「よし、降ろすぞ! 気を付けろ!」
長門の掛け声に合わせ、四人の統制人格が、長方形の大型ポッドを降ろしていく。
ポッドが着地した瞬間、装甲輸送車は大きく軋んだ。
椅子を収納し、めい一杯のスペースを確保しても、艤装とポッドで幅はギリギリだった。
陸奥と扶桑が汗を拭う。
「ふぅ……。簡易増幅機器と違って、重いわね」
「濾過装置なども含まれているでしょうから、仕方ありません……」
長門たちが運んでいたのは、吹雪たちが発見した医療用ポッド。その中に、裸体を晒す少女――整備主任を内包した物である。
一瞥しただけでは分からないが、内部は液体で満たされているらしく、置いた衝撃で主任の身体が僅かに浮き上がる。
シールドが半分ほど外された今、彼女に施された、改造手術と思しき痕跡が二つ見て取れた。
一つは、胸を開いた跡のようなメスの痕跡。丁寧な縫合がされており、技術の高さを伺わせる。
もう一つは、統制人格であれば、艤装状態時に機関部などと霊的結合する部分……。腰椎のある辺りに、明らかに人工的な接合機具が追加されているのだ。
覗き込む霰と陽炎が、悲しみと怒りに顔を歪ませる。
「完全適合型、人工統制人格。バージョン○・九五……」
「普通の人を無理やり統制人格にするだなんて、一体なに考えてるのよ……!」
推測だが、このインプラントを介して神経と艤装を繋ぐのだろう。
詳しい仕様は分かる筈もないけれど、統制人格の霊的能力を機械技術で補うのだ。生半可な負担ではないと考えられる。
どんな事情があるにせよ、この様な改造を受けさせられ、変わり果てた整備主任の姿が、痛ましい。
「主任さん……。本当に、提督には知らせなくて良いんでしょうか……」
「……きっと、彼女もこんな姿を見られたくないはずデス。今はSecretにしておきまショー、Ms.山城」
彼女の現在を知らされていないのは、仮眠中の桐林のみである。
小林 倫太郎と名乗っていた存在との戦闘を前にして、拉致事件に巻き込まれた少女の顛末を知れば、間違いなく彼は憤り、悲しみ、自責するだろう。
激しい怒りは思考を乱し、深い悲しみは精神を停滞させ、自責の念は自罰行為に繋がる。
決して負けられない戦いなのだ。不安要素を、できる限り排除しなければ。
「ぜぇ、ぜぇ、それもそうクマがっ、早く車の電源にっ、繋いで欲しい、クマっ!」
「手がもげる、にゃあぁぁっ」
「はいはい、ちょっと待ってね。ええと……三隈ぁ?」
「お任せ下さい、もがみん」
暗くなりがちな車内だったが、ごく一部、騒がしい統制人格たちのおかげで、重苦しくはない。
主任が眠る医療ポッドに電力が使われているのは当然だが、非常用のバッテリーは容量が少ないようで、万が一を考えると消費は避けるべき。
そこで出番となったのは、装甲車に備わった手回し式発電機である。
取り外したそれを医療ポッドに直結し、車へ運び込むまでの電力を、球磨・多摩の尽力で補ったのだ。
車の電源に繋いだ後は、エンジンが掛かっていれば同時に発電も行われるため、稼働時間も伸びる。そして、電力が尽きるまでの間に、設備の整った医療施設へと運び込む算段である。
しかし、書記は調整士の仕事で忙しく、表向き反逆者として手配されている疋田も、そういった施設に出向くことは不可能。
二輪車を動かせるなら大丈夫だろうと、代わりに運転手を務める予定の天龍が、医療ポッドを固定しながら、主任の容態を気に掛けていた。
「なぁ、どんな状態なんだ? 弥生」
