新人提督と電の日々   作:七音

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鬼灯

 

 

 

 

『……もし。吉田殿』

 

『おお、桐谷か。どうした』

 

『どうした、ではありません。……本気なのですか』

 

『かかか。本気も本気、戯れであの様な事は言わぬ。万事、抜かりないな』

 

『ええ。全くもって、嫌な役目を押し付けられました。彼は大暴れしていますよ、物理的にも、電子的にも』

 

『苦労を掛ける。だが、あやつには見せたくなくてな。色々と』

 

『お気持ちは分かります。しかし、今からでも……』

 

『言うな。この期に及んで、らしくもない』

 

『……そうさせたのは、貴方ですよ』

 

『ふふ、すまんな。……後を頼むぞ』

 

『お任せを。貴方と肩を並べられた事、我が生涯の誇りとなるでしょう。

 願わくば……いえ、これ以上は無粋ですね。御武運を。……さようなら、先生』

 

『息災でな。ああ、最後に一つ。これも遺言と思って聞け。

 新しく子を儲けるなら、名付けはおヌシがするでないぞ? どうにも可哀想でならん』

 

『お、大きなお世話です。……そんなに、酷いですか』

 

『まぁ、ワシなら耐えられんわな。はっはっは』

 

『そうですか……。そうですかぁ……』

 

 

 

 

 

 桐谷と吉田。

 舞鶴へ向かう車内での、最後の通信より。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「嫌ぁああぁぁあああっ!」

 

 

 絹を裂くような悲鳴は。

 無慈悲な砲音によって、掻き消された。

 

 ――けれど。

 撃ち出された呪詛が貫いたのは、疋田でも桐林でもなく、彼らの向こう側にある遊戯室の窓だった。

 生き延びたのだと悟った疋田が、声も無くへたり込む。

 

 

「うっく、ぅうぅ……っ。こんな……こんな、物ぉぉおおおっ!」

 

 

 土壇場で身体の制御を取り戻した少女は、どうにか砲の照準を逸らした後、左手で艤装を剥ぎに掛かる。

 相変わらず痛みはないが、ブチリ、ブチリ、と接合帯の千切れる感触が気持ち悪い。

 やっとの思いで艤装から逃れると、それだけで精も根も尽き果てたか、床へ倒れ伏す。

 宿主を失った艤装は、生き物のように跳ね回っていた。

 

 

「……お前は、そこまで……」

 

 

 驚きの――いや、泣き笑いの表情を浮かべ、梁島は少女を見下ろしている。

 確かに、驚いてはいただろう。しかし、策を破られたという割に、落胆はしていないように見えた。それどころか、予想外の結果を喜んでさえいるような。

 だが、間を置かず表情は険しく歪み、足早に黒い艤装へ近づいていく。

 右手か、左手か。一瞬だけ迷った彼が左手を差し出すと、それは意思を持つかの如く食い付いた。

 

 

「ぐっ!? ガぁあア゛ァあ゛っ!?」

 

 

 おぞましい咆哮を上げ、梁島は膝をついた。

 取り込まれていく左腕。少女と違い、激痛に襲われているのは明らかだ。

 眼球が零れそうなほど目を見開き、砕けそうなほど歯を食いしばり、脂汗を流しながら耐えている。

 

 

「兄、様……。やめて、ください……。なんで、そこまで……」

 

「ぎぃ、ぐ、っくか、はぁ、うぶっ……。今さら、後になど、引けぬ……!」

 

 

 か細い少女の呼び掛けに、梁島は何度も転びながら立ち上がった。

 瞳を苦痛に揺らしつつ、しかし揺るぎない決意が、崩れそうな脚を支えている。

 

 

「あの夜から、私の時は止まったままなのだ……。

 何年も、同じ場所で、足踏みを……。情けない、ではないか……っ。

 “お前”に失望、されるのは、御免だ……。だったら、無理やりでも、前に……」

 

 

 うわ言のように、梁島が誰かへの想いを呟く。

 それは、誓いの言葉にも聞こえた。

 誰かの想いに報いるため、自らを奮い立たせようとする、祈り。

 

 

「もう、後になど……引けんのだぁあ゛ア゛ァああ゛ぁァあああっ!!!!!!」

 

 

 咆哮と共に、梁島は左腕をかざす。

 脈動する艤装を、砲ではなく鈍器として使うつもりらしい。

 敵意に呼応したか、艤装は禍々しい棘を幾つも生やし、体積まで増加させている。

 そして、元の倍まで伸長した左腕が、動けない疋田と桐林を叩き潰そうと、振り下ろされ――

 

 

「おなごにまで手を上げようなどと、愚か者が」

 

 

 ――なかった。

 梁島の左腕は、振り下ろされる前に、肘上から先を艤装ごと切断されていた。

 微かな振動音。

 右手の小太刀を振り抜いた老人。

 吉田 剛志が、兵藤の置き土産……三笠刀で凶行を阻止したのだ。

 

 

「先せ、い……? どう、し……て……」

 

「戯けめ。同じ“力”を宿しただけの男を代わりに殺そうとは。そこまで狂っておったのか。

 見境を無くす程に憎んでおったのか。おヌシの家族を、望まずに奪わせてしまった“力”を……。

 おい、手を貸しとくれ」

 

「はいっ」

 

 

 白目を剥き、バランスを崩した梁島は倒れ、鋭利過ぎる傷口がやっと血を吹き出す。

 吉田は、付近に転がっていたビリヤードの玉を梁島の左脇へ入れ、腕と胴で挟むように圧迫。血流量を抑えながら連れを呼び寄せた。

 すぐさま医療キットを持った青年が駆け寄り、応急処置を開始する。

 兵士ではないようだ。鎮守府男性職員の制服を着た、平々凡々な顔立ちの男。

 しかしその姿に、梁島の凶行にも反応できなかった疋田が、驚きの声を上げた。

 

