 もっと静かに、穏やかな休暇を過ごす予定が、結局いつものバカ騒ぎ。期待外れだったに違いない。

 

 

「電は、楽しかったです。静かに過ごすのも好きですけど、いつもみたく、こんな風に賑やかなのだって、やっぱり好きなのです」

 

「そう言ってもらえると助かる」

 

 

 しかし、ランプの逆光に映える微笑みは、幾度となく見せてくれた微笑みで。

 どうしてこんなに安心できるのか。心が落ち着くのか、自分でも不思議だった。

 ……そうだ、言い忘れてた。愛宕にもああ言われたし、キチンと伝えておかなくちゃ。

 

 

「あの服、似合ってた。綺麗、だったよ」

 

「……あ! ……ありがとう、ございます……なの、です……」

 

 

 意表を突くタイミングだったようで、電は目を大きく見開いた後、ランプの薄赤い光でも分かるほど顔を真っ赤に。

 軽い酩酊感のおかげか、思っていたよりも、すんなりと褒め言葉を口に出来た。

 酒の力を借りずに言えれば、本当は満点なのだろうけど。

 

 

「し、司令官さんは、髪を下ろしていた方が……好き、なのですか?」

 

「髪型? そうだな……。どっちも好きだけど、自分としては、普段通りの方が良いかな。それとあの格好、できれば横須賀ではしないで欲しい」

 

「……え!? ぁ、あのっ、おかしかったですか? あれっ、でもさっき?」

 

「違う違う、落ち着いて」

 

 

 髪の毛をいじりながら、電が上目遣いに問いかけてくる。

 率直な感想を告げると、今度は目を白黒して大慌て。言葉足らずだったようだ。

 不安になってしまったらしい彼女へと、自分は少しだけ近づく。

 そして――

 

 

「あの格好じゃ、電だと知ってて声を掛けようとする男が、出てきそうだから。もし着てくれるんだとしても……自分の前でだけが、良い」

 

 

 ――今一度、素直な気持ちを言葉にした。

 返事はない。身体を硬直させる彼女は、しばらくして顔を伏せてしまう。

 言ったこちらも流石に恥ずかしく、あぐらをかいて天井を見つめ続ける。

 と、腕に違和感。

 いつの間にか、細い指がシャツの袖をつまんでいた。それが、“何か”の答えのようにも感じられる。

 

 遠い喧騒。

 月明かりとランプが作る、二重の影。

 自然と、手は電へ伸びていく。

 震える頬を、やや強引に引き寄せる。

 灯影で暗く見える瞳は、怯えに震えているだけでなく、期待で濡れているようにも。

 

 

「電」

 

「司令官、さ……」

 

 

 互いの名を呼び、しかしそれ以上は何も言わない。

 まぶたが閉じられた。

 彼女の意図する所を悟り、自分は距離を縮める。

 ゆっくりと。ゆっくりと。薄氷を履むように。

 やがて、吐息の交わりで一瞬だけ躊躇し。間抜けなほど時間をかけて、二人の影は重なった。

 

 

「……オッホン。少し、いいか」

 

「うぉ、親父!? な、なにっ?」

 

 

 ――かに思えた、その瞬間。

 廊下へ繋がる襖の向こうから、低音の咳払いが飛び込んできた。

 ほぼゼロ距離だった電との間隔は離れ、背中へ針金でも通されたみたく、姿勢もガチガチに。

 そうこうしている内に襖が開き、自分と電の姿を見つけた親父は、酷く気不味い表情を浮かべる。

 

 

「……すまない。邪魔をしたようだ」

 

「え? なんの事? じ、邪魔なんかじゃないって! な!」

 

「……なのです」

 

「本当に、申し訳ない……。ただ、約束を果たそうと思っただけでして……」

 

 

 酔いから一気に醒め、なんとか不純異性交遊+青少年保護育成条例違反を誤魔化そうとするも、電は甚く不機嫌そうな顔でそっぽを向く。

 妙に腰を低くする親父が、後手に隠し持っていたウィスキーボトルを出しつつ謝っていた。

 いやいやいや。自分、何をしようとしてたんだ? 絶対にOKだった気もするけど、雰囲気に流された感も否めないし、うっかり母さんにでも見つかったら。

 なんか、えっと、アレがそうしてこうだからして………………考えるのやめよう。

 きっと今はダメだって、そういう神様からのサインだったんだと思おう。そうしないと心が折れる。ポキっと。

 で、約束……? あぁ、あれか。

 

