休み中に溜まっていた書類は思ったよりも早く完了した。
完了してしまったと言い換えてもいい。
仕事中や研究中であるなら、他の事を考えなくてもいい。考える暇を自分に与えなければいいのだから。
終わってしまった書類達が事務方に持っていかれていくのを見送りながら、アマリナに淹れてもらった紅茶を一口飲む。
濃い紅茶は舌に渋味を広げて、熱をもった液体が喉を通り抜ける。
あれから何度か酒場に行って、安酒を飲んでいたけれど、エルタは姿を現さなかった。
当然といえば当然ではあるけれど、少しだけ願ってしまっていたことは叶わなかった。
わかった事といえば、エルタと一緒に飲んでいた時にこちらを伺っていた監視は残っていた事である。
エルタではなく、俺を監視していたのかもしれない。
あちらからのアクションもなかったし、帰路につく俺を尾行していたけれど、わざわざディンがディーナ・ゲイルディアである事をバラす必要性もないから撒いた。
彼らから得られた情報はそれだけであるし、わざわざ俺から接触する意味もなかっただろう。
誤算があった。
俺がエルタに告白したことも俺にとっては誤算であった。
どうしてあんな行動をしたのかは、俺にも理解ができない。しかし、選択したことに後悔はない。
振られたことは心にきたけれど。
それはエルタの選択だから否定することもしない。悲しさは俺の感情でしかない。
俺よりも立場を選んだ。
事実としてはそれだけでしかない。
まあ、それは納得せざるを得ない。辛いけれど。
エルタの立場がどうであれ、貴族が相手ならばやりようはいくらでもある。
それがエルタの為とは思わないし、俺がそうしたいからしているだけだ。
エルタを求める心に嘘はない。
どの貴族がエルタを求めたのか。エルタの立場がどうなっているのか。
俺を選んで欲しい。それだけの欲求であるし、そうせざるを得ない状況にすればいい。
それがどれだけ強引な手段であろうが。悪名や汚名を被ろうが、今更である。
誤算はもう一つある。
渡した指輪だ。
アレには魔法式を刻み込んでいる。俺が魔力反応を追うための魔術である。
エルタの足跡を追う為の物であった。
俺程度の魔力でも起動できるようにしていた筈なのに起動した痕跡すら無い。
エルタが指輪をしてくれていないか、それともエルタ自身の魔力が俺よりも少ないかのどちらかである。
俺としては後者の方が嬉しい。けれど、俺自身の希望でしかない。
前者であるなら……。あまり考えたくはない。
「……ディーナ。手紙」
開いていた窓から入ってきたクロジンデが珍しく気配を殺すこともなく姿を現す。
クロジンデから受け取った便箋には何も書かれていない。蝋封はあるが、家紋も何もない。
クロジンデに渡して俺に届くことを知るような人物は一人しかいない。けれど、俺を直接呼び寄せるのでもなく、クロジンデを遣わせた。
つまり、頭を悩ませる内容であることが確定した。
便箋を開けば、無記入の白い紙があった。
一枚だけしか入っていない白紙。隅々まで見ても、墨の一滴も付着していない。
「……内容は?」
「知らない」
「……はぁ」
思わずわかりやすく溜め息を吐き出してしまう。
陛下さァ! 俺がクロジンデとの繋がりを知ってるからって、内容も書かずに渡すのはなんでだよ!
呼び出すにしても直接じゃなくて、非公的で来いってことなんだろうけどさァ! もっとわかりやすく呼んでもらえます!?
