ここは、『大赦』に属するとある研究所の一室。
あまり広くないその部屋の中にあるのは、いくつかの機材と乱雑に置かれた研究資料たち。
研究室の中としてはありふれた光景ではあるが、そんな中でもひときわ目を引くものがある。
無数のコードにつながれた黒い機械と、何らかの液体に浸された奇妙な赤い果実。
おそらくこれこそがこの研究室の研究対象なのだろう。
電灯もつけられていない薄暗い部屋の中。唯一の光源となっているPCのモニタの前で、男が一人座っていた。
メッシュの入った長髪を後頭部あたりでまとめたその男は、画面に映し出されるデータを無感情な瞳でじっと眺めていた。
「―――神託は下った。もうじき、『彼ら』は再びやってくる。」
モニタを見つめながら、男がそう呟いた。
誰に言うわけでもない、ただ口からこぼれただけの独り言は部屋の中に反響してそのまま溶けていった。
男のほかには誰もいない部屋の中。返ってくる声など勿論ない。
ただ、果実を浸した液体が返事の代わりに小さくゴボリ、と音を立てた。
「約2年ぶり、といったところだが……やはり今回はまぁ、この子達ということで間違いはないだろうね。」
独り言を続けながら男はカーソルを操作し、一つのファイルを選択する。
やや古ぼけたPCがカリカリと音を立て、しばらくするとパソコンの画面には、少女達の顔写真と何らかのデータが羅列された資料が表示された。
市立讃州中学―――勇者部―――勇者。
「歴史は繰り返すのか、それとも今度こそ覆しえるのか。
そういって、男は今見ていたものと別のファイルを開いた。
先ほどとはフォーマットも大きく異なるそのファイルには、一人の黒髪の少年が映し出されていた。
「―――犬吠埼紘汰君。君は、
男の乾いた笑みが、モニタの光に照らし出される。
その様子を、いつの間にそこにいたのか、不思議な色の鴉が無機質な瞳でじっと見つめていた。
朝。学校へと続くいつもの通学路を、犬吠埼家の3人が自転車を押しながら歩いていた。
3人が暮らすマンションは、学校からはやや遠いが歩いて登校できなくもないという、なんとも微妙な位置にある。
そのため登校用の自転車は用意してあるものの、時間がある時はこうして自転車を押しながら歩きいて登校するのが犬吠埼家の常だった。
「ふぁ、あ~眠い…。」
心地よい朝日に照らされながら、紘汰は今日何度目かわからない欠伸をかみ殺す。
やむにやまれぬ事情があって、本日は少し睡眠不足。
正直言ってこのまま帰って寝たいところだが、学生である以上そうは言っていられない。
「大丈夫?お兄ちゃん。」
「あぁ、このぐらいは平気平気。心配してくれてありがとうな樹。」
樹は本当にいい子だよなぁ…。
心優しい妹に癒されながら、これ以上は心配かけまいと自分で自分の両頬を叩いて意識をはっきりさせる。
紘汰を寝不足に追い込んだ事情というのはまぁ…あれだ。
昨日あの後、家に帰った後もスイッチの入った東郷の勢いは止まらず、怒涛のようなメッセージがようやく落ち着いた頃には既にそれなりの時間だった、という話だ。
東郷三森という少女は、普段は気配り上手で才色兼備の完璧美少女といった感じなのだが、時々こうして暴走することがあるということは勇者部以外には意外と知られていない。
「もー情けないわねー。シャキッとしなさいよシャキッと。あんた朝からそんなんで大丈夫なの?何か忘れものとかしてないでしょうね。」
「大丈夫だって姉ちゃん。来るときにちゃんと…あ。」
「あ、ってまさか…。」
紘汰の顔が、さっと青ざめる。
そういえば今日提出の宿題を、やり切ったまま机の上に置いてきた…ような…。
「悪い二人とも、先行っててくれ!ちょっと取りに行ってくる!」
「はぁ~あ全くもう…ほら、早く行きなさい。遅刻するんじゃないわよ。」
「気を付けてねお兄ちゃん。」
あきれる風と苦笑する樹の声にわかってるよと返しながら、慌てて自転車に飛び乗った紘汰は今来た道を急いで戻っていく。
運動神経に比べ、あまり成績のほうはよろしくない紘汰である。せめて宿題ぐらいはしっかり提出しておかないと、流石に色々とマズいのだ。
幸い、部活の関係で朝にしておきたいことがあると言う風に付き合っていつもより少し早めに出てきたため、このまま急げば遅刻することもないはずだ。
この時間でもちらほらいる同じ学校の生徒たちに怪訝な顔を向けられながら通学路を逆に爆走すると、ほどなく見慣れた建物が姿を現した。
ラストスパートで更に自転車に負荷をかけ、駐輪場前でタイヤ痕が残るほどの急制動。乗り捨てる勢いで自転車を置き、我が家へと向かう。