 

「家を出る前の日の、『帰ってきた時に残りを』ってやつ?」

 

「そうだ。お前に、渡したい物もある」

 

「……あ、だったら電、向こうに行ってますね」

 

「いえ、居て欲しい。君とも話をしたい。迷惑なら、別だが」

 

 

 気分を切り替えて親父に向き合うと、親父はボトルとは反対側の手に持つ風呂敷包みを示した。

 軍務に就く事が決まり、準備のため実家へ帰った自分が、出立前日に親父と飲んだスコッチウィスキー。その時にした約束を果たそうという事か。

 どうやらプレゼントもあるらしく、気を遣った電が席を外そうと腰を上げる。

 しかし親父はそれを引き止め、自分の真正面に腰を下ろした。四角くなった風呂敷を開くと桐箱があり、更にその中には、二つの小さいグラスが。

 

 

「あっ。これ……」

 

「どうした」

 

「いや、帰りに買って来ようとして、買いに行けなかったヤツ。なんだ、親父が先に買ってたのかよぉ」

 

「はは。すまんな……っと、ありがとう、電くん」

 

「いえいえ、なのです」

 

 

 青い下地を薄く削り、複雑な模様を描いた江戸切子のショットグラスセット。

 今では日本で一人しか作り手がおらず、酒屋さん秘蔵の一品物だ。当然、値段もウン十万越え。

 だからこそ生まれて初めての、親父への手土産として目星を付けていたのに、先に買われてるとか。やられた……。

 悔しがる自分を他所に、親父は早速お酌されて薄笑いし、大きなボトルを抱える電も、機嫌は治してくれたようだ。

 

 

「昨日と今日と、大変じゃなかった? 大井がまるで戦場だ、とか言ってたんだけど」

 

「問題ない。鳳翔さんと電くん……暁型、だったか。その四人に、霞という子が、よく頑張ってくれた。夕飯はほぼ任せた」

 

「そっか。なんか意外だ、妙に霞と母さんが仲良くなっちゃって」

 

「……良い事だ」

 

「まぁね」

 

「暁ちゃん、凄かったのです。玉ネギのみじん切りがとっても早くて、ビックリしちゃいました」

 

「あぁ。神業だった」

 

「……なんだろう。素直に褒めるのが可哀想な……。そういや、鈴谷って子は分かる?」

 

「うん? ……あの、綺麗な髪色の子か。言葉遣いはアレだが、真面目な子だな。彼女も頑張ってくれた」

 

「嘘ぉ……。てっきり親父にジャレついて邪魔してるかと思ってたのに……」

 

「電たちは、お邪魔じゃありませんでしたか? お台所を好き勝手に使っちゃって……」

 

「そんな事はないよ。むしろ、安心した。これなら任せられる」

 

「良かった……。あの、味、とかは……」

 

「食事中にも言ったが、美味しかった。……うちの味を一番に再現出来るのは、君だろうな」

 

「ホントですか!? やった……!」

 

 

 琥珀色に満たされたグラスを酌み交わし、尽きることのない話は続いた。

 ウィスキーで饒舌になった親父と、懐かしい味に酔いしれる自分。ウィスキーや話題をつぎ、時々、小さくガッツポーズしてしまう電。

 とめどなく、とりとめもなく。

 他愛のない会話ばかりが行き交う。

 あれは美味しかった。あの子は面白い。明日の献立はどうしようか。

 本当に、色々な話をした。

 

 

「あのさ」

 

「ん」

 

「……“俺”が家を出てから、どうだった?」

 

 

 そして、もともと残り少なかったウィスキーが、底をついた頃。

 わずかな沈黙を縫うように、ずっと気に掛かっていた事を聞いてみる。

 大学での一人暮らしを終えて、また家に戻るはずだった自分が、戻れなかった家の様子を。

 

 

「いやまぁ、姉さんたちがすぐ立ち直ったのは想像つくんだけどさ。気になって」

 

「いいや。あの二人は、最近まで塞ぎ込んでいた。はしゃぐあの子たちを見るのは、久しぶりだったぞ」

 

「……え?」

 

「あのお姉さんたちが、ですか」

 

 

 意外な返答がなされ、思わず電と顔を見合わせる。

 自分にとっては馴染み深く、みんなにとっては悪い意味で印象深かったであろう、常識外れな姉たち。

 あれが寂しさの反動だったとでも言うのだろうか。たかだか半年で?

