咲き誇る花々、掴み取る果実   作:MUL

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第40話

端末から、今までとは比べ物にならないほどの激しい警告音が鳴り響いた。

誰も彼もを置き去りにしたまま、未曾有の危機に反応した神樹によって日常の世界は一瞬の間に樹海(非日常)へと塗り替えられる。

 

世界ごと入れ替わったかのように姿を変えるいつもの光景の中、しかし前後で変わらないものがある。

それは言うまでもなく、紘汰と東郷、二人によって作られた窪みを上から塗りつぶすようにあけられた大穴と―――モノ言わず横たわる紘汰の体。

 

大きく空いた穴の覗く深淵の闇の中に、数えきれないほどの白い点が見える。

真っ黒な空間に現れたソレは、ともすればまるで夜空に浮かぶ『星屑』のようで、しかしそんなものとは根本から異なるものだ。

 

この星屑は、人の願いを砕くもの。

神樹が守る箱庭の外、そこに無数に存在する天の遣い。

人類の天敵、バーテックスをかたち作る無尽の細胞組織たち。

星屑たちは加速度的に数を増やしながら、今まさに樹海の内部へとなだれ込もうとしていた。

 

「紘汰、君………。―――お前…たちが……っ!!よくも!!よくもっっっ!!!!!」

 

穴の中から現れた醜悪なバケモノ達の姿に、東郷の頭の中は一瞬にして赤熱化した。

すごい男の子だった。

いつも困っている人に寄り添って、共に悩み、最後には気づけば一緒に笑っている男の子。

多くの人を励まし、勇気を与え、もう駄目だと暗がりでうずくまる人にも光を与えてくれる男の子。

頑固で、一人で暴走してしまったどうしようもない私を救ってくれた人。

そして私の大切な、大切な友だち。

それを―――あいつらは!!!!!

 

「あああああああああああああああああああ!!!!――――っ!?」

 

跳ね起きようとした体に抵抗を感じ、東郷は動きを止めた。

激情にかられて完全に失念していた。今、東郷の体の上にはあの衝撃から東郷を庇ってくれた友奈がいるのだ。

 

見上げる先の友奈は、先ほどから何も言葉を発していない。

迫りくる星屑たちも目に入らず、その目はただ一点、仰向けに横たわる紘汰の姿だけを映していた。

彼の血で赤く染まった友奈の手は、彼の元へと伸ばされようとして失敗したような半端な位置で揺れている。

何かを言おうとして、しかしそれは言葉になる事はなく、青白く染まった唇からは時折小さな呻き声だけが漏れていた。

 

そしてもう一つ、一目でわかる明らかな変化があった。

友奈が身に纏っているのは桜色の衣服。しかしそれは先ほどまでの()()()()()()()

友奈の姿は今、昼間見た私服へと戻ってしまっていた。

勇者システムを起動させるのに必要なものは『戦う意思』。

システムが起動していないということはつまり、今の友奈からそれが無くなってしまっているということだ。

 

急速に冷えた東郷の頭の中であらゆる情報が駆け巡った。

大穴、友奈、紘汰へと東郷の視線が目まぐるしく動く。

敵が押し寄せてくるまで、もう時間は無い。

今の友奈は戦えない。おそらく、身を護る事すらできないだろう。

そして、紘汰はきっと―――

 

何かを求めるようにもう一度、紘汰の方に目を向けた。

東郷を救ってくれた彼からは当然のように、視線も声も返ってくることはない。

噛み締めた唇の端から、つぅっと赤い雫がこぼれ落ちた。

身の内からあふれ出す悔恨は尽きることはなく、内側から東郷を焼き焦がす。

しかし、今の東郷に立ち止まっている時間などは存在しない。

後悔よりも懺悔よりも、今この瞬間にやらなくてはいけないことがある。

一瞬の逡巡、そして東郷は

 

「友奈ちゃん!!」

 

友奈を抱きかかえ、後退を選択した。

 

「東郷さん…!?こ、紘汰くんがまだ…!」

 

「ごめんなさい友奈ちゃん!でも今は!!」

 

その直後、大穴から星屑たちが溢れ出した。

醜悪な白い洪水は、あっという間に先ほどまでいた場所を覆いつくしていく。

後一瞬、東郷の判断が遅ければ二人とも確実にあの流れの中に呑み込まれていたはずだ。

二人はひとまず助かった。しかし、置き去りのままの紘汰の姿はもう見えなくなっていた。

 

「紘汰くん!紘汰くん!!」

 

