新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と震える舌

 

 

 

 彼女(かれ)の言葉を理解するのに、自分はしばらくの時間を必要とした。

 そして、理解したからといって納得も出来ず、狼狽えながら疑問を零してしまう。

 

 

「ば、バカな、だって、じゃあ間桐提督は? それにどう見ても……」

 

「あっはは、まぁ普通そう考えるよね。あの戦いで皮膚を失った少年は地下へ籠り、以降、表舞台に一切出ようとしない、って。

 それに、女になっちゃってるだなんて誰も思わないだろうし。だからこそ、僕は今まで生き延びられたんだけど」

 

 

 軍服を脱ぎ、楽しそうな笑顔がまた隣へ戻る。

 吐噶喇列島の少年提督、小林 倫太郎。

 自分がその存在を知ったのは、座学での教訓のような形であり、詳しく調べたのは桐生提督に貰った本を読んでから。

 能力者であれば誰でも、軍のデータベースにある彼女(かれ)の写真を見ることができるのだ。退役軍人として扱われ、あの事件以降、消息は不明となっていた。

 しかし、軍の内情を知る者は、この少年提督と、ある人物を重ね合わせて考える。幼くして軍役を強いられた天才と、決して表舞台に姿を現さない異才を。

 即ち、顔を失った少年はそれでも戦い続け、“桐”を冠するまでに至った……と。誰が言うまでもなく、ましてや確認できる訳もなく。噂でありながら、それが真実だろうと目していたのだ。

 

 

「実はさ。君の考えも外れじゃないんだ。

 間桐と呼ばれている男は、間違いなく小林 倫太郎でもあるんだよ。

 いや、小林 倫太郎“から”生まれたんだ」

 

「……何?」

 

「アイツの過去、調べた事ある? まっさらだったでしょ。

 まるで、最初から大人として産まれたみたいに。よぉーく考えてごらん。よほどの馬鹿じゃない限り、今ので気付けるよ。

 言っとくけど、親子じゃないからね。穢らわしい」

 

 

 なのに、目の前の深海棲艦は、自らがその少年提督だと嘯き、あまつさえ、どちらも真実だと言う。

 間桐提督が、小林 倫太郎でもある……。小林 倫太郎から生まれた……。

 確かに。褒められたことではないけど、知り合ってすぐ、間桐提督の過去を興味本位で調べた。自分の調査能力が低いのか、まるで情報は得られなかった。完全に、出自へと繋がる情報は消されていた。

 だからこそ、その空白へ少年提督の情報を当てはめ、符合する部分を見つけて、勝手に納得していたのだ。

 それが間違いであり、正しい。彼女(かれ)はわざわざ、“から”と強調した。

 

 二人の提督。過去のない男と、謎を突きつける敵。

 双子ならあんな言い方はしない。親子でもないのに小林 倫太郎“から”生まれた。

 そこから導き出せる、恐ろしい現実は……。

 

 

「間桐提督は、小林 倫太郎の……クローン?」

 

「ご明察! あいつはね。人類史上初の、人工傀儡能力者。

 四千本近くの試験管を用意して、たった一例だけ成功したデザインチャイルドなのさ。

 さぁ、ここから僕の一人語りが始まるよー。胸糞悪くなるだけだけど、強制的に聞かせるから諦めてねー」

 

 

 パン、と柏手を打った彼女(かれ)は、ベッドの周囲をゆっくり歩き始める。

 消息不明とされていた、かつての提督の足跡を、なぞるように。

 

 

「あの日。吐噶喇列島で全身を焼かれた僕は、医療技術の進歩のおかげで、からくも生き延びることが出来た。

 見るに堪えない顔になったって思ってる人が多いだろうけど、皮膚の再建手術も成功してたんだ。

 ……でも、その代わりかな。僕は戦えなくなった。

 統制人格と同調する事はおろか、増幅機器に座る事も、調整室へ入る事も出来なくなってた。

 炎の匂い。血の匂い。自分の身体が焼ける匂い。する筈が無いのに、僕の鼻はそれを感じ取り、嘔吐しまくってたよ」

 

 

 全身を焼かれる痛みを味わい、回復したのちも繰り返しそれを脳が感じ取る。

 おそらくPTSD……。いわゆる、心的外傷後ストレス障害の類いだろう。

 拷問を受けたに等しいのだから、それも当然。だが同情してはいけない。今、目の前で喋っているのは敵なんだ。

 敵意を保つことを心掛け、自分は続く言葉に耳を傾ける。どうあれ、貴重な情報には違いない。

 

 

「ああ、可哀想な少年提督。しかし当時の軍に、役立たずを抱えるつもりなんか無かった。

 膨大な医療費を掛けて治療したのに、戦うことも出来ない子供に与えられた役目はね……」

 

 

 脚の向こう。ベッドの六時方向で、彼女(かれ)は一度立ち止まる。

 勿体振って指をチラつかせた後、微笑みに影が差した。

 

 

「実験台だよ。僕は表向き、地下へ潜った事にされて、軍公認のモルモットにさせられたのさ」

 

「……は、はっ。冗談だろ。海軍が、そんな」

 

「海軍に限った話じゃないのに……。冗談だと思う?

 思いたいならそれでも良いけど、僕と同じ境遇の人は大勢居たよ。老いも若きも、男も女も。流石に能力者は僕一人だったみたいだけども。

 君だってその恩恵は受けていたはずさ。増幅機器も、精神増強剤も、賦活剤も。臨床試験無しに作れるはずがないじゃないか」

 

 

 信じられない……信じたくない言葉に思わず反論してしまうが、返ってくる素っ気ない態度は、より真実味を強くする。

 軍が、そんな事を? 戦えなくなった能力者を、実験台にするなんて……。

 物語でならよくある話だと思うけれど、現実に、自分が属している組織がそれを行っているとは、信じられなかった。

 もちろん、彼女(かれ)が嘘をついている可能性だってあるが……。

 

 

「来る日も来る日も、よく分からない薬を飲まされ、身体を切り刻まれ……。地獄だったね。

 食事は健康維持に必要なだけ。身体もほとんど成長しないまま、散々オモチャにされたんだ。

 ……ぁああっ! 思い出すだけで身の毛がよだつ! おゾマしイ阿婆擦レ共ガッ!!」

 

 

 突如として激昂し、赤い妖気を纏う姿からは、混じり気のない憎悪を見て取れた。

 あれが演技だとしたら……。いや、演技だなどと思えるはずがない。

 この、肌が粟立つ感覚は。身をもって感じているこの殺意は、本物だ。

 