 ……と、聞いた瞬間は思ったが、すぐに自分が間違っているのに気付く。

 もし、姉たちが命の危険を強いられ、連絡も取りづらい中、無事に帰ってきてくれたなら。きっとウザがられるまで纏わりつくと、想像できた。

 

 

「特に酷かったのは、母さんだ。あそこまで気落ちする姿は、見たことが無い」

 

「そんなに?」

 

「ああ。料理に成功するほどだった。……負けた」

 

「――なっ」

 

 

 更に付け加えられた情報で、事の重大さがより明確に伝わった。

 あのクソ不味――もとい、飲み込むのも難儀する料理を作り出す母さんが、親父を凌駕する腕前を見せたなんて。

 他所様には「そんな事で?」と思われるだろうけど、あの味を経験した身には、驚天動地の事実だ。現に、電も言葉をなくしている。

 

 

「……中吉や小助も」

 

「あぁ。家事を手伝い始めたり、必要以上に甘えたり、な。お前の前では普通を装っていたようだが」

 

 

 話を聞き終わり、自分はボウっとショットグラスを見つめてしまった。

 帰ってきて最初に会った二人の弟。記憶にある通りの、冷めた言動と甘え具合すら、平静であろうと努めた結果だった。

 そんな事にも気付かなかったとは、ちょっと離れている間に、随分と鈍ってしまったらしい。

 少しだけ、寂しさを感じた。

 

 

「生きていくなら。変わらずには、居られないものだ」

 

 

 不意に訪れた沈黙を、深い、静かな声が破る。

 親父はグラスをあおり、視線を高く。その先には、月を抱いた窓が。

 

 

「時間が流れる限り、どんな物にも永遠は無い。

 命。若さ。喜怒哀楽。幸福。不幸。どれもがいずれ……終わる。

 あの子たちは、その悪い面ばかりを見て、挫けそうになったんだろう」

 

 

 淡々と。ただ事実を並べるように、無感動な声はそう語った。

 時間は全てを変えていく。

 人間に歳をとらせ、悲しみを風化させ、喜びだって、いつか過ぎ去っていく。

 自分が軍に入るという事は、母さんたちにとっては望ましくない変化で、苦しみを伴うものだったのだろう。

 ……けれど。

 

 

「“俺”は、さ。変わるのが悪い事だとは、思わないよ」

 

 

 親父が言うように、それは悪い面なのだ。

 誰かにとって望ましくない変化でも、別の誰かにとっては、違う側面を持つ場合がある。

 “自分”がそうだった。

 

 

「この家を出て、しばらくしてから分かったんだ。

 “俺”は、みんなに守られてたんだって。

 親父や母さん。大姉に小姉。それに、中吉や小助にも」

 

 

 子供の頃は、やけに構ってくる姉たちを疎ましく思い、学生の頃は、両親の泥臭い仕事を内心で見下していた。

 成人してからも、押し付けられた弟たちの世話を面倒だと感じていた。しかし、それら全てが、自分の居場所を作ってくれていた。

 両親に育てられ、大姉と小姉に守られ、弟たちを見守る事で、自分は存在を許されてきたのだ。……ちょっと大げさかも知れないけど。

 

 

「でも、この“力”に目覚めて。“自分”は、少しだけ強くなった気がするんだよ。

 まだ一人じゃ何も出来ないけど。ほんの少しは、みんなの助けになれるんじゃないかって、そう思う。

 変わらない良さっていうのもあるだろうけどさ。変わるのが悪い事だとは、思わない」

 

 

 そして、その庇護を受けられなくなった時。

 “俺”は、心から守りたいと思うものを見つけて、“自分”になる事が出来た。

 今だからこそ思う。

 自分はこの時、初めて己の足で立ち始めたのではないか、と。

 

