そして、理解したからといって納得も出来ず、狼狽えながら疑問を零してしまう。
「ば、バカな、だって、じゃあ間桐提督は? それにどう見ても……」
「あっはは、まぁ普通そう考えるよね。あの戦いで皮膚を失った少年は地下へ籠り、以降、表舞台に一切出ようとしない、って。
それに、女になっちゃってるだなんて誰も思わないだろうし。だからこそ、僕は今まで生き延びられたんだけど」
軍服を脱ぎ、楽しそうな笑顔がまた隣へ戻る。
吐噶喇列島の少年提督、小林 倫太郎。
自分がその存在を知ったのは、座学での教訓のような形であり、詳しく調べたのは桐生提督に貰った本を読んでから。
能力者であれば誰でも、軍のデータベースにある
しかし、軍の内情を知る者は、この少年提督と、ある人物を重ね合わせて考える。幼くして軍役を強いられた天才と、決して表舞台に姿を現さない異才を。
即ち、顔を失った少年はそれでも戦い続け、“桐”を冠するまでに至った……と。誰が言うまでもなく、ましてや確認できる訳もなく。噂でありながら、それが真実だろうと目していたのだ。
「実はさ。君の考えも外れじゃないんだ。
間桐と呼ばれている男は、間違いなく小林 倫太郎でもあるんだよ。
いや、小林 倫太郎“から”生まれたんだ」
「……何?」
「アイツの過去、調べた事ある? まっさらだったでしょ。
まるで、最初から大人として産まれたみたいに。よぉーく考えてごらん。よほどの馬鹿じゃない限り、今ので気付けるよ。
言っとくけど、親子じゃないからね。穢らわしい」
なのに、目の前の深海棲艦は、自らがその少年提督だと嘯き、あまつさえ、どちらも真実だと言う。
間桐提督が、小林 倫太郎でもある……。小林 倫太郎から生まれた……。
確かに。褒められたことではないけど、知り合ってすぐ、間桐提督の過去を興味本位で調べた。自分の調査能力が低いのか、まるで情報は得られなかった。完全に、出自へと繋がる情報は消されていた。
だからこそ、その空白へ少年提督の情報を当てはめ、符合する部分を見つけて、勝手に納得していたのだ。
それが間違いであり、正しい。
二人の提督。過去のない男と、謎を突きつける敵。
双子ならあんな言い方はしない。親子でもないのに小林 倫太郎“から”生まれた。
そこから導き出せる、恐ろしい現実は……。
「間桐提督は、小林 倫太郎の……クローン?」
「ご明察! あいつはね。人類史上初の、人工傀儡能力者。
四千本近くの試験管を用意して、たった一例だけ成功したデザインチャイルドなのさ。
さぁ、ここから僕の一人語りが始まるよー。胸糞悪くなるだけだけど、強制的に聞かせるから諦めてねー」
パン、と柏手を打った
消息不明とされていた、かつての提督の足跡を、なぞるように。
「あの日。吐噶喇列島で全身を焼かれた僕は、医療技術の進歩のおかげで、からくも生き延びることが出来た。
見るに堪えない顔になったって思ってる人が多いだろうけど、皮膚の再建手術も成功してたんだ。
……でも、その代わりかな。僕は戦えなくなった。
統制人格と同調する事はおろか、増幅機器に座る事も、調整室へ入る事も出来なくなってた。
炎の匂い。血の匂い。自分の身体が焼ける匂い。する筈が無いのに、僕の鼻はそれを感じ取り、嘔吐しまくってたよ」
全身を焼かれる痛みを味わい、回復したのちも繰り返しそれを脳が感じ取る。
おそらくPTSD……。いわゆる、心的外傷後ストレス障害の類いだろう。
拷問を受けたに等しいのだから、それも当然。だが同情してはいけない。今、目の前で喋っているのは敵なんだ。
敵意を保つことを心掛け、自分は続く言葉に耳を傾ける。どうあれ、貴重な情報には違いない。
「ああ、可哀想な少年提督。しかし当時の軍に、役立たずを抱えるつもりなんか無かった。
膨大な医療費を掛けて治療したのに、戦うことも出来ない子供に与えられた役目はね……」
脚の向こう。ベッドの六時方向で、
勿体振って指をチラつかせた後、微笑みに影が差した。
「実験台だよ。僕は表向き、地下へ潜った事にされて、軍公認のモルモットにさせられたのさ」
「……は、はっ。冗談だろ。海軍が、そんな」
「海軍に限った話じゃないのに……。冗談だと思う?