 

「はぁ……。はぁ……。そんな日々が長く続き、頭がおかしくなりかけても、僕は耐えた。

 人形のように薄ら笑いを浮かべながら、逃げ出す事だけを考えて、その隙を伺ってた。

 そしてあの日。雪が、埋め込み型の窓に吹き付けていたあの日。一人で、脱走したんだ」

 

 

 荒い息遣いと、リズムの乱れた足音。

 それが落ち着いていくのに合わせて、小さな部屋を満たす声も静かになり始める。

 遠い目は、かつての逃避行を思い出すが故、だろうか。

 

 

「その研究所は海の近くにあったみたいでね。僕は、たまたま見つけた小さなボートで海へ出た。

 寒かった。海の上では雪は降ってなかったけど、波が高くて飛沫を浴びた。

 ろくに身体も鍛えてない、栄養失調寸前の子供が意識を失うのに、そう時間は必要なかったよ。

 それで良かったんだ。一人で凍えて死ぬ方が、よっぽど、良かった……」

 

 

 打って変わり、弱々しく自らを抱きしめる彼女(かれ)

 そのまま自分の左側へ腰掛け、小さくベッドが軋んだと思ったら、穏やかな顔がこちらを見つめていた。

 

 

「でもね? 僕は意識を取り戻した。何か、温かいものに抱きしめられていた。

 最初は連れ戻されたんだと思って暴れたけど、そうじゃなかった。僕は……深海棲艦の上に居た。

 何度も叩き潰した重巡リ級の形、見間違えるはずもない。

 それに、僕を抱きしめていたのはね。吐噶喇列島で沈んだはずの、僕の愛宕だったんだ。

 髪も肌も白く染まって、眼は煌々と光っていたけど、間違いなく、愛宕だった。

 涙が出たよ。ああ、迎えに来てくれた、って。これで、一人じゃないって」

 

 

 吐き出された吐息に混じる、諦めと安堵を感じた。

 死の際に現れた、かつての統制人格。同情してはいけないと分かっているが、しかし、自分が同じように仲間を失い、放り出されたとして。

 最後と思った瞬間に、その子が抱きしめてくれたなら。救われた気がするだろうと、思ってしまう。

 が、物静かに語っていた表情は、おどけたピエロの如く崩れる。

 

 

「ところがどっこい。現実はそう甘くないんです。

 愛宕はただ海の上を彷徨うだけで、船内に食料なんてあるはずもない。四日もすれば、僕は餓死寸前に追い込まれたよ。

 お腹が空いた。喉が渇いた。死にたい。殺して。どんなに懇願しても、愛宕は何もしてくれない。ただ抱きしめるだけ。

 けど、不思議と憎みはしなかったな。所詮、ヒトカタなんだから。期待する方が馬鹿なんだ。そうして、僕は今度こそ諦めの境地に達し、這い寄る“死”を待っていた」

 

 

 悲劇を喜劇に変えたいのか、彼女(かれ)の仕草は、その一つ一つがオーバーで、そら寒い。

 ……ダメだ、感情移入するな。同情するな。もし自分だったら、なんて考えちゃダメだ。

 運命を呪いたくなるような話でも、それは敵の話なんだ。自分を脅かす者の境遇に、哀れみを抱くんじゃない。

 

 

「ところがどっこいパート・ツー。意識が失われる寸前、僕の口に何か、液体が入って来たんだ。

 それはね……。かき切った手首から滴り落ちる、愛宕の青い血だった。

 生臭さなんて無かった。むしろ、果実の絞り汁のように芳醇で、甘味すら感じたね。

 僕は夢中になってそれを啜り、いつの間にか眠りに落ちて。……気がつくと、“僕”が“愛宕”になっていた」

 

 

 そんな事を考えている内に、一人語りは山場を迎えていた。

 深海棲艦の血を飲み、深海棲艦になる。

 確か、吸血鬼が似たような事をしていたような……。そうだ。真に自らの眷族を、仲間を増やす時、吸血鬼は己の血を、時間をかけて分け与えるという話だった。

 吸血鬼なんて実在しない。ブラム・ストーカーのおかげで有名になった、物語の怪物に過ぎない。

 けれど、自分は物語の中にしか存在しなかった、“力”を振るっている。一笑に付す事は出来なかった。

 それが不満なのか、化粧っ気のないピエロは立ち上がり、両手を腰だめに顔を寄せる。

 

 

「ちょっとちょっとー、ここ突っ込むとこですよー。ま、事実なんで突っ込まれても困るんだけど。

 もっと困ってたのはその時の僕かなー。半狂乱のまま艤装を振り回しては、疲れ果ててへたり込み、そこでようやく考え始めた。

 なぜ僕は生きているのか。なぜ愛宕が現れたのか。なぜこんな身体になってしまったのか。なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ……」

 

 

 疑問と共にそれは距離を詰め、微かに鼻をつく異臭――海水の腐ったような臭いに、自分は顔をしかめる。

 どう思ったのだろう。彼女(かれ)はパッと身を引き、大仰に肩をすくめた。

 

 

「結局なんにも分からなかったけどさ。湧き上がってきた感情はあった。……憎しみだよ。僕を散々に弄んだ連中へのね。

 復讐するのは簡単だったなぁ。役に立ったのは僕の目だ。僕の……というか、深海棲艦の目はね。現実とはズレた世界を覗くことが可能だったんだ。

 いわゆるオーラ視覚とか、キルリアン写真を拡張したみたいな機能だと思ってくれればいい。

 分かりやすく言うと、霊子を見られたんだよ。恨み辛みで淀みきった、腐臭のしそうな黒い霊子が。

 そう。それはあの研究所……第七百三十一号 日本国先進技術研究所、通称“技研”へ続いていた。記憶を頼りに海岸沿いを探したらすぐさ。

 顔と皮膚を隠せば陸上でも活動できた上、身体能力は超人的だったしね。なんで深海棲艦って、地上を攻めないのか疑問に思ったもんですよ。

 ね、リ級の艤装、分かる? 僕が人間だった頃には見えなかったけど、後輩君には見えてるんでしょ、深海棲艦の統制人格」

 

 

 まるで、あっかんべー、とするみたく眼を示した後に、唐突な質問を投げられた。

 反射的に記憶を探り、思い出してしまった事を吐き出さないのも気持ちが悪くて、なんとなく答えてしまう。

 

 

「あ、あぁ、えっと……。両手に、口と砲が一緒になったような艤装を……」

 

