故に、始点と終点を以て完結する。
魔術とは、我々が世界の法則へと語りかけるための方法でしかない。
それ以上でも、それ以下でもない。』
――魔術卿ディーナ・ゲイルディア
『魔術論文・第一項』より
風が草原を揺らす。
サワサワと草が鳴り、シャリィ・オーべは目を細める。
見渡す限りの草原には似つかわしくない赤の衣服。婦女子の腰には似つかわしくない細身の剣。
ディーナ・ゲイルディアは何度か右手を確かめるように指を動かす。
「問題ないか?」
「ええ。勿論」
短いやり取り。人間でしかないディーナがエルフであるリヨースと相対する。
あの時とは変わらず、あの時と同じように。
自身の母であり、エルフの長であるエフィに確約された勝利を得た愛弟子。そして敗北を喫したリヨース。
シャリィは溜め息を吐き出して、二人の間に立つ。
「既に言いましたが、命に関わる魔法及び魔術の使用は禁じます」
「ああ。ヒューマンが防御できる程度にしてやる」
「ええ。エルフに防げる程度にして差し上げますわ」
シャリィは今一度、深く溜め息を吐き出した。
この二人が本気で戦った時、自分は抑えられる筈もない。
魔力量はリヨースと比べて劣り、手段の多さはディーナに劣る。
それでも、二人を止めなくてはならない。
「……では、始めてください」
一言、言い残しシャリィは二人の間から離れて、少し距離をおく。
その間も二人は視線を交わすだけで、動きはない。
「リヨース。先手は譲ってさしあげますわ。あの時は譲っていただいたもの」
「それは光栄だな、ディーナ・ゲイルディア。反撃をしてもいいんだぞ」
「あら。私を跪かせることも出来ないと?」
「死ぬからな」
お互いに淡々と言葉が吐き出される。
その間にも、リヨースは自身の魔力を練り込む。あの時のシャリィには視ることすら出来なかった魔力のうねりが、正しく視ることができる。
エルフによる圧倒的な魔力が練り込まれ、リヨースは言霊を発する。
「”ラミーナ・ヴェントス”ッ!」
不可視の風の刃がディーナへと向かう。
風を巻き込み、草原が舞う。
ディーナはその刃を正しく視つめ。右手を前へと出して、指を弾く。
木製である指が音を響かせて、魔力が奔る。
風の刃はディーナへと当たり、赤の衣服をはためかせた。
「……器用な真似をする」
「シャリィ先生も同じ事ができますわ」
「あの時は完璧に打ち消した筈だが?」
「貴女のように多い魔力は持っていませんわ」
攻撃性のみを判断し、魔力式を書き換えた。
僅かな魔力があれば可能である。けれど、それは正しく魔法を視ていなければ出来ない芸当だ。
一度シャリィがディーナの目の前でした行為ではある。たった一度で方法を解析し、自身のものにしてみせた。
「では後手を譲ってやろう、ディーナ・ゲイルディア」
「では──」
ディーナの右手が緩やかにリヨースへと向けられる。
二の腕の半ばから義腕となった腕に魔力が奔り、指が二度弾かれる。
一つは中空から振られる空気の鎚。
もう一つはリヨースの顔を覆う薄い空気の膜。
あの時は見えなかったディーナの魔術がシャリィの瞳にはハッキリと理解ができる。
リヨースは腰に提げた剣を抜き、剣先は勢いよく空へと弧を描く。
「──ハァッ!」
張り上げた声によって顔を覆っていた空気の膜が破裂した。
ディーナは思わず眉を寄せて、顔を歪める。
「力技ですわね」
「ふんっ。器用な真似などしなくてもいいからな!」
「魔力量にものを言わせた解決には感服しますわ」
剣に伝わる魔力も、声とともに出した魔力も、ディーナの全魔力と比べても遜色ない。
それを放ちながらも、リヨースは涼しい顔でいる。
エルフと人間の差。どれほど技術を磨いても届かない差。
「あの時なら、これで終わってましたのに」
「あの時なら、あれで終わっていただろう」
お互いに言葉を吐いて、リヨースは声を出して、ディーナは口元を歪めて笑う。
これは一種の儀式でしかない。
二人にしてみれば戦闘とも呼べないものなのだろう。
故に、シャリィは息を飲み込む。
「では、始めましょうか」
「ああ」
ディーナは左腰に提げた剣を左手で抜き、順手に持ち替えて構える。右足を一歩下げ、右手を隠し、確かめるように指を軽く鳴らした。
対してリヨースは両手で剣を握り、顔の横で構える。鋒は真っ直ぐにディーナへと向けられている。
