まだ日は昇らない。吐き出す息は少し白く染まり肺に冷たい空気を満たしていく。
開いた両の瞳で世界を写し込んで、包帯の巻かれた右腕を上げる。一呼吸。
緩やかに自身の魔力を流して、感触を確りと意識する。以前まではハッキリと分かっていた筈の感触がさっぱりと感じなくなってしまった。けれども右の視界が確かにソレが流れている事をわからせる。
正しく式を辿り、正しくソレは流れ、発動を待ち望んでいる。指を弾けば空気の塊が庭に落下してふわりと風を巻き起こす。
全てが正しい。幾度も使用した魔法だからこそよく分かる。何も変化が無い。
右瞼を閉じて、左手で触れる。変わらず眼球は残っているし、視界もハッキリとしている。少し変な物も見えてしまうけれど、その変な物も、何であるかはなんとなく理解できた。
これは……ヤバいやつでは……?
「ディーナ様!」
「あら、アマリナ。おはよう」
「スグにベッドにお戻りください! ご自愛なさってください!」
「体調はいいですわ。それに自分の状態がわからない程私は――」
「ディーナ様!」
「はいはい。戻りますわ。少し外の空気が吸いたかっただけですわ」
珍しく、というべきかこうして感情を露わにしているアマリナは普段見る事はない。特に俺に怒っている姿なんてめったに見ることはない。ぷんぷん怒ってるアマリナも可愛いなぁ。
俺が緩んだ顔をしていたのか、それとも雰囲気としてニヤけているのがわかったのか、アマリナが俺を睨んで左腕を引っ張る。ちゃんと戻るから、もうお前の方が身長高くて足の長さも違うんだから、もうちょっとだけゆっくり歩いて……。
さて、あれからの話をしなくてはいけない。
といっても特筆すべき所は実はそれほどない。
痛みを抑える為に騎士から包帯を貰って応急処置をしている所を慌てた様子で走ってきたリゲルに見られて怪我がバレたとか。それでも隠して、誤魔化して、逃げようとしたらアサヒに捕まって治癒魔法を掛けられそうになったとか。アサヒも魔力ほとんどないんだから応急処置で十分なんだよなぁ……。
状態が状態だったので実家へと搬送される事が決定した俺はそこでリゲル達と別れて馬車で一人ゲイルディア領へと戻ったとか。馬車なら三日ぐらい掛かる道中だったはずなのに、眠って起きたら実家の前だったとか。
泣きそうなお母様と相変わらず厳しいお父様に出迎えられて、正しい処置が行われてベッドへと寝かされたとか。
まあそんな俺の事はいいんだけど、問題はその翌日の朝にはアマリナが俺の所に泣きながら戻ってきた事だ。いや、ホント、アレは驚いた。
子供みたいに泣いて、俺に縋り付いて、慰めて一緒に眠ったのだけれど、翌日には相変わらず無表情に近いアマリナになってたし、俺がベッドから抜け出して体動かそうとすると叱ってくるので、アマリナは可愛いな!
ともあれ、可愛いアマリナを困らせるのは本意ではない。体調もそれなりに良くなってきているので、鈍らないように運動もしたいんですが、アマリナさん? ダメですか? ダメですか。そうですか。
次に戻ってきたのはヘリオである。こちらは大層疲れた様子で戻ってきて早々にアマリナに説教をしていた。どうやら学校を何の手続きもなく抜け出したようでその処理などをしてから戻って来てくれたらしい。説教されていたアマリナは「優先順位が違う」と返していたけれど、学校も大事なんだよアマリナ……。
騎士試験に関しては実技も筆記も完璧に熟したらしいけれど、彼自身の出自が原因で騎士称号は得られなかったらしい。一応、そこらも考えてゲイルディアの名前を使って出したけれど、それでも無理だったそうだ。どこの貴族が妨害したんだろうね? 見つけたらぶっ飛ばすからなぁ……。