「そう! その艤装でね、バクッと何百人も喰い殺したんだ。いやー、クソ不味かった。よく考えたら、丸呑みだから文字通りクソも……。おえぇぇ」

 

 

 くるくるくる。再びベッドの周囲を歩きながら、嘔吐の真似を。

 軽薄だった。人を殺したにしては、あまりに態度が軽すぎる。

 やっぱり、コイツとは相容れない。信頼なんか出来るはずがない。

 

 

「おかしいぞ。自分はそんな研究所知らない。そんな事件知らない。本当に存在したのか?」

 

「君が知らないのは当たり前だよ。上層部にも隠蔽されてたんだから。主導したのは、あの糞ジジイ……。吉田 剛志さ。

 奴はこれらの事件を隠蔽する代わりに、今の地位を得たんだ。結果的に、だろうけどね。表沙汰になったら世界的な恥だもん。

 ま、日本だけがこんな事をしてた訳がないんだけど。中国、アメリカ、ロシア、イギリス、ドイツ……。国も人種も関係ない、人は何処まで行っても、人なんだよ」

 

 

 意を決した反論には、予想外の名前が返ってきた。それに込められた悪意の濃さにも、驚いてしまう。

 中将に、そんな過去が……。いいやっ、信頼できないと思ったばかりなのに、何を信じかけてるんだっ。

 嘘に決まってる。それらしい事を並べて、真実だと思わせたい、だけだ。

 

 ……本当に?

 

 厳めしい足音を聞きながら、自分は。

 視界を往復する異形の者を、揺れる瞳で見つめる。

 

 

「さて。復讐が意外と早く終わってしまった僕は、暇になってしまいました。有り余る時間をどう使おうか。毎日毎日考えます。

 思いついたのは、この力……。失われてしまった傀儡能力と、自分の身に起こったことの解明です。資金や設備を得るのも簡単でした。

 何せ、人間が追い求めるものと言ったら、昔から決まってるからね。

 金も権力も永遠の命も。詰まる所は他者を凌駕する力。人は劣等感によって人たらしめられている。

 技研の存在を知り、潰れた理由を察せる人間に、僕という存在そのものを示すとね。彼らは面白いように同じ反応を示したよ」

 

 

 言葉にはされなかったが、予想は出来た。

 それはかつて、自分も向けられた言葉だからだ。

 能力に目覚めてから離れていった友人が、さり気なくを装って問いかけてきた言葉。

 

 “どうすれば、そんな風になれる”

 

 分かるわけがない。正直にそう答えても、彼らは嘘だと決めつけ、こちらを睨みつけて去って行った。

 こればかりは、実感として知っていた。

 そのせいで人間不信になりかけた時期もあったが、先輩の過剰な逆セクハラで何時の間にか回復していたから、吹っ切れていたのだ。

 

 

「そうなれば後は簡単。もっともな理由をつけて薬物付けにして、言う事を聞かせるだけですむ。

 特に、意志の弱い人間に僕の血を飲ませると、犬みたく従順になってね? いやぁ、面白かったなぁ。あんまり濃いのを飲ませると死んじゃったけど。

 それとね。今世界で流通してる人工血液。あれ、僕が自分の血液を元に再現した、深海棲艦の体液なんだよ?

 色は違うし、不完全だけど、結構いい資金源さ。君が生きてるのも、実は僕のおかげだったりするんだよね」

 

「そ、んな……。深海棲艦の……?」

 

「ふふふ。良い顔するね、君。アイツが気に入ってたのも分かるよ。でも、驚くのはここからさ。

 十分な資金力とセーフハウスを手に入れた僕は、本格的に能力の研究を開始した。一般から被検体を募集したり、時には誘拐したり。

 強弱問わず、幾人もの能力者をこの目で見て、僕はある共通点を見出したんだ」

 

「……共通点」

 

 

 模倣品とはいえ、自分の治療に深海棲艦の体液が使われた。

 しかも、無理やり服従を強いるような、危険な毒から模倣された物を。

 驚愕の事実に狼狽える暇もなく、また新たな、興味深い情報の存在を示唆される。

 こちらが食いついたのを見取り、彼女(かれ)はニィィ、と口角を釣り上げた。

 もうここまで来たら、トコトンまで情報を引き出した方が良いか……。

 

 

「それは……。傀儡能力者を中心として、トンでもない量の黒い霊子――負の感情が渦巻いている事だった。

 能力者はね、他者からの悪意の集束点みたいな存在で、世に渦巻く怒りや憎しみ、呪いを糧に力を振るっていたのさ。

 少なくとも僕にはこう見えるんだ。おぞましく薄汚い呪詛が、能力者の魂を通り、濾されて、無垢なるヒトカタへと模られているように」

 

 

 魂で、呪詛を濾す……?

 世に遍く満ちる霊子は、人間の感情などに作用され、有形無形の力となる。

 古から続いていた傀儡能力者“ではない”能力者は、自らの異能の原理をそう語ったらしい。

 つまり、既に他者への呪詛という姿を取った霊子を、魂をフィルターとする事で再利用している、という事だろうか。

 ……実感が湧かない。

 

 

「傀儡能力者の多くは、戦闘でのフィードバック現象で命を落とす。幾ら注意していても、不意に発生するそれのせいでね。

 引き起こしているのは他でもない。身体に、魂に溜め込みすぎた負の感情が深海棲艦を煽り、憎しみの連鎖反応によって自滅するんだよ。

 自分の身で味わい、何度も目にしてきた。賭けてもいい。

 余談だけど、この時の僕はもうリ級じゃなくなってた。

 僕を深海棲艦だと思った艦隊に襲われたり、なんでか深海棲艦にも襲われたり。

 それを返り討ちにしたりしてる内に、駆逐艦とか、雷巡とか、空母とか、戦艦とか。色んな船を“食べて”ね。

 多種多様な深海棲艦の統制人格をごっちゃにしたような……ううん、全く新しい存在になろうとしてた。この顔を取り戻したの、つい最近なんだよ?」

 

 

 ぐにー、と頬が引っ張られ、整っていた顔立ちはおかしな事に。

 ……能力に関しては、あくまで一説に過ぎないと考えておこう。無視するべきではない情報だけれど、信頼に値するとも思えない。

 それより、海軍だけでなく深海棲艦にも襲われたというのが気になる。

 双胴棲姫戦では共喰いすらしていたが、あれが全体の習性とは考えにくい。ならば、深海棲艦にとっても彼女(かれ)は敵なのか?

