合宿を終え我が家への帰還を果たした犬吠埼家の三人は、ダイニングのテーブルで早めの夕食を取っていた。
メニューはシンプルなかけうどん。贅沢で肥えた舌を通常モードに戻さないとね、とは用意してくれた風の言葉だが、紘汰と樹はむしろ待ってましたといわんばかりに夢中になって慣れ親しんだその味に舌鼓を打っていた。
「あ~、やっぱ姉ちゃんのうどんはいいなぁ。旅館の飯もうまかったけど、毎日食うならやっぱ俺はこっちだな。」
“うん、私もそう思う。”
「ま、またそんなこと言って……ま、でもこうやってうどん食べてると、ようやく帰ってきた~って感じがするわよね。」
照れて若干頬が赤い風が零したそんな言葉に、下の二人はうんうんと頷いた。
豪華な旅館の食事も大変すばらしかったが、やはりこの地域に生まれ育ったものとしてうどんは何物にも代えられないソウルフードなのである。
「あ、そうそう。それより明日から早速、文化祭に向けて動き出すから二人ともそのつもりでね。…合宿って言いながら劇をやるってことしか決まらなかったから、流石にそろそろ切り替えないと…紘汰、いつも以上に色々お願いね。人形じゃない劇ってなると道具とかも大掛かりになると思うし。」
「おう。力仕事なら俺に任せとけ。」
そういって自信満々に胸を叩く紘汰に、すぐ調子に乗るんだから…と風はあきれ顔だ。
そんな二人の様子を苦笑しながら見ていた樹は、ふと思い立つとスケッチブックにすらすら文字をかきこんだ。
“お兄ちゃんは、出演しないの?”
「あー。俺はそういうのはいいや。ステージは慣れてないわけじゃないんだけど、演技ってなるとちょっとな…。」
「なんで?別に出てもいいのよ?あんたの特技を生かしてミュージカルとかアクションにするってのも面白いかもしれないしね。」
「い、いいってそういうのは。そっちはいつも通り姉ちゃんたちに任せるよ。その代わり力仕事は頑張るから、そっちは何でも言ってくれ。」
「ふーん。ま、確かに初出演でいきなり華やかなベテラン主演女優である私と同じ舞台に立つワケだし、あんたが気後れしちゃうのもしょうがないかもね~。」
“主演はいつも友奈さんじゃ…?”
「ぐっ…なかなか痛いとこつくわね樹…っと。」
そんな感じで三人が談笑を続けていた時、突然風の携帯端末から着信を知らせる音が鳴り響いた。
ちょっとごめんねと端末を取り出し、画面を確認した風はそこに表示されている文章を確認する。
「あらら。ちょっと行ってこなくちゃ。二人とも、そのまま食べててね。」
「…姉ちゃん。俺も行く。」
「紘汰、あんたは…ううん、いいわ。それじゃ樹。悪いけど食べ終わったら片付けお願いね。」
“うん。行ってらっしゃい。”
見送る樹に手を振りながら、風は玄関へと向かっていった。
そんな風の後に続いて紘汰が歩き出そうとした時、背後から腕を掴まれた。驚いて顔を向けた紘汰の目に映ったのは、じっとこちらを見つめる樹の姿。
何かを訴えかけるような樹にフッと微笑むと、紘汰は優しく樹の頭に手を置いて、きっと同じ心配をしているだろう妹を安心させるようにこう言った。
「あぁ、わかってるよ樹。こっちは任せとけ。お前は留守番頼んだぞ。」
紘汰からのその言葉を聞いた樹は少し微笑んで掴んでいた腕から手を放す。
紘汰も樹も、画面を見た瞬間風の表情が強張ったのを、見逃してはいなかったのだ。
妹からのお願いを聞き届け、もう一度任せておけとばかりにドンと胸を叩いた紘汰は、今度こそ風を追いかけてマンションの玄関から出ていった。
目的地までの道のりを、紘汰と風は二人で歩いていく。
いくら日の長い夏とはいえ、この時間になればいい加減日も沈みかけ、町は徐々に薄暗くなり始めていた。
樹から離れ、一緒にいるのが紘汰だけだということでもう取り繕う必要もなくなったと判断したのか、僅かばかり前を歩く風の表情は硬い。
そんな風の様子に確信を深めた紘汰だったが、あえて何も言うことはせず黙ってその後ろをついていく。
そして遂に目的地である学校にたどり着き、勇者部部室へ続く廊下を歩いているとき、紘汰はようやく口を開いた。
「なぁ姉ちゃん。さっきの…大赦からだったんだろ?」
「…はぁ。やっぱり気づかれてるわよね。全く、いつからそんなに勘がよくなったのかしら…。そうよ、その通り。内容は…もうすぐわかるわ。」
紘汰の言葉に一瞬びくりと肩が動いた風だったが、その後すぐにため息と共に肩を落とし、諦めたような口調でそう告げた。
残念がっているような、それでいて肩の荷が下りたようなその仕草からは、大赦からの連絡がいかに風に…そして自分たち全員にとって重い内容なのかという事が見て取れる。