肩越しから友奈の悲痛な声が聞こえてくる。

それをあえて無視しながら、東郷は樹海の中を駆けた。

そして少し離れた樹木の影に身を隠し、そこでようやく抱えていた友奈を下ろす。

地面に下ろされた友奈は立ち上がることもできずに力なく座り込み、ただただ涙を流し続けていた。

 

「東郷…さん…!紘汰くんが……紘汰くんが……!」

 

「―――友奈ちゃんは、ここにいて。」

 

「え…?」

 

「大丈夫。私に任せて。」

 

「そんな!それじゃあ東郷さんが―――!!」

 

「大丈夫。」

 

友奈が伸ばした手をするりと躱し、東郷は立ち上がった。

そのまま『敵』の方へと少し、歩き出して足を止める。

体は前に向けたまま、顔だけで振り返った東郷は涙を流す親友に向かって優しい微笑みを向けていた。

その顔があまりにも綺麗で、友奈は一瞬、言葉をなくしてしまう。

 

「大丈夫。紘汰君が、諦めるなって言ってくれたから…だから私はもう諦めない。友奈ちゃんは………紘汰君が守りたかったものは全部、私が守って見せるから。だから友奈ちゃんは安心して、ここで待っててね。」

 

「東郷さ―――」

 

友奈の言葉を待たず、東郷は飛び去った。

眼下に広がる数多の敵はまさに雲霞の如く。蚕の繭に口だけを持つ顔がついたようなその姿は、見るものに否応なく嫌悪感をもたらす。

個人が相手にするにはあまりにも無謀といえるその物量差に向かっていく東郷の顔にはしかし、絶望の色は浮かんでいない。

 

東郷の腕の中に狙撃銃が現れる。それと同時に顔の横には青坊主が姿を現した。

相も変わらず無機質なその瞳からは、この精霊が何を考えているかなど少しも伝わってはこない。だが。少し前までは恐怖さえ感じていたその姿を見ても、今の東郷の心は揺らがなかった。

 

何のためにいるのか。何を考えているのかなんてもう関係ない。

あなた達が勇者に力を授けるモノだというのなら、今はただ、力を尽くしなさい。

そうすれば私が、全ての敵を悉く打ち倒して見せましょう。

 

ごめん、ごめんなさい。こんなこと、いくら言っても足りないけれど。

私はもう、大丈夫だから。

前を向く勇気を私はあなたにもらったから。諦めない理由をあなたが気づかせてくれたから。

だから―――

 

照準器から覗く視界が少しぼやけた。

強く目を瞑ってから、ゆっくりと開く。

熱い雫が一筋頬を伝い、ぼやけた視界がクリアになる。

その瞬間息を止め、東郷は落下地点へ向けて先制の弾丸を打ち込んだ。

着弾点で爆発が巻き起こり、星屑が複数纏めて塵になる。

白の濁流の中、こじ開けたその空間に東郷は迷わず飛び込んだ。

 

長銃が二丁の短銃へと切り替わり、刑部狸が姿を見せる。

それと同時に東郷の左右に二門、浮遊するユニットが現れた。

花の蕾のようにも見えるそれは、川蛍の力が宿る遠隔移動砲台だ。

 

初撃の煙が晴れた時、東郷の目に映ったのはこちらに向けられた無数の口、口、口。

怖気の走るようなその光景を真正面から受け止めながら、東郷は怯むことなく自らの敵を強く睨みつけた。

 

「敵軍、確認。―――これより殲滅を開始する!!」

 

四つの銃口が火を噴いて、戦いの火蓋は切って落とされた。

 

 

 

 

「離しなさい…離して!!」

 

「ダメよ風!!落ち着きなさい!!」

 

爆発が起こった直後、目に映った光景を受け止めきれずに茫然としていた風は、紘汰の姿が押し寄せる星屑の群れの中に消えていった瞬間に半狂乱となって暴れ出した。

なりふり構わず紘汰の所へと向かおうとする風を、正面から夏凜が、背後からは樹が必死に押しとどめていた。

 

涙を流しながら言葉にならない叫び声をあげる風の姿に、抑えつける夏凜の胸に痛みが走る。

夏凜とて、先ほどの光景は未だに受け止めきれてはいない。ぐちゃぐちゃになった心のまま、しかし、今の風をあの敵の濁流の中へ飛び込ませるわけにはいかないと風を拘束する腕に力を込める。

 

「だって、痛そうじゃない…可哀そうじゃない…。あんなのが刺さって…あんなに……血が………紘汰…紘汰ぁ!ああ、あああ、ああああああああああああ!!!!!」

 

