新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と柘榴の味

 

 

 

 鬱蒼とした夜の林の中。

 ろくに街灯もない山道を、一台の大型装甲車が山頂へ向けて移動していた。

 駆動力をモーターで賄っているため、静音性はとても高く、ヘッドライトや砂利の擦れる音などが無ければ、誰も存在に気付かないであろう。

 

 

「……もう、五十八時間ですか」

 

 

 その助手席に座る少女が、黒く塗り潰された景色を眺めて、小さく呟いた。書記の少女である。

 同時多発テロ、並びに拉致事件が発生してから三日目。時刻は二三○○。

 舞鶴湾を挟み、南に東舞鶴の街や鎮守府を見下ろせる、某森林公園よりもさらに西が、装甲輸送車の現在位置だ。

 

 

「疋田さん、ログの方は?」

 

「もうすぐ最終記録地点です。先行する最上さんたちが、十分後に到着する予定ですね」

 

 

 運転手を務める疋田が、ダッシュボード中央に据えられた液晶をチラリと確かめ、すぐに正面へ視線を戻す。

 GPS誘導システムと酷似したその画面には、周辺環境の詳細に加え、一つの光点が明滅していた。

 兵藤が極秘裏に仕込んだカフスボタン型発信機。それが提督の足跡を彼女たちに教えているのだ。

 十五分間隔で衛星に位置が記録される仕組みだが、信号は二十時間前から移動しておらず、つい三時間ほど前、途絶えた。

 名も無き救出部隊が向かっているのは、その地点である。先行するのは、足周りを改修した二台のバイクで、最上の後ろには摩耶が。三隈の後ろには鳥海がタンデムしている。

 

 

「しっかし、敵がまんま西へ向かってたとはな……」

 

「本当に遊ばれてるみたい~。この借りは返さないと、ね~」

 

「ちょ、ちょっと、穂先をこっちに向けないで下さい、刺さ、刺さりますって!」

 

「あの……。車内は狭いですから、艤装は仕舞って頂けませんか……?」

 

 

 運転席の真後ろで、立ったまま格闘用艤装の柄を握る、天龍と龍田。

 あれだけ必死に追いかけた相手を、いとも容易く罠に引っかかり、見逃していた。遊ばれているに等しいこの状況、二人が憤りを感じるのも無理はない。

 彼女たちの側に座る扶桑・山城姉妹が受けたとばっちりには、同情を禁じ得ないが。

 

 車内は左右両端にそれぞれ座席があり、非戦闘員を含め、総勢二十七名がすし詰めになっている。

 連携内容を話し合う者、無言でイメージトレーニングをする者、艤装の動作を確認する者。

 様々な統制人格が居る中、小窓を覗く陽炎は溜め息をついた。

 

 

「はぁ……。まさか、こんな形で舞鶴に戻ってくるなんて……」

 

 

 森の切れ間から、舞鶴湾が見下ろせた。

 その向こうには、営みの灯で輝く舞鶴の街。

 切ない瞳に、隣の弥生が問いかける。

 

 

「……陽炎さん。京都に来たこと、あるんですか……?」

 

「うん、まぁ。一回だけ……」

 

「確か、提督と一緒に行ったのよね。“桐”の談合へ。……二人っきりで」

 

 

 歯切れの悪い陽炎に代わって話を継ぐのは、対面に座る村雨。顎へ人差し指を置いて、最後だけは控えめに呟く。

 聞こえなかったはずの陽炎だが、顔に浮かぶのは気不味い苦笑いだった。

 

 

「こんなこと思い出してちゃダメって分かってるんだけど、さ。どうしても……。こんな形で、戻りたくなかったわ……」

 

「みんな、普通に過ごしてるっぽいにゃ……」

 

「そりゃあそうクマ。あそこの人たちは、何も知らないクマ。……きっと、知らない方が良いクマよ」

 

「はい……。皆さんに知られる前に、全てを終わらせないと……!」

 

 

 弥生を挟んで並ぶ多摩と球磨と、さらに隣の雪風も、揃って遠景を眺める。森の切れ間が終わり、視界はまた闇に閉ざされた。

 襲撃を行うため、夜闇に紛れて行軍する戦闘集団。確かに、平穏を享受できる身分には無用な情報だろう。

 時には知る権利がどうのと声高に叫ぶ連中も出てくるが、しかし。

 大切に想う誰かを奪われた時の心境など、知らずに済む方が良いに決まっている。

 

 

「電、平気?」

 

「……はい。大丈夫なのです。ありがとう、雷ちゃん」

 

「……うん」

 

 

 小さな身体でそれに耐える姉妹は、互いを気遣い、作り笑いで微笑み合っていた。会話も続かない。

 胸が張り裂けそう。

 陳腐に感じる古臭いフレーズが、今の二人を表すのに最も相応しい言葉だった。

 けれど、自分だけがそれを味わっている訳ではないと知っているから、表には決して出さない。ひたすら、溢れそうな何かを堪えているのだ。

 健気な少女たちの姿を見やり、配られた榴弾のチェックをしていた長門と陸奥が、声を潜める。

 