「よく来たな。ディーナ嬢」
「呼ばれれば参上致しますわ」
王城には魔法議会の仕事として登城したことにして。陛下の執務室へは誰の目にもつかないように来た。
人の目などどこにあるかもわからないし、人の口は塞げないから、どこまでが伝わるかはわからないけど。
「そう不機嫌そうな顔をするなよ」
「事前に内容ぐらいはお教えいただいてもよかったと思いますが?」
「ディーナ嬢なら白紙でも来るだろう」
「事前に、という話をしております」
「まあ許せ。他者に伝わるのを極力避けた結果だ」
クロジンデが誰かに伝えるだとか、クロジンデから便箋が奪われてしまった時の保険か。
納得はできる。今から伝えられる内容が面倒な物であることも理解できた。
わかりやすく溜め息を吐き出して、座っている陛下の対面に座る。
「それで、内容はお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「以前に言っていたが、お前の婚約相手に関してだ」
「……」
……。頭が痛くなってきた。
そういえばそんなこと言ってたな……。
それにしても今なのか。俺の都合でしかないけど、タイミングが悪い。
陛下は意図していないだろうけど。
「……なるほど。お断りすることは?」
「できると思っているのか?」
「冗談ですわ」
冗談ではない。
陛下が決めたことであるから、俺が断れる権利はない。
陛下が俺に魔術卿とかいう肩書きと地位を与えたのはこれの為か。
「それでお相手は?」
「……アルタイルを知っているか?」
「……身体が弱く、療養しているとしか。お姿を見たこともありませんわ」
「表向きはそうなっているな」
表向き、ということは事実は違うのだろう。
深く聞けば、聞いた責任も負わされそうだから追及はやめておく。
記憶の中にあるアルタイル殿下の噂話や情報を並べながら、断れる要素を探す。無理であった。
しかし、王族との婚約、婚姻か。
リゲルの時は陛下とお父様の画策だったけど、今は陛下の考えで行なっている事だろう。
アルタイル殿下が顔を合わせてもいない俺に好意を抱いているとは思えないし。世間的な評価でディーナ・ゲイルディアに好意を抱きはしない筈だ。
つまりは──。
「国家への首輪ですか」
「お前の忠信は疑いはしないが、形として裏切れない地位に優秀なディーナ嬢を置くのは自然だろう」
「……以前も申しましたが、私程度なら在野にいますわ」
「お前がそこらの在野に居てみろ。そこらの貴族は絶えるぞ」
そこまで苛烈な行為はしないと思うけれど……。
組合やらが変に働きすぎたか。
魔術に関しても同じことが言える。
陛下……というか国家にとっては組合長であり、魔術論文を書き上げた俺との関係値に担保が欲しいのだろう。
裏切るつもりは毛頭ないけれど、王族との婚姻に対してそれほど魅力を感じていないのも事実である。
要は、やりすぎて危険だから王族に組み込んで制御したい。それが陛下側の目的だろう。
「それにアルタイルは……王族としての恥部でもある」
「……」
言えない事情があるのだろうか。
アルタイル殿下は第一王子ではあるが、王位継承権第一位はリゲルである。
その理由が病弱とかの理由だと思っていたけれど、そうではないらしい。
王族としての恥部、とまで言っているのなら、アルタイル殿下側に王族としての問題があるのか。
ただ、陛下がこうして交渉の場で隙を見せてくるのは珍しい。普段なら言わなかっただろう。
「事情があると?」
「……そう思っておけ。性格面は保証してやる」
「ならばいいですわ」
陛下が事情を言うことは容易いけれど、俺に配慮してくれた結果か。
そうなると、アルタイル殿下よりも王族としての負い目があるのだろうか。何にしろ、気にする必要もないだろう。
陛下側は、外聞的に危険すぎる俺に首輪を嵌める事と、組合やら魔術関係やらで残念な事に政治的にも力を保有してしまった俺とアルタイル殿下をくっつけることで殿下の政治的立ち位置の保証が目的か。
直接聞けばいいが、アルタイル殿下に関してははぐらかされるだろう。
「……アルタイル殿下との婚約はお受けいたしますが、二つほど条件があります」
「言ってみろ」
「まずアルタイル殿下と私の間に子を成しません」
「……リゲルに操を立てる義理もないと思うが?」
「それは関係ありませんわ」
これは俺側の我儘である。
リゲルの時とは状況が違うし、子を産む理由がない。好きでもない男に抱かれる趣味もない。
俺の条件に対して陛下は顔を顰める。
俺を王族というか国家に繋ぐ為に婚約をさせるのに、俺が子を成さないと言っているから当然と言えば当然である。
このまま通る条件とも俺は思ってはいない。
