アルタイル・シルベスタという人間をスピカ・シルベスタは知らない。
知らない、というには些か語弊がある。情報としては知っている。けれど人間として識る事ができていない。
異父母の姉妹であり、王族の都合で男として育てられ、そして王族の都合でその役割すら消された。
実際に会ったのは片手で数えられる程度。会いたい、ともスピカは思わなかった。嫌っているわけではなく、好きでもない。関心がないと言えば正しいだろうか。
そんな数少ない、それこそ公的な都合によって顔を合わせた時のアルタイルはまさに王家の人間であった。
気高く、厳しい物言いと自信。男としての振る舞いも、王子としての振る舞いも申し分ないどころか、まさに理想であった。兄にも見習ってほしいとすら、少しだけ思った。
同時にその数回だけでスピカはアルタイルという人間を可哀想な人と感じてしまった。純粋な同情も向けてしまった。
理想の王族として振る舞おうが、アルタイルに王位継承権はない。これは父王が決めた事である。
理想の男として振る舞おうが、アルタイルは女でしかない。その育てられ方も父王が決めた。
アルタイルの人生は誰かに定められた物である。
与えられた役割と義務だけしかない。
兄に見習ってほしくはない。そう思うしかなかった。
そんなアルタイルが婚姻をすると聞いた時、スピカは同情の念をただただ向けるしかなかった。
また王族の為に使われるのだろう。政略結婚である。
けれど、国外には出せない。それこそ彼女は公的には王子である。国家として弱みとなる。
けれど、貴族にも繋げにくい。それこそ彼女は公的には男である。王族として弱みとなる。
国家として、王族として信を置けて、有望な貴族。何より話を隠し通す責務を果たせる人間。
そんな人間が奇跡的にいたらしい。スピカは純粋に驚いた。貴族たちの虚栄を知れば知るほど、奇跡にも思える。
何にしても同情の念はある。
あった。あった筈である。
「ディーナ嬢と婚姻させる」
そう父王の口から出た名前にスピカの頭は停止した。改めて聞いても同じ名前が返ってきた。何なら全名と爵位と最近与えられた称号まで言われた。
何がどうなっているのか、スピカにはわからなかった。理解できていないわけではない。
それこそ、義姉は王からの信頼もあり、国家の忠臣であり、組合という組織を発足し、魔術という学問を拓き、まさしく奇跡が産み落とした完璧で美麗で、そして脆さと弱さを兼ね備えた優しい女性である。理解はできる。自分が王であったなら侍らせているだろうし、そうしていない父王の謙虚さには頭が下がった。
そうではない。
納得は……するしかない。
それもスピカは理解している。
王族であり、賢いスピカは感情では動かない。
アルタイル殿下と魔術卿ディーナ・ゲイルディアの婚姻。国家的に見ても利がある。父王の采配に感服した。非の打ち所もない。
納得するしかない。
「どうしてなのですか!」
それはそれとして。
こうして義姉の後ろ盾という立場を利用して呼び出している二人だけのお茶会で本人に不満を漏らしはする。
納得なんてできる筈がない。どうして私ではない。父王の採決には文句しかない。
ぶぅぶぅと頬を膨らませて「私は今とても不満です」という看板を幻視すらしそうな様子のスピカを見ながら、困ったように笑うディーナ。
「陛下が決めたことですわ」
「それは、わかってますが……」
それでも義姉の功績を鑑みれば断れただろうし、幾つかの条件も提示できた筈だ。
それを義姉がするかと言われれば、恐らくしない。したとしても……ああ、公表を遅らせているのは組合の平等性の都合であるのか。
そんな事はどうでもいい。
そんな事よりも大事な事が今はある。
「お義姉様は……不満ではないのですか?」
「……王族との婚姻に不満などありませんわ。貴族ですもの」
「…………むぅ!」
そんな地位欲や権力欲もないくせに!
そんな物があったのなら、もっと私を上手く使ってるし、そうすればもっと沢山会えたし、こっちが弱みを握れたのに!