 

「提督のご家族は、大丈夫だろうか……」

 

「軍本来のルートとは違う形で、桐ヶ森大佐が直々に保護して下さったんだもの。私たちと一緒に居るよりは、安心なはずよ」

 

 

 間桐との作戦会議に割り込んだ、桐ヶ森の本来の目的。

 それは、奇妙な動きをする軍の末端から、桐林の身内を隔離した、という事後報告だった。

 元々、彼女が真っ先に調べたのは桐生の所在だったのだが、それを探る内、情報網に奇妙な“ほつれ”を見つける。漏洩の痕跡である。

 即座に桐生捜索を中断した桐ヶ森は、直属の部下を近親者確保へ向かわせた。少々の行き違いはあったが、彼の家族は現在、関東近郊にある某シェルター施設で保護されている。提供者は桐谷だ。

 曰く、「私が同じ立場になったら、真っ先にして欲しい事だから」。仁義に篤い少女であった。

 それに引き換え、自分はどうだ。長門は手中の榴弾を見つめ、自嘲する。

 

 

「……不甲斐無いな、私たちは」

 

「何を今さら。私たちはみんな、敗北の先を生きているのよ? そんな事、先刻承知だと思っていたのだけど」

 

「言ってくれる……。ならば、取り戻すだけだ。……提督も。我が誇りも」

 

「ええ。必ず、ね」

 

 

 敗北の先。

 何気なく陸奥の言った言葉が、やけに沁みた。だが紛れも無い事実。目を背けては進めない。

 硬い鉄の感触を確かめ、長門は決意を新たにした。

 そして、同じく固い決意で臨んでいるのが、サスペンダーに括り付けた閃光手榴弾の位置を直す霞。

 彼女の隣で、いつになく無口な姉妹を案じる霰。連装砲と戯れる島風の三人だ。

 

 

「……大、丈夫?」

 

「何が?」

 

「……ん、色々、と」

 

「問題ないわ。体調は戻ってる。いつでも動ける。……今度は、容赦しないから」

 

「うん……」

 

「はぁあー。早く走りたいー。山道なら車なんかより私の方が速いのにー。そうしたら、もっと早く……。むぅ……っ」

 

 

 良い意味でマイペースな島風のおかげで、雰囲気自体は暗くない。だが、霰は気付いていた。霞の眼には、暗い炎が灯っている事に。

 きっとこの影は、戦うことでしか。奪い返すことでしか払えない。

 だから霰は、他の皆とは違う決意をする。霞を守ろうと。不器用で一本気な妹は、放っておくと、自分自身を傷付ける事で、誰かを守ろうとするだろうから。

 口には出せないけれど、霰は固く誓っていた。

 

 一方、どんな状況でも笑顔を忘れず、常に一定のテンションを保つのが、自称艦隊のアイドル・那珂である。

 

 

「ねぇねぇ木曾ちゃん。その刀、どうしたの?」

 

「ん、これか。宿舎の物置で探し物をしていたら、ちょっとした金属の端材を見つけてな。大急ぎで加工して貰った」

 

 

 抱え込んだ日本刀を覗き込まれ、木曾は親指で鍔を押し上げて見せる。

 刀身が薄暗い車内灯を反射するが、普通の刀とは趣が違う。刃文が一切ないのだ。代わりに、まだらな木目模様が浮かび上がっている。

 木曾の左隣へ腰を下ろす、神通がそれを指摘した。

 

 

「不思議な模様……。刃入れ、されていないんですか……?」

 

「ああ。ペーパーナイフより切れ味は鈍い。かなり珍しい金属らしくてな。そいつの特性を活かし、俺が扱える形にするには、こうするしかなかった」

 

「ふーん……。特性って、どんな? ……夜戦に持っていくと天気が味方するとか!?」

 

「どんな妖刀だ。電解ダマスカス鋼、とかいうらしい。刃物としては使い物にならないが、強度は恐ろしく高い。やたら滅多に打ち付けようと、これなら折れないだろうからな」

 

「なんだ……。残念……」

 

 

 対面で小型の魚雷を磨いていた川内が、相変わらず変な方向に食い付くも、木曾が短く切り捨てる。

 電解ダマスカス鋼とは、ある角度を越えて鋭く加工すると脆くなる代わり、曲面加工時に凄まじい剛性と形状弾性を発揮する。重量も鋼鉄より遥かに重く、鈍器とするには最適な素材だった。

 それを日本刀としても全く切れはしないだろうが、尋常ならざる膂力を持つ統制人格が扱えば……。

 元より、血糊で切れなくなった刀は、鈍器として多く使われていたとされる。行動の選択肢が増えるという意味でも有用だ。

 

 

「……にしても。これ、本当に持ってきた意味あるのかしら……?」

 

 