 

「……んぇえっ!? 嘘、兄さん!?」

 

「おー、栞奈。久しぶりー。相変わらず可愛いな! マイシスター!」

 

 

 止血帯で出血を止め、傷口を応急スプレーの泡で覆うなどしながら、その青年――栞奈の兄である疋田 蔵人(くらんど)は、彼女を安心させるように大きく笑って見せた。

 その間、吉田は未だに蠢く艤装へ、小太刀を幾度も突き立てている。内包する梁島の左腕と共に、それは粉塵と化す。接合手術は不可能だろう。

 理解の範疇を超えた事態に、栞奈は一先ず、身近な存在である兄へと詰め寄る。

 

 

「ななな、なんで兄さんがここに? お、大湊で調整士してたんじゃ…………?」

 

「ん? そりゃあ大分前に出した手紙の情報だろ。あれから沖縄行ったり、桐ヶ森提督の使いっ走りしたり、桐林提督の家族を保護したり、色々あったのさ」

 

 

 かつては桐生の調整士を務め、低強度能力者として沖縄で訓練を積み、更には桐ヶ森の目にまで留まった彼は、桐林の家族を保護に向かった軍関係者、その人でもあったのだ。

 紆余曲折あった末、一家をシェルターに送り届けた所へ、舞鶴に向かう吉田が偶然にも立ち寄り、その要請で舞鶴まで足を運ぶ事となったのである。

 とことん、平穏無事な人生とは縁遠いらしい。

 

 

「そんな事より、まずは桐林提督だ。……長官、如何しますか」

 

「うむ。ワシに考えがある。許せよ、電と雷の嬢ちゃん」

 

 

 敵性艤装の始末を終えた吉田が、伏せる電たちへ近づき、右の手袋を外して、額に流れる血を指で拭う。手袋の甲に、その血で五芒星が描かれた。

 統制人格の血とは、本来、この世に存在し得ない物。故に一角獣の角にも等しい霊力を宿す。

 これを用い、桐林の霊子力場を突破するのである。思いつきだが、一目見ただけでも害があると分かる禍々しさ。何もしないよりマシだろう。

 

 踵を返し、吉田は懐から無針注射器を取り出した。

 中には強力な鎮静剤――常人なら一週間は昏睡する劇薬が充填されている。

 使う相手が違う事を踏まえ、注入量の調節されたそれを左手で構えつつ、桐林の頭を抑えようと、歩きながら右手が伸ばされた。

 空気の爆ぜる音。

 吹き荒ぶ霊子の波が、吉田を押し返そうと殺到する。

 

 

「ぐ、ぬぅ……! おヌシも、男じゃろう? いい加減に、弁えぬかっ」

 

 

 物理作用はないはずだが、まるで、台風の中を歩かされているような感覚だった。

 目を開けているのも辛く、腕を一cm伸ばすだけで苦労する。

 しかし、その程度で止まれる訳もない。吉田はジリジリと距離を詰め、やっと桐林に手が届いた。

 淀みない動作で首筋へ注射器を押し当てると、桐林の身体が数秒ほど痙攣し、シートに倒れこむ。紅い霊子も霧散していった。

 焼け焦げた手袋を投げ捨て、吉田が大きく溜め息を吐く。

 

 

「はぁぁ……。済んだぞ、準備を頼む」

 

「了解。ほら急げ急げ! 給料分の仕事しろ!」

 

「なんでアンタが偉そうに命令してんだよ……。階級的にはこっちが上なのに……」

 

「そうだそうだ、俺らに命令できんのは、俺らの大将だけなんだぞー? その友達の吉田中将は別だけどなー」

 

「全くっす。せっかく艦娘の皆さんとお近づきになれるチャンスだってのに。あーあー、こりゃヘルメット取っ替えなきゃーと」

 

 

 蔵人が背後に呼び掛けると、陸軍の制服を着る軍人たちが約十人、様々な機材を手に雪崩れ込んできた。

 気安い言葉を交わしている所を見るに、付き合いは長いようである。

 蔵人と軽口を叩いていた三人は、損傷を受けた増幅機器の点検。他数名が桐林と梁島を、残る女性兵士たちは統制人格を担架などで運び出す。

 同じように運ばれていくはずだった少女が、兵士に肩を借りつつ、か細い声で吉田へ問いかける。

 

 

「長官……。何故、ここへ……? それに、戦う、おつもりなの、ですか? 長官の主戦力、は、横須賀……」

 

「なぁに、単なる偶然よ。桐林の居る所に下手人も居ると踏んで、この子らの後を尾行しておったんじゃ。止められたのは僥倖かの。

 それに、戦力の方も問題ない。伊勢と日向を、加古の嬢ちゃんが出てすぐに追わせておいた。

 お前さんも知っておる新技術、転送励起じゃ。ギリギリ完成してな。ぶっつけ本番じゃったが、成功して良かったわい」

 

 

 若干の疲労を滲ませながら、吉田は微笑む。

 桐谷の用意したシェルターで蔵人と合流した吉田は、まず舞鶴鎮守府へ向かった。

 そこにある補用の航空戦艦……。未励起の伊勢型二隻を、励起するためである。

 

 傀儡能力者が複数の同名艦を励起しようとした場合、二代目、三代目という違いでもない限り、新しく励起した艦船にのみ統制人格が宿り、以前に励起した艦船からは消滅する。練度がリセットされてしまうのである。

 しかし、吉田のいう新技術――転送励起を用いた場合、以前に励起した統制人格を、新しい艦船にそのまま移し替えられる。

 これを使えば、日本各地に同名艦を配置し、いざという時に高練度の統制人格を送り込む、という事が可能になる。

 全く差異のないように改装した同名艦を用意して、なおかつ能力者自身が移動しなければならないという欠点はあるが、太平洋側にある艦船を日本海側に移動させるより、本州を横断した方が早いのは自明の理だ。