「ダメ!!そんな状態で行ったらアンタまで!!」

 

「うるさい!私の事なんてどうだって―――!!どう、だって………。」

 

風の体から突然力が抜け、そのまま膝から崩れ落ちた。

倒れそうになった体を咄嗟に樹が支えたが、風はもう自力で立てるような状態ではなかった。持ち直しかけていた風の心はもう完全に砕けてしまっていた。

 

「私が…私ならよかったのに………なんで…なんでよぉ…。なんで紘汰なのよ……なんで樹なのよ……二人とも………何も悪いことなんてしてないじゃない………。そんなに、そんなに犠牲が欲しいなら…!目でも声でも命でも、全部私から持っていきなさいよ!!!!」

 

「――――っ!!」

 

「ごめんね紘汰…ごめんね樹…ごめん、ごめんなさい……お父さん、お母、さん……。私は…私は………。」

 

風の目は、焦点を結んでいなかった。今の風の目には姉の体を懸命に支えながら声の出ない体で必死に何かを訴えようとしている樹の姿さえ入っていない。

地面に両手を付けたまま消え入りそうな声で懺悔の言葉を零し続けている。

何か言わなきゃと思っているのに、肝心な言葉が何も出てこない。こんな時ですら何もしてあげられない自分に対する悔しさともどかしさで夏凛は奥歯を噛み締めた。

 

そんな夏凜の背後から断続的な爆発音が聞こえてきた。振り返った先、押し寄せる星屑たちを塞き止めるように乱舞する青い光が目に入る。遂に戦端が開かれたのだ。

 

(東郷が一人で戦っている…友奈は…?ともかく私も行かなきゃ…でも―――)

 

逡巡し、夏凜が視線を戻したとき、その視線が樹の視線とぶつかった。

こちらを見つめる樹は顔面蒼白で、体は小さく震えている。目尻には涙だって浮かんでいるのにそれでも、その目にだけは強い光が宿っていた。

そんな樹が何を訴えているのか、夏凜にははっきりと理解することができた。

気弱な小動物のような子だと思っていたのに―――本当に、強い子だ。

 

「そう、アンタは信じてるのね。アイツの事。」

 

「―――――。」

 

夏凜の言葉に樹が頷いた。

樹は希望を信じている。ならば自分も信じよう。そしてそのためにできることがまだ私にもある。

 

「私は東郷の援護に行く。絶対に、このまま終わりになんてさせるもんですか。だからここはアンタに任せるわ…風の事、お願いね樹。」

 

もう一度大きく頷いた樹に頷き返し、夏凜は強く地面を蹴りつけた。

 

 

 

 

樹海を駆ける夏凜の視界の先、一人奮戦する東郷の姿が見えた。

派手に暴れることで星屑たちの注意を一点に集め、凄まじい正確さで敵を撃ち抜いていくその姿は、最強を自負する夏凜でさえ舌を巻くほどだ。

 

その後ろ姿を見て負けていられないと両手の得物を握りなおした夏凜だったが、その時視界の端に捉えたものの存在に急がせていた足を緩めた。

同じように東郷を見つめるあの姿は―――

 

「友奈!!」

 

夏凜が進路を曲げ、友奈の元へとたどり着いた時、友奈は悲壮感を浮かべながら自分のスマホの画面を何度も何度も押し続けていた。

勇者服が解除された友奈の姿、そして彼女の様子から夏凜はおおよその事情を把握した。変身すらできなくなるほどに友奈の心が追い詰められているのだということを。

 

「夏凜ちゃん!私…どうしよう私!東郷さんを助けに行かなきゃいけないのに…変身できないの!なんで…なんで…!?」

 

友奈がもつスマホの画面には警告メッセージが浮かび、敵襲来のものとは別の警報が鳴り続けていた。

今の友奈ではいくらやったところで勇者システムは起動させられない。そう判断した夏凜は友奈の両手首を掴み、その行為を物理的にやめさせた。

 

「落ち着きなさい友奈!!」

 

「あ…夏凜…ちゃん………。」

 

夏凜の両目に真正面から見つめられた友奈は、その目から逃げるように視線をわずかに彷徨わせた後、両手から力を抜いた。

 

「…私、約束してたのに…。紘汰くんがピンチになったら絶対に助けるって………約束…して、たのに………。」

 

