新人提督と電の日々   作:七音

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(略)那珂ちゃん(略)巡業記! その五「那珂ちゃん、パワーアーーーップ! ……したような気がそこはかとなくする感じなんだけど、そこの所どう思う? あ、うん。そうだね、夜戦だね。聞く相手間違えた……」

 

 

 

 ふと気がつくと、■■■は狭い部屋に立っていた。

 執務机。書き損じの書類。港の見える窓。朝。

 見覚えがあるような、ないような。不思議な感覚だった。

 どうして、こんな所にいるんだろう。

 

 

(……あれ?)

 

 

 部屋を見回そうと首を振って、違和感を覚える。

 なんだか、頭が重い。風邪をひいている時の感じじゃなくて、物理的に。

 手で触ると、滑らかな髪の感触が、手袋越しに伝わってきた。

 手袋? ああ、そっか。手袋つけてるんだ、■■■。

 

 

(ここ、どこだろう……。執務室、なのは分かるけど)

 

 

 もう一度、改めて周囲を見回すと、部屋の隅――簡易クローゼットの脇に、一人の少女が立っていた。

 セーラー服を着た、長い黒髪の、年若い女の子。

 よくある長袖のセーラー服だけれど、肩から二の腕が露出する……なんて言うんだろう。分割袖、セパレート・スリーブ。とにかくそんな感じだ。

 黒いオーバーニーソックスと、白い手袋。履いている上履きだけ、やけにくたびれている。

 髪は太もも辺りに届くほど長く、白いリボンで中程を結っていた。

 そんな少女が、不思議そうにこちらを伺い……。

 なんとなく会釈すると、全く同じタイミング、全く同じ角度で、彼女も会釈を。

 

 

(……あ、違う。これ■■■だ)

 

 

 怪訝な顔まで同じに動き、そこでようやく、姿見があるのだと理解する。

 つまりあの少女は、自身の姿。

 近づいて、右手を上げたり、左手を上げたり。後ろを向いて肩越しに振り返ったり、ニッコリ笑顔を浮かべてみたり。

 もちろん笑顔が返されて、ちょっと可愛いかも、とか思ってしまう。ナルシスト? なんかヤダ。

 

 こんな風に、ほへぇ~っと自己観察していたら、近づいてくる“何か”の気配に気付いた。

 部屋の外。革靴。反射的に、机の前へ戻って直立不動になる。

 ガチャリ。背後でドアの開く音が。

 

 

「……■■」

 

 

 男性の声に呼び掛けられた。

 何か、ノイズのようなもので掻き消されたけれど、その声の主は■■■を呼んだのだと、直感した。

 呼ばれたのだから、こちらも返事をしなければ。

 

 

「……あ、はい。なんでしょうか。何か御用ですか?」

 

 

 振り返ると、白い詰襟を着る男性が、■■■をジッと見ていた。

 なんでだろう。見えているはずなのに、顔がよく分からない。

 眼も、鼻も、口も、眉毛も。個々のパーツはキチンと認識できるのに、それを統合しようとすると、モヤが掛かってしまう様な、奇妙な感覚。

 しかし不思議なもので、不愉快ではなかった。むしろ安心できるような気がして、■■■と彼は見つめ合う。

 ジッと。

 うん、ジッと。

 ……や、何か反応して下さいよ。

 

 

「あの……? おはよう、ございます……? き、聞こえてますかぁ~……?」

 

「……しゃ」

 

「しゃ?」

 

「喋ったぁああぁぁあああっ!?」

 

「わっ」

 

 

 全く動こうとしない男性を覗き込むと、彼は突然、大声を張り上げながら尻餅をついてしまった。

 ■■■も驚いて、ビクッと後退りしてしまうけれど、彼の方は後ろ向きにワサワサ、壁を背にして「あばばばば」と泡を食っている。

 そ、そんなに驚くこと? 喋っただけなんですよ、■■■。

 

 

「に、二佐、二佐ぁー!? ■■が、■■がぁーっ!?」

 

「なんだ、朝っぱらから騒々しい」

 

 

 彼が大慌てでドアの向こうへ呼びかけ、程無く初老の男性が入室して来た。

 白い詰襟は同じなのに、この人の方が着慣れているような印象。

 初めて会った……はずだけど、前から知っている気もする。あ、これは彼に対してもそう。というより、彼の方によりシンパシーを感じる。

 とりあえず、手持ち無沙汰なので挨拶をしてみよう。二佐、って呼べば良い、んだよね?

 

 

「おはようございます、二佐。良い天気になりましたね」

 

「うむ、おはよう。そうだなぁ、こんな日に海へ出れば、昔は大漁で食べ切れんほどの喋ったぁああぁぁあああっ!?」

 

「うわぅっ」

 

 

 ■■■は初老の男性にお辞儀。その人も朗らかに笑い返してくれたと思ったら、彼と全く同じように尻餅をついて、ワサワサと彼の隣へ。

 び、ビックリしたぁ……。なに? 新手のドッキリですか? 驚かれてる■■■の方が驚くんですが?

 

 

「なななななななな、何が、何事だっ!? 何故、何故に■■がっ?」

 

「でしょう? でしょうっ? 驚くでしょう!?」

 

「……なんだか珍獣扱いされてるみたいで、少しイラっとするんですけど」

 

「は? い、イラっと?」

 

「どういう事なのだ、これは……」

 

 

 手と手を取り合い、うなずき合い。二人の殿方はこちらを思いっきし指差している。

 そんな気は無いんだろうと思うけど、馬鹿にされてるみたいでなんかイヤ。

 ■■■の反応にも、彼らは首をひねるばかり。聞きたいのはこっちですってば。

 なんて考えていたら、部屋の外から小さな足音が。軽快なリズム。誰か、走ってる?

 

 

「あーもー! さっきからウッセーッ! いい歳して朝から騒いでんなよアンタら!」

 

「おう、■■■か。いやしかしな……」

 

「そ、そうだぞ少年。今まさに、驚天動地の出来事がこの部屋で起きていてね?」

 

「はぁ? 何を言って……」

 

 

 あ、今度は男の子だ。

 怒鳴り声と一緒に駆け込んで来たのは、またも白い詰襟を着た男性。といっても、十歳くらいの男の子。下が半ズボンになってる。

 ……男の子、だよね? ボーイッシュな女の子にも見えるけど。

 その子は■■■を見て、物凄ーく不機嫌そうに顔を歪めた。

 な、なんだか乱暴そうな子……。声を掛けたらまたビックリされちゃうかな……。でも、黙ってるのもアレだしなぁ……。

 

 

「お、おはようござい、ます……」

 

「………………」

 

 

 ビクビクしつつ、なんとか朝の挨拶をしてみると、意外にも、なんの反応もなかった。

 男の子は■■■をジッと見つめ、微動だにしない。

 あ、あれ? 驚かれるのもイヤだったけど、反応がないっていうのもちょっと寂しいな……。

 それを訝しんだのか、彼らは男の子の側へ。膝を折って顔を覗き込む。

 

 

「お、おい、少年。どうした、少年?」

 

「……いかんな。コヤツ、立ったまま気絶しておる」

 

「ええぇ……。なんですかそれ……」

 

 

 挨拶しただけで気絶されるとか、どんだけ……。

 もしかして■■■、他人から見ると凄いぶちゃいくさんだったりするの……?

 そうだったら傷付くんですけど……。本気で泣くよ……?