ヘリオ自身はそれほど落ち込んでいる訳でもなく、アレクとの教練も問題なく行えているらしいのでいいけれど……。奴隷解放しようか? と言えばアッサリと辞退された。騎士の方が個人として動けると思うんですがそれは……。
ともあれ、ヘリオが確りと学校関係も処理してきてくれたらしいので、俺は安心して休養を楽しめている訳である。
しかしながら、ベッドの上というのは何もする事がなく、大層暇なのだ。
よって俺が魔法の研鑽を積み重ねるのに何らオカシイ事はないのである。イイネ? アマリナに怒られない範囲であるけれど。
さて、魔法式は正しく式である。けれどもその数値は仮想の文字であったし、認識する事のできない式であった。架空で仮想で、仮定の式を無理やり嵌め込んでいる、と言っても過言ではない。今であるならば、そう言える。
解法する事もできない文字式を予め準備して、『ただ魔力を通せば結果を得る』という事を俺はしていた訳である。そのアクションとして指を弾いて設定していただけに過ぎない。シャリィ先生は文字式全部をその時点で代入して魔法を行使している。それで俺と始動がほぼ一緒ってなんだよ……。
そんなハーフエルフ計算機に関しては置いておくとして。
「やっぱり、見えてますわよね」
右瞼を上げて世界を見てみれば、世界は光に満ちていた。極光程明るくもなく、暗闇ほど黒くない。幻覚かとも思ったけれど、魔法を行使していて理解した。世界は魔力で満ちているのだ。
その魔力の一つひとつを確認する事ができる。自身がどれほど無茶苦茶な魔法を行使していたかも、よく理解できる。そりゃぁ腕も目も持っていかれるわな、と納得できた。
不可思議で不可視だった式を魔力を通す事で確認する。どういった文字であるかが、よくわかる。自身が積み上げたソレが正しい事で、少し間違っている事が理解できる。
理論としては正しかった。それはシャリィ先生の理論であるからである。式としては正しくなかった。それは俺の式であったからである。
包帯の巻かれた右腕に魔力を通して見たけれど、ものの見事にぐちゃぐちゃな通り方をしていた。こうして視界で認識すればよくわかる。同じ魔法を想像魔法として行使すればソレは随分と綺麗な線で繋がれていたのだからどちらが正しいかはよく分かるだろう。
通し方を正しく置き換えて、緩やかに、確認するように魔力を通せば今までよりも少ない魔力で今までと同じ結果を得る事が出来たのだから、俺の不出来がよく分かる。世界の魔力を通した時も、もう少し上手くする事が出来たに違いない。もうするつもりはないけれど。
この文字式や形が確りと分かれば、きっと魔法式は新しい一歩を踏み出せるだろう。たぶん。どうだろう。その辺りを聞くためにシャリィ先生に手紙を送ったけれど、返事はまだない。メールとかなら一瞬だけれど、生憎もう少し日数は掛かるだろう。
その暫くの間はこの研鑽を積み重ねていよう。新しい発見もあるかもしれない。
「ディーナ様、何をされているので?」
「ヒッ……せ、先生こそ。随分どうなされたので?」
ノックもせずに開かれた扉にはシャリィ先生がニッコリと笑っていて、その後ろにアマリナがジト目で俺を睨んでいる。ほら、ベッドの上って暇じゃん? 仕方ないじゃん?
「お手紙を頂いて、来てみれば何をしているので?」
「え、ええ。その、魔法式の研鑽を」
「結構。結構。ご自身が何をされたか理解なされていないようで」
魔力の踏み倒しでしょ? 知ってる知ってる。美味しいよね……。
と冗談が言える空気でもなく、誤魔化すように視線を逸らす。笑顔って怖いんだぞ……。相変わらず小さいシャリィ先生だけど、凄い怖いんだ……。
ため息が一つ吐き出されて、シャリィ先生はベッドの横へと座って俺の顔を覗き見る。可愛い。いい匂いがする。それにシャリィ先生自身が眩しい。これが可愛さ可視化か!