息をすることすら許されない緊張がシャリィを襲う。
もしも、ディーナを相手にするのならば、長期戦を狙うべきである。
それはシャリィ自身が思うディーナの弱みであり、事実である。
大量の魔力があるエルフであるならば、ディーナの魔力を削り切ることなど容易い。
それはシャリィが思う最も効果的な戦術である。
強い風が吹き、草が舞い上がる。
エルフが駆けた。
弾き出されたように、鋭い一歩が地面を蹴り飛ばす。
甲高い剣戟の音が響く。
「風の障壁はどうしたッ!」
「貴女が破ったのでしょうッ!」
込められた魔力によって、ディーナが作った障壁は容易く破られ、剣同士が激しく擦り合う。
ディーナは顔を歪めながら、リヨースの力を流し、身体を回す。
高い音が、リヨースの口から奏でられた。
笛のように、短くも高く、そして
同時にディーナは舌打ちをして、右手を弾く。
二人の間に突風が吹き抜けて、さらに剣戟の音が響く。
「逃がしはしないぞッ!」
「口笛で魔法なんて、器用な真似をしますわね!」
「お前たちの小難しい文章を読んで、魔法を検めたからなッ!」
エルフの魔法。人間の扱う想像魔法ではなく、言葉によって世界に語りかける魔法。
けれど、それは正しくない。
言葉など、音でしかない。意味があればいい。
意味さえあれば、魔力を正しく通せば、魔法は発現する。
「それに安心しろ、ディーナ! 私はお前の得意な方法でお前を打ち負かすッ!」
「ッ!」
高い口笛が鳴る度に、ディーナの指が鳴らされる。
同時にリヨースの剣はディーナを追い詰めていく。
短期決戦。
ディーナにとって最も都合のいい戦い。
魔力切れになる前に勝負を決める。ただ、それも強大な魔力相手ではジリ貧となるだろう。
風の障壁も、魔法の打ち消しも、何もかもが後手であり、反撃を許さない猛攻にて封殺する。
リヨースはそれができる程の魔力と実力を持っている。
「まだお前の全力ではないだろうッ!」
ディーナを剣と障壁ごと大きく弾き、リヨースは剣を向ける。
リヨースの言葉には誤りがある。ディーナは少なからず全力を出している筈だ。ただ、長期戦を考えて温存をしてしている。
少ない魔力を補う為の技術。
ディーナにとって魔術とはそうである。
シャリィはそれをよく知っている。長く見続けてきた。
弾き飛ばされたディーナは大きく息を吐き出して、右手を空へと向ける。
「──なら、殺して差し上げますわ」
ディーナの中で練り上げられた魔力が右腕を奔り、指が弾かれる。
魔力が術式を介して、意味を持ち、空へと伝わる。
シャリィの肌にヒヤリとした空気が触れた。
一瞬。ほんの一瞬。
リヨースのいる天頂から巨大な光の剣が地面へと突き刺さった。
地面に広がる冷気。舞う氷晶が光を反射させる。
強大な魔力を用いたディーナにとっての奥義。
ディーナの保有する全ての魔力を込めたであろう魔術。
舞い上がった氷晶と肌に凍りついた汗をディーナは軽く払って、剣を構える。
「生きているのでしょう?」
「当たり前だろう」
暴風が凍りついた草原を吹き飛ばす。
暴風の中心に立つリヨースは大きく息を吐き出し、僅かに凍りついた右腕を剣とともに軽く振るう。
あれで生きている。
シャリィにとっては正しく両者共に化け物である。
そして、ディーナはこれで魔力が尽きたであろう。
或いはまた無茶をしているのだろう。
動き出す両者を見ながらシャリィはこの勝負の決着を見据える。
二人を止めるのは自分の役目となってしまった。
だから、目を離さない。
限界が近いであろうディーナが倒れる前に。
リヨースの口笛が短く鳴り、ディーナが指の弾く音が聞こえる。
剣同士が激しくぶつかり、高い音が響き続ける。
風切り音が激しく耳を揺らす。
はたと、気付く。
おかしい。
あれだけの魔力をディーナが使える筈がない。
世界の魔力を自身に通した素振りもない。
ただ純粋に、魔力を扱っていた。
そうであるのに、ディーナは魔力切れの様子もない。
上手く魔力を使った。否である。
どれほど効率を極めてもあれだけの魔術を扱うのならば相応の魔力が必要である。
ディーナの魔力が増えた。否である。
魔力量など増えたとしても膨大な量は増えない。
ならば、なぜ。
リヨースの猛攻を捌き続けるディーナ。
剣戟の音が遠くなる。
