新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と闇の強襲

 

 

 

 キィィン――と、頭の中で高音が鳴り響いている。

 それは痛みを感じるほど強く、視点がグルグルと定まらない。

 ただ、誰かに腕を引っ張られる感覚と、遠火で炙られているような感覚があった。

 

 

「――かりしなさい、桐林提督!」

 

「……ぁ、う……。先輩?」

 

 

 涼やかな声が、自分の事を叱りつけていた。

 軍人モードの先輩。

 おかげで朦朧としていた意識がハッキリし、周囲の状況をやっと飲み込める。

 

 

「待ち伏せ……じゃない、追い込まれたのか……っ」

 

「あぁ、そうらしいね。敵は高度な訓練を受けているようだ」

 

 

 自分たちは今、炎上するリムジンの裏に隠れつつ、その延長線上を移動していた。

 前輪部分までが完全に消し飛び、運転席も。秋山とかいう人は、おそらく即死。

 すぐ側に、青い顔で震えている主任さんと、彼女の肩へ手を置く疋田さん。さらに木曾と霞が護衛についていた。

 遠くから、逃げ惑う一般市民の声も。市街地……しかもオフィスビルが立ち並ぶ一角。走る車の数が減った分、脚で移動する人は増えている。

 巻き込まれないよう、逃げるのだって容易ではない。

 

 

「雪風、敵の数は?」

 

「……多分、十六人ほどで――ひゃっ」

 

 

 甲高い銃声。

 左端で指折り数える雪風が、慌てて右に一歩飛び退く。コンクリートが二~三秒に渡って削られ続けた。

 実弾だ。自分の身柄を確保したいんじゃなくて、殺すつもりなのか? もしくは、銃弾を浴びせても即座に治療できる設備が、あのトレーラーにあるのか。最悪、死体だけでも確保できればいいのか。

 ……今になって、手が震えてきた。

 そんな時、トレーラーとは反対側から、身を低くする摩耶たちがこちらに戻ってくる。

 

 

「凛のアネキ! 言われた通り、後ろの連中は黙らせてきたぜっ」

 

「武器も一丁だけ確保しましたけど、本当に他は壊してしまって良かったんですか?」

 

 

 どうやら、自分が気を失っている間、先輩の指示で行動していたらしい。

 摩耶が指差す先には、後方から迫っていた例のセダンが二台。一台は天井をこちらへ向けて横倒しになっている。即席のバリケード代わりには十分だ。

 自分より細く見える腕だが、艤装状態の統制人格であれば、歴史の重み自体を力とするように怪力を発揮する。おそらく摩耶たちがひっくり返したのだろう。

 着衣で手足を縛られた人影も転がっている。余裕があったら一人くらい逮捕したいとこけど、無理は禁物か。

 鳥海の腕には銃が抱えられていた。ベルギー製のパーソナル・ディフェンス・ウェポン(PDW)を発展させた物。厳しく生産が管理され、裏社会では滅多に出回らない代物である。

 セダンの後ろへ滑り込みながら、二人を「ご苦労様」と労った先輩がそれを構え、空に向けて引き金を引く。

 銃声はなかった。代わりに大きな舌打ちが聞こえる。

 

 

「ちっ、やっぱり。生体認証が掛かってる」

 

「……って事は、裏のコピー品じゃないって事ですか? ライセンス品には搭載義務があるって聞いたことが……」

 

「うん。軍の横流し品って段階じゃない。支援を受けているんだろう」

 

「そんな……。な、なんで、こんな事に……」

 

 

 疋田さんと先輩の会話を聞き、主任さんが更に顔を青白く、一層震えを大きくした。

 このご時世、先進国で使われる全ての銃には、本人以外が使用できないようにプロテクトが掛けられるのが一般的だ。静脈認証とか、指紋などを組み合わせて。

 一方、裏で売買が行われる銃にそんな邪魔な物は掛けられない。掛けるとしても、よほど大きな犯罪組織のトップを守る、私設兵団くらいだろう。

 ニューエイジ系団体や、色物宗教からも破門された連中、行き過ぎた環境テロリストなどが使えるものではないはず。

 だが現実に、ここにある。正式な配備手続きを行える人間が、かの組織を後援しているという証拠。そんな所にまで潜り込んでいるのか……っ。

 

 

「兵藤大佐っ、敵がリムジンを越えました!」

 

「おや。まぁとにかく、頭数を減らさないと……ね!」

 

 

 雪風が声を上げる。会話の間に、敵がリムジンを回り込んできていたのだ。

 先輩はPDWから弾倉を引き抜き、セダンの端に移動してから、反対側の端へ投じる。

 銃声が重なるのと同時に、身を乗り出して拳銃を向け、プシュン、と消音器を通したような音が幾度か。再びセダンに身を隠す。

 

 

「二人減った。しかし、助けようともしなければ動じてもいない。いやはや、本当にマズいね……」

 

「せ、先輩? それ、噴針銃……」

 

 

 彼女が手にしているのは、磁気加速させた極細の針を射出する、最新技術の粋を集めた無音噴針銃だった。

 一定の硬度を持つ物体――抗弾プレートなどで無効化できるが、繊維を織り上げるタイプの防具は逆に無効化し、極めて殺傷能力が高い。軍人でも携帯には特別な許可が必要だ。

 それを躊躇なく使い、事も無げに“減った”と。自分の知らない先輩が居た。

 

 

「ああ、殺したよ。私には君を守る責任がある。義務がある。その為ならどんな敵でも撃とう。……軽蔑するかい」

 

