新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督とキスカ島強行上陸作戦・後編

 

 

 

 

 

 胸中にあった感情は、驚きでも、恐怖でもなかった。

 動くならばと徴発された、趣味人たちの道楽の結晶。その甲板上で、光から出でる彼女を見た瞬間、悟ったのである。

 ああ、わたしは。

 このために生まれてきたのだ、と。

 

 

 桐竹随想録、第三部 困窮する国より抜粋。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

《敵艦隊発見っ。二時の方向、数は六。距離はだいだい……二十五km。護衛空母群と思われます! ……だめ、こっちも見つかっちゃった。まっすぐ来るっ》

 

『近いな。新しく湧いたか……確認した。全艦戦闘用意。赤城、頼む!』

 

「はいっ」

 

 

 さえぎる物のない青の世界で、念となった千代田の音声が飛び交う。

 偵察機へと視点を動かせば、はるかな鳥たちの高みから、いびつな形状をした灰色が見えた。ツクモ艦だ。

 見た限りの編成は、軽空母ヌ級二隻、重巡洋艦リ級一隻、軽巡洋艦ホ級一隻、駆逐艦ニ級二隻。

 視点を追加。並行する画面のようなその中で、下された命令を受け、飛行甲板の端へ仁王立つ赤城。

 足踏み、胴造り、弓構え、打起こし――射法八節を順に。すると、同時にエレベーターが稼働。零式艦上戦闘機五十二型が姿をあらわす。発動機(エンジン)が唸りを上げていた。

 

 

「………………」

 

 

 静かな呼吸。

 高く持ち上げられた拳が、引分けによって下ろされる。弦はキリキリと音を立て、無人であるはずの零戦が発艦位置へ移動。

 騒々しい音の中、赤城は一心に水平線を見つめ、そして――

 

 

「第一次攻撃隊、発艦開始!」

 

 

 ――放たれた矢が、光の粒となって消えた。

 瞬間、零戦は一気に加速。粒子を道しるべとし、空へ。

 その数はまたたく間に増えてゆき、九九式艦爆・九七式艦攻も加わって、艦攻・艦爆十二機、艦戦十六機、総数四十機の攻撃隊が編隊を組み始める。

 

 

《提督、私たちも……》

 

『ああ。扶桑、千代田も瑞雲を順次発艦させよ。千歳は引きつづき左舷を警戒。龍驤、山城は現状を維持』

 

《了解ですっ。お姉、先にやっちゃうよ!》

 

《こちら千歳、索敵警戒を続行します。……油断しちゃだめよ、千代田》

 

《扶桑姉さまも、お気をつけて》

 

《うちもりょ~か~い。あ~、はよう飛ばしたいわぁ》

 

 

 千代田、扶桑の船体から、それぞれ十二機、十機の水上爆撃機が火薬式カタパルトによって射出された。

 自分はあえて情報を受け取っていないが、彼女たちの頭にはとんでもない数の、フライトシミュレータのような画面が映し出されていることだろう。

 こちらの陣形は変則的な輪陣形。

 中央に、上向きの矢印のような形を組む桐生提督の五隻。左右に山城・龍驤、扶桑・赤城。後方に千歳・千代田で固めている。もしもの時には突出できるよう、前方は開いていた。

 現在、右前方から敵艦が近づこうとしている。早々に迎撃しなければならない。

 

 

『攻撃に関しては君たちに任せる。できることなら平らげてくれ』

 

「お任せください。無敵艦隊とも称された一航戦の実力。その鱗片をお見せしましょう」

 

 

 自信ありげな赤城の微笑みに、わずかながら緊張がとけた。

 確実性を上げるなら、龍驤たちの艦載機も出せばいいだけの話だが、まだ作戦は序盤。ここは様子を見よう。

 彼女に刻まれている記憶は、あの大戦で培われたもの。自分なんかが制御するより、よほど上手くやってくれるはず。

 

 

《機影が見えた。提督、集中するから話しかけないでねっ》

 

《主砲と副砲の優先順位をさげて……。三機と四機のグループに……》

 

 

 対して、構えた小型カタパルトの手元――ラジコンのコントローラーに似たスイッチを忙しく操作する千代田と、目を完全に閉じ、祈るように左腕のミニチュア後部甲板へ手をかざす扶桑。瑞雲組みの顔つきはこわばって見えた。

 実戦での艦載機制御が初めてであることも理由だろうが、史実において彼女たちは、瑞雲を運用した記録がない。

 つまり、まったくの初体験。しかし、そんな言い訳が通用しないのが戦場である。大きなプレッシャーとなっているようだった。

 試しに先行している機体の情報を引き出してみれば、同じ高さへ登ってくる影を捉えられる。

 

 

(あれが、敵の艦載機か……)

 

 

 個人的な印象で表現すると……やはり、異星人の不思議戦闘機と言うしかない。

 敵空母は飛行甲板を持っていない。奴らの艦載機は、半円球状のドーム天井が備えられた格納庫から垂直離陸するのだ(まるで大口を開けたカエルにも見える)。

 幸い、発艦以外で物理法則を無視するような機動をしたりはしないが、役割に合わせて複数の機体を運用しなければならないこちらと違い、向こうは一種で機動戦・爆撃・雷撃の全てをこなす。

 見た目にも兵装の区別はつきづらく、とにかく全部を潰す勢いでいかねば、爆装・雷装の矛先が向けられる。気負うなという方が無理な話だ。

 言葉をかけてあげたいが、それで本当に集中を乱されては仕方がない。信じよう。

 

 

「一番槍は私が。格闘戦に持ち込みます。千代田さん、扶桑さんは高さを稼いで、足並みの乱れた艦載機を上から仕留めてくださいますか」

 

《う、うんっ。やってみせる!》

 

《お任せを……!》

 

 

