「……なぁ、萩。ぶ、ブラジャーって、どういう感じなんだ?」
「え?」
休日の昼下がり。
自室でまったりと寛いでいた、陽炎型駆逐艦十七番艦、
カーペットの上にクッションを置いて座っている萩風の真正面で、嵐はベッドへと腰掛け、照れ臭そうにしていた。
白い半袖のシャツに、黒いベスト。同じく黒のプリーツスカートを履いているのは変わらない。
萩風は、背中にかかるほどの長い髪を持ち、襟首を細めのリボンで締めているのに対し、嵐は赤毛のセミロングで、跳ねの強い癖っ毛だ。
また、ネクタイは適当に緩み、ベストの前も開けたまま。しかし、だらしないと言うよりかは、少年のような雑さが滲み出ている。
だからこそ、嵐の口から下着に関する質問が飛び出るなど、予想だにしなかったのである。
そんな姿を見て、嵐は誤魔化すように苦笑いを浮かべ、顔の前で手を振った。
「やっぱなんでもない! 今のなし! 似合わないこと聞いたよな、忘れてくれっ」
「う、ううん、違うの。驚いた訳じゃないから、安心して? 嵐」
実のところ、読んでいた文庫本を座卓へ落とすほどに驚いたのだが、言ってしまえば傷付けるだろうと、萩風が取り繕う。
そして、それが成功したのかを確かめる前に、逆に理由を問いかけた。
「でも、どうしたの? 急に。今まで、下着を気にした事ってなかったと思うんだけど……」
「別に、さ。大した理由じゃないんだよ。ただ……」
普段のざっくばらんさを、どこかに置き忘れたのだろうか。嵐はもどかしそうに言い淀んだ。
が、ややあって、ベッドからカーペットの上へと移動した彼女は、トスンとあぐらをかいて続ける。
「こないだの作戦、昔の俺がやったみたいに、爆雷で敵を倒したろ。その件で夕雲たちと、遊んだっちゅうか、騒いだっつーか……。あ、萩が近海警備に行ってる間な?」
「へぇ~、そうだったんだぁ。いいなぁ、楽しそう」
「ああ。けっこう盛り上がったんだぜ」
嵐の言う作戦とは、重巡棲姫を撃滅せしめた、あの作戦の事だ。
そして、作戦中に夕雲たちが取った行動が、史実における嵐のエピソードを元にしているのである。
同型艦である舞風、野分、萩風と第四駆逐隊を編成していた当時の嵐は、南方──ジャワ島近海での作戦中、商船を爆雷で撃沈した事があった。
既に船体に穴を開けた英国籍タンカーを相手取り、しかし駆逐艦の砲では致命傷も与えられず、業を煮やして魚雷を使おうとしたものの、勿体無いから爆雷を使っては? という水雷長の提案を司令が受け、見事に成功させたのだ。
と言っても、この時は有効打を与えるのに三回の投射を行い、かつ二射目の至近弾で船体の穴が広がっていた為であり、その穴に三射目が入ったのも奇跡に近い。
それ以上に困難であると予想できる、同航戦中の駆逐艦を相手にした爆雷直投げを成功させ、しかも撃沈するなど、よほどの練度がなければ 無理であろう。
ちなみに、嵐に座乗していた司令官は、かつて駆逐艦 電へも座乗し、戦艦 大和の最期の司令官でもある、あの有賀司令だった。
これらの活躍、直接関わらなかった統制人格にも情報は周知され、出撃した者たちの話を聞き、皆、大いに沸き立ったものである。
さらにはドイツ本国へも、条約に基づいた形で情報提供がなされた。
重巡二隻を秒殺するオイゲンや、己が身を呈し敵旗艦を討ち果たすビスマルクの活躍に、ドイツ軍人たちは諸手を挙げて喜んだ。
決して、情報提供の際にどうしても付け加えざるを得なかった、中破したビスマルクの艶やかな姿は関係ない……と、思われる。思いたい。思った方が幸せだろう。
「んで、その流れで一緒に風呂入ったんだけど。夕雲に、えっと……。
あら。上はサラシを巻いているのに、下は普通のショーツなんですね──って、言われて、さ」
「あ~、なるほどぉ……」
話を戻し、対面する萩風と嵐。
質問をするに至った経緯を聞いて、萩風はもっともらしく頷いた。
