新人提督と電の日々   作:七音

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スノードロップ・前編

 

 

 

「よし、降ろすぞ! 気を付けろ!」

 

 

 長門の掛け声に合わせ、四人の統制人格が、長方形の大型ポッドを降ろしていく。

 ポッドが着地した瞬間、装甲輸送車は大きく軋んだ。

 椅子を収納し、めい一杯のスペースを確保しても、艤装とポッドで幅はギリギリだった。

 陸奥と扶桑が汗を拭う。

 

 

「ふぅ……。簡易増幅機器と違って、重いわね」

 

「濾過装置なども含まれているでしょうから、仕方ありません……」

 

 

 長門たちが運んでいたのは、吹雪たちが発見した医療用ポッド。その中に、裸体を晒す少女――整備主任を内包した物である。

 一瞥しただけでは分からないが、内部は液体で満たされているらしく、置いた衝撃で主任の身体が僅かに浮き上がる。

 シールドが半分ほど外された今、彼女に施された、改造手術と思しき痕跡が二つ見て取れた。

 一つは、胸を開いた跡のようなメスの痕跡。丁寧な縫合がされており、技術の高さを伺わせる。

 もう一つは、統制人格であれば、艤装状態時に機関部などと霊的結合する部分……。腰椎のある辺りに、明らかに人工的な接合機具が追加されているのだ。

 覗き込む霰と陽炎が、悲しみと怒りに顔を歪ませる。

 

 

「完全適合型、人工統制人格。バージョン○・九五……」

 

「普通の人を無理やり統制人格にするだなんて、一体なに考えてるのよ……!」

 

 

 推測だが、このインプラントを介して神経と艤装を繋ぐのだろう。

 詳しい仕様は分かる筈もないけれど、統制人格の霊的能力を機械技術で補うのだ。生半可な負担ではないと考えられる。

 どんな事情があるにせよ、この様な改造を受けさせられ、変わり果てた整備主任の姿が、痛ましい。

 

 

「主任さん……。本当に、提督には知らせなくて良いんでしょうか……」

 

「……きっと、彼女もこんな姿を見られたくないはずデス。今はSecretにしておきまショー、Ms.山城」

 

 

 彼女の現在を知らされていないのは、仮眠中の桐林のみである。

 小林 倫太郎と名乗っていた存在との戦闘を前にして、拉致事件に巻き込まれた少女の顛末を知れば、間違いなく彼は憤り、悲しみ、自責するだろう。

 激しい怒りは思考を乱し、深い悲しみは精神を停滞させ、自責の念は自罰行為に繋がる。

 決して負けられない戦いなのだ。不安要素を、できる限り排除しなければ。

 

 

「ぜぇ、ぜぇ、それもそうクマがっ、早く車の電源にっ、繋いで欲しい、クマっ!」

 

「手がもげる、にゃあぁぁっ」

 

「はいはい、ちょっと待ってね。ええと……三隈ぁ?」

 

「お任せ下さい、もがみん」

 

 

 暗くなりがちな車内だったが、ごく一部、騒がしい統制人格たちのおかげで、重苦しくはない。

 主任が眠る医療ポッドに電力が使われているのは当然だが、非常用のバッテリーは容量が少ないようで、万が一を考えると消費は避けるべき。

 そこで出番となったのは、装甲車に備わった手回し式発電機である。

 取り外したそれを医療ポッドに直結し、車へ運び込むまでの電力を、球磨・多摩の尽力で補ったのだ。

 車の電源に繋いだ後は、エンジンが掛かっていれば同時に発電も行われるため、稼働時間も伸びる。そして、電力が尽きるまでの間に、設備の整った医療施設へと運び込む算段である。

 しかし、書記は調整士の仕事で忙しく、表向き反逆者として手配されている疋田も、そういった施設に出向くことは不可能。

 二輪車を動かせるなら大丈夫だろうと、代わりに運転手を務める予定の天龍が、医療ポッドを固定しながら、主任の容態を気に掛けていた。

 

 

「なぁ、どんな状態なんだ? 弥生」

 