 

 チュンチュン、と雀の鳴く声が聞こえる、爽やかな朝。

 整然とした執務室には、なんとも言えない、微妙な雰囲気が漂うのでした。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「きゃっ!?」

 

 

 一陣の風が吹く。

 桜並木を駆け抜けたそれは、桃色の花びらと共に、紺色のスカートをも巻き上げる。

 慌てて裾を抑えるセーラー服の少女――暁型駆逐艦三番艦・雷が、ムッとした顔で空を見上げた。

 

 

「もう、やらしい風……」

 

「大丈夫かい、雷」

 

「うん。ちょっとビックリしただけだから」

 

「むしろ、響は動じなさ過ぎよ。レディーなんだから、スカート押さえる位しないとっ」

 

「……見られるとしても、相手はヨシフしか居ないよ。気にすること無いさ」

 

 

 ワン、と鳴く大型犬――ヨシフを引き連れ、雷のそばに姉妹が集まってくる。

 乱れた髪を整え、巻き込まれてしまった花びらを取ろうとする暁と、散歩用品が入ったウェストポーチを身に付け、リードを持つ響の二人である。

 ちょうど、日が最も高くなった頃合いの、横須賀鎮守府にて。三人と一匹は、桐林艦隊宿舎周辺を散歩しているのであった。

 

 

(綺麗……。だけど……)

 

 

 舞い散る桜を眺め、雷はふと、寂しさを覚えた。

 古くから日本人が美を見出す、見事な散り際も然る事ながら、隣に居るべき……。居て欲しい人の気配を感じられないからだ。

 それは、舞鶴事変以来、ずっと塞ぎ込んでいる末っ子――電だけではない。

 もう一人。思わず後ろ姿を探してしまう人物が、ここには居なかった。

 本当ならその人と、二度目の桜を見て、花見でもするはずだったのに、今年はきっと叶わないだろう。……いや。これから先、叶うのかすら分からない。

 この事実が、小さな胸を切なくさせた。

 

 

「……あ。あの後ろ姿って……?」

 

 

 そんな時、暁が喜色満面に前方を指差す。

 いつの間にか、宿舎の玄関が見える所まで戻って来ていたようだ。そして、玄関口に立つ数人の人影も見える。

 オレンジ色の衣装。白と青のセーラー服と、黒を基調としたセーラー服に、ベージュのセーラー服を着る少女たち。三人と、二人が三グループ。

 中でも一番に華やかな少女が振り返り、雷たちへ大きく手を振った。

 

 

「あ! 暁ちゃんに響ちゃんに雷ちゃん! たっだいまーっ。那珂ちゃん、ただいま帰りましたよーっ! ヨシフも久し振り――んべ、ちょ、顔はらめ、ぶあ」

 

 

 ……が。突如として駆け出したヨシフに飛び掛かられ、その少女――那珂は見るも無残な有様に。

 べろんべろん舐めまくられている彼女を他所に、雷たちは、長い長い派遣演習から帰還した仲間を、笑顔で出迎える。

 

 

「お帰りなさい、那珂さん。川内さんに神通さんも」

 

「はい……。ただいま戻りました……」

 

「やー、時間かかったね、今回は。おかげでたっぷり夜戦できたけどさ!」

 

「はぁ……ふぅ……。ううぅ、顔がくちゃい……。せっかくのおニューだったのに……」

 

「あーあー、だいじょーぶ? ハンカチ……持ってないや。大井っち、ある?」

 

「はい。持ってますけど……。北上さん用の新品は駄目なので、こっちの使い古しをどうぞ」

 

「素直に喜べないよぅ。でもありがとぉ……」

 

 

 まずはオレンジ色の衣装を着た、川内型の三人。

 たおやかに雷へと頭を下げる神通、昼間なのに珍しくツヤツヤした顔の川内はいつも通りなのだが、響に怒られているヨシフの横で、涎まみれになった那珂だけは、今までと様子が違っている。

 黒いスカートと、それに掛かる裾が六枚の花弁にも見える、オレンジ色の上着。これが川内型の基本衣装なのだが、那珂が今着ているそれは、まるで舞台衣装のようだった。

 二色だった衣装に白が加わって、スカートがフリル満点の三層構造になったり、白いオーバーニーを履いていたり。まさしくアイドル、といった格好だ。

 顔面が涎まみれでなく、衣装に犬の足跡が残っていなければ完璧なのだが。

 

 残念無念な那珂を助けている重雷装艦の二人も、彼女と同じく服装の趣が変化している。

 これまでは濃緑が基調のセーラー服だったが、全体的な色味がベージュになり、抹茶色のラインなどがアクセントとして加えられている。

 加えて、スカートの丈が若干短くなっており、上着に至ってはヘソが見えるほど。春も半ばという気候でなければ、お腹を冷やしていたかも知れない。

 

 そんな五人に続き、白と青のセーラー服を着る二人――加古、古鷹と、暁、響がお喋りを始めた。

 

 

「みんら、げんきらねぇ~……。あたひゃにぇむい、にぇむくてひかたにゃいぃいぃぃ……」

 

「もう、加古ったら。だらしないよ?」

 

「……えっ!? この人、加古さんなの!?」

 

驚いた(Удивленный)……。雰囲気がまるで別人だね」

 

「中身は全く変わってないんだけど……。どうせなら、もっとシャキッとして欲しかったなぁ……」

 

「だって眠いんだよぉ~う……。向こうじゃロクに眠れなかったしさぁ……」

 

 

 ほとんど目を閉じ、古鷹に寄り掛かる加古と、それを支える苦笑いの古鷹。

 響の言う通り、彼女たちの衣装もまた、那珂とは別の方向性に変化している。

 

 以前は明るい水色と白のセーラー服が基本衣装だったが、水色が深い紺色に変わり、より落ち着いた印象を放っていた。

 古鷹はさらに黒いインナーを着込み、右足は普通のハイソックスを履き、左足はオーバーニーを。加えて、艤装状態では砲塔に包まれる右腕も、黒いインナーが完全に覆っている。

 

 対する加古も同じインナーを着込んでいるが、彼女における一番の変化は、その風貌だ。

 以前は悪ガキに通じる快活さと、コアラやナマケモノに通じるだらしなさの同居が特徴だったが、今の加古を例えるなら……。

 喧嘩に興を求める女番長、であろうか。気怠い雰囲気が消え去っていて、暁が驚愕したのも無理はない。

 かつて前髪を留めていた髪留めは、あの戦いの後、なぜか二度と手元に戻る事はなかった。身体の一部と言える物なのに、である。

 それ故、落ちてくる前髪で加古の左眼は隠れ、着崩した制服が剣呑な雰囲気を醸し出している。古鷹に寄り掛かる姿も、傍からみれば不良に絡まれたクラス委員、といった様子だ。

 

 もっとも、加古の本性を知る仲間にとっては些細な変化らしく、今度は黒を基調としたセーラー服の二名が、自らの変化を元気よく、そして静かに主張した。

 ビシッと挙手をする夕立と、ゆったり微笑む時雨である。

 

 

「はい! 夕立は背も伸びたっぽい! 大人っぽくなったっぽい?」

 

「最初は違和感があったけどね……。急に世界が小さくなったみたいで」

 

「けど、けっきょく眼の色が戻らなかったのはちょっと困るっぽい~。これじゃあ、なんだか悪役っぽ~い」

 

「あはは……」

 

 

 両手で自身の頬を挟み、ムンクの叫びが如くブーたれる夕立。

 彼女の出で立ちは、白襟の黒いセーラー服姿なのは同じままだが、プリーツスカートの裾に赤いラインが入り、星型の徽章を襟に着け、真っ白なマフラーと黒革の指抜きグローブまで追加されていたりと、細かな部分に変化が生じている。

 しかし最大の変化と言えば、金髪碧眼が特徴だった彼女の眼が、燃える炎のような赤眼になってしまった事だ。毛先も赤味を帯び、黄金が赤熱するかの如くグラデーションしていた。

 身長も六頭身から七頭身に伸びており、中学生が高校へ入学し、ついでに厨二的な高校デビューを果たした、といった様子である。

 