「自発呼吸はあるみたいですが、あまり詳しくは……。けど、素人判断は危険、です。早く、本格的な病院で診てもらわないと」
「それもそうね~。私、地図を確認してくるわ~」
表示されていたバイタルを弥生が確認し、促された龍田が運転席の方に姿を消す。
直近の高度医療機関へ、最短距離で向かう道を、予備ルートも含め探しておかねばならない。
車内は忙しさを増していった。
そんな中、堪え切れなくなった霞が車外に飛び出し、四脚運搬機の残骸を殴り付ける。
「あの時、私が奴に負けてなければ……。奴を追い返せていたら、こんな事にはっ。……兵藤さん、だって!」
「霞……。あんまり、自分だけを責めちゃ、ダメだよ……?」
口をつくのは後悔ばかりだ。
あの日、あの時。もっと自分が強かったら、キチンと役目を果たせていれば。
詮無い事だと分かっていても、全てが上手くいった未来を求めてしまう。
追いかけた霰が言い聞かせているが、握られた拳は開かれない。
きっと、優しさが欲しいのではないのだろう。
今、彼女の欲っしている言葉は、痛みと向き合わせてくれる、強い言葉。
それを察した金剛が、優し過ぎる霰に代わり、霞の背中へ声を掛ける。
「ちょっと厳しい事を言いマス。……“たられば”の話なんテ、なんの意味もありまセン。
起きてしまった事は変えられないんデス。
どんなに悲しくテモ、辛くテモ。後悔しているダケでは、一歩も前に進めませんヨ」
心があるのだ。悲しんだり、怒ったり、後悔するのも良いだろう。
しかし、それだけではいけない。そこで立ち止まってはいけない。
痛みに怯えて歩みを止めるなど、勝手な理屈で苦しめられた者たちへの、侮辱なのだから。
……けれど、心があるのだ。
一人では足がすくんでしまう事も、二の足を踏んでしまう事だって。
いつ如何なる時でも強く在れだなどと、酷な要求である。
だが、幸いにも彼女たちは違う。優しく触れてくれる手があり、厳しい言葉をくれる仲間が存在する。
背中を向けたままだった霞は、アームウォーマーで顔を拭うような仕草をした後、凛とした表情で振り向く。
「分かってるわよ、そんなこと……。これ以上、失ってたまるもんです……か……」
「……霞? どうし……うっ」
「What's!? なん、デスか……!?」
紅く、世界が揺らいだ。
霞の左眼が紅く染まったように見えた、その瞬間。金剛たちの身体に、強烈な怖気が走る。
堪らず膝をつく彼女たちの脳裏には、聞き覚えのない、少女の声が響いていた。
まだ、言えてない言葉があったのに。
まだ、伝えられてない想いがあったのに。
あの人はもう、応えてくれない。もう何も、届かない。
「な、なんだクマ……っ? 胸が苦しい、クマぁ……」
「嫌、嫌、嫌……ぁ……。扶桑姉様、助けて……!」
「気をしっかり持て、お前ら! くっそぉ、左眼が……」
「天龍さんだけでは、ありません、わ……。もがみん、も、わたくし、の、左眼まで……」
少女の慟哭は、金剛たちだけではなく、付近の統制人格、全員が受け取っていた。
胸を大砲で撃ち抜かれたような、耐え難い喪失感。
紅い燐光を放つ左眼から、勝手に流れ出した涙が、皆の頬を濡らしていく。
が、僅かな間も置かず、その声は変質する。
聞き覚えのある声に。
聞いたことのない、呪いの声に。
貴様だけは、この手で殺してやる。
殺してやる。殺してやる。殺してやる。
殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺し、殺し、殺し殺し殺し殺殺殺殺殺――殺スッ!