 唐突に現れたという堕ちた愛宕。血の受療。深海棲艦化。

 どれもこれも、再現性のない突飛な状況に思えた。偶然の積み重ね。あるいは……運命の悪戯。いや、馬鹿らしい。何を考えてるんだ自分は。

 

 それこそ突飛な考えに、自分は強くまぶたを閉じる。

 左眼の痒みは、ジクジクとした痛みに変わり始めていた。

 熱い。

 

 

「そんな折、僕はある情報を入手した。僕の遺伝子情報を使い、クローンを製造。人工生命に霊的能力が宿るのかを研究する連中がいるって」

 

「……まさか、技研?」

 

「その通り。僕が潰したはずの技研は、軍の支援を得て再建されていたんだ」

 

「中将は、それを……」

 

「……どうだろうね。知ってて黙認してたのか、知らされずにいたのか。分からない。分かりたくもない。

 とにかく。僕はもう一度、技研を潰そうとした。本当は研究成果も全部潰すつもりだったんだけど……。一体だけ面白い魂を宿した奴がいて、見逃しちゃった。それが……」

 

「間桐、提督なのか」

 

「そう。対外的には二十代~三十代って事にされてるけど、アレの実年齢は十代前半。君より歳下なんだ。驚いた?」

 

 

 彼女(かれ)は歩くのをやめ、ベッドの右サイドへ勢いよく腰を下ろす。

 軍主導による、技研の再建。そこで再び行われていた、非人道的な研究。

 人の集まる組織だ。清濁併呑が当たり前だと思ってはいたが、これが事実だとすれば、濁っているどころの話じゃない。膿を抱えて腐りかけた、醜い痕だ。

 ここを脱出したら、個人的に調べないと。何をされるか分かったもんじゃない。

 それに、間桐提督の実年齢にも驚かされた。傍若無人で、欲望に忠実なあの振る舞いは、本当に子供だったから。気付けなかった……。

 表に顔を出さなかったのは、彼の出自が原因だろうか。そもそも、特異な産まれ方をした彼が、どういう経緯で軍に入り、提督となったのか。謎は尽きなかった。

 

 

「実を言うと、見逃したというより、邪魔が入って見逃さざるを得なかったんだけど、どうでも良いから置いておこう。

 技研で貴重な能力関係の情報を入手した僕は、それと今までの経験とを合わせ、いよいよ研究を実験段階に移した。

 能力者が無意識的に負の感情を用いるならば、意図的に負の感情へと曝す事によって、能力者を生むことも可能ではないか、という仮説を下地にして。

 ま、負の感情に曝された人間の全てが能力者になれるなら、全人類がとっくに能力者になってるだろうけど、僕が見た能力者は、漏れなく悪意の渦中に居たしね」

 

 

 人工的に、能力者を産む。

 言うのは簡単だが、それを実践できるかと問われたら、限りなく不可能に近い。

 世界的に見ても能力者が優遇され、新たな存在の確保に躍起となっている、各国政府が証拠だ。

 しかし、自然発生に任せるしかないそれを、人為的に産み出せるとなれば……。

 天秤の傾きが、変わる?

 

 

「そこで僕は考えた。ただの悪意で足りないのなら、濃縮した悪意――呪いを打ち込もうと。

 具体的には、励起振動に反応する、受容性に優れた経年物品へ、一定量の霊子を……無残な死を遂げた魂の“滓”を沈着させ、それを受け入れられるだけの人間へと渡し、影響を計るんだ。

 魂を用意するのは簡単だったよ。人間のクローンなんて安く作れるし、僕の目は魂の所在を見られるんだから。ある程度まで成長させてグチュグチュっと……ね?」

 

 

 どこからどこまでが本気なのか。目の前の外道はこう言ったのだ。

 ただ殺すためだけに命を産み出し、弄んだと。罪悪感の欠片もない、満面の笑みで。

 計測しか出来なかった霊子に、どうやって干渉したのかは疑問だけれど、通常とは違う方法で観測可能な眼を持っているなら、通常とはまた違う観点からのアプローチも可能だろう。

 これだけの技術力、正しく使えば歴史に名を刻むのも夢ではない。それが、この邪悪さはなんだ。どれほどの悪意に曝されれば、ここまで歪む事ができるんだ?

 繰り広げられる異質な価値観で、自分の身体には悪寒が走っていた。

 だが、なおも続く弁論に、今度は背筋が凍りつく事になる。

 

 

「僕は、軍へと潜伏させていた子飼いの暗殺者と街へ出て、対象者を見繕った。意外なことに、簡単に見つかったよ。

 神奈川。とある男子大学生。友人に囲まれ、困ったような笑みを浮かべる、ごく普通の男。

 疑問に思ったよ。なぜこんな男が、と。でも、同時に直感もあったんだ。

 コイツだ。コイツしかいない。コイツなら間違いないってさ。今ならそれも頷ける」

 

 

 腕を組み、何度も何度も、頷きながら発せられた言葉。その内容は、覚えのある情景だった。

 まだ一年ほどしか経っていない。

 そうだ。あの日、あの人と出会った、駅前での出来事。

 

 嘘だ。

 

 

「そして、その男は目論見通り、暗殺者の落としたある物品を拾い上げ……それに込められた呪いを全て吸い込んだ! まるでスポンジのように!

 僕は歓喜したよ! 仮説は正しかった、僕は正しい!

 経歴を調べて納得さ。その男は十年前のあの日、交通事故の永い眠りから目を覚ましたんだから! そう、あの日、あの時間に! 大侵攻が終結した直後にねっ」

 

 

 徐々に高揚していく演説が、鼓動を早めていく。

 ゴゥゴゥと、耳の奥がうるさい。左眼が痛い。

 

 嘘だ。嘘だ。嘘だ。

 そんなはずない。あれは偶然の出会いだ。仕組まれてなんか無いはずだ。

 自分は暗殺者なんて知らない。交通事故なんて知らない。大侵攻と関わり合いになんて。

 

 そう、必死に言い聞かせる自分の上へと、彼女(かれ)が覆いかぶさるようにして跨がる。

 見下ろしてくる顔は、情欲で炙られたように紅潮し、上体がせせこましく屈められた。

 頬をくすぐる白い髪から。

 濃厚な血の臭いと、汚水の臭いがした。

 

 

「あの時の直感が、今ではこの目に見える。しっかと感じられる。

 ねぇ、後輩君。“君の中に居るのは誰だい”?

 常人なら発狂するかも知れないだけの呪いを受け止め、君に傀儡能力を行使させているのは誰だい?