 二人の返事に、赤城は小さく頬を緩ませながら新しい矢をつがえる。小指と薬指には次の矢。

 微笑みが消えた瞬間、また空へ向かう念矢。立て続けに放たれた二本は、中空で四本、八本、十六本と倍増し、ある一点で光へと。

 距離を無視するそれが零戦へ指示を伝達。戦闘機群は速度を上げる。

 やがて、敵機レーダーの放つ緑光が近づき、一斉に散開。ドッグファイトが始まった。

 

 

『お手並み拝見ですね、桐林提督』

 

『はい。彼女たちならやってくれます』

 

 

 桐生提督の声に答えながら、自分は空を舞う鳥たちを見つめ続ける。

 彼との会話は、それぞれの旗艦に載せられた中継器が、文字通り中継してくれている。こちらは赤城、あちらは一番大きな艦である重巡・最上ではなく、駆逐艦・時雨にそれを載せていた。

 彼女を中心として、後方に最上。前方を左から、山雲・満潮・朝雲が囲んでいる。

 日の出を待ってエトロフを抜錨し、おおよそ五時間。扶桑型戦艦の最高速度に近い二十ノットで海を進み、全行程の四分の一ほどを消化した。左手に、小さくチルポイ島を望める。

 ここに来るまで、三度は戦闘を回避できていた。この調子なら、会敵せずにパラムシル島まで……などと希望的観測をしていたが、そんなに甘くはないらしい。

 

 

『美しい機動だ。さすがは一航戦というところですか』

 

『ええ。自分の出る幕がないのは、ちょっと寂しいですけどね』

 

 

 手に汗を握る自分と違い、彼は落ち着きはらっている。茶飲み話でもしているような気安さが、羨ましい。

 練度の問題で手は出せないし、増幅機器の出力調整士も、書記さんとは別の女性。妙な据わりの悪さを感じていた。

 

 

(そういえば、初めての同調の時もこんなだったか)

 

 

 あの頃はまだ書記さんと打ち解けておらず、電とも距離を置いて接していた。

 今でこそ気軽に食事へ誘ったり、頼み事したり、頭を撫でたり(これは電オンリー)できる間柄だが……不思議なものだ。

 恋人なんて、幼稚園でのおままごとくらいでしか作れなかった自分が、今や半分ハーレム状態。手を出せないのが残念無念である。

 ……ん? なんか鼻で笑われたような気が――

 

 

「提督、申し訳ありません! 敵巡洋艦リ級・ホ級、抜けられました!」

 

『――と、マズいっ』

 

 

 赤城の切迫した声で現実へ引き戻される。昔を懐かしんでいる間に、戦況は動いてしまったようだ。

 大急ぎで情報を引き出してみると、こちらに向かい、おそらくは全速を出す二隻のツクモ艦が。

 制空権を確保した攻撃隊はすでに爆撃準備に入っており、どうすることもできない。そもそも、対空装備のある船を後ろから追いかけるなんて下の下だ。

 で、あれば。

 

 

『扶桑、砲撃戦用意。いけるな』

 

《了解いたしました。一番から四番砲塔、回します》

 

 

 長射程の大艦巨砲による先制攻撃が定石である。

 艦艇戦には時間が掛かることもあり、先ほどより距離が詰まっている。戦艦としては異常に高い、五十mの位置にある扶桑の艦橋から敵影が見えた。

 敵主砲もこちらを射程に捉えているが、効力射とするにはまだ遠い。しかし、扶桑型戦艦の主砲であれば。

 これもまた、アウトレンジ戦法の一つだ。できうる限り早く、砲撃を開始しないと……!

 

 

《ええと……。爆撃はいったん中止して、上空に……それから仰角を……》

 

 

 そう思っているのだが、砲塔の動きは精彩を欠く。

 航空機運用と、多数の主砲・副砲制御。経験の浅さが、処理速度の遅延となって現れているようだ。

 仕方ない、しゃしゃり出ますか。

 

 

『扶桑、瑞雲の制御権をこちらに回せ。旋回軌道の維持くらいなら自分にもできる。君は砲撃に集中するんだ』

 

《……申し訳ありません。私が、不甲斐ないばかりに……》

 

『こういう時のために自分がいるんだし、気にするな。それより、上手く仕留めてくれたら、帰ってからのご褒美が豪華になるぞ? だから頑張れ』

 

《まぁまぁ。でしたら、張り切らないといけませんね……!》

 

 

 クスリ。小さくふき出す扶桑。

 彼女の好みは抹茶プリンだったか。小倉餡と生クリームもサービスしてあげることにしよう。

 そんなことを考えながら自分も笑っていると、《お渡しします》という声。一気に脳へ負荷が掛かる。

 

 

(く……。九機、一機落とされてたか。でも、この場合は怪我の功名だな。数がそろってるならやり易い)

 

 

 若干体勢を崩す瑞雲たちだったが、すぐさま立て直す。三機毎のグループに分け、一定の旋回軌道を設定。あとはこれを維持するだけ。

 同時に扶桑の本体、艦首方面にある一番・二番砲塔。中心にある煙突を挟むようにして据えられた三番・四番砲塔が、ツクモ艦へ照準を合わせる。駄目押しに、右舷六門の十五・二mm単装砲も。

 

 

《初弾も無駄にはしません。確実に仕留めます》

 

 

 扶桑はゆっくりと右手をさし伸ばし、均等に振り分けられた砲が艤装に合わせて微調整を繰り返す。

 向きを変え、仰角を変え、そして止まる。

 重なる意識に、問いかけるような意思を感じた。無論、頷く。見えていないはずのそれも、魂を通じて過不足なく伝わり――

 

 

《主砲、副砲、撃てぇええっ!!》

 

 

 ――億分の誤差のうちに、巨砲が硝煙の吐息を吐き出す。一番から四番。わずかな時差を置いて、十一kgもの炸薬が破裂した。次いで、副砲が連発。

 砲火に反応したか、手に隠れそうなほどの敵艦は回避運動を見せる。

 十秒をこえる長い空白。

 やがて、音よりも先に、水柱と黒煙が目に届く。

 