「な、なんなのだ、この、声はっ!? 提督、かっ?」
「熱いのに、寒い……っ。氷よりも冷たいのに、溶岩みたいに煮え滾って……!」
両極の熱量を宿すそれに、長門も、陸奥も。ひたすら、身を縮めて耐え忍ぶしかなかった。
ただ一人。
霞だけが、覚束ない足取りで装甲車へ向かっている。
その中で眠っているはずの、決して喪う訳にはいかない人の安否を、確かめるために。
「駄目……。駄目よ、それだけは、駄目……っ。駄目なのに……」
何が駄目なのか、言っている霞自身、よく分かってはいない。
けれど、口にせずにはいられなかった。言葉にしないと、耐えられなかった。
途中で何度も転びかけ、やっとの思いで装甲車にたどり着き、そこで霞は力尽きてしまう。
誰も彼もが意識を失う中。
医療ポッドに満たされた循環液が、微かに泡立ち始める……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
“それ”が正気を取り戻したのは、たっぷり十秒ほど、桐林艦隊の紅い力場を見つめてからだった。
「は、ははっ。いや、なんて事ない。例えお前らがその力を使えたとしても、地力が違う。僕が負けるはず無いんだから!」
大仰に腕を振り回し、自身もまた、加速しながら赤黒い霊子力場を纏う。積もろうとする大粒の雪が蒸発した。
使えるという事と、使いこなすという事は同義ではない。
初めて銃を持った人間と、何十人も撃ち殺した経験のある人間とでは、その戦闘能力に大きな差が出る。
オマケに、“それ”が使う戦艦は鋼鉄よりも遥かに強度の高い、深海棲艦の半有機鉄鋼で構成されている。四十一cm砲の直撃にだって耐えられるのだ。
ただの鉄の塊でしかない桐林艦隊に、負ける道理はなかった。
位置関係を整理しよう。
北――数km後方には冠島が存在し、南へ順に“それ”の乗る戦艦、人工統制人格が乗る阿賀野型四隻、そして桐林艦隊。
南下し続けていた阿賀野型と戦艦の位置はほぼ平行であり、桐林艦隊は分散しつつ、南西へ向かう戦艦の五時方向を北に向かっている。
艦載機を飛ばすまでもなく、互いを目視できる距離。阿賀野型はさておき、タ級の電探に相当する物を配した戦艦なら、八割に近い確率で当てられるだろう。
とはいえ、ノーガードの殴り合いをするほど馬鹿でもない。
回避行動を取りながら、一先ず人工統制人格を先行させ、力場の厚さを確かめねば――
「……あ? お、おいっ、どこへ行く!?」
――と、命令を下そうとした直後。
四隻の軽巡洋艦は、勝手に針路を西へ変更し、戦闘領域を離脱し始めた。
慌ててラジオ・コントローラーを手に取り、人工統制人格へ命令を伝達するも、反応がない。
インプラントした受信器に不具合が生じたか、あるいはもう限界が来たか。
どちらにせよ、弾除けは居なくなってしまった。
「チッ、役に立たない阿婆擦れ共がぁ……!」
毒づき、裏切り者へ砲を向けようとする“それ”だったが、実行は思い留まる。
どうせ最後まで苦しんで死ぬ運命だ。砲弾が勿体無い。
それに、もっと別の、注意を払うべき存在が接敵しつつあった。
「アハハハ! 最っ高に素敵なパーティーしましょう! アッハハ!」
「……目標を、捕捉……。砲撃、開始」
異様な速度で戦艦へと吶喊する、駆逐艦二隻。夕立と時雨だ。
紅い妖気――闘気の中で、夕立は両手を掲げて狂乱に舞い、時雨は表情を殺し、静かに右手の単装砲を構えている。
……いや、おかしい。あの女の艤装、あんな見た目だったか? あんな単装砲、持っていたか?
それ以前に、二人の頭身が一つ分ほど高くなっているような気も。何かがおかしい。
けれど、考察を巡らせるだけの余裕はなかった。
一直線に進んでいた二隻は、戦艦に対し左右へ別れながら腹を見せる。向けられる砲の数は、連装砲二基、単装砲一基が二隻分。合わせて六基十門。
素の防御力でも耐えられるだろうが、念には念を。戦艦が霊子力場を纏い、鎧のように硬質化させる。
轟音。
規則的なタイルパターンと、紅い軌跡を残す砲弾が激突した。
「――ぐ!? なん、だよ、この重さ!?」
力場に掛かる負担が、増大した重力のような形で襲ってくる。
駆逐艦の豆鉄砲など軽くいなせるはずなのに、この威力はなんだ。
最低でも軽巡洋艦……もしかすれば、重巡洋艦に迫る攻撃力。霊子を上乗せされているとしても、この上げ幅は異常だった。
(単なる霊子力場の上乗せじゃない。歴史残像……。存在比重が、そのまま攻撃力に転化されてるのか?)