思いたいならそれでも良いけど、僕と同じ境遇の人は大勢居たよ。老いも若きも、男も女も。流石に能力者は僕一人だったみたいだけども。
君だってその恩恵は受けていたはずさ。増幅機器も、精神増強剤も、賦活剤も。臨床試験無しに作れるはずがないじゃないか」
信じられない……信じたくない言葉に思わず反論してしまうが、返ってくる素っ気ない態度は、より真実味を強くする。
軍が、そんな事を? 戦えなくなった能力者を、実験台にするなんて……。
物語でならよくある話だと思うけれど、現実に、自分が属している組織がそれを行っているとは、信じられなかった。
もちろん、
「来る日も来る日も、よく分からない薬を飲まされ、身体を切り刻まれ……。地獄だったね。
食事は健康維持に必要なだけ。身体もほとんど成長しないまま、散々オモチャにされたんだ。
……ぁああっ! 思い出すだけで身の毛がよだつ! おゾマしイ阿婆擦レ共ガッ!!」
突如として激昂し、赤い妖気を纏う姿からは、混じり気のない憎悪を見て取れた。
あれが演技だとしたら……。いや、演技だなどと思えるはずがない。
この、肌が粟立つ感覚は。身をもって感じているこの殺意は、本物だ。
「はぁ……。はぁ……。そんな日々が長く続き、頭がおかしくなりかけても、僕は耐えた。
人形のように薄ら笑いを浮かべながら、逃げ出す事だけを考えて、その隙を伺ってた。
そしてあの日。雪が、埋め込み型の窓に吹き付けていたあの日。一人で、脱走したんだ」
荒い息遣いと、リズムの乱れた足音。
それが落ち着いていくのに合わせて、小さな部屋を満たす声も静かになり始める。
遠い目は、かつての逃避行を思い出すが故、だろうか。
「その研究所は海の近くにあったみたいでね。僕は、たまたま見つけた小さなボートで海へ出た。
寒かった。海の上では雪は降ってなかったけど、波が高くて飛沫を浴びた。
ろくに身体も鍛えてない、栄養失調寸前の子供が意識を失うのに、そう時間は必要なかったよ。
それで良かったんだ。一人で凍えて死ぬ方が、よっぽど、良かった……」
打って変わり、弱々しく自らを抱きしめる
そのまま自分の左側へ腰掛け、小さくベッドが軋んだと思ったら、穏やかな顔がこちらを見つめていた。
「でもね? 僕は意識を取り戻した。何か、温かいものに抱きしめられていた。
最初は連れ戻されたんだと思って暴れたけど、そうじゃなかった。僕は……深海棲艦の上に居た。
何度も叩き潰した重巡リ級の形、見間違えるはずもない。
それに、僕を抱きしめていたのはね。吐噶喇列島で沈んだはずの、僕の愛宕だったんだ。
髪も肌も白く染まって、眼は煌々と光っていたけど、間違いなく、愛宕だった。
涙が出たよ。ああ、迎えに来てくれた、って。これで、一人じゃないって」
吐き出された吐息に混じる、諦めと安堵を感じた。
死の際に現れた、かつての統制人格。同情してはいけないと分かっているが、しかし、自分が同じように仲間を失い、放り出されたとして。
最後と思った瞬間に、その子が抱きしめてくれたなら。救われた気がするだろうと、思ってしまう。
が、物静かに語っていた表情は、おどけたピエロの如く崩れる。
「ところがどっこい。現実はそう甘くないんです。
愛宕はただ海の上を彷徨うだけで、船内に食料なんてあるはずもない。四日もすれば、僕は餓死寸前に追い込まれたよ。
お腹が空いた。喉が渇いた。死にたい。殺して。どんなに懇願しても、愛宕は何もしてくれない。ただ抱きしめるだけ。
けど、不思議と憎みはしなかったな。所詮、ヒトカタなんだから。期待する方が馬鹿なんだ。そうして、僕は今度こそ諦めの境地に達し、這い寄る“死”を待っていた」
悲劇を喜劇に変えたいのか、
……ダメだ、感情移入するな。同情するな。もし自分だったら、なんて考えちゃダメだ。
運命を呪いたくなるような話でも、それは敵の話なんだ。自分を脅かす者の境遇に、哀れみを抱くんじゃない。
「ところがどっこいパート・ツー。意識が失われる寸前、僕の口に何か、液体が入って来たんだ。
それはね……。かき切った手首から滴り落ちる、愛宕の青い血だった。
生臭さなんて無かった。むしろ、果実の絞り汁のように芳醇で、甘味すら感じたね。
僕は夢中になってそれを啜り、いつの間にか眠りに落ちて。……気がつくと、“僕”が“愛宕”になっていた」
そんな事を考えている内に、一人語りは山場を迎えていた。
深海棲艦の血を飲み、深海棲艦になる。
確か、吸血鬼が似たような事をしていたような……。そうだ。真に自らの眷族を、仲間を増やす時、吸血鬼は己の血を、時間をかけて分け与えるという話だった。
吸血鬼なんて実在しない。ブラム・ストーカーのおかげで有名になった、物語の怪物に過ぎない。
けれど、自分は物語の中にしか存在しなかった、“力”を振るっている。一笑に付す事は出来なかった。
それが不満なのか、化粧っ気のないピエロは立ち上がり、両手を腰だめに顔を寄せる。
「ちょっとちょっとー、ここ突っ込むとこですよー。ま、事実なんで突っ込まれても困るんだけど。
もっと困ってたのはその時の僕かなー。半狂乱のまま艤装を振り回しては、疲れ果ててへたり込み、そこでようやく考え始めた。
なぜ僕は生きているのか。なぜ愛宕が現れたのか。なぜこんな身体になってしまったのか。なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ……」
疑問と共にそれは距離を詰め、微かに鼻をつく異臭――海水の腐ったような臭いに、自分は顔をしかめる。
どう思ったのだろう。
「結局なんにも分からなかったけどさ。湧き上がってきた感情はあった。……憎しみだよ。僕を散々に弄んだ連中へのね。
復讐するのは簡単だったなぁ。役に立ったのは僕の目だ。僕の……というか、深海棲艦の目はね。現実とはズレた世界を覗くことが可能だったんだ。
いわゆるオーラ視覚とか、キルリアン写真を拡張したみたいな機能だと思ってくれればいい。
分かりやすく言うと、霊子を見られたんだよ。恨み辛みで淀みきった、腐臭のしそうな黒い霊子が。
そう。それはあの研究所……第七百三十一号 日本国先進技術研究所、通称“技研”へ続いていた。記憶を頼りに海岸沿いを探したらすぐさ。
顔と皮膚を隠せば陸上でも活動できた上、身体能力は超人的だったしね。なんで深海棲艦って、地上を攻めないのか疑問に思ったもんですよ。
ね、リ級の艤装、分かる? 僕が人間だった頃には見えなかったけど、後輩君には見えてるんでしょ、深海棲艦の統制人格」
まるで、あっかんべー、とするみたく眼を示した後に、唐突な質問を投げられた。
反射的に記憶を探り、思い出してしまった事を吐き出さないのも気持ちが悪くて、なんとなく答えてしまう。
「あ、あぁ、えっと……。両手に、口と砲が一緒になったような艤装を……」
「そう! その艤装でね、バクッと何百人も喰い殺したんだ。いやー、クソ不味かった。よく考えたら、丸呑みだから文字通りクソも……。おえぇぇ」
くるくるくる。再びベッドの周囲を歩きながら、嘔吐の真似を。
軽薄だった。人を殺したにしては、あまりに態度が軽すぎる。
やっぱり、コイツとは相容れない。信頼なんか出来るはずがない。
「おかしいぞ。自分はそんな研究所知らない。そんな事件知らない。本当に存在したのか?」
「君が知らないのは当たり前だよ。上層部にも隠蔽されてたんだから。主導したのは、あの糞ジジイ……。吉田 剛志さ。
奴はこれらの事件を隠蔽する代わりに、今の地位を得たんだ。結果的に、だろうけどね。表沙汰になったら世界的な恥だもん。
ま、日本だけがこんな事をしてた訳がないんだけど。中国、アメリカ、ロシア、イギリス、ドイツ……。国も人種も関係ない、人は何処まで行っても、人なんだよ」
意を決した反論には、予想外の名前が返ってきた。それに込められた悪意の濃さにも、驚いてしまう。
中将に、そんな過去が……。いいやっ、信頼できないと思ったばかりなのに、何を信じかけてるんだっ。
嘘に決まってる。それらしい事を並べて、真実だと思わせたい、だけだ。
……本当に?