 ところが加古同様、中身は一切変化していないらしく、ぴょん、と犬耳のように跳ねた金髪に、時雨は苦笑いを浮かべた。

 そんな彼女も外見に変化が起きているのだが、夕立ほど顕著ではない。

 身長が伸びて、胸元を飾るリボンがネクタイ状になり、夕立と揃いの指抜きグローブを着けている程度だ。髪の跳ね具合も同じだろうか。

 

 川内と神通を除いた面々が、こうまで大きな変貌を遂げたのには、もちろん理由がある。

 彼女たちが派遣された先……。舞鶴鎮守府で受けた、改二改装の結果なのだ。

 

 

「みんな、無事に改二改装を終えたのね。予定では古鷹さんたち六人だけって聞いてたけど……。とにかく成功して良かったわ、おめでとう!」

 

「雷ちゃん、ありがとぉー! これからも那珂ちゃんのこと応援してね?」

 

「もちろんっ。まぁ、那珂さんだけじゃなくて、他のみんなもだけど。でも、二人は……?」

 

「私たちは……その……。成功しそうな気はするんですが……」

 

「なんて言うかさ。今はまだ“その時”じゃないと思うんだよね。だから、今回は那珂だけ」

 

「そうなんだ……」

 

 

 舞鶴事変から、およそ四ヶ月。一つの季節が過ぎ去った現在、彼の地は最新鋭技術が集う、対 深海棲艦戦線の第一線となっていた。

 そしてこの度、七隻の船が改二となったのである。

 主兵装の更新や、生存性を高めるための機関部のシフト配置化、各種電探の配備など、様々な改装が行われた。

 外見的にさほど変化していない船もあれば、性能を含め、まるで別物になった船もある。古鷹型の二隻は後者だ。

 これが統制人格の外見の変化に繋がっているようだが、特に、日本で初めての改二駆逐艦となった夕立と時雨を見て、暁がワナワナと震え始める。

 

 

「改二……。私も、改二になれば……」

 

「暁。取らぬ狸の皮算用は、止めておいた方が良い。北上さんと大井さんは身長が変わっていないよ」

 

「だっ、誰も身長の事なんて言ってないわ!? 例え背が低くったって、レディーはレディーらしい振る舞いをすれば……」

 

「じゃー、胸? 白露型の二人は若干増量したよね、見た感じ。あたしと大井っちは露出が増えた位だけど」

 

「そうかも知れませんね。あ、北上さんはそのままでも十二分に、いいえ、そのままの北上さんこそが黄金比です! 変わる必要なんてありません! 服は別として!」

 

「大井さん、鼻血鼻血」

 

「あら失礼」

 

 

 ダクダクと垂れ流される鼻血を見て、雷がティッシュを差し出し、大井はいそいそと膨らんだ鼻にティッシュを詰める。

 北上の事が好きで好きで、大好きで仕方ない彼女にとっては、今まで隠れていた部分が見られるようになったこの状態、願っても無い事なのだろう。

 人間のように成長する事ができない統制人格だが、改二になれば一縷の望みがある。常から大人の女性に憧れる暁にも、この変化は非常に羨ましいようだ。

 もちろん、北上たちと同様に肉体的な変化が一切起きない可能性もあるけれど、言わぬが花か。

 

 楽しげに談笑し、笑顔を浮かべる少女たち。

 一見、ありふれた日常風景にも見えるが、しかし胸の内では、全員がもどかしさを抱えていた。

 聞きたい事がある。でも聞きづらい。

 話さなければならない事がある。けれど口が重い。

 皆が皆、本心を隠して笑い合うのだ。ふとした瞬間に間が開き、気不味い沈黙が漂う。

 それをどうにかしようと、雷が率先して声を上げた。

 

 

「えっと……。立ち話もアレだし、入りましょ。みんなにも顔を見せてあげて?」

 

「そうですね。ほら、加古! ちゃんと歩いてったら!」

 

「らってにぇむいんらもぉん……。ぐー、くかっ」

 

「あ、歩きながら寝てるわ……」

 

凄いね(Хорошо)

 

 

 暁型の三人とヨシフに続き、古鷹を始めとした派遣組みが宿舎の玄関をくぐる。

 響がヨシフの足を綺麗にしたり、ガヤガヤと上履きに履き替えたり。

 程なくして十人と一匹は、待機組みがごった返しているであろう、食堂へのドアを開けた。

 

 

「たっだいまー! 艦隊のアイドル那珂ちゃんが、装いも新たに帰っ――」

 

「お帰りっ、夕立、時雨! 一番だよね? 私が一番の出迎えだよねっ?」

 

「ブブー。残念、白露ちゃんは四番目っぽい!」

 

「ごめんね。表で散歩中の暁たちに会ったから……」

 

「ガガーン!? この白露が四番手に甘んじるとは……。でも! 宿舎の中では一番だよね? だったらOK!」

 

「完スルー……。けど那珂ちゃんヘコたれないもんっ。改二メンタルは伊達じゃないゾ☆」

 

 

 多くの統制人格がくつろいでいた中、真っ先に駆け寄ってきたのは、当然のように白露であった。

 一番にこだわる割りに、結構な確率でそれを逃している彼女だが、ヘコタレなさでは文字通り一番……かも知れない。

 すぐ側でキメ顔を作る自称アイドルが居るため、断言は止めておいた方が良さそうである。

 続いて声を掛けてくるのは、同じく白露型の二人。五月雨と涼風だ。

 

 

「お帰りなさいっ。わぁ~……。なんだか、雰囲気変わった?」

 

「だねぇ。服も細かいとこが豪華になってるし……。これが改二って訳かぁ」

 

「みたい、だね。そんなに変わったかな」

 

「なに言ってんだい! あたいの目は節穴じゃないさ。時雨も夕立も、立派になった!」

 

「うんうん。二人とも、すっごく格好良いです!」

 

「えっへへー。褒められたっぽいー」

 

 

 姉妹艦から褒めそやされ、時雨は少々照れくさそうに、夕立は得意満面で胸を張る。

 五月雨は純粋に喜んでいるようで、涼風などは「この二人はあたいが育てた!」と言わんばかりである。

 彼女たちを皮切りに、昼食後らしい仲間――初風や舞風、第七駆逐隊なども周囲に集まり、口々に「お帰り」と迎えた。

 

 

「はぅー。やっぱり自分の家って落ち着くねぇー。……そう言えば、鳳翔さんたちはどうしたの? お店?」

 

 

 適当な椅子へ腰を下ろし、アイドルらしからぬ垂れ具合いを披露する那珂だったが、普段は居るはずの人物――鳳翔や空母組みの姿が見えない事に気付き、首を傾げた。

 答えるのは、そつなく全員分のお茶を用意してきた、由良、黒潮、不知火の三人である。

 

 

「そうみたい。新店舗の開店とか、忙しいみたいだから。桐谷“中将”の御命令でもあるし……」

 

「なるほどぉ……。アイドル活動を続けるには、兎にも角にも人気が大事だもんね。身近に感じてもらうって重要だよ、うん!」

 

「相変わらずアイドル絡みの例えばっかやな……。しっかし、今回ばかりは的を射てるんよねぇ」

 

「はい。舞鶴事変が起きてからというもの、人々の反応は二極化してしまいましたから」

 

 

 舞鶴事変。

 桐林提督の拉致、兵藤提督の殺害を端に発した、過去最悪の同時多発テロ事件である。

 民間人には死者こそ出なかったものの、軍人に限れば死傷者が多数出ており、その中には能力者までも含まれていた。

 反政府組織の手は、舞鶴市の大規模発電施設にまで及んだとされ、復旧は迅速に行われたが、多くの市民が不便を強いられた事と、前述の被害も加味されて、軍への反発が大きくなってしまう。