「自発呼吸はあるみたいですが、あまり詳しくは……。けど、素人判断は危険、です。早く、本格的な病院で診てもらわないと」

 

「それもそうね~。私、地図を確認してくるわ~」

 

 

 表示されていたバイタルを弥生が確認し、促された龍田が運転席の方に姿を消す。

 直近の高度医療機関へ、最短距離で向かう道を、予備ルートも含め探しておかねばならない。

 車内は忙しさを増していった。

 そんな中、堪え切れなくなった霞が車外に飛び出し、四脚運搬機の残骸を殴り付ける。

 

 

「あの時、私が奴に負けてなければ……。奴を追い返せていたら、こんな事にはっ。……兵藤さん、だって!」

 

「霞……。あんまり、自分だけを責めちゃ、ダメだよ……?」

 

 

 口をつくのは後悔ばかりだ。

 あの日、あの時。もっと自分が強かったら、キチンと役目を果たせていれば。

 詮無い事だと分かっていても、全てが上手くいった未来を求めてしまう。

 追いかけた霰が言い聞かせているが、握られた拳は開かれない。

 きっと、優しさが欲しいのではないのだろう。

 今、彼女の欲っしている言葉は、痛みと向き合わせてくれる、強い言葉。

 それを察した金剛が、優し過ぎる霰に代わり、霞の背中へ声を掛ける。

 

 

「ちょっと厳しい事を言いマス。……“たられば”の話なんテ、なんの意味もありまセン。

 起きてしまった事は変えられないんデス。

 どんなに悲しくテモ、辛くテモ。後悔しているダケでは、一歩も前に進めませんヨ」

 

 

 心があるのだ。悲しんだり、怒ったり、後悔するのも良いだろう。

 しかし、それだけではいけない。そこで立ち止まってはいけない。

 痛みに怯えて歩みを止めるなど、勝手な理屈で苦しめられた者たちへの、侮辱なのだから。

 ……けれど、心があるのだ。

 一人では足がすくんでしまう事も、二の足を踏んでしまう事だって。

 いつ如何なる時でも強く在れだなどと、酷な要求である。

 だが、幸いにも彼女たちは違う。優しく触れてくれる手があり、厳しい言葉をくれる仲間が存在する。

 背中を向けたままだった霞は、アームウォーマーで顔を拭うような仕草をした後、凛とした表情で振り向く。

 

 

「分かってるわよ、そんなこと……。これ以上、失ってたまるもんです……か……」

 

「……霞? どうし……うっ」

 

「What's!? なん、デスか……!?」

 

 

 紅く、世界が揺らいだ。

 霞の左眼が紅く染まったように見えた、その瞬間。金剛たちの身体に、強烈な怖気が走る。

 堪らず膝をつく彼女たちの脳裏には、聞き覚えのない、少女の声が響いていた。

 

 まだ、言えてない言葉があったのに。

 まだ、伝えられてない想いがあったのに。

 あの人はもう、応えてくれない。もう何も、届かない。

 

 

「な、なんだクマ……っ? 胸が苦しい、クマぁ……」

 

「嫌、嫌、嫌……ぁ……。扶桑姉様、助けて……!」

 

「気をしっかり持て、お前ら! くっそぉ、左眼が……」

 

「天龍さんだけでは、ありません、わ……。もがみん、も、わたくし、の、左眼まで……」

 

 

 少女の慟哭は、金剛たちだけではなく、付近の統制人格、全員が受け取っていた。

 胸を大砲で撃ち抜かれたような、耐え難い喪失感。

 紅い燐光を放つ左眼から、勝手に流れ出した涙が、皆の頬を濡らしていく。

 が、僅かな間も置かず、その声は変質する。

 聞き覚えのある声に。

 聞いたことのない、呪いの声に。

 

 貴様だけは、この手で殺してやる。

 殺してやる。殺してやる。殺してやる。

 殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺し、殺し、殺し殺し殺し殺殺殺殺殺――殺スッ!