「代わりに、私と……仮に養子などをとった場合に、その者及びその子孫についても王位継承権を放棄いたします」
「……随分と大きな見返りだな」
「それだけの条件だと自覚はしていますわ」
アルタイル殿下の……王族の子となれば王位継承の神輿にもなり得る。それが養子であっても担ぎ上げる輩は出てくるだろう。
王位継承権という権利は大きい。貴族であるなら垂涎ものであるから、要求としては釣り合っていると思う。
実際は俺が王位継承とかの政治問題から逃げているだけなんだけど。それは俺側にしかわからない。
陛下の思案を邪魔しないように、静かに待つ。
陛下が考えていることは、王族としての責務と王位継承問題の釣り合いだろうか。
「……わかった。が、ディーナ嬢の養子……まあ子孫の誰かが王族と結ばれた場合はどうする?」
「私個人としましては放棄させた方が良いとは思いますが……王族側の都合に合わせればよいかと」
それは未来の誰かが選択する事である。
選択は尊重すべきだけれど、王位継承に関してはここで排除しておく方がいいだろう。
子を産むつもりがないから、アルタイル殿下が種馬でなければ近親とも成り得ないだろう。
殿下が種馬だった場合は……俺が制御する問題から逸脱もしている。
「それで、お前は子を成さんと。随分我儘だな、ディーナ嬢」
「王命であるなら子も成しましょう。骨肉の争いがお好みでしたら、陛下が玉座にいる間にして差し上げますわ」
「冗談に聞こえんな」
「陛下の耳が正常なようで、忠臣として安心致しますわ」
ディーナ・ゲイルディアとかいう外聞上の人間が子を産んだ際の危険性は理解できている筈だ。
実際はそうではない事もわかってくれていると思うけれど。
俺が子を産んで、その子に王位継承権を主張すればリゲルとアサヒの子と争う事になるだろう。これは絶対に起こる。
俺がそう願わなくとも、誰かが担ぎ上げる可能性は捨て切れない。
だから、条件として提示できる。
「……わかった。公表時に明文化するぞ」
「周りから見れば、私側がアルタイル殿下との婚姻を推し進めて、権利を制限する為に陛下が条件を付けた、と見えるほうが都合がいいですわね」
「……またお前の悪名が拡がるわけだが?」
「今更ですわ。それこそ、国家側が私を求めているのは理解に苦しみますが、その様子を見せる利点はないですわ」
「……まあいい。それでもう一つは?」
「公表を遅らせていただきたい」
「理由は?」
「これは組合の都合ですわ。今の組合で組合長の私が王家と婚姻すれば勘繰る貴族もいるでしょうし。公平性を組合が主張しても、外側から見れば王家と繋がっている時点でそうとは言えませんもの」
俺がアルタイル殿下との婚姻をした場合、組合の公平性は簡単に瓦解する。
貴族は「組合に入れば王家との繋がりができる」と思うだろうし、組合側の商人も「組合に入らなければ国の枠組みに入れない」と勘違いするかもしれない。
それでも組合という組織はある程度の利益を出すことはできるだろう。短期的な信用は簡単に勝ち取れるが、国家運営の組織と勘違いされると長期的に見て問題が出てくる。
利権問題に貴族が絡んでくれば面倒極まりないし、商人達の自由は無くなる。組合という組織の意味がなくなる。
「……期間は?」
「長くて数年ほどですわ」
「……条件を二つとも飲もう。そちらの方が国家としても都合がいい」
溜め息を吐き出してニヤリと笑う陛下に笑みを向ける。
国家として都合のいい条件を並べているし、俺としても都合がいい条件でもある。
困るのは俺が養子をとった場合の子孫であるが、まあ当人でどうにかしてもらおう。
「王族にとって都合のいい条件ばかりだな。お前は何を得るつもりだ?」
「特には。私にとっては魔術卿という肩書きも過分な物であると自覚しておりますわ」
「王族と婚姻をする者とは思えんな」
「権利は必要最低限で十分ですし、付随する責務関しては果たしますわ」
「……まあ、ディーナ嬢はそういう女だな」
「嫌味でしょうか?」
「いい女だと言っている」
皮肉か嫌味の類なんだろうけど。
まあわざわざ言及する意味もない。
責務は請け負うけれど、権利はそれほど必要としてない。
そもそも子を成さない、という王族にとっての責務を放棄しているから他の責務は負うべきだし、権利を放棄していた方が筋も通っているだろう。
加えて、ここまで殊勝であるなら私的なお願いも通りやすくなる。
「それと、もう一つ」
「二つではなかったのか?」
「政治的な要求ではなく、私的なお願いですので。これは断っていただいても構いませんわ」
「言うだけ言ってみろ」
「愛人を一人だけ囲わせていただきたい」
コッソリと囲い込んでもいいのだけれど。それは王族への筋が通らない。