 かたや、立ち上がった村雨が歩み寄る物体は、今の所かさばるだけで、使い道があるのか定かではない。

 車両前部――書記と疋田の居る運転席と、天龍・龍田が立っているペイロード部の間を塞ぐように固定された、簡易ベットのような物体。移動式の増幅機器である。

 書記の強い主張で持ち込まれた物だが、座席を六つも占領し、おかげで全員が座れたはずの所、床に座るか立っているしかない人員が出るほど。桐林を取り戻すまでは無用の長物でしかない。

 それを誰よりも分かっているだろう書記は、しかし強気な笑顔をヒョッコリと覗かせる。

 

 

「備えあれば憂い無し、と言いますから。どのような状況にも対応できるよう、反撃の準備だけはしておこうと思いまして」

 

「絶対に必要ないとは言い切れないだろうさ。こいつも、これも」

 

 

 彼女の言葉に同意する木曾が、ダマスカス刀を掲げて示す。

 仮定の話だが、ここ――京都近郊に敵の本拠地があった場合、敵の主要戦力もまた、付近に存在するはず。

 それに対抗するための戦力としては、舞鶴鎮守府に常駐する戦力を挙げられるが、その筆頭である梁島提督は音信不通。彼以外は十把一絡げの、平凡な能力者だ。どこまで通用するか。

 けれど、もし桐林を取り戻せた場合、舞鶴に停泊している戦力……。古鷹、加古、北上、大井、時雨、夕立の水雷戦隊が即座に使用可能となる。

 わざわざ舞鶴まで行く時間を考えれば、この差は大きい。

 

 

「……そうよね。提督が帰ってきたら、今度はこっちの番だもの!」

 

 

 反撃、という言葉の響きに心を動かされたのだろう。村雨も納得したようで、大きく頷き返す。

 会話が途切れたのを見計らい、今度は、一人黙々と行動計画を確認していた吹雪が、全員を見渡せる位置に立った。

 

 

「もう一度、確認しておきましょう。

 私たちに与えられた実弾は、戦艦砲用の徹甲榴弾が四十四発と、重巡砲用の散弾が三十二発だけ。

 その代わり、発煙筒や閃光弾手榴弾はドッサリ。

 軽巡の皆さんと私たち駆逐艦はこれらを使い、肉薄して空気砲や格闘での戦闘を行う」

 

「装甲車などが出た場合は、私たち戦艦……。扶桑型と長門型、金剛さんの出番ですね」

 

「はい、姉様! どんな相手でも撃ち抜いてご覧に入れましょう!」

 

 

 吹雪に続き、扶桑と山城が立ち上がり、足を組んでいた陸奥も頷く。

 長門は腕組みをして厳しい顔付きだ。燃えるような闘気が漲っている。

 が、個人名を呼ばれた内、金剛だけはなんの反応も示さない。

 車両中央。目を閉じて、瞑想でもしているように静かだった。

 心配になった吹雪がもう一度呼び掛ける。

 

 

「……金剛さん。金剛さん?」

 

「Don't Worry,ちゃんと聞いてましタ。その時が来たラ、しっかり働くデス。必ず、テートクをBring backして見せマス……!」

 

 

 気落ちしている訳ではなく、気負い過ぎている訳でもない。

 長門とは真逆の静謐な闘志を、見開く瞳に宿す。

 普段の騒がしさからは、想像もつかない戦徒の姿が、彼女の本気を伺わせた。

 

 

「うんうん、その意気だよっ。暗いのなんて那珂ちゃんたちには似合わないもんね! チャチャッと提督を助け出して、みんなでお帰りパーティーしちゃおー!」

 

「あの……。気持ちは分かるけれど、もうちょっと控えめに……」

 

「良いじゃない、神通。夜戦では確かに静けさが大事だけど、襲いかかる時は気持ちを盛り上げなきゃいけないんだから。心は熱く、頭は冷静に、ってさ」

 

 

 揺るぎない意思は周囲へと伝播し、那珂が言葉にして盛り上げる。

 神通がつい抑えに回って、川内が妙な持論で締めくくるのも、もはや様式美か。

 しかし、良い意味で普段通りな彼女たちの姿に、他の皆まで釣られていく。

 

 

「……霰も。ちゃんと撃ちます。霞と、一緒に」

 

「とーぜん、私もね。司令をさらった連中に、目に物見せてやるわ!」

 

「僭越ながら……。睦月型の代表として、全力を尽くし、ます……」

 

 

 霰や陽炎、弥生の様に言葉とする者。霞や村雨、雷・電姉妹の様に無言で頷く者。

 表し方の差はあれど、誰もが気勢を揚げていた。

 そこへ、スピーカーに出された通信音声が。先行隊の最上である。

 

 

『こちら最上。最終記録地点に到着。周囲の安全は確認したよ。……でも……』

 

「どうかなさいましたか?」

 

『……とにかく、こちらへ。来て頂く方が、間違いありませんわ……』

 

 