 源兄ちゃんかな。伊吹かな。鞍馬かな。鞍馬と沈んだ深海棲艦かな。存在を抹消された、唯一の犠牲者である女の子かな。

 そもそも、“君”は本当に“君”なの? その“誰か”が成り代わってるだけだったりして。

 あぁ、あぁ、興味深いなぁ。知りたいなぁ。アハハハハハハハハハハ!」

 

 

 ウットリと、愛おしそうに頬を撫でた後、“それ”は弓なりに身体を反らせ、狂人の如く笑い続ける。

 おぞましかった。目を逸らしたかった。なのに、動けなかった。

 出来たのはせいぜい、狼狽えながら強がってみせる事だけで。

 

 

「ふ、ふざけるなっ! 何を、何を言ってるんだ。なんだって言うんだ!?

 自分は事故になんか遭ってない、十年前も普通に過ごしてた、自分は自分だ、自分はただの……っ」

 

「ただの? ただの人間? ただの元一般人? いいや違うね!

 君は史上二人目の人工傀儡能力者さ! 僕の実験成果だ、僕がこの世に生きた証だよ? 喜んでよ。

 なんの才能も持ち合わせていなかった凡人を、僕が“桐”に仕立て上げたんだ。

 十年間眠っていた君の内部存在を、目覚めさせてあげたんだから。嬉しいだろう?」

 

「お、前は……っ! 人をなんだと思って……!」

 

 

 身勝手過ぎる言い分に反論しようとするが、また近くなった腐臭に喉が詰まった。

 興奮ゆえか、紫色の瞳が爛々と輝いている。

 

 

「君こそなんだと思ってるの? 人は尊い? 命は尊い? そんなもの! 自分を大切だと思ってほしい偽善者の戯言だ!

 君がヒトカタ共に向ける優しさだって、自己愛からくる防衛本能さ。優しくすれば優しくして貰えるから。嫌われるだけの勇気が無いから!

 たとえ裏切られたとしても、自分は善人だったと言い訳したいからだ! 判断力の無さを棚上げするためだ!」

 

「ちが、違う、自分はあの子たちを、あの子たちが大切だから……」

 

「そうだよねぇ。無条件に肯定してくれる、大切な自己肯定の道具だもんねぇ」

 

「違う、違う、違う違う違う!」

 

 

 痛みも忘れ、大きく首を振って否定しようとしても、辛辣な言葉が耳にこびり付いて離れない。

 自己肯定の為に、他の誰かへ優しさを向けている?

 ふざけるな。違う。あの子達は、電は道具なんかじゃない。

 自分はただ、笑っていて欲しいから……。

 

 

(……笑っていて欲しい? なんの為に。……自分が、笑っていて欲しい、だけ?)

 

 

 必死で抗っているうちに、ふと、気付いてしまった。

 笑っていて欲しい。それって結局、自分の為じゃないのか。

 自分が安心していたいから、みんなに微笑みかけて欲しいから、そう思っているんじゃないのか。

 一度考えが及んでしまえば、もう拭えなかった。自分自身への、疑念を。

 誰かの笑顔を願う。

 悪いことではないはずなのに、良いことだと胸を張って言えなくなっていた。

 

 

「僕にもまだ分からないんだ。なぜ君のヒトカタが、あんなにも感情豊かなのか。

 二人目の君を作ろうとしても、一向に成功しないし。けどね。一つだけ確かなことがある」

 

 

 揺らいでいる自分を他所に、彼女(かれ)の声は静けさを取り戻している。

 そして、天井を数秒ほど仰いでは、憐れみと侮蔑の込められた視線を落とす。

 

 

「この世の全ては無意味で無価値。最後にゃ消える泡も同然。

 だから僕が与えてやった。意味を。価値を。存在意義を。

 否定できる訳がないよね。八方美人な、養鶏場の長男君……?」

 

 

 逆光で陰る微笑みには、逆らい難い魔力が宿っていた。

 あぁ、そうだ。否定なんて出来るわけが無かったのだ。最初から理解していたじゃないか。

 この力は、自分が産まれ持った物じゃないと。

 この力が無ければ、自分は今でもあの町で燻っていたと。

 名も無き養鶏場の長男に、なんの意味がある。なんの価値がある。“桐”を冠した能力者に勝る存在意義が、あるか?

 彼女(かれ)の言葉は正しい。どうしようもなく、正しいのだ。

 自分の存在価値は、彼女(かれ)によって与えられた物なのだから。

 

 

「先輩、も。お前の……」

 

「うん。さっき言った、僕の子飼いの暗殺者。君を取り戻すためにも尽力してくれたよ?

 君を育て、君を守り、君を監視して、君を裏切った。全て僕の命令通りに。

 あ、兵藤 凛って名前は偽名だから。経歴も、戸籍も、全部ニセモノ。自前なのはあの顔だけかな」

 

「嘘、だ……」

 

「残念。真実は残酷なんだよ、いつだって。君も薄々気付いてたんじゃない? あの女には裏がある、ってさ」

 

「……ここに、居るのか」

 

「さぁ、どうでしょう? 教えてあーげない」

 

 

 抵抗するだけの気力は残っていなかった。ワザとらしくおどけた顔に、最早なんの感慨も抱かない。

 先輩が、裏切り者だった。出会いは最初から計画されて、何もかもが偽りだった。

 逆セクハラに悩んだ日々も、叱咤激励されつつ訓練に励んだ日々も、下らない話をして笑いあっていた日々も。全てが虚飾の仮面を挟み、自分だけが一人で笑っていた。

 まるで、道化の服を着せられた操り人形だ。

 

 

「何が、望みなんだ。こんな実験の先に、何を求めてるんだ」

 

「……はは。いいよ、そっちは教えてあげよう」

 

 

 せめてもの反撃として、“敵”に主目的を問いかける。

 数多の命を弄び、人生を狂わせた張本人は、大きく両腕を広げながら、謳う。

 

 

「僕の望みは、僕という存在を上書きすること。

 負け犬を意味するようになった小林 倫太郎という名の意味を、書き換えることさ!

 もう雌伏の時は終わりだ。君という成果を手にした、今こそが雄飛の時。

 この世の常識を新たにする者として。人類を超越した存在として、僕は歴史の表舞台に返り咲く!

