悪役令嬢は百合したい   作:猫毛布

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閑話的な物


10.奴隷少女は答えがほしい!

 暗闇がそこにはあった。聞こえるのは誰かの叫び声と叩かれるような音。

 当然だったモノが当然では無くなり、いる筈の兄との関係も全て絶たれた。

 泣けていたのは数日だけ。次の数日は怯え続け、そしていつしか何も抱かなくなった。

 希望も、絶望も、何も、自分には必要の無いモノで、それらがあれば苦しいとわかったから、逃げ出した。

 兄も、たぶんそうだろう。

 飼われる事に何も感じなくなった頃、悲しみに染まっていた頃に言われていた事を思い出す。

 見知らぬ男が自分と兄に言った言葉。いい金になる事、酷い目に遭うこと、この暗闇よりも深い黒が買われた先にある事。そんな事を思い出してしまう。

 だから、考える事など諦める。痛いのは嫌だ。辛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。

 

 誰かの足音が聞こえた。複数ある足音の一つがゲビス様である事はわかる。

 足音が止まり、誰か達の声が聞こえる。一人はゲビス様で、残りはわからない。自分を買う話である事も、わかる。

 悪魔に買われる。その事は既に諦めていた。この暗闇から更に深い黒に落ちるだけ。それだけだ。

 錆びた鉄格子が開いて、誰かが近付いてくる。

 そこでようやく、顔を上げてその悪魔を視界へと入れる。

 悪魔の背後の光で金が揺れて光る。

 

「今日からわたくしが貴方の主人ですわ」

 

 あの日、私達は悪魔に買われた。

 

 

 

 

 

 

 

 空に太陽が昇る前に少女は目を覚ました。

 震える瞼を上げて、ぼやける焦点を静かに合わせていく。天井に見える模様。シーツの質感。冷たい空気を飲み込んで、肺から空気へと注ぎながら瞼を下ろす。

 夢を見ていた。確かにそれは夢であった。けれど緩やかに現実味を帯び、自身へと積もりながら形を作っていく。

 あやふやな、もう思い出せない夢の内容。それでも確りと少女はその出来事を記憶していた。それはきっと少女の兄にあたる存在も、そうであろう。

 夢ではない、記憶を緩やかに辿りながら少女は起き上がる。

 スルリと落ちたシーツを整えるでもなく、スラリと伸びた脚をベッドから降ろす。そのまま立ち上がり、何にも包まれていない身体を天へと伸ばす。顎を上げ、胸を張り、踵を浮かせて、つま先へと意識を向ける。冷ややかな空気が身体を撫で、吸い込んだ空気と混ざり、隔てを消していく。

 

 

 自然と下りていた瞼を上げて、少女は自身を積み上げる。

 弓なりになっていた褐色の身体を戻し、音を立てずに足を運んで慣れ親しんだ仕事着を着込む。長いスカートが動きにくいと思った事は何度かある。そんなモノは最初だけで気付けば気にもならなくなった。

 袖に腕を通して手首のボタンを締める。エプロンを掛けて手探りで結ぶ。

 手櫛で簡単に髪を撫で付けてカチューシャを装着する。

 おかしな所がないか、確認をして少女は窓に立ち、空を見つめる。まだ太陽の昇らない薄暗い蒼紫が広がる世界。一日の始まりがまだやってこない世界。

 この時間より名を消されていた少女は――アマリナとなる。

 

 

 

 悪魔は一人で何だってできた。

 難解な魔法式を扱い、剣も扱い、更には政治、歴史、一般的な生活まで。まるで貪欲な獣のように知識や技術を咀嚼していく。少なくとも、アマリナにとって悪魔と呼ばれている存在の印象などその程度の物だ。

 証明をするように元々悪魔の側にいたメイドから言われた事は「お世話しがいのないお嬢様」である。このメイドは少ししてから笑顔で「お世話しがいのある御子息」の話をするのだが、それは今は関係の無い話である。