 

『お見事! この距離で初撃命中、しかも二隻同時とは。流石ですね』

 

《恐れ入ります、桐生提督》

 

《凄いです扶桑姉さまっ。カッコイイです!》

 

 

 上出来すぎる戦果に、山城が歓声をあげる。

 褒め称えられた扶桑も、表面上は楚々としているが、小さくガッツポーズを。やはり嬉しさは隠せないらしい。

 重巡の方は、わずかに逸らした一撃目を囮に、回避方向を誘導し二撃目で命中。軽巡にはそれも避けられてしまったものの、間を縫うように放った副砲が、射程ギリギリにもかかわらず運良く直撃。双方とも撃沈せしめた。

 本当にこれで欠陥戦艦なのかと思いたくなるほどだ。

 

 

『よくやってくれた、扶桑。制御を戻すぞ。赤城、そっちは』

 

「はい。駆逐艦二隻は艦橋相当部位を爆破、動きを止めました。軽空母も上部兵装は全て排除、これから雷撃を行います」

 

 

 瑞雲の制御を扶桑へ返し、航空戦隊の様子を確認。黒煙を上げる駆逐艦と、ドームに穴の空いた軽空母が見えた。

 艦載機によるアウトレンジ攻撃は、第一に制空権確保、第二に急降下爆撃での対空砲兵装排除。水面スレスレを飛ばなければならない艦攻の出番は基本的に最後となる。

 赤城が弓を弾く。

 一本が三本、三本が六本、十二本となり、九七艦攻は水平飛行へ移行。もはや浮いているだけの敵艦に向かって近づき、魚雷を……切り離す。

 

 ――爆音。

 空へひるがえる艦攻たちの背後で、それが響いた。

 

 

「命中を確認。敵軽空母、ならびに駆逐艦、合わせて四隻。撃破いたしました。こちらの被害は、零戦が二機、艦爆が一機です」

 

《ワタシの瑞雲も三機落とされちゃった。無傷で叩ければ良かったんだけど》

 

『ん、把握した。気にするな、船がダメージを受けるより何倍もマシさ。周囲の安全を確認でき次第、艦載機を帰投させよ』

 

「了解しました、提督。この勝利で慢心しては駄目、ですね」

 

《千代田、了解です。……はうぅ、終わったぁ》

 

 

 緊張の糸が切れたのだろう、千代田はため息をつきながら甲板にへたり込む。

 

 

『大丈夫か千代田。悪いが、まだ気は抜かないでくれよ? 赤城の言ったように、油断大敵だ』

 

《あ、うん、そうだね。けど……ただ飛ばすのと爆撃させるのとじゃ、やっぱり違うんだね》

 

『だろうな……。どうする? 疲れたなら、山城にでも偵察を代わってもらうか?』

 

《ううん、頑張る。砲撃戦ではほとんど役に立てないし、空母の二人は航空戦の要だもん。これは水上機母艦の役目だから》

 

『……そうか。頼らせてもらうぞ』

 

《頑張りましょう、千代田。ワタシも一緒だから、ね?》

 

《うん!》

 

 

 余計な心配だったか、大切な人からの励ましのおかげか。彼女は立ち上がって息を巻く。

 普段は千歳と遊んで……というより、姉にまとわり付いているだけにも見えていたけど、案外真面目らしい。

 例のミュージアム、考えてあげるべきか。見学は無理でも、少し寄って買い物するくらいなら……。あとでお金降ろしとこう。

 

 

《うぅ~、こんなこと言ったらあかんのやろうけど、ちょっち退屈や~。活躍したい~!》

 

《気持ちは分かるけど、ダメよ龍驤。……私も姉さまと並んで主砲を撃ちたいけど。凄く分かるけど、我慢しなきゃ》

 

 

 厚みの心許ない財布を思い出していると、焦れたような声が二人分。ウズウズした気分が中継器を伝わり、戦意の高まりが感じられた。

 こういった戦闘での精神的高揚は、同調によるつながりで皆へ伝達する。不安や恐怖まで伝わってしまう場合もあるらしいが、今回はいい方向に作用しているようだ。

 とはいえ、ここで爆発させてしまっては意味がない。

 

 

『二人とも、作戦は始まったばかりなんだぞ? これから否が応でも出番がくる。気力は温存しておかなきゃな』

 

《はぁ~い。大人しくしとればええんやろ~》

 

《分かってますってば……。艦隊に居られるだけでも十分に嬉しいですし》

 

 

 ぼぅ、と空を見上げる山城の姿は、境目のない青が飾り立て、恐ろしく美しい。

 初の日本独自設計による超弩級戦艦、扶桑型。しかし、その構造には幾つもの欠陥があり、彼女は海に出ていた時間よりも、ドックへ入渠していた時間の方が長い始末だった。

 ここにいる山城がそうだったわけではないのだが、人を模した人形へ魂が宿るとされるよう、当時を再現して作られた船には、歴史の一部が刻まれる。人と同じ形と心を得た今、それが影響しているのだ。

 

 

『切実だな……。まぁとにかく、今は先に進もう。ボイラーやタービンの調子はどうだ? かなり飛ばしてるはずだけど』

 

《今のところ問題は。調子が良すぎて怖いです。ここらへんで、ボイラーが一つくらい不調になってくれれば、これから先も少しは安心なのに》

 

《さすがにその安心のしかたはどうかと思うわ、山城……》

 

 

 妹のあんまりな言い分に、同じく不遇な戦艦だった姉がつっこむ。

 不幸が起きるのを前提として考えるのはどうなんだ? この状況でそういうことになったら笑えないし、勘弁してほしい。

 君が言うと本当に起きそうで怖いんだって……。

 

 

『ははは。いやはや、作戦中でも余裕を崩さない。頼もしいですよ』

 

『う。す、すみません。緊張感が足りませんね、自分たちは』

 