リヨースが風の刃を顕現し、ディーナが打ち消す。
風切り音すら小さくなる。
リヨースの口笛も。
ディーナが指を鳴らす音も。
シャリィはディーナを視る。
見続けた筈の愛弟子を視る。
魔術卿と名を冠した愛しい人を視る。
彼女の右手に灯る、それへと集中する。
他の事柄など、聞こえもしない。視る意味もない。
それは、輪であった。
ディーナの右手に浮かぶ、輪。
魔法式が描かれた、輪。
始点と終点が結ばれ、循環し続ける。
一重。
二重。
幾重にも重なり続ける。
循環し、増殖し、増幅し、輪は珠へと成りながら、膨大な魔力を生成し続ける。
「なんだ……それは……!」
「ただの一を二とするだけの魔術を循環させ続けているだけですわ」
たったそれだけの魔術。
まるでこともなげにディーナはその魔術を口にする。
その魔術がどれほど危険なものか、シャリィはすぐに理解できてしまう。
完結せず、循環し続け、増え続ける。
ディーナの言葉を思い出す。
自分が見えている魔術の先。それこそがこれである。
応用性。危険性。
愛弟子が辿り着いた、魔術の先。
けれど、これを魔術だとはディーナ自身も言わないだろう。
魔術の枠組みの外として作り出された理論。
「さて、リヨース。安心して全力を出してもいいわ。今度は貴女の得意な方法で戦ってあげますわ」
「ッ、ハハハ! いいぞッ! 面白い!」
リヨースの口笛が鳴る。
一度。
二度。
三度。
短い口笛の数だけ風の刃が生成され、ディーナへと迫る。
一つならば打ち消せばいい。
二つならば避ければいい。
三つであるなら障壁で防げるだろう。
それ以上であるなら今までのディーナでは回避することも防ぐこともできない。
できなかった。
ディーナの右手が伸ばされる。
右眼に魔力が灯り、極彩色へと変化する。
指が弾かれる。
一つ。風の刃が消失する。
二つ。風の刃が霧散する。
三つ。四つ。
足を動かすこともなく、ディーナは全てを打ち消した。
リヨースの目が見開かれる。
風の刃が次々と霧散していく。
一つの刃を消す度に、ディーナの右手に灯り続ける珠が明滅する。
シャリィから見ても、ディーナの扱っている魔力は減っている。
同時に、減った魔力以上に増え続ける。
「そういうことか」
リヨースは笑う。笑うしかない。
目の前の人間は魔力という領域において、エルフに比肩する。
それが嬉しくて堪らない。
あの時は不意打ち気味で終わった勝負。
対等だとも思わなかった。
自身の慢心が招いた結果。敗北を受け入れはした。
けれど、納得できる勝負ではなかった。
「まだ増やせるのだな」
「ええ」
ディーナは口元だけで笑う。
あの時は限られた手段で不意打ちするしかなかった。
対等などとは口が裂けても言えない。
相手の油断をついた結果。勝利とも思えない。
けれど、今は違う。
「ですから、遠慮の必要ありませんわ」
ようやく、条件付きではあるがエルフへと並ぶことができた。
ようやく、目の前のリヨースに認めてもらえた。
ようやく、お互いの本気で勝負ができる。
二人は口角を上げる。
互いに納得できる、本気の戦い。
改めて、二人は構える。
先に一歩目を踏み出したのはディーナである。
流麗に、舞踏会へ向かう婦女子の如く。軽やかな一歩。
四度、指が弾かれる。
リヨースの左右、背後、頭頂に顕現した風の鎚。
最初よりも多くの魔力を込められた魔術。
回避など許さない。防御を強いる攻撃。
回避する気などない。
リヨースが口笛を吹き、左右、背後へと風の刃が形成され、鎚とぶつかる。
間に合わない頭頂から振り下ろされた鎚は剣によって防がれる。
「近接戦闘も、得意でしょう?」
正面に歩み寄るディーナは剣を振るう。
リヨースの右肩から左腰までを剣閃が抜け、リヨースの衣服が僅かに斬られた。
僅かに後ろに下がるだけ。ただそれだけ。完璧にディーナの剣閃は見切られていた。
指が弾かれ、風が舞い上がる。凍った草が僅かに鳴る。
風に押し出され、ディーナの剣は同じ剣閃を、次は下からなぞる。
「チッ! 小狡い真似をッ!」
半歩だけさらに踏み込まれていた。
魔術も、最初の剣閃すらこの攻撃の為だけの虚実。
あらゆる手段を以てして、ディーナはリヨースの選択肢を削っていく。
その選択しかとれない状況に陥れる。