大急ぎで自室に駆け込むと、机の上には案の定、昨夜何とか(内容はともかくとして)攻略した宿題プリントの姿があった。
それを乱雑に鞄に詰め込み、そこでようやくほっと一息ついてからちらりと時計を確認する。
なんだかんだでいつもよりは少し遅いぐらいの時間だ。今からならば多少急げば十分に間に合うだろう。
戻ってきた時よりも幾分か落ち着いた様子でマンションから出てきた紘汰は、自転車を手で押しながら深いため息を吐き出した。
昨日友奈達の前であんなことを言っていた翌日にこれである。これは先が思いやられるな、と思うと自分自身が少し嫌になる。
だけど誰しもいきなり完全無欠のスーパーマンになどなれはしないのだ。だから結局、今の自分にできることをコツコツと積み上げていくしかない。
目標さえ忘れなければいつかは、きっと。
そんなことを考えながら自転車にまたがり、紘汰が改めて学校へ向かおうとした時だった。
「君、犬吠埼紘汰君だね?犬吠埼風さんの弟の。」
背後から突然かけられた声に、思わず紘汰は飛び上がった。
早鐘を打つ心臓を抑えながら慌てて顔だけで振り向くと、そこには奇妙な雰囲気を纏った男が一人、貼り付けたような薄い笑みを紘汰の方へと向けていた。
後ろで縛った長髪に、よれよれの白衣。こういっちゃなんだが、いかにもマッドサイエンティストといった風貌だ。
なぜかこちらの名前を知っているようだったが、紘汰は勿論見覚えがない。
「そう…だけど…。え~っと…あんたは?」
「いや済まない。突然で驚いただろう?この町の有名人の弟君を見かけてつい、ね。」
「はぁ…。」
警戒をあらわにしながら、曖昧な返事を返す。
平日朝のこの時間に、男子中学生に声をかける研究者風の青年。
正直言って不審者以外の何者でもない以上、紘汰が警戒するのも無理はない。しかも突然名前を呼ばれたのだからなおさらだ。
だが、学校外でも手広く活動している勇者部は地域住民に広く認知されており、その部長である風がちょっとした有名人なのも確かだった。
そういった意味で言えば、面識のないはずの目の前の男がこちらの名前を知っているのも一応おかしくはない。
だが勿論、それだけでこの怪しい男と世間話に興じようと思えるかといえばそれはまた別の話だ。
「あの、俺もう学校行かないと。」
「まぁそういわないでくれ。こうしてあったのも何かの縁だ。助けると思って少し私の話に付き合ってほしい。ほら、人の為になる事をするのが勇者部なんだろう?」
そういわれると紘汰も弱い。
胡散臭さの塊のような男が相手ではあるが、少し話をするぐらいならばまぁ大丈夫のはずだ。
樹ならばともかく、最悪自分ならばどうとでもなるだろうし。
そう判断した紘汰は、またがっていた自転車から降りて男の方に向き直った。
「まぁ、少しだけなら…。」
「ありがとう。流石は勇者部、といったところだね。」
「そういうのはいいから早くしてくれよ。俺だって遅刻は嫌なんだから。」
敬語等は元々得意ではないほうだったが、この男を相手にしていると初対面にもかかわらずどうにも口調が荒くなってしまう。
胡散臭さもさることながら、どうやら人間的な相性もあまりよくないようだ。
とはいえ一度引き受けた案件だ。それに加えて勇者部の名前を出されてしまった以上、無下にすることはできない。
そんな紘汰の葛藤を知ってか知らずか、男は相変わらず胡散臭い薄笑いを浮かべている。
そういった所もまた、やけに紘汰の神経を逆なでしていた。
「それじゃあ早速始めるが…まぁ簡単な心理テストだと思ってくれたまえ。そうだね…君は船に乗っている。定員は決められていて、しかも老朽化のためあちこちがボロボロだ。沈んでいく島の住人を乗せて、新天地を探してあてもなくさまよっている。」
「なんか、ありがちな設定だな。」
「そうだね。まぁとりあえず最後まで聞いてみてくれ。さて、しばらく航行していると、船に穴が開いてしまった。このままでは船は沈んで全員がお陀仏だ。でも、乗っている人の中で数人が荒れ狂う海の中を泳ぎ、修理に行きさえすればみんなは助かる。」
その先はなんとなくわかる。
あまり好きではない状況設定の話に、紘汰の顔もうんざりしてきた。
「君の知り合いが、その修理に行くことになってしまった。当然、帰って来られる保証はない。それどころかかなり絶望的だ。さて、君ならどうする?」
「そんなの決まってるだろ。俺が代わりに行く。」
自分の大事な人が傷つくぐらいなら、自分が何とかする。
紘汰はいつもそう思っていたし、実際にそのように行動してきたつもりだ。
そのぐらいは言うだろうと男もわかっていたのか、何とも感情の読めない笑顔で頷いて続きを口にする。