 誰もが言う「お世話しがいのないお嬢様」というのはアマリナにとってはそうではない。

 

「お嬢様。失礼いたします」

 

 反応の返ってこないノック。そろそろ日も昇り始めている。館の主が起きるまではまだ余裕はあるであろうが、アマリナは悪魔の命令のままに毎朝この時間に扉をノックしなくてはならない。返事が返ってきたのは最初の数回程度だ。

 断りを一つだけ零してアマリナはドアノブを捻り、開ける。

 

 扉を開く音に反応したのか、ベッドが膨らみがもぞりと蠢く。

 一拍、二拍、三拍。遅めに数えて三拍子。ソレはのそりぐらりと起き上がる。

 微睡みの中に在るのか頭が項垂れ、揺れる頭と一緒に金の髪がシーツの上へと流れ落ちる。

 緩やかに開かれた瞼からは青の瞳。美しい、金色の悪魔。それがアマリナの主であるディーナ・ゲイルディアという女であった。

 

 調度品の如き美しさを人間味で汚すようにして悪魔は大きく口を開いて空気を吸い込む。喉の奥から音を出し、腕を伸ばして肩を動かす。何かの癖のように首を左右へと倒して、ぐるりと一周させて、ようやくディーナはアマリナへと向き直る。

 

「おはよう、アマリナ」

「おはようございます。ディーナ様」

 

 力なく笑ってみせたディーナに対してアマリナは硬い表情でいつものように頭を下げた。自身と相手との関係を考えればアマリナの行動は正しい行動である。

 

「もっと力を抜いていいぞ。俺だってそうだし」

 

 お嬢様らしくない口調、それ以上にまるで男性のような言葉を口から吐き出したディーナは欠伸を大きくしてから、また瞼が重くなるのを感じる。眠気を振り払うようにベッドから下りて今一度背筋を伸ばす。「あ゛ぁ゛~」と少女の口から出たとは思えない唸り声が漏れる。

 ディーナが起きた事をしっかりと確認したアマリナはハンガーからドレスを手に取りディーナへと渡す。「ありがとう」と感謝の言葉が口から出されてディーナはくるりとアマリナに背中を向けて着替え始める。

 窓の近くに椅子を置いて化粧台に乗せられていた櫛を持つ。慣れた行動であったし、慣れさせられた行動でもある。失敗をした所でこの主が何か小言を口にしない事をアマリナは知っている。

 

「さて、それじゃあ頼むよ」

「お任せください。ディーナ様」

 

 椅子に座ったディーナは視線だけで窓の外を確認したり、手近にあった紙束を解いて吟味するように読んでいる。その後ろでアマリナは寝癖ではねた髪を櫛で梳かしていく。

 悪魔は一人で何だってできたが、なにもしないのだ。

 何もしない訳ではない。自身が求める事は積極的と言えるぐらいにしている。それこそ幼い頃からである。

 その延長であったのか、それとも最初から必要としていなかったのかはアマリナが認知する所ではないが、以前の世話役からの引き継ぎでは『最低限の事をしていれば問題ない』と言わしめた程である。

 こうして髪の梳かし方もディーナ本人からアマリナは教わった。ディーナの好みの紅茶の淹れ方も。大凡、ディーナ・ゲイルディアという少女の世話をするにあたって必要最低限以上の事はディーナ本人から教えられた。

 唯一、手を出せないのは着替えぐらいだろうか。

 

「ディーナ様」

「んー?」

「ディーナ様は何でもできるのに私にさせるのはどうしてですか?」

「別に何でもできるわけじゃないんだけどなぁ……そう。なんでもはできない。俺にできる事だけさ」

 

 問いかけてみても悪魔はしたり顔で得意げにそう言うのだ。何が楽しいのか笑みも浮かべている。

 やはり真っ当な答えが返ってはこなかった。悪魔が真っ当な答えを返すとも思っていなかったアマリナは「そうですか」と短く会話を切り上げた。

 手に触れている肌触りのよい金髪。指で弄びながら、櫛を通していく。

 いつまでも触れていたいのだけれど、いつまでも触れていてはいけない。アマリナは髪を手放してテキパキと櫛を片付けていく。

 

