悪役令嬢は百合したい   作:猫毛布

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105.悪役令嬢は従いたい!

 他者を愛する。

 それはディーナ・ゲイルディアにとっては当然のことである。

 博愛主義というには歪で、偏愛というには平等で。

 ただ単純に、善き人としての当然である。

 故にディーナ・ゲイルディアは他者を愛する。

 

 特別な存在はいる。

 それこそ、自身の従者であるアマリナやヘリオ。

 師でもあるシャリィ・オーべ。

 名を奪ったシエナとその友人であるレイ。

 王女であり、未来を見せると誓ったスピカ・シルベスタ。

 自身を公の場で振ったリゲル・シルベスタも。

 他よりも特別であることをディーナは否定をしない。

 他者と特別を比べれば、当然として特別を選ぶだろう。

 それはディーナ・ゲイルディアとしての当然であり、利他的な思想が行き着く先でもあった。

 あらゆる理由を考えて。あらゆる論理を用いて。あらゆる道理を以てして。

 

 だからこそ、ディーナはこれらを愛とは呼ばない。呼びはしない。

 他者を信じることも、頼ることも、愛することも。自分というものを確立できなかったディーナにはできないことであった。

 できない筈であった。

 

「ただ貴方はここにいる」

 お互いに本当の名前も、本来の立場も知らない。エルタと名乗った女から、ディンと名乗った自分に言われた言葉。

 その言葉はディーナにとっては特別となった。

 地位も何もない自身に向かって言われた存在証明。

 それはディーナ・ゲイルディアではなく、自身に向かって言われた言葉でしかない。

 自分への先入観もなく、自分からの先入観もなく。

 ただ自身に向けられて。

 

「……」

 

 グビリと酒精を煽る。

 生温い酒精が舌に苦味を広げる。

 ディーナ・ゲイルディアとして飲んでいる物よりもずっと安く、ずっと苦い酒。

 男装をして、ディンと名乗っている時に好んで飲む酒。

 

 そんな安酒を呷りながら、理屈を捏ねる。

 エルタという女性を自分は欲している。

 誰でもない自分として、エルタという存在が必要だと思っている。

 正体も何もわからない女を欲している。

 能力も何もわからない人を欲している。

 酒場の喧騒を耳にしながら、ディンは小さく溜め息を吐き出す。

 

 なぜ欲している? 

 答えはない。

 頭は回る。それこそ打てば響く会話もできる。

 所作も綺麗だ。どういった学びをしたかはわからない。

 自分の側にいてほしい。

 無理矢理に理屈を捏ねようとして、感情が邪魔をして、酒を呷る。

 店主に追加で一杯を注文しながら、今一度息を吐き出して、懐に入った木製の指輪を弄ぶ。

 

 感情的だと、ディンは自戒する。

 どうにも正しい理由というのを探しても出ない。

 客観的で、自分が介在しない答えを模索する。

 

 アマリナやヘリオはディーナ・ゲイルディアとして欲した。

 シャリィ・オーべは師として欲した。

 シエナは能力を以てして、レイはシエナを欲したが故に。

 切っ掛けはどうであれ、今のディーナにとって特別であることは、否定しない。

 

 切っ掛けすら存在しないエルタを欲している理由は何か。

 ディンにはわからない。

 けれど、欲していることは事実である。

 間違いなく、事実である。

 ディーナとして欲しているわけではない。

 誰でもない自分として欲している。

 

 届けられたエールを受け取りながら、ディンは今一度息を吐き出す。

 

「物憂げね」

 

 背中から声を掛けられ、隣に座った女性へとディンは視線を向ける。

 白髪の女性。女性にしては低めの声。所作も変わらず。悩みの種が隣に座る。

 

「どうにも悩みが尽きなくてね」

「どうせ重要な事ではないでしょ」

「失礼だな。どれを頼むかは重要な悩みだろう」

 

 呆れたように笑うエルタを見ながらディンは話を逸らす。

 君で悩んでいる、とはディンは口にしない。

 この空間を好んでいるから、壊すことはしたくない。

 あの時、頬に受けた接吻の意味が好意であればいいとも思う。単なる慰めや同情かもしれない。

 そうであっても、彼女との関係を変化させたくはない。

 

 エールを注文しているエルタを眺めながら、ディンは小さく息を吐き出す。

 どうしようもなく、彼女が欲しい。

 けれど、この関係を崩したくはない。

 あの時の接吻の意味は何だったのか。

 

 隣にいるエルタは何者ですらない自分には必要だ。

 