 

 

「な、なんなのだ、この、声はっ!? 提督、かっ?」

 

「熱いのに、寒い……っ。氷よりも冷たいのに、溶岩みたいに煮え滾って……!」

 

 

 両極の熱量を宿すそれに、長門も、陸奥も。ひたすら、身を縮めて耐え忍ぶしかなかった。

 ただ一人。

 霞だけが、覚束ない足取りで装甲車へ向かっている。

 その中で眠っているはずの、決して喪う訳にはいかない人の安否を、確かめるために。

 

 

「駄目……。駄目よ、それだけは、駄目……っ。駄目なのに……」

 

 

 何が駄目なのか、言っている霞自身、よく分かってはいない。

 けれど、口にせずにはいられなかった。言葉にしないと、耐えられなかった。

 途中で何度も転びかけ、やっとの思いで装甲車にたどり着き、そこで霞は力尽きてしまう。

 誰も彼もが意識を失う中。

 医療ポッドに満たされた循環液が、微かに泡立ち始める……。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 “それ”が正気を取り戻したのは、たっぷり十秒ほど、桐林艦隊の紅い力場を見つめてからだった。

 

 

「は、ははっ。いや、なんて事ない。例えお前らがその力を使えたとしても、地力が違う。僕が負けるはず無いんだから!」

 

 

 大仰に腕を振り回し、自身もまた、加速しながら赤黒い霊子力場を纏う。積もろうとする大粒の雪が蒸発した。

 使えるという事と、使いこなすという事は同義ではない。

 初めて銃を持った人間と、何十人も撃ち殺した経験のある人間とでは、その戦闘能力に大きな差が出る。

 オマケに、“それ”が使う戦艦は鋼鉄よりも遥かに強度の高い、深海棲艦の半有機鉄鋼で構成されている。四十一cm砲の直撃にだって耐えられるのだ。

 ただの鉄の塊でしかない桐林艦隊に、負ける道理はなかった。

 

 位置関係を整理しよう。

 北――数km後方には冠島が存在し、南へ順に“それ”の乗る戦艦、人工統制人格が乗る阿賀野型四隻、そして桐林艦隊。

 南下し続けていた阿賀野型と戦艦の位置はほぼ平行であり、桐林艦隊は分散しつつ、南西へ向かう戦艦の五時方向を北に向かっている。

 艦載機を飛ばすまでもなく、互いを目視できる距離。阿賀野型はさておき、タ級の電探に相当する物を配した戦艦なら、八割に近い確率で当てられるだろう。

 とはいえ、ノーガードの殴り合いをするほど馬鹿でもない。

 回避行動を取りながら、一先ず人工統制人格を先行させ、力場の厚さを確かめねば――

 

 

「……あ? お、おいっ、どこへ行く!?」

 

 

 ――と、命令を下そうとした直後。

 四隻の軽巡洋艦は、勝手に針路を西へ変更し、戦闘領域を離脱し始めた。

 慌ててラジオ・コントローラーを手に取り、人工統制人格へ命令を伝達するも、反応がない。

 インプラントした受信器に不具合が生じたか、あるいはもう限界が来たか。

 どちらにせよ、弾除けは居なくなってしまった。

 

 

「チッ、役に立たない阿婆擦れ共がぁ……!」

 

 

 毒づき、裏切り者へ砲を向けようとする“それ”だったが、実行は思い留まる。

 どうせ最後まで苦しんで死ぬ運命だ。砲弾が勿体無い。

 それに、もっと別の、注意を払うべき存在が接敵しつつあった。

 

 

「アハハハ! 最っ高に素敵なパーティーしましょう! アッハハ!」

 

「……目標を、捕捉……。砲撃、開始」

 

 

 異様な速度で戦艦へと吶喊する、駆逐艦二隻。夕立と時雨だ。

 紅い妖気――闘気の中で、夕立は両手を掲げて狂乱に舞い、時雨は表情を殺し、静かに右手の単装砲を構えている。

 ……いや、おかしい。あの女の艤装、あんな見た目だったか? あんな単装砲、持っていたか?