 隣を見れば、すぐ側に彼女が居る。

 自分を変えてくれた少女が、微笑んでくれている。

 それが堪らなく嬉しくて。けど、同じように嬉しそうな親父の顔が、照れ臭い。

 

 

「なんか、柄にもないこと言っちゃったかな。今日は飲み過ぎたよ」

 

「……かもな」

 

 

 笑って誤魔化せば、いつもはぎこちない笑みが、自然に笑い返してきた。

 普段は多くを語らない父親と、酒を飲みながら語り明かす。

 男同士じゃなきゃ、こうは行かないだろう。長男の特権かな、これは。

 

 

「ところで、一つ聞いておきたい」

 

「なに? この際だからなんでも答えるよ」

 

「ん」

 

 

 最後の一杯ずつが注がれ、そろそろお開きかといった所で、親父が急に畏まる。

 気持ち良く酔っ払い、気も大きくなっていた自分が鷹揚に頷き返すと、景気付けにグラスを傾けた親父は、真剣な表情のまま口を開いた。

 

 

「お前が好きな子は、そこに居る電くんで良いんだな」

 

「むぶっ!? ぼっ、ぶふっ、ぐぉ! 鼻が、鼻がぁっ!?」

 

「し、司令官さん!? しっかりして下さいっ」

 

 

 ――が、あまりに内容が突飛過ぎて、最後のウィスキーを鼻へ逆流させてしまった。

 痛い! メッチャクチャ鼻が痛い!

 コーラのゲップが鼻に入っちゃった時の三倍くらい痛いっ!!

 

 

「な、な、な、なん、いや、その、なんだ。積極的に否定はしないけども、素直に頷くのは倫理的にアレというか……」

 

「そうなのですっ、あの、司令官さんとはまだ、何もしてなくて。だから、憲兵さんとかは……!」

 

「……やはり、親子なんだろうな。母さんも、昔はこんな風だった」

 

「ぁんですと?」

 

「なのです?」

 

「ちなみに、料理は昔から下手だった。その点は真逆だな」

 

 

 のたうち回りつつ、電と共に情けない言い訳を繰り広げるのだが、途中、親父が変な事を言い出した。

 母さんが、こんな風だった。電が昔の母さんに似てると? 嘘だ。あり得ないだろ。

 凄むと極道の妻並みに迫力のある母さんが、怒ると笑顔で詰め寄ってくる電に………………ソックリな気がしてきた。

 え。自分マザコンだったの? でもそうだとは知らなかったし、電は物理的に成長しないし、ノーカン……になるかなぁ……。

 絶望と似た衝撃に、自分は打ちひしがれる。なんだよこの新事実……。

 

 

「鳳翔さんは、よくお前を支えてくれるだろう。しかしその分、我慢してしまう事も多くなる。無理をさせるな。

 金剛という子は、無邪気だ。無邪気だからこそ、この先が心配でもある。気に掛けろ。

 霞くんはひたむきだな。だが、きっとお前にだけは素直にならんと思う。男なら、その上で受け止めてやれ」

 

「お、親父? さっきから何を」

 

「他にもあるが、その子に関しては何も言わん。お前の想いだ。後悔のないようにしろ」

 

「……反対、しないんだ?」

 

 

 脈絡のない鳳翔さんたちの評価から、最後は恋の応援まで。

 さっきから驚いてばかりだけど、本当に驚いた。

 常識的に考えるなら止めるべきだ。道を踏み外さないよう、殴ってでも思い留まらせるべきこと。

 相手の容姿が社会的に問題で、なおかつ、人とは違う在り方の少女なのだから。

 

 

「相手が人と違う存在なら、人の尺度にだけ当てはめるのは変だろう。

 それでも愛していたいと思うのならば、瑣末な事に拘らず、自分の気持ちを信じろ。

 表立った応援はしないが、止めもしない。電くん。息子を、頼みます」

 

「……は、はいっ。必ず、あの、えっと……! が、頑張りますっ!」

 

「ん……。ありがとう」

 

 

 そう思っていたのに、親父は電へ頭を下げ、電も慌てながら、本気で答えてくれた。

 満足そうな溜め息が、この場限りの嘘ではないと教えてくれる。

 人とは違うと理解した上で、それでも好きなら勝手にしろ。

 突き放すような言い方でも、どこか優しさを感じるのは、自分が息子だからだろうか。

 きっと違う。これが親父なりの励ましで、こういう所に母さんは惹かれたんだ。

 ……自分も、頑張ろう。電と一緒に。

 