「どうかしたかしら?」

「君に見惚れていたのさ。酒の肴にもなる」

「世辞にしては酷いわね」

「酒飲みの戯言だよ」

 

 ケラケラと笑ってディンは本心を見せない。

 臆病だと自分を唾棄する。ディーナ・ゲイルディアであるなら、真っ直ぐに欲しいと言えるのに。

 ディンは内心で苦笑する。

 今の自分もディーナ・ゲイルディアである自分も、両方ともが自分であるというのに。

 

 届いたエールを一口飲んでから、エルタは口を開く。

 

「……今日はお別れを言いに来たの」

 

 ディンの時間が止まった。

 酒場の喧騒は聞こえている。それすらも遠く感じてしまうほど、ディンの思考が停止した。

 一秒、二秒。停止したディンが改めて動き出す前にエルタが言葉を続ける。

 

「親が私の婚約を、決めたの」

 

 伏せられた瞳。白い髪が揺れる。

 エルタにとっては確定していた事である。そうである筈だった。

 だから、ここまでディンへと好意を向けるつもりはなかった。なかった筈だった。

 それでも、エルタはディンへと意識を向けてしまった。

 

「――それは、おめでとう」

 

 自然と出てしまった表面上の言葉。

 ディンの感情とは真逆の言葉が、ディンの口から吐き出されてしまった。

 知りもしない立場。親に決められた事。婚姻という家の取り決め。

 

 ディンは否定する。

 いま抱いている感情は、エルタにとって重荷になる。

 

 エルタは否定する。

 いまも抱いている感情は、ディンにとって枷になる。

 

「だから、これっきり」

 

 エールを一杯。

 たった一杯だけ飲み干して、エルタは立ち上がる。

 語り合った仲である。想い合った仲である。

 だから、これ以上はお互いの為にはならない。

 

 踵を返し、酒場から出ていくエルタをディンは見ない。

 頭の中で、理解してしまっている。

 エルタはディンを想って、捨てた。

 ディンもエルタを想い、言わなかった。

 

 勝手な思い違いをしてはならない。

 親の決めた婚姻に対して、何かを思っていると勘違いしてはならない。

 それはディンが想像するエルタの想いでしかない。

 ディン自身が嬉しいと思ってしまう想像でしかない。

 

 ディンは懐から銅貨を幾つか置いて、立ち上がる。

 店主に会計を置いている事を伝え、足早に店から出た。

 左右を見渡し、右手の指を弾き、誰かわからない、地位も何もわからない女を追いかける。

 それが正しい行為ではない事をディンは自覚している。

 それが間違った行為である事をディンは認識している。

 

 理性では無い部分が身体を動かす。

 それが下卑た性欲なのか、それとも本能なのか、自分の本質であるのか。

 そんな理解など、不必要であった。

 彼女を手放すことなどできない。

 エルタへの感情に蓋をすることはできない。

 エルタにとって迷惑になろうと、重荷になろうと。

 

 人通りの少ない路地を歩く白い髪の女性の腕を掴む。

 驚いたようにディンへと向いた瞳が僅かに潤んでいる。

 

「行くな」

 

 掴んだ手に少しだけ力が入る。

 手放したくない感情が、身体を動かす。

 理屈でも、理性にもない言葉がディンの口から吐き出された。

 ディン自身も、内心では驚いている。

 自分がこのような行動に出たことは間違っている。そう判断できる筈なのに。

 それでも。

 この好意はきっと間違ってなどいないことを、ディンは理解してしまった。

 

「どうして、止めるの?」

「俺には君が必要だからだ」

 

 だから手放したくない。

 自分にとって必要である。たったそれだけの理由でしかない。

 

 真っ直ぐにディンはエルタを見つめる。

 深い青の瞳が自分を見ている。

 軽口をよく吐き出す口から、彼の言葉が紡がれる。

 その言葉が本心であることは、理解できる。理解できてしまう。

 

 エルタには立場がある。

 王族であるアルタイルとしての立場が。

 国にとって都合のいい存在である立場が。

 それらを捨てて、彼と結ばれれば、どれほど幸せかもわかる。

 それらを捨てて、彼と結ばれれば、何に追われ、何を負わされ、どうなるかなど想像に容易いこともわかってしまう。

 

「嬉しい、けど……無理よ」

「無理でもなんでもいい。君が側にいるなら」

「親が決めたことよ」

「そんなもの無視すればいい。君はどうしたい? エルタ」

「私は……」

「俺は君を選ぶ。君が選んでくれるなら、君が悩む全てを解決しよう。俺の全てを使って」

「……無理よ。貴族を相手にするようなものよ」

「構わない。俺は君が欲しい」

 

