コツコツと廊下をディーナ・ゲイルディアは歩く。
案内らしい案内は無い。それこそシルベスタ王から部屋を指定され、そこに向かっているだけに過ぎない。
歩きながらディーナは頭の中を整理する。
部屋で待っている、或いは部屋に来るであろうアルタイル・シルベスタに対して何を言うべきで、何を言わないでおくか。
王と交わした交渉は明かすべきであるし、私事である願いもまた伝えるべきである。
不誠実であることは理解している。
王族と婚約を交わしながら、愛人を囲う。
それによって相手が対価を要求することは想像に難くない。その要求が何であるか。
ディーナにとって、ある程度のことは些事である。それこそ自身の身を求めるのならば差し出す覚悟もある。王との交渉を反故にすることになるが、それはアルタイルが求めた事である。
王との交渉を盾にするつもりはない。身を差し出しても子を成さないようにはできる。尤も、ディーナ自身も避妊方法を心得ているわけでもないし、完璧に避妊できるとも思ってはいない。
ディーナにとって自身など些事でしかない。純潔は守っているが、アマリナとの関係を考えれば無意味なものだろう。
性格面は王によって保証されている。それは親である王の感想でしかない。
最悪な要求は、自身を含んだ従者共々を求められる事だろう。そうなれば、自分は……。
「……はぁ。考えても仕方ありませんわね」
溜め息を一つ。思考を回しながら、悪い想像を少しだけ拭う。
最悪の事を考え続けるのは自身の悪癖でもある。これによって得をした試しはないが、損をした事もない。
今一度、小さく溜め息を吐き出して、ディーナは指定された部屋の扉の前に立つ。
義腕である右手を軽く握り、扉を叩いた。
「どうぞ」
聞き覚えのある声が部屋の中から返ってきた事にディーナは眉を寄せる。
何故、という疑問は生じたが、その答えは彼自身が答えてくれるだろう。
扉を開ける。窓から差し込んだ光が重厚な机とそれを挟むように置かれた柔らかい質感の長椅子を照らす。
長椅子に座っているのは、白髪をうなじ辺りで軽く縛った優男。ディーナにとって見知った顔。
何故、ベガが?
その疑問を口にする前にディーナの目は一点を見て、見開き、一瞬で細められる。
木製の指輪。間違いなく、自身がエルタへと贈った指輪。見紛う筈がない。
けれど、その指輪は今、エルタではなく、ベガの左手薬指に嵌っている。
何故、その指輪をベガがしている?
何故、エルタへと贈った指輪をベガが?
酒場にいた監視者。
ベガという自分と関わりのある人物。
そのベガがエルタへと贈った指輪をしている。
ベガがディーナをディンと知っていたならば?
シルベスタ王がアルタイル殿下との婚姻を、自身への首輪をさせたかったのなら。
それを求める為に。強制させる為に。手の平の上であったとわからせる為に。
エルタが害されたのなら?