 

 こうして、吉田の主戦力である四航戦は、隙あらば参戦しようと加古たちを追っていたのである。

 舞鶴でテロが起きたのはこの後であり、もう少し励起が遅くなれば、吉田は足留めを食らっていた事だろう。

 

 

「兄様、は……」

 

「左腕は使い物にならんじゃろうが、ワシと違って義肢を付けられる。なんとかなろうよ。

 問題なのは奴の行動じゃが……。安心せい。そっちもキチンと考えておるでな。今は眠れ」

 

 

 シワだらけの手で頭をポンと撫でられ、少女はようやく目を閉じる。心を落ち着かせてくれる、大きな手だった。

 そうこうしている内に、遊戯室からは次々と負傷者が運ばれ、残ったのは吉田と蔵人、陸軍の三人組、安心して気が抜けきっているらしい栞奈の、六人だけとなる。

 いや、三人組も増幅機器の調整を終えたようで、吉田に陸軍式の敬礼をして去っていく。

 吉田が答礼し、さっそく蔵人は調整士の座席へ。程なく制御システムが立ち上がった。

 

 

「長官。準備が整いました」

 

「うむ」

 

 

 蔵人の声に頷き、吉田は増幅機器へと身を横たえる。

 素足を固定器具に収め、新調された籠手をはめて、同じく真新しいヘルメットを装着した。

 その間に、蔵人は呆けている栞奈に指示を出す。

 

 

「栞奈。お前は桐林提督と例の子を病院へ連れて行くんだ。もう指名手配は解除してある」

 

「え? で、でも……。私……」

 

「よく思い出せ。お前の仕事はなんだ。お前がやるべき事はなんだ。

 投げ出したいだろうけど、凄く疲れてるだろうけど、お前ならきっとやれる。

 最後までやり通せ。お兄ちゃんも、自分に出来る事を精一杯頑張るから。……な?」

 

 

 スクリーンを複数、逐次確認しつつ、蔵人は最愛の妹へ笑いかける。

 緊張の糸が切れ、すっかり気力が萎えていた栞奈の瞳に、段々と力が戻ってきた。

 自分の仕事。やるべき事。託された想い。そうだ、こんな所で呆けている暇なんて無い。

 

 ――しっかりしなさい、疋田 栞奈!

 

 

「行ってきます。中将、兄さん。どうか御武運を」

 

 

 パシン、と自分自身の両頬を叩き、海軍式の敬礼を残して、栞奈は遊戯室から走り去った。

 吉田も、蔵人も。彼女の忙しさに何も返せなかったが、戦の前だ。きっとそれで良かったのだろう。

 長い語らいは、決意を鈍らせる。

 

 

「さて……。一世一代の大舞台じゃ。派手に行こうかの」

 

「はい。お供致します」

 

 

 短い言葉で意思を汲み交わし、吉田は精神を統一。蔵人がキーボードを叩く。

 どこからか、戦鼓の音が聞こえてくる気がした。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「……共に、地獄へ堕ちようぞ」

 

「………………」

 

 

 殺意の乗る言葉と、迫る航空戦艦たちを前に、“それ”は大きく肩を落とした。顔も伏せられ、表情は伺えない。

 失望。諦観。……いいや。言葉では言い表せない、暗く澱んだ感情が、心の奥底から湧き上がる。

 何を期待していたのだろう。なんと言葉を掛けて欲しかったのだろう。

 どうにも、自分の心が分からなかった。

 けれど……。

 

 

「結局そうなるのか……。そうさ、アンタはそういう人間だ。

 誰も守らず、誰も助けず、最後にはそうやって始末をつける。

 ……どうしようもない、根っからの……人殺しめ!」

 

 

 顔が上げられた時、浮かんでいたのは笑顔だった。

 楽しそうなのに、悲しんでいるような。

 嬉しそうなのに、怒っているような。酷く矛盾した表情。

 そう感じさせるのは、頬を流れる雫だ。

 煤で汚れた顔に描かれる、一筋の涙跡のせいだ。

 

 

「……あれ? 僕、は、なんで……」

 

 

 潮風が頬を冷やし、“それ”はようやく目尻から溢れる物に気付いた。

 予想外だった。拭っても拭っても、止め処なく溢れてくる。

 これは、なんだ。

 制御しきれないこの情動は、なんだ。

 

 

(あ。そっか)

 

 

 背中を丸め、己が内を探ると、すぐに答えは見つかった。

 これは悲しみではない。純粋に、嬉しいのだ。

 憎いと思っていた相手が、憎むに相応しい屑であった事が。

 叶えられないだろうと、半ば諦めていた復讐を、遂げられる事が。

 そうに決まっている。決まっている。決まっている。

 

 

「うん、そうだ、そうだよ。これは僕が望んでいた事なんだ。だから、僕は幸せだ。僕は幸せだ。僕は幸せ。幸せ、幸せ、幸せ……」

 

 

 “それ”は自分の身体を抱きしめ、同じ言葉をひたすらに唱えている。

 言い聞かせているようにしか見えない姿だが、“それ”にとってはこれが真実だった。真実でなければいけないのだ。

 何度も何度も顔を拭い、すっかり煤が落ちきった頃には、吉田の伊勢と日向は、肉眼で捉えられるまでに近づいていた。

 艦首を南東へ向ける戦艦の南。最大戦速で通り過ぎようとしている。牽制のつもりか、副砲が何発か。

 目指す先はおそらく、動かない――動けない雷巡・重巡と戦艦の間。

 行き足で戦域から離れつつある駆逐艦は一先ず無視し、窮地にある桐林の船を庇おうと。

 