『あぁ、違うんです。嫌味で言ったわけでは。素直にそう思っただけですから』

 

 

 桐生提督の笑い声で、山城たちとのやりとりが筒抜けなのを思い出す。

 言い訳にも一応フォローを入れてくれるけれど、褒められたことじゃないのは確か。軍人としての先輩でもある。気を引き締めねば。

 そう思って顔を作るのだが、彼は『本当ですよ』と続ける。

 

 

『作戦中にこんな……穏やかな気分でいられたのは初めてです。もちろん気を抜いているわけではありませんが、いい意味で緊張していないというか』

 

『そう、なんですか。自分たちは、いつもだいたいこんな感じなんですけど』

 

『きっと桐林提督が――いいえ。あなた方がそろっているから、でしょう。……羨ましい。霧島に会いたくなってしまいました』

 

 

 見えないはずの笑顔が、声を通して脳裏に浮かぶ。

 一瞬、お世辞だろうと勘ぐった自分を恥ずかしく思うほど、それには実感が込もっていた。

 基本的に、傀儡能力者は孤独な存在だ。

 日常生活では、その特異性から一般と明確に区別されてしまう。

 他の能力者と協働することはあっても、言葉を交わす余裕なんてない。戦いともなれば、自分と違いひっきりなしに指示を送らねばならず、どだい無理なのである。

 感情持ちとなら会話くらいできそうと思われるかもしれないが、指揮能力を得た時点で、彼女たちは貴重な戦力となる。大抵の場合は別の作戦行動で引き離されてしまうのだ。

 誰かと言葉を交わせるようになっても、それゆえに孤独を強いられる。何のせいとは言わないが、矛盾を感じた。

 

 

『今はどうなさっているんですか?』

 

『霧島ですか。僕の代わりに遠征へ出ているはずです。振り返ってみると、ここの所すれ違ってばかりでした。

 もともと、この任務を終えたら休暇をもらう予定でしたから、ゆっくり話してみるのもいいかも知れません』

 

『きっと喜びますよ。いつか、自分もお会いしてみたいものです』

 

『でしたら、今度はこちらから横須賀に伺いましょう。霧島を連れて。たまには、そのくらいのワガママも許してもらわないと』

 

 

 割りに合いませんね……なんて、同時に苦笑い。久しぶりだ、男同士で語らうのも。

 この能力に目覚めてから、過去の友人は離れ、見覚えのない親類・知人は増えていくばかり。

 同じ力、同じ年、同じ立場。結構、安心できる。

 

 

《なんや、すっかり仲良しさんやね。キミのお友達なら、うんと歓迎せんと。ん~、たこ焼きはもう決まっとるし……なぁなぁ桐生提督、お好み焼きとか好き?》

 

『好きですよ。もしかして……』

 

《もち、作ったるでぇ! 本場の味をご堪能あれ、や!》

 

『それはそれは。楽しみですね。……桐林提督。あの、龍驤さんの作られた場所は……』

 

『触れないであげてください。お願いします』

 

『はぁ……』

 

 

 他の子たちに聞こえない秘匿通信へ、自分は静かな面持ちでつぶやく。

 コテコテな関西風少女である彼女だが、その大元である軽空母が作られたのは、なんと横浜。つまり関東人なのである。

 同じ属性の黒潮は、ちゃんと大坂にある藤永田造船所で作られ、そんな気配のない電も大阪生まれだったり。この差はなんだろう。

 全く関係ないが、ちとちよvs龍驤。この差はなんなんだろう。涙が出てきたよ。

 

 

《――きゃあっ!?》

 

『うぉ、ど、どうした千歳っ?』

 

 

 おバカな考えに割り込む甲高い悲鳴。

 驚きつつも視点を移せば、その主はふらつきながら眉をひそめていた。

 

 

《ご、めんなさい、ビックリしちゃって。偵察に出してた瑞雲の一機が、いきなり落とされました!》

 

『っ。場所は』

 

《七時の方向、おおよそ四百kmです。高度は取っていましたから、多分、敵機じゃないかと……やられました……》

 

『もう発見されてると考えた方がいいですね。さっきの軽空母と繋がっていた……?』

 

『おそらくは。みんな気を引き締めろ! 戦闘用意!』

 

 

 ふざけていた意識がカチリと切り替わる。

 号令を受ける統制人格たちも、まとう雰囲気をガラリと。

 

 

『千歳、撃墜された海域へ瑞雲をもう一度送れるか』

 

《そうおっしゃると思って、すでに向かわせています》

 

『よし。赤城、扶桑、千代田は攻撃隊の収容を急げ。同時に、第二次攻撃隊の発艦用意。龍驤、山城、千歳も攻撃隊を編成、こちらは発艦。上空で待機だ』

 

「了解いたしました」

 

《ぃよっしゃ! やっとこ、うちらの出番やね!》

 

 

 赤城たち三人が小さく頷き、龍驤たちは気合十分、己が艤装を改める。

 敵艦はこちらに向けて航行を続けているだろう。そして、それよりも先に機動部隊が。

 さっきみたいに近距離でもない場合、あらかじめ航空機を飛ばしておき、いつでも差し向けられるよう準備しておかねばならない。

 

 

《艦載機のみんな、お仕事お仕事っ!》

 

 

 ばさり、宙に広がる巻物。龍驤の名が記された内側から、飛行機の形に切り抜かれた紙片が舞った。

 意思を持つような動きをするそれは、エレベーターによって甲板へ移された戦闘機に張り付く。

 両翼に、零式艦上戦闘“鬼”の印が浮かんだ。

 

 

《水上爆撃機隊、発艦よっ》

 

《扶桑姉さまみたいには出来ないかもしれないけど……ううんっ、頑張るのよ私……!》

 

 

