新人提督と電の日々   作:七音

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異端の提督と舞鶴での日々

 

 

 

「じとぉおぉぉ~……」

 

 

 執務机の影から顔だけを出し、その少女は、ねっとりした視線を己の主人……革張りの椅子へ座る桐林に向けていた。

 緩やかにウェーブが掛かり、黒いベレー帽を乗せた、銀髪のツインテール。白い手袋に包まれた細い指が、机の角で激しく自己主張している。

 そんな彼女を見て、桐林の隣に立つもう一人の女性――正肩章のついた士官用礼服に身を包む、後頭部で長い金髪を結った女性が、溜め息混じりにヒールを鳴らした。

 

 

「もう、鹿島? 貴方、さっきから何をしているの。子供みたいに膨れっ面して」

 

「むぅぅ。不貞腐れてるんですぅー。提督さんに、遺憾の意を表明してるんですぅーだっ!」

 

「そんなの見れば分かります。一体、何が不満だというの? 拗ねているだけじゃ分からないわ」

 

 

 パン、と机を叩いて立ち上がる少女に向け、女性は「まったくもう……」と、また深く溜め息をつく。

 ちょうど、執務机を挟んで向かい合う彼女たちは、同じような礼服で着飾っていた。

 女性の方はタイトスカートに黒いパンティストッキング。首元を青いネクタイで締めているのに対し、少女の方は素足にプリーツスカート。赤いリボンを首元で結び、袖口には白いフリルが追加されている。

 名を、香取型練習巡洋艦一番艦・香取。同 二番艦・鹿島という。金髪の女性が姉の香取であり、銀髪の少女が妹の鹿島だ。

 普段は仲の良い姉妹だが、今日に限って鹿島は、不満も露わに頬を膨らませ、香取に詰め寄る。

 

 

「……香取姉。香取姉は、舞鶴鎮守府 桐林艦隊の専属第一秘書官で、私は第二秘書官ですよね?」

 

「ええ、その通りよ。それが?」

 

「なのに……」

 

 

 横須賀では交代制だった秘書官だが、舞鶴に居を移してからは、任務の都合もあり、練習巡洋艦の二名が専属で務めている。

 日によって彼女たちも演習に出る場合があるが、必ずどちらか一人が残るように組まれ、この時は秘書官補佐が数名、待機中の統制人格から選ばれる、という仕組みだ。そのため、他の統制人格とは少しばかり立場が違い、桐林と接する時間も多い。

 けれど、鹿島は俯き加減に言葉を切り、ワナワナと肩を震わせ。

 香取も思わず心配してしまうが……。

 

 

「なのに……。なんで、いっつも、提督さんは浜風ちゃんと一緒に居るんですか!?」

 

「……はい?」

 

 

 次の瞬間には、開いた口が塞がらない、といった様子で首を傾げるしかなかった。

 桐林が万年筆を動かす音だけが聞こえる執務室で、鹿島が声も高らかに演説を開始する。

 

 

「私、一生懸命探したんですよ? 万が一にも会議に遅れちゃいけないって、鎮守府の中を駆け巡り……。

 なのに提督さんを最初に見つけたの、また浜風ちゃんで……。なんだか、あの子の方が秘書官っぽくありませんっ?」

 

 

 本日の昼に行われた会議は、今後の行動方針や作戦の詳細を話し合う、非常に重要な物だった。

 その進行役を任されたのが鹿島であり、初の大役に張り切って、前日から資料を読み込み、それはもう大変な意気込みで臨もうとしていた。

 ところが、開始時刻が三十分後に近づいた頃、執務室へ桐林を迎えに行った彼女を出迎えたのは、空の椅子。

 まさかの事態に狼狽えまくった鹿島は、涙目で鎮守府を駆けずり回り、事態を察した仲間たちが自主的に手助けを……という訳である。

 香取に比べてまだまだ経験の足りない彼女であるが、それでも責任感だけは一人前で、秘書官としてのお株を取られたように感じているらしい。

 ……実際には別の点でも嫉妬――もとい。羨んで――いる訳でなく。まぁとにかく不満たらたらなのだ。

 

 

「という訳で……。私、香取型練習巡洋艦二番艦、鹿島は、秘書官としての待遇改善を求めます! もっとお仕事させて下さい! お役に立ちたいです!」

 

 

 そんなこんなで、鹿島はズバッ! と挙手した後、両の拳を胸の前で握り、桐林へと直訴した。

 が、彼は全く反応しない。黙々と書類を作成している。

 代わりと言ってはなんだが、香取が盛大に溜め息をつく。

 

 

「何を言うかと思ったら……。仕方ないでしょう。舞鶴では明石主任、伊勢さんと日向さん、そして私に次ぐ古参だもの。提督の行動パターンを良く把握しているのよ」

 