 特に拍車を掛けたのが、小林 倫太郎との安全領域内戦闘である。

 表向き、彼はクーデターを画策した能力者として存在を発表されているが、その詳細は完全に捏造された物であり、架空の人物として死亡している。

 

 これに加え、前世紀からの勇士である吉田中将が戦死した事も、大きく世論を動かした。

 戦闘内容は公表されるはずもなく、発表された内容の一部――桐林提督、梁島提督の負傷から推測し、彼らが吉田の仇を討ったのではないかと、まことしやかに囁かれている。

 また、吉田を送る国葬の場においても騒ぎが起き、国家の腐敗ここに極まれり……と、口さがない新聞は書き立てた。

 反面、隻腕という痛ましい姿で国葬に参列した梁島には、一般市民から同情の声が上がり、彼らへの支持も増えたという。

 実情を知る者、知らぬ者。

 知っていて、己がために無視する者。知らぬまま、誰かのために利用される者。

 様々な思惑が錯綜し、この国は今、静かなる動乱の気配を漂わせていた。

 

 そんな中で鳳翔たちに命じられたのが、飲食店を介した人心の掌握である。

 以前から一般への影響力が大きかった桐林の感情持ちを、反発の緩衝材として利用しよう、という意味合いが込められている。

 顔も知らぬ誰かならば、心無い言葉も無遠慮無責任に投げられるであろうが、額に汗して働き、有事には命を賭ける少女たちへと不粋を働けば、逆に誹りを受けるのは免れない。

 まだそこまで国民は腐っていない。こう判断した桐谷の肝入りだ、忙しくて当然だろう。

 

 由良からついでに茶を受け取った白露、五月雨、涼風が、一息ついて呟く。

 

 

「他のみんなも、今は通常出撃とか遠征に行ってるから、ちょっと宿舎が静かだよね」

 

「うん……。けど、最近ずっとこうだから。少し慣れてきちゃいました……」

 

「提督が舞鶴へ移籍してからは、戦闘指揮も完全にあたいらでやらなきゃいけなくなったんだ。……慣れなきゃ駄目なのさ、きっと」

 

 

 涼風の言葉を切っ掛けに、食堂は水を打ったような静けさに包まれた。

 そう。舞鶴事変まで横須賀鎮守府に在籍していた桐林は、現在、京都は舞鶴鎮守府に籍を移し、新たな艦隊を編成して活動している。

 より正確に言うなら、舞鶴事変の後、彼はその身柄を拘束され、紆余曲折の末、舞鶴鎮守府で軟禁生活を余儀なくされているのだ。

 しかし、霊子力場発生能力を有した人間。遊ばせる訳もなく、その“力”を解明するために戦いを強いられているという。

 横須賀に残った陣営の指揮をする余裕は無いため、彼女たちは現在、赤城・加賀の一航戦と、長門・陸奥の長門型戦艦が代行して艦隊を運営。中継器を載せた旗艦に現場指揮を任せ、安定して戦果を出せる海域での通常出撃と、遠征任務への派遣のみを遂行している。

 今の所、問題は起きていなかった。

 この順調さが、皆の心に更なる影を落とすのである。

 これでは……。彼の帰って来る場所が、無くなってしまったようで。帰って来る意味を、自分たちが潰しているようで。

 

 

「……皆さん、聞き辛いようですね。では、不知火が代表して聞きます。……司令とは、お会いになったんですか」

 

 

 あえて空気を無視した不知火が、いつも通りの真剣な表情で沈黙を破る。

 それこそ話の核心。誰もが聞きたかった事柄だ。

 なにせ彼の近況を知るには、テレビの報道番組を見るのが一番早いという状態なのだから。

 けれど、問いを受けて派遣組みの顔はより暗くなり、古鷹が重い口をやっとの思いで開く。

 

 

「……実は、会えなかったんです。舞鶴では、行動を酷く制限されてしまって……」

 

「はぁ!? 何よそれっ、古鷹さんたちはクソ提督の、アイツの船なのよっ? それがどうして――」

 

「こらこらぁ。曙ってば、そんな怒るもんじゃないよぉ。目ぇ覚めちゃったじゃんかぁ……ふぁあ~」

 

「ちょ、加古さ、重い……っ」

 

 

 怒り肩の曙に加古が絡み、彼女の怒りはたちまち霧散していくが、スッキリしないのは派遣組みも同じである。

 自分たちは軍艦。“彼”の船なのだ。なぜ自由に会う事すら出来なくなってしまったのか。一体、上は何を警戒しているのか。

 そんな不満が、今度は大井を舌打ちさせた。

 

 

「詳しいことは分かりませんでしたけど、どうせ会いたくなかったんじゃありませんか。駆逐艦の子に謝らせて、全く……!」

 

「はいはい、大井っちも落ち着いて。まぁ、提督に会えなかったのは確かなんだけどさ。代わりに他の子たちとは会ってきたよ」

 

 

 珍しく、皆の前で憤りを露わにする大井。

 桐林の前では、これもごく普通の態度だったが、舞鶴事変以来、彼の話題になると露骨に不機嫌そうな顔になっていた。それでも口には出さなかった気持ちが、本意でない罵りになってしまうのだろう。

 重々承知している北上は、諍いの種とならない内に、彼女の頬を背後からムニーっと引っ張りつつ話題を変える。

 食い付いたのは、空気を読んだ由良である。

 

 

「他の子たちって事は、新編された舞鶴艦隊の統制人格よね。どんな陣容だったの?」

「はーい! 那珂ちゃんメモっておいたよー! えっとねぇ……。

 香取(かとり)さん鹿島(かしま)ちゃん間宮さん伊良湖(いらこ)ちゃん速吸(はやすい)ちゃん大鯨(たいげい)ちゃん瑞穂(みずほ)さん雲龍(うんりゅう)さん天城(あまぎ)さん葛城(かつらぎ)さんグラッツェさん……」

 

「ちょっと、ちょっと待って! 那珂さん一気に喋り過ぎ……って言うか普通に見せて!」

 

「あっ、ヤダヤダ返して初風ちゃーん! 那珂ちゃん読みたいー!」

 

 

 これまた珍しくマメな事をしていた那珂であったが、怒涛の名前連呼に着いて行けなくなった初風がメモ帳を取り上げる。

 途端、涙目になってしまう那珂を皆でガードしつつ回し読むと、意外な事に、練習巡洋艦や給糧艦、高速給油艦に潜水母艦に水上機母艦、航空母艦など、艦種ごとに分けられて几帳面にメモされていた。

 

 

「そっか、香取さん居るんだね~……。あ、のわっちも居る! そっかぁ~……」

 

「舞風さん。のわっち、って、もしかして野分(のわき)ちゃんの……?」

 

「うん、そう。どんな子になったのかなぁ。会いたいなぁ、野分……」

 

 

 潮の問いかけに、メモ帳を回しつつ舞風が頷く。

 彼女が見つけたのは、陽炎型駆逐艦十五番艦・野分の名前である。

 潮、舞風、野分の三隻は、共同でタンカー護衛任務に就いていた縁がある。懐かしい仲間の現在に想いを馳せているようだ。香取とも縁深い舞風であるが、ここでは割愛させて頂く。

 その他の面々も、見知った名前を見つけては、キャイキャイはしゃいでいた。那珂だけが「ちゃんと返してね~……」と涙目で指を咥えている。お気に入りの手帳らしい。

 久々に和やかな雰囲気に包まれた少女たちだが、しかし誰も、一向に突っ込まない“ある事”に、黒潮は我慢できずにツッコミを入れる。

 

 

「いや待ってぇな!? 縁のある名前に喜ぶんは良いけど、グラッツェって誰!? っていうか何っ?」

 