「なるほど、流石に即答だね。じゃあ条件を追加しよう。それには専門の技術が必要で、君にはそれがない。そんな人物が向かったところで無駄に命を危険にさらすだけだし、君がいかなくてもそれは仕方のないことだろう。誰も責めはしない。」
「それでも俺が行く。必要なことがあるのなら、頑張って身に着ける。」
「そんな時間がなかったとしたら?」
先ほどから次々と条件を追加してくるこの男は、自分に何を答えてほしいのだろうか。
突然現れて、何を話すかと思えば心理テストだと言う。はっきり言って意味がわからないが、ここまで付き合った以上紘汰も意地だった。
「それでも何とかする。どうしてもっていうなら別の方法だって考える。とにかく俺は、そういうのを仕方がないってあきらめたくないんだ。」
「その結果、自分がどうなったとしても?」
いつしか笑みが消えていた男の顔が、何かを確かめるようにじっとこちらを見つめていた。
何を考えているかわからない目の前の男の目に、自分の中身を弄られているようで紘汰はひどく気分が悪くなる。
しかし紘汰は、その気分の悪さをぐっとこらえて目の前の男を睨み返した。
なぜかはわからないが、ここ引いてはいけない。紘汰の中の何かがそう囁いていた。
「俺だって痛いのは嫌だし、怖いものは怖い。でも、そこで簡単に諦めるような自分を、きっと俺は許せない。どんなことがあったって、最後まで絶対にあがいてやる。」
正直、具体的な解決にはなっていないし、はっきり言ってしまえば何もわかっていない子供の回答なのだろう。
でも、それは確かに飾りのない、紘汰の本心から出た言葉だった。
しばらくじっとこちらを見つめていた男だったがやがて何か納得したようで、満足そうに頷くと元の胡散臭い笑みに戻った。
「なるほど、とりあえずは合格だといっておこう。まぁこの先、どうなるかはわからないけどね。」
「合格?いったい何の「そんな君にプレゼントを贈ろう!何、付き合ってくれた礼だと思ってくれたまえ。」…っておわっ!?」
突然男が投げてよこした物体を、慌てながら受け取る紘汰。
受け取ったものに目を落とすと、それは用途のわからない黒い機械と、さらによくわからない中身の見えない真っ黒なケースだった。
怪訝な顔をする紘汰にかまうことなく、男は愉快そうに踵を返す。
散々こちらをひっかき回しておいてもう紘汰に用はないらしい。
「おい、あんたコレなんなんだよ!」
「言ったろう?プレゼントだと。まぁいいから持っておくことだ。―――傍観者になりたくないのであればね。」
傍観者。
その言葉が一体何を意味しているのか。
男はそれ以上何も言わず、ふらふらと適当に手を振りながらどんどん紘汰から離れていく。
腑に落ちないことだらけだが、残念ながらこちらも問い詰めている余裕はない。
ちらりと腕時計を確認したが、怪しい男の相手をしている間に時間は既に紘汰が全力で飛ばしても間に合うかどうかというところまで差し迫っていた。
「あぁ~もう!とりあえず預かっとくからな!」
「あぁ、そうするといい。」
そのやり取りを最後に、紘汰は今度こそその場を後にした。
危なそうなものならば最悪交番にでも届ければいい。そう無理やり自分を納得させながら、紘汰はとにかく全力で自転車を走らせた。
狭い運転席に腰を下したその男は、慌てて去っていく少年の背中を窓からじっと眺めていた。
条件は整った。そして、状況は既に動き出している。
神託による予言は時間という意味合いでは精度に何があるため具体的にいつになるかはわからないが…近いうちに『彼ら』はきっと現れる。
明日か、明後日か。もしかしたら今日かもしれないが、果たしてその時彼は一体どうなるのか。
自嘲するように僅かに笑って、男はエンジンのスイッチをいれた。
「先に待つ結末を超えていくことができるのか。せいぜい見届けさせてもらうとしようか。」
あの後なんとかギリギリで始業ベルに間に合った紘汰は、授業を聞き流しながら机の下で今朝渡された二つのプレゼントとやらをこっそりと観察していた。
といっても黒いケースのほうは完全に密閉されており、中に何かが入っているということぐらいしかわからない。手に収まるにはやや大きいといったサイズのそのケースには驚くことに継ぎ目といったものが一切なく、開けてみようにも取っ掛かりすら文字通り掴めない。
また、もう片方はもう片方で真ん中に何かをはめ込むようなくぼみがあるのと、そのくぼみの横に可動式の日本刀のような装飾があるというだけで、これまた用途は全くもってわからなかった。
(これ、一体何なんだ…?)