「オークを一人で討伐されたようで」
「正確には二人ですわ。私一人なら出来なかったですわね」
「そんな事はどうでもいいのです。そこで行使した魔法が界隈で持ち切りなのが問題なのです」
「……随分と早い噂話ですわね」
「えぇ。ゲイルディアのご令嬢がオークを氷像にする魔法を一人で行使した、とか」
「……それは間違ってませんわ。手紙でも書いた筈ですが……」
「ええ。読みました。読みましたとも! あのディーナ様がそんな魔法を使っただなんて! と驚きましたとも! 手紙を頂き、ゲイルディア卿からもお手紙を頂き、私は急いで研究室を飛び出しましたよ」
「それは、ご迷惑を――」
「迷惑? ああ、いえ、迷惑などではありません。貴女の状態を確認して、そう確信しました」
「怪我の具合ならそれほど悪くはありませんわ」
「怪我? ああ、腕も包帯に巻かれていたのですね。魔力の通しすぎです。ご自身が何を成されたのかをご理解なされて無いようで!」
「え、えぇっと……」
「貴女の魔力量でオークを氷像に出来る程の魔法は行使できません。……ディーナ様。それはエルフの技法です」
エルフ、と言われてシャリィ先生の耳へと視線が向いてしまう。尖った耳がピクリと動いて、改めてシャリィ先生へと視線を戻す。
「自然に存在する魔力を無理に取り込みましたね? なんて事を……」
「あの時は仕方ありませんでしたわ。あの行動に後悔はありません。今考えればもう少し上手く出来たと反省はありますが」
「ディーナ様、少しは懲りてください」
「アマリナが紅茶を淹れてくれれば考えようかしら?」
溜め息混じりに吐き出されたアマリナの言葉をクスクスと笑いながら返せば、少しだけムッとした顔でアマリナは部屋から退出した。紅茶を淹れてくれるまで、少しだけ時間はあるだろう。
「それで、シャリィ先生。私はこのままだとどうなりますの?」
「最悪は……いえ、そんな事にはさせません」
「誰でもいつかは死にますわよ」
「私が、死なせません」
「珍しいですわね。先生が理論的で無いだなんて」
「貴女は自分がどうなっているかを理解していない!」
「理解していますわ。だからアマリナを外したでしょう?」
きっとアマリナが聞けばまた悲しい顔をしてしまうだろうし。
こうしてシャリィ先生が眉尻を下げている辺りも、俺としては不本意ではあるけれど、シャリィ先生を騙し切る事なんて俺にはたぶん出来ないのでセーフという事にしておこう。
「今スグに、という事はないのでしょう?」
「……ええ。あまりその目で世界を見ないように。それと魔法の行使も出来るだけ控えてくだされば」
「魔法式の研鑽が滞りますわね」
「貴女の命の方が大切です」
デレ期かな? デレ期だな。これはこのまま行けばデレデレになるのでは? げへへ。
それにしても、スグに死ぬ事はない事は確定したので、目下の問題は解決したと言っても過言ではない。アサヒとリゲルの事もあるし、スピカ様ともまだイチャイチャしたいし、アマリナともまだ一緒に寝たりしたいので、やるべき事は沢山ある。
そんな事を考えていればアマリナが部屋に戻ってきた。急いで来たのか、珍しく足音が鳴っていたから気付けた。
「では、シャリィ先生に任せますわ」
「……安静にしていてくださいよ?」
「あら、私がシャリィ先生の言いつけを破った事があったかしら?」
「今も破ろうとしている方の言葉ではありませんね」
溜め息を吐き出したシャリィ先生は部屋から出ていき、首を傾げているアマリナを呼び寄せて紅茶の準備をさせる。
今はまだ、この変哲のない日常をゆっくり楽しもう。
「ゲイルディア卿、よろしいでしょうか?」
執務室へとしっかりとノックをして入ってきたシャリィ・オーべは重苦しい空気を吸い込んでも尚、初めての時のような感情には成らなかった。
執務室には変わらず難しい顔をしているクラウスと心配そうに顔を伏せ、シャリィが来た途端にその青い顔を上げたイザベラが居た。
「……オーべ卿。ディーナはどうなる?」
「ハッキリと申し上げます。彼女は魔力に溶かされて死ぬでしょう」
イザベラの息の飲む音とクラウスの唸る声が執務室に響いた。ディーナの魔法の師であり、造詣の深いシャリィの言葉だからこそ現実である事を在々と示す。
「助かる方法は無いのか?」
「あるとするならば、エルフが知っているでしょう」
「エルフか……」
エルフ。森の賢者。世界の始まりを知る者。様々な呼び方が残るその存在は人間達との交流を極力避けている存在でもあり、クラウスからしてみれば絶望的な状況であるに変わりはない。けれども、思考では確りとそのエルフとの接点をどうにか得る為に貴族たちの情報が並べられ、王への取り次ぎもまた思考されている。
「私が取り次ぎましょう」
「……いいのか?」
「出来る限りは……いえ、必ず」
「そうか……感謝する」
「――……」
シャリィは驚いた。その驚きが頭を下げて感謝してくるクラウスなのだから失礼に違いないのだけれど、シャリィからしてみれば、クラウス・ゲイルディアという存在は悪の象徴であったし、何よりも人の感情とは程遠い人物であると思っていた。
だからこそ、自身の中にあったクラウスの印象を塗り替えておく。これも、人の親である。
「俺に出来る事ならばしよう」
「……確か、ゲイルディアの領地にカチイという都がありましたね。ディーナ嬢をそこへ」
「……辺境だな。わかった」
「アレらはあまり人との関係性を保ちたがりませんから。では、私はエルフと会ってまいります。彼女が学校を卒業するまでには、必ず」
「……オーべ卿には何を渡せばいい?」
「……
そうですね。ディーナ様の下に私の研究所を着けていただくように、取り計らっていただければ」
ネタバレ・ディーナ様は問題あるけど問題ない。エッチなエルフを出したい。それだけは真実を伝えたかった……。