 盛り上がっている車内と比べ、最上の声は沈んで聞こえた。

 不思議に思った書記が問い返すも、同じく意気消沈した三隈が通信を閉じる。

 その背後で、「畜生! フッざけんなぁ!」と憤る摩耶の声が聞こえたのは、気のせいだろうか。

 再び空気が重くなり始める中、疋田は無言でハンドルを操作。指定された地点へ向かう。

 程なく、装甲車は木の生えていない、開けた場所に出た。標高およそ五百m。西に一~二kmも行けば舞鶴発電所がある。

 

 最上と三隈は草むらの中に立ち尽くしていた。摩耶は憮然とバイクの上で胡坐をかき、横に立つ鳥海の顔色も優れない。

 様子見のために装甲車を降りた天龍、龍田が近づくと、彼女たちのすぐ側に真新しい立て看板を見つける。

 そこに書かれていた文字は、「残念でした」という一言。ご丁寧に、端にはカフスボタンが括り付けられていた。

 即ち、おびき出されたということ。

 龍田が唖然と薙刀を手放し、天龍は思わず看板を蹴り倒す。

 

 

「そんな……」

 

「クソったれ! どこまでコケにすりゃあ気が済むんだよ!?」

 

 

 様子のおかしい二人を心配した皆も装甲車を降り、怒りに震える天龍の拳を見て、全てを察した。

 車輌を守るために一人運転席に残った疋田ですら、遠目でそれを理解する。

 吹き付ける風の音が、寒々しい。

 他よりも一足早く正気に戻った雷は、きっと絶望しかけているだろう妹へと、慌てて声を掛ける。

 

 

「だ、大丈夫、大丈夫よ電っ。司令官、きっと見つかるから……」

 

「――左眼、返――」

 

「……電?」

 

「――痛っ!?」

 

 

 しかし電は、どこか遠い場所でも見つめているように、眼の焦点が合っていない。

 かと思えば、急に顔を歪めて膝を折る。

 雷と金剛が駆け寄ると、彼女は痛みに耐えているのか、酷い脂汗を流していた。

 

 

「電っ? 急にどうしたのよ、電っ!?」

 

「どうしたんデスかっ、電? 気をしっかり(Stay with Me)!」

 

「うっ、あ、あ……っ、司令官、さ……そんな……駄目、なので……うぐぅ……っ」

 

 

 二人の呼び掛けにも答えず、電は意味不明な呟きを零し続ける。

 同時に、その場には不穏な空気が漂い始めた。雰囲気などといった類いではなく、物理的な圧迫感を伴う、おぞましい気配。

 それはまるで、深海棲艦と対決している時の、戦場の空気だった。

 

 

「なんだ、この嫌な空気は……」

 

「殺気……。ううん、悪意、かしら~」

 

「どこだ、敵か!? 気配は感じねぇぞっ」

 

 

 艤装状態となった木曾がダマスカス刀を抜き放ち、天龍、龍田も武器を構える。

 自然と、電を中心とした円陣が組まれ、一触即発の緊張状態に。

 風が、吹く。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

(身体が熱い……。寒い……)

 

 

 丁寧に、ベッドへと横たえられながら、自分は襲い掛かる不快感に耐えていた。

 全身を流れる血が沸騰している様で、けれど骨は氷に置き換えられた様で、吐息も蒸気かと思ってしまう。

 三十分ほど前に投与された薬品が、この異常な感覚を引き起こしている。

 擬似的にトランス状態を作り出し、能力者の精神波を増強、励起状態を再現するとか言っていた気がするが、よく覚えていない。

 

 

「じゃ、また後でね。ちょっと幻覚とか見るかもしれないけど、二時間もすれば怠さは消えるだろうから、その後ご飯にしよう。一緒に食べようね」

 

 

 それを強いた張本人は、手慣れた様子で手脚に枷をはめ、また部屋を出ていく。

 ここで意識を取り戻してから、少なくとも五回は寝起きしていた。

 睡眠時間はマチマチ……だと思われる。何日経ったか、分からない。

 

 

(いつまで、続くんだ)

 

 

 実験やら検査のたび、こちらの気分など御構い無しに連れ回される。

 作業中は延々と独り言を喋り続けていて、なのに時折、「返事をしてくれない」と癇癪を起こす。

 加えて、ヤツと共に摂る食事は苦痛極まりない。まるで人形相手の飯事遊びに付き合わされているようだった。もちろん自分が人形だ。

 酷く、疲れていた。

 

 強引に情報収集の成果を挙げるなら、ヤツの今の研究が、「人工統制人格」の作成であること。

 それには、使い捨て型と完全適応型があり、前者は既に成功しているらしいこと。

 最近、新たな被験体を入手して後者の改造を行ったが、失敗してしまったこと……くらいか。

 詳しい仕様などは分からない――いいや、理解したくもない。外道なんて言葉では飽き足らないほどの、悪逆無道な行いだ。

 どうにかして、止めさせなければ。世に出してはいけない技術だ。どうにかして、消さなくては……。

 

 朦朧とする頭でそんな事を考えていると、プシー、という小さな空気音が聞こえてきた。

 電子錠式のスライドドアが開く音。ヤツが、入ってくる時の音だ。

 無意識に身体が強張る。

 

 

「……なん、だ。また、嫌味の忘れ物、か?」

 

 

 出来る限りの強がりで、顔も向けずに敵意を吐く。

 それに対し、「アハハ。元気が良いねー」と無邪気に笑うのが、いつもの事だった。

 しかしこの日は、いつまで経っても笑い声が返ってこない。ただ、重い足音が近づいてくる。

 ……違う。

 ヤツの足音じゃ、ない!?