 深海棲艦と人類のハイブリッド……。そう、“深人類(しんじんるい)”の始祖としてね」

 

 

 右の拳を握り締め、雄々しい宣言と共に、彼女(かれ)は自らを再定義した。

 衰退し続ける人類を。それを助長する深海棲艦をも、過去の存在にするのだと。

 狂気を感じた。狂おしいまでの孤独と、それを強いた世界への憎悪を。

 

 

「受け入れられる訳ない。能力者や統制人格ですら、まだ奇異の目で見られるっていうのに」

 

「そんなの些細な問題さ。統制人格が受け入れ難いのは、その恩恵が分かり辛いからだよ。

 僕は違う。医療・機械技術の面で、人民の生活に直接影響を与えられる。悪霊ですら奉るこの国でなら、きっと大丈夫。

 ダメならダメで、力に訴えればいいだけだし。影から僕の血で穢していくのも良い……やだ、騎乗位みたいな格好……。僕も今は女の子だからね。そこら辺はキチッとね……」

 

 

 大人しく従えば良し。然もなくば、力尽くで従わせるのみ。

 物騒という他にない宣言をしたかと思ったら、彼女(かれ)は急に頬を染めて、イソイソとベッドの上から降りた。

 もう、着いていけない。訳が分からない。

 邪悪なのは間違いないのに、不意に見せる表情が少女そのもので、不安になってくる。

 歪んだ人間とは、こうも支離滅裂なのか。自分も、歪んだ環境に放り込まれたら、こうなる可能性があるのかと。

 

 

「さて。せっかく君が手元に来た訳だし、色んなデータ取りをしようと思うんだけど、協力してくれる?」

 

「……お前に協力して、自分になんのメリットがあるっていうんだ」

 

「ははは。ま、そうだねー。無いよねー。時に、僕の社会的な影響力はもう分かってるよね」

 

 

 にこやかな笑顔に対し、自分は鬱々とした心持ちで、剣呑な物言いを返す。

 すると、大きな目がさらに細く、唇は裂けるように弧を描き……。

 

 

「君の上のお姉さんには、まだ幼い子供が居たっけ。可愛い可愛い、男の子と女の子の双子が。

 それだけじゃない。下のお姉さんは新婚ラブラブだし、弟君たちは楽しそうな学生生活を送ってる。ご両親も未だにイチャイチャ……。幸せそうだよねー。……ホント、羨ましいくらいさ」

 

「……っ!? 貴様っ!!!!!!」

 

 

 明確にして悪辣な、脅しを掛けてきた。

 シートベルトと同じような仕組みなのだろう。伸ばそうとした手が鎖に阻まれ、ベッドへキツく縛り付けられる。

 倦怠感も、痛みも、腹の底が煮える熱さに吹き飛んだ。

 純粋な怒りを込めた視線に、しかし彼女(かれ)はころころと嗤う。

 

 

「なぁんだ、お優しいだけのヘタレかと思ってたのに、そんな顔も出来るんじゃない。

 良いよ、良いよ。怒りで歪んだ君の表情。……ゾクゾクしちゃう。僕ってヘンタイ? アハハ」

 

 

 愉しんでいる。遊ばれている。

 絶対に抵抗できない状態へと追い込んで、その反応に悦んでいる。

 この瞬間、自分は悟った。この怪物は本気だと。ほんの気まぐれで、コイツは自分の家族に手を出すつもりだ。

 襲撃を受け、家族には保護が向かっているはずだが、それもどこまで信じられるか。

 親父、母さん、大姉、小姉、中吉、小助。ついこの間、会ったばかりの顔が浮かんでは消えていく。

 自分のせいで、みんなが死ぬ。自分のせいで、みんなの幸せが壊される。

 恐ろしかった。心の底から、怖かった。家族の喪失を使命感で誤魔化せるほど、自分はまだ軍人じゃなかった。

 屈するしか、ない……っ。

 

 

「やめて、くれ……。協力、するから。家族にだけは……手を、出さないでくれ」

 

「あー、酷いなー。僕は羨ましいって言ってるだけなのにー。でも、協力的になってくれて嬉しいよ」

 

 

 まるで、反抗するペットを宥めるように。細い指が、愛おしそうに頭を撫でる。

 吐き気がした。触れられた所から腐っていくようだ。

 それでも、家族の命を握られては、どうしようもなかった。

 今だけだ。きっと、自分の仲間が助けに来てくれる。絶対に来てくれる。

 だから、それまで辛抱するんだ……!

 

 

「お腹空いたでしょ。今、食べる物とか持ってくるよ。飢えるのって辛いもんね。……そうそう、忘れる所だった。君の左眼、やっぱり潰れてたよ」

 

「……は?」

 

 

 他人を散々オモチャにして気が済んだのか、スキップでもしそうな様子で部屋のドアを開けた彼女(かれ)だったが、物のついでと置いて行く言葉に、呆気にとられた。

 左眼が……何? 潰れ………………。

 

 

「ひーだーりーめー。あと、顔にも傷が残っちゃったんだよねー。

 ま、どっちも僕のせいなんだけどさ。今は治癒剤を固めたボールが入ってるんだ。

 後でもっと高性能な眼を用意してあげるから、それで許してねー」

 

 

 左手で己の左眼を示した後、遅刻の詫びでもする気軽さで、異形の足音が遠ざかって行く。

 思考が取り残され、静けさを取り戻した部屋の中、自分はシミひとつない天井を見上げる。

 痛みが、ぶり返してきた。

 

 

「違う……。自分は……。違う……。違う……っ」

 

 

 喉が勝手に呟く言葉は、なぜだか、自分でも弱々しく聞こえた。

 ゆらゆら、ゆらゆらと。世界が静かに揺れている。

 自分は今、底無し沼の上に横たわっている。

 そんな気がした。

 

 会いたい。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 横須賀。桐林艦隊宿舎地下のこじんまりした部屋では、数人の女性が押し黙っていた

 一人目は、壁際に設置された機械群――暗号通信機器を操作する、書記の少女。

 部屋の中央では、簡素な机に着く赤城と、背後に控える陸奥、そして電が。

 居心地悪そうに肩身を狭くして、赤城の斜め前に座る疋田が、最後の一人だ。

 

 

(……どうしよう。この空気。もうお家帰りたい……なんて言えるわけないよね……。約束したんだから。私が、助けないと……)

 

 

 一瞬、何もかも投げ捨てて逃げ出したくなってしまう疋田だったが、すぐに気を取り直す。

 常識的に考えれば、即刻憲兵隊へ突き出されても文句は言えない立場。

 それを、吹雪や赤城を始めとした皆は、信じてくれた。何より、兵藤との約束を破る訳にはいかないのだから。

 とは思っても、何もしないで待つというのは思いの外辛く、疋田はもじもじと腰が落ち着かない。

 

 そんな時、書記の指が急に忙しなく動き始めた。数秒後には振り向かずに「繋がりました」と一声。

 無言で頷いた赤城は、机の中央に置かれていた映像通信端末を、ぎこちなく操作する。

 