 

 一瞬だけこちらに目を配り、また先輩は敵へ集中する。

 距離の把握に化粧用のコンパクトまで使う姿は、軍人として正しい姿勢なのだろう。

 這い寄ってくる“死”の気配に怯える自分とは、かけ離れている。

 だが、どうして軽蔑なんて出来るのか。誰かを守ろうと自らの手を汚す女性を、どうして。

 

 

「しません。それだけは絶対に、しません」

 

「……そっか。君という男は、全く」

 

 

 言葉にして伝えても、先輩は振り返らない。

 けれど、漏れ聞こえる溜め息から、この状況にはそぐわない暖かさを感じられる。

 自分も戦わなければ。戦って、無事に電の……みんなの元へ帰らなければ。

 

 

「割り込んで済まないが、悠長に話している暇はなさそうだぞ」

 

「今、俺たちで水偵を上げた。包囲しながら近づいてくるな……」

 

 

 ウノの時とは違い、非常に落ち着いた表情の長門が、木曾と現状を報告してくる。

 使役距離の制限はあるが、艤装の一部として顕現する航空機でも、上空からの視点を得られる。遮蔽物の向こうの情報は有り難い。

 さっそく水偵に意識を向けると、見下ろす道路を、セダンへ真っ直ぐ向かってくる人影が六人。回り込むように、ゆっくり左右へ展開する四人のグループが二つ見えた。

 

 改めて位置情報を整理しよう。

 横倒しになったセダンを中心とし、零時方向に敵が六人、奥を塞ぐリムジンとトレーラー。

 右手には幅の広い対向車線があり、左手には歩道と、車がすれ違うのがやっとの、脇へ逸れる細い道路。

 前は論外。右へ行くにしても自殺行為に近いだろう。

 となれば、残された道は一つ。疋田さんが控えめに挙手した。

 

 

「あの、ここから例の病院って近いですよね。あそこって確か、陸軍の屯所が並列されてたと思うんですが」

 

「それを言おうとしていた所さ。いい目の付けどころだ。長門君、頼みたい事がある」

 

「聞こうか、兵藤殿」

 

 

 思い出してみると、怪我の功名か。その細い道路は、例の病院への近道でもあった。リムジンでは通れなかったが、人の足なら問題ない。

 しかし、回り込まれてしまえばそれも不可能になってしまう。戦闘において、巧遅は拙速に如かず。迅速に行動しないと。

 

 

(ねぇ、ちょっと)

 

 

 二言三言、作戦内容を確認し合う先輩たちの後ろで、不意に霞が話しかけてくる。

 行動予定を小耳に挟みながら首をひねると、難しい顔で彼女は続けた。

 

 

(変な意地張って、無理に戦おうとしたりしないでよね。その為に私たちが居るのよ。分かってる?)

 

(……分かってるさ。足手まといにしかならないからな。いざという時が来るまでは、援護だけに留めとく)

 

(そうじゃなくって! ……ぁあもうっ、バカ! 行くわよっ)

 

 

 何が不満なのだろう、霞は強く吐き捨てて腕の連装砲を構える。

 同時に、三本あるスモークグレネードの内、二本が零時と三時方向に投げられた。

 

 

「やれ、長門!」

 

「……破ぁああっ!!」

 

 

 自分の声に長門が呼応。一人でセダンを横へ引きずる。

 脚を狙われないため、あえてコンクリートを擦るように。ギャリギャリと不快な音が響き、摩擦で火花が散った。

 無数の銃弾が飛び交う中、なんとか脇道へと潜り込み、その入り口へセダンを放置。道を塞ぐことで時間を稼ぐ。

 あとは何度か道を曲がり、大きな道路へと出たら、病院は目の前だ。屯所の兵たちに助けを求められれば……。

 

 

「……!? 嘘、やだ、なんでこんな時に、発作……がっ」

 

「えっ、ど、どうしたんですか主任さん?」

 

 

 ようやく一息つけるかと思った矢先、覚束ない足取りでなんとか走っていた主任さんが、急に崩れ落ちる。

 咄嗟に疋田さんが受け止めるも、ただでさえ青ざめていた肌は、生気が抜けてしまったような色合いに。

 発作? まさか主任さん、持病でも抱えていたのか?

 健康そうに見えたのに、今は苦しげな顔で胸を強く押さえ、短く浅い呼吸を繰り返していた。

 なおさら急がないと……! どんな病気だか知らないけど、軍病院なら適切な処置が施せるはず!

 

 

「マズいっ、止まれぇ!」

 

 

 そう思い、皆が脚を早めた途端、木曾が大声で制動を掛けた。

 流れ込む水偵の視界。前方の曲がり角。数人の人影。全身に抗弾プレートを配したボディアーマー。手にはPDW。

 たまたま近くにあった自販機二台を、先行していた木曾・雪風が横倒しに。影へ滑り込むのと、くぐもった銃声は同時だった。

 貫通……してない。缶ジュースに満たされた液体が受け止めているのか。いや、確かあれに使われる銃弾は、消音器を使うと貫通力が低下する仕様もあったような。

 とにかく命拾いはした。が、状況は最悪だ。

 

 

「また先回りされた? どんだけ用意周到なんだよアイツらっ」

 

「そんな、あの方向は、病院なのに?」

 

 