それが出来るだけの魔力が、今のディーナにはある。
退くリヨースに追従するようにディーナも足を進め、剣を振るう。
そのどれもが人体の急所を的確に狙い続けている。
指が弾かれる度に口笛が鳴る。
剣戟の音が、魔法と魔術による突風が、草原を揺らす。
防ぎ難い攻撃。
あらゆる方向から振られる風の鎚。
強制的に行動を指定され続けている。
それはリヨースにはわかっている。
同時に、ディーナが攻撃の中で時折見せる隙がある事も。
餌。罠。虚実。
リヨースの頭に言葉が過ぎる。
けれど、それがどうした。
罠だろうが、食い破ればいい。
油断でも、慢心でもなく。
矜持であり、自信。
リヨースは隙へと正しく攻撃をする。
鋭い突き。自身の全力の突き。
魔力を込め、風で押し出し、突破する為の攻撃。
鈍く、手に伝わる感触。
鋒はディーナの肉体に触れることすらなく、中空で留まっている。
「分厚いなッ!」
「当然ですわ。割ける余裕ができましたもの」
「なら、これならどうだッ!」
鋒へとさらに魔力を集中させて、風の障壁を貫く。
貫けた。
鋒はディーナへと迫るが、止まる。
「一枚だけではありませんわ」
「ッ!」
咄嗟に剣を手放して大きく引く。
瞬間に宙に浮いていた剣が真っ二つに破壊された。
もしもあの場に留まっていたならば。リヨースはその時の自分を想像して笑う。
「ハハハッ! 魔力が多くとも、やる事は変わらないなッ!」
「私は私ですもの」
「そうか! そうだなッ! だが、私も私だッ」
暴風がリヨースを中心に吹き荒れ、リヨースは暴風を握り込む。
暴風が塵を舞い上げ、草を巻き込み、大槍へと形を成していく。
「それが貴女の全力かしら?」
「ああッ! が、お前ならば防ぐだろうッ!」
「なら、貴女の手段で相対しますわ」
「感謝するッ! ディーナ・ゲイルディア!」
ディーナは右手の指を鳴らし、珠から膨大な魔力を通して魔術を顕現する。
膨大な魔力を緻密に操作し続け、圧縮し続け、鋭く、より鋭利に。
弦を引き絞るように、右腕を引き、向ける先へと視線を動かさない。
リヨースが大きく振りかぶり、暴風の大槍を投擲する。
地面を抉りながら、大槍は真っ直ぐにディーナへと進む。
同時にディーナの右手が開かれた。
放たれた圧縮された風の矢は耳鳴りにも似た音を鳴らし、リヨースへと疾走った。
「これを見せたかったのですか?」
「はい。シャリィ先生には見てもらわねばならなかったので」
「まったく貴女は……」
シャリィは溜め息を吐き出しながら頭を抱える。
どうして自分に魔術の教鞭を取れと言ってきたのかがよく分かる。
「ディーナはアレをどうするおつもりで?」
「広めるつもりはありませんわ。魔術論文にも、細工はしていますし」
「……結構結構」
だからこそ、ディーナは『魔術は線である』と定義した。
輪へと辿り着かない為に。誰もこれに気付かせない為に。
「ただ、私が辿り着けた事ではありますので、誰かも辿り着くでしょう」
「……それを導けと?」
「シャリーティアに任せますわ」
「……はぁ。貴女のそういう所は嫌いです」
真名で呼ばれて頼られて断る間柄ではない。
それに、珍しくディーナが自分を頼ってきているのも嬉しく思う。
それはそれとして、断れないようにしてくるのは嫌いではあるけれど。
「……私的な物にも書かないおつもりで?」
「シャリーティアは視たでしょう? それだけで十分ですわ」
「……非常に悩ましいことです」
あんなものを忘れろという方が無理である。
だからこそディーナは見せたのだろうけど。
心配性のこの娘だからこそ、こうして自分に見せてくれたのだろう。
自分でどうにかするという方法ではなく、私を頼ってくれたことは嬉しい変化である。
同時に未来の魔術師たちの導くことを託されてしまったことは業腹でもある。
けれど、良しとしよう。
愛しい人の珍しいお願いなのだから。
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
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騎士ディーナ様
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シャリィ先生
-
エフィさん