 

「みんな、死んじゃえよ」

 

 

 吉田の目的を理解した途端、暗い熱が火を上げた。

 霧散していた霊子力場が吹き上がり、海をまた赤黒く染める。

 生き残った右のスクリューを全開。戦艦の右舷を桐林の船に。

 動かせる主砲・副砲を全て用い、それらに霊子を収束させる。歪な砲塔たちが、雷雲のような“もや”を纏う。

 だが撃たない。

 伊勢と日向が射線に入るのを、じっと待つ。

 ややあって、速度を一杯まで上げた二隻が、自らキルゾーンに飛び込んできた。

 

 

「ッハハ。そんなゴミ屑を庇ってると、あっという間に自分が壊れちゃうよ」

 

 

 怒音。

 怒音。怒音。怒音。

 怒音。怒音。怒音。怒音。怒音。

 

 回避しないと分かっている標的に向け、容赦のない砲撃が降り注ぐ。

 確実に直撃するであろう砲弾は、しかし伊勢型の直前で爆発した。

 それでも、攻撃力に転化された霊子が、苛烈な衝撃波として叩きつけられる。

 すぐには殺さない。とことんまで痛めつけてやるという、意思表示だ。

 

 伊勢、日向の上部構造はかなりのダメージを受け、様々な部分が歪んでいた。

 副砲は壊滅し、後部飛行甲板が砕け、カタパルトもひしゃげている。主砲は問題ないが、このままではすぐ使えなくなるだろう。

 早々に砲撃戦を開始して、短期決戦へ臨まなければ……ならないはずなのに。吉田が選択した次の一手は、十四機の瑞雲による爆撃だった。

 エンジンを高性能な物に換装した、瑞雲一二型。けれど積める爆弾は変わらず、ダメージがあるとも思えない。

 吉田も理解しているのか、瑞雲の軌道は急降下爆撃のそれとは違う。

 斜め上から戦艦へと突っ込む、自爆攻撃。

 

 

(特攻? 流石に重いか)

 

 

 爆弾だけなら無視できるが、瑞雲そのものとなると厳しい。

 次砲撃のために練り上げていた霊子を障壁に転化し、“それ”は攻撃に備える。

 

 爆散。

 

 目の粗くなったタイルパターンと、瑞雲一二型が衝突。

 障壁をなぞるように、火達磨と化して海へ。

 甲板には、部品と思しき鉄パイプやビスなど、細かな残骸が落ちて来ていた。

 

 

「あーあ、大事な戦力が無駄になっちゃった。一人で戦ってるんだから、もっと考えて――」

 

『一人? ……どこに、目をつけている。キサマが相手にしているのは……三人だ』

 

 

 嘲りの言葉は、掠れる吉田の声に途切れた。

 一人じゃなくて三人。

 どういう事かと考える間もなく、“それ”の顔に影が掛かる。

 障壁を潜った残骸?

 

 ――違う、人影が二つ!

 

 

「うわっ!?」

 

 

 直感に任せて飛び退くと、“それ”の居た場所を、バツの字に切り裂く斬撃が降って来た。

 少しばかり薄汚れた、女物の礼服。長い黒髪と、ざんばら頭。

 革のパンプスで甲板を踏みしめた二人が、サーベルの切っ先を揃える。

 

 

「この姿では、お初にお目に掛かります。剛志様の従僕、伊勢と申します」

 

「同じく、日向と。短い付き合いに成りましょうが、どうぞ見知り置きを。……いざっ」

 

 

 特攻するかと思わせたあの瑞雲は、この二人を送り込むための布石だったのだろう。

 刃を上に、右手で握る柄を右肩へ寄せ、右脚を前に踏み出す、フェンシングスタイルの伊勢。

 刃を水平に、左手を切っ先に添えて身を低く、左脚を踏み込む剣術スタイルの日向。

 手短に挨拶を済ませた彼女たちは、尋常ならざる速度で吶喊した。

 

 

「こ、こんな、ちょっ、ひっ、卑怯だぞ!?」

 

『卑怯なものかよ。ワタシは歳をとった。この位のハンデ、あって当然だ』

 

「く、クソ爺ぃいいっ!」

 

 

 伊勢の逆袈裟、日向の刺突、場を入れ替えての交差斬撃。

 近場に落ちていた鉄パイプを拾い上げ、霊子を纏わせて防御するも、脚を負傷しては回避しきれず、全身に無数の裂創が刻まれる。

 これでは、攻撃できない。砲撃を制御する余裕なんて微塵もない。

 身を守らなくては、回避に全霊を傾けなければ、一撃で首を落とされてしまう。

 それが狙いか、吉田本人の制御しているらしい航空戦艦たちが、砲撃を開始した。

 至近弾で波飛沫が上がり、みぞれとなった雪が三人へ吹き付ける。

 慣れない白兵戦に焦れた“それ”は、二撃同時の唐竹割りを、渾身の力で押し返し――

 

 

「散れ羽虫がぁ!」

 

 

 ――開いた空間に、尻尾から霊子砲撃を叩きつける。

 想定通り、伊勢と日向はバックステップで距離を取った。これで一息つける。

 系統だった武術を学んでこなかったせいか、次の一手がまるで読めない。

 身体能力だけで圧倒できた雑魚とは、違う。どうにかして状況を打破しなければ……。

 

 と、警戒しつつ鉄パイプを構える“それ”に、二人は何故だか背を向けた。

 疾走する先には、彼女たちの本体へ狙いをつける、第二砲塔。

 

 

「……あっ!? や、やめろ――ぎぁあっ!」

 

 