 

 

(なんだ、これ)

 

 

 怠い身体を起こしてみると、そこには影が居た。

 人影とか、逆光に陰っているとかではなく、影。黒い紙を人型に切り抜いたような、人間を黒のボールペンで塗り潰したような、異質の塊。

 床に届きそうな長い髪とシルエットで、女性である事だけは分かる。紅く燐光を放つ双眸が、異様な存在感を放っていた。

 

 

『貴方ノ願イ、ヲ、教エテ……』

 

 

 ……ああ、そうか。

 これが、ヤツの言っていた幻覚か。

 そうだ。そうに決まってる。

 

 

『心ノ奥底ニ、眠ル物、ヲ……』

 

 

 でなきゃ、このタイミングで、こんな言葉を聞く訳がない。

 桐生提督が語り、桐竹氏が書き記した言葉に似たフレーズ。

 眼には見えない物……。人の、心の奥底に眠る物……。願い?

 

 

(……なんで、“俺”がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ……)

 

 

 音も無く、ベッドの上を這い寄る影。

 伸ばされる細い腕をジッと見つめながら、自分は、胸の中にある澱みを自覚する。

 願い、だと? どうせ叶えてもくれない癖に。幻覚の癖に、何を聞くんだ。

 

 

「……どう、して。“俺”がっ、こんな思いしなくちゃいけないんだっ!」

 

 

 気がつくと、喉から怒声が迸っていた。

 ずっと心に溜め込んでいた、どうしようもない鬱積が。

 

 

「こんな力、望んでなかった! こんな痛み知りたくなかった!

 なんでだよ、どうして、全部ウソだったのかよっ!?

 “俺”を離せっ、みんなに会わせろっ! “俺”の……“俺”の左眼を、返せぇええっ!!」

 

 

 暴れる腕は鎖に絡め取られ、ベッドに縛り付けられる。見苦しいと知りつつも、止める気はなかった。

 幻覚だってなんだって良い。何かに怒りをぶつけられれば、まだ耐えられる。まだ“自分”を保てる。

 だから、振り絞るように恨みを叫ぶ。

 

 幻覚はなんの反応も示さない。

 ……はずだった。

 

 

『ソレガ……。貴方ノ願イ?』

 

 

 天井しか見上げられなくなった視界に、紅い双眸が入り込む。

 どれほど体力が落ちているのか、ただ叫ぶだけで息切れを起こす自分の方が、なんの返事もできなかった。

 不気味に光るそれに、何故だか労わりの気持ちを感じてしまう。

 ……そこまで追い詰められているのか。情けない。

 

 ついでに言えば、ウソもついてしまった。こんな力欲しくないと言ったが、本当は望んでいた。

 絶対に飢えることのない仕事。他者から畏怖される特権階級。毎日でも取り替えられるほど集まる女。

 その末に、ほぼ確実な死が待っているとしても、一度は味わってみたいと夢想していたのだ。それが、実際に得てみれば真逆の思いを抱いている。

 どこまでも醜く、矛盾した生き物。たまらず自嘲してしまった。

 

 

『分カッタ……』

 

 

 しかし、自分の上で四つん這いになるその影は、小さく頷いてみせた。落ちた髪から、どこかで嗅いだ覚えのある、花の香り。

 左手が紅い双眸の片方――左眼を隠し、そのまま唇があるはずの部分を撫でるように下へ。まぶたを閉じたのか、隻眼になっている。

 そして、影は段々と近づいてきた。冷たい温度を感じるほどに。

 ……なんだ、これ。本当に幻覚なのか。ヤツの用意した何か……罠じゃないのか?

 

 

「な、何をす――っ?」

 

 

 疲労で鈍くなっていた頭に冷静さが戻り、まずは身を躱そうとした、その瞬間。

 唇に、冷たさと柔らかさ。そして、甘酸っぱい果実の味を感じた。

 

 

『ン……』

 

 

 超至近距離で、細くなる紅い単眼。

 停止した思考の中、舌に纏わりつく冷たさが、経験のない快感を呼び起こす。

 なんだこれ。気持ちいい。

 なんだこれ。甘い。

 なんだこれ。もっと欲しい。

 疑問と原始的な欲求がせめぎ合い、自分はただ、幻覚にしてはリアル過ぎる行為を、茫然と受け続ける。

 

 ――異物感。

 

 

「ん゛っ!? っぶあ、な、にを……っ!?」

 