 山城、千歳からも、先の姉、妹と同じく瑞雲が飛び立つ。

 龍驤は艦爆を載せていないため、艦戦・艦攻・水上機の三種、八機・十二機・二十二機で、総数四十二機による編成である。

 赤城と比べて数は少ないが、戦歴に関してなら負けず劣らず。格闘戦可能な瑞雲も入るし、上手くやってくれるだろう。

 

 

《こちら千歳、敵機を確認しました! すごい数です、ざっと見積もって……七十、いえ、八十はいます!》

 

『ちっ……今度は軽空母じゃないな。第二次攻撃隊も出すぞ!』

 

 

 ――と、思っていたのだが、しばらくして上がってきた報告に目算が狂う。

 流石に倍近い戦力差をひっくり返せるとは思えない。

 損耗は避けたかったが、出し惜しみをして負けるなど愚の骨頂。全力をあげるべきだ。

 

 

「了解っ。みなさん、用意はいい?」

 

《もちろん! お姉と一緒ならきっと、さっきよりも上手く飛ばせるよっ》

 

《私も、だんだん慣れてきました。航空戦艦の真価、今こそ……!》

 

 

 連戦だというのに、士気は下がるどころか逆に高まるばかり。桐生提督の言葉は当たっていたらしい。

 もし自分一人だったらと、そう考えるだけで押しつぶされそうな重圧も、共に立つ仲間がいれば受け流せる。どこ吹く風と、笑っていられる。

 ややあって、第二次攻撃隊が合流。百を超える航空機が空にひしめいた。

 

 

『場合によっては三次攻撃もある、用意は怠るな。先鋒は龍驤だ。格好いいところを見せてくれ』

 

《お? もしかしてうち、期待されとるん? それはちょっち嬉しいなぁ》

 

 

 バイザーをクイっと直し、《ほんなら気張るか!》と、大きく笑う。

 次の瞬間、彼女はかかとを鳴らして腕を開き、二本指の手刀へ青い炎を宿す。

 わずかに伏せられた表情も、歴戦を思わせる勇姿へ。

 

 

《さぁ、仕切るでぇ! 攻撃隊、発進!》

 

 

 ――かと思いきや、ニカっと擬音をつけたくなる、再びの笑み。

 縦に切られた勅令により、攻撃隊は加速。敵機の待つ宙域へ向かって行く。

 群れをなす、我が機動部隊。

 自分は、それを誇らしい気持ちで見送るのだった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

『やっと、着いた……』

 

『着きましたね……』

 

 

 思わずこぼれた二つのため息に、東の空を見やる。すでに日が昇っていた。

 あれから十九時間後。

 幾度か短い休憩を挟みつつ、調整士も三度交代させ、ほぼ丸一日の時間をかけて、自分たちはようやくロシアの安全領域へと入ることに成功した。

 こんなに長く同調を維持したのは初めてだ。本当に疲れた……っと、自分だけが疲れているわけじゃないだろう。

 

 

『みんな、よく頑張って――ごほっ』

 

「どうしました、提督? もしや、お身体の具合でも……」

 

『い、いや、違うんだ赤城。ちょっと、な』

 

 

 順繰りに顔を見ようと思ったのだが、途中で視界が肌色一杯になり、むせ返る。

 それはちょうど、山城に意識を向けた時だった。

 

 

《……見ましたか》

 

『見てないよ』

 

《……見ましたよね》

 

『だから見てないって』

 

《……嘘だったら鳳翔さんに言いつけますよ》

 

『ごめんなさい見ましたそれだけはやめておかず減っちゃう』

 

 

 半裸の涙目少女へ、自分は心持ち内股になりながら懇願する。

 二十四時間におよぶ長い航海の間、この艦隊は何度もツクモ艦の攻勢を受けた。時に迂回し、時に強行突破し、撃破数は間違いなく二桁後半を越えただろう。

 思い返すのも大変な戦闘の最中、砲撃がかすめたり、夜戦で魚雷を受けたりと、様々な要因が積み重なった結果、山城は中破(作戦遂行は可能だが、その能力が低下している状態)となってしまったのだ。

 統制人格とその船とは、密接な繋がりをもつ。船体が損傷した場合、その度合いによって彼女たちも傷を負うのだが……時として、衣服までも奪い取ってしまうことがある。

 かつて、妙高型四姉妹の末っ子である羽黒を中破させてしまった経験から、それは承知していた。……いたのだが。

 

 

《うぅぅ、こんな格好を男の人に見られるなんて、もうお嫁にいけない……。不幸だわ……》

 

 

 羽黒が【{スカート全損+上着の胸から上が剥げる+白いタイツもボロボロ+服を引っ張り下着を隠すも眩しい肩と太もも}x羞恥にまみれた表情=エロ可愛い】という状態だったのに対し、山城の剥け具合は、【{上着ほぼ全損+スカートもほぼ全損+なんで下着が見えないのですか}x残った切れ端と艤装で大事なところをなんとか隠しています=見せられないよ!】な感じだった。

 服にのみダメージが集中しているのは、破損したのがバルジ(水面下の防御力や、傾きの復元力を向上させる出っ張り)などの追加した部分だったからだろうか。……いかん。鼻血でそう。

 

 

『いや~、あっはっは。絶景……ではなくて眼福……でもなくて災難だったね山城』

 

《何を笑ってるんですか……! 見ないでって何度も言ってるのに……!》

 

『そうは言ってもだな。機関部が無事でも中破してるんだし、危なくないように艦の情報はしっかり把握しておかないといけないだろ? でもそうすると絶対に目に入っちゃうしさ。不可抗力だよこれは。うん。ねぇ桐生提督?』

 

『僕に振らないでもらえませんか。必死に誘惑を断ち切っているところなんですから』

 

 

 やや硬い声からは、男としての欲望と、紳士としての理性。二つのせめぎ合いが感じられた。

 中継器はリンクしてあるし、その気になれば覗き見れるというのに、意外とウブなのだろうか。

 ま、実際は外部にもれないよう本気で視覚情報を囲っているんで、自分とその仲間たちしか見れないんですけどね。

 うちの子の艶姿を見たけりゃ金払え。……やっぱ訂正、金もらったって絶対に見せません。

 なんて考えていると、距離も方向も無視して突き刺さる、冷たい視線を感じた。

 