 もどかしい展開に摩耶は憤り、鳥海も動揺を隠さない。

 敵がやって来たあの方向は、自分たちが向かっている軍病院への道に続いている。上手くカモフラージュして通り抜けたのだろう。

 付近で起きた爆発に気を取られているだろうし、前方の敵は消音器を使用している。屯所の兵隊たちが気付くよりも先に、包囲される方が早いか。

 万事休す……。いや、戦艦用の艤装実弾は、いわゆる榴弾と同じ。敵に向かって撃たせれば突破可能だ。

 しかしその場合、長門に人殺しをさせる事に……。

 

 

(なんで、自分には何の力も無いんだ。どうして周りに頼ることしか)

 

 

 悔しかった。

 自分の無力さも然る事ながら、自分以外の誰かの手を汚す事で、事態を切り抜けられると。それが正しい選択だと判断できるようになった自分が、嫌だった。

 けど、迷っている暇はない。こうしている間にも、主任さんの容態は悪化している。滝のような汗を拭うことすら出来ていない。

 発作を抑える薬とか持っていそうなものだが、多分、リムジンが横転した時のドサクサで紛失したのだろう。でなければとっくに使っているはず。

 覚悟を決めろ。線を引け。自分は、軍人なんだから。もう、綺麗事だけじゃ守りきれない。

 

 

「……兵藤殿。敵は随分と着膨れているようだ」

 

「だが、物理衝撃を殺せるほどじゃ無いと見た。俺たちなら……!」

 

「致し方ない。新人君、前は私が。長門君と木曾君を借りるよ。疋田君、スモークグレネードを」

 

「は? ……ちょ!? 先輩なにを!?」

 

 

 ところが、長門への実弾装填命令より先に、またしても先輩が動いた。

 疋田さんから受け取ったスモークグレネードを前方へ投げると、後腰に隠していたらしい小刀を構え、長門・木曾と駆け出していく。止める暇もない。

 

 

「おい提督、後ろの連中はどうすんだよっ」

 

「距離が詰まって来ています。このままでは……」

 

 

 かといって、唖然とする暇も無かった。

 後方の曲がり角を伺っていた摩耶・鳥海が、さらなる追撃を知らせるのだ。二人の視界に、スモークを焚きながら近づく人影が……十以上ある。

 統制人格用の実弾は数えるほど。無装填時の空気砲は、制圧力はあっても射程が短い。

 自分の南部十四式カスタムは予備弾倉が三つ。疋田さんの9mmは、車内で見た限り二つ。

 先輩たちが白兵戦で前方を片付ける間くらいは、なんとか保つだろう。

 今度こそ、戦う時だ……!

 

 

「さっき言った事、忘れたの? アンタは戦わなくたって良いのよ」

 

 

 ――と、意気込む自分の手に、小さな手が重ねられた。

 霞。硬く、銃把を握りしめていた力が抜ける。けれど、逆に心は硬度を増す。

 戦わなくたって良い? こんな状況で、そんな甘えたこと、許される訳がないのに。

 

 

「……もうそんな事を言ってる場合じゃないだろう。撃たなければ撃たれる。ここで捕まれば、主任さんは!」

 

「だから! 命令しなさい、私たちに戦えって。私たちはね、アンタを守るために……アンタの手を汚さない為に居るの」

 

 

 意思を通そうと声を張るが、霞もまた譲らない。いつもの不機嫌そうな顔を、真剣な眼差しが引き締め、彩っていた。

 

 

「分かってるわよ、アンタがそれを良しとしないのは。

 でもね……。一人くらい居たって良いじゃない。

 とんでもなく馬鹿だけど、なんにも染まってない、綺麗な手をした軍人が居たって」

 

 

 言い終えると、彼女は強引に自販機をこじ開け、摩耶たちへ目配せ。無事な缶ジュースを投げ渡す。

 受け取った重巡姉妹が頷き、乗用車をひっくり返す豪腕で、敵に向け投げつけた。

 原始的だが、当たり所が悪ければ昏倒必至。空気砲よりも効果的な対抗手段かも知れない。疋田さんも「そんな手が」と驚いている様子だ。

 

 ……けれど、なんだろう。何かが違う。何かがズレて、噛み合わない。

 守ってくれようとしてくれている。先輩も、霞も。有り難いと思う。

 でも、何も出来ないのと、何もさせて貰えないのとでは、全然違うのに。ただ守られるだけなんて、嫌なのに。

 

 

(……あぁ、そうか。あの時の電も、こんな気持ちだったのか)

 

 

 不意に、桐生提督の見舞いの時を思い出した。

 守られるだけじゃなくて、守らせて欲しいと言ってくれた、電の言葉を。

 一方的に守られるというのは、こんなにも遣る瀬無いのか。

 手中の銃へ視線を落とす。

 引き金を引くだけで、誰かを害することができる武器。

 自分は、これを使いたいだけ? それとも、誰かを守るために仕方なく?