「……何故、ベガがここにいるのかしら?」
ディーナは平静を装って、笑みを深める。
もしも、自身の悪癖が正しければ。
臓腑が煮える。この国への忠誠など微塵も感じなくなる。早々に廃位していただく。
ディーナの頭の中に自身に持ち得る全てを加味して、叛逆の計画が乱立していく。
「お久しぶりです。ディーナ殿」
「質問に……いえ、それともお互いに自己紹介をすべきかしら?」
「……その方が良いでしょう。お互いにあの時とは立場が違いますので」
ディーナ・ゲイルディアが変わっていない事にベガは少しだけ笑ってしまう。
合理的であり、察しがよく、立場を理解している。
「魔術卿を拝命しております、ディーナ・ゲイルディアと申します。貴方をどう呼べばいいか、迷っていますの」
「僕……いいえ、
「では、好きに呼ばせていただきます」
優男であった柔らかい雰囲気が静かに変化をする。
男性にしてはやや高めの声でありながら、冷たさも感じられる声。
ディーナは改めて一礼をして、目を細める。
最悪の想像が叶わないことは願っている。当然、それが叶うとも思っていない。自身ならばそういった手段も取れるが故に、可能性を捨て切れない。
そんなディーナを見ながら、アルタイルは厳格な態度を崩して、人好みするような笑みを浮かべる。
アルタイルとしての自分ではなく、ベガとしての自分を見せ続ける。
「ディーナ殿は私に聞きたい事が幾つかあるでしょう」
「お答えしていただけるとは思っておりませんが」
「……伴侶となる相手に隠し事はしたくはないので」
「……では、何故、私の監視役に? 王族の仕事ではないでしょう」
「陛下のご命令です」
「……そんな頃からコレを画策していたと?」
「そうなります」
あの頃の自分は魔術を開発もしていないし、組合すら作っていない。
あった事実はリゲル・シルベスタに社交界で振られて腫れ物になった事ぐらいである。
ディーナは頭を抱えた。理解に苦しんだが、一旦は飲み込んだ。
「……まあ色々と合点がいきましたわ」
「申し訳ない」
「いえ、殿下に罪はありませんわ」
今まで予想で納得していた部分がディーナの中でカチリと嵌まる。
リゲルとアサヒの婚約発表の際に招待状を置いたのも、王家の印を押せたのも。陛下にエルフの薬を内密に届けられたのも。筋が通る。
まだ国家の暗部であった方が扱いも楽であったとディーナは溜め息を吐き出してしまう。
結果として、今目の前にいるのはアルタイル殿下である。
「アルタイル殿下。先に言いますが、私は殿下との子を成す気はありません」
「……何を言っているので?」
「陛下にもお伝え致しましたが、婚姻する事を受け、私の都合で子を成さないことを要求致しました」
「……父王は何も?」
「相応の対価を支払いましたので」
「……」
アルタイルは唖然とする。
ディーナの察しがいい事と計算高いことは理解している。それが政治的な面でも発揮されていると言ってもいい。
同時にそれが裏目に出た。父である王の顔が浮かび、アルタイルは小さく息を吐き出した。
「……ディーナ殿。私の事に関して伝えなければいけません」
アルタイルは自身のうなじにある髪紐を解き、結われた髪を解いていく。
服の中で結ばれた布を解き、圧迫されていた胸が解放される。
服の上からでもわかる女性らしい胸部の膨らみ。
一度、咳払いをして意図的に出していた低い声をアルタイルは調整する。
ディーナが目を見開いたのをアルタイルは当然と勘違いする。
「子を成さない、という要求は叶えるまでもありません」
「……、ああ、なるほど。陛下がやけにあっさりと要求を通した理由を理解しましたわ」
男性の格好をしながらも、女性らしい声と姿を見てディーナは頭を抱える。
頭は抱えはしたが、それは自身の迂闊さに対しての呆れでもあった。
想定できていなかった。自分にとって都合が良すぎる想像でしかなかった。
「その……申し訳ない」
「殿下が謝ることはありませんわ。私が勝手に勘違いした事ですし」
陛下の笑いがディーナの頭に響くが、恐らく幻聴の類であろう。
勘違いしていた。根底から覆された。
噂とは当てにならない。それこそ直接見たわけでもないアルタイルに対して、勝手にディーナが勘違いしていた事でもある。
アルタイル殿下は男性ではなかった。
女性である可能性が頭から抜けていた。
最悪の想定は当たり前に覆された。
「何故、とお伺いしても?」
「ディーナ殿ならわかると思いますが、長子である私が女性であることは国にとって都合が悪かったようです」