「なんか海外の空母らしいね。

 電探装備が凄いらしくてさ、夜戦中に谷風(たにかぜ)がグラ子さんって呼んでたよ。

 ワタシは会ってはいないけど、神通はそれらしい子を見かけたりした?」

 

「いいえ、私も……。でも、谷風ちゃんは史実通り、すばしっこい子でしたね……」

 

「おぉぉ……。なんだか親近感が湧きますですねぇ。

 ヘイ、ボノボーノ! この赤いハンカチに雄牛の如く突進してカモォ~あいたっ!?」

 

「こら。漣、ふざけない。……にしても、本当に多国籍艦隊になってるんですね、噂通り。ビックリしました」

 

 

 黒潮の叫びには川内が答え、更に神通が続き、ふざける漣とゲンコツを落とす朧で幕が下りた。

 彼女たちの言うグラッツェ、グラ子とは、かつて枢軸国として同盟関係にあったドイツの航空母艦、グラーフ・ツェッペリン(Graf Zeppelin)の事であろう。

 どんな船かは別の機会に語るとして、世界的にも公表された桐林の新しい特殊能力に関しては、諸外国からも大きな関心が寄せられており、その情報を得る代償として、彼の国は全面的な艦船の運用許可を出したと聞く。

 あくまで噂の域を出ない話であったが、那珂の持ち帰った情報を鑑みるに、正しかったようだ。

 そして、舞鶴の陣容について話す内に、ある事を思い出した夕立が、元気よく柏手を打った。

 

 

「あ! 思い出したっぽい! 谷風ちゃんじゃないけど、同じ駆逐艦でやたらアレだった……」

 

「……ああ、あの子。確かに凄かったね。僕は太刀打ち出来なさそうだった」

 

「あー。銀髪で前髪が長い? アレは反則だよねー、駆逐艦なのに」

 

「……北上さんの言う通りですね。悔しいですけど、あの子には私たちが束になっても……」

 

「そうかも知れません。龍驤さんとか、夕張さんは会わない方が……」

 

「血の雨……。や、血の涙で溺れそうだもんねぇ~。アタシと古鷹を足して、ギリギリってくらい?」

 

「あれ。今、私のこと呼んだ?」

 

 

 順に、時雨、北上、大井、古鷹、加古が、神妙な顔で頷きを返し、自身の名前を聞きつけた夕張がどこからか顔を出す。

 携帯ゲーム機を持っている辺り、遊び疲れてジュースでも取りに来た、といった所だろうか。

 そこから、遠目に「お帰り」や「ただいま」の応酬が始まったが、夕立たちの話の主語を把握できなかった――まぁ誰も把握できないであろうが――潮は、擦り寄ってきたオスカーを胸に抱き、おずおずと軌道修正に掛かる。

 

 

「あの……? 皆さん、さっきから誰のお話を……。そんなに強いんですか?」

 

「あぁ、ごめんごめん。きっと浜風(はまかぜ)の事でしょ。ザ・潮二号!」

 

「えっ!? わ、私、二号?」

 

「姉さん……。テンションが若干おかしいですよ……」

 

 

 集中線でも背負いそうな勢いで、川内が潮を指差し、神通がそれを窘める。

 いきなり話の中心へと蹴り出された潮は、見ていて可哀想なほどに慌てていた。オスカーは谷間に埋もれて幸せそうにニャーである。

 一方、全く動じていない朧が、己の胸部装甲を寄せて上げながら呟く。

 

 

「潮二号ってことは……。やっぱり大きいのかな」

 

「すっっっっっごく、大きかったっぽい! スイカかメロンが入ってるんじゃないかって、疑いたくなる程だったっぽい!」

 

「ねぇ、やっぱり私のこと呼ばなかった?」

 

「ううん、僕たちは呼んでないよ。呼んでないからそのままゲームに戻って大丈夫だよ、夕張さん」

 

「……そう? 確かに聞こえた気が……」

 

 

 全身を使ったジェスチャーで、浜風という統制人格の巨乳ぶりをアピールする夕立と、やはり耳敏く顔を出す夕張。時雨が受け流すも、腑に落ちない顔である。

 それはさておき、夕立の拙いジェスチャーが逆に説得力を与えたらしく、頭にタンコブを着けた漣がまた騒ぎ出す。

 

 

「くっ、なんて時代だ! どいつもこいつもロリ巨乳に走りやがって……っ。こうなったら、艦娘専用 即席豊胸材の開発に着手するしかねぇでございますよっ!」

 

「勝手に作ってなさいよ。今度は絶対に飲まないから」

 

「うむむ、私は微妙に飲んでみたいかも……。それを飲めば、駆逐艦一のナイスバディに……」

 

「………………」

 

「暁」

 

「止めておいた方が良いと思うわ」

 

「何も言ってないじゃない!? なんなの響も雷もっ」

 

 

 どこからかともなく白衣と瓶底眼鏡を取り出した漣……もとい、Dr.スモールウェーブに、曙が冷たい視線を向けた。

 例の惚れ薬騒動が尾を引いているようだが、暁は当然として、意外にも白露まで興味を示している。

 確かに成功すれば夢の広がる増強剤だが、ハッキリ言って触れない方が良い物件であろう。

 流し方を心得ている初風が、手を叩きつつ皆の注意を引き戻す。

 

 

「……はいはい! 笑い話もいいけど、そろそろ話の方向性を戻しましょう? まだ聞きたい事あるし」

 

「それもそうですね……。あの、皆さんは向こうで演習とかしていたんですよね? その時……あの“力”は……?」

 

 

 五月雨の新たな問いを受け、派遣組みの内、那珂を除いた八名が顔を見合わせ、次に視線を残る一名に集中させた。

 曙から手帳を受け取っていた那珂は、話を聞いていなかったようで首を傾げている。

 

 

「その話、ワタシたちにも詳しく聞かせて欲しいデース」

 

 

 一拍の間を置いて、食堂に新たな人影が入って来た。

 特徴的な片言の喋り口。三人の姉妹を引き連れた金剛である。

 その隣には、彼女よりかなり身長の低いもう一つの影が。スカートの前で両手を握りしめる、暁型駆逐艦の四番艦……電だ。

 主賓とも呼べる二人の登場に、皆の顔が引き締まる。口火を切ったのは川内と神通だった。

 

 

「特に変わった事はしてないよ、ワタシたちはね。最初の二日間はとにかく演習詰めでさ。あっちの子たちもかなり練度が上がってる。それは確かよ」

 

「……でも、その後。古鷹さんたちが、改二改装を受けている間に、予定にはない出撃任務が、発生しました」

 

「夜だったし、ホントは出たかったんだけど、あいにく直前の演習で接触事故やっちゃって」

 

「古鷹さんたちは当然、私と姉さんも待機せざるを得ず、代わりに選ばれたのが……」

 

 

 ここでまた、那珂に視線が集まった。

 今度は話の流れをつかんでいるようで、いつものお気楽な笑顔はない。

 華やかな衣装を纏い、こうして沈黙を守る姿は、ある種の神秘性をも感じさせる。

 そんな彼女へと、躊躇いがちに榛名が問い掛けた。

 

 

「では、提督ともお話になったんですか?」

 

「……ううん。上の人に指定されたメンバーが四水戦だったから、いろいろ頑張って盛り上げてはみたんだけど、全然……。

 春雨ちゃんが言うにはね? 『今日の司令官は、凄く機嫌が悪いです……』って。もう困っちゃったー。

 あ、春雨ちゃんは大人しい子で、海風(うみかぜ)ちゃんはかなり真面目さんで、江風(かわかぜ)ちゃんは笑い声が下品でぇ……」

 

「Sorry、那珂。New Faceの紹介も良いんデスが、今は話の続きをお願いしマス」

 

「えー。みんな良い子たちだったのにぃ……」

 

「まぁまぁ、後でこの比叡が聞きますから、お願いしますよ」

 