 

 唐突に、喉奥へ何かを押し込まれた。

 ピンポン球より少し小さいくらいの球体。

 異様な冷たさを持つそれは、まるで意思を持つかの如く食道で留まる。

 

 

「うっ、おぇ、えふっ、はっ、あ゛っ」

 

 

 どうにか吐き出そうと身体をよじるが、鎖が邪魔で思うように動けない。

 違う。幻覚なんかじゃない。

 これは、現実だ。

 

 

『私ハ、貴方ノ……』

 

「ひっい、ぐぃ、い゛、ぐがかっ、ア゛、ア゛ッ!?」

 

 

 ベッドを降りた影が、何かを言っている。

 けれど、しっかり聞き取るだけの余裕はなかった。

 異物が動いている。食道を突き破り、何処かを目指して上へ登っていく。

 なのに、痛みは無い。

 体内を這い回られる異常な感覚が、鮮明に、意識へ刻まれる。

 身体を暴れさせ、正気を削る。

 

 

「くぁ、あ、うっ、うう゛ぁ……っ」

 

 

 いつの間にか、拘束は破られていた。

 跳ね回る身体がベッドから落ち、床には千切れたような鎖の輪が散乱している。

 異物は喉から脊髄を通り、脳幹を過ぎて。

 左眼が痒い。

 うずくまったまま、無我夢中で包帯を掻き毟る。

 抑える物のなくなった瞼の内側から、治癒剤と思しき粘体が零れ落ちた。

 

 異物と、自分の中の“何か”が、繋がる。

 

 

 

 

 

「ア゛ぁ嗚呼ァァ阿あ゛亜ッ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 電撃が走ったように、背筋が反った。

 紅く染まった“左眼”の視界で、己が内から響いたはずの声は。

 およそ人の物とは思えない……。

 獣の如き、咆哮だった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「きゃあぁぁああぁぁぁっ!?」

 

「ぬぁわおっ!?」

 

 

 恐ろしい突風に、書記が倒れこみながら悲鳴を上げた。

 摩耶も奇妙な鳴き声を発し、バイクごと転倒してしまう。

 ある一方から吹き付けたそれは、けれど、草木も服も、髪すら揺らさず。

 非物理的な衝撃として叩きつけた。

 

 

「え? あれっ、何これっ? エンスト? ええっ?」

 

 

 そして、影響は人体のみに留まらない。

 疋田の乗る装甲車が突然モーターを停止。なのに液晶にはデタラメな画像が乱舞し、各種ライトがデタラメな明滅を繰り返している。

 彼女には見えないが、電たちが居る場所から遥か北東――森に隠れる、成生(なりゅう)岬のある方角には、光の柱が立っていた。

 血のように紅い、光の柱が。

 

 

「な、なんなんだクマぁ! 爆発クマぁ!?」

 

「痛た……。れ、連装砲ちゃん、大丈夫?」

 

「あの、光は……? ボクの見間違いじゃ、ないよね……」

 

「はい。私の眼にも、しっかりと映っていますわ。もがみん」

 

 

 ひっくり返った球磨が困惑し、同じくひっくり返った連装砲を、島風がスカートを直しつつ抱きしめる。立っていられたのは戦艦たちくらいだ。

 駄目押しに最上や三隈を、皆を混乱させるのは、文字通り、天を衝く光柱である。

 一瞬で消えてしまったが、その異様な光景は目に焼き付いて離れなかった。

 

 

「……にゃ!? みんな、アレ見るにゃ!」

 

「嘘……。どんどん広がっていってます!」

 

 

 誰も彼も狼狽えるばかりだが、ふと、多摩が別の方向を指差す。

 光柱のほぼ反対側。眼下に見る舞鶴の街が、暗くなっていく。

 雪風の双眼鏡が追う中で、左手前から、生活の灯が消えていく。

 

 

「街の、灯りが……?」

 

「て、停電? 停電なの? でも、ならさっきのは? 那珂ちゃん分かんないよぅ!」

 

「落ち着きなさいってば。ここでもテロ……? 救援活動で足止め……いや……」

 

 

 神通は立ち上がりながら。那珂は辺りを右往左往しながら、動揺を隠さない。

 意外にも冷静さを保つ川内が、片膝立ちに思案を重ねるけれど、答えは見えなかった。

 おそらく、この分では舞鶴鎮守府にも影響は及んでいるだろう。

 ライフライン断絶を見越した備えはあるはずだが、これに乗じて攻められれば、目も当てられない結果になる。

 事態は急速に切迫し始めていた。

 

 

「……司令官、さん……」

 

「あ、電? もう平気なの?」

 

 

 皆が緊迫した雰囲気に包まれる中、倒れ込んでいた電が、ようやく正気を取り戻した。

 よろめきつつ、雷の助けでなんとか立ち上がる彼女は、まだ朦朧としているようだ。

 

 

「司令官さん……が、居るのです……」

 

「What? 電、please again,もう一度……」

 

 