 

「提督。戦闘用意も収めたことですし、しばらく同調を切ってもいいでしょうか。というか、切らせていただきます」

 

『え? 赤城……さん?』

 

《あ、ワタシもちょっと切らせてもらいますね。何度か至近弾もらって、結構ダメージ受けてますし。見られるの恥ずかしいです》

 

《ワタシも。提督、最っ低》

 

《うちもそうするわ。ちょっち一人で黄昏たい。……くっそぅ、見せつけよってぇ……》

 

《提督。乙女の柔肌を暴いた責任、とってあげて下さいね……。でないと、酷いですよ……》

 

『あれ、ちょ、みんなぁ!?』

 

 

 あれよあれよという間に感覚が閉ざされて行く。ついには全員との同調がはじかれ、ブラックアウトしてしまった。

 おいおいおいおいおい。統制人格が主との繋がりを否定するってどういうことさ。扶桑さん笑顔が怖いよ。責任とれったって結婚できませんよ法的に。

 そりゃあ、少し悪ふざけが過ぎたかもしれないけど……。いや普通にセクハラか。は、早めに謝っておいた方がいいよな?

 

 

「調整士さん。ちょっと同調強度をあげて、無理やりつなげて貰えます?」

 

「申し訳ありません桐林提督。現在、増幅機器が不調でして。各種数値のモニタリングは続けておりますから、状況が変化し次第、お知らせします」

 

「そ、そうですか」

 

 

 あなたも山城たちの味方ですか。まぁそうですよね女性ですもんね。

 ヤバい、ホントに調子乗りすぎた。くそ、どうにかして繋がないと……。

 そうだっ。桐生提督のに便乗すればいいんだ!

 

 

『あのぅ、桐生提督? 指示出しとかしなきゃいけませんし、ちょっと辿らせていただいても……?』

 

『それなら問題ありませんよ。赤城さんが指揮をとって、給油を始めてくれています。ほら』

 

 

 暗い世界に一つの光明。

 手を触れるように感覚を伸ばして行くと、それは上陸部隊の旗艦・時雨に繋がった。桐生提督の見ている光景だ。

 赤城の監督のもと、他の船たちは千歳・千代田と曳航給油中。高速給油艦としての面目躍如である。

 航空戦艦組みは偵察機で哨戒をしているようだ。龍驤は……放っておこう。フルフラットって悲しい。

 ……それはそれとして。

 

 

『ようやく半分、ですね』

 

『ええ。僕は進んで、貴方は戻る。ここからが本番です』

 

 

 まだ、白よりも赤に近い太陽を眺め、次の作戦行動を確認する。

 一日続けての強行軍により、キスカ島強行上陸作戦は、その半分を終えたと言ってよい。

 護衛部隊である自分の艦隊は少々被害をこうむったけれど、肝心の五隻は無傷。消費した燃料も、合わせて五千五百tの重油補給が可能な水上機母艦二隻が補う。役目は果たせた。

 航行能力的に考えれば、本来、この補給は必要ない。

 エトロフからキスカ島までの航路はおよそ千五百六十五海里。駆逐艦でも五千海里は航続距離があるのだから、数字だけで考えれば無補給で構わないのだ。

 しかし、常に巡航速度を維持できるわけではない。速度があげれば消費は大きくなるし、燃料を満載すればそれだけ重くなる。俊敏さを武器とする彼には、こういった些細な重量が影響するらしいのである。

 ゆえに補給するのは最低限。戦闘行動を行っても、余裕を持ってキスカへたどり着ける分だけ。

 

 

(……ダメだ、考えるな。それはただの同情。心を守るための感傷)

 

 

 千歳たちに、ロシア側がまた補給をしてくれると、嘘までついて。

 自分は“彼女たち”の片道切符を切ったのだ。

 

 

(哀れむ資格なんて、ない)

 

 

 知らず、唇をかみしめる。

 どんなことがあろうと、優先順位は変えられない。出会ったばかりの統制人格よりも、寝食を共にし、笑い合った仲間の方が大切だ。あの時、そうすると決めた。

 だから見捨てる。切り捨てる。意識の外へ彼女たちを追いやり、見ないように苦心する。

 そうしないと、自分の心すら守れない。……悔しかった。

 

 

『世は悪意に満ち、陰る善意も幾ばくか』

 

 

 静かな声。

 唐突にも思えるそれは、凪いだ海面のように。

 

 

『されど、この手に明日への手綱あり。目に見えねども、人の奥底に眠るものである』

 

『……それは?』

 

『あの言葉の全文です。色々な解釈がなされていますが、僕はこう考えます。それは記憶。忘れてはならない、悲しみではないかと』

 

 

 胸がざわめく。

 驚きと、寂しさと。

 二つが混じり合って、不規則な波紋を立てる。

 

 

『無為に進軍を続け、沈めてしまった経験があります。長く使役したせいで愛着が湧いてしまったことも、思わず丁重に扱ってしまったことも。

 ああは言いましたけれど、僕だって、まったく感情移入せずに済むわけではないんですよ』

 

 

 切なく笑う顔を見せられている気がした。

 声が届くだけで、彼の状態などは一切把握できない。

 それでも、その双眸が、きらめく海と船たちを見つめているように感じた。

 

 

『忘れてはいけないと思うのです。たとえ、痛みを無視できるようになったとしても。心の奥底に沈められるようになったとしても、無かったことにしてはいけない。立ち止まらないために』

 

『辛く、ないんですか』

 

『辛いですよ。傀儡能力者の宿命です』

 

『逃げることは、許されないんですね』

 

『………………』

 

 