 後者だと思いたい。しかし、奇妙な疎外感がしこりとして胸に残る。

 これが霞の言った変な意地、なのだろうか。なんて……みっともない男。

 

 

「こっちは片付いた! みんな、移動するよ!」

 

 

 いつの間にか、先輩たちが煙の中から戻っていた。

 地面に向けて小刀を振るい、血糊を払っている。長門と木曾も、特に変わった様子は無い。

 自分を取り残すように、事態は流動し続ける。

 それでも、次に何をすべきかはキチンと理解できていて、身体が勝手に動いてくれた。

 疋田さんの助けを借りて主任さんを背負い、先輩たちの元へ。

 自分の感情なんて後回しだ。

 今はとにかく、軍病院に辿り着く事を優せ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《綺麗な手の軍人? バッカじゃないの》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 脳裏に、聞き覚えのない中性的な声が響いた、その刹那。先輩の背後が炸裂する。

 圧力。熱。何かが顔にぶつかる衝撃と、激しい痛み。

 この四つを最後に、自分の意識は、深い闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 爆風によって黒煙が晴れると、そこには異形の脚を持つ、小柄な人影が立っていた。

 コンクリートはクレーターのように抉れ、辺りには赤黒いペーストが散乱し、濃厚な鉄錆の匂いも漂う。

 高高度からの力場砲撃により、この惨状を作り上げた張本人は、しかし楽しげな様子でクレーターの坂を登る。

 

 

「全く、チャンチャラおかしいよね。……人間は、母親の血に塗れて産まれるっていうのに、さ」

 

 

 元々、兵藤の手に掛かっていた“木偶”はさておき。異形の視線の先には、倒れ伏すヒトカタと人間たちの姿があった。

 背中にコンクリートの破片を生やす兵藤。その向こうに目的の男と赤毛の女、オマケにもう一人、青い制服の女が。

 男から少し離れた場所で、霞と雪風、摩耶と鳥海が倒れている。長門、木曾は余波で消し飛んだのか、確認できなかった。

 力を入れ過ぎたかも知れない。異形は反省するフリをしつつ、黒いコートの裾を遊ばせ、蹄を鳴らして歩く。

 兵藤のすぐ側までくると、しゃがみ込んで小刀を拾い上げた。

 

 

「この存在比重……。本物の三笠刀か。ご丁寧に高周波振動加工まで。もしかして、僕への切り札だったのかな? 残念、無駄になっちゃった」

 

 

 手に持つと、見た目以上の重さと微かな振動が伝わってくる。

 皇國興廃在此一戦、と刀身に刻まれた小刀。日本海海戦にて偉大な勝利を挙げた戦艦、三笠の破損した砲塔を使って打たれた、三千振のうちの一振り。

 他の誰にも理解できない尺度ではあるが、間違いなく本物であると、異形は悟っていた。

 それを理解した上で……もはや二桁も残っていない貴重さと、歴史的価値を分かった上で、異形は三笠刀をへし折り、ゴミのように投げ捨てる。

 こんな、しみったれた過去の遺物より、優先したいことがあったからだ。

 

 

「ま、それよりも何よりも……。うん、ちゃんと生きてるね。偉い偉い」

 

 

 ぴょん、と軽いステップで数mを移動。異形が男の――桐林の髪を乱暴に掴み、呼吸を確認する。

 顔には一本の、大きくいびつな裂傷が走っていた。顎先から唇を通り、小鼻を避けて左頬、眼、眉、生え際まで。

 大きな破片は兵藤が盾になったようだが、身長差故に顔には当たってしまったらしい。かなり出血していた。

 けれど、この程度なら問題ない。持参していた瞬間止血剤を、無針注射器で桐林に撃ち込む。十秒と経たないうちに出血は止まるだろう。

 二十四時間以内に同じ注射を打つと、血栓が出来て脳梗塞や心不全を引き起こすから、それだけ注意しないといけない。後は、拠点へ帰る間に傷を消毒、仮縫いしなければ。

 この傷の深さ、失明している可能性もあるが、サイバー義肢嫌悪症という報告は上がっていないのだから、最悪、義眼でも埋め込んで……。

 まぁとにかく。完全に気を失っているけれど、死にはしない。死にはしないのだ。

 

 

「君はこんな事じゃ死なない。死ねやしない。君の背負った“モノ”が悪運として現れ、死を許してくれない。当然といえば当然の話だよね……ん?」

 

 

 異形は誰にでもなく、一人で喋り続ける。そうする事が癖になっているように。

 しかし、ふと気付いた。殺意……と呼ぶには程遠いが、敵意を向けられている。

 その方向に居たのは、駆逐艦の統制人格が二名。霞と雪風だった。

 

 

「……私の。私たちの司令官から、離れなさい……っ!」

 

「頭に狙いをつけてますっ。このままだと、ヒドい事になりますよっ!」

 

 

 霞は右手の、雪風はショルダーバック型の連装砲を構え、厳しい言葉を投げかける。

 実弾か空気砲かは判別がつかない。どちらにせよ、この距離なら有効射程か。

 よくよく見れば、彼女たちの後ろからも、摩耶と鳥海が睨みつけていた。

 追わせていた木偶を、缶ジュース戦法で無力化したようだ。全く、木偶らしい役立たず具合いである。思わず失笑してしまう。

 

 

「……はは。じゃあ返してあげる。ほぅら」

 

「え」

 

「なっ」

 

 

 桐林の腕を掴んだ異形は、悠々と彼を放り投げた。

 ぞんざい過ぎる扱いに霞たちが慌て、受け止めようと構えを解いてしまう。

 

 

「バァ」

 

 

 だが、瞬きほどの一瞬で、桐林と二人の間に異形が割り込んだ。

 それぞれの脇腹へ左右の拳がめり込み、振り抜かれる。

 

 

「がっ!?」

 

「ぁぐっ」

 

 

 霞がブロック塀を倒壊させ、雪風がビルの外壁に叩きつけられる頃には、桐林はまた異形の手中に収まっていた。

 摩耶の拳が固く握られ、鳥海の目は細く。そして、踏み出すのは同時。

 

 

「てんめぇ、何してやがる!」

 