「はーい」

 

 

 口を開くと木っ端微塵になる神秘性は残念だが、事変を経験してから、人が変わったように落ち着き払っている金剛と、そのフォローへ入った比叡に押され、那珂が話を続ける。

 曰く、出撃メンバーの選択は桐林が行ったものではないようだ。

 そして、かつて那珂が旗艦を務めた第四水雷戦隊に所属していた艦から、白露型駆逐艦五番艦・春雨、同 七番艦にして改白露型一番艦でもある海風、同 九番艦・江風。加えて、西村艦隊の一員としても知られる朝潮型駆逐艦の五番艦と六番艦、朝雲と山雲が選出された。

 擬似的に再現された四水戦。那珂の性格からして、あっという間に打ち解けたのは想像に難くない。

 

 

「舞鶴を出て、みんなとお喋りしながら、高速航路で二~三十分くらいかな? 急に、周りの空気が変わったの」

 

 

 明るい語り口は、話が進むにつれて重く、静かになっていく。

 

 

「満天の星空。冷たい夜風。荒れる海。何もかもがさっきまでと同じなのに、肌を突き刺すような緊張感が漂ってた。そこに現れたのが……」

 

 

 那珂は手帳を胸に抱え、言葉を切った。

 否応無く高まる緊張感。誰かの息を飲む音が聞こえる。

 ほんの数秒。しかし、妙に長く感じる沈黙の後、大きく息を吸い込んだ彼女は――

 

 

「はーいここまでー! 口止めされてるからこれ以上は喋れませーん!」

 

「な、なんだってぇー!?」

 

「ここまで盛り上げといてそれはないよー!」

 

「せやせや、ウチらの期待を返せー!」

 

 

 ――勢い良く両腕をクロスさせ、皆を盛大にズッコケさせた。

 思わず涼風と舞風、黒潮が苦情を申し立てるけれど、那珂は言い訳がましく唇を尖らせる。

 

 

「だってぇ。香取さんが物凄いプレッシャー掛けてくるんだもぉん……。あれはきっと、話したら持ってた教鞭でピシピシとか……。そんなのダメェ! 那珂ちゃんの球のお肌に傷が付いちゃうー!」

 

 

 いやんいやんと身を捩る自称アイドルに、気の短い何人かが、「殴ってやろうかコイツ」と額に青筋を立てた。然もありなん。

 ところがである。那珂のふざけた振る舞いはそこまでだった。

 上履きを脱ぎ、颯爽と椅子の上へ立つ彼女は、順繰りに皆の顔を見渡す。

 

 

「でもね、これだけは自信を持って言えるよ?

 色々と変わっちゃったみたいだし、住んでる場所も違っちゃってるけど。提督は間違いなく、提督だったから。

 だから那珂ちゃん、みんなの反対を押し切って改二改装を受けて来たの。

 信じてあげようよ! たとえ離れてても、那珂ちゃんたちは仲間……。ううん、家族みたいなものなんだから!」

 

 

 腰に手を当て、にっこり、ウィンク付きの笑顔を振りまく那珂。

 予定外の改装は、どうやら彼女自身の意思によるものだったらしい。

 今まで改二改装の成功条件は、単純に練度の問題とされて来た。だが、あの“力”の影響下において、古鷹たちは一時的にその姿を大きく変貌させている。

 この事と、本人たちからの自己申告もあり、古鷹を始めとする六隻の改二改装は、ほぼ確実に成功するだろうと目されていた。事実、改装を施してなお統制人格を維持した。

 桐林の宿した“力”が、なんらかの作用をもたらしたのは間違いないだろう。

 

 那珂が改二改装を望んだ理由も、恐らくはここにある。

 口にしようとしないが、四水戦を率いての戦いで、彼女は紅い霊子力場を纏ったのだ。

 艦上で姿を変貌させ、自らに更なる改装を施せると確信したに違いない。

 そうでなければ、自我が消滅するかも知れない改装を受けようなどとは、思えないはず。

 

 しかし、その笑顔を見た者は、それだけと思えなかった。

 なぜ反対を押し切ってまで、彼女は新たな“力”を望んだのか。

 ……守りたかったから、ではないだろうか。

 横須賀を離れるしかなかった彼の代わりに、彼から貰った“力”で。

 いつか、帰ってこられるはずの場所を。そして、出迎える皆を。

 

 この、底抜けに明るい少女は。

 彼女にしか出来ない事で、大切なものを守ろうとしているのだ。きっと。

 

 

「嘘……。那珂さんが頼もしく見えるなんて……」

 

「これが改二パワーなのね……。早く、早く暁も練度上げなきゃ……!」

 

「二人とも。流石に失礼だと思うよ」

 

 

 けれど――いや、やはりと言うべきか。予想外の頼り甲斐を見せつける那珂に対して、周囲の反応は生暖かい。

 雷は眩しい物でも見るように目を細め、暁はちょっと別の意味で焦り、そんな二人に響が呆れている。

 他にも、遠くから様子を見守っていたらしい阿武隈が「拾い食いでもしたんじゃ?」と心配したり、「中の人が変わってるんじゃない? 那珂ちゃんだけに!」とか言う鬼怒やらも居たのだが、テンションの上がった那珂には届いていないようだ。

 ピョンと椅子を飛び降り、未だ呆然としている金剛の手を、彼女はしっかと握りしめている。

 

 

「金剛さんも、寂しいなら我慢なんかしてないで、任務の合間に会いに行っちゃえば良いんだよ! 今時の女の子は攻めていかなきゃ! ね?」

 

「ハ? エ? w,what's?」

 

 

 応援のつもりか、那珂はやけにキラキラした瞳で、繋いだ手をブンブンと振り回す。

 突然なシェイクハンドに困惑する金剛は、助けを求めて視線を彷徨わせ、霧島に行き着く。

 眼鏡がキラリと光った。

 

 

「確かに、舞鶴ではかなり人の出入りが厳重になっているようですが、横須賀はかなりマシですから。准将も豪放磊落な方です。外出のお許し、出ると思いますよ。金剛姉様」

 

 

 力強く頷き返す霧島と、ドヤ顔の那珂。ほうけていた金剛の顔には、段々と輝きが戻っていく。

 そうだ。一体、何を我慢する必要があったのか。

 提督が自由の身にないとしても、こちらは自由なのだ。遠慮する必要がどこにある。

 迷惑に思われるかも知れない。嫌な顔をされるかも知れない。それでも伝えたい気持ちがあった。この三カ月で、もう爆発寸前だ。

 囚われのロミオに、ジュリエットが馬を駆って会いに行く。立場が逆転しているけれど、それもまた良し。

 

 ――きっとその方が、ワタシらしい。

 

 

「そう、デスね……。そうデスよ!

 なんだカンだと、三ヶ月以上もブスブスしていましたガ、こんなのワタシらしくないデース!