 桐生提督は答えない。答えのない問題であるとも思う。

 人間は未練を残す。

 もしもあの時、別の選択をしていたら。別の道を見つけられていれば。現状に満足していたとしても、そんな“たられば”を夢想してしまうもの。目を背けたい現実が立ちふさがっているなら尚更だ。

 逃げたところで後悔がついてまわる。立ち向かっても苦しみに喘ぐ。

 戦争なんて、ロクなもんじゃない。

 

 

『……桐生提督。広島風と関西風、どっちが好きですか?』

 

『は? ……そうですね。どちらかと言えば関西風ですけど、可愛い女の子の手料理ならどちらでも』

 

『あっはは、それもそうだ。なら、楽しみにしてて下さい。うちには料理上手な可愛い子がいっぱい居ますから』

 

『ええ、楽しみです。楽しみなんですが、明らかに自慢ですよね。買いましょうかその喧嘩』

 

『高いですよ。お土産、期待してます。三十人分』

 

『三十……!? て、手料理の代金としては高すぎませんか?』

 

 

 けれど。

 そんな繰り返しの中でだって、新しく生まれるものがある。

 皆や彼との出会いも、きっとその一つ。

 

 

『約束ですからね。いや~、電たち喜ぶだろうな~』

 

『く、女性をダシに使うとは卑怯な……。い、いいですよ。みなさんが群がるようなものを持って行きましょう。覚悟しておいてください!』

 

『望むところです。こっちだって、うちの子たちの料理で舌鼓を打たせてみせますとも!』

 

 

 大事にしよう。

 逃げる覚悟も、立ち向かう勇気も、今は不確かだけれど。

 人の奥底に眠るものは、悲しい記憶だけではないと思いたいから。

 

 遥かな距離を越え、自分たちは他愛ないことを語らい続ける。

 友と見つめる来光に、万感の想いを重ねて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《追想 桐生提督と西村艦隊の最後》

 

 

 

 

 

『なん……だ……これ、は』

 

 

 ようやっと桐生の口から出た言葉らしい言葉は、酷い困惑を匂わせていた。

 あり得ない。見間違いだ。航路を間違えたのかもしれない。

 ロシア領海へ入ってから丸二日以上、航海と戦闘を繰り返した。最上・山雲・朝雲はすでに落後している。桐林提督に感化されてしまったせいか、そのために用意されたのだと分かっていても、実際に沈めてしまうのは大きなストレスだった。だから、幻覚を見ているのだ。

 そんな考えばかりが彼の頭をよぎる。しかし、目の前にある光景が、否応なく現実を突きつけてくる。

 

 

『キスカ島が、無い』

 

 

 まだ明けきらないものの、光を湛え始めた水平線。

 誰も異論を差し挟まないだろう美しさこそが、異常であった。

 年は若くとも、桐生は幾多の戦線をくぐり抜けた戦士。座標を読み間違うなど。

 だからこそ、その視界にはキスカ島がなくてはならないのだ。けれど、目を凝らして見えてくるのは異物のみ。

 

 

『……繭、なのか』

 

 

 ポッカリと、浮いていた。

 繭、卵、サナギ、幼生、雛、胎児。

 どんな表現をしても当てはまりそうで、致命的な相違を思わせる、赤。それが脈動している。

 薄い膜の向こう側に、距離を考えれば、巨人のごとき大きさであろう影が。

 

 

「調整士、見えていますか」

 

「……あっ、は、はいっ。映像、記録しています!」

 

 

 正気に戻ったばかりのような、青年調整士の声。

 無理もない。桐生ですら、背筋が泡立ってしょうがないのだから。

 生理的な嫌悪とは違う。恐怖ともまた違う。

 

 

(これは、敵意)

 

 

 決して相容れないものへと抱く、純粋な隔意。

 一目見ただけで、桐生たちは本能的に理解したのだ。あれは、“天敵”であると。

 だが、おかしい。まるで溶岩のごとくグツグツと湧き出るこれ(悪意)は、明らかに尋常ではない。

 何らかの汚染を受けている可能性も――。

 

 

『――っ! 動く!?』

 

 

 不意に、影が胎動した。

 今にも産まれようとするかのごとく、膜を破らんともがいている何か。

 弾力があるのか、一瞬だけ拮抗。けれど、そんな時間は有って無いようなもの。

 

 

“――――――!!!!!!”

 

「くっ!?」

 

「づぁ!? な、なんだよこのノイズ……っ!?」

 

 

 悲鳴のような音と共に、世界に乱れが生じた。その中で、薄桃色に見える腕が空気にさらされる。

 真っ赤な羊水が海へ。

 途端、一面が――桐生が同調する時雨の視界に写る、全ての海域が赤く染まっていく。

 

 

『うっ……。こんな、馬鹿な』

 

 

 この世のものとは思えない光景に桐生は狼狽するも、異変はまだ続いていた。

 ポツリ、ポツリ、と。何か浮かび上がってくる。

 ツクモ艦。

 恐ろしい数の、敵。赤い妖気をまとう、選良種(エリート)

 

 

「き、桐生提督、なんなんですかあれ。なんで、なんでツクモ艦、敵に、と、統制人格がっ」

 

「落ち着きなさい。今は何も考えず、記録に集中しなさい。大本営へも送信を」

 

「りょ、了解しました。あぁ、くそ、ホントになんだよこれ……っ」

 

 

 奮闘する青年の様子が、桐生にも気配で伝わる。

 こうして組むのは初めてであったが、悪態をつくだけで済ませられるあたり、優秀である。

 そして、より重大な事実も判明した。

 

 

(彼にも見えているとは、どういうことだ。実体化した……どうやって? 訳が分からない)

 

 

 傀儡能力者の中でも、限られた人間にしか目視できないはずの人影を、一般人である調整士が見ていた。

 過去に例をみない珍事である。多くの人間が笑って切り捨てた、“あり得ないこと”である。

 それが現実に起きていた。今まで大多数の目に映らなかったものが、見え始めていた。

 