 これはマズいと手を伸ばす頃には、飛び上がった伊勢が砲身を切り落とし、日向が複数回の刺突を放ち、砲塔の側面に穴を蹴り開けていた。

 身を切られるのと変わらない痛み。

 “それ”の動きが止まったのを見計らい、二人は腰に提げていた手榴弾の安全ピンを引き抜く。

 短くなった砲身と砲塔内部へ投じられたそれは、ゆっくりと離れる彼女たちの背後で爆発した。

 皮膚の下で爆竹が弾けたようなものだ。声すら上げられない。

 

 

「如何なさいました? 色々と、お留守ですね。“元人間”相手なら、このような戦い方もあるんですよ」

 

「貴方様では活かせぬと思いますが、来世があるなら覚えておくと良いかと」

 

 

 這いつくばる“それ”を、二対の冷たい視線が見下ろす。

 格が違う。

 艦の性能も、身体能力も、霊子力場発生能力という点でも勝っているはずなのに。

 ただ、戦士としての格が違う。

 大破させられた身には、埋めようのない差。

 決して覆せない事実に気付いてしまった“それ”は、しかし鉄パイプを杖として立ち上がる。

 

 

「馬鹿に、しやがって……。馬鹿にしやがって、馬鹿にして、馬鹿にしてぇえぇぇ!!」

 

 

 心の支えは意地だ。もうそれ以外には残っていない。

 悔しくて、腹が立って、どうしようもないから。

 そんな、ちっぽけなプライドが痛みを凌駕させ、“それ”自身に再び霊子力場を纏わせる。

 血に塗れ、異形と化した鉄パイプと、二振りのサーベルが火花を散らした。

 

 

『キサマは、常に勝てる戦いを選んでいたな。実戦も、演習も。

 悪い事ではない。予め勝敗を見抜く事は大切だ。

 しかし……。己より強い相手を除外し続けた弊害が、今のそれだ』

 

 

 吉田が伊勢・日向の本体を制御し、砲撃精度を上げていく。

 直撃を受け、大きく揺れ始めた甲板だが、三人の白兵戦はより加速する。

 日向の刺突が脚を、手首を、首を、眼を狙う。

 “それ”は左右に身体を捻りつつ、刃を鉄パイプで器用に弾き、ガラ空きだった日向の腹へ蹄を叩き込む。

 華奢な身体が宙に浮いた。

 

 吹き飛んでいく日向に代わり、今度は伊勢が斬撃を。

 袈裟、薙ぎ、一回転しての重い逆袈裟。

 二撃目まではどうにか鉄パイプで防げた“それ”だが、三撃目で鉄パイプが限界を迎え、半ばから二本に分かたれる。

 衝撃でたたらを踏んだ隙を突き、首を撥ねようとサーベルが左へ振り抜かれた。

 しかし、ガチリと嫌な音を立て、サーベルの動きは止まる。

 歯だ。

 “それ”の臀部から生える尻尾の先端が、サーベルを白刃取りしていたのだ。

 そこへ全力で振り下ろされる、短くなった鉄パイプ。刀身が砕けた。

 

 後退した伊勢は、驚いたのか眼を見開く。

 機を見るに敏。攻撃に転じようと、“それ”は自ら踏み込む。

 けれど、何故か伊勢はその場で納刀。即座に居合抜きの構えを。

 悪寒。

 

 

「いっ!?」

 

 

 折れたはずの刀身が、海老反る“それ”の鼻先を通って行く。

 艤装の一部。再構築可能なのを失念していた。一瞬でも回避が遅れていれば終わっていただろう。

 慌ててバックステップ。伊勢から距離を取ろうとするが、そこへ戻って来た日向が飛び掛かる。

 上から突き下ろす刺突。伊勢も加わり横から斬撃。また刺突。阿吽の呼吸で立ち位置を変え、“それ”の視点を安定させない。

 両手の鉄パイプで、一糸乱れぬ攻撃を捌くのが精一杯だ。

 

 

「クソ、チクショウ、なんで、なんで、なんで……!」

 

 

 どうして。何故。

 ただの統制人格に、深人類たる自分が追い詰められなければ……。

 焦燥感と屈辱感が。側面装甲をへこませる、航空戦艦からの砲撃が。端整なはずの顔を歪ませた。

 かたや、伊勢と日向の表情は涼やかだった。

 

 

「確かに。貴方様の境遇には同情できます。身に余る不幸、憎しみ、怒り、悲しみ。お察し致します」

 

 

 無慈悲な斬撃と裏腹な、伊勢の慈しみの言葉。

 突然の負傷。心的外傷。存在価値を勝手に定められ、弄ばれる日々が続き、死を選ばされた。

 確かにそれは、同情すべき悲劇なのだろう。

 

 

「けれど、不幸に胡坐をかき、悲劇に酔い。無益な悪意を撒き散らしたのは、間違いなく貴方様の決断」

 

 

 しかしながら、日向が刺突と同時に言い放つ事柄も、また真実なのだ。

 悲劇を言い訳にして、同じ悲しみを、苦しみを他人に擦りつける。

 それは、悪戯に憎悪の連鎖を長くするだけの、身勝手な悪行に他ならない。

 

 

『その所業、決して許されはせん。安易な道へ堕ち、人としての道を外れたのだ。

 キサマは最早、民に仇為す化生に過ぎぬ。

 ……世の平和の為。ここで朽ちるが良い、倫太郎だった者よ!』

 

 

 決別の意を込め、吉田は砲弾を撃ち続ける。

 国防に身を捧げて早五十余年。まだ海が穏やかだった頃から戦い続ける男にとって、“それ”は敵に他ならなかった。

 例え、元がかつての同僚でも。肩を並べた戦友でも。時に叱り、慰め、笑いあった存在であっても。

 命を賭して討ち果たすべき、怪物だった。

 