それきり何も言わなくなった姉に従い紘汰もそれ以上は何も聞かず、再び二人黙って部室へと歩き始めた。
しばらく歩くと、見慣れた看板と共に部室の扉が見えてきた。
普段は皆との思い出を共有する自分たちにとってとても大事な場所のはずなのに、逢魔が時特有の色に染め上げられたその扉は、誰の声もしない校舎の雰囲気と相まって何か異界の入り口のようにも思えた。
扉の前に立った風が息を呑む音が聞こえてくる。
そしてその一拍後、意を決したように風がその扉をあけ放った。
「あれは…?」
扉を開けたまま動かない風の脇をすり抜けて、紘汰が部室の中へと入っていく。
部室の中心、その床の上には大赦の紋が刻印されたアタッシュケースが二つ、綺麗にそろえて並べてあった。
強烈な嫌な予感に苛まれながらフラフラとケースに近づいた紘汰が、片方のケースに手をかける。
開いたそこには、あの日、検査が終わった後の病室で皆が返却したはずの勇者アプリがインストールされた携帯端末が五つ、丁寧に収められていた。
そして紘汰は震える指でもう一つのケースに手をかける。
開いたそこにあったのは―――
「―――戦極、ドライバー。」
戦いはまだ、終わってはいなかった。
「バーテックスに生き残りがいて、戦いは延長戦に突入した。だからみんなに、それが返ってきた。簡単にまとめるとそんなとこよ。」
事の重大性から、あの後すぐに残りのメンバーがこの部室へと召集された。
風からの説明を聞く皆の表情は一様に硬い。終わったはずの戦いを、もう一度しなくてはならなくなったのだ。その反応も当然だろう。
「…ホントいつもいつも、急でごめん。」
「先輩もさっき知ったんですから、仕方ないですよ。」
「東郷さんの言う通りです先輩!また一緒に頑張りましょう!」
暗い表情で頭を下げる風に、東郷と友奈がフォローを入れる。
驚いたしショックを受けているのも事実だったが、それは風だってきっと同じだろう。
そのことで風を責める気など全くもってありはしない。
「ま、そいつを倒せば今度こそ終わりでしょ?私たちはバーテックス七体の一斉攻撃だって乗り越えたんだから、今更生き残りの一体や二体、どーってことないわよ。」
“勇者部五箇条 なせば大抵何とかなる!”
自身にあふれた夏凜の言葉に、樹も大きく頷きながら力強い文字で五箇条の一つが書かれたスケッチブックを広げていた。
そんな二人の瞳にはやる気と闘志があふれている。
見渡せば、他の皆も同じような目を風に向けていた。
「そうだぜ姉ちゃん。俺たちだってあの戦いで強くなってんだ。さっさと終わらせて、早いとこ文化祭の準備をしないとな!」
「紘汰…皆…ありがとう。」
頼もしい皆の言葉を受け、ようやく風が顔をあげる。
一つ大きくうなずくと、部室を出て目の前の窓を開けた。
強い風が、風と、そしてその後ろに控える勇者部皆の間を吹き抜ける。
それにひるむことなく同じ方向を見つめて立つ皆のその姿は、まさしく勇者と呼ぶに相応しかった。
「よーっしバーテックス!くるならいつでも来なさい!勇者部六人がお相手だぁーーー!!!」
「と、張り切っては見たものの…。」
「来ませんねバーテックス。」
すっかり気が抜けてしまったといった風情で友奈が零した独り言のような言葉を、東郷が引き継いだ。
いつもの喧噪を取り戻した学校、勇者部に与えられた家庭科準備室ではいつも通り部員達が顔をそろえているが、そんな友奈の態度をとがめるようなものは誰もいない。
むしろここにいる誰もが皆、似たような心持だった。
あれからあっという間に時が立ち、二学期も始まったというのに件のバーテックスの残党とやらが現れる気配は一向にない。
いくらこちらがやる気を出していようとも、あちらから来なければどうすることもできない。諦めて他のことに没頭できればいいのだが、何をするにもどうにも頭の隅でそのことが引っかかり、それも難しいような状況だ。
友奈をはじめ勇者部のメンバーたちは、あの日からずっとそんな悶々とした日々を過ごしていた。
「ま、こればっかりはねぇ。」
「こっちから仕掛けられればいいんだけどね。………ところでアンタ達。」
机に突っ伏したまま溶け出しそうな友奈の姿に苦笑しながら言った風の言葉。それに追従した夏凜の声が途中から低くなる。
その変調に気づいた他の面々がどうしたんだろうと夏凜に視線を向けた。
夏凜は目を瞑りながら何かに耐えるようにこめかみあたりをヒクつかせ、そして………
「精霊の管理ぐらい、しっかりしろって言ってんでしょーーーが!!!」
廊下にも響くのではないかという大音量で咆哮した。