 

「……あっ! 緊急入電、吉田中将からの直通です!」

 

「中将? 回しなさい」

 

 

 桐生が考えこもうとしていたところへ、不意をつく連絡。

 取り急ぎ受け取れば、直に聴覚を刺激する低音が響く。

 

 

『久しぶりじゃな、“人馬”の。息災か』

 

『ええ、すこぶる。賦活剤で目が冴えているうえに、世紀の大発見をしてしまいました』

 

『大収穫だのう。……本題に入るぞい。今すぐ同調を切れ。作戦は終了じゃ』

 

『交戦は避けろと? なぜですか』

 

『なぜもなにも無かろうが。オヌシの置かれている状況は不確定要素が多すぎる。何が起きても不思議ではない。自分がどんな存在かは、オヌシ自身が分かっておるはずじゃぞ』

 

『僕がどんな存在か、ですか』

 

 

 “人馬”の桐生。“桐”の一柱。未来を嘱望される、若き海軍大佐。

 それが世間一般の彼への認識である。影響力は大きく、万が一にも、その存在が損なわれる可能性は排除すべき。

 しかし、当人の中には別の、捨てきれない見方があった。

 

 

『出来損ない、ですよ。僕は。少なくとも、あの人たちにとっては』

 

『……どうした? オヌシいったい……』

 

 

 らしくない物言いに吉田中将はいぶかしむが、桐生は顔を歪めるだけ。

 努めて胸にしまい込んでいたものが、輪郭を覗かせていた。

 両親から面と向かって吐かれた言葉。冷たいしこり。煮えるはらわた。苦い胃液。

 ぶちまける相手が欲しい。

 殴り、叩き、突き、撃ち、砕き、潰すことの許される存在が。勝手に捨てて、勝手に死んでしまった――アイツらの代わりに。

 

 

『僕には分かります。あれは、生まれてならないものだ。産声を許してはならないものだ。ここで――討ちます。御免下さい、中将』

 

『待て、ならん、ならんぞ桐生! オヌシにはまだ――』

 

 

 強引に通信を遮断。桐生は敵へと意識を向けた。

 それを感じ取ったか、一様に沈黙を保っていたツクモ艦が編隊を組み始める。

 

 

(守ろうとしている。やはり、重要な存在なのか)

 

 

 激情に身を任せた選択にも思えたが、その実、冷静さを失ってはいなかった。

 残る戦力は時雨、満潮のたった二隻。

 囮とするべきはどちらか、接敵するための進路はどうするかなど、彼はまたたく間に戦術を組み上げて行く。

 

 

(結局は、物扱いか。丁重に扱ってしまうだなんて、どの口が)

 

 

 自嘲。

 感傷主義を気取っておいて、いざとなればそんなもの投げ捨てられる。憎しみは捨てられないくせに。

 あまりに身勝手な矛盾を自覚し、思考は重みを増す。そんな中、「あの」という調整士からの問いかけが。

 

 

「桐生提督。本当に戦うおつもり、なのですか?」

 

「そのつもりです。無理に付き合えとは言いませんよ。ご苦労様でした」

 

「……っ。ぃ、いや、私もお付き合いします! 共に、戦わせてください!」

 

「貴方は……」

 

 

 意外な答えだった。

 吉田中将の命令に背いてまで、桐生は戦おうとしている。それに付き従うということはどういうことか、余程の馬鹿でないかぎり理解できるだろう。

 なのにこの調整士は、返事を聞く前に作業を開始した。

 同調強度が正しく補正され、主副のバランス(この場合は時雨・満潮の使役精度)を整える。視界はより鮮明に、赤の世界を映し出した。

 

 

「物好きな人だ。軍法会議にかけられますよ」

 

「構いませんっ。桐生提督と一緒に戦えるなら、それだけで本望です! それに、調整士無しでの遠距離同調はキツいです。私が必要なはずです」

 

「……本当に、物好きですね。感謝します。行きましょう」

 

「はい!」

 

 

 顔も見合わせず、二人は同時に笑った。

 

 

(こうして戦えるのも、おそらくは十数分。それまでにカタをつけなければならない)

 

 

 吉田中将から厚岸に連絡が届けば、おそらく電源ごとシャットダウンされるだろう。時間との勝負である。

 大きく深呼吸。

 溜め込んだ空気を出しきったところで、桐生の六感が活性化。カミソリのような鋭さに。

 この状態で船がダメージを受ければ、フィードバックによる痛みでショック死する可能性もある。けれど、そうしないと勝てないことは分かっていた。

 数多の砲弾をくぐり抜け、同士討ちを誘い、肉薄して、打ち砕く。“あれ”がなんなのかは理解できなかったが、放っておけば、戦艦タ級を優に超える脅威となるだろうことだけは、直感していた。

 だが、まだ生まれていないのなら。当てさえすれば、駆逐艦でも勝てる……かもしれない。

 

 

(許しは請いません。ただ、忘れもしません。最上、山雲、朝雲、満潮、そして時雨。貴方たちを、存分に使います)

 

 

 誰に聞かせるつもりのない言葉を、心でつぶやく。ただ、己へのケジメとして。

 しかし、普通なら反応しないはずの彼女たちが、頷いてくれた気がした。

 どうしようもなく、救われた気がして。……どうしようもなく、やるせなくて。

 

 

『もうお土産は発注しちゃいましたからね。こんな所で、終われないんですよ』

 

 

 振り切るように、桐生は波をかき分ける。

 潮の香りを感じながら、絶望へ向かって行く。

 明日にある約束を、守るために。

 

 

 

 

 

『“人馬”と言わしめた妙技、とくと御覧うじろ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果的に、桐生は見事、正体不明の繭を撃破した。

 代償として、その意識を闇へ没しながらも。

 “桐”の一柱が倒れたという事実と、彼が残した視覚情報は、密かに、速やかに世界を震撼させる――。

 

 

 

 

 


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