 “それ”の動きが止まる。

 戦意を喪失したかのように、両手から鉄パイプが溢れ落ちた。

 見逃される訳もなく、伊勢と日向がサーベルを振るう。

 斬撃は首を落とし、刺突が心臓を貫く。

 

 

「えっ」「なっ」

 

 

 ――はずだった。

 斬撃が首の骨で止まり、身体を貫く刺突も狙いを逸れる。

 サーベルの護拳を、“それ”が強く握りしめていたのだ。

 

 

「さっきから……。ゴチャゴチャうるさいんだよぉおおっ!!」

 

「うぁっ」

 

「くうっ」

 

 

 尻尾が鞭のように振るわれ、二人の身体を纏めて薙ぎ払う。

 十mほど離れた場所で体勢を立て直すが、サーベルは奪われたまま。

 加えて、伊勢と日向が目を疑うような、奇妙な変化も起きていた。

 

 

「偉そうに御託を並べてるけどサァ……。そんな風に言イ訳しなきゃ、僕一人殺せないノかい……?」

 

 

 ユラユラと、億劫そうに歩く“それ”の纏う妖気が、色を黒く変じている。

 血のような赤みが抜け、夜闇よりも深くなった漆黒が、立ち昇っている。

 

 

「素直に認めたら? お前はもう手に負えない。おままごとには飽きた。だから殺すんだって。

 アンタは僕という汚点を切り捨てて、なかった事にしようとしてるんだ。

 ……都合の良い時だけ可愛がって。要らなくなったら殺すんだ。年老いたペットみたいにさ?」

 

 

 サーベルを捨て、常人なら三回は死ぬだろう量の血を流し、“それ”は笑う。

 知っている。そうだ、知っているとも。

 己が怪物である事など、とうの昔に知っている。

 だから、良い。怪物だから殺すというのなら良い。相入れない存在を駆逐しようとするのは、人の本能だ。仕方ない。

 しかし、人の道とはなんだ? 安易な道とはなんだ? 世の平和の為? まるで自分が正義の側だと言わんばかりな言い草は、なんだ?

 

 戦争に善は無い。そう教えたのはアンタなのに。

 殺しに善は無い。そう教えたのはアンタなのに。

 こんな時だけ正義面するのか。

 こんな時だけ……。

 

 ――僕を殺そうとする時だけ、そんな言い訳に逃げるのか!?

 

 

「お偉いお偉い軍人様が、薄っぺらい正義感で、手前勝手な都合を誤魔化すなぁああぁぁあああっ!!」

 

 

 全身から噴き上がる漆黒――絶望の色が、両眼から零れる雫を掻き消す。

 同時に生き残った砲塔へと黒い霊子が収束。狙いもつけずに放たれる。

 そのまま行けば雲を穿つはずの砲撃は、桐林がそうしたように軌道を変え、航空戦艦二隻の装甲を貫いた。

 

 

『がはっ――! ゴホッ、ふ、く……っ』

 

「剛志、様……! ご無事ですか、剛志様っ!?」

 

「おのれ……っ。よくもっ――ぐぅ」

 

 

 爆音。爆音。またしても爆音。

 弾薬庫にでも掠ったか、伊勢・日向の船体は内から炎に巻かれ、おびただしい黒煙をたなびかせている。

 水気を帯びた吉田の咳が聞こえて来た。

 統制人格の方の伊勢と日向も、喀血しながら主人を気遣う。

 砲音は続かない。

 吉田は、おそらくダメージのフィードバックによって。“それ”は、限界を超えた能力行使によって。

 三隻の戦艦全てが、死に体となって沈黙する。

 

 

『なかった事になぞ、出来るものか……』

 

「……ぁあ゛?」

 

 

 そんな中、声が響いた。

 波音に打ち消されるほど小さく、けれど耳に染み入る、枯れ果てた声。

 

 

『確かに、勝手な都合を押し付けて、おヌシを殺そうとしているワシは、碌でもない人間じゃろうよ……。

 だがなぁ……。おヌシを殺したとしても、決して……。決してなかった事になんぞ……。出来ぬ、わい』

 

 

 この時、“それ”はあるはずのない光景を幻視していた。

 簡易増幅機器へ横たわり、口元を赤黒く染め。

 震えるように肩を揺らす、衰えた老人の姿を。

 

 

『後悔した。後悔して、後悔し尽くして、それでもな。おヌシの存在がなければ、今のワシもなかったんじゃ。

 おヌシを喪わねば、忘れる所だった痛みがある。おヌシを喪わねば、気付けなかった悲しみがある。おヌシを喪わねば、抱けなかった慈しみがある。

 ……倫太郎。おヌシと過ごした日々も、おヌシと過ごせなかった時間も。その全てが、吉田 剛志という、愚かな老人を形作っておるんじゃよ……』

 

 

 ついさっきまで、“それ”を殺そうとしていた軍人は、何処かへ消え去っている。

 今、沈みかけた軍艦を通して語りかけるのは、告解を行う哀れな老人。

 “それ”は戸惑い、信じられない――信じたくないという表情で返す。

 

 

「だ、だからなんだって言うんだ。そんな言葉で、アンタの犯そうとしている罪は覆せない……」

 

『そんなつもり、最初からありゃあせん』

 

 

 しかし、吉田の静かな言葉が、“それ”の考えをまたもや否定した。

 罪。穢れ。

 清め祓うべき汚泥を、望んでいる。

 何故ならば……。

 

 

『憎しみで誰かを殺せば、憎悪の連鎖は止まらん。

 おヌシを殺すのは、おヌシの優しさを知るワシでなければならんのだ。

 この罪は譲らぬ。この罪だけは、他の誰にも譲らぬぞ』

 

 

 憎しみの連鎖を、ここで断ち切りたいからだ。

 無益な争いを、終わらせたいからだ。

 だからこそ、吉田以外が“それ”を殺すのは許されない。

 悲しみを砲に込められる、吉田でなくてはならないのである。

 