 ――が、その弱々しい一言に、空気は一変する。

 司令官が居る。

 聞き間違えではないと信じたい金剛が、平静を装って今一度問えば、ハッキリとした声が返ってきた。

 

 

「あっちの方角に、司令官さんが居ます! 間違いないのです! 上手く説明できませんけど、でも、分かるのです!」

 

 

 震える指の指す方向は、あの紅い光柱が立った方角。

 突如として不調に陥った後、行方不明だった人物の所在を言い当てる。

 客観的に見ると信憑性は限りなく低かったが、しかし、有無を言わせぬ迫力もあった。

 電の言ったことが真実なら。

 探し求める人物が、あの光柱の下に居るのなら。

 それはまさしく、天啓を得たに等しい。

 

 

「という事は、これもブラフ? これまでの敵の行動から考えても、納得がいきます」

 

「……本当に、巫山戯た敵だこと~」

 

「上等じゃない……。私たちを散々に弄んでくれた礼、キッチリしてあげるわ……!」

 

 

 既に、鳥海や龍田、霞を始めとして、皆も電を信じて行動しようとしていた。

 ここに居る誰よりも、彼と共に長い時間を過ごし、目に見えない部分で深く繋がっている電が、この状況で断言して見せた。

 それだけで、彼女たちは十分過ぎる確信を持てたのだろう。

 金剛は身をかがめ、電と視線の高さを合わせる。

 

 

「……電。案内できマスか?」

 

「はいっ」

 

「Good!」

 

 

 わずかに数秒、真剣な表情で見つめ合った後。

 彼女は輝くばかりの笑顔を浮かべ、サムズアップして見せた。

 次いで、すっくと立ち上がり。皆へ向けて声を張る。

 

 

「皆さーん! 手掛かりが潰えた今、電の直感を信じるしかありまセン! 善はHurry up! Move・Move!」

 

 

 返されたのは、強い頷きが無数に。

 たった一つの言葉を信じ、少女たちは駆け出していく。

 魂を繋げる、彼の元へ。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 見通せぬ暗がり。

 そこにはただ、闇があるだけだった。

 上下も左右も意味を成さず、時の流れすら凍りそうな、無窮の深淵があった。

 しかし。

 

 ――ポトリ、と。

 

 いずこから雫が落ち、闇に波紋が刻まれ、それは終わる。

 ほんの一滴。

 不意に落ちてくるその雫は、静寂を破り、天地という概念を産み。開闢を思わせる劇的な変化をもたらす。

 

 やがて、波紋の中心から何かが芽吹いた。

 水面に顔を出したのは、赤と緑の葉を持つ、若い植物の芽。それは常軌を逸した速度で成長し、三本に枝分かれしながら、赤と緑の葉を交互に広げていく。

 左右の枝葉が、中央の一本を取り囲むよう、螺旋状に上へと伸びている。最も高く成長した枝の先には、黒い蕾が膨らんでいた。

 

 どれほどの時間が流れただろうか。

 もしかすれば一瞬かも知れないが、時間の経過と共に蕾は大きくなり、支えきれなくなった枝葉たちが、枯れながら蕾を水面へと着水させた。

 ゆっくりと、六枚の黒い花弁が開いていく。

 

 

「お疲れ様です。お早いお帰りですね」

 

 

 キャリ、キャリ、キャリ。

 車椅子の車輪が、どこか寂しげに軋んでいる。

 声を発したのは、木製の車椅子に座る若い男。黒い詰襟を着込んでおり、背後で車椅子を押す女も、喪服のような黒尽くめだった。

 双方とも顔が見えない。男は軍帽の影に落ち、女は黒いヴェールで顔を覆っていた。

 

 

「出迎エ、カ。殊勝ダナ……」

 

「いえいえ、とんでもない。名実ともに僕の先輩にあたる方なんですから。当然ですよ」

 

 

 男の視線の先には、花弁の中央に立つ、不気味な女が一人。

 真っ白な肌。真っ白な長い髪。

 肩を出す分割スリーブの、黒いセーラー服を着ている。縦編みセーターのような模様があり、首元はタートルネックに。

 スカートと袖口はフリルで飾られ、頭には菱形を連ねたカチューシャと、横髪にも同じ髪飾りがあった。

 脚は黒いオーバーニーが覆っており、膝下からは重厚な装甲靴――ハイヒールで守られている。

 人形のような美しさを持つ女だった。良くも、悪くも。

 

 彼女を不気味な印象にしているのは、その眼である。

 紅く燐光を放つ右眼。これだけでも気味が悪いというのに、虚の穿たれた左眼からは血涙を流しているのだ。

 厳かで、静けさを湛えた聖母像が、止め処なく血の涙を流している時の様な、おどろおどろしい気配があった。

 

 

「此処ニハ、慣レタ、カ?」

 

「はい。存外、ここは居心地が良い。誰も帰りたがらない訳です」

 

「……元気ソウデ、何ヨリ、ダ」

 