「そうですけどっ。それだってたったの一~二ヶ月でしょ? ……なんだか、悔しいんですもの……」

 

 

 さっきまで意気揚々だったと思えば、人差し指を突っつき合わせ、今度は意気消沈してしまう鹿島。

 伝え聞いた話であるが、この舞鶴艦隊が仮編成されたのが、四月も半ばである今日より二ヶ月半前。正式な発足は一ヶ月後だ。

 浜風が励起されたのはその仮編成期間であり、鹿島が呼び起こされてからは、まだ一ヶ月も経っていない。加えて、艦隊運営に口を挟まれる事が多い舞鶴では、鹿島の建造・励起を問題視する声もあったと言う。

 それを圧しても呼ばれたのだから、ちょっとやそっとの経験の差など、ひっくり返して然るべき……と、思っているのだけれど、結果が伴わず。今の彼女は、半分いじけているような物である。

 肩を落とす妹の姿を見て、流石に同情してしまう香取だが、そこは第一秘書官。心を鬼にし、鹿島の間違いを正す。

 

 

「そうね。たったの一~二ヶ月。……でも、されど一~二ヶ月、なのよ。

 たったそれだけの間に、提督と浜風さんには色んな事が起きたの。

 あの、生真面目で一本気な浜風さんが、心酔するだけの出来事が。……ですよね?」

 

 

 チラリ。桐林へと流し目を送ってみるが、相変わらず反応はない。

 むしろ煩わしそうに、音を立てて書類をめくっている。もう処理済みの物を。

 香取は声もなく笑う。本当に、どうしようもなく隠し事が下手な人だ。

 だからこそ、この身を捧げられるのだけれど。浜風とは別の形で、しかし同じように。

 

 

「第一、貴方自身もそうでしょう。提督と初めて会った日の晩、貴方はなんて私に泣きついて来たのだったかしら?」

 

「あっ、わ、わぁ~!? な、なんでもないです、なんでもないですからね提督さん!?」

 

 

 痛い所を突かれ、鹿島は大きく両手を振って誤魔化し始める。

 今の今まで忘れていたが、言われてみればそうだった。今では敬愛してやまない提督でも、初対面の時は随分と酷い事を考えたものだ。

 それを知ったとして、きっと桐林は何も言わないだろう。だが困る。だからと言って知られたい訳じゃない。

 とにかく彼の気を引こうと、精一杯の笑顔で乗り切ろうとする鹿島であった。

 

 

「鹿島」

 

「はいっ! なんでございましょうっ」

 

 

 その笑顔が功を奏したか、久しぶりに桐林が口を開いた。

 途端、机を挟んで直立不動になる鹿島に、彼は手元のコーヒーカップを持ち上げて示す。

 

 

「お代わりを、頼む」

 

「……あ。は、はいっ。承りました! 砂糖とミルクは……無し、ですよね?」

 

 

 恭しくカップを受け取り、念のために確認すると、桐林は無言で頷く。

 彼はとにかく苦い飲み物が好きだった。お茶も濃く入れた物を好むし、コーヒーももっぱらブラック専門である。

 試しに指定がない時、砂糖とミルクを入れた物を用意した事はあったが、全く反応がなかった。おそらく嫌いではないのだろうけれど、頼まれる時はブラックなのだ。

 そう言えば……と、ついでに鹿島は、もう一つ質問をしてみる。

 

 

「鹿島特製の卵サンドは如何でしたか? 提督さん、好みが物凄くうるさいって聞きましたから、間宮さんに色々教えてもらって、頑張ってみたんですけど……」

 

「ちょっと、鹿島。そんな言い方」

 

「はっ。ちちち、違うんです! あぁぁ、私ったらぁ」

 

 

 純粋に感想が聞きたかっただけなのだが、思い掛けず失礼な言い方をしてしまった。

 こんなだからいつまで経っても……と慌てる鹿島だったが、桐林はそんな彼女を見つめ、ハッキリとした口調で返した。

 

 

「美味かった。酸味が効いていて、食感も良かった」

 

「……っ! ほ、本当ですかっ? あ、あのですね、卵を大きめに潰して、隠し味にマスタードも使ってるんですよ。お口に合って良かったぁ……」

 

 

 真っ直ぐに見つめてくる右眼が、嘘ではない事を教えてくれる。

 そもそも、彼が嘘の言葉を口にした瞬間など、鹿島は見た事も聞いた事もないが、何はともあれ、褒められたのが嬉しくて仕方なかった。舞い上がるような気分である。

 自身の頬を手で挟み、満面の笑みを浮かべる様は可愛らしかったが、しかし香取は、苦笑いで「オホン」と咳払い。

 

 