夕立と時雨。史実において、尋常ならざる武勲を挙げたこの二隻は、名を歴史に深く刻まれている。
時が過ぎ去っても、人々はその記録を読み、自らの記憶に留め、失われてなお存在し続けているかの如く、語り合う。
単なる鉄の塊が、そうして幾重もの情念を纏い、重さを増し、別の存在へと変貌していくのだ。
歴史残像効果による、存在比重の増加。
深人類となった“それ”が見出した理論である。
兵藤の三笠刀に易々と身を貫かれたのも、神格化されつつある三笠という戦艦の、霊格に寄る部分が大きい。
(でも、この程度なら僕の力場は抜けない。一時間でも二時間でも耐えられる。先に潰すべきは……)
しかし。驚嘆に値しても、脅威には値しない。
“それ”とて、何十、何百という軍艦を、深海棲艦を喰らってきた。その度に、吸収した船の分だけ比重を増してきた。
たかが駆逐艦の砲。鬱陶しいだけだ。そんな雑魚より、もっと警戒すべき相手は……。
「死ね、古臭い人形め!」
極端に速度を落とす、重巡洋艦。加古、古鷹の二隻。
長十cmが二十・三cm砲に相当している今、二十・三cm砲の攻撃力はどこまで上がっているか。少なくとも戦艦級以上だろう。
攻撃は最大の防御というが、その攻撃手段を奪ってしまえば、あとは煮るなり焼くなり好きにできる。
変わらず砲撃を続ける駆逐艦を無視し、“それ”は歪な形をした十六inch三連装砲と、十二・五inch連装副砲を微調整。
力場は全て防御力に回しつつ、砲弾が通る部分だけに穴を開け、狙いを定めて――
怒音。怒音。怒音。
三連装四基十二門、連装十基二十門が黒煙を吹く。
一発でも当たれば中破必至だ。
「……ぁん?」
――が、“それ”は訝るように顔をしかめた。
音速を超える砲弾は、吸い込まれるように重巡二隻へ伸びる。
何発か逸れてしまうのは仕方ないとして、それでも多くの命中弾が風穴を開けるはずだった。
けれど、間違いなく当たったと確信した瞬間に、起こるべき爆発が起きない。
人外の視力を以ってズームしてみれば、砲弾は二隻の手前、数mで止まっていた。
紅い闘気に絡め取られ、空中で縫い止められていたのだ。
爆音。
耐え切れなくなったように、戦艦の撃ち出した砲弾が爆ぜる。
数秒、炎と煙で重巡が隠れ、しかし当然の如く、健在な姿をまた現す。
その船体に、不規則なランダム・タイルパターンを保持しながら。
「効かない、全っ然、効かないね!」
「軽い攻撃……。お返しです」
髪留めが外れ、乱れた髪で左眼を隠す加古が。
代わりとばかりに、左眼を煌々と輝かせる古鷹が、周囲に満ちた光を手繰る。
渦巻く闘気は、放電現象を伴って砲塔へ集中していった。
「冗談だろ……。クソっ!」
特殊な攻撃の前兆を見取った“それ”は、慌てて力場障壁に全霊を注ぐ。
ただ纏うだけでも威力の向上を見込める霊子力場だが、あれは明らかに霊子が収束されている。
連発は出来ないものの、砲撃の威力を必殺にまで高める、霊子の攻撃転化。
効果の程は、自身が一番よく知っていた。守りに徹しなければ不味い。
(駆逐艦の砲であの重さ。展開範囲を狭めて、厚く)
誤射を避けるためか、駆逐艦たちは戦艦の背後に回り込まず、距離を離しながらチマチマと砲撃を続けている。命中率も下がっていた。
ならばその分を、重巡たちが存在する方向へ集中させれば良い。
戦艦を包んでいたタイルが、規則正しい物と不規則な物とに変化し、パズルのように入れ替わる。
歪なランダムパターンが五時方向に、美しいタイルパターンが、他方向を覆った。
轟音。轟音。轟音。
障壁展開とほぼ同時に、古鷹・加古が砲撃を放つ。
闇夜を切り裂く紅い光条は、連装主砲、合わせて六基十二門。
しかし、意外なことに殆どが的外れ。障壁に掠るのも二~三発だろうと、刹那の間に理解できた。
なんだ、やっぱり。使う事は出来ても、まだ制御が覚束な――
「え?」
紅い光が、くの字に折れた。
貫通。
炸裂。
肌を嘗める熱さ。
「ぐが、ぁああっ!? ち、直撃!? なんでっ」
爆風に晒され、甲板上を転げ回りながら、“それ”は大いに狼狽する。
見間違いでなければ、今確かに、砲弾が曲がった。まるで、“ひかり”の曲射熱線砲が如く。
障壁の分厚い部分を避け、薄くした部分を貫かれた。
(砲弾の軌道を曲げるだと? そんな事できる筈がない、僕だって擬似近接信管が限界なのに!)