「これ以上の狼藉は許しませんっ」

 

 

 ジュースの投擲は人質に当たると判断したか、重巡たちは肉弾戦を以って桐林を奪い返そうとする。

 けれど、顔面を狙ったジャブも、足払いも。関節を取りに行こうとしても、紙一重で回避されてしまう。

 肩に成人男性を抱えたまま、異形は二人掛かりの統制人格を翻弄していた。

 バックステップで距離を稼ぐ顔にも、余裕の笑みが浮かぶ。

 

 

「おおっと。無茶するなぁ。こっちには人質が居るんだよ?」

 

「――ならば、まずは手放して貰おうか!」

 

 

 そこへ、横合いから拳が一つ。姿を隠していた長門の正拳突きだ。

 空いた手での防御はなんとか間に合うものの、受け止めた衝撃が足元まで伝わり、コンクリートに新たなヒビ割れを生じさせる。

 消し飛んだと思っていた雑魚に不意打ちされ、異形にようやく焦りらしきものが見え始めた。

 

 

「ぐ……っ、長門級か、流石に重い……なんちゃって」

 

「何っ」

 

 

 ――が、それは単なる演技。余裕の現れでしかない。

 塞がった両腕の代わりに、コートの裾から“尻尾”が伸びていた。先端は船の艦首に似て、かつ、存在し得ない口が存在し、隙間から砲身が覗く。

 人の胴と同じ太さのそれが長門を巻き上げ、地面へ叩きつける。金槌を振るうよう、乱雑に。

 やがて、耕されて露出した砂利の中へと、長門は沈む。

 見るに耐えなくなったか、物陰に隠れていた木曾が突撃を仕掛ける。

 

 

「貴様ぁ! よくも――っ!?」

 

「うるさい」

 

 

 足元を狙う実弾の連射。大型狙撃銃と同等の威力はあるだろうが、異形の姿は不意に消える。

 顔に掛かる影。

 上へ跳躍したのだと木曾は気付くも、遅かった。鳩尾に蹄鉄が吸い込まれ、木曾がコンクリートをバウンドしていく。

 蹴りの反動を利用し、異形は残る重巡たちの方向へとまた跳躍。反応しきれない二人の延髄へ蹄を打ち込み、意識を刈り取る。

 最初の砲撃から五分足らずで、桐林の護衛は全てが沈黙した。

 

 

「全くさぁ、雑魚が群れ成して鬱陶しいったらありゃしない。さて、後は……あたっ」

 

 

 背中に、小石をぶつけられたような痛み。

 振り返った先には、女が居た。倒れた自販機の前で拳銃を構え、唖然と立ち竦む青い制服姿の女。

 まだ、ハエが居た。

 苛立ちを隠さず、異形が歩み寄る。

 

 

「と、止まりなさい、止まれ、来るなっ――ゔっ」

 

 

 パン、という軽い銃声が十四回。頭部、肺、大腿部と、狙いはどれも正確だったが、全くもって効かない。

 見る間に鼻面まで接近を許し、伸ばされた白い細腕が、女の喉を掴んだ。

 

 

「身の程を知れ、阿婆擦れが」

 

「あ、お゛、っ」

 

 

 長く苦しめるために、ゆっくり、ゆっくりと、女の身体を浮き上がらせる。

 逃れようと女が藻掻いても、万力で締められているように動かない。

 赤くなった顔は、足が完全に浮いた時点で紫に変わり始めていた。

 苦悶の表情からも、段々と力が抜けていくようだったが、なぜかそこに、疑問の色が混じる。

 

 

「その゛、顔、どこか、で……」

 

「……え」

 

 

 驚愕に目を見開いたのは、意外にも異形の方だった。

 首をへし折ろうとしていた手が緩み、おまけに頬まで緩んでいく。

 

 

「へぇ。へぇへぇへぇ。そっかそっかぁ」

 

「――っかは! げほっ、はぁ、は……?」

 

 

 繰り返し頷く異形を、女は困惑の瞳で見上げる。

 しかし、彼女を見下ろす顔は、嬉しそうに笑うだけ。

 

 

「気が変わった。殺さないであげるよ。その代わり、帰ってみんなに伝えるといい。この顔を。君の見た光景を。君たちから大事なものを奪った存在の事を」

 

 

 拾い上げた拳銃を、女の眼前でピンポン球ほどの大きさまで握り潰し、異形が背を向ける。

 抵抗する気も消え失せたのだろう。女はただただ、身を抱えて震えるだけ。

 

 

「さってとー、後は木偶に自爆させて帰るだけ……なんだけど」

 

 

 事は成った。この場にもう用は無い……はずだった異形だが、あるものが目に留まった。

 まるで隠されるように、自販機の影でうずくまる赤毛の女だ。

 

 

「は――はっ――は――」

 

 

 顔は汗と涙にまみれ、口元を泡で汚している。今にも死んでしまいそうなのが見て分かる。

 異形の耳には、滅茶苦茶なリズムを刻む鼓動の音が聞こえていた。

 異形の目には、女の後悔と、魂の色が見えていた。

 ……低強度能力者。使える。

 

 

「よっ」

 

 

 無造作に、異形は赤毛の女を持ち上げた。

 そのまま桐林とは反対側の肩へ乗せ、スキップでもしそうな、上機嫌な顔で歩き去ろうとする。

 まだ意識はあったか、赤毛の女が身じろぎした。

 

 

「やめ――て――離――して――」

 