「ん、終わった?」

「はい」

「ありがとう。うん、今日も頑張ろうか」

 

 読んでいた紙束を机へと置いて、ディーナは後ろへと身体を回して両手を広げる。いつの間にか習慣になってしまったソレに対してアマリナが疑問を浮かべる事はない。最初は意味もわからずにしていたけれど。

 ディーナの胸にゆっくりとアマリナは顔を押し当てる。

 柔らかい感触。コロンの香り。僅かなぬくもり。一定の鼓動。撫でられる頭。

 いつの間にか、習慣になってしまった行為。日課のように繰り返される抱擁。

 疑問を浮かべていた時期には悪魔がどうして抱擁するかわからなかった。少し前まではただただ嬉しかった。今は、その腕の中に入る事を少しだけ躊躇してしまう。嬉しくない訳ではない。嫌な訳でも当然無い。

 

「よし――さて、今日も頑張りましょうか」

「はい。お嬢様」

 

 放されてから僅かに失った感覚があるのも、アマリナにとっては既に慣れてしまった事なのだ。

 

 

 

 

 

 

 日中のアマリナの仕事は館に勤める他のメイド達とそう変わらない。当然、最優先はディーナの事であるがそのディーナが自身のことをアマリナに命令することは少ない。

 そのことに不満はない。アマリナ自身、ディーナ以外に仕えたことが無いのでその差はわからない物の、ディーナには確かに恩義がある。不満などある訳がない。

 今にも思い出せる暗闇と悲鳴。泥のような世界の中で伸ばされた蜘蛛の糸。その糸を取った――いいや、自身とヘリオを絡め取った蜘蛛の糸は確かに自身をすくい上げたのだ。

 

「で、アマリナは何を悩んでるんだ?」

 

 仕事の休憩時間であるアマリナにそう言ったのは褐色の少年である。アマリナと同じ色の髪と瞳を持つ少年、ヘリオは執事服ではなく、簡素な衣服を着用し、流れていた汗をアマリナに渡された布で拭っている。

 

「……お嬢様はどうして私達を救ったんでしょう」

「お嬢も言ってたろ? 息抜きだよ」

「ヘリオ、()()()よ」

「俺だってリヒターさん達の前ならお嬢様って言ってるよ。お嬢がこう言えって言ってんだよ」

 

 困ったように刈り上げられた短い髪をガシガシと布越しに掻いたヘリオはムッとしているアマリナに言い訳のように呟いた。

 逃げるように、一度溜め息を吐き出してヘリオは腰に差した木製の剣を軽く叩く。

 

「お嬢――、あー、()()()、は俺たちに役目をくれた。アマリナにはメイド、というか世話役を。俺には護衛役を。というかお嬢様もそう言ってただろ?」

「それは、そうですが……お嬢様は何でもできるでしょう?」

「まぁ……そうだな」

 

 何かを思い出すように腕を擦ったヘリオ。よく見れば昨日はなかった痣がうっすらと浮かんでいる。最初はディーナのごっこ遊びから始まったヘリオとの訓練も今は確りとした監視が付いた物へと昇華している。尤も、ディーナには監視ではなく剣の師匠として話は通されているが。

 

「それに、お嬢様は私達を求めているのに、自由にしていい、とも言うじゃないですか」

「お嬢の考える事が俺たちにわかる訳ないだろ?」

「お嬢様」

「へいへい」

 

 あの悪魔の考えなど理解できるわけがない。そんな事、アマリナとて理解している。

 けれども、それでもアマリナは(カツボウ)を潤す為に(コタエ)を探してしまう。

 

 

 

 

 自由。その言葉は自身とヘリオにとってどれほどの意味を持つのかは両者とも理解しているつもりだ。ゲイルディアからも、何もかもから解放される。それは同時に悪魔との契約も切れる事を意味する。