身体の震えは、破壊された一番砲塔と第三、第四電探の痛みか、それとも。
深海棲艦と融和して十余年。
砲弾に近づいた霊子に反応して爆発する
ただ再現するだけでも時間が掛かったというのに、たった今、この場で起きた現象はなんだ。
現実には絶対起こり得ない不条理を、この身に味わわせたのは誰だ。
「お前ぇ……。お前か桐林ぃいいっ!!」
たかが傀儡に、この力は宿らない。これは人間の強い意志に由来するはず。
例え感情を、意志を宿したとしても。ただのヒトカタからは、何一つ産み出されないのだから。
統制人格の向こう。
増幅機器に横たわった男の姿を幻視し、“それ”は咆哮する。
不可視の波が燃える甲板を走り、炎と黒煙を吹き飛ばした。
手傷は負わされたが、深手ではない。まだ小破と言ったところ。挽回するには十分だ。
「殺してやる……。オマエら全員、皆殺しだぁ!!!!!!」
両腕が大きく振られ、瞬間的に障壁が解除された。間を置かず、戦艦の両舷が変化を起こす。
物理装甲の張り巡らされた胴が口を開いたのだ。文字通り、人間が口を開けるように。
続けて砲撃のように吐き出される高速物体。
それは、あの丘で尻尾から射出された航空機を、そのまま大きくしたもの。
翼を広げる六十の機体が、恐ろしい速度で四方八方へ飛翔する。
「アハハハハ、選り取り見取りっぽい? ウフフッ!」
「残念だったね。見え見えだよ」
「対空戦闘、用意……」
「へへっ、一丁上がりだぁ!」
それぞれ十機を向けられた駆逐艦は、また別方向に最大戦速。追い縋る航空機を引き撃ちで仕留めていた。
重巡も増設された三連装機銃と主砲で対応し、爆撃へ移る前に二十機全てを叩き落とす。異常な命中率だ。
特に目立つのが、北へと微速前進する雷巡。戦艦の南東に居る二隻だった。
「一発必中、ってねー」
「遅過ぎです。まるで止まっているみたい」
轟音がテンポ良く、リズミカルに光条を作り出す。一条一機。確実に落としている。
重雷装艦化に際し、北上・大井の船体からは複数の兵装が撤去された。
まともな対空兵装は、改装された十五・五cm三連装砲と貧弱な機銃だけ。
だというのに、三連装砲から発射される砲弾は、あらゆる物理法則を無視した直進性と速度で、反跳爆撃に移った機体を。投下され、水切りのように跳ねる爆弾をすら撃ち抜く。
光学兵器と見紛う弾速と正確さ。
急降下爆撃より必要な練度が低く、命中精度も高い反跳爆撃なれど、これでは意味がない。
「ふざ、けるなよ……。なんなんだ、この出鱈目は!?」
海へ没する残骸を見つめ、“それ”は頭を掻き毟り、地団駄で鋼の甲板を砕く。
出鱈目。そう、出鱈目だ。
これほど多彩な霊子転化、知らなかった。これほど柔軟な能力行使も、目にした事が無い。
獲得したばかりの力を、どうしてここまで使い熟せる?