厳めしい足音を聞きながら、自分は。
視界を往復する異形の者を、揺れる瞳で見つめる。
「さて。復讐が意外と早く終わってしまった僕は、暇になってしまいました。有り余る時間をどう使おうか。毎日毎日考えます。
思いついたのは、この力……。失われてしまった傀儡能力と、自分の身に起こったことの解明です。資金や設備を得るのも簡単でした。
何せ、人間が追い求めるものと言ったら、昔から決まってるからね。
金も権力も永遠の命も。詰まる所は他者を凌駕する力。人は劣等感によって人たらしめられている。
技研の存在を知り、潰れた理由を察せる人間に、僕という存在そのものを示すとね。彼らは面白いように同じ反応を示したよ」
言葉にはされなかったが、予想は出来た。
それはかつて、自分も向けられた言葉だからだ。
能力に目覚めてから離れていった友人が、さり気なくを装って問いかけてきた言葉。
“どうすれば、そんな風になれる”
分かるわけがない。正直にそう答えても、彼らは嘘だと決めつけ、こちらを睨みつけて去って行った。
こればかりは、実感として知っていた。
そのせいで人間不信になりかけた時期もあったが、先輩の過剰な逆セクハラで何時の間にか回復していたから、吹っ切れていたのだ。
「そうなれば後は簡単。もっともな理由をつけて薬物付けにして、言う事を聞かせるだけですむ。
特に、意志の弱い人間に僕の血を飲ませると、犬みたく従順になってね? いやぁ、面白かったなぁ。あんまり濃いのを飲ませると死んじゃったけど。
それとね。今世界で流通してる人工血液。あれ、僕が自分の血液を元に再現した、深海棲艦の体液なんだよ?
色は違うし、不完全だけど、結構いい資金源さ。君が生きてるのも、実は僕のおかげだったりするんだよね」
「そ、んな……。深海棲艦の……?」
「ふふふ。良い顔するね、君。アイツが気に入ってたのも分かるよ。でも、驚くのはここからさ。
十分な資金力とセーフハウスを手に入れた僕は、本格的に能力の研究を開始した。一般から被検体を募集したり、時には誘拐したり。
強弱問わず、幾人もの能力者をこの目で見て、僕はある共通点を見出したんだ」
「……共通点」
模倣品とはいえ、自分の治療に深海棲艦の体液が使われた。
しかも、無理やり服従を強いるような、危険な毒から模倣された物を。
驚愕の事実に狼狽える暇もなく、また新たな、興味深い情報の存在を示唆される。
こちらが食いついたのを見取り、
もうここまで来たら、トコトンまで情報を引き出した方が良いか……。
「それは……。傀儡能力者を中心として、トンでもない量の黒い霊子――負の感情が渦巻いている事だった。
能力者はね、他者からの悪意の集束点みたいな存在で、世に渦巻く怒りや憎しみ、呪いを糧に力を振るっていたのさ。
少なくとも僕にはこう見えるんだ。おぞましく薄汚い呪詛が、能力者の魂を通り、濾されて、無垢なるヒトカタへと模られているように」
魂で、呪詛を濾す……?
世に遍く満ちる霊子は、人間の感情などに作用され、有形無形の力となる。
古から続いていた傀儡能力者“ではない”能力者は、自らの異能の原理をそう語ったらしい。
つまり、既に他者への呪詛という姿を取った霊子を、魂をフィルターとする事で再利用している、という事だろうか。
……実感が湧かない。
「傀儡能力者の多くは、戦闘でのフィードバック現象で命を落とす。幾ら注意していても、不意に発生するそれのせいでね。
引き起こしているのは他でもない。身体に、魂に溜め込みすぎた負の感情が深海棲艦を煽り、憎しみの連鎖反応によって自滅するんだよ。
自分の身で味わい、何度も目にしてきた。賭けてもいい。
余談だけど、この時の僕はもうリ級じゃなくなってた。
僕を深海棲艦だと思った艦隊に襲われたり、なんでか深海棲艦にも襲われたり。
それを返り討ちにしたりしてる内に、駆逐艦とか、雷巡とか、空母とか、戦艦とか。色んな船を“食べて”ね。
多種多様な深海棲艦の統制人格をごっちゃにしたような……ううん、全く新しい存在になろうとしてた。この顔を取り戻したの、つい最近なんだよ?」
ぐにー、と頬が引っ張られ、整っていた顔立ちはおかしな事に。
……能力に関しては、あくまで一説に過ぎないと考えておこう。無視するべきではない情報だけれど、信頼に値するとも思えない。
それより、海軍だけでなく深海棲艦にも襲われたというのが気になる。
双胴棲姫戦では共喰いすらしていたが、あれが全体の習性とは考えにくい。ならば、深海棲艦にとっても
唐突に現れたという堕ちた愛宕。血の受療。深海棲艦化。
どれもこれも、再現性のない突飛な状況に思えた。偶然の積み重ね。あるいは……運命の悪戯。いや、馬鹿らしい。何を考えてるんだ自分は。
それこそ突飛な考えに、自分は強くまぶたを閉じる。
左眼の痒みは、ジクジクとした痛みに変わり始めていた。
熱い。
「そんな折、僕はある情報を入手した。僕の遺伝子情報を使い、クローンを製造。人工生命に霊的能力が宿るのかを研究する連中がいるって」
「……まさか、技研?」
「その通り。僕が潰したはずの技研は、軍の支援を得て再建されていたんだ」