「えー? 良いの、離しちゃっても。僕なら君を……」

 

「――っ!」

 

 

 か細い声に、異形は底意地悪くささめいた。

 他の誰にも聞こえない、蚊の羽音にすら消えそうな音量で。

 しかし、確実に赤毛の女へは届いていた。

 彼女の身体が弛緩したのは、気を失ったからか。抵抗が無駄だと悟ったからか。はたまた、異形の提案を受け入れたからだろうか。

 なんにせよ、用件は済んだ。これ以上留まれば面倒な連中が駆けつける。

 退散しようと異形が脚を動かす。

 

 

「さてさて。じゃあ今度こそ帰――んぁ?」

 

 

 しかし、数歩ほど歩いた所でまた邪魔が入った。

 異形の脚を横から掴んだのは、血と埃に塗れた霞だ。

 何処ぞから這ってきたのだろう、全く気付かなかった。

 脚に触れられたのが堪らなく不快だった異形は、身体の向きを変え、霞の頭を踏みつける。

 

 

「汚い手で触らないで欲しいんですけど。ほら、離せ」

 

「……イヤ」

 

「ワガママ言わないのー。パパはお仕事に行くんですよー。離さないと腕へし折るよー」

 

「それで、も、イヤ」

 

 

 子供に言い聞かせるような、小馬鹿にした口振り。

 けれど霞は怒りもせず、決して手も離そうとしない。

 

 

「守るって、約束したのよ……。これだけは、破るわけには、いかない……。だから、絶対に、イヤ!」

 

 

 足蹴にされて尚、睨み上げる目は、強い光を湛えていた。

 異形の背筋がわずかに粟立つ。

 気圧された。たかが駆逐艦のヒトカタごときに。

 

 

「ちっ、聞いてもいない事をベラベラと。これだから殺せない連中は面倒なんだ。でも、そうだな……」

 

 

 それを認めまいと、異形は思案する。このモヤモヤをどうやって晴らすのか。

 頭を踏み潰す。致命傷を受けた瞬間、ヒトカタは霊子として霧散する。つまらない。

 命懸けで守ろうとしている桐林を傷付ける。楽しそうだが、これは駄目だ。却下。

 もっと手短に、永続的なダメージを与えられる方法は。

 ……あった。一つだけ。

 

 

「まだ感情持ちを取り込んだ事は無いんだよね。……どうなるか、試してみよっか?」

 

 

 尻尾の先端――開口部が大きく開いた。人間など一飲み出来るほどに。

 鼻先へ涎が落ち、何をされるのかを想像して、霞は身を硬くする。異形の笑みが深く、華やいだ。

 これまで、異形は様々なものを食し、取り込んできた。

 だが、まだこの“口”を使った事はなく、感情持ちを取り込んだ事もなかった。

 どうなるのだろう。どんな味だろう。この身体は“また”変化するだろうか。とても、とても楽しみだった。

 

 だから、気付かない。

 背後で幽鬼のように立つ女に。

 その手にある小刀が、背中へ突き立てられるまで。

 

 

「ガッ――ァ゛!?」

 

 

 秒間数万回の微細振動により切断力・貫通力を増した刃は、容易く異形の肺を貫き、捻られる。青い血が喉を遡り、コートの黒と混じった。

 首を反らせば、兵藤の顔あった。己が鮮血で化粧をする、女狐の顔が。

 

 

「グ――ソがぁあっ!!」

 

 

 反射的に尻尾が暴れ回り、霞も、兵藤も、周囲をまとめて薙ぎ払う。

 声もなく吹き飛んでいくそれ等を確認してから、異形は身体をフラつかせた。

 

 

「三笠刀を、ふた振りも……? そうまでして殺したかった、いや、守りたかったのかい。油断、してた……」

 

 

 突き刺さったままの小刀を、尻尾を使ってなんとか引き抜き……それが限界だった。

 尻尾は萎縮していき、悪態を吐く余裕もなく、異形は跳躍。青い血痕を残し、トレーラー方面へ遁走する。

 遠ざかる気配を察知したか、倒れ伏していた長門や木曾が、後を追おうと奮い立つ。

 

 

「待て、提督を、返せ……っ」

 

「く……っぁ、武器、は、何か、武器は無いのか……っ、俺はまだ、戦える……!」

 

 

 人間なら即死する攻撃を受け、艤装はもちろん、服も身体もズタボロ。支えとなるは気力ばかりで、それも程なく尽きる。

 許容量を超えたダメージに、彼女たちの身体は薄く解けていき、霊子となって自らの本体――船へを帰っていった。

 残されたのは二人の女。死に体の兵藤と、重圧から解放された疋田だけ。

 

 

「ひ、兵藤提督、提督っ、しっかりして下さいっ」

 

「ぐ……かふ、あ゛……」

 

 

 やっとの思いで震える脚を制御した疋田は、血の池に沈む兵藤の側で膝をつく。

 横向きに倒れるその身体を、コンクリートの破片が貫いていた。先ほど吹き飛ばされたせいで、背中に刺さっていただけの破片が押し込まれたようだ。

 素人目にも、このままでは助からないと判断できる。

 

 

「彼、は……?」

 

「……申し訳、ありません。敵に、奪われました。主任さんも……。私、何も……っ」

 

 

 諦めきれない疋田が、どうにかしようと考えあぐねていると、兵藤が微かに口を開いた。

 目の焦点は合っておらず、異形を突き刺した時の、鬼気迫るものは感じられない。

 どうやら、あれは無意識下の行動だったらしいが、疋田が気付く由もなく、悲嘆に暮れる。

 だが、桐林が奪われたと知るや否や、兵藤の目に光が宿った。

 まるで、消える寸前の蝋燭のように。

 