 

「もしもし」

 

『……俺だ。桐林んトコの赤城、だな』

 

「はい。お久しぶりです、間桐提督」

 

 

 青一色の画面にはSOUND ONLYの文字。スピーカーが伝える合成音声は、佐世保で静養中の間桐の物だった。

 疋田を事情聴取した結果、赤城は彼の助力を得た方が良いと考え、秘匿回線での会談を申し込んだのである。

 時刻は夜半過ぎ。拉致から十二時間以上が経過している。

 

 

『こっちも割と危ない橋渡ってんだ、単刀直入に行くぜ。……疋田とかいう女が言ってたのは、この写真のガキに似てんのか?』

 

 

 以前に戦場で聞いた声よりも硬質な響きを伴い、画面に変化が起きる。

 映し出されたのは、一枚の集合写真だった。

 軍艦を背景に、手前側を向く初老の男性と、若い男女が一組に、少年が一人。そして、彼らに向かって歩いていると思われる、軍服の後ろ姿。計五人が写っている。

 若い男は髪が長く、誰が見ても美男子だと評するであろう。しかし、顔が引きつっていた。

 隣の女は表情が硬い。が、よく見ると、自分の尻を触ろうとする若い男の腕を捻っている。

 白髪混じりの初老の男性は、そんな二人を見て苦笑いを浮かべている。若かりし吉田 剛志だ。

 そして、頭に手を乗せられ、吉田の隣で不機嫌そうな表情を浮かべる、間桐が言う所の子供。初等教育を終えるか終えないかといった年頃に見えるが、成長が遅いのか、幼い顔立ちはまだ少女にも見える。

 後姿の人物はよく分からない。

 赤城が端末の向きをズラし、それを確認した疋田は大きく頷いた。

 

 

「はい。これとは違う写真ですけど、間違いありませんっ。……でも、どうして間桐提督が、こんな写真を?」

 

『聞いてるのはこっちだ。能力者でもないテメェが、どこでこの顔を見やがった。答えろ』

 

 

 何の気なしにした質問へは、恐ろしく威圧的な声が返る。

 心臓が縮こまる痛みを感じながら、しかし黙っているなんて選択肢を選べる訳もなく、つっかえながら疋田は記憶を振り返った。

 

 

「わ、私は、横須賀で警備を担当していました。

 その関係で一度、中将が不在の時に執務室へ立ち入ったことがあるんです。保安設備点検チームの一員として。

 警報とか、圧力センサーとかを点検して、ついでに空気清浄機のフィルターも交換しようとした時、机に飾ってあったのが、この子を肩車する中将……っぽい人でした」

 

『ぽい?』

 

「いえあの、イタズラされたんでしょうね。ズレた帽子で顔が半分隠れちゃってたものですから。で、確か中将は親類がいないはずなのに、と思ったのを覚えてます」

 

『……チッ。ボケ爺が、あんなもん後生大事に飾ってんじゃねぇよ……』

 

 

 答えに納得したようで、間桐は溜め息をつく。圧し潰すような威圧的は霧散していた。

 ホッと胸を撫で下ろす疋田だったが、今度は横に生じた気配で心臓を跳ねさせる。

 芳しい花の香りをまとい、柔和な笑みに迫力を宿す、陸奥である。

 

 

「ねえ、間桐大佐? 一体どういう事なのかしら。この写真、最初期の能力者の集合写真でしょう。

 そしておそらく、この子が吐噶喇列島の……。私はてっきり、貴方がこの少年提督だって思っていたのだけれど。

 たまたま提督を襲った敵が、たまたま貴方の幼少期と似た顔をしていた……なんて、出来過ぎじゃない?」

 

 

 穏やかではあるが、有無を言わせぬ物言いに、間桐はだんまりを決め込む。

 能力者の歴史を見る限り、後にも先にも、わずか十歳の子供が徴兵されたのは一例だけ。吐噶喇列島で重傷を負った、小林 倫太郎のみである。

 桐ヶ森が十三の時に自ら入隊した時も、世論は大きく騒ぎ立て、当人がマスコミやら自称有識者やらを尽く論破するまで、それは続いた。

 負傷後、彼は名誉除隊という扱いとなって消息不明になるが、しばらくののち、佐世保で異常な戦果を挙げる、顔を見せない男が話題となった。

 吉田の肝入りであるとの噂以外、なんの情報も得られなかった周囲の人間は、漏れ聞こえる血液型や年齢、表に出たがらない性質などから推測し、彼は小林 倫太郎ではないかと囁き合ったのである。本人も否定しなかったのが大きい。

 

 しかし、敵に……深海棲艦に同じ顔を持ち、明確な意思を宿す個体が現れたとなれば、話は変わってくる。

 傀儡艦に堕ちる可能性があるのなら、彼女らと魂を繋ぐ能力者もまた、堕ちる可能性があると言えるだろう。

 今回の敵がそうだったと仮定して、ならば今話しているこの男は、一体誰なのか。

 もしくは、間桐がこの少年提督だったとして、同じ顔を持つ深海棲艦が、わざわざ身元を特定させようと振る舞った理由は。

 どちらにせよ、間桐と今回の敵とに、なんらかの関係性があるのは明白。陸奥は潔白を証明しろと言っているのだ。

 けれど、長い沈黙を破ったのは、馬鹿にしたような短い笑いだった。

 

 

『ハッ。俺の口からは絶対に言わねぇ。犯人がコイツだとしたら、桐林も同じ疑問を感じて、直接本人から聞いてるだろ。野郎を取り戻して、ヤツから聞きな』

 

「……信じろというのね? 素性の怪しくなった、顔も、声も晒そうとしない男を」

 

「陸奥さん」

 

 

 流石に無作法が過ぎると、赤城は陸奥を窘める。

 本来、指揮を代行する赤城が行わねばならない事を、陸奥は進んでやってくれている。内心では感謝もすれど、この場は上の者として振る舞うべきなのだから。

 一方、間桐も頑なな態度を崩さない。

 

 

『それでも信じるしかねぇだろうが。敵がかつての能力者に関わる者だと分かり、兵藤が軍との関連性まで示した。

 このままだと動けなくなるぞ。お前らは俺に縋るしかない。俺に頼るしかないんだ。分を弁えろや、バカたれ共』

 

 