「男性として育てる方が国にとって都合がよかったのですね」
「はい。尤も、二年ほどでリゲルが産まれたので、私に価値も無くなってしまったのですが」
「なら女性として、王女として育てられてもおかしくはなかったのでは?」
「私の魔力がほとんど無い事が起因するのでしょう。王家としては私の存在を隠したいので……噂はご存知でしょう?」
「……病弱で療養している、と」
「事実を知る人間を最小限にし、私はベガとして活動を許されていました」
王がそう動かした。そちらの方が都合がよかった。
シルベスタ王は自身の娘を生かす為に。父としての思いなのか、王族としての判断であるか、ディーナにはわからない。
王族の恥部。アルタイルをそう称した王を思い出しながら、ディーナは情報を整理する。
王にとって、アルタイルという存在の生き方が恥ずべき部分なのだ。
生き方を強制し、王族にとって都合の良い存在へとした。
シルベスタ王も、アルタイルも、それを受け入れた。
二人にとって同じ意味でもなく、父としてのシリウス・シルベスタはそれを王族の恥部としてしまった。
「……理解はできましたわ」
「納得はしていただけないと?」
「それは殿下ご自身ですることですわ。貴女の性別が男であろうと、女であろうと私には関係ありませんわ」
「ディーナ殿らしい」
「貴女の過去も、興味がないと言えば嘘になります。けれど、わざわざ古傷を抉る趣味も持ち合わせてはいませんわ」
「それもディーナ殿らしい」
クスリと笑みを作ってみせたアルタイルは変わらないディーナ・ゲイルディアに少しだけ安堵する。
ディーナにとってアルタイルの性別など、今に至ってはどちらでもよかった。
貴族としてのディーナ・ゲイルディアとして言えば、この婚姻は自身への首輪に過ぎない。同時にアルタイル・シルベスタの政治的保証でしかない。
だからこそ、どちらでもいい。
そして、アルタイルがアルタイルであるのであれば、やはり性別など些事でしかない。
「では私からもお聞きしますが、相応の対価は何をお支払いに?」
「私が取る養子、その子孫に至るまでの王位継承権の放棄ですわ」
「それはまた……随分と大きな対価ですね」
「殿下はご理解していると思いますが、私はそれほど政治に興味がありませんので」
「……そういえば平凡平穏平静の日常を望まれていましたね」
「今も望んでいますわ」
「それにしては随分とご活躍のようですね、魔術卿」
「貴女との婚姻の為に陛下が無理矢理与えた肩書きに過ぎませんわ」
溜め息混じりに言うディーナではあるが、相応の活躍をしてしまっている事は理解している。
それでも自身には不相応な肩書きでもある。
「ディーナ殿がディーナ殿であるが故に。ですね」
「……そうであれば楽ではありましたわ」
「?」
「こちらの都合ですわ。私が単なるディーナ・ゲイルディアであることは相違ありませんのでご安心を」
ベガであった時に聞いたディーナの言葉を返してみれば、ディーナは苦虫を潰したように言葉を吐き出す。
そこにどんな感情があるかはアルタイルにはわからない。本心を隠す事が上手いのはよく知っている。
けれど、アルタイルにも傷を抉る趣味はない。
それに、今のディーナに対して反感を買いたくもない。
「ディーナ殿。私も要求をしてもいいでしょうか?」
「内容によりますが、殿下の要求はなるべく叶えますわ」
「一人だけ。愛した人と添い遂げることを許していただきたい」
ディーナの目が細くなる。
腕を組み、鋭い瞳がアルタイルへと向けられる。
婚姻相手がディーナ・ゲイルディアであるからこそ、アルタイルは先に手を打たねばならない。
「……愛している方がいると?」
「はい。否定しません」
「……黙っていればよかったでしょう」
「ディーナ殿はそういった隠し事は嫌うでしょう。それに、ディーナ殿に隠し通せるとは思いませんので」
「伴侶に隠し事をしたくない、というのは本気のようで」
小さく溜め息を吐き出して、ディーナは腕を組んで悩む素振りを見せる。
隠し事をしたくない。それはアルタイルの本意である。婚姻相手であるディーナを蔑ろにした要求である事もアルタイルはわかっている。
けれど、ここで手を打たねばならない。
賭けでもなく、これはディーナへの根回しに他ならない。
ディーナの言うように黙っている事もできた。けれど、ディーナはそれを嫌う。そして行動に対しての代償を求めるだろう。
だからこそ、今言う必要があった。