 それ以前に、二人の頭身が一つ分ほど高くなっているような気も。何かがおかしい。

 

 けれど、考察を巡らせるだけの余裕はなかった。

 一直線に進んでいた二隻は、戦艦に対し左右へ別れながら腹を見せる。向けられる砲の数は、連装砲二基、単装砲一基が二隻分。合わせて六基十門。

 素の防御力でも耐えられるだろうが、念には念を。戦艦が霊子力場を纏い、鎧のように硬質化させる。

 轟音。

 規則的なタイルパターンと、紅い軌跡を残す砲弾が激突した。

 

 

「――ぐ!? なん、だよ、この重さ!?」

 

 

 力場に掛かる負担が、増大した重力のような形で襲ってくる。

 駆逐艦の豆鉄砲など軽くいなせるはずなのに、この威力はなんだ。

 最低でも軽巡洋艦……もしかすれば、重巡洋艦に迫る攻撃力。霊子を上乗せされているとしても、この上げ幅は異常だった。

 

 

(単なる霊子力場の上乗せじゃない。歴史残像……。存在比重が、そのまま攻撃力に転化されてるのか?)

 

 

 夕立と時雨。史実において、尋常ならざる武勲を挙げたこの二隻は、名を歴史に深く刻まれている。

 時が過ぎ去っても、人々はその記録を読み、自らの記憶に留め、失われてなお存在し続けているかの如く、語り合う。

 単なる鉄の塊が、そうして幾重もの情念を纏い、重さを増し、別の存在へと変貌していくのだ。

 

 歴史残像効果による、存在比重の増加。

 

 深人類となった“それ”が見出した理論である。

 兵藤の三笠刀に易々と身を貫かれたのも、神格化されつつある三笠という戦艦の、霊格に寄る部分が大きい。

 

 

(でも、この程度なら僕の力場は抜けない。一時間でも二時間でも耐えられる。先に潰すべきは……)

 

 

 しかし。驚嘆に値しても、脅威には値しない。

 “それ”とて、何十、何百という軍艦を、深海棲艦を喰らってきた。その度に、吸収した船の分だけ比重を増してきた。

 たかが駆逐艦の砲。鬱陶しいだけだ。そんな雑魚より、もっと警戒すべき相手は……。

 

 

「死ね、古臭い人形め!」

 

 

 極端に速度を落とす、重巡洋艦。加古、古鷹の二隻。

 長十cmが二十・三cm砲に相当している今、二十・三cm砲の攻撃力はどこまで上がっているか。少なくとも戦艦級以上だろう。

 攻撃は最大の防御というが、その攻撃手段を奪ってしまえば、あとは煮るなり焼くなり好きにできる。

 変わらず砲撃を続ける駆逐艦を無視し、“それ”は歪な形をした十六inch三連装砲と、十二・五inch連装副砲を微調整。

 力場は全て防御力に回しつつ、砲弾が通る部分だけに穴を開け、狙いを定めて――

 

 怒音。怒音。怒音。

 

 三連装四基十二門、連装十基二十門が黒煙を吹く。

 一発でも当たれば中破必至だ。

 

 

「……ぁん?」

 

 

 ――が、“それ”は訝るように顔をしかめた。

 音速を超える砲弾は、吸い込まれるように重巡二隻へ伸びる。

 何発か逸れてしまうのは仕方ないとして、それでも多くの命中弾が風穴を開けるはずだった。

 けれど、間違いなく当たったと確信した瞬間に、起こるべき爆発が起きない。

 人外の視力を以ってズームしてみれば、砲弾は二隻の手前、数mで止まっていた。

 紅い闘気に絡め取られ、空中で縫い止められていたのだ。

 

 爆音。

 

 耐え切れなくなったように、戦艦の撃ち出した砲弾が爆ぜる。

 数秒、炎と煙で重巡が隠れ、しかし当然の如く、健在な姿をまた現す。

 その船体に、不規則なランダム・タイルパターンを保持しながら。

 

 

「効かない、全っ然、効かないね!」

 

「軽い攻撃……。お返しです」

 

 

 髪留めが外れ、乱れた髪で左眼を隠す加古が。

 代わりとばかりに、左眼を煌々と輝かせる古鷹が、周囲に満ちた光を手繰る。

 渦巻く闘気は、放電現象を伴って砲塔へ集中していった。

 