どの角度から見てみても、さっぱりと手がかりがない。
これは揶揄われたのか?と、思うもやはりそれだけにしては手が込みすぎているような気がする。
(でも、この形…デカいベルトのバックルみたいな…。)
そう思って何気なく腰のあたりにあててみた瞬間、黒い機械を中心として光がにじみだすように蛍光色のベルトが出現し、紘汰の腰に巻き付いた。
「うぉ!?」
突然の事態に思わず紘汰の口から声が漏れた。
それと同時に浮き上がりかけた腰は何とか抑えたものの、今は授業中である。
静かだった教室内に紘汰の声はことのほか響き、当然のごとく注目を集めてしまった。
クラスメイト達の好奇の視線と、教師のじっとりとした視線がグサグサと紘汰に突き刺さる。
「…なんですか犬吠埼さん?」
「い、いや…何でもないです。すいません…。」
必死に愛想笑いを浮かべながら頭を下げる紘汰と、あきれ顔で短くため息をつく教師。
そのやり取りに少年少女たちが耐えられるわけもなく、当然の如く教室は笑い声に包まれた。
廊下側の席を見ると、友奈と東郷も紘汰を見て少し笑っている。
何とも恥ずかしい気持ちになりながらそれでも腰のあたりを見られるわけにはいかないと、紘汰が焦り始めたとき――――それは突然、始まった。
――――!!――――!!――――!!
教室中に鳴り響く、大音量のアラーム音。
災害警報の様な特徴的な音に、地震か?と、一瞬身構えた紘汰だったが、いつまでたってもそのような揺れは感じない。
だとすれば誤報だろうとは思うが、それにしても先ほどからずっと鳴りっぱなしだ。
少し離れたところで友奈が慌てているのが見えるので、発信源はどうやらそこらしい。
何にしてもこれで皆の注意がそれただろうと、友奈には悪いが少し安心しながら今のうちにこっそり外そうと再び腰の機械に視線を向ける。
しかし、事態はそれどころではなかった。
紘汰が本当の異変に気付いたのは、けたたましく響いていたアラーム音がようやく止んだと思ったその時だった。
(音が、しない?)