「鹿島? 提督はコーヒーを御所望なんですよ?」

 

「あ。すみません! 只今お持ちしますねっ。……うふふっ」

 

 

 桐林からの注文を思い出し、鹿島が大慌てで執務室を出て行く。

 コーヒーカップを大事に抱え、ドアの隙間に消えた横顔は、やはり輝かんばかりの笑顔だ。

 秘書官の仕事を彼女に任せられるようになるのは、まだまだ先の事になりそうである。

 

 

「申し訳ありません。妹が騒がしく……。ご負担になっては、いませんか?」

 

「……いや。あの子が来て、ここも明るくなった」

 

「そう言って頂けると、幸いです」

 

 

 へりくだる香取に、桐林は小さく笑った。おそらく、舞鶴では明石や香取、間宮や伊勢・日向などの古株にしか見せない顔だ。

 どんなことを思ったとして、口をつぐむ事が殆どになってしまった今でも、心はあの頃から全く変わっていない。

 何一つ、変わっていない。

 

 

「先程の続き、という訳ではないのですけれど」

 

 

 仕上がった書類を受け取り、香取は桐林の正面に立つ。

 問いたげに細められた右眼に続きを促され、彼女は軽く深呼吸。

 少々の気恥ずかしさを堪えて、頭を下げる。

 

 

「提督には、感謝しております。重い任務を課せられている中、練習巡洋艦という、まるで戦いの役には立たない船を、使役して頂いて」

 

 

 人類史上、たった“二人”しか存在しない、高位能力に開眼した人間。

 彼に与えられた責務はとても重く、本来ならば、香取のような船は励起すらされないはずなのだ。

 練習巡洋艦とは、士官候補生たちを乗せ、彼らの航海技術を磨くために遠洋航海を行うための船。そもそも戦闘は度外視して設計された。

 装甲をほとんど持たずに、砲は十四cm連装砲二基と十二・七cm連装高角砲一基のみ。魚雷発射管も旧式駆逐艦からの使い回し。ここに居る香取も最低限の改装しか行っていない。

 褒められる所と言えば、嵐の中を突っ切れるほどの安定性と、軍艦としての見た目だけ。後は、その安定性故の拡張性くらいか。

 基本性能が低く、可能な限りの改装を施したとして、戦いに出れば確実に沈むだろう。

 

 ならば、何故そんな役立たずをわざわざ励起し、普通の人間にでも任せられる仕事をやらせているのか。

 その答えは、香取の胸の中にある。

 他の誰にも教えられない……。教えたくない、香取だけの理由だ。

 

 

「身の回りのお世話や、駆逐艦の子たちへの初期訓練、演習の標的艦。

 こんな程度しか私には出来ませんが、それでも、私は幸せです。

 ……提督。貴方と出会えて、幸せですよ」

 

 

 だから香取は、誇りを持ってこの仕事をこなすのである。

 出会ってたったの三ヶ月。けれど、その間に積み上げた記憶は、香取の中で確かに輝いている。

 誰にも負けはしない。例えそれが、もっと長い間を共に過ごし、死線を潜り抜けた、横須賀の統制人格たちであったとしても。

 

 優しい微笑みに、桐林はやはり何も返さない。

 ただ、いつものようにカップを取ろうとして空振り、飲んでもいないコーヒーに苦い顔をしていた。

 香取は更に笑みを深くする。彼という人は、本当に。

 だが、さして問題でも無かった。

 彼がどんな事を思おうと、それが表に出る事は滅多に無い。出さないよう努力しているのだから。

 なればこそ。数少ない言葉から、声色や表情から胸の内を察し、望む所を為すのが従僕の務め。

 

 共に在ろう。

 この身が必要とされなくなる、その時まで。

 

 

「お待たせしましたぁー!」

 

 

 奇妙な沈黙が広がる執務室へと、鹿島の明るい声が響いた。

 漂ってくるコーヒーの香りに、香取はゆっくりと振り返る。

 さぁ。午後の仕事も頑張らなければ。

 

 

 

 

 

「はい、提督さん。お代わりをお持ちしまし――あぁ!?」

 

「……っ!? っあ゛、っ、っ!」

 

「きゃあぁああっ!? ごめんなさいごめんなさいごめんなさーい!」

 

「……はぁ。まったくもう……」

 

 

 

 

 




「そう言えば、香取姉。明石さんって、浜風ちゃんや香取姉よりも提督さんと付き合いが長いんですよね? それって横須賀からのお付き合いって事なの?」
「それは……。そうとも言えるし、違うとも言えるし……。説明するのは難しいわね……」
「……? なら、本人に聞いた方が早いかな。あ、丁度良い所に。おーい、明石さーん!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい鹿島! 色々と複雑な事情が……!」

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