これではまるで、奴の方が格上ではないか。
これでは、まるで。
――僕が、当て馬みたいじゃないか。
「……認めてたまるかっ、そんなこと! 僕は賢い、僕は強い、僕は正しい、僕は、僕は、僕は……もう、一度たりとも負けられないんだよっ!」
弱気な考えを露と振り払い、“それ”が腕を掲げた。
途端、甲板上に鉄塊が隆起し、かと思えば魚雷発射管へと変貌していく。
装填されているのは通常の魚雷ではなく、深海棲艦が使う物だ。
しかも、この戦艦に合わせて独自に大型・高速化した、いわゆる切り札である。攻撃力に転化した霊子を上乗せすれば、直撃せずとも必滅の一撃となる。
戦艦は南へ進路を取り、桐林艦隊に腹を見せた。狙う予測射線上に、重巡二隻。
左舷にせり出た巨大三連装発射管五基が、獣の如く唸りを上げる。
と、その射線上に割り込む艦影があった。
紅を纏う重雷装艦たちである。
「片舷二十五門」
「計五十射線の酸素魚雷」
スクリューを逆回転させ、立ち塞がるように停船した二隻もまた、魚雷発射管を旋回させる。
それを制御する統制人格たちは……どうした事か、身に付ける衣装が変わって見えた。
濃緑のセーラー服がベージュ色に、上着の丈は短く。太もも、ふくら脛の魚雷発射管四基も、大腿部の上で重なって。
そして何より、表情が違う。
「躱せるものなら!」
「躱してみなさい!」
左舷に立ち、左腕と両腿の発射管を戦艦へ向ける二人は、笑っていた。
戦いを楽しんでいるかのように。酔っているかのように、傲岸不遜な笑みを浮かべて。
確かに。霊子力場を纏っている時の全能感、超越感は代え難いものがあるが、それは感情持ちでも同じらしい。
奇しくも、十五射線と五十射線の雷撃は、全く同時に発射される。
が、戦艦の放った物と違い、雷巡の酸素魚雷は発光していた。
霊子を内部に留められず、海面下を紅い光が走っている。酸素魚雷の無航跡という利点が失われているのだ。
「……なんだぁ? 酸素魚雷なのに、バレバレじゃないか。そんなもの簡単に……?」
回避できると考え、速度を上げ始めた視界の中で、妙なことが起きた。
雷巡の放った魚雷に、速度差が生まれたのである。
七割ほどが急激に雷速を上げ、残り三割――大型魚雷のすぐ脇をすれ違うだろう物はそのまま。ややあって、二隻の魚雷は肉薄。
轟爆音。
「こ、今度はなんだ!?」
突如、高さ四十mを超えるだろう水柱が……水の壁が立ち上がった。ビリビリと空気が震えている。
魚雷同士が正面衝突した――否。雷巡の魚雷が自爆したのだろう。戦艦の魚雷を巻き込むように。
意識的に速度を調整でき、任意で起爆まで行える雷撃。そんな物、あってたまるか。
しかし、現実は“それ”の思いを裏切る。
生き延びた酸素魚雷が、更に雷速を上げた。
「嘘だろオイ!? クソ、クソクソクソッ!」
躱しきれない。速度を一杯まで上げても、残り三十五射線の雷撃に、必ず捕まってしまう。
であれば、せめて被弾面積を少なくするしかなかった。
戦艦は左に急速回頭。艦首を東へ向けながら、被雷数を減らそうと試みる。
閃光。
艦首。左舷中央。艦尾に計三発。
頭から左脇腹、太股辺りにかけて、激しい痛みが襲い掛かった。
「ぐほぁ、っが……! 冗談じゃ、ないぞ……っ。このままじゃ……」
甲板へ倒れこみそうになるも、“それ”は尻尾を使ってどうにか堪え、脇腹を抑える。
損傷を受けた箇所に相応する部位から、青い血が流れ出ていた。
浸水は軽微。けれど左のスクリューがやられた。脚を殺されてしまった。中破状態だ。
慌て過ぎて障壁も張れず、見た事もない能力行使に翻弄され、良いように弄ばれて。
このままでは、負けてしまう。
このままでは、沈んでしまう。
このままでは……。
「さぁ、今度はどこを撃ってあげようかしら?」
「君には失望したよ。……こんなに弱いだなんて」
爆撃機を処理し終えた夕立・時雨が、戦域へと舞い戻る。
無傷だった。機銃の一発すら受けていない駆逐艦たちが、最大戦速で向かって来ていた。
「主砲、狙って……。そう、撃てぇ!」
「砲撃を集中だ、行っけぇええっ!」
北上・大井の後方から、古鷹と加古が射角を上げて砲撃する。
味方の上を通り過ぎた砲弾は、頃合いを見計らってその向きを変えた。
「次発装填、開始です」
「今度こそ、ギッタギタにしてあげましょーかねー」
雷巡二隻は動こうとしない。
動く必要などないと言わんばかりに三連装砲を構え、悠然と次の魚雷を装填している。
「ぐぎ、あ゛う、ぐっ!? っあぁぁ……」
全方位に張り巡らされた力場障壁が、悲鳴を上げていた。掛かる負担は、“それ”の身体を直接に蝕む。
北北西から夕立、南西から時雨、東からは重巡と雷巡の四隻が、雨あられと砲弾を降らす。
ランダム・タイルパターンに、ヒビが入り始めた。物理干渉力を失った霊子は、障壁内部で粉となる。
まるで血の雪だ。障壁の外では真っ白なのに。
そう言えば、あの日も雪が降っていた。
あの日もこんな風に、大粒の雪が。
寒い。
(死ぬ……。僕はまた、死ぬのか……?)