女性用の下着と言えば、ブラジャーとショーツが一般的であるが、嵐の場合は違った。
下はごく普通の、少女らしい純白のショーツを履きつつ、上はブラジャーではなく、白いサラシを巻いている。
特に気に入っているからではなく、励起された当初から“こう”なのだ。
対する萩風は紫色の上下一揃いであり、加えて、駆逐艦にしては大きい方である。浜風・浦風ほどではないが。
ともあれ。サラシは嫌いでないものの、他人から言われると妙に気になってしまい、嵐はこうして、萩風を驚かせてしまった訳だ。
「やっぱ変なのか? 俺としてはこれが普通だったっていうか、これ以外に知らないし。で、ブラってどうなのかなー、と」
「私は変だとは思わないけど……。夕雲さんは変だって言ってたの?」
「うんにゃ。そういうのもアリですね、私もたまには変えてみようかしら──だと。でもなー。俺だけみんなと違って、それで萩とか、のわっちが変に思われるのもアレだしさ」
なんとも気怠げな顔で、嵐は自分の膝に肘を立て、頬杖をつく。
随分と遠回りしてしまったが、結局のところ、嵐が気に掛けていたのは彼女自身ではない。
自分のせいで、妹が変に思われないか、と考えていたのである。
少々過保護? とも思ったが、それも大切と想われているからこそ。姉の気遣いに、萩風は笑顔で返した。
「ありがとう、嵐。下着くらいで変には思われないと思うけど、そうね。良い切っ掛けなのかも」
「切っ掛けって、なんの?」
「オシャレする切っ掛け。もったいないなぁって思ってたの。嵐、せっかく可愛いのに、お化粧とか小物とか、そういうの興味なさそうだったから」
「ぉ、俺が可愛いとか、ないない。俺で可愛いなら、萩はどうなんのさ。天女か女神様になっちまうって」
「もう、嵐ったら。そんな事ないわ、私が保証する。まずは……うん。やっぱり、嵐が気にしてた下着。見えない所から始めてみましょう?」
「うへぇ、本気か? ヤブヘビだったかなぁ」
萩風に押され、嵐は珍しく弱気な声を出す。
けれど、決して嫌がってはおらず、むしろ楽しそうにも見える。
姦しいと評するには一人足りないが、戦争の最中であることを一先ず忘れ、姉妹はああだこうだと語り合い始めた。
(嵐は男の子っぽいけど、鹿島さんに負けないくらい可愛いんだし、この際、本人にも自覚して貰わなきゃ。頑張ろ!)
せっかく頼られたのだ。
嵐を飛びっきり可愛くしてみせようと、かつての最後を共にした僚艦、萩風は密かに誓う。
間近に夏を控える、穏やかな日であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「司令! 少しだけ、お時間をよろしいですか?」
数日後。
雑務を終え、香取と連れ立って廊下を歩く桐林へと、背後から声が掛かった。
二人が振り向いた先に居たのは、同じく連れ立つ二人の少女。
どことなく意気揚々として見える萩風と、何やら落ち着かない様子の嵐だ。
「あら、萩風さん。嵐さんも一緒なのね」
「ぅ、うぃっす、香取秘書官……」
「すみません、お仕事中でしたでしょうか?」
「いいえ。もう執務室へ戻る所だったから、平気よ。宜しいですよね?」
淑やかに微笑む香取へ、嵐はモジモジと俯き加減に、らしくない返事をする。
いつもならもっとハキハキと、元気良く返事をするのだが、妙だ。
不審に思う香取だったが、しかしそれを問う暇も与えてくれず、萩風が桐林に話しかけていた。
「司令。嵐のこと、よぉ~く見て下さい」
「……なんだ?」
「ええっと、理由は後程ご説明しますので、とにかく見てあげて下さい!」
「………………」
強気に押し切られ、桐林は言われるがまま、嵐を見る。
彼女は沈黙し、視線がチラチラと、桐林と床を行ったり来たり。
明らかに様子がおかしかった。
ざっくばらんで、男勝りな言動が常の嵐が、まるで借りて来た猫の如く大人しい。
しきりに毛先をいじる姿など、意中の相手を前にした乙女のようだ。もしや……?