違和感を覚えるほどに、あたりは静寂に包まれていた。
いくら授業中だからといっても先ほどまであれほど大きな音が鳴っていたのだ。それ相応のざわつきは、むしろあって然るべきだ。
自分の腰の機械に向けていた視線をふと上げると、前方、教師を含め誰もがぴったりと動きを止めていた。
―――いや、止めているというよりは止まっているのだ。
まるで
「紘汰くん!」
背後から呼びかける声に、紘汰は我に返った。
振り向くと、不安そうな顔をする友奈と東郷の姿が見える。
どうやら二人は止まってはいないようだ。
「これ、なんか変だよ!」
「あぁ、なんだか皆、急に止まっちゃったっていうか。」
恐る恐る周りを見回しながら、出口付近にある東郷の席の周りに3人は集まった。
止まってしまった異様な世界で、自分たちだけがまともに動けている。
どこからどう見ても完全に異常事態だ。
「さっきのアラーム、きっかけはあれか?」
「私の端末からも出てたの。画面には『樹海化警報』って…。」
どういう意味だ?という質問に、東郷と友奈はわからないと首を振った。勿論紘汰だって樹海化なんて言葉は聞いたこともない。
友奈と東郷の視線が不安げに揺れている。二人の手は、お互いを励ますように本人たちも無意識のうちに固く結ばれていた。
それを視界に納めた紘汰は半ば無理やり自らを奮い立たせた。
こういう時にこそ、自分が何とかしなければ。―――どうすればいいのかなんて、わからないままだけとしても。
「とりあえず二人はここにいてくれ、俺は外の様子を見てくる。」
「で、でも…危ないよ紘汰くん。」
「大丈夫だ。姉ちゃんと樹も心配だし…二人を探して、すぐ戻ってくるから。」
そういって教室を出ていこうとした紘汰だったが、ふと思いなおして自分の席に戻り、引き出しにしまってあった例のケースを取り出して学生服のポケットにねじ込んだ。
もしかしたら、あの男はこの状況を見越していたのかもしれない。
何も状況がわからない今、何かの役に立つのかもと思っての行動だった。
教室を抜け、階段に向かって走る。
二人を探すとして、まずは樹が心配だ。
あの気の弱い妹が自分と同じ状況におかれていたとしたら、きっと今頃怯えていることだろう。
今にも泣き出しそうな樹の顔を思い浮かべながら、1年の教室がある階に続く階段を数段飛ばしで駆け上がる。
逸る気持ちを抑えながら階段を登り切って廊下に出たとき、求めていた姿を発見して紘汰はひとまずほっと胸をなでおろした。
教室前の廊下に、案の定怯えた表情を浮かべた樹がいる。そしてその隣には、同じく慌てて駆けこんできた様子の風の姿があった。流石は姉弟、考えることは一緒のようだ。
「姉ちゃん!樹!無事だったか!」
「紘汰!?なんであんたまで…。」
「お兄ちゃん!…お姉ちゃん、これ、何が起こってるの…?」
風が浮かべた表情に、紘汰はほんのわずかに違和感を覚えた。
風の顔に浮かんでいるのは、動揺。勿論それは、こんな状況下で浮かべる表情としては何らおかしなところはないはずだ。
しかし紘汰には、今の風のその表情がこの状況におかれたことに対してではなく、もっと別の―――
だが、そんな違和感が形になる前に風は僅かに目を伏せるとすぐに表情を引き締めてしまった。
そしてそのまま、怖がる樹を落ち着かせるように優しく肩に両手を置くと、風は静かにと口を開く。
「樹、よく聞いて。私たちが
「当たり…?当たりって何?わかんないよお姉ちゃん…。」
「姉ちゃん何か知ってんのか!?皆、いきなり止まっちまって…。」
樹の言葉にも、紘汰の言葉にも風が応えることはない。
主に樹に向けてよくわからない言葉を告げたまま、風はギュッと固く口をつぐんでしまった。
何がなんだかわからない状況の中、わけのわからないことを言う姉に、紘汰と樹は混乱するばかりだった。
ただ、黙ってしまった風は、二人が時々見る思い詰めたような、何かを堪えてような、そんな表情を浮かべていた。
何なんだ一体…。
そう独り言ちながら、紘汰はゆるゆると頭を振った。
周りは依然として時間が止まってしまったようで、謎は募るばかり。
何かを知っているらしい風も今は何も言ってくれそうにない。
…何はともあれ、まずは皆で合流しないと。
もやもやとした感情を振り切るように、紘汰は強引に頭を切り替えることにした。
そして、教室に残してきた二人を呼びに行くために顔を上げて―――
「なん…なんだよ…あれは…!!」
窓の外、海の上に異様な光景が広がっている。
星空のような空間が空を侵食し、さらにそこから極彩色の光があふれ出している。
それは濁流のように広がって、みるみるうちに町の全てを覆いつくしていく。
「友奈、東郷…っ!ダメだ間に合わねぇ!姉ちゃん、樹!!」
「お兄ちゃん!お姉ちゃん!」
二人を置いてきたことを後悔する間もなく、光は紘汰たちの元へと迫りくる。
せめて自分の家族だけでもと、紘汰は盾になるような位置から風と樹をしっかりと抱きしめた。
そして次の瞬間―――世界は完全に、光の中へと飲み込まれた。
※2021年5月25日 修正