暫くの沈黙のあと、ディーナは口を開く。
「その方は、どのような方です?」
「……言葉にするのは難しいですが。彼は……心に傷があって、それを何でもないように振る舞っている……私が支えたいと思う方です」
「……」
アルタイルの言葉にディーナはどこか遠くへと視線を向けて、口元を手で覆い隠す。
ディーナがこの要求を飲むことをアルタイルは確信している。政治的な要因が大きく占めている。
花よりも実を選ぶディーナだからこそ、要求を飲んでくれる。
「もう一つ。これは確認でもあるのですが。愛している方というのは、その指輪を贈った方かしら?」
「……はい」
「そう……なるほど」
左手薬指に嵌っている変哲もない木製の指輪。大きな意味を持つ指輪。
アルタイルはこの指輪の意味を知らない。彼が「特別な意味はない」と言っていたが、恐らく何かしらの意味のある指輪。
この世界の文化にはない、誰も知らない筈の慣習。
「……その男は、軽口を叩くし、軽薄で、自信もなく、貴女に存在を証明してもらわないと生きることすらできない出来損ないですわ。それでも、貴女はそんな男を添い遂げると?」
件の男に対して、ディーナは辛辣に評価を下す。
その評価をディーナは間違っていないと自信をもって言えた。全て、事実である。
アルタイルはその言葉を聞きながら、口を綻ばせる。
「ええ。それでも私は彼を選びます」
アルタイルとしてでは出来なかった笑みが自然と浮かぶ。
そんな出来損ないの男を支えたいと思ったのは自分である。
そんな出来損ないの男を愛してしまったのは自分である。
薬指に嵌まる指輪を撫でながら、アルタイルはディーナへと向く。
「許していただけますか?」
たった一言。ディーナの口から言葉が出ればいい。
それだけしか望まない。彼以外を望まない。
「……はぁ」
天井を見上げて、ディーナはわかりやすく溜め息を吐き出した。
暴れそうなほど歓声を上げている頭をどうにか諌めて、ディーナは
「……二つほど、殿下に申し上げたい事がございます」
「……はい」
「一つ、先ほども言いましたが。私は殿下の願いはなるべく叶えたいですわ」
「そう、ですか……」
なるべく。そう、なるべくでしかない。
アルタイルは冷水を頭から掛けられたように、逸っていた気持ちが冷えていくのを感じる。
許される筈はなかった。当然である。
不誠実でもあるのだ。そんなことは理解していた。
ベガであったなら、これほどわかりやすく意気消沈していないだろうと。ディーナは少しだけ口角を上げて思う。
だからこそ、言わなければならない。
「言葉を変えましょう。ディーナ・ゲイルディアとしてではなく、私個人として。
「……どう、して」
アルタイルの頭の中で、彼の言葉とディーナの言葉が重なる。
なぜ、ディーナが知っている?
なぜ、ディーナは彼をあそこまで評価できた?
知らない筈なのだ。
あの場には自分と彼しかいなかった。
変装した……女としての自分と──。
「もう一つ。殿下をどうお呼びすればいいのか」
「──」
「エルタ。そう呼んでもいいですわね?」
ディーナは微笑む。
ディーナ・ゲイルディアとしてではなく、気の抜けた笑みをエルタへと向ける。
「……本当、なの?」
「何を証明としようかしら? 普段頼んでいる塩漬けの肉の味でもいいわね」
「…………本当に、ディンなの?」
「声がコチラが素ですわ。尤も、あれもこれも私であると証明したのは貴女よ、エルタ」
自然と、アルタイル──エルタの瞳からボロボロと感情が溢れる。
あの時は冷え切った感情であったのに、今は真逆の感情が溢れる。
ディーナはそんなエルタに変わらず笑みを浮かべながら、あの時に断られた言葉をもう一度口にする。
誰でもない自分でありながら、ディーナ・ゲイルディアという人間として。
「私には貴女が必要よ、エルタ。傍にいてほしい。貴女が欲しい。これは紛れもなく、今ここにいる私の願いですわ」
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
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騎士ディーナ様
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シャリィ先生
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エフィさん