陛下は表情を険しくして俺を睨む。お父様よりは怖くはないが、緊張はする。
「王族との子は成さないが、その男との子は成すと? 養子と限定した理由はそれか?」
「……? ああ、なるほど。確かに。ご安心下さい。その方との子も成しません。成せない、と言った方がいいでしょうか」
「どういうことだ?」
「女性同士で子を成せると陛下はお思いですか?」
陛下の目が丸くなる。男の愛人と勘違いされるのは仕方がない。
「女性……?」
「はい」
「お前が女を愛人とする?」
「はい」
「……そういう趣味だったのか」
「否定は致しませんが、そうであっただけですわ」
性別はそれほど関係がない。
エルタが男性であっても、俺にとっては必要になっただろう。
趣味というか性癖であることは否定しないけれど、別問題でもある。
暫く考えるように顎に手を置いた陛下の言葉を待つ。陛下も俺がこれを言う意味を探しているのだろう。
単なる筋を通す為の行為であるし、陛下が却下した所で愛人という枠組みから外すだけで、俺はエルタを囲い込むだろう。
「……わざわざディーナ嬢が言う意味がわからんな」
「筋を通しているだけですので。特別な意味はありませんわ」
「……その女がお前を誑し込んで、利益を得ようとしている可能性は?」
「無いとは言い切れませんが、可能性としては低いでしょう。彼女は私がディーナ・ゲイルディアである事も知りませんわ」
ディンがディーナ・ゲイルディアであることはエルタは知らない。
俺がディーナであると知った時に何かしらの利益を得ようとするかもしれないが、エルタの性格を考えればそうはしないだろう。俺の希望でしかないけれど。
「……断れば俺の器量が疑われるな」
「陛下のお立場であるなら、不審に思われるのも理解しておりますわ」
「俺が断った所でお前は囲い込むだろう。それに同じ事をアルタイルにも伝えるだろうしな」
「よくご存知で」
「まあわかった。許す。が、その女に連なる者たちが王権に触れれば、わかっているな?」
「承知しております」
「ならいい。忠臣の我儘ぐらいは飲み込んでやろう」
フッと笑った陛下に思わず口元を緩めてしまう。
これで準備は整った。あとはエルタの足跡を辿って、嫁ごうとしている貴族から奪うだけだ。
「一応、その女の名を聞いておこう」
「偽名ではありますが、エルタと名乗っていましたわ」
「……ん?」
「?」
「エルタ、と言ったか?」
「ええ。確かに」
「……はぁ、先に言え」
「……何か問題が?」
「むしろ逆だが。そうか、なるほど」
何を納得したのかは俺にはわからないが、陛下は疲れたように溜め息を吐き出して、笑う。
エルタという名を陛下は知っている?
問題はない。或いは問題がなくなったのか。
「こちらの話だ。その内、お前にもわかるだろう」
「……では聞くことはしません」
「ああ。しかし、そうか。お前がエルタをか。そうかそうか」
ずっとクツクツ笑っている陛下を訝しげに見てしまう。何を知っている?
陛下の情報網がどこまで届いているかはわからない。
エルタは王族や陛下にとって既知の存在であり、何かしらの警戒をされていた?
エルタの婚姻話が陛下の耳にまで届いていたのなら、この反応はおかしいだろう。じゃあなんだ?
俺の持っている情報からはわからないな。推測の域を出ない。
「アルタイルに会っておけ。場所は既に準備をしている」
「……承知いたしました」
「お前達の仲が上手くいく事を願っているよ」
「……王として、でしょうか?」
「親としてもだ」
「ご期待に添えるかは、お答えできませんわ」
「ああ。お前は期待に応えるだろ」
ニヤリと笑う陛下を見ながら眉を寄せてしまう。
果たして陛下は何を知っていて、俺に期待をしているかはわからない。
何にしても、話はアルタイル殿下に会ってからになるだろう。
人物像は不明瞭であるし、陛下からの評価は王族の恥部である。どんな男が出てくるかはわからない。
命令だから婚姻するが仮面夫婦になるだろうし、ある程度の印象は良くしといた方が今後の為か……。
ディーナ・ゲイルディアの印象を良くするなど、失笑ものであるけど。
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
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騎士ディーナ様
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シャリィ先生
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エフィさん