 

「ひとつ、頼みたい事が、あるんだ。いい、かな」

 

「はい。でも、その前に止血しないと……」

 

「私なんかの、ことは、いいから。聞いて」

 

 

 本人も無駄だと悟っているのだろう。

 手当を施そうとして彷徨う疋田の手を、兵藤が握って押し留める。

 

 

「胸の、内ポケットに、携帯が、入ってる。彼を追って。

 軍を信じちゃダメ。どうしても、力が必要なら、間桐、提督を。絶対に、裏切ったりしない。

 私はもう、無理だから。彼を、助けてあげて」

 

「何を言ってるんですか!? 病院はすぐ近くなんです、助かりますからっ!」

 

「いいん、だよ。もう、いいの。痛いし、寒いし……疲れちゃった。ああ……」

 

 

 必死な励ましも届かず、兵藤は諦めの吐息を零した。

 顔に血の気は無い。呼吸の間隔も開き始め、温もりが冷めていく。

 

 

「ごめんね……。ごめんね……。けっきょ、く、私は、最後まで、独り善がり……」

 

「兵藤、提督……?」

 

 

 うわ言を呟く兵藤の瞳には、目の前に居る疋田ではなく、別の誰かが映っているようだった。

 重力に縛られて、一粒、二粒と落ちる雫。

 謝罪の言葉には、身を切るような後悔の念が――未練が宿る。

 そして。

 

 

「空が、狭いよ」

 

 

 わずかに首を動かし、脈絡のない言葉を残して、兵藤は全身を弛緩させた。

 疋田の手から指がすり抜け、まぶたが閉じていく。

 

 

「……っ! ダメ、ダメです、目を開けて下さい! 提督、提督っ! 兵藤、提と……っ、凛さんっ!」

 

 

 水を打ったような静寂の中、悲痛な叫び声だけが、無情に木霊する。

 兵藤 凛と呼ばれた女が最後に見た景色は、おそらく。

 灰色のビルの群れで削られる、欠けた空だった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「対応はどうなっておるか」

 

 

 吉田 剛志は、怒り肩で風を切りながら、三歩後ろで控える従者二人――航空戦艦、伊勢・日向の統制人格へと問いかけた。

 横須賀鎮守府地下にある簡素な移動通路。

 伊勢がタブレット型情報端末を操作し、日向は眉をひそめつつ答える。

 

 

「手筈通り……とは言えない状態です」

 

「ここに来て、例の三組織が連携の動きを見せています」

 

「……連携、とな」

 

 

 さほど驚いていないように見える吉田だが、その実、苦虫を噛み潰した心境だった。

 事態は想定していた中でも、最悪のパターンをなぞっている。

 然るべき対処は遅れ、情報が錯綜し、釣り糸も切れかけだ。このままでは餌を食い逃げされるだろう。

 

 

「把握しているだけでも七件、同時刻にテロ行為を確認しました」

 

「東京、神奈川、京都、長崎、鹿児島、大阪、青森。未確認のものを含めれば十五件に上ります。これを偶然と判断するのは愚物だけかと」

 

 

 伊勢が吉田の横へ並び、集められた情報の一部を見せる。

 各鎮守府や警備府近辺における爆発騒ぎや暴動、銃撃事件。桐生が眠るあの病院も、酷い有り様となっているらしい。

 今まで、互いの脚を引っ張り合い、牽制し合っていた反政府組織が、示し合わせたように犯行声明を出し、テロ行為に及んだ。

 同時多発テロ。憂いるべき事態だが、しかし、吉田は違和感も覚えていた。

 

 

(裏で糸を引く者がいる……。予想しておったが、この“洗練ぶり”はどういう事じゃ)

 

 

 これまで、表立って行動してきた反政府組織は三つ。

 超自然主義派団体 ジ・アース。

 元はニューエイジ系――西洋の物質的な価値観・文化を否定し、異質な物との融和などを重視する思潮から発生した団体だが、人類の理解の及ばない物……。深海棲艦の出現を、「上位存在の先触れ」と解釈。

 戦争状態にある政府を公然と批判しては、独自に接触を持とうとしている。

 大地母神教。

 いわゆる性魔術などを行う、怪しげな新興宗教を母体とする団体の分派だったが、ある日を境に自爆テロも辞さない過激派集団となった。

 類が及ぶのを恐れた本部が慌てて破門にするも、当日に本部は爆破され、以降、散発的に爆破テロを繰り返す。

 深海棲艦を「地球の自浄機能」と考え、軍施設へ爆発物を送付するなどのテロを行っている。内部に能力者を抱え込んでいるという情報もあり、精査が待たれていた。

 人類種淘汰推進委員会。

 二十一世紀初頭に台頭した環境テロリストの流れを汲み、極端な選民思想を根底に持つ。

 のちに活動の場を陸上へと広げ、過去、実験建設中だった日本のマスドライバーを破壊するなど、名を変えて続く“老舗”テロリストである。

 能力者を「悪魔憑き」と称し、戦争最初期の魔女狩りにも関わっているのではないか、と考えられている。

 