「中将は、それを……」
「……どうだろうね。知ってて黙認してたのか、知らされずにいたのか。分からない。分かりたくもない。
とにかく。僕はもう一度、技研を潰そうとした。本当は研究成果も全部潰すつもりだったんだけど……。一体だけ面白い魂を宿した奴がいて、見逃しちゃった。それが……」
「間桐、提督なのか」
「そう。対外的には二十代~三十代って事にされてるけど、アレの実年齢は十代前半。君より歳下なんだ。驚いた?」
軍主導による、技研の再建。そこで再び行われていた、非人道的な研究。
人の集まる組織だ。清濁併呑が当たり前だと思ってはいたが、これが事実だとすれば、濁っているどころの話じゃない。膿を抱えて腐りかけた、醜い痕だ。
ここを脱出したら、個人的に調べないと。何をされるか分かったもんじゃない。
それに、間桐提督の実年齢にも驚かされた。傍若無人で、欲望に忠実なあの振る舞いは、本当に子供だったから。気付けなかった……。
表に顔を出さなかったのは、彼の出自が原因だろうか。そもそも、特異な産まれ方をした彼が、どういう経緯で軍に入り、提督となったのか。謎は尽きなかった。
「実を言うと、見逃したというより、邪魔が入って見逃さざるを得なかったんだけど、どうでも良いから置いておこう。
技研で貴重な能力関係の情報を入手した僕は、それと今までの経験とを合わせ、いよいよ研究を実験段階に移した。
能力者が無意識的に負の感情を用いるならば、意図的に負の感情へと曝す事によって、能力者を生むことも可能ではないか、という仮説を下地にして。
ま、負の感情に曝された人間の全てが能力者になれるなら、全人類がとっくに能力者になってるだろうけど、僕が見た能力者は、漏れなく悪意の渦中に居たしね」
人工的に、能力者を産む。
言うのは簡単だが、それを実践できるかと問われたら、限りなく不可能に近い。
世界的に見ても能力者が優遇され、新たな存在の確保に躍起となっている、各国政府が証拠だ。
しかし、自然発生に任せるしかないそれを、人為的に産み出せるとなれば……。
天秤の傾きが、変わる?
「そこで僕は考えた。ただの悪意で足りないのなら、濃縮した悪意――呪いを打ち込もうと。
具体的には、励起振動に反応する、受容性に優れた経年物品へ、一定量の霊子を……無残な死を遂げた魂の“滓”を沈着させ、それを受け入れられるだけの人間へと渡し、影響を計るんだ。
魂を用意するのは簡単だったよ。人間のクローンなんて安く作れるし、僕の目は魂の所在を見られるんだから。ある程度まで成長させてグチュグチュっと……ね?」
どこからどこまでが本気なのか。目の前の外道はこう言ったのだ。
ただ殺すためだけに命を産み出し、弄んだと。罪悪感の欠片もない、満面の笑みで。
計測しか出来なかった霊子に、どうやって干渉したのかは疑問だけれど、通常とは違う方法で観測可能な眼を持っているなら、通常とはまた違う観点からのアプローチも可能だろう。
これだけの技術力、正しく使えば歴史に名を刻むのも夢ではない。それが、この邪悪さはなんだ。どれほどの悪意に曝されれば、ここまで歪む事ができるんだ?
繰り広げられる異質な価値観で、自分の身体には悪寒が走っていた。
だが、なおも続く弁論に、今度は背筋が凍りつく事になる。
「僕は、軍へと潜伏させていた子飼いの暗殺者と街へ出て、対象者を見繕った。意外なことに、簡単に見つかったよ。
神奈川。とある男子大学生。友人に囲まれ、困ったような笑みを浮かべる、ごく普通の男。
疑問に思ったよ。なぜこんな男が、と。でも、同時に直感もあったんだ。
コイツだ。コイツしかいない。コイツなら間違いないってさ。今ならそれも頷ける」
腕を組み、何度も何度も、頷きながら発せられた言葉。その内容は、覚えのある情景だった。
まだ一年ほどしか経っていない。
そうだ。あの日、あの人と出会った、駅前での出来事。
嘘だ。
「そして、その男は目論見通り、暗殺者の落としたある物品を拾い上げ……それに込められた呪いを全て吸い込んだ! まるでスポンジのように!
僕は歓喜したよ! 仮説は正しかった、僕は正しい!
経歴を調べて納得さ。その男は十年前のあの日、交通事故の永い眠りから目を覚ましたんだから! そう、あの日、あの時間に! 大侵攻が終結した直後にねっ」
徐々に高揚していく演説が、鼓動を早めていく。
ゴゥゴゥと、耳の奥がうるさい。左眼が痛い。
嘘だ。嘘だ。嘘だ。
そんなはずない。あれは偶然の出会いだ。仕組まれてなんか無いはずだ。
自分は暗殺者なんて知らない。交通事故なんて知らない。大侵攻と関わり合いになんて。
そう、必死に言い聞かせる自分の上へと、
見下ろしてくる顔は、情欲で炙られたように紅潮し、上体がせせこましく屈められた。
頬をくすぐる白い髪から。
濃厚な血の臭いと、汚水の臭いがした。
「あの時の直感が、今ではこの目に見える。しっかと感じられる。
ねぇ、後輩君。“君の中に居るのは誰だい”?
常人なら発狂するかも知れないだけの呪いを受け止め、君に傀儡能力を行使させているのは誰だい?