 

「なんだよ、それ……。訳、分かんない。分かんないよ、そんな、のぉ……」

 

 

 いつの間にか、闇は晴れていた。

 立ち尽くしていた“それ”は、呆然と甲板にへたり込み、うな垂れる。

 あれだけ猛威を振るっていた霊子が、微塵も見当たらない。

 伊勢と日向はサーベルを回収し、鞘に納めて……何もしない。する必要が無くなったと、雪の積もり始めた、小さな後ろ姿を見つめる。

 

 

『っはは、おヌシはいつもそうじゃったなぁ。計算は誰よりも得意で、しかし国語は赤点ばかり』

 

「うるせぇ、クソ爺ぃ……。教え方が悪いんだ、作者の意図なんて読めるもんか……」

 

 

 懐かしさに吉田が笑い、“それ”が不貞腐れて唇を尖らす。

 畳、座卓、教科書にノート。あとは鉛筆に消しゴム。

 あの頃は、これが日常だった。

 

 

「疲れ、ちゃったな……。眠い、や……」

 

『……ああ。そうじゃな……』

 

 

 尻尾を使ってどうにか立ち上がり、“それ”は片脚を引きずりながら、舷側へ向かう。

 少しでも近づけるように。

 途中、伊勢たちと擦れ違ったけれど、それだけだった。

 目を合わさず、言葉も交わさず。二人は無言で見送る。

 

 

『終わりにしよう』

 

「……うん」

 

 

 かろうじて動く伊勢・日向の砲塔が、狙いを定める。

 “それ”は眼を閉じ、手摺りが無くなった舷側に立つ。

 両腕を広げて、子供のように小さい人影が、ゆっくり海へと身を投じた、その刹那。

 

 弔いの号砲が、暗い空に轟いた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「敵 戦艦、大破を確認。轟沈していきます」

 

 

 蔵人の静かな声が、戦いの終わりを告げた。

 着弾観測用に残した瑞雲から送られてくる映像には、沈んでいく黒い戦艦の姿がある。

 乗り移って白兵戦を行っていた伊勢と日向は、自らの意思で消滅退避を起こし、本体に帰還済み。巻き込まれることは無い。

 その本体も大破しているのだが、使役妖精の尽力で延焼は防がれ、機関部も問題無し。このままでも沈む事はないだろう。

 

 

「終わったか……。く、ゴフッ、ゴフッ!」

 

「長官!?」

 

 

 気を抜いた吉田が大きく息を吐くが、その拍子に酷くむせ返る。

 思わず口元を抑えると、籠手は赤黒い血で染まった。

 よく見れば、吉田の着る黒い軍服も、胸周りの色がやけに濃くなっている。血の跡だ。

 服の下に隠れた身体は、おそらく内出血だらけになっているだろう。内臓の事など、考えたくもない。

 

 

「お待ち下さい、すぐに追加の鎮痛剤を」

 

「要らん、よ……。もう、手遅れ、じゃからな……。最後となれば、痛みすら、愛おしいわい」

 

 

 慌てて駆け寄ろうとする蔵人を、吉田は弱々しい声で止める。

 伊勢、日向が白兵戦を行っている間、船体の制御は完全に吉田に委ねられていた。

 その同調強度は第三……。すなわち、船のダメージが、そのまま能力者へフィードバックしてしまう状態。

 長年の喫煙による肺ガンが全身へ転移し、余命三ヶ月と宣告されていた老体には、耐え難い傷だった。命の灯火を、吹き消してしまう程に。

 だからこそ、痛みが嬉しかった。この痛みが、まるで勲章のように思えるのだ。

 

 

「後悔ばかりの、人生だったが……。最後に、一人だけ、でも……。桐林だけでも、救えたか、の……?」

 

「はい……。はいっ。確かに見届けました! 僭越ながら、この疋田 蔵人が証人となりますっ!」

 

 

 力無い笑みを向ける吉田に、蔵人は靴の踵を鳴らし、直立不動となって答えた。

 拳が震えている。潤んだ瞳は上を見ていた。死の際を汚さぬよう、涙を零すまいと耐えている。

 緩い言動は目立つが、実直な青年だ。桐生が重用したのも理解できる。

 このような若者が育っている事の、なんと喜ばしい事か。

 これで、安心して逝ける。

 

 

「ありがとう……。あぁぁ、いよいよ、か……」

 

 

 もう、手足の感覚がない。

 肺の奥に巣食う痛みだけが、熱く命を感じさせた。けれど、それもいつまで保つやら。

 最後に一つ、遺しておかなければ。

 

 

「伊勢……。日向……。聞こえて、いるな……?」

 

『……はい。剛志様』

 

『この耳で、しかと』

 

 

 眼を閉じ、吉田は海の向こうへと意識を向ける。

 ボロボロの航空戦艦。それぞれの艦橋に立つ、女性の姿が脳裏に浮かぶ。

 礼服の飾り紐は千切れ、タイトスカートにも裂け目が入り、満身創痍といった風体だが、顔に憂いは無かった。

 むしろ、何かを成し遂げた者にしか許されない、誇らしさで一杯に見えた。吉田の顔にも微笑みが乗る。

 だからこそ、失う訳にはいかないのだ。

 煤に汚れた彼女たちの首元。掛けられた、シングルチェーンのみのネックレスを確認し、吉田は言う。

 

 

「おヌシらに着けさせた、それは……。ヌシらの存在を、船に、固定化する……。ワシが、死んだとしても……。しばらくは、保つじゃろう……」

 

 