スピカは不満の声を漏らし、紅茶を飲むディーナにぶぅぶぅと愛らしく鳴く。
その様子に苦笑しながらディーナはスピカの頭を左手で撫でる。
「そんなに不満を漏らされては悲しいですわ。これで改めてスピカ様の義姉となれたのに」
「それは……そうなんですが」
「私が義姉では嫌かしら?」
「そうじゃないです! お義姉様は意地悪です!」
「ええ、私は巷では悪い女ですので」
クスクスと綺麗に笑う義姉にスピカは少しだけ不満を和らげる。
これで正式に、公式の場でも義姉を義姉と呼ぶことができる。それは嬉しい。とても嬉しい。
「でも、私は納得できません!」
それはそれ。これはこれである。
大切に見ていた花が横から掻っ攫われた。そんな暴挙を許せるだろうか? いや、許せない。
確かに、いっそのこと花を手折って自分の傍に置いておくべきであったかもしれない。そうすれば花は枯れてしまったかもしれない。
でも他者の手に渡るよりもよい。
「この婚姻は、国家からお義姉様への鎖ですよ?」
「ええ、理解していますわ」
「……あの人に王位継承権はありませんよ?」
「それも存じていますわ」
「…………お義姉様は、アルタイル様と子も作れないのですよ?」
「それも知っておりますわ」
「なら……」
「スピカ様。私はアルタイル殿下が……あの人が私を愛してくれる限り、私もあの人を愛しますわ」
その言葉は、その表情は、スピカにとっては致命的であった。
美しい義姉が慈しみをもって微笑んでいる。
「……ずるいです、お義姉様」
アルタイルと義姉の間に何があったかを、スピカは知らない。けれど、義姉の想いはわかってしまった。
嫉妬はある。独占したい気持ちもある。独り善がりな欲望がある。
けれど、見ていた花はより美しく咲き誇っていた。
「……お義姉様」
「なにかしら?」
「抱きしめてもらってもいいですか?」
「可愛い義妹のお願いであるなら」
立ち上がって、傍によって両腕を広げる義姉の柔らかい胸元へと顔を埋める。いい香りがした。
深く呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
自分が動けなかった後悔はある。
手が遅かったという反省もある。
花は得ることができなかった。けれども、咲き誇る花の香りを享受する権利はある。これだけは手放さない。
頭を撫でられて心地良い。香りもいい。このまま眠れば幸福な夢を見れることだろう。
義姉の香りと柔らかさと慈しみを堪能したスピカの心は落ち着いていた。
異母姉の妻となっても、こうして会うことを咎められてはいないし、談笑混じりのお茶会を禁じられもしない。
何より義姉が正式に義姉となった。純粋にそれは嬉しい。
義姉が盗られた事は納得できないが、義姉の表情は幸せそうである。それは複雑ではあるけれど、本当に嬉しい。
何よりその表情を見れる自分は幸福であるし、この表情を一度でも曇らせれば、今度こそどんな手段を用いても義姉を我が物にする決意もできた。
今なら何があっても許せそうであった。
「あ、ディーナさん。久しぶりだね」
「……ディーナ」
「ごきげんよう、リゲル殿下。アサヒ」
罵詈雑言が口から漏れそうであった。スピカは我慢できた自分を褒めてやりたかった。否、義姉に褒めてもらうべきだと思った。
自分の幸せな空間への侵入者へ視線で警告を出すも、気付けない鈍い女と気付いても無視する愚兄である。
溜め息が出た。
スピカがこうしてディーナとお茶会をする情報はリゲルには伝わっている事はわかっていた。
何より、愚兄が来た理由も感情も推察はできる。先ほどまでの自分の感情を知るよりも簡単である。
ただ、この場での問題は愚兄は義姉へ直接確かめられない事である。
ディーナとアルタイルの婚姻は王族とそれに親しい貴族……それこそ公爵家にしか伝えられてはいない。
アルタイル自身の状況も理由であるし、ディーナの立場的な理由もある。
つまり、である。
「どうぞ、お二人とも」
この愚兄の隣りにいる鈍い女はその情報を知らないのである。
そして愚兄がそれを明かせば、ディーナは愚兄を心底軽蔑するだろう。秘匿すべき情報すら秘匿できないのだから。
わぁ、ありがとう。などと呑気に喜ぶアサヒを尻目にリゲルはチラチラとディーナを見ては視線を逸らしている。
当然、思う所はあるだろう。
なんせ、元婚約者である。そして理由はあれど自らが破棄した女である。
そんなディーナが自分とは違う王族と婚姻をする。
何も思わない筈はない。けれど、自分のように何かを言う権利すら無い。
「その……ディーナ、あの──」
「え、ディーナさんって結婚してたの?」
アサヒの言葉に思わず目を見開いてしまう。カマをかけられたにしては具体的過ぎる発言であった。
思わず何かを言いそうになっていた愚兄へと鋭い視線を向ければ首をブンブンと横に振っている。
愚兄で無いのならば何故この女が知っている?