 

「冗談だろ……。クソっ!」

 

 

 特殊な攻撃の前兆を見取った“それ”は、慌てて力場障壁に全霊を注ぐ。

 ただ纏うだけでも威力の向上を見込める霊子力場だが、あれは明らかに霊子が収束されている。

 連発は出来ないものの、砲撃の威力を必殺にまで高める、霊子の攻撃転化。

 効果の程は、自身が一番よく知っていた。守りに徹しなければ不味い。

 

 

(駆逐艦の砲であの重さ。展開範囲を狭めて、厚く)

 

 

 誤射を避けるためか、駆逐艦たちは戦艦の背後に回り込まず、距離を離しながらチマチマと砲撃を続けている。命中率も下がっていた。

 ならばその分を、重巡たちが存在する方向へ集中させれば良い。

 戦艦を包んでいたタイルが、規則正しい物と不規則な物とに変化し、パズルのように入れ替わる。

 歪なランダムパターンが五時方向に、美しいタイルパターンが、他方向を覆った。

 

 轟音。轟音。轟音。

 

 障壁展開とほぼ同時に、古鷹・加古が砲撃を放つ。

 闇夜を切り裂く紅い光条は、連装主砲、合わせて六基十二門。

 しかし、意外なことに殆どが的外れ。障壁に掠るのも二~三発だろうと、刹那の間に理解できた。

 なんだ、やっぱり。使う事は出来ても、まだ制御が覚束な――

 

 

「え?」

 

 

 紅い光が、くの字に折れた。

 

 貫通。

 炸裂。

 肌を嘗める熱さ。

 

 

「ぐが、ぁああっ!? ち、直撃!? なんでっ」

 

 

 爆風に晒され、甲板上を転げ回りながら、“それ”は大いに狼狽する。

 見間違いでなければ、今確かに、砲弾が曲がった。まるで、“ひかり”の曲射熱線砲が如く。

 障壁の分厚い部分を避け、薄くした部分を貫かれた。

 

 

(砲弾の軌道を曲げるだと? そんな事できる筈がない、僕だって擬似近接信管が限界なのに!)

 

 

 身体の震えは、破壊された一番砲塔と第三、第四電探の痛みか、それとも。

 深海棲艦と融和して十余年。

 砲弾に近づいた霊子に反応して爆発する近接信管(Proximity fuze)――太平洋戦争時は、VT信管(Variable Time fuze)と呼ばれた物に相当する機構を再現できるようになったのは、ごく最近のこと。

 ただ再現するだけでも時間が掛かったというのに、たった今、この場で起きた現象はなんだ。

 現実には絶対起こり得ない不条理を、この身に味わわせたのは誰だ。

 

 

「お前ぇ……。お前か桐林ぃいいっ!!」

 

 

 たかが傀儡に、この力は宿らない。これは人間の強い意志に由来するはず。

 例え感情を、意志を宿したとしても。ただのヒトカタからは、何一つ産み出されないのだから。

 統制人格の向こう。

 増幅機器に横たわった男の姿を幻視し、“それ”は咆哮する。

 不可視の波が燃える甲板を走り、炎と黒煙を吹き飛ばした。

 手傷は負わされたが、深手ではない。まだ小破と言ったところ。挽回するには十分だ。

 

 

「殺してやる……。オマエら全員、皆殺しだぁ!!!!!!」

 

 

 両腕が大きく振られ、瞬間的に障壁が解除された。間を置かず、戦艦の両舷が変化を起こす。

 物理装甲の張り巡らされた胴が口を開いたのだ。文字通り、人間が口を開けるように。

 続けて砲撃のように吐き出される高速物体。

 それは、あの丘で尻尾から射出された航空機を、そのまま大きくしたもの。

 翼を広げる六十の機体が、恐ろしい速度で四方八方へ飛翔する。

 

 

「アハハハハ、選り取り見取りっぽい? ウフフッ!」

 

「残念だったね。見え見えだよ」

 

「対空戦闘、用意……」

 

「へへっ、一丁上がりだぁ!」

 

 