いや、実際に響いていたようで、偶然部室の前を通りかかった生徒たちが一瞬何事かとビクついたが、部室の表示をみた途端に“なんだ勇者部か”と、何事もなかったようにそのまま通り過ぎていった。
この部活。活動内容は素晴らしいものだし、実際色んな人がいろんな場面でお世話になっているため学校中からも一目置かれているのだが、それと同時にちょっと変わった人たちが集まるちょっと変わった部活だとも認知されているのである。
さて一方、怒鳴られた当事者である他の部員達はといえば、突然の大声にしばらく耳を塞いでいたものの、その声が収まると同時にごまかすように曖昧に笑って夏凜から目をそらした。
そんな彼女達の周囲には、バリエーション豊かな小さな生き物たちが思い思いに浮かんでおり、いつも賑やかな室内をいつもより一層賑やかなものへと変えていた。
これまでも度々部室で精霊が顔を出すことはあったが今回はなぜか総出である。しかも大赦から勇者システムが返却され、その際に友奈、東郷、樹の三人に精霊が一体ずつ追加されたため、室内はちょっとした百鬼夜行の様相を呈していた。
「ご、ごめんね夏凜ちゃん。牛鬼も『火車』も、二人ともいたずらっ子だから、すぐに勝手に出てきちゃうんだ。その点、東郷さんとこはすごいよね!なんだかビシッ!っとしてるっていうか…。」
好奇心に従って自由に動き回る牛鬼と、同じく他の精霊たちへちょっかいをかけようとしている新たな精霊『火車』を何とかしようと手をわたわたと動かしながら、友奈は東郷へと目を向ける。
東郷の頭の上には、彼女に元からついていた青坊主、刑部狸、不知火、それと新顔の『川蛍』が横並びに整列していた。
「友奈ちゃんが優しいから、腕白なのよ…『川蛍』。少し乱れてるわよ。総員、改めて気を付け!」
東郷の号令に慌てて列を作りなおした四体の前をふよふよと通り過ぎていったのは、樹の木霊と『雲外鏡』だ。
“私の精霊たちも勝手に出てきちゃいました…。”
「大赦が新たな精霊を使えるよう、端末をアップデートしてくれたのはいいけど…これじゃ紘汰は大変ね。」
「で、そのコータは…アレ、一体何なワケ…?」
夏凜が胡乱気な視線を向けた先、そこには大きな青いポリバケツが鎮座していた。
決して広くはない部室の中。時々小さく揺れるそれは、正直言って違和感が凄まじい。
いや、何が入っているのかはもちろんわかってはいるのだが…
「紘汰君専用の緊急避難所…ってことみたい。本人が言うにはだけど。」
「紘汰くん、あんまり精霊たちと打ち解けられてないから…精霊が増えたって聞いて、念のために用意したんだって。」
“お兄ちゃん、動物型の精霊には一通り噛まれてるので…。”
「冗談みたいだけど、早速役に立ってるのが悲しいわよねぇ…。」
「いや、まぁそれなら仕方無い…の?ていうかコータ。その中結構苦しいんじゃない?大丈夫なの?」
流石に不憫に思い、夏凜が憐みの視線を向けながら中の紘汰に気遣いの言葉をかける。
なるべく気づかれないように息を殺していたポリバケツだったが、その声に反応してガタガタと動き始めた。
中からくぐもった紘汰の声が聞こえてきているが、蓋を揺らしながら声を発するその姿はさながらポリバケツのモンスターだった。
『確かにちょっときついけど結構大丈夫だ!俺はこのままじっとしてるから、ほとぼり冷めたら呼んでくれ!』
「あの、コータちょっと言いにくいんだけど…。」
『なんだ!?』
「いや…囲まれてるわよアンタ。」
『え?』
牛鬼が火車が犬神が…部室内に姿を現していた全ての精霊が不審なポリバケツを取り囲んでいる。
静かにしているうちは思惑通りごまかせていたが、先ほどの声とガタガタ音のせいでどうやら興味を持たれてしまったようだ。
こうなってしまうとむしろ、逃げ場がない分状況は最悪だ。
見えない外側から感じる謎の威圧感に、中の紘汰の額には冷や汗が流れ始めていた。
そして…
『お?うぉおおおおおお!!??』
精霊たちが、四方八方からポリバケツを揺らし始めた。
倒れるか倒れないかぎりぎりのところでぐわんぐわんと揺らされて、中の紘汰もシェイクされる。
「ああ!ダメだよ牛鬼!火車も!」
「コラ!犬神戻りなさい!」
「総員帰還!帰還命令よ従いなさい!」
「~~~~~!!」
「アレ?義輝アンタいつの間に!?」
「はぁ…ようやっと端末に戻ったわね…。」
「ご、ごめんね紘汰くん。あの子たちにはよぉ~く行っておくから…。」
「私からもごめんなさい。帰ったら再訓練ね…。」
「まさか義輝まであんなこと…コータ、アンタ精霊が嫌がる成分とかが体から出てんじゃないの…?」
“お兄ちゃん、大丈夫?”