 尊大な言葉に、赤城と陸奥が目を細めた。

 不快だったからではなく、彼が暗に肯定した内容について、である。

 敵はかつての能力者。あるいはその関係者。そして、兵藤の言い残した「軍を信用してはならない」という言葉が、その通りだと言っているのだ。

 即ち、間桐は敵の正体についてある程度の当たりを付け、それを取り巻く陰謀についても……。

 ついでに、自分自身の身元が不確定である事と、そんな人物を頼らなければならない、赤城たちの現状も突き付けていた。

 八方塞がり。

 彼女たちの命運は、今、間桐と呼ばれる正体不明の男に握られているのだ。

 

 

『だが……。それだけじゃ不安なのも、信用できないのだって分からぁ。だからよ……』

 

 

 しかし意外にも、間桐は自ら態度を翻し、言葉遣いからも険が取れる。

 そして、躊躇うような一瞬を置き――

 

 

「天地神明なんかじゃねぇ。俺の、“ミナト”の名に賭けて誓ってやろう。

 お前らの提督を攫ったのは、俺の敵だ。

 だから桐林を取り戻し、アイツを倒すまで、掛け値無し、全力で後援してやる」

 

 

 ――若い男性の肉声が、スピーカーを震わせた。音声の加工を切ったのだと思われる。

 よほど驚いたのか、その場に居る誰も、声を発する事はなかった。

 互いに顔の見えない遠隔通信。この若々しい声が間桐の物であるという、確たる証拠は無い。

 だが、もしこれが彼の肉声ならば。“ミナト”という名が、気位の高い“千里”の本名ならば。それは彼にとって、天地に勝る誠実な誓いなのかも知れない。

 

 赤城が電を見やる。

 逡巡する素振りはあったものの、数秒と経たずに電は大きく頷いた。

 陸奥も諦めたように肩をすくめて見せ、困惑する疋田を他所に、共同戦線を張ることが決まったようだ。

 

 

「しかしだ。後援するたぁ言ったが、具体的なプランはあるんだろうな? それまでこっちにブン投げられても困るぞ」

 

「ご安心を。疋田さん」

 

 

 あちらの顔は見えなくとも、赤城たちの表情は間桐へ伝わっている。

 腹が決まったのを察したらしく、次は具体的な作戦を煮詰めようと話が振られた。

 一つ、たおやかに微笑んだ赤城は、「なんだか私だけ場違いだなぁ」と縮こまる疋田へ端末を向け、慌てた彼女がとある携帯端末を取り出す。

 

 

「これ、兵藤提督の携帯なんですけど、限定的な骸骨鍵(スケルトン・キー)以外にも、特殊な“猟犬”プログラムがインストールされてるみたいなんです。

 あの車の中で、桐林提督に渡した盗聴器の入ってない方のカフスボタン……。多分、あれに発信機でも仕込まれてるんじゃないかと」

 

「……盗聴器の入ってない方?」

 

「まぁ、兵藤提督ですから……」

 

 

 真剣な話の最中へ混じるおかしな情報に、陸奥は「はて?」と首をかしげ、赤城も苦笑いを浮かべる。

 トボけた言動の兵藤が、一体どこまで先を見通していたのか。考えても詮無い事だが、とにかく役立つ物を遺してくれた。活用しなければ。

 ちなみに。骸骨鍵とは、電子制御された錠前に対するハッキングプログラムの俗称――いわゆる魔法の鍵である。

 合い鍵やマスターキーという意味合いがあり、物理的な施錠には歯が立たないが、それ以外であれば、文字通り万能の効果を発揮する。

 疋田はこれを使い、本格的な取り調べを受ける前に逃走を図ったのだ。猟犬プログラムの方は、GPSによる追跡を強化した物と考えれば良いだろう。

 

 

「詳しい仕様とかは後でご説明しますが、これを使えば……!」

 

「骸骨鍵だぁ? なるほど、な。通りでただの一警備員が逃げだせた訳だ。トコトンまで食えねぇ女だぜ……。分かった。必要な設備や車は俺が手配してやる。お前らは……」

 

 

 疋田が表情を引き締め、間桐は兵藤の頼もしさに含み笑い。

 奪還作戦の仔細が話し合われていく。

 

 

(司令官さん、待ってて下さい。今、電が助けに行きますから……!)

 

 

 電もそれに参加しつつ、心で決意を固めていた。

 いくら悲しみに暮れていても、彼は帰ってこない。

 取り戻すために必要なのは、是が非でも意思を押し通す強さ。

 大切な物を取り戻そうという、強い意志なのだから。

 

 

「……? これは……!?」

 

「どうなさいましたか、書記さん」

 

「通信信号に枝を付けられました! 割り込まれます!」

 

 

 しかし、地下室が静かな熱気に包まれようとしていた所へ、緊迫する声が響いた。

 書記が言い終えるよりも早く、写真を写していた映像端末の画面がチラつき始める。

 枝を付けられた。諜報部に嗅ぎつけられたかと、息を飲む赤城たち。

 けれど……。

 

 

「盛り上がってるとこ悪いんだけど、相乗りさせて貰うわよ」

 

 

 映し出された顔は、覚えのある少女の物だった。

 碧い瞳。頭頂部が茶色くなった金髪。桐ヶ森である。

 拍子抜けしたのか、大きく息を吐く女性三名。残る一名の男は、再び加工した音声で文句をつけた。

 

 

『プリン頭……。テメェ、どっから嗅ぎつけやがった』

 

「忘れたのかしら? 私、天才なの。優秀な助手さえいれば、大抵のことはこなせるわ。例えばそれがクラッキングでもね。

 っていうかアンタ馬鹿じゃない? あんなに重くて複雑な暗号化を走らせてたら、今まさに内緒話してますって宣伝してるようなものじゃない」

 

『……あ』

 

 

 たった今、言われてようやく気付きました、と言わんばかりの間桐の声。桐ヶ森は頬杖をつきながら呆れ返る。

 

 

「とりあえず、ウロチョロしてた偵察プログラムには誤情報を掴ませてあるから、安心しなさい。全く、砲撃と開発以外はトコトン駄目ね」

 

『ぐっ……。う、ウルセェ! それより、テメェは無駄話しに来たのか!?』

 

 

 間桐にもどうやら自覚はあったようで、気恥ずかしさを誤魔化すために大声を張った。

 望む所だったのだろう。小馬鹿にしていた表情を整え、桐ヶ森が早速本題へ入る。

 だが、その知らせは吉報ではなく、更なる混迷を思わせる、凶報だった。

 

 

「色々と説明しなきゃならない事はあるけど、まずは知っといて欲しい事。

 ……桐生と、桐生の霧島が姿を消したわ。あの軍病院から、跡形も無く」

 

 

 


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