 テートクEnergyを充填するためにモ、さっそく直談判しに行きまショー! 通い妻してやりマース!!」

 

 

 完全に本調子に戻った金剛は、那珂とキツくハグし合ってから、一目散に走り出す。

 顔を見合わせた榛名と霧島も、姉らしい暴走に笑顔を浮かべ、後を追う。横須賀に赴任中の、“吉田准将”の元を目指して。

 比叡だけ、大大大好きな姉とハグしやがった泥棒猫に般若のような顔を向けていたが、結局は金剛に着いて行くようだ。

 

 

「さっきまで落ち込んでたってのに、立ち直り早いねぇ」

 

「でも、あれでこそ金剛さん、ですよね? 元気になってくれて、良かった……」

 

 

 涼風と潮が、ようやく活気を取り戻した仲間の背中を、苦笑いと微笑みで見送る。

 彼女に限った事ではないが、事変直後の金剛は、見ていられなかった。

 彼女が横須賀で意識を取り戻す頃には、既に桐林は隔離措置を受けており、「何故そんな扱いを受けるのか」「どうして言葉も交わせない」と、毎日のように代理派遣された高官へ詰め寄っては、すげなく追い返されていた。

 なしのつぶてが繰り返される内、金剛の気勢は徐々に削げていき、舞鶴艦隊新編の報で、それは決定的となる。

 もう彼が帰って来ないと知った時の彼女など、正に火が消えたようような有様だったのだ。それを思えば、多少の暴走も喜ばしい事である。

 しかし……。

 

 

「……あれ? 電は?」

 

 

 金剛と同じように、落ち込んでしまっている少女の姿が、どこにも見えなくなっていた。

 雷が周囲を見回すも、やはり気配を感じられない。

 金剛に着いて行ったのだろうか。それならむしろ安心なのだけれど、外出から帰ったらしい文月と皐月が、ビニール袋を提げたまま雷の疑問に答える。

 

 

「電ちゃんならぁ、さっきそこですれ違ったよぉ。部屋に戻ったみたーい」

 

「なんか急いでたみたいだけど、どうしたんだろーね? ま、とにかくおっ帰りー! お菓子買って来といたよー!」

 

 

 また始まった出迎えの挨拶で、電の行方はうやむやに。

 少女たちの明るい声に微笑みながら、どうにも、不安を感じずにいられなかった。

 あの子の傷は、まだ癒えていない。

 舞鶴への移籍が決まって、桐林を電と決別させてしまった、心の傷は。

 雷自身、思い出すだけで胸がジクリと痛む。

 どんなに悩もうと、考えようと、答えは見つからず。

 無邪気に会いに行こうと思える金剛をすら、羨ましいと思ってしまう雷であった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「はぁ……。はぁ……。はぁ……」

 

 

 自室に戻り、扉の鍵を掛けた電は、声を殺して息を整える。

 なんとか、誰にも気付かれずに抜け出す事ができた。しばらくの猶予はあるだろう。

 ドアから離れ、部屋の両脇に据えられた二段ベッドのうち、自身のスペースである右側下段へ潜り込んだ彼女は、頭からシーツを被り、スカートのポケットを探る。

 折り畳み式の、旧型携帯電話。件名のないメールが送られてきていた。本文にも内容は書かれていない。

 履歴を見ると、ある日を境に一日一通。同じように送られているのが分かる。

 

 

「………………」

 

 

 画面をじっと見つめ、電は待つ。

 きっかり五分後。着信を教えるバイブレーションが。

 いつものように、三コール目で通話ボタンを押した。

 

 

『……電』

 

「はい」

 

 

 声の主は、男性――桐林だった。

 小さく、電の手が震える。

 

 

『いつも、勝手を押し付けてすまない』

 

「いいえ、大丈夫なのです。……みんなと違って、ズルい子、ですから」

 

『……そんな風に言うな」

 

「あ……。ごめんなさい、です……」

 

 

 桐林自身の頼みとはいえ、皆には何も言わず、たった一人、彼と言葉を交わして。

 後ろめたさが電を卑下させた。

 沈黙は長く続き、やがて、再び桐林から話が振られる。

 

 

『あの子たちは、無事に着いたか』

 

「はい。今、宿舎の皆さんとお話を……。でも……」

 

 

 言い淀む電に、桐林は無言で先を促す。

 手の震えが声へと伝わらぬよう、携帯をしっかり握りしめた。

 

 

「……あの。お、お話……。みんなとも、お話をしてあげて、貰えませんか?」

 

『………………』

 

「きっと、喜んでくれると思うのです。……ううん、安心してくれる、はずなのです。だから……」

 

 

 電の声には、独占欲と罪悪感、矛盾する想いが込められていた。

 胸を締め付けるのはどちらなのか、もう分からない。

 聞き届けて欲しいのに、心のどこかで、嫌だと言って欲しいと思っている。

 桐林からの返事は、後者を叶えるものだった。

 

 

『それは、どうだろうな』

 

「え……?」

 

『古鷹たちを呼んだのは、あくまで上の命令だからだ。

 自分がそうしたかった訳じゃない。

 改二改装だって、最後まで反対だった。

 ……そんな事をしなくても、既に戦力は揃っている』

 

 

 明確な拒絶の意を感じさせる、硬い声音。

 あるのかどうかも分からない心臓を、強く鷲掴みにされたような、痛み。

 

 

「やっぱり、もう横須賀へは……。帰って来てくれないん、ですか……。電の……私の、せいで――」

 

『違うっ。……違う』

 

「………………」

 

 

 今にも泣き出しそうな電の言葉を、桐林は強い語気で遮る。

 それでも電の心は晴れなかった。……晴れるはずがない。

 上層部の意向というだけではないのだ。

 彼が舞鶴へ赴くと決めたのは。そう決意させたのは、他ならぬ電なのだから。

 皆に寂しい思いをさせている、元凶なのだから。

 

 

『そろそろ、時間だ。切るよ。また掛ける』

 

「ぁ、ま、待って下さ――」

 

 

 プツリ。無機質な通話の切断音で、今度こそ会話は終わってしまった。

 携帯を閉じ、電はそれを抱きかかえる。

 彼と己とを繋いでくれる、たった一つの秘密を。

 

 

「司令官、さん……」

 

 

 鼻の奥がツンとする。

 涙が止まらない。

 声を殺し、電は嗚咽する。誰にも知られぬように。

 

 春の終わりを告げようとする風が、窓の外を桜色に染めていた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 抜けるような青空の下。

 舞鶴鎮守府、庁舎の屋上に立っていた白い詰襟の男――桐林は、返事を待たずに通話を切った。

 風がそよぐ。

 桜の花弁が混じるそれに、軍帽から溢れた、中途半端な長さの白髪が揺れた。

 花弁の行く末を視線が追うと、太陽の眩しさで右眼が細められる。

 

 

「………………」

 

 

 左眼は、刀の鍔を模した眼帯が覆っており、その下を、望めば簡単に消せたはずの、歪んだ傷痕が走っていた。

 それと知っている者ならば、天龍が左眼に着けている眼帯と同じであると気付いただろう。

 桐林は携帯をポケットへしまい、代わりにシガレットケースを取り出す。

 長めの紙巻きタバコ――特別に調合された、精神安定効果の高いアロマ・シガレットを一本。咥えてジッポーライターで火を点ける。

 微かに甘く、ミントのように爽やかな香りが、肺を満たした。

 

 

「……提督。ここに居らしたんですね」

 

 

 フェンスへ寄り掛かり、アロマ・シガレットが半分程まで短くなった頃。不意に、庁舎からのドアが開く。

 やって来たのは、銀髪をボブカットにする一人の少女だ。

 紺襟の白い半袖セーラー服に、灰色のプリーツスカート。豊満な胸元を黄色のリボンが飾り、黒いタイツを履いていた。

 陽炎型駆逐艦十三番艦、浜風である。

 

 

「香取秘書官と、鹿島秘書官が探しておられましたよ。もう直ぐ大事な作戦会議があるのに、姿が見えない、って」

 

「……少し、一人になりたかったんだ。それに、まだ十五分ある」

 

「それは、そうですが」

 

 

 桐林の向かって右隣に立ち、浜風は、白い手袋に包まれた指をフェンスへ掛ける。

 風は穏やかで、甘い匂いが鼻をくすぐった。

 浜風はこの匂いが好きだった。いや、統制人格で嫌いなものは居ないだろう。そういう風に調合された物なのだから。

 本人が吸う事に加え、周囲に居る統制人格もこの匂いを感じ、リラックスしている精神状態を能力者へ反映させる事で、二重に安定効果を得るのだ。

 故に、この匂いを感じ、彼と五感を共有するのは、舞鶴艦隊に属する統制人格の義務でもある。けれど、それを置いてもこの時間が好きだった。

 彼の隣で、彼の燻らせた煙に包まれる、この時間が。

 