どこから情報が漏れている? 誰から情報が漏れている?
「ええ、結婚というよりは婚約ですけれど」
「そうなんだ! おめでとう!」
「ありがとうございますわ。ただ、公的には隠している事だから他言はしないように」
「そうなんだ。でも、よかったね!」
ニコニコと自分のことのように嬉しそうなアサヒと変わらず冷静ながらも少しだけ嬉しそうなディーナを見てスピカは思案する。
何かがおかしい。何故、義姉は情報の出処をこの女に問い質さない? 義姉が漏らした? いや、そうであるならば、この場で聞く意味はない。
義姉はアサヒがわかる事を知っていた? どうして? いや、才色兼備である義姉ならば未来予知の一つや二つできるかもしれない。
スピカは混乱している。
「……アサヒはなぜその事を?」
「え、だって左薬指に指輪をしてるし……」
「お義姉様は私が贈った髪飾りもしてるじゃないですか!」
「あ、スピカちゃんが贈った物なんだ! 似合ってるね、ディーナさん!」
「ええ、ありがとうございますわ」
似合っていて当然に決まっている。
いや、そうではない。
スピカは混乱している。
リゲルも思案するように顎に手を置いているが答えなど出ない。
「……俺に指輪をする位置を助言したのはディーナだったな」
「ええ、そうですわ。初代シルベスタ王がそうしたように、とご助言致しましたわ」
「それはいいが。なぜそれをアサヒが理解している? 俺ですらそんな習わしは知らないぞ」
はえー、そうなんだ。と呑気に紅茶を飲んでいるアサヒを意図的にスピカは無視した。
初代国王の習わしである。それが事実であるならば、義姉が知っているのは納得できる。あの初代国王の難解極まりない文字の古文書を読み解いているのだから。
けれど、それはアサヒが理解している理由にはならない。
「初代シルベスタ王の古文書はご存知ですわね?」
「ああ。翻訳後の物は見たが、そんな記述はなかった筈だ」
「それは翻訳が間違っていると思いますわ。もしくは私の翻訳が間違っているか、ですけれど。アサヒの様子からするに間違っていなかったようですわね」
「……待て、まるでアサヒは元々知っていたと?」
「初代シルベスタ王と彼女は同郷、或いは近い地域の産まれですわ。私の推測ですけれど」
「え、そうなの?」
「おそらく、ですわ」
そうなんだー。と呑気なアサヒ。
リゲルとスピカは頭を抱えてしまう。
アサヒはベーレント家の生まれである。そうである筈である。
しかし、ディーナの物言いはそうではない事を確信している。
「アサヒ、嘘偽りなく答えてほしいのだけれど。貴女はベーレント家の養子ですわよね?」
「え、うん。そうだけど……なんで?」
「公的に実子として扱われているからよ」
「なんでそうなってるの?」
「私にはわかりませんわ。そちらの方が都合がよかったのでしょうね」
「……待て。ベーレント家にその様な権力は無い筈だ」
「そうですわね。公的な記録を改竄するなんて事、それなりの地位がなければ」
「……イワル公か?」
「さぁ? 事実はわかりませんわ。イワル公本人に聞くことも叶いませんし」
公爵家であり、財務を司っていたアンビシオ・イワルならば、可能であっただろう。
死んでしまった彼から聞くことも叶わないが。
アサヒが巻き込まれた事の顛末を考えれば、妥当な推察とも言える。
けれど、それでも……。
「でも、お義姉様が初代国王とアサヒ様を同郷とは判断できないのでは?」
「以前、アサヒが意味のわからない言語を喋っていたでしょう?」
「……あの言語と初代国王の言語が同じだと?」
「そうですわ」
「なら、アサヒはあの古文書が読めるのか?」
「読めると思いますけど、おすすめはしませんわ」
「何故だ?」
「あれは国王であった普通の男の日誌ですわよ。うら若き乙女が読むものではありませんわ」
「……ディーナもそうだろう」
「殿下にそう言っていただけて嬉しいですわ」
嬉しさも感じられない言葉だけをリゲルへと投げつけたディーナはクスクスと笑う。リゲルは眉を寄せて言葉を受け取った。
そんな中、スピカだけは気付く。
ありえないのだ。ありえる筈がない。
愚兄と呑気女はどうして気付いていない?