 

「親父が認めてくれるとは思ってなかったよ。てっきりタコ殴りにされるかと……」

 

「人間の少女相手なら、そうした。しかし、手を出す度胸があるとも思えん。今と変わらんさ。

 それとだ。気持ちがハッキリしているなら、いつまでも目を背けてやるな。キチンと向き合い、決着をつけるのも優しさだ」

 

「はぁ? なんだよ、いきなり……。そんなの、言われなくたって……」

 

「……全く。これはお前のためだぞ。よく聞け」

 

 

 事実上の公認に安心しきっていたら、話題の雲行きが怪しくなってきた。

 ちょっと前に自分でも考えた事を、改めて親から指摘される。

 まるで、宿題をやろうとしていたのに「宿題やりなさい」と言われたような、懐かしくも嫌~な感じだ。思わず逃げ腰になってしまう。

 

 

「テートクー! どこ行ったデースかー? 次ー、ワタシと一緒にDuetしーまショー!」

 

「はっ。金剛が呼んでる、戻ろう! また暴走されたら困るし、ほらほらっ」

 

「えっ、あ、司令官さん?」

 

「……逃げたな。バカ者」

 

 

 そんな時、タイミング良く金剛の呼び声が。

 天の助けとばかりに、自分は電の手を取って部屋から駆け出す。

 いつまでも、このままでは居られない。そんなの分かってる。

 けど、せめて今だけは。このぬるま湯に浸かっていたいと、愚かな願いを抱いてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 朝日に佇む、閑散とした無人駅の構内。

 線路と道路を区切るフェンス越しに、のどかな田園風景を見る中、自分は腕時計を確かめた。

 ○七二五。もうすぐ、始発から二本目の電車がやってくる。

 

 

「そろそろ時間だ」

 

 

 元々、行きと帰りでは足を変える予定だったのだが、予定外の人員増加により、構内はかつてない賑わいを見せていた。

 車には免許持ちである那智さんと高雄型二名、金剛型四名に天龍田姉妹が乗り、他は電車を時間差で使い、横須賀へ帰る予定だ。途中で一車両貸し切った新幹線に乗り換えたりもする。

 金剛が「どうして同伴出勤できないデスかぁ!?」と騒いだりもしたが、もう車組みは出発し、電車組みの第一陣――電を始めとする暁型と、朝潮型に古鷹型、北上・大井の雷巡コンビも送り出した。

 後は、最も人数が多い最後発の、自分たちが乗るだけ。

 

 

「もう、行くの……?」

 

「仕事が待ってるからね。これ以上、横須賀は開けられないよ」

 

 

 目の前に、肩を震わせ、俯き加減の母さんが立っている。親父と中吉、小助も。

 

 

「ありきたり、だけど……っ。身体には、気を、付けて……」

 

「うん」

 

「怪我、しないように、ね。でも、したらちゃんと、休む、こと。いい?」

 

「分かってる」

 

「それ、から……っ」

 

「……母さん?」

 

 

 何か、込み上げるものを堪えるように、母さんが口元を覆い隠す。

 沈黙は重く、誰一人、口を開こうとはしない。

 ややあって、母さんは大きく深呼吸。背筋を伸ばし、毅然とこちらへ向き直り――

 

 

「ごべんやっばぎぼちわるいぃ……」

 

「あぁあぁ、だから無理することないって言ったのに……」

 

「はいはーい。お母様、新しいエチケット袋よー」

 

「ありがどう村雨ちゃおろろろろろろろろ」

 

 

 ――すぐさまマーライオンと化した。

 待機していた村雨から予備のエチケット袋を受け取っては、胃の中身を吐き出していく。

 とことん、感動的なsomethingとは無縁な家族だこと……。

 酒好きなのは良いけど、弱いんだから調子乗るなってば。昨日の「脱げー!」も、出来上がった母さんの仕業だったし。恥ずかしいよ……。

 

 

「鳳翔、さん……? うちのバカ息子の世話、よろしくね……。放っておくと、絶対ダメになる、から……っ」

 

「はい。承りました。……けれど、あの、本当に大丈夫ですか?」

 