「ええ、すこぶる快調……と言いたい所ですが、やはり駄目ですね、この身体は。忌々しい脚ですよ」

 

 

 隻眼の女の言葉に、男は自身の膝頭を握りしめる。

 傍から見て、痛みを感じるほどの力が込められていると、誰もが察っせるだろう。

 ヴェールの女が、男の肩へ手を置いた。

 ハッとした男は、それに自らの手を重ねる。傷つけぬよう、微かに触れ合う程度に。

 

 

「僕の事はさて置き、そちらも万事順調なようで」

 

「覗イテイタノ……カ……?」

 

「いえいえ。そんな事しなくても、ここまで伝わって来ましたよ。“彼”の波動が」

 

 

 隻眼の女が花の台座を降り、波紋を作る。

 同時に、黒一色だった水面がとある場所を映し出す。

 海から見る陸地。常人には見えない、赤い光の柱。星を掻き消す街の明かりが、死んでいく様を。

 

 

「彼は【開眼(かいげん)】にまで到れるでしょうか」

 

「……問題ナイ。絶対ニ、根付ク」

 

「それは、“元 統制人格”であるが故の……。魂を連ねるが故の確信ですか。空母水鬼さん」

 

「………………」

 

 

 問いかけに、奇妙な名で呼ばれた女は黙り込む。

 水鬼。

 文字通り、水を司る鬼という意味の他にも、航海中に現れる怪物、船幽霊という意味を持つ言葉。

 空母水鬼という名を分解するなら、由来はさしずめ、沈んだ空母の幽霊……であろうか。

 不気味な隻眼の女には、相応しいのかも知れない。

 答えが返らないと悟ったのだろう。男は次に、うつろな左の眼孔を覗く。

 

 

「その眼、治さないんですか? 流石に片目では不便でしょう」

 

「……コレハ、証、ダカラ」

 

「証……」

 

 

 ただただ不気味で、痛々しいだけの虚を指し、空母水鬼は誇らしさを語る。

 

 

「ヤット、償エル。ヨウヤット、為ニナル何カガ出来タ……。コレハ、ソノ証」

 

「……そうですか。愛されてますねぇ」

 

 

 愛おしげに、己が左眼を押さえる空母水鬼。おそらく、決して報われないその行為に、男はわずかな憐憫と、憧憬の念を抱いた。

 彼女らは一体、どこまで純粋なのか。

 人であれば無意識に果報を求める所を、彼女らにはそれが無い。ただひたすらに、尽くす事だけを喜びとするが如く。

 決してそうはなれないと、己を知っているからこそ、男には彼女らの在り方が眩しく見えるのだった。

 

 

「本当ニ、イイノ……カ……」

 

「はい?」

 

 

 血涙の跡を拭い、まぶたを閉じた空母水鬼は、しかし戸惑っているような声で男に問う。

 

 

「マダ、戻レル。ソノ一歩ヲ踏ミ出セバ、モウ、戻レナイ。……私タチ、ハ。強要シナイ」

 

 

 何がどうと、ハッキリ言明しない言い方だが、言葉には重みがあった。

 言わんとするところを理解しているのだろう。

 男は口元に苦笑いを浮かべ、けれど、確かに首を横へ振る。

 

 

「……お気遣い、どうも。が、無用な心配ですよ。選択は既に済ませました。後は……」

 

 

 重なり合っていた手が一旦は開き、指が絡まる。

 寄り添うように。離れまいと誓い合うように。

 空母水鬼の顔が、悲しげに歪んだ。

 

 

「ドウ、シテ……ソコマデ出来ル。ソウ成レバ、モウ二度ト……」

 

「見たいんですよ。人の奥底にある物を。その輝きを。例えそれが、漆黒の光だとしても。

 人の正体を見定めるまで、僕は僕にしか選べない道を選ぶ。他の誰も真似の出来ない、僕だけの道を」

 

 

 男の言葉に迷いはなかった。側に侍るヴェールの女も、無言の肯定を示す。

 最早、彼を引き止められる言葉も、理由もない。

 

 

「分カッタ……。モウ止メナイ。ソノ時ガ来ルマデ、短イ逢瀬ヲ楽シム、トイイ」

 

 

 男たちに背を向け、空母水鬼は歩き去る。

 いつの間にか、世界はまた深淵の中へと還っていた。

 けれど、先程とは違う部分もある。

 そこには二人が居た。

 光も届かぬ水底で、なおも互いを探し当てる、男と女の姿が。

 

 

「汝、月に咲いた花を愛でよ……って、誰の言葉でしたっけ。ねぇ、■りし■……」

 

 

 男はヴェールの女を見上げ、女は男の頭を胸に抱え込む。

 そうするだけで、それ以上の事はしない。

 そうするだけで、十分だと分かっていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幼年期は終わり、成熟期もとうに過ぎ去った。

 進化のきざはしを見つけねば、我らは羊水に溺れ死ぬだろう。

 結実が近い。

 さぁ、その価値を示せ。

 愛され過ぎた者たちよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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