文字は文字でしかない。たとえ、あの古文書に全ての言語が書かれていても。それは文字でしかない。
けれど、義姉は確かにアサヒが喋っていた言語を理解したと言った。
音として、言葉として、その言語を知り得なければ。
顎ごと口元を覆い隠しながら、スピカの頭はある可能性を導き出す。
そんな筈はない。
義姉は幼い頃から見ている。だから、そうではない。
けれど、そうでなければ辻褄が合わない。
ベーレント家の養子であるアサヒ。ゲイルディア家の実子であるディーナ。そして初代国王。
この三人は同郷であると仮定すれば。いいや、矛盾する。ディーナはそうではない。確実にそうではない。
そうではない筈なのに、もしかしてを重ねてしまう。
スピカは自然とディーナへと視線を向けてしまう。
その妄想とも取れる可能性が正しいかを確認しそうになる。
視線に気付いたディーナは笑みを浮かべて、人差し指を立てて口元に当てる。
答えはない。
答えはないけれど、義姉は何かを知っているのだろう。
ならば、答えてくれるまで待つべきだ。
スピカは静かに頷いて、息を吐き出す。
頭が冷えていくのがわかる。
答えを得た所で何も変わらない。義姉は変わらず優しい義姉であるし、呑気女は呑気である。
「私の事はいいでしょう? アサヒは最近どうかしら?」
「最近は、うん。頑張ってるよ!」
「そう。てっきり怒られてばかりかと思ったけれど」
「もう! 私だって頑張ってるんだからね! そりゃぁ、ディーナさんみたいに優秀じゃないけどさ」
クスクスと笑うディーナと怒ったり少し落ち込んだりと表情の忙しいアサヒを見ながらリゲルも微笑む。
「最近は、私にしかできない事も見つけて、それを頑張ってるんだ!」
「……そう。あまり無理はしないように」
「ディーナさんがそれを言うんだ」
珍しく正論である。
義姉がもっと楽をすべきであるのは間違いない。
リゲルもスピカもアサヒの言葉に頷くが、ディーナはどこ吹く風である。
「まあ、何か困ったことがあれば言いなさい。私が出来ることなら手伝いますわ」
「大丈夫だよ! 私がしないといけない事だから!」
「……そう。悩みぐらいは聞きますわ」
「ありがと、ディーナさん!」
ニコニコと笑みを浮かべるアサヒに対して少しだけ目を細めてディーナは言葉を並べる。
スピカはアサヒが頑張っていると言っている内容を知っている。
それこそ、ディーナも耳にはしているだろう。
教会に傷を癒してくれる聖女がいる。そんな噂を。
宗教と交わっている部分に関して、スピカとしてはもう少し慎重にすべきだとも思う。
けれど同時に、聖女という名が上手く広まり、そして愚兄がその聖女を制御できるならば。
以前の一件でこっぴどく義姉に叱られた呑気女が政治に意欲的にも思えない。
可能性は捨てはしないけれど、聖女が広まろうと問題はない。
それはようやく得た、アサヒという人間の役割なのだから。
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
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騎士ディーナ様
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シャリィ先生
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エフィさん