「大丈夫、よ……! ここで倒れたら母親の名折れだもの……っ。あぁ、にしても霞ちゃんが心配だわ……。

 長太に厳しくしてくれるよう頼んだけど、押し倒されたりしたらキチンと金的できるかしら……」

 

「おい。将来の孫の数が減るぞ」

 

 

 自身が醜態を晒しているにも関わらず、余計なお世話だけは欠かさない。

 二日酔いの癖に、どこまで行っても母親だ。というか押し倒さんわ。

 

 

「姉さんたちは? やっぱり来られない?」

 

「……厳しい、そうだ」

 

「そっか。まぁ、二度と会えない訳じゃないし。よろしく伝えといて」

 

「ん……」

 

 

 顔を背けていた親父に尋ねると、携帯のメールを確認したらしく、横に首が振られた。

 二十人近くがたむろする構内だが、大姉と小姉の姿はない。

 それぞれ、己の家庭を持つ身。優先すべきはそちらなのだから、仕方ないだろう。

 寂しい気持ちを置いて、自分は弟たちへ向き直る。

 

 

「中吉、勉強しっかりやれよ。さもないと、“俺”みたいなブラック稼業にしか就けなくなるからな」

 

「いや、兄さんの環境って垂涎の的だと思うけど。ま、こっちはこっちで、なんとかやってくよ。まずは彼女への言い訳考えなきゃ……」

 

「ん? 言い訳?」

 

「あのねー。昨日カノジョと電話中に、白露姉ちゃんたちがうっかり話しかけちゃって、シュラバなんだってー」

 

「……なんか、本当にゴメン」

 

「良いよ。オレも不注意だったし、嫉妬されるくらいには好かれてる証拠だって思うから。とにかく、元気で」

 

「おう。小助、風邪ひくなよ?」

 

「うん! 大兄ちゃん、お仕事がんばれー!」

 

 

 途中で微妙な空気が漂うも、中吉とは軽く拳を合わせ、小助とは全力ハイタッチ。

 要らぬ苦労を掛けてしまったみたいだけど、中吉なら自力でなんとかしてしまうんだろう。小さい頃から器用だった。

 大人になるのはもう少し待って欲しいが。弟に先を越されるとか悲しいんで。

 小助は是非このまま、素直に育って欲しい。そして、自分が味わえなかった虹色の学生生活を謳歌して欲しいものだ。

 最終的に男友達オンリーの青春とか、楽しいけど灰色だもんね……。

 

 なんて考えていると、列車到着を告げるアナウンスが流れ始めた。

 間も無く、四両編成の旧式電車が滑り込んでくる。ドアが開いても降りる客はおらず、横一列のロングシートだってガラガラ。

 自分たちが乗り込めば、すぐにでも発車するだろう。

 

 

「じゃ、行くよ。親父、母さん。何か困った事があったら連絡してくれ。自分がなんとかするから」

 

「なに一丁前な口をウォエップ……。あ、アンタの方こそ、ちゃんと手紙の返事書きなさい! いいわね!」

 

「また、飲もう」

 

「……うん。行って参ります!」

 

 

 一番乗りする白露を始め、乗車し始めるみんなを横目に、改めて両親と対面。

 顔色は悪いけど、悲しみは全く感じない笑顔。言葉少なに、クイっと空気のグラスを傾ける仏頂面。

 なぜだか、とても晴れやかな気持ちにさせられ、軍服を着ているつもりで敬礼し、自分も車輌へ。

 車掌の警笛。閉まるドア。ゆっくりと移ろい始めた景色。

 手を振って見送る家族に、みんなも窓へ張り付いて、大きく手を振り返していた。

 適当な場所に腰を下ろすと、立ったまま、小さく手を振っていた鳳翔さんが話しかけてくる。

 

 

「如何でしたか、ご実家は」

 

「うん? ……そうだな。休んだ気はしないけど……安心できた、かな」

 

「なかなか居心地が良かったクマー。でも、多摩は連れてこない方が良さそうクマ? 畳がヤバいクマー」

 

「だねー。あと、柱も気を付けないとね。多摩ちゃんに畳をバリバリやられちゃったらタマんないもん……とかどう? どう?」

 

「白露ちゃん、鬼怒さんの座布団、一枚取っちゃうっぽい!」

 