 それぞれ十機を向けられた駆逐艦は、また別方向に最大戦速。追い縋る航空機を引き撃ちで仕留めていた。

 重巡も増設された三連装機銃と主砲で対応し、爆撃へ移る前に二十機全てを叩き落とす。異常な命中率だ。

 特に目立つのが、北へと微速前進する雷巡。戦艦の南東に居る二隻だった。

 

 

「一発必中、ってねー」

 

「遅過ぎです。まるで止まっているみたい」

 

 

 轟音がテンポ良く、リズミカルに光条を作り出す。一条一機。確実に落としている。

 重雷装艦化に際し、北上・大井の船体からは複数の兵装が撤去された。

 まともな対空兵装は、改装された十五・五cm三連装砲と貧弱な機銃だけ。

 だというのに、三連装砲から発射される砲弾は、あらゆる物理法則を無視した直進性と速度で、反跳爆撃に移った機体を。投下され、水切りのように跳ねる爆弾をすら撃ち抜く。

 光学兵器と見紛う弾速と正確さ。

 急降下爆撃より必要な練度が低く、命中精度も高い反跳爆撃なれど、これでは意味がない。

 

 

「ふざ、けるなよ……。なんなんだ、この出鱈目は!?」

 

 

 海へ没する残骸を見つめ、“それ”は頭を掻き毟り、地団駄で鋼の甲板を砕く。

 出鱈目。そう、出鱈目だ。

 これほど多彩な霊子転化、知らなかった。これほど柔軟な能力行使も、目にした事が無い。

 獲得したばかりの力を、どうしてここまで使い熟せる?

 これではまるで、奴の方が格上ではないか。

 これでは、まるで。

 

 ――僕が、当て馬みたいじゃないか。

 

 

「……認めてたまるかっ、そんなこと! 僕は賢い、僕は強い、僕は正しい、僕は、僕は、僕は……もう、一度たりとも負けられないんだよっ!」

 

 

 弱気な考えを露と振り払い、“それ”が腕を掲げた。

 途端、甲板上に鉄塊が隆起し、かと思えば魚雷発射管へと変貌していく。

 装填されているのは通常の魚雷ではなく、深海棲艦が使う物だ。

 しかも、この戦艦に合わせて独自に大型・高速化した、いわゆる切り札である。攻撃力に転化した霊子を上乗せすれば、直撃せずとも必滅の一撃となる。

 戦艦は南へ進路を取り、桐林艦隊に腹を見せた。狙う予測射線上に、重巡二隻。

 左舷にせり出た巨大三連装発射管五基が、獣の如く唸りを上げる。

 

 と、その射線上に割り込む艦影があった。

 紅を纏う重雷装艦たちである。

 

 

「片舷二十五門」

 

「計五十射線の酸素魚雷」

 

 

 スクリューを逆回転させ、立ち塞がるように停船した二隻もまた、魚雷発射管を旋回させる。

 それを制御する統制人格たちは……どうした事か、身に付ける衣装が変わって見えた。

 濃緑のセーラー服がベージュ色に、上着の丈は短く。太もも、ふくら脛の魚雷発射管四基も、大腿部の上で重なって。

 そして何より、表情が違う。

 

 

「躱せるものなら!」

 

「躱してみなさい!」

 

 

 左舷に立ち、左腕と両腿の発射管を戦艦へ向ける二人は、笑っていた。

 戦いを楽しんでいるかのように。酔っているかのように、傲岸不遜な笑みを浮かべて。

 確かに。霊子力場を纏っている時の全能感、超越感は代え難いものがあるが、それは感情持ちでも同じらしい。

 

 奇しくも、十五射線と五十射線の雷撃は、全く同時に発射される。

 が、戦艦の放った物と違い、雷巡の酸素魚雷は発光していた。

 霊子を内部に留められず、海面下を紅い光が走っている。酸素魚雷の無航跡という利点が失われているのだ。

 

 

「……なんだぁ? 酸素魚雷なのに、バレバレじゃないか。そんなもの簡単に……?」

 

 