いや無いな、と自身の考えを否定する桐林だったが、続く萩風の言葉に、背筋が凍りつく。
「どうですか? 嵐、いつもと違うと思いませんか?」
来た。男にとって鬼門とも呼べる質問が、来てしまった。
恋愛シミュレーションゲーム的に言い表すならば、正解を選べば好感度アップ。外せば好感度ダダ下がりな、指型アイコンを使う立ち絵の範囲指定イベント。
そして、ボーイッシュな女の子相手に発生するこの手のイベントは、失敗するとルート断絶の危機もあり得る。
別に桐林が嵐を攻略している訳でも、ギャルゲーのキャラと思っている訳でもないが、とにかく重大な選択肢を突きつけられたのだ。
桐林は顎に手を添え、傍目にはとても真剣な顔で考え込む。
そんな彼を見て、香取は「ああ、実はすっごく焦ってますね提督」と、生暖かい視線を送っている。
しばらく時が過ぎ、場に緊張感が漂い始めた頃、桐林の前頭葉は白旗を上げ──
「……いつもより、雰囲気が柔らかい、ような……気が、する。より、女性らしいというか……?」
「んなっ!?」
──なんとも無難かつ、どうとでも取れる曖昧な発言で誤魔化した。
が、上記の通り、嵐の反応は大きく、真っ赤な顔で後ずさりしている。
一瞬、選択肢を間違えたかと狼狽えそうになる桐林。
けれど、萩風にとっては正鵠を射る返答だったようで、彼女は満面の笑みで嵐の肩へ手を置く。
「ほら、言ったでしょう? 見えない部分でも、司令はきっと分かってくれるって。ね?」
「……な、な、な……」
「嵐? どうしたの? 嬉しくないの?」
ところが、嵐の顔はますます赤くなるばかり。
わななく唇。自らを庇うように抱きかかえる両腕。
その姿はさながら、現在着けている下着の色と柄を言い当てられた、年頃の少女だった。
もちろん、桐林にそんなつもりは毛頭ないのだけれど、実は慣れないブラジャーを──フリル満点の純白のブラジャーを着けていた嵐には、耐え難い指摘だったようで。
「なんで見てもいないのに分かんだよっ、司令のドスケベー!」
「あっ、嵐っ!?」
一目散に、嵐はその場から逃げ出す。
まぁ、偶然の一致というか勘違いというか、サラシからブラジャーに変わっている事を言い当てられた形になってしまえば、仕方がない。
ボーイッシュな嵐から乙女な反応を引き出せたのだから、ある意味、大成功ではあるはずだが、乙女である故に耐えられなかったのだろう。
普通に喜んでいた萩風が微妙にズレているのである。
余談だが、嵐のブラを選んだのはもちろん彼女だ。
自分には似合わないからと、完全に趣味に走った結果がこのように終わってしまい、流石の萩風も慌ててしまう。
「ご、ごめんなさい司令っ。
えっと、これには深……くもないですけど、キチンと理由があって、あの、ブラをですね……とにかく、ごめんなさいっ。
後でまたお詫びに来ますからっ、今は失礼しますっ。嵐ー! 待ってぇー!」
名前の通り、嵐のように。萩の葉を巻く風のように、二人の少女は廊下を疾る。
取り残された桐林と香取。
耳に痛い静寂を破ったのは、能面のような顔で「ドスケベ……?」とショックを受ける彼ではなく、事の成り行きを面白おかしく──もとい、興味深く見守っていた秘書官であった。
「提督。今、『ゲームみたいにセーブ&ロード機能があればなぁ……』と思いませんでした?」
「そんな事はない……です」
図星を突かれ、桐林は思わず素で答えてしまう。
顔面に傷を負った強面の男も、恥じらう年頃の少女には敵わない。
男にとって世知辛い仕組みを再確認した背中からは、隠しきれない哀愁が漂っていた。
最後に余談を一つ。
このあと嵐は、「やっぱ俺にブラなんて似合わねぇ、これからはずっとサラシ一筋だ! いっそ下も褌にしてやるぜ!」などという宣言をした。
しかし、「お願い早まらないで! せめて下だけは普通のショーツにしましょ!? ね?」と萩風に懇願され、結局、今まで通りのサラシ&ショーツに落ち着いたようだ。
また、今回の一件を機に、サラシに興味を持つ統制人格も現れたようだが、詳細はあえて省かせて頂く。悪しからず。
『ドスケベって言われた』
「……はい?」
『嫌な予感はしてたんだ、いつもと違うと思いませんか、だなんて。でも、だからっていきなりドスケベはヒドいと思わない?』
「状況がよく分からないので、なんとも言えないのです……。けど」
『けど?』
「司令官さんは、自分がドスケベじゃないって、天地神明に誓えますか?」
『………………』
「それが答えなのです」
『なんだか冷たくありません?』
「優しくして欲しいのでしたら、鹿島さんに優しくして貰えばいいと思いますっ」
『えっ、ちょっと待った、いなづ──《プツッ》』
なんだかやけに早く仕上がってしまい、寝かせるのもなんだなぁと思ったので、短いですが投稿します。
嵐の着けてる下着、上はサラシですよね? 筆者にはそう見えるんですけど、折り目模様のスポブラに見えなくもないし……。ま、この作品ではサラシという事で。
これからはメインストーリーを進める事だけに囚われず、書きたいと思った小ネタは小出しにしていこうかと思います。
あと、クリスマス球磨ちゃん可愛い。めっちゃ可愛い。とにかく可愛い。天使かと思うたわ。
年内の更新はこれが最後になります。
今年一年、拙作をお読み頂き、ありがとうございました。
来年も、どうぞよろしくお願い致します。