源兄ちゃんかな。伊吹かな。鞍馬かな。鞍馬と沈んだ深海棲艦かな。存在を抹消された、唯一の犠牲者である女の子かな。
そもそも、“君”は本当に“君”なの? その“誰か”が成り代わってるだけだったりして。
あぁ、あぁ、興味深いなぁ。知りたいなぁ。アハハハハハハハハハハ!」
ウットリと、愛おしそうに頬を撫でた後、“それ”は弓なりに身体を反らせ、狂人の如く笑い続ける。
おぞましかった。目を逸らしたかった。なのに、動けなかった。
出来たのはせいぜい、狼狽えながら強がってみせる事だけで。
「ふ、ふざけるなっ! 何を、何を言ってるんだ。なんだって言うんだ!?
自分は事故になんか遭ってない、十年前も普通に過ごしてた、自分は自分だ、自分はただの……っ」
「ただの? ただの人間? ただの元一般人? いいや違うね!
君は史上二人目の人工傀儡能力者さ! 僕の実験成果だ、僕がこの世に生きた証だよ? 喜んでよ。
なんの才能も持ち合わせていなかった凡人を、僕が“桐”に仕立て上げたんだ。
十年間眠っていた君の内部存在を、目覚めさせてあげたんだから。嬉しいだろう?」
「お、前は……っ! 人をなんだと思って……!」
身勝手過ぎる言い分に反論しようとするが、また近くなった腐臭に喉が詰まった。
興奮ゆえか、紫色の瞳が爛々と輝いている。
「君こそなんだと思ってるの? 人は尊い? 命は尊い? そんなもの! 自分を大切だと思ってほしい偽善者の戯言だ!
君がヒトカタ共に向ける優しさだって、自己愛からくる防衛本能さ。優しくすれば優しくして貰えるから。嫌われるだけの勇気が無いから!
たとえ裏切られたとしても、自分は善人だったと言い訳したいからだ! 判断力の無さを棚上げするためだ!」
「ちが、違う、自分はあの子たちを、あの子たちが大切だから……」
「そうだよねぇ。無条件に肯定してくれる、大切な自己肯定の道具だもんねぇ」
「違う、違う、違う違う違う!」
痛みも忘れ、大きく首を振って否定しようとしても、辛辣な言葉が耳にこびり付いて離れない。
自己肯定の為に、他の誰かへ優しさを向けている?
ふざけるな。違う。あの子達は、電は道具なんかじゃない。
自分はただ、笑っていて欲しいから……。
(……笑っていて欲しい? なんの為に。……自分が、笑っていて欲しい、だけ?)
必死で抗っているうちに、ふと、気付いてしまった。
笑っていて欲しい。それって結局、自分の為じゃないのか。
自分が安心していたいから、みんなに微笑みかけて欲しいから、そう思っているんじゃないのか。
一度考えが及んでしまえば、もう拭えなかった。自分自身への、疑念を。
誰かの笑顔を願う。
悪いことではないはずなのに、良いことだと胸を張って言えなくなっていた。
「僕にもまだ分からないんだ。なぜ君のヒトカタが、あんなにも感情豊かなのか。
二人目の君を作ろうとしても、一向に成功しないし。けどね。一つだけ確かなことがある」
揺らいでいる自分を他所に、
そして、天井を数秒ほど仰いでは、憐れみと侮蔑の込められた視線を落とす。
「この世の全ては無意味で無価値。最後にゃ消える泡も同然。
だから僕が与えてやった。意味を。価値を。存在意義を。
否定できる訳がないよね。八方美人な、養鶏場の長男君……?」
逆光で陰る微笑みには、逆らい難い魔力が宿っていた。
あぁ、そうだ。否定なんて出来るわけが無かったのだ。最初から理解していたじゃないか。
この力は、自分が産まれ持った物じゃないと。
この力が無ければ、自分は今でもあの町で燻っていたと。
名も無き養鶏場の長男に、なんの意味がある。なんの価値がある。“桐”を冠した能力者に勝る存在意義が、あるか?
自分の存在価値は、
「先輩、も。お前の……」
「うん。さっき言った、僕の子飼いの暗殺者。君を取り戻すためにも尽力してくれたよ?
君を育て、君を守り、君を監視して、君を裏切った。全て僕の命令通りに。
あ、兵藤 凛って名前は偽名だから。経歴も、戸籍も、全部ニセモノ。自前なのはあの顔だけかな」
「嘘、だ……」
「残念。真実は残酷なんだよ、いつだって。君も薄々気付いてたんじゃない? あの女には裏がある、ってさ」
「……ここに、居るのか」
「さぁ、どうでしょう? 教えてあーげない」
抵抗するだけの気力は残っていなかった。ワザとらしくおどけた顔に、最早なんの感慨も抱かない。
先輩が、裏切り者だった。出会いは最初から計画されて、何もかもが偽りだった。
逆セクハラに悩んだ日々も、叱咤激励されつつ訓練に励んだ日々も、下らない話をして笑いあっていた日々も。全てが虚飾の仮面を挟み、自分だけが一人で笑っていた。
まるで、道化の服を着せられた操り人形だ。
「何が、望みなんだ。こんな実験の先に、何を求めてるんだ」
「……はは。いいよ、そっちは教えてあげよう」
せめてもの反撃として、“敵”に主目的を問いかける。
数多の命を弄び、人生を狂わせた張本人は、大きく両腕を広げながら、謳う。
「僕の望みは、僕という存在を上書きすること。
負け犬を意味するようになった小林 倫太郎という名の意味を、書き換えることさ!
もう雌伏の時は終わりだ。君という成果を手にした、今こそが雄飛の時。
この世の常識を新たにする者として。人類を超越した存在として、僕は歴史の表舞台に返り咲く!