 回避できると考え、速度を上げ始めた視界の中で、妙なことが起きた。

 雷巡の放った魚雷に、速度差が生まれたのである。

 七割ほどが急激に雷速を上げ、残り三割――大型魚雷のすぐ脇をすれ違うだろう物はそのまま。ややあって、二隻の魚雷は肉薄。

 

 轟爆音。

 

 

「こ、今度はなんだ!?」

 

 

 突如、高さ四十mを超えるだろう水柱が……水の壁が立ち上がった。ビリビリと空気が震えている。

 魚雷同士が正面衝突した――否。雷巡の魚雷が自爆したのだろう。戦艦の魚雷を巻き込むように。

 意識的に速度を調整でき、任意で起爆まで行える雷撃。そんな物、あってたまるか。

 しかし、現実は“それ”の思いを裏切る。

 生き延びた酸素魚雷が、更に雷速を上げた。

 

 

「嘘だろオイ!? クソ、クソクソクソッ!」

 

 

 躱しきれない。速度を一杯まで上げても、残り三十五射線の雷撃に、必ず捕まってしまう。

 であれば、せめて被弾面積を少なくするしかなかった。

 戦艦は左に急速回頭。艦首を東へ向けながら、被雷数を減らそうと試みる。

 

 閃光。

 

 艦首。左舷中央。艦尾に計三発。

 頭から左脇腹、太股辺りにかけて、激しい痛みが襲い掛かった。

 

 

「ぐほぁ、っが……! 冗談じゃ、ないぞ……っ。このままじゃ……」

 

 

 甲板へ倒れこみそうになるも、“それ”は尻尾を使ってどうにか堪え、脇腹を抑える。

 損傷を受けた箇所に相応する部位から、青い血が流れ出ていた。

 浸水は軽微。けれど左のスクリューがやられた。脚を殺されてしまった。中破状態だ。

 慌て過ぎて障壁も張れず、見た事もない能力行使に翻弄され、良いように弄ばれて。

 このままでは、負けてしまう。

 このままでは、沈んでしまう。

 このままでは……。

 

 

「さぁ、今度はどこを撃ってあげようかしら?」

 

「君には失望したよ。……こんなに弱いだなんて」

 

 

 爆撃機を処理し終えた夕立・時雨が、戦域へと舞い戻る。

 無傷だった。機銃の一発すら受けていない駆逐艦たちが、最大戦速で向かって来ていた。

 

 

「主砲、狙って……。そう、撃てぇ!」

 

「砲撃を集中だ、行っけぇええっ!」

 

 

 北上・大井の後方から、古鷹と加古が射角を上げて砲撃する。

 味方の上を通り過ぎた砲弾は、頃合いを見計らってその向きを変えた。

 

 

「次発装填、開始です」

 

「今度こそ、ギッタギタにしてあげましょーかねー」

 

 

 雷巡二隻は動こうとしない。

 動く必要などないと言わんばかりに三連装砲を構え、悠然と次の魚雷を装填している。

 

 

「ぐぎ、あ゛う、ぐっ!? っあぁぁ……」

 

 

 全方位に張り巡らされた力場障壁が、悲鳴を上げていた。掛かる負担は、“それ”の身体を直接に蝕む。

 北北西から夕立、南西から時雨、東からは重巡と雷巡の四隻が、雨あられと砲弾を降らす。

 ランダム・タイルパターンに、ヒビが入り始めた。物理干渉力を失った霊子は、障壁内部で粉となる。

 まるで血の雪だ。障壁の外では真っ白なのに。

 そう言えば、あの日も雪が降っていた。

 あの日もこんな風に、大粒の雪が。

 寒い。

 

 

(死ぬ……。僕はまた、死ぬのか……?)

 

 

 脳裏にフラッシュバックする原体験。

 荒波で揺れるボート。

 横たわった身体へと降り積もる雪。

 紫に変色した己の指。

 

 脇腹を抑えていた指を見る。

 青い血は、紅い砲撃の炸裂光を受け、暗い紫色に沈んで見えた。

 

 

(嫌だ、嫌だ、死ぬのは嫌だ! もう二度と、死んでたまるかっ!)