 統制人格とは、能力者が現世に繋ぎ止めているだけの、本来は不安定な存在。

 どれだけ人に近づこうとも、励起主である能力者が死ねば、霊子の塵と化して消滅する。

 それを防ぐ――高い練度の傀儡艦を、他の能力者へ引き継ぐ事を目的とし、以前から研究が行われていた装置の試作品が、二人が着けているネックレスの正体だ。

 能力者の体組織と、艦船の鋼材とを、一定の配分で科学的に合成した物であり、能力者が死亡したのちも、数日は消滅を免れる算段だった。

 

 

「その、間に……。ミナトか、桐林か……。どちらかを選び、再励起を、受けるのだ……。そうす、れば……。おヌシら、は、生き延び……」

 

 

 そして、励起主が死亡した後は、他の能力者が関連付けされた艦船に対し、新たに励起を行う事で、統制人格の移譲が可能となる……はずである。

 確証は無く、藁にも縋る思いだったが、吉田はそれでも頼りたかった。

 娘のようにも思ってきた仲間を、老いぼれの道連れになどしたくなかったのだ。

 

 しかし……。

 

 

『申し訳ありません、剛志様』

 

『その御言い付けには、背かせて頂きます』

 

「……なに?」

 

 

 静かに吉田の言葉を聞いていた二人が返したのは、彼にとって、全く予想外の物だった。

 光。

 簡易増幅機器の周囲に、まばゆい光が二つ、出現する。

 

 

「そんな……。一体、どうやって」

 

 

 蔵人は思わず眼を疑った。

 遥か彼方。何十kmも離れた海の上に居るはずの、伊勢と日向が。吉田の側に控えていたのである。

 己が本体である軍艦に対してならまだしも、統制人格が能力者の元へ空間転移したなど、前例が無い。

 吉田もまた驚きに眼を見開き、言葉を失っている。

 伊勢と日向は穏やかに微笑み、彼の被っていたヘルメットや籠手を外していく。

 血に汚れた口元をハンカチで拭い、着衣の乱れを整え、その両手を取る。

 

 

「この身はただ、剛志様の為だけに存在致します。二君に仕えるなど、どうして出来ましょうか」

 

「お側に置いて下さいませ。この身が塵に帰る、最後の瞬間まで。どうか、どうか」

 

 

 それは、あまりに切ない願いだった。

 ただ、最後の一瞬までも、敬愛する主君の側に居たいと。

 この二人は、ただそれだけの為に、空間を――世の理すらも超越したのだ。

 蔵人が堪え切れずに顔を背け、吉田も静かに涙を零す。

 

 

「バカ者、が……。おヌシらは、大バカ者、じゃ……」

 

「まぁ。酷い言い草ですね?」

 

「きっと、剛志様に似てしまったものと」

 

「ははは。一本、取られたか。日向に取られたのは、久しぶりじゃの」

 

 

 笑顔があった。

 涙に濡れてはいるが、とても温かく、優しい想いがあった。

 ふと、吉田は気付く。

 痛みが和らいでいる。

 繋いだ両手から“何か”が流れ込み、心を包んでいく。

 こんなに穏やかな心地は、いつ以来だろう。

 

 

「まだ、やりたい事が、あるんじゃがなぁ……。沖釣りに、葉巻に、あとは……」

 

 

 吐く息に乗せて、吉田は心残りを呟いていく。

 閉じた瞼の裏に、青い空が見えた。

 中型の船。

 波の荒れた遠洋で、葉巻を咥えながら釣り竿を捌く自分と、隣で見守る伊勢に、舵輪を預かる日向。

 そして。

 

 

「ミナトよ……。おヌシの行く末を、この目で、見られぬ事、が……。戦いを、終わらせられなんだのが、悔しい、のう……」

 

 

 日に当たるのが嫌だ、早く帰りたいと、船内から声を発する、口の悪いもう一人の息子。

 ああ、夢だ。

 この光景は、叶えられなかった夢だ。

 情けなくも思うが……。けれど、最後くらいは許して欲しい。

 少しばかり、疲れてしまった。

 後に託す事を、許して欲しい。

 

 

「生きろ、若人たちよ。それでもこの世は、お前たちの為に在る」

 

 

 これが。

 恥多い人生を送ってきた、愚かな男の。

 最後の願いなのだから。

 

 瞼を閉じたまま、吉田は確かにこう言い遺し、呼吸を止める。

 伊勢と日向の身体も、時を同じくして光の粒子となり、天に昇っていく。

 ただ一人。蔵人だけが敬礼で見送る中。

 ネックレスの巻かれた二振りのサーベルが、吉田の手へ寄り添うように遺されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、「舞鶴事変」と歴史に銘打たれる出来事は、ようやく幕を下ろした。

 桐林、梁島両提督が重傷を負い、吉田 剛志、兵藤 凛は死亡。“人馬”の桐生も行方知れず。

 軍高官からの無視できない情報開示請求により、隠しきれないと踏んだ幕僚本部は、桐生までをも死者として公開する。

 数日のうちに多大な人的被害を被った失態を受け、日本政府と幕僚本部は、その管理体制の甘さを強く糾弾される事となる。

 

 吉田の死に、世界各国からは哀悼の意が多く表され、将官には基本的に認められないはずの特進が為された。

 この結果、吉田は元帥海軍大将として国葬を執り行なわれ、御霊は英霊の一柱として合祀される。

 また、多岐に渡る生前の功績を讃え、大勲位菊花大綬章も授与された。

 親族は既に亡く、“梵鐘”の桐谷が受け取りを代行したが、立ち会った役人はのちに語る。

 あの日ほど、“梵鐘”を恐ろしく、哀れに思った日はないと。

 

 幾人もの命が喪われ、しかし生き残った者にも、深い傷跡が残された。

 それを癒す時間すら惜しみ、彼らは歩いていく。

 茨の道を、素足で踏みしめるように。

 

 

 

 

 


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