「了解! ……とはいえ、無いから取ったふりー」

 

「わーい取られたー!」

 

 

 座席では、球磨を始めとする統制人格たちが、楽しげにはしゃいでいた。

 普通なら叱りつける所だけど、他に乗客も居ないし、目を瞑ってもらおう。

 ……いや。楽しげと言ったが、対面側の利根は物足りなさそうだ。

 

 

「吾輩としては、お主の姉上殿に会えなかったのが心残りじゃな。聞いた限りでは、ずいぶんと破天荒らしいからのう」

 

「悪い意味で、だけどな。今回は大した無茶振りされなくて助かったよ、ホント」

 

「私も会ってみたかったわ。那智姉さんと似てる人なんて、滅多に見れないもの。ねぇ羽黒?」

 

「ん、と……。少し、興味があるような、ないような……」

 

「私は違う意味で会ってみたかったなー。中吉くんからは提督の面白い話を聞けなかったし」

 

「聞いてどうするつもりだ村雨」

 

「ふふふー。ひ・み・つ」

 

 

 足柄がその意見に追随し、羽黒は困った顔だが、怖いもの見たさも感じているらしい。

 村雨には握り拳を見せつけるも、笑顔で「きゃー」と怖がる振りをするだけ。

 何を企んでるんだか知らんが、会わない方が良いと思うけどねぇ、下品な那智さんなんて。

 そんな仲間の姿を見て、妙高と時雨は苦笑いを浮かべる。

 

 

「帰ったら、書記さんに謝らないといけませんね」

 

「そうだね……。ほとんど事後承諾で飛び出してきたから、きっと向こうは大変な騒ぎだろうし」

 

「う~ん。遠征とかは、もともと年末を開けられるように組んでたから、そっちは大丈夫だろうけど。書類仕事は増えそうだ……」

 

 

 きっと今頃、横須賀で書類作成マシーンになってる書記さんを偲び、溜め息の三重奏が奏でられた。

 まだクリスマスは来てないけど、たぶん始末書で忙殺されるだろうし、大晦日までに片付くかどうか。

 出来れば、年越し蕎麦くらいゆっくりと……。最近入った新人軽巡、夕張が居ない所で食べたい。

 何故か食べ物の好みがかち合い、うどん・そば闘争、薬味戦役、きのこ・たけのこ戦争を経て、「提督の好きなメニューのデータ、ぜぇーんぶ揃えて見せます!」と、飯時に張り付かれて鬱陶しいのである。気が休まらん。

 

 

「アタシはゆっくりしたいなー。ここのところ、クマ・レンジャーとしての活動が多くて、統制人格なの忘れちゃいそう……」

 

「まぁ、大変ですわ。ゆっくり休んでくださいね、阿武隈さん。今度は、実際にお客様を呼んでヒーローショーを開くつもりですから」

 

「三隈? それ本業じゃないんだからね。程々にね、程々に……」

 

 

 同じく、くたびれた阿武隈も休みが欲しいようだが、三隈興行の次回公演は近いらしい。

 最上の忠告も聞こえておらず、「グッズ展開も考えてあります!」と目を輝かせては、他のクマ・レンジャーをゲンナリさせている。

 いい迷惑なんだろうけど、あれだけのおひねりを生み出すヒーローショー。個人的には興味が湧いてきた。

 上手くファンを獲得できれば、定期公演で副収入がガッポガッポ。青葉と詳細を煮詰めなくちゃ……。ぐふふ……。

 

 

「あら……? ……えっ。て、提督? なんだか、やけに自己主張の強い方々が……」

 

「へ? どうしたんだ、筑摩」

 

 

 ――と、取らぬ狸の皮算用をしていた時である。

 ゲンナリしつつ景色を眺めていた筑摩が、何かを見つけて指差した。

 彼女の示す方向を目で追うと、そこには。

 

 

「ブッ!? だ、大姉と小姉!?」

 

 

 復刻版スーパーカブにタンデムする二人の姉が、電車と並走していた。

 運転は大姉で、小姉は携帯片手にニコニコ笑っている。二人ともハーフヘルメットだ。そして自分の携帯が震えている。

 みんなも気付いたらしく、片側へ集中。利根や足柄が「ほほう、あれか」「どっちも顔は似てないわね」と口々に言う。

 見送りに来ないと思ってたら……!