深海棲艦と人類のハイブリッド……。そう、“
右の拳を握り締め、雄々しい宣言と共に、
衰退し続ける人類を。それを助長する深海棲艦をも、過去の存在にするのだと。
狂気を感じた。狂おしいまでの孤独と、それを強いた世界への憎悪を。
「受け入れられる訳ない。能力者や統制人格ですら、まだ奇異の目で見られるっていうのに」
「そんなの些細な問題さ。統制人格が受け入れ難いのは、その恩恵が分かり辛いからだよ。
僕は違う。医療・機械技術の面で、人民の生活に直接影響を与えられる。悪霊ですら奉るこの国でなら、きっと大丈夫。
ダメならダメで、力に訴えればいいだけだし。影から僕の血で穢していくのも良い……やだ、騎乗位みたいな格好……。僕も今は女の子だからね。そこら辺はキチッとね……」
大人しく従えば良し。然もなくば、力尽くで従わせるのみ。
物騒という他にない宣言をしたかと思ったら、
もう、着いていけない。訳が分からない。
邪悪なのは間違いないのに、不意に見せる表情が少女そのもので、不安になってくる。
歪んだ人間とは、こうも支離滅裂なのか。自分も、歪んだ環境に放り込まれたら、こうなる可能性があるのかと。
「さて。せっかく君が手元に来た訳だし、色んなデータ取りをしようと思うんだけど、協力してくれる?」
「……お前に協力して、自分になんのメリットがあるっていうんだ」
「ははは。ま、そうだねー。無いよねー。時に、僕の社会的な影響力はもう分かってるよね」
にこやかな笑顔に対し、自分は鬱々とした心持ちで、剣呑な物言いを返す。
すると、大きな目がさらに細く、唇は裂けるように弧を描き……。
「君の上のお姉さんには、まだ幼い子供が居たっけ。可愛い可愛い、男の子と女の子の双子が。
それだけじゃない。下のお姉さんは新婚ラブラブだし、弟君たちは楽しそうな学生生活を送ってる。ご両親も未だにイチャイチャ……。幸せそうだよねー。……ホント、羨ましいくらいさ」
「……っ!? 貴様っ!!!!!!」
明確にして悪辣な、脅しを掛けてきた。
シートベルトと同じような仕組みなのだろう。伸ばそうとした手が鎖に阻まれ、ベッドへキツく縛り付けられる。
倦怠感も、痛みも、腹の底が煮える熱さに吹き飛んだ。
純粋な怒りを込めた視線に、しかし
「なぁんだ、お優しいだけのヘタレかと思ってたのに、そんな顔も出来るんじゃない。
良いよ、良いよ。怒りで歪んだ君の表情。……ゾクゾクしちゃう。僕ってヘンタイ? アハハ」
愉しんでいる。遊ばれている。
絶対に抵抗できない状態へと追い込んで、その反応に悦んでいる。
この瞬間、自分は悟った。この怪物は本気だと。ほんの気まぐれで、コイツは自分の家族に手を出すつもりだ。
襲撃を受け、家族には保護が向かっているはずだが、それもどこまで信じられるか。
親父、母さん、大姉、小姉、中吉、小助。ついこの間、会ったばかりの顔が浮かんでは消えていく。
自分のせいで、みんなが死ぬ。自分のせいで、みんなの幸せが壊される。
恐ろしかった。心の底から、怖かった。家族の喪失を使命感で誤魔化せるほど、自分はまだ軍人じゃなかった。
屈するしか、ない……っ。
「やめて、くれ……。協力、するから。家族にだけは……手を、出さないでくれ」
「あー、酷いなー。僕は羨ましいって言ってるだけなのにー。でも、協力的になってくれて嬉しいよ」
まるで、反抗するペットを宥めるように。細い指が、愛おしそうに頭を撫でる。
吐き気がした。触れられた所から腐っていくようだ。
それでも、家族の命を握られては、どうしようもなかった。
今だけだ。きっと、自分の仲間が助けに来てくれる。絶対に来てくれる。
だから、それまで辛抱するんだ……!
「お腹空いたでしょ。今、食べる物とか持ってくるよ。飢えるのって辛いもんね。……そうそう、忘れる所だった。君の左眼、やっぱり潰れてたよ」
「……は?」
他人を散々オモチャにして気が済んだのか、スキップでもしそうな様子で部屋のドアを開けた
左眼が……何? 潰れ………………。
「ひーだーりーめー。あと、顔にも傷が残っちゃったんだよねー。
ま、どっちも僕のせいなんだけどさ。今は治癒剤を固めたボールが入ってるんだ。
後でもっと高性能な眼を用意してあげるから、それで許してねー」
左手で己の左眼を示した後、遅刻の詫びでもする気軽さで、異形の足音が遠ざかって行く。
思考が取り残され、静けさを取り戻した部屋の中、自分はシミひとつない天井を見上げる。
痛みが、ぶり返してきた。
「違う……。自分は……。違う……。違う……っ」
喉が勝手に呟く言葉は、なぜだか、自分でも弱々しく聞こえた。
ゆらゆら、ゆらゆらと。世界が静かに揺れている。
自分は今、底無し沼の上に横たわっている。
そんな気がした。
会いたい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
横須賀。桐林艦隊宿舎地下のこじんまりした部屋では、数人の女性が押し黙っていた
一人目は、壁際に設置された機械群――暗号通信機器を操作する、書記の少女。
部屋の中央では、簡素な机に着く赤城と、背後に控える陸奥、そして電が。
居心地悪そうに肩身を狭くして、赤城の斜め前に座る疋田が、最後の一人だ。
(……どうしよう。この空気。もうお家帰りたい……なんて言えるわけないよね……。約束したんだから。私が、助けないと……)
一瞬、何もかも投げ捨てて逃げ出したくなってしまう疋田だったが、すぐに気を取り直す。
常識的に考えれば、即刻憲兵隊へ突き出されても文句は言えない立場。
それを、吹雪や赤城を始めとした皆は、信じてくれた。何より、兵藤との約束を破る訳にはいかないのだから。
とは思っても、何もしないで待つというのは思いの外辛く、疋田はもじもじと腰が落ち着かない。