 いずれも度し難い、愚か者共の集まりであったが、しかし何かがおかしい。

 今回に限り、自らの意思で行動していないような……。そうせざるを得ずに行動しているような、そんな印象を吉田は受けるのだ。

 よほど優れた指揮官でも居なければ、寄せ集め集団の足並みは揃わない。どこからかボロが出るもの。だが実際に、こちらは手玉に取られている。

 この絵図を描いたのは誰か。難しい問題だった。

 

 

「梁島に連絡はつかぬのか」

 

「……はい。どの回線も、応答がありません」

 

「まさか、彼も?」

 

「いや、それは無かろう。あ奴が人間相手に遅れを取るものか。何某か、思惑があっての事であろうが……。裏目に出ねば良いがの」

 

 

 こういう時、一番頼りになるはずの梁島も、なぜか音信不通。

 桐林のように襲撃を受けたとして、彼ならば返り討ちにし、逆に情報を得る。心配無用であろうが、知恵を借りられないのは困った。

 この事態を想定しており、既に対応のため奔走しているならば、心強いのだが。

 大侵攻以来、人が変わったように力を求め、全てを一人で抱え込むようになった教え子の事が、個人的に心配でならない。

 

 

「とにかく、今は桐林じゃ。情報封鎖は」

 

「行われています。けれど、なにぶん街中です」

 

「押さえこめるのは二日が限度かと。彼の艦隊にも、私たちから直接伝えてあります」

 

「様子はどうじゃった」

 

「皆さん、酷く動揺していらっしゃいました。しかし、既に行動は開始しています」

 

「赤城殿が指揮を代行、あきつ丸殿のカ号などを使い、空母たちが上空からの索敵・追跡。

 天龍殿を始めとした運転技能習得者は、地上から。

 陸軍からも協力の申し出がありましたので、助力を頼んでいます」

 

「うむ。それで良い。ワシらも準備を進めるぞ。使う事は無いと思いたいが、念のため、“アレ”もな」

 

「はい」

 

「仰せのままに」

 

 

 頷く伊勢・日向の気配を背中に、吉田は歩く速度を上げる。

 謝罪も、罰も、全ては桐林を助けてから。自分の尻は自分で拭わねば。

 決意を新たにする吉田だが、話をしていると、ある事に気付いた。

 

 

「どうした、伊勢」

 

「……えっ」

 

「何か隠しておるじゃろう。日向の口数が多くなる時は、大抵おヌシの事を庇っておる時じゃからな」

 

「そ、そのような事は、無いのではないかと、存じますが、その……」

 

 

 吉田の指摘に、伊勢は言葉を失い、日向はしどろもどろな返事しか出来なかった。

 長い付き合いだ。このくらい理解できて当然なのだが、いつもの茶目っ気たっぷりな返しはない。

 二人の足が止まり、吉田も振り返る。

 妙に長く感じる沈黙の後、俯いていた伊勢が顔を上げた。

 

 

「桐林提督の襲撃現場付近にある監視カメラから、情報を抽出したのです。ですが……」

 

「今はまだ、私たちの所で――現場レベルで止めています。情報部にも、まだ」

 

「……うん?」

 

 

 端末を操作する伊勢の顔には、迷いが色濃く現れている。日向もまた、苦しげに表情を歪ませて。

 この様な顔を見たのは、吉田も初めてだった。

 軍務に忠実であるはずの彼女たちが、独断で秘匿するほどの情報。一体、如何様な物なのか。

 

 

「どうか、お気を強くお持ちになって下さい」

 

 

 差し出されたタブレット受け取り、監視映像を再生する。

 どこか、駐車場のような場所に停まる、ワンボックスカー。

 映ったのは桐林たちではなく、彼を影ながら護衛していたはずの部隊だった。

 その車へ歩み寄る、黒いフード付きコートを着た人物。遠目からの映像は荒く、脚部がいびつに歪んで見える。

 観音開きの後部ドアを開け放つと、人影は中へ飛び込み、しばらく車体の揺れが続いた。

 やがて、事が終わったのだろう。人影がまた姿を現し、後部ドアをキッチリ閉め、カメラの方へ歩き出す。

 鮮明になりつつ、徐々に下半身から見切れていく影。だが、完全に消え去る寸前、立ち止まる。

 カメラに気付いたのか、やや上を眺め。次の瞬間、真っ白な顔が画面一杯になり、映像は途切れた。

 

 

「――ぐ、ごほっ、ごふっ」

 

「剛志様!?」

 

「つかまって下さいっ」

 

 

 吉田はタブレットを取り落とし、床に手をついてむせ返る。

 まるでホラー映画のような映像に驚いたから、ではなかった。

 見覚えがあったのだ。

 忘れられようはずも無いのだ。

 あの顔は。

 最後の一瞬に映った、天真爛漫な、あの笑顔は。

 

 

「これも、報いか……。やはり、あれは“お前”だったのか……? “お前”は、ミナトを……」

 

 

 伊勢たちに両脇から支えられ、なんとか立ち上がる吉田。

 差し出されたハンカチで口元を拭い、顔をしかめて呟く彼は、酷く動揺していながら、確信を得たようだった。

 大物だ。想像もしていなかった……否、これこそを待ち望んでいたのである。

 なれば、今こそ奮う時。

 

 

「ワシにも、時間が無い。行くぞ」

 

「……はい。何処までも御供いたします」

 

「この身が塵に還る、その時まで」

 

 

 吉田は赤黒く染まったハンカチを握り締め、再び歩き出す。

 碌な物を残せなかった老人が、せめて禍根だけは残さぬよう。遠くない結末に向けて、歩き出す。

 残された時間は、短い。

 

 

 


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