 

 

 震える身体を抱きしめ、“それ”はやっと自覚する。

 藪をつついて蛇を――いいや、鬼を出してしまったのだと。

 このままでは確実に殺される。今まで“それ”がやってきた様に、嬲り殺しにされてしまう。

 報い? 因果応報? そんなもの知るか。

 生きていたいのだ。

 技研で嬲られ、冬に凍え、餓えと渇きに苛まれ、ようやく拾ったこの命。

 

 ――死にたくない!

 

 

「ま、待った! ちょっと待った! ぼ、僕を殺したら、あの女を目覚めさせる手掛かりが潰えるぞ? それでも良いのかぁ!?」

 

 

 砲撃音に負けぬよう、“それ”は腹の底から声を張る。

 絶叫は戦艦を通り、電波となって桐林艦隊へ届く。届いたはずだ。

 その証拠に、怒濤の攻撃は止まっていた。

 船を手繰る統制人格たちも、一時停止したかの様に動きを止めている。

 今が好機と、“それ”がまた口を開く。

 

 

「そうだ、そうだよ……。君たちにその気があるなら、こちらには情報提供する用意もある。

 能力開発の蓄積データ、医療関係の新技術、人工能力者と人工統制人格の開発サンプルや、霊子力場の制御法だって!

 僕らが手を組めば、深海棲艦なんて目じゃない。文字通り世界を支配できる! 僕を殺すよりも、生かしておいた方が得るものは多い!」

 

 

 声高に説くのは、己の価値。

 憎い相手を殺して得るものは、せいぜい達成感と、復讐という目的を失った、胸を透く喪失感だけ。

 しかし、怒りを飲み込んで“それ”を受け入れれば、日本の軍は多大な利益を得るだろう。

 特許の移譲。同調率に影響しない半有機鉄鋼の精製方法。適合確率の問題はあるが、骨髄移植で能力者の位階を上げる事も可能である。

 そして、無駄飯喰らいで文句ばかり一丁前な愚民共を、戦いの道具と化す技術まで。

 大局的に見れば、どちらが得かは一目瞭然。

 ましてや提督という存在は、国を利する為に存在する。どちらを選ぶべきかなど、考えるまでもない。

 

 

「僕にはまだ価値がある。生き残る意味がある。だからさ、ね? この辺で止めようよ?

 怒ってるなら謝るから、土下座でもなんでも……。なんだったら、僕の身体を使わせてあげたって良い!

 君の船としてでも、女としてだって構わないから! だから……」

 

 

 ――だから、殺さないで。

 

 プライドをかなぐり捨て、“それ”は哀願し、媚びへつらう。

 仮初とは言え、恩師を殺したのだ。桐林の激怒は相当なものだと想像できる。

 だが、その上でも生きていたいのだから、誇りや自尊心など邪魔になるだけ。

 彼が望むなら、彼の手足となって戦おう。

 この身は戦艦。砲撃戦も、航空戦も、雷撃戦をもやってのける艦。喉から手が出るほど欲しいはず。憎い相手を顎で使うのだから、きっと溜飲を下げられる。

 彼が望むなら、女となってしまった身体だって差し出そう。

 心は散々に弄ばれても、生まれ変わった身体は綺麗なまま。まるで女だと虐められた顔だって、こうなれば役に立つ。

 脚ばかりはどうしようもないが、太股から上だけを見るなら、かなり男好きのする身体だという自負もある。

 

 今、この時に持ち得る全ての要素を使い、“それ”は生き延びようとしていた。

 それほどまでに、恐ろしくて、恐ろしくて、堪らないのだ。

 死という概念が。

 

 

『――さい』

 

 

 けれど。

 “それ”の事情など、それこそ“どうでも良い”のだ。

 

 

『五月蝿イ。耳が腐ル。黙っテ死ね』

 

 

 憎悪に魂を燃え上がらせる、その男にとっては。

 攻撃が、再開された。

 

 

「なんなんだよ……。お前は一体、なんなんだぁああっ!?」

 

 

 絶叫は爆音に掻き消され、もはや誰にも届かない。

 雪が降り続けている。

 決して積もることのない雪が、深々と。

 

 

 


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