そんな時、書記の指が急に忙しなく動き始めた。数秒後には振り向かずに「繋がりました」と一声。
無言で頷いた赤城は、机の中央に置かれていた映像通信端末を、ぎこちなく操作する。
「もしもし」
『……俺だ。桐林んトコの赤城、だな』
「はい。お久しぶりです、間桐提督」
青一色の画面にはSOUND ONLYの文字。スピーカーが伝える合成音声は、佐世保で静養中の間桐の物だった。
疋田を事情聴取した結果、赤城は彼の助力を得た方が良いと考え、秘匿回線での会談を申し込んだのである。
時刻は夜半過ぎ。拉致から十二時間以上が経過している。
『こっちも割と危ない橋渡ってんだ、単刀直入に行くぜ。……疋田とかいう女が言ってたのは、この写真のガキに似てんのか?』
以前に戦場で聞いた声よりも硬質な響きを伴い、画面に変化が起きる。
映し出されたのは、一枚の集合写真だった。
軍艦を背景に、手前側を向く初老の男性と、若い男女が一組に、少年が一人。そして、彼らに向かって歩いていると思われる、軍服の後ろ姿。計五人が写っている。
若い男は髪が長く、誰が見ても美男子だと評するであろう。しかし、顔が引きつっていた。
隣の女は表情が硬い。が、よく見ると、自分の尻を触ろうとする若い男の腕を捻っている。
白髪混じりの初老の男性は、そんな二人を見て苦笑いを浮かべている。若かりし吉田 剛志だ。
そして、頭に手を乗せられ、吉田の隣で不機嫌そうな表情を浮かべる、間桐が言う所の子供。初等教育を終えるか終えないかといった年頃に見えるが、成長が遅いのか、幼い顔立ちはまだ少女にも見える。
後姿の人物はよく分からない。
赤城が端末の向きをズラし、それを確認した疋田は大きく頷いた。
「はい。これとは違う写真ですけど、間違いありませんっ。……でも、どうして間桐提督が、こんな写真を?」
『聞いてるのはこっちだ。能力者でもないテメェが、どこでこの顔を見やがった。答えろ』
何の気なしにした質問へは、恐ろしく威圧的な声が返る。
心臓が縮こまる痛みを感じながら、しかし黙っているなんて選択肢を選べる訳もなく、つっかえながら疋田は記憶を振り返った。
「わ、私は、横須賀で警備を担当していました。
その関係で一度、中将が不在の時に執務室へ立ち入ったことがあるんです。保安設備点検チームの一員として。
警報とか、圧力センサーとかを点検して、ついでに空気清浄機のフィルターも交換しようとした時、机に飾ってあったのが、この子を肩車する中将……っぽい人でした」
『ぽい?』
「いえあの、イタズラされたんでしょうね。ズレた帽子で顔が半分隠れちゃってたものですから。で、確か中将は親類がいないはずなのに、と思ったのを覚えてます」
『……チッ。ボケ爺が、あんなもん後生大事に飾ってんじゃねぇよ……』
答えに納得したようで、間桐は溜め息をつく。圧し潰すような威圧的は霧散していた。
ホッと胸を撫で下ろす疋田だったが、今度は横に生じた気配で心臓を跳ねさせる。
芳しい花の香りをまとい、柔和な笑みに迫力を宿す、陸奥である。
「ねえ、間桐大佐? 一体どういう事なのかしら。この写真、最初期の能力者の集合写真でしょう。
そしておそらく、この子が吐噶喇列島の……。私はてっきり、貴方がこの少年提督だって思っていたのだけれど。
たまたま提督を襲った敵が、たまたま貴方の幼少期と似た顔をしていた……なんて、出来過ぎじゃない?」
穏やかではあるが、有無を言わせぬ物言いに、間桐はだんまりを決め込む。
能力者の歴史を見る限り、後にも先にも、わずか十歳の子供が徴兵されたのは一例だけ。吐噶喇列島で重傷を負った、小林 倫太郎のみである。
桐ヶ森が十三の時に自ら入隊した時も、世論は大きく騒ぎ立て、当人がマスコミやら自称有識者やらを尽く論破するまで、それは続いた。
負傷後、彼は名誉除隊という扱いとなって消息不明になるが、しばらくののち、佐世保で異常な戦果を挙げる、顔を見せない男が話題となった。
吉田の肝入りであるとの噂以外、なんの情報も得られなかった周囲の人間は、漏れ聞こえる血液型や年齢、表に出たがらない性質などから推測し、彼は小林 倫太郎ではないかと囁き合ったのである。本人も否定しなかったのが大きい。
しかし、敵に……深海棲艦に同じ顔を持ち、明確な意思を宿す個体が現れたとなれば、話は変わってくる。
傀儡艦に堕ちる可能性があるのなら、彼女らと魂を繋ぐ能力者もまた、堕ちる可能性があると言えるだろう。
今回の敵がそうだったと仮定して、ならば今話しているこの男は、一体誰なのか。
もしくは、間桐がこの少年提督だったとして、同じ顔を持つ深海棲艦が、わざわざ身元を特定させようと振る舞った理由は。
どちらにせよ、間桐と今回の敵とに、なんらかの関係性があるのは明白。陸奥は潔白を証明しろと言っているのだ。
けれど、長い沈黙を破ったのは、馬鹿にしたような短い笑いだった。
『ハッ。俺の口からは絶対に言わねぇ。犯人がコイツだとしたら、桐林も同じ疑問を感じて、直接本人から聞いてるだろ。野郎を取り戻して、ヤツから聞きな』
「……信じろというのね? 素性の怪しくなった、顔も、声も晒そうとしない男を」
「陸奥さん」
流石に無作法が過ぎると、赤城は陸奥を窘める。
本来、指揮を代行する赤城が行わねばならない事を、陸奥は進んでやってくれている。内心では感謝もすれど、この場は上の者として振る舞うべきなのだから。
一方、間桐も頑なな態度を崩さない。
『それでも信じるしかねぇだろうが。敵がかつての能力者に関わる者だと分かり、兵藤が軍との関連性まで示した。
このままだと動けなくなるぞ。お前らは俺に縋るしかない。俺に頼るしかないんだ。分を弁えろや、バカたれ共』