 純粋な願いがディンの口から紡がれる。

 エルタはこの男の本質を理解してしまっている。

 誰かもわからない。立場もわからない。そんな誰でもない彼をエルタは知っている。

 だから、彼は心から自分を求めている。貴族を相手にしても。自分が背負っている悩みを解決しようとしてくれている。

 全て、本心なのだ。

 

 だから、だからこそ。エルタは言葉を吐き出さなくてはならない。

 彼の気持ちに答えなければならない。

 貴族は相手にできるかもしれない。

 普通の親なら無視もできるだろう。

 

「……っ、ぁ」

 

 意味もない音が口から出ていく。

 言葉にすらならない音が、漏れ出る。

 彼のことが好きだ。支えてあげたい。一緒に過ごしたい。

 彼となら苦難があっても笑い合えるかもしれない。

 彼と幸せになりたい。

 彼を幸せにしてあげたい。

 

 だから、エルタは奥歯を噛み締め、感情ではなく言葉を吐き出す。

 

「…………ごめん、なさい」

 

 王は無視できない。

 それは自分の役割としても。彼を縛ってはいけない。

 国は相手にできない。

 彼の言葉に答えなければいけない。

 

 何もない女であったなら。

 エルタ(自由)であったなら。

 彼の手を取れた。

 

 けれど、ディンからは見えない役割がそれを否定する。

 そんなものが許されるわけがない。

 既に決まっていた婚姻を反故になどできない。

 親である王もそれを許しはしない。

 決まっている婚姻相手もそれを許さない性格をしている。

 

 エルタの腕を掴んでいた左手から力が抜ける。

 落胆か、諦めなのか。ディンの顔を直視できないエルタには確かめる事もできない。

 

「……そうか。そうか……」

 

 短く、ディンはそう呟いた。

 エルタの感情はわからない。けれど、自分よりも立場を選択された。

 それを否定することはディンはしない。

 

 エルタが涙を流そうと。

 この選択がエルタ自身にとって辛いものであっても。

 その選択をせざるを得ない覚悟がエルタにはあった。

 そう、想っていたい。

 

「……わかった。けれど、君との出会いとして。君に指輪を渡してもいいかい?」

 

 懐に入れていた木製の指輪を手に取る。

 エルタはようやくディンの顔を見て、指輪を見る。

 出会いの印としての贈り物。二人の関係が記憶だけではない証。

 ディンの右手に摘まれた木製の指輪。表面に規律のある模様が刻まれた簡素な指輪。

 

「受け取ってくれるか?」

「……ええ」

「それは嬉しい。特に深い意味はないけれど、左手の薬指に嵌めてくれ」

 

 エルタは眉を寄せる。意味のない要求であった。それが何の意味を持つかもエルタにはわからない。

 けれど、彼の願いを反故にするつもりもない。

 お互いに、これで最後なのだから。

 もう、会うことも出来ないかもしれない。

 

「不出来な祈りだけれど、君が幸福であることを願うよ」

「……」

 

 エルタは言葉を返せなかった。

 掴んでいた左手が離れ、二人を繋ぐものはこの指輪しかなくなった。

 指輪を左手の薬指に嵌めて、手ごと包む。

 

 このままここにいては、感情が、本心が口から溢れてしまいそうになる。

 必死に飲み込んで、苦しくなって、呼吸すら上手くできているかわからない。

 

 エルタはディンへと頭を下げて、顔を向ける出来ずに踵を返して、足を進めた。

 追いかけてくる足音はない。

 振り返って確かめることもできない。

 飲み込んだ筈の感情が瞳から溢れる。

 

 自分が振ったのに。

 自分が切り捨てたのに。

 自分よりもディンの方が辛い筈なのに。

 止め処なく流れる感情を拭って、嗚咽を飲み込んで、呼吸を整える。

 呼吸は整わず、嗚咽は漏れ出て、感情も拭いきれずに流れていく。

 

 それでも、エルタは選んでしまった。

 選ばざるを得なかった。

 理性はそれを肯定する。仕方なかったと、言い訳まで準備してくる。

 感情はそれを否定する。今からでも彼の胸に飛び込めと命令してくる。

 

 奥歯を噛み締めて、エルタは感情を押し殺す。

 何度もしてきた行為である筈なのに、今はできない。

 

 アルタイルとしての自分も。

 エルタとしての自分も。

 どちらも自分である筈なのに。

 

次挿絵のキャラは誰がいい?

  • リヨース
  • 騎士ディーナ様
  • シャリィ先生
  • エフィさん
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