友奈がこれまで戦ってこれたのは…頑張ってこれたのは全部、守りたいものがあったからだ。

世界を背負って戦う覚悟なんて持っていなかった。ただ、大好きな皆と過ごす日常を守りたかっただけ。

普通の女の子だった友奈は、怖いのも痛いのも人並みに嫌いなのに、それでもそれを乗り越える勇気でもって戦ってきた。

どんな不安があったとしても皆と一緒ならばきっと最後には乗り越えられると、そう信じていたから。

だからそれが失われてしまったその瞬間、友奈の勇気は、その心は、いとも容易く折れてしまった。

 

まただ。

友奈の独白を聞きながら、夏凜はもう何度目かもわからない胸の痛みを感じながらそう思った。

泣いている誰かに何もしてあげられないことが、こんなにも苦しいなんて。

他の誰かが苦しんでいる姿を見たくないだなんて、そんな風に感じる日が来るとは思わなかった。

でも今の夏凜にはその痛みさえも大切だった。

 

変わらないと思っていた。

変わりそうな自分が怖かった。

そして今はこんなにも―――変わりたいと願っている。

 

何をしてあげればいいかわからないだなんて、いつまでも言ってはいられない。

本当に、心から誰かを助けてあげたいと思うのならば、今ここで変わらなければ。

泣いている友奈を座らせて、その両肩に手を置いた。

夏凜の目をぼんやりと見返している友奈に向かって、夏凜は静かに語り掛ける。

 

「知ってる?樹はね、まだ諦めてなんかないのよ。」

 

「え…?」

 

「コータが帰ってくることを、樹はまだ信じてる。だから私も信じてみることにしたの。まだ、何も終わってない。最後の最後の最後まで、本当にすべてが終わってしまうその時まで、私も絶対諦めない。いつも諦めなかったアイツの姿、短い間だけどずっと見てきたから。それとね―――」

 

肩から手を放し、今度は友奈の手を両手で包み込んだ。冷たかった友奈の手に、夏凜の手の暖かさが広がっていく。

 

「私はね、友奈のことも信じてる。友奈の強さと、勇気を信じてる。友奈が自分のことを信じられなくなったとしても、私が友奈のことを信じていてあげるから……だから友奈も、もう一度信じてあげて。」

 

「で、でも私は…っ!」

 

友奈の頭の中には、先ほどの光景と暖かい血の感触がまだ鮮烈に残っていた。

自分たちを庇ってあんなことになった紘汰の姿を思い出すだけで体が震えるのを止められない。

友奈にはまだ時間が必要だ。それは夏凜にもわかっている。

そんな友奈に今の自分がしてあげられることは―――

 

「しっかり泣いて、そしたらもう一度前を向くの。大丈夫よ友奈。アンタが泣ける時間ぐらい、私がちゃんと稼いであげるから。大赦の勇者なんかじゃなく、勇者部の部員として―――アンタの、友だちとして。」

 

 

 

 

友奈を残し、一息に戦闘エリアに飛び込める高台へと移動した夏凜は眼前に広がる光景を静かに見つめていた。

無数の星屑たちが押し寄せる穴の奥、とうとう()()が姿を表そうとしている。

星屑たちを相手に獅子奮迅の活躍を見せる東郷も、流石にやつらが参戦すれば厳しいだろう。

つまりそれは、ここが夏凜にとっての一番の魅せ場だということだ。

 

胸から込み上げてくる今までに感じたことの無いような熱を感じながら、夏凜は一つ深呼吸をした。

背負うものの重さと暖かさが、夏凜の背中を押してくれている。

かつての自分では到底味わうことのできなかったであろうその感覚に、夏凜の顔には笑みが浮かんでいた。

前には敵。そして背後には守るべき仲間たち。目標はシンプルで、実にわかりやすい。

 

スマホを取り出し、アルバムに保存されている一枚の写真を表示した。

画面の中には大勢の子供たちと、そして勇者部の仲間たちに囲まれた自分の姿が映っている。あまりにもぎこちない自分の表情に、夏凜は小さく苦笑を漏らした。

次に一番近い誕生日の人は誰だろうか。色々驚かされた分、今度は仕返しをしてやらなくては。

 

だから絶対に、こんなところでは終わらせない。

遂に現れたかつて倒したはずのバーテックス達を睨みつけ、夏凜は大きく息を吸い込んだ。

 

「さぁさぁさぁ!!遠からんものは音に聞け!!近くば寄って、目にも見よ!!これが讃州中学二年勇者部所属、三好夏凜の実力だ!!!」

 




何も手につかぬ日が続き、また長いこと空いてしまいました。
感想の方も返信遅くなってしまい…本当にすみませでした。

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