尊大な言葉に、赤城と陸奥が目を細めた。
不快だったからではなく、彼が暗に肯定した内容について、である。
敵はかつての能力者。あるいはその関係者。そして、兵藤の言い残した「軍を信用してはならない」という言葉が、その通りだと言っているのだ。
即ち、間桐は敵の正体についてある程度の当たりを付け、それを取り巻く陰謀についても……。
ついでに、自分自身の身元が不確定である事と、そんな人物を頼らなければならない、赤城たちの現状も突き付けていた。
八方塞がり。
彼女たちの命運は、今、間桐と呼ばれる正体不明の男に握られているのだ。
『だが……。それだけじゃ不安なのも、信用できないのだって分からぁ。だからよ……』
しかし意外にも、間桐は自ら態度を翻し、言葉遣いからも険が取れる。
そして、躊躇うような一瞬を置き――
「天地神明なんかじゃねぇ。俺の、“ミナト”の名に賭けて誓ってやろう。
お前らの提督を攫ったのは、俺の敵だ。
だから桐林を取り戻し、アイツを倒すまで、掛け値無し、全力で後援してやる」
――若い男性の肉声が、スピーカーを震わせた。音声の加工を切ったのだと思われる。
よほど驚いたのか、その場に居る誰も、声を発する事はなかった。
互いに顔の見えない遠隔通信。この若々しい声が間桐の物であるという、確たる証拠は無い。
だが、もしこれが彼の肉声ならば。“ミナト”という名が、気位の高い“千里”の本名ならば。それは彼にとって、天地に勝る誠実な誓いなのかも知れない。
赤城が電を見やる。
逡巡する素振りはあったものの、数秒と経たずに電は大きく頷いた。
陸奥も諦めたように肩をすくめて見せ、困惑する疋田を他所に、共同戦線を張ることが決まったようだ。
「しかしだ。後援するたぁ言ったが、具体的なプランはあるんだろうな? それまでこっちにブン投げられても困るぞ」
「ご安心を。疋田さん」
あちらの顔は見えなくとも、赤城たちの表情は間桐へ伝わっている。
腹が決まったのを察したらしく、次は具体的な作戦を煮詰めようと話が振られた。
一つ、たおやかに微笑んだ赤城は、「なんだか私だけ場違いだなぁ」と縮こまる疋田へ端末を向け、慌てた彼女がとある携帯端末を取り出す。
「これ、兵藤提督の携帯なんですけど、限定的な
あの車の中で、桐林提督に渡した盗聴器の入ってない方のカフスボタン……。多分、あれに発信機でも仕込まれてるんじゃないかと」
「……盗聴器の入ってない方?」
「まぁ、兵藤提督ですから……」
真剣な話の最中へ混じるおかしな情報に、陸奥は「はて?」と首をかしげ、赤城も苦笑いを浮かべる。
トボけた言動の兵藤が、一体どこまで先を見通していたのか。考えても詮無い事だが、とにかく役立つ物を遺してくれた。活用しなければ。
ちなみに。骸骨鍵とは、電子制御された錠前に対するハッキングプログラムの俗称――いわゆる魔法の鍵である。
合い鍵やマスターキーという意味合いがあり、物理的な施錠には歯が立たないが、それ以外であれば、文字通り万能の効果を発揮する。
疋田はこれを使い、本格的な取り調べを受ける前に逃走を図ったのだ。猟犬プログラムの方は、GPSによる追跡を強化した物と考えれば良いだろう。
「詳しい仕様とかは後でご説明しますが、これを使えば……!」
「骸骨鍵だぁ? なるほど、な。通りでただの一警備員が逃げだせた訳だ。トコトンまで食えねぇ女だぜ……。分かった。必要な設備や車は俺が手配してやる。お前らは……」
疋田が表情を引き締め、間桐は兵藤の頼もしさに含み笑い。
奪還作戦の仔細が話し合われていく。
(司令官さん、待ってて下さい。今、電が助けに行きますから……!)
電もそれに参加しつつ、心で決意を固めていた。
いくら悲しみに暮れていても、彼は帰ってこない。
取り戻すために必要なのは、是が非でも意思を押し通す強さ。
大切な物を取り戻そうという、強い意志なのだから。
「……? これは……!?」
「どうなさいましたか、書記さん」
「通信信号に枝を付けられました! 割り込まれます!」
しかし、地下室が静かな熱気に包まれようとしていた所へ、緊迫する声が響いた。
書記が言い終えるよりも早く、写真を写していた映像端末の画面がチラつき始める。
枝を付けられた。諜報部に嗅ぎつけられたかと、息を飲む赤城たち。
けれど……。
「盛り上がってるとこ悪いんだけど、相乗りさせて貰うわよ」
映し出された顔は、覚えのある少女の物だった。
碧い瞳。頭頂部が茶色くなった金髪。桐ヶ森である。
拍子抜けしたのか、大きく息を吐く女性三名。残る一名の男は、再び加工した音声で文句をつけた。
『プリン頭……。テメェ、どっから嗅ぎつけやがった』
「忘れたのかしら? 私、天才なの。優秀な助手さえいれば、大抵のことはこなせるわ。例えばそれがクラッキングでもね。
っていうかアンタ馬鹿じゃない? あんなに重くて複雑な暗号化を走らせてたら、今まさに内緒話してますって宣伝してるようなものじゃない」
『……あ』
たった今、言われてようやく気付きました、と言わんばかりの間桐の声。桐ヶ森は頬杖をつきながら呆れ返る。
「とりあえず、ウロチョロしてた偵察プログラムには誤情報を掴ませてあるから、安心しなさい。全く、砲撃と開発以外はトコトン駄目ね」
『ぐっ……。う、ウルセェ! それより、テメェは無駄話しに来たのか!?』
間桐にもどうやら自覚はあったようで、気恥ずかしさを誤魔化すために大声を張った。
望む所だったのだろう。小馬鹿にしていた表情を整え、桐ヶ森が早速本題へ入る。
だが、その知らせは吉報ではなく、更なる混迷を思わせる、凶報だった。
「色々と説明しなきゃならない事はあるけど、まずは知っといて欲しい事。
……桐生と、桐生の霧島が姿を消したわ。あの軍病院から、跡形も無く」