 奴隷からの解放。悪魔との契約の完遂。自由。

 アマリナもヘリオも、その意味を知っている。なんせ、散々に悪魔から教えられたのだから。今の自分達のいる現状を。そしてそこからの行動も。何もかもが悪魔から与えられた物でしかない。

 知識も。

 力も。

 役目も。

 名前ですらも。

 

「ん? どうかしたか? アマリナ」

「あ……いえ、申し訳ありません」

「ふむ。まあいいさ」

 

 眠る前にディーナに呼び出されたアマリナは命令通りに髪を梳かしている。ディーナ本人はと言えばアマリナが来るまでにペンを走らせていた紙を眺めていたが、アマリナの手が止まっていた事に気付いたのだろう。

 

「それで、アマリナは何を悩んでいるんだ?」

「……ヘリオ、ですか?」

「まさか。これでも俺はお前たちの主人だからな」

 

 だからわかる、と肩を竦めてみせたディーナに対してアマリナは渇きを覚える。

 どうしようもない感情が、必要とも思えない感情が、答えを求めてしまう。けれども、それは求めてはいけない物だ。答えなど必要ではない。

 矛盾する。

 水を求めている筈なのに、その水を飲む事を拒んでいる。

 矛盾する。

 

「ディーナ様は……どうして私達を買ったのですか?」

「どうして?」

 

 水差しへと手を伸ばしたアマリナはその口から出てくる(コタエ)を求める。

 悪魔は何だってできた。

 悪魔は一人で何だってできた。

 難解な魔法式を扱い、剣も扱い、更には政治、歴史、一般的な生活まで。まるで貪欲な獣のように知識や技術を咀嚼していく。

 けれど、悪魔は一人で何もしない。

 

「俺に必要だったから、じゃダメか?」

「ディーナ様はお一人で全てできるではないですか」

「一人で何でもできる訳じゃないんだけどな……」

「ディーナ様に私が必要だとは思えません」

「……自由がほしいのか?」

 

 ピタリとアマリナの手が止まる。震える。声が上手く出ない。震えた空気だけが喉を揺らした。

 首だけでなく、体ごとアマリナの方へと向いたディーナは双眸に深い青を写し込む。揺れている瞳をしっかりと覗き込み、逃げられないように褐色の手を掴む。

 

「アマリナ。こっちを向け、アマリナ」

 

 短く、しっかりとした口調にアマリナは逸しそうになる顔を自身の主へと向ける。

 自身とは違う青の瞳が強い意思を伴って向けられている。

 

「自由がほしいのか? そうなら言ってくれ。お前がそれを望むのなら生活に必要な知識と力を身に着けさせて支度金を渡してお前を自由にしてやろう」

 

 アマリナは首を振る。違うのだ。求めている水はそんな事ではない。そんな()()()()()ではない。

 呪いに掛かったように喉が上手く動かない。アマリナは必死に否定する為に首を横に振る。

 

「では俺が嫌になったか?」

 

 アマリナは首を振る。

 

「――では、お前は俺の物だ。俺の為に生きろ。俺の側に居続けろ。ここがお前の、アマリナの居場所だ」

 

 掴まれていた手は緩やかに解かれ、指を絡められて自身がこの場にいる事を明確にしてくれる。

 悪魔は微笑みながら、朝のように私を包み込む。熱い瞳から液体が溢れ出て、ご主人様の衣服を汚していく。ソレを許すように、髪を撫でられる事がどれほど嬉しく思えるか。

 ああ、認めてしまえばこれほど簡単な事だったのだ。

 水差しから注ぐだけだったのだ。

 それは自由とは程遠いであろう答えである筈なのに、どうしてかアマリナは満たされていく。

 

 

 翌朝、どうしてかディーナに見守られながら目を覚ましたアマリナが固まってしまいディーナは微笑みながら着替えを頼んだのである。

 

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