脳裏にフラッシュバックする原体験。
荒波で揺れるボート。
横たわった身体へと降り積もる雪。
紫に変色した己の指。
脇腹を抑えていた指を見る。
青い血は、紅い砲撃の炸裂光を受け、暗い紫色に沈んで見えた。
(嫌だ、嫌だ、死ぬのは嫌だ! もう二度と、死んでたまるかっ!)
震える身体を抱きしめ、“それ”はやっと自覚する。
藪をつついて蛇を――いいや、鬼を出してしまったのだと。
このままでは確実に殺される。今まで“それ”がやってきた様に、嬲り殺しにされてしまう。
報い? 因果応報? そんなもの知るか。
生きていたいのだ。
技研で嬲られ、冬に凍え、餓えと渇きに苛まれ、ようやく拾ったこの命。
――死にたくない!
「ま、待った! ちょっと待った! ぼ、僕を殺したら、あの女を目覚めさせる手掛かりが潰えるぞ? それでも良いのかぁ!?」
砲撃音に負けぬよう、“それ”は腹の底から声を張る。
絶叫は戦艦を通り、電波となって桐林艦隊へ届く。届いたはずだ。
その証拠に、怒濤の攻撃は止まっていた。
船を手繰る統制人格たちも、一時停止したかの様に動きを止めている。
今が好機と、“それ”がまた口を開く。
「そうだ、そうだよ……。君たちにその気があるなら、こちらには情報提供する用意もある。
能力開発の蓄積データ、医療関係の新技術、人工能力者と人工統制人格の開発サンプルや、霊子力場の制御法だって!
僕らが手を組めば、深海棲艦なんて目じゃない。文字通り世界を支配できる! 僕を殺すよりも、生かしておいた方が得るものは多い!」
声高に説くのは、己の価値。
憎い相手を殺して得るものは、せいぜい達成感と、復讐という目的を失った、胸を透く喪失感だけ。
しかし、怒りを飲み込んで“それ”を受け入れれば、日本の軍は多大な利益を得るだろう。
特許の移譲。同調率に影響しない半有機鉄鋼の精製方法。適合確率の問題はあるが、骨髄移植で能力者の位階を上げる事も可能である。
そして、無駄飯喰らいで文句ばかり一丁前な愚民共を、戦いの道具と化す技術まで。
大局的に見れば、どちらが得かは一目瞭然。
ましてや提督という存在は、国を利する為に存在する。どちらを選ぶべきかなど、考えるまでもない。
「僕にはまだ価値がある。生き残る意味がある。だからさ、ね? この辺で止めようよ?
怒ってるなら謝るから、土下座でもなんでも……。なんだったら、僕の身体を使わせてあげたって良い!
君の船としてでも、女としてだって構わないから! だから……」
――だから、殺さないで。
プライドをかなぐり捨て、“それ”は哀願し、媚びへつらう。
仮初とは言え、恩師を殺したのだ。桐林の激怒は相当なものだと想像できる。
だが、その上でも生きていたいのだから、誇りや自尊心など邪魔になるだけ。
彼が望むなら、彼の手足となって戦おう。
この身は戦艦。砲撃戦も、航空戦も、雷撃戦をもやってのける艦。喉から手が出るほど欲しいはず。憎い相手を顎で使うのだから、きっと溜飲を下げられる。
彼が望むなら、女となってしまった身体だって差し出そう。
心は散々に弄ばれても、生まれ変わった身体は綺麗なまま。まるで女だと虐められた顔だって、こうなれば役に立つ。
脚ばかりはどうしようもないが、太股から上だけを見るなら、かなり男好きのする身体だという自負もある。
今、この時に持ち得る全ての要素を使い、“それ”は生き延びようとしていた。
それほどまでに、恐ろしくて、恐ろしくて、堪らないのだ。
死という概念が。
『――さい』
けれど。
“それ”の事情など、それこそ“どうでも良い”のだ。
『五月蝿イ。耳が腐ル。黙っテ死ね』
憎悪に魂を燃え上がらせる、その男にとっては。
攻撃が、再開された。
「なんなんだよ……。お前は一体、なんなんだぁああっ!?」
絶叫は爆音に掻き消され、もはや誰にも届かない。
雪が降り続けている。
決して積もることのない雪が、深々と。