 

 

「何してんだよっ、スピード違反、てか危ない!」

 

『はっ、レディース上がりをナメるな! この位、お茶の子さいさいだっ』

 

『長太ちゃんを見送れないことの方が、よっぽど大問題だもの~』

 

「……ったく、電話で済むだろうに、もう……っ。分かったからスピード落とせ! 事故ったら旦那さん方に会わす顔がなくなるっての!」

 

『お前こそ良いから聞け! 大事な事だ!』

 

 

 大急ぎで携帯を取り、道交法違反を注意するも、減らず口は止まらない。

 余りの迫力に黙り込んでしまうと、大姉はまっすぐ前方を見つめ、小姉に携帯を持ってもらい、風のノイズに負けないよう、叫ぶ。

 

 

『この先なにがあろうと、どんな立場に置かれようとも、私たちはお前の姉で、お前は私たちの弟だ!』

 

『だから~、いつでも帰ってきて良いからね~? 待ってるからね~』

 

 

 ずくん、と。

 その声を聞いた瞬間、胸が大きく脈打ち、温かさと共に鎮まっていく。

 言葉にされなくても、分かりきっている事だった。

 でも、言葉にされると……どうしようもなく嬉しくて。

 勝手に頬を緩ませる感情を、こちらも声に乗せて返す。

 

 

「また、帰ってくる。絶対に帰ってくる! ……だからちょっとは自重しろバカ姉共ぉ!」

 

『だぁれがバカだぁ! 帰ってこんかったら承知せんぞっ!』

 

『またお土産よろしくね~。あ、そうそう。ご町内の皆さん、坂田くん以外は最初から知ってたって~。そっちの方も任せて~?』

 

「はぁ!? なんだそりゃあ!?」

 

 

 最後に、今までの苦労を無に帰す情報を残して、姉たちはフェードアウトしていった。

 最初から……って事は、シンスケのオバさんも、ドラッグストアのバアちゃんも、魚屋のオヤジさんも、米屋の未亡人さんも、肉屋の幼馴染みも。“桐”なのを知りつつ、今まで通りの反応をしてたのか?

 能力者の“桐林”ではなく、この町で生まれ育った“長太”として。

 てか、何故にシンスケだけ仲間外れ? あいつ口軽いから? それともアホだから? 頭が混乱してきた……。

 

 

「――はは。あっはははははは!」

 

 

 ……けれど。

 どうにも笑いが堪え切れず、座席に座り直して腹を抱えてしまう。

 変な目で見られるかと思ったが、どんな話だったのかは察してくれたようで、みんなの顔にも笑みが浮かんでいた。

 むず痒い。

 

 

「バカな姉だろう? ホント、誰に似たんだか……」

 

「その割に提督、めっちゃくちゃ嬉しそうじゃん? ……賑やかで、良い人たちだったね。鈴谷また来たいなー」

 

「機会があればな。ここまで来たら、今回来られなかったみんなにも、いつか会ってもらうか」

 

「それも一興ですわね。神戸牛と松坂牛と近江牛を用意して下さるなら、わたくしもお付き合いしましてよ? 一度、食べ比べしてみたかったんですの」

 

「肉食系ってレベルじゃないぞ、おい」

 

 

 眼前に立つ鈴谷・熊野と笑い合う間も、電車は進む。

 かつて日常を過ごした故郷から、戦を是とする横須賀(せんじょう)へ。

 しかし、自らの寄る辺を確認した今、心はいつになく軽かった。

 帰りを待ってくれる人が居る。

 この事実が、これから先を戦い抜く力になってくれると。

 自分は、そう信じようと思った。

 

 

 

 

 

「また寂しくなっちゃったわね……」

 

「……そうだな」

 

「ね。もう一人くらい家族増やす?」

 

「い、いや。それはマズいだろう。……あ、拒んでる訳では、なくてだな」

 

「ふふふ、分かってますよー。あーあ、ダイエットでもしようかしらねー」

 

(エチケット袋を処分してきたら、いい歳した父と母がイチャついてました。超気不味いです。今夜は耳栓して寝なきゃ……)

 

(僕、妹ほしいなー)

 

 

 


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