「あ、あぁなんとか……。」
あれから数分後、それぞれがそれぞれの精霊を何とか端末に押し込み、ようやく部室は落ち着きを取り戻していた。
外側から揺らされてすっかり目を回してしまった紘汰は、樹に支えながら椅子に座り込んでいる。
「…とにかく、流石にこれからはちょっと気を付けるということで…お願いね皆。」
「「「“はい…”」」」
皆で大いに反省し、部長が締めて一区切り。
椅子に座って項垂れる紘汰を取り囲み、皆で色々と世話を焼き始めた。
そんな様子を視界に収めながら、東郷は少し離れたところで一人思考に耽っていた。
左耳にそっと触れる。
あの戦いの後から今までずっと、音が聞こえる様子はない。
(私の耳、友奈ちゃんの味覚、樹ちゃんの声…。精霊が増えたのも三人。そしてあの時満開を使ったのもこの三人…。)
視界の先では元気を取り戻した紘汰が急に動き出し、そしてやっぱりふらついて樹と夏凜に慌てて支えられていた。
そんな姿に苦笑して、そしてまたすぐに真剣な表情に戻る。
(すべてのきっかけはあの戦いから…これは偶然?いや、それは―――)
「東郷さん?」
「え?」
思考の中に埋没していた東郷の意識を引き上げたのは友奈の声だった。
全く気付いていなかったがいつの間にか近くに来ていたらしく、友奈はポカンとしている東郷の顔を見上げるような形で不思議そうに見つめていた。
「ごめんね友奈ちゃん。ちょっとぼーっとしてたみたい。それで、なんの話だったかしら?」
「あのね、バーテックスが次いつ来るのかなって。夏凜ちゃんの勘だと来週ぐらいじゃないかって事みたいなんだけど。」
「なんにしても来るならさっさと来てほしいよな。こっちも色々あるんだしさ。」
「実は敵の襲来は気のせい!!…ってのが一番いいんだけどねぇ。ほら、あの諸葛孔明だって負け戦はあるのよ。弘法も筆の誤りって言葉もあるでしょ?神樹様だって予知のミスぐらい―――」
その時だった。
五人の携帯端末から、もはや聞きなれてしまった警告音が鳴り響いた。
風がすぐさま手に持っていた端末の画面を確認すると、そこにはやはり『樹海化警報』の文字が表示されていた。
「噂をすれば…ってやつかな…。」
「風が変なこと言うから…。」
「えぇ!?私のせい!?あんただって勘外してんじゃない!」
友奈が困ったような顔で呟いて、夏凜がジト目で風を見る。
ちょっと自分でもそう思ってしまった風は、慌てた様子で言い繕った。
「なんにせよ、これで最後だ!皆、きっちり片付けて今度こそ終わりにしようぜ!」
「上等!サクッと殲滅してやるわ!!」
最後の戦いを前にして、紘汰と夏凜が気炎を上げる。
そんな二人の様子に落ち着きを取り戻した他の部員達も、顔を見合わせながら大きく頷いた。
そして樹海は瞬く間に世界を覆いつくし―――およそ二か月ぶりとなる戦いが遂に始まった。
新フォーム、ポリバケツアームズ(生身)
次回は戦闘回、そして…
今年中にもう一話ぐらいあげれたらいいなぁ