 

「髪……。また白くなってしまいましたね。せっかく綺麗に染めたのに、長さも戻ってしまって」

 

「そういう“仕様”なんだろう。おかげで、どんなに痛めつけてもリセットされる」

 

 

 桃色に染まる敷地から視線を外し、桐林の髪を見上げる浜風。

 携帯灰皿に灰を落とす桐林は、どのような顔をしているのか分からない。彼女に見えるのは眼帯と傷痕、耳までを隠す白髪だけである。

 ほんの少しだけ、残念に思った。

 黒く染めても、“力”を使う度に、彼の髪からは色が抜けてしまう。どうせなら完全に抜けきらず、ほんの少しだけ色を残し、灰色になってくれたら。そうしたら、お揃いと言い張れるのに。

 ……と、そこまで考えて、バカバカしさに浜風はかぶりを振る。

 そんな下らない事よりも、もっと重要な事柄が、目前に控えているのだ。

 

 

「日本海における敵 移動棲地撃滅。並びに、敵 統制人格捕縛作戦。……いよいよ、ですか」

 

「……ああ」

 

 

 間も無く始まる、作戦会議の主目的。事前に通達されたその題目は、浜風の心を震わせるに十分過ぎるものだった。

 場当たり的で、あまり成果の挙げられなかった今までと違い、これからは確かな目的のため、海を行く。

 この人の船として。

 

 

「どうか、この浜風を存分にお使い下さい。私は提督の為にあります。そう決めました。だから……」

 

 

 桐林と向かい合う位置へ立ち、浜風は革靴の踵を鳴らす。

 長い前髪が彼女の右眼を隠し、薄い水色の左眼が、彼の右眼と鏡合わせのように。

 そのまま見つめ合い、約十秒。

 根負けしたのか、桐林は吸い殻を灰皿に捨てつつ、背を向けて頷いた。

 

 

「言われずとも、そうする」

 

「はい」

 

 

 短い言葉に、同じく短い返事を。それだけで十分だった。

 例え今、違うものを見ていたとしても。心に見据える未来は、同じはずだから。

 また、甘く爽やかな匂いが漂い始める。

 

 

「あぁー! こんなトコに居たぁーっ!」

 

 

 そんな時、騒がしい声が屋上に乱入してきた。

 桐林と浜風が反射的に振り向くと、そこに居たのは二人の少女。

 一人は、外側に跳ねた黒髪をショートボブにし、指を突きつけている。浜風と同じ格好ながら、背は頭一つほど低く、脚を覆うのは白いオーバーニーだ。

 もう一人は輝くような水色の長髪を持ち、それを頭の両サイドで輪に結って、白い水兵帽を被っていた。オーバーニーは同じだが、セーラー服の半袖は肩まで捲られ、肘上までの白い長手袋なのが違っている。

 それぞれ名を、陽炎型駆逐艦十四番艦、谷風。同 十一番艦、浦風(うらかぜ)という。

 

 

「もう、あかんよ? 提督さん。なんにも言わんと姿消すなんて、みんな心配しとったんやからね?」

 

 

 肩を並べて近づく二人のうち、浦風がはんなりとした広島弁で、和やかに叱りつける。

 矛盾した表現であるが、これを可能とする柔らかい雰囲気と、浜風に迫る胸部装甲が彼女の特徴だった。

 しかし桐林は、二本目のアロマ・シガレットを咥えたまま、興味無さげにフェンスの向こうを見つめるだけ。

 

 

「どうせ監視されている。調べられただろう」

 

「そうやけど、そうやのうて……。ふぅ、まぁええわ。ちゃんと見っかったんやし」

 

「んーなコトよりぃ……。提督と二人っきりで、なに話してたのさぁー? ほれほれ、谷風さんに教えてごらんよぉー浜風ー?」

 

 

 呆れたのか、浦風は手を腰溜めに溜め息。顔には、仕方ないなぁ、と言いたげな苦笑いが浮かんでいる。

 代わりに浜風へと絡むのが、ニタニタと意地の悪い笑みの谷風だ。ちなみに、谷風の胸部装甲は薄い。否、駆逐艦としては平均的であろう。悪しからず。

 

 

「別に、大した事は……。私たちはただ、雑談をしていただけで……」

 

「ほぉーうほぉーう。この鉄面皮で、こっちから話しかけないと一日中口をきかない提督と、二人っきりで雑談! いやはやぁ、浜風も積極的になったもんだぁー」

 

「……谷風。そこに直りなさい」

 

「やーだねー♪ 浜風の肉食乙女ー」

 

「谷風っ!」

 

 

 ピュー、と駆け回る谷風を追い、浜風が拳を振り上げた。

 この騒々しいじゃれ合いが、舞鶴での日常だった。浦風が楽しそうに笑う。

 

 

「ふふふっ、あの二人はホンマに仲ええね。さ、そろそろ行かんと、遅れてまうよ?」

 

 

 鬼ごっこに熱を上げる二人を置き、桐林は浦風と屋上を後にする。

 重い鉄製のドアを開けると、また少女が一人。

 階段の手すりに寄り掛かる、非常に長い黒髪の少女だ。セーラー服の上は長袖になっており、右脚は黒い靴下を。左脚は同色のオーバーニーソックスを履いていた。

 陽炎型駆逐艦十二番艦、磯風(いそかぜ)である。

 蛇足だが、彼女の胸部装甲も厚い。

 

 

「遅かったな。だいぶ待ったぞ」

 

「……磯風。居たのか」

 

「ああ、居た。実は浜風のすぐ後に来たんだが、声を掛け辛くてな。覗き見するつもりは無かったんだ、すまない」

 

「構わん。見られて困ることはしていない」

 

「そうか。傍から見ると、愛の告白のようでヤキモキしていた。少し残念だな」

 

 

 階段を降りる桐林の三歩後ろにつき、磯風は微笑む。彼女なりの冗談らしい。

 返される声は無かったが、クスクスと笑いながら横へ着く浦風が、代わって話題を継ぐ。

 

 

「そうそう。阿賀野さんがな? この間の、横須賀との合同演習。凄く楽しかったって言うとったで。

 川内さんや神通さんとも意気投合しとったし、やっぱり同じ軽巡洋艦同士、通じる所があるんやねぇ。

 またでけへんかなぁ? レーベたちも手応え感じとるようじゃったけぇ、な?」

 

「……考えておく」

 

「それと、明石主任からの連絡事項が一つ。例のイタリア戦艦……。リットリオにローマ、だったか。彼女たちが入港したらしい。ビスマルクも加えれば、これで戦艦は五隻か」

 

「ああ。……ここからだ」

 

 

 ゆっくりと階下へ降り、会議室のある一階へ。

 人通りの無い廊下をまっすぐ見据えて、桐林は確かに頷いた。

 ここからだ。これでやっと、新しい道が拓ける。

 例え、その先に待つのが悲しみであったとしても、止まる事など出来はしない。

 全ては……取り戻すためなのだから。

 

 

「ちょっと提督ぅー!? アタシら置いてドコ行くのさー!」

 

「待ちなさい谷風! 話はまだ終わってないわよ!」

 

 

 三人の背中に、また騒がしい声が届く。ようやく置いて行かれたのに気付いたようだ。

 桐林は、足を止めはしない。

 そんな事をせずとも、彼女たちが追いついてくれるのを、知っているからだろうか。

 表情に一切の変化は無かったけれど、しかし、歩みにも迷いは無かった。

 

 新たな地で。

 新たな仲間と共に。

 新たな